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自殺の霊的知識へ

カテゴリ: ★『霊訓』

 「人心を教化するにはゆっくりとした段階を経なくてはなりません。例えば、もしも最初から低級霊の話を持ち出していたら、皆さんはこぞって我々を相手にするのを拒絶したことでしょう。又もし、本物の霊的交信がそう易々と得られるものでないことを口にしたり、キリストについての信仰が全く見当違いであることをいきなり切り出していたら、皆さんはきっと〝この教えは聖書の福音に背反している。これこそ聖書が出現を警告している悪霊集団の仕業である。こんなのとお付き合いをするのは御免こうむる〟と仰ったことでしょう。そこで我々は徐々に明るい見解、より高いレベルへと手引きして参りました。皆さんもそれに首尾よく付いて来られました。が、まだまだお教えするわけにはいかない真理が沢山残っております。お教えしても皆さんには理解出来ないからです」

 「最近この霊媒が、低級霊の影響-邪霊の誘いに直ぐに乗ってしまう幼稚な霊、我々は未発達霊と呼ぶ方を好むのですが-そうした霊の影響を受け易くなって来ました。その為に、進歩の途絶えた邪霊集団によるまやかし行為が見抜けなくなっております。今その類の霊が跋扈しております。遠くない将来、そうした霊による敵対行為が盛んになることを厳粛な気持で警告しておきます。
 その原因は地上に霊的知識が行き渡り、霊的交信の思想が進歩して来たことに邪霊集団がいらだちを覚え始めたことにあります。とかく衝突が生じ易いのも、こちらでのそうした事情の反映に過ぎません。彼等は霊的交信の事実をなんとかして抑止しようとし、そこに我々との衝突が生じているのです。彼等にとっては地上に暗闇が広がる程都合がよいのです。が、しかし、意念の力を行使することによって、守護霊団との霊的交信の障害は克服されることでしょう」

 「(地球を取り巻く)霊的大気が今非常に乱れており、暗雲は容易に晴れそうにありません。暗雲の出所は主として地上政界です。いよいよ困った事態が到来しそうです。が、人類は大きい、そして強烈な苦しみ-産みの苦しみ-を体験せずして低い次元から高い次元へと向上することは絶対に不可能です」

 「今はまさしく大混乱の時代です。未来には希望があります。が、その未来と現在との間には死にも似た暗い影があります。遠い将来には、聞く耳を持つ者は天使の声を聞くことが出来るでしょう。そしてその讃歌は平和の大合唱となることでしょう」

 「まさに現代は、かつて主イエスが地上の人間と生活を共にした時代と同じく、霊力が奔流となって注ぎ込まれている時代です。(イエスの時代の後に霊的衰退の時代が訪れたように)この霊的潮流が衰退することも絶対にないとは断言出来ませんが、実際問題として、そういうことにはならないと我々は考えております。それは、霊力が総力を挙げて、かつてなかった規模で霊力を行使する時期がいよいよ間近に迫っているからです。それを契機として疑念と混乱とが生じることでしょう。地上は今(1875年5月)混乱の極みにあります。それは、実は我々が代表している霊的勢力による影響の表れなのです。残念ながら低級霊でも我々が披露するのとそっくりのものを演出してみせることが出来るので厄介です。地球人類は道徳的に、精神的に、そして物質的に病的状態にあります。そして、これには皆長期間に亘る治療を要します」

 「キリストは今〝静〟の世界から再び〝動〟の世界へ戻られ、特に地球の為に活発に働いておられます。前回皆さんと語り合った後にこちらで大きな動きが生じており、我々は油断なく交信を取り合っております。(地球圏の)最高級の霊団が地球人類の為の大事業を再開しました。皆さんは忍耐強く、真摯に、祈りに満ちた心を堅持し、真理を求め、そうした霊の大軍を神の使徒と仰ぐことです。その大軍が今、地球の回りに待機しております。
 願わくば全知全能の愛の神が我々を通じて皆さんにその恩恵をふんだんに垂れ給い、我々共々、今携わっている仕事によって高揚され向上されんことを。そして又、これより神の玉座のまします境涯へ首尾よく辿り着くことが出来ますように。
 ではごきげんよう」

 (注)-『ベールの彼方の生活』第四巻に次のような問答がある。答えているのはルネッサンス時代に地上生活を体験したアーネルと名乗る霊。

-その〝尊き大事業〟というのは何でしょうか。
 「それについてこれから述べようと思っていたところです。(中略)
 いつの世紀においても、その当初に神界において審議会が催されると聞いております。まず過去が生み出す結果が計算されて披露されます。遠い過去のことは簡潔な図表の形で改めて披露され、比較的新しい世紀のことは詳しく披露されます。前世紀までの二、三年のことは全項目が披露されます。それらがその時点で地上で進行中の出来事との関連性において検討されます。それから同族惑星の聴聞会を催し、更に地球と同族惑星とを一緒にした聴聞会を催します。それから審議会が開かれ、来るべき世紀に適用された場合に他の天体の経綸に当たっている天使群の行動と調和するような行動計画に関する結論が下されます。悠揚せまらぬ雰囲気の内に行なわれるとのことです」
 (中略)
-それらの審議会においてキリストはいかなる位置を占めておられるのでしょうか。
 「それらではなくそのと単数形で書いて下さい。審議会はたった一つだけです。が、会合は世紀毎に催されます。出席者は絶対不同というわけではありませんが、変わるとしても二、三エオンの間に僅かに変動があるだけです。創造界の神格の高い天使ばかりです。その主宰霊がキリストというわけです」(エオンは地質学的時代区分の最大の期間で、億単位で数える-訳者)
 (中略)
-どうも有難うございました。私なりに分かったように思います。
 「それは結構なことです。そう聞いて嬉しく思います。それというのも、私はもとより、私より幾らか上の界層の者でも、その審議会の実際の様子は象徴的にしか理解されていないのです。私も同じ手法でそれを貴殿に伝え、貴殿はそれに満足しておられる。結構に思います。
 以上でお分かりの通り、審議会の主宰霊たるキリスト自らその大事業を引き受けられたのです。(中略)今日キリストはその任務を帯びて地上人類の真っ只中におられ、地球へ降下された後、既にその半ばを成就されて、方向を上へ転じて父の古里へと向かっておられます。(後略)」

 フィロソファスと名乗る霊が語る。
 「地上世界の思想的指導者達は祈りというものについての信仰を完全に失っております。今こそ祈りを必要としております。単に決まり文句を繰り返すことではありません。意念の傾注であり、高級霊の援助を求める為の祈りです。祈りとはきっと救いに来てくれることを信じた魂の真剣な叫びであり、型にはまった言葉の繰り返しではありません」

 インペレーターに代わる。
 「現代の危機は真剣な祈りを必要としております。祈りと言ってもクリスチャンの間で神への挨拶として当然の如く使用されている古臭い決まり文句(主の祈り)の繰り返しのことではありません。そうした外部へ向けての行為は必要ないのです。悩める魂の内なる叫び-それだけで、ここぞという時の援助と慰めを呼び寄せるのです。祈りとは要するに〝切望〟であればよいのです。背後霊による霊的援助の下に高き理想を求める魂の努力です。但し、祈りは瞑想界の内部までは届きません」

 思念が客観性を持つことが有り得るかとの質問に対して-
 「我々にとっては思念そが実体であり、考えたことがそのままあなた方にとっての形体と実質と同じものを形成します。崇高な魂を具えた人の中には、精神的には、地上にありながら自ら拵えた観念の世界で暮らしている人が少なくありません。詩人、劇作家、小説家などは自分自身の世界を現実に拵えます。皆さんも思念を投射していることは、ご自分で想像しておられる程珍しいことではありません。
 我々の世界では思念の波長の合わない性質の霊とは生活を共にすることが出来ません。交わる相手の霊的本性と個性とが直ぐに知れます。〝場所〟は関係ありません。〝状態〟が全てです。個性がそれ相応の環境を拵えます。そして(瞑想界に至るまでの)試練の境涯において、霊としての個性が形成されていきます。行為の一つ一つが永続性のある個性と、それ以後の生活の場を拵える働きをします。鍛練のどの段階においても、それ相応の義務というものが割り当てられ、それを正しく遂行して行くことが、霊性を発達させ進化させます。かくして霊が鍛えられていく過程は地上においても霊界においても、形式こそ違っても実質的には類似しております」

 「霊体にも肉体と同じ機能が具わっており、更に地上とは縁のない別の能力も具わっております。霊体には神性が内在しており、祈りと内省の時を多く持ち、実生活における義務を誠心誠意果たすことによって、その神性が発達します。ものは使用する程強化されるという原理によってそうなるのです。それが普遍的な摂理なのです。
 一段と高級な霊になると、地上の大気の中ではほんの短い時間しか滞在出来ません。時にはこの交霊会の場にも近づけないことがあります。私も今はこの霊媒から遠く離れた位置にいます。精神的並びに肉体的条件のせいで、これ以上近付くことが出来ません。体調を崩している時は近付けません。最近他界したばかりの霊の方が容易に近付けます。しかし、我々は遠い距離からでも影響力を行使することが出来ます。我々(高級なスピリット)にとっては時間も空間もありません」

 死刑制度に関して-
 「いかなる事情のもとでも許されるべきではありません。突如として肉体から切り離された魂は、やがて地上へ戻って来て人間に恐ろしい仕打ちを始めます。守護霊も近付くことが出来ず、魂の進歩に重大な障害をもたらすことになります。残酷にして野蛮な処刑によっていかなる悪が生じているかは、霊界へ来てみて初めて分かることです。
 地上でいうところの生命を奪う形での処罰は、無分別極まる行為です。それは目には目を、歯には歯をの発想の時代の名残です。罪人は矯正するか隔離するかの、いずれかにすべきであって、身体を奪ってはなりません。それは、折角の地上という存在の場での寿命を全うしないまま霊を身体から引き裂くことになります」

 (注)-その死刑制度を激しい語気で批難した部分が『霊訓』の中に見える。その激烈さの為にモーゼスは〝手がヒリヒリし腕がガクガクして、強烈なエネルギーが身体を流れるのを感じた。書き終わった時はぐったりして横になる程疲れ果て、頭の奥に激しい痛みを覚えた〟という。その一部を紹介すると-
 《罪人は訓え導いてやらねばなりません。罰するのはよい。我々の世界でも処罰はする。が、それは犯した罪がいかに自分を汚し、いかに進歩を遅らせているかを悟らせる為の、一種のみせしめであらねばなりません。神の摂理に忠実に生きる者達の中に彼等を置き、罪を償い、真理の泉によって魂を潤すことを体験させてやらねばなりません。そこに神の使者が大挙して訪れ、その努力を援助し、暖かい霊波を注ぎ込んでくれることでしょう。しかるに人間は罪人を寄せ集めて、手を施す術のない者として牢に閉じ込めてしまう。その後更に意地悪く、残酷に、そして愚か極まる方法で処罰する。そうした扱いを受けた者は、刑期を終えて社会に復した後も繰り返し罪を犯す。そして遂に最後の、そして最も愚かな手段に訴えられるべき罪人の名簿に書き加えられる。すなわち死刑囚とされ、やがて斬首される。心は汚れ果て、堕落し切り、肉欲のみの、しかも無知なる彼等は、その瞬間、怒りと憎悪と復讐心に燃えて霊界へ来る。それまではまだ肉体という足枷があった。が、今はその足枷から放たれた彼等は、その燃え盛る悪魔の如き邪念に駆られて暴れ回るのである。
 人間は何も知らない!何も知らない!自分達のしていることがいかに愚かであるかを一向に知らない。自分こそ最大の敵であることを知らない。神と我々と、そして我々に協力する人間を邪魔しようとする敵を利することになっていることを知らない。
 知らないと同時に愚かさの極みである。邪霊がほくそ笑むようなことに、あたら努力を傾けている。凶悪人から身体的生命を奪う。単なる過ちを犯したに過ぎない者に報復的刑罰を与える。厚顔にも、法の名の下に流血の権利を勝手に正当化している。断じて間違いである。しかも、こうして傷付けられた霊が霊界から復讐に出ることを人間は知らない。
 神の優しさと慈悲-堕落した霊を罪悪と憤怒の谷間より救い出し、聖純と善性の進歩の道へ導かんとして、我々使者を通じて発揮される神の根本的原理の働きを知らねばなりません。右の如き行為を続けるのは、神の存在を認識していないからです。
 人間は自分の本能的感覚をもって神を想像した。すなわち、いずこやら分からぬ高所より人間を座視し、自分の権威と名誉を守ることにのみ汲々とし、自分の創造物については、自分に媚び自分への信仰を告白した者のみを天国へ召し入れ、その他に対しては容赦も寛恕もない永遠の刑罰を科してほくそ笑む、悪魔の如き神をでっち上げた。そうした神を勝手に想像する一方、更にその神の口を通じて、真実の神には身に覚えのない言葉を吐かせ、暖かい神の御心には到底そぐわない律法を定めた。
 何たる見下げ果てた神!一時の出来心から罪を犯した無知な我が子に無慈悲な刑を科して喜ぶとは!作り話にしてもあまりにお粗末!お粗末にして愚かなる空想であり、人間の残忍性と無知と未熟な心の産物にすぎない。そのような神は存在しません!絶対に存在しません!我々には到底想像の及ばぬ神であり、人間の愚劣な心の中以外のいずこにも存在しません。
 父なる神よ!願わくば無明の迷える子等に御身を啓示し、御身を知らしめ給え。子等が御身につきて悪夢を見ているに過ぎぬこと、御身について何一つ知らぬこと、これまでの愚かなる概念を拭い去らぬ限り、真の御姿は知り得ぬことを悟らしめ給え》

 国家が退廃していく主な原因は不道徳(悪徳)にあるのではないかとの質問に対して-
 「その通りです。不道徳こそ、人間を動物以下にまで堕落させ、悪魔と同類にしてしまう、罪の中の罪です。他のいかなる罪にもまして人間を天使の支配より遮断し、神より遠ざけるものです。ローマもそれにて滅び、スペインもしかりです。フランスも堕落しています。イギリスも同じ道を急速に辿りつつあります。
 ああ、人間はなぜ気付いてくれないのでしょう。たとえ一瞬の間でも霊眼を開いて、不道徳から救い出さんとして待機する天使の集団の存在を垣間見てくれればと思うのですが、人間は一向に気付かず、気付いた時は時既に遅しです」

 再生の問題についてインペレーターは、一般に信じられている形での再生説は間違っていると述べ、偉大なる霊が人類の啓発の為に自ら志望して地上へ降誕することは、これまでの地上の歴史に幾つかの例があること、又、霊性の汚れが極端な場合は最低界へ沈んで行き、一旦(霊の海)へ埋没してから改めて生まれてくることもあるという。但し、その場合は多分この地上ではなく別の天体になる-一度落第した学校は二度と通わないものです、という。

 (注)-『霊訓』の中で同じインペレーターが地上の悪徳を増幅させている邪霊集団の存在について述べた後、その救済についてこう述べている。
 《こうした霊達の再生は、神の救済団による必死の働きかけにより魂の奥に善への欲求が芽生えるのを待つ外はない。首尾よくその欲求が芽生えた時こそ再生への第一歩である。その時より神聖にして気高い波長に感応するようになり、救済団による手厚い看護を受けることになる。
 地上にも自らを犠牲にして悪徳の世界へ飛び込み、数多くの堕落者を見事に更生させている気高い人物がいるように、我々の世界にもそうした奈落の底に沈んだ霊の救済に身を投じる霊がいる。そうした霊の努力によって善に目覚め、堕落の生活から救い出され、浄化の境涯における辛い試練を経て、遂に悪の影響と断絶し清らかにして善なる霊の保護の下に置かれた霊は決して少なくありません。
 かくして聖なるものへの欲求が鼓舞され、霊性が純化されていく。それより更に深く沈んだ境涯については、我々も多くは知りません。漠然と知り得たところによれば、悪徳の種類と程度によって様々な区別がなされている。中には善なるものへの欲求を全て失い、不純と悪徳に浸り切り、奈落の底へと深く深く沈んで行く者がいます。そして遂には意識的自我を失い、事実上、個的存在が消滅して行く。少なくとも我々はそう信じている》

 「地上で極貧と悪徳の環境に生を享け、善性を志向する機会が乏しかった者は、他界後に霊界にてその埋め合わせの教育が施されます」

 「生命に終わりはなく、永遠に進化し続けます。魂は一瞬たりとも静止することはありません。進化するか、さもなくば退化します」

 「地上の人間で直接神に近づける者は一人もいません。その中継者として、神は天使を遣わします」

 霊による人間への働きかけは人間自身が想像する以上に多く、いかなる霊が働きかけているかによって、その人間の程度が知れるという。又物的存在物は皆オーラを発しており、その内部に霊が潜在しているという。
 人間は死後も殆ど本性は変わっていない。又動物もそのまま生き続けている。一度創造された生命はけっして死滅しないという。

 「地上近くをうろつき回っている低級霊は交霊会にしばしば出現し、様々な人物の名を騙って喋ります」

 「悪条件の下で交霊会を催して万が一そうした低級霊との繋がりが生じると、数々の危険を覚悟しなくてはなりません。邪悪な影響力の浸入を許し、危険が生じます。交霊会のメンバーは純粋な心の持ち主-真理の探求者によって構成すべきです」

 「霊が人間に影響力を行使する場合、人間の身体が見えているわけではありません。人間は視力というものを肉眼と結び付けて考える習性がありますが、我々は、映像として見えなくても存在を認識することが出来ます。霊と霊との関係は磁気的なものです」

 「霊界における霊の誕生は地上における赤子の誕生とよく似ております。誕生したばかりの霊はやはり育児と看護が必要です」

 「霊界から人間に協力している我々は、極めてデリケートで不安定な条件の下で働きかけていることを銘記して頂かねばなりません。その際、物質は我々の視界から消えており、物質界にありながら物質は全く映じません。見えるのは霊のみです。従って写真に写ることは出来ません。が、他の(低級な)霊に我々の肖像を真似させることは、しようと思えば出来ます」

 背後霊団の一人でメンターと名乗る霊についてインペレーターは、この霊は霊界ではとても霊格の高い霊で、第四界に所属し、教育と自然界のエネルギーの支配を担当しており、教育の仕事は既に完了していると語ってから、
 「霊界での生活はそのように学ぶことの連続で、常に前進であり、常に向上なのです」

 「我々にとって神を崇めるということは、神の仕事と意志を実践することであり、人類を霊的に高揚させることに外なりません」

 「人間は常に霊的生命に取り囲まれており、片時も孤独でいることはありません。絶対にありません」

 ムーディとサンキー(後注)の教えとその影響について問われて-
 「岩だらけの道を切り開くだけの道具を高等な物差しで採点しては、良識を欠くことになるでしょう。霊的なものが人間界に注入されていくに際して波風が立つのは、止むを得ないことです。冷たく陰鬱な惰眠を貪らせるよりも、揺り起こして目を覚まさせる方がましです。今の人類に蔓延している自己満足の中の平穏無事に騒ぎを起させる働きに対して、我々は否定的態度は取りたくありません。現代は霊的な影響力が様々な形で顕現しつつある過渡期なのです。
 ムーディとサンキーの教えは知的レベルの低い階層に向けられたもので、それはそれなりに、その階層の者には適切だったことを知らなくてはいけません。霊的興奮の時期においては、波風の立つのは天使の到来の前兆と見るべきです。冷ややかさと無関心の状態から人類を目覚めさせるものであれば、我々は何でも歓迎します。そうした問題について我々が皆さんと違って高い観点から眺めることになるのも、立場上止むを得ないことでしょう」

 (注)-D・L・Moody(1837~1899)、I・D・Sankey(1840~1908)。ムーディは靴のセールスマンから牧師となった人物で、歌手のサンキーと組んで米国に三回目のリバイバルを起した。

 「人間が霊に出現してもらいたがるのはよいとしても、出現する霊にとっては、地上圏へ舞い戻ることが再び煩悩を呼び覚ますことになりかねないことを知るべきです。地上へ戻ることが退歩となることがあり、進化の法則に逆行することになります。人間の情的な念によって引き戻されるケースが多いのですが、その霊にとっては大変まずいことがあります。人間の情念の方が強烈である為に、地上へ引き戻されることによって進歩の歩調が乱されるのです。それ程人間の念が一個の霊の道を制約するものなのです。
 地上圏を去った者は二度と地上へ戻れなくなるケースが多いのですが、仮になんとか戻ることが出来ても、人間も霊も共に意識過剰になり、一種の反発作用が生じ、交信を台無しにしてしまいます」

 入神中のモーゼスについて-
 「彼は今、教育担当の指導霊と共に天上界へ赴いております。彼のもつ霊力によって恩恵を受ける霊もいます。但し、その為には霊性が高尚で誠実で非利己的でなければなりません。何よりもまず〝小我〟を滅却することです。そうすれば思いも寄らない程の霊力を授かります」

 「地上でダニエルの名で知られた霊は大変な高級霊が降誕したもので、強力な霊媒的素質を具えておりました。時として偉大なる霊が地上へ降誕、ないし再生することがあります。が、これは例外に属することで、一般的によくあることではありません」

 (注)-ダニエルは紀元前六世紀のヘブライの霊覚者で、旧約聖書にそのダニエルについての書がある。彼もメルキゼデクに始まってイエスに至る系譜の中の一人で、多分インペレーター霊団の一人であろう。

 1848年に勃興した近代スピリチュアリズムの満百年を記念して-(1848年から数えて満百年、つまり1948年ということで、この時モーゼスは死んでいるので、これは多分、シルバーバーチの言葉だと思われる-自殺ダメ管理人)
 「今夜は大勢の霊が活発に動いております。本日が記念すべき日であるからに外なりません。皆さんが近代スピリチュアリズムと呼んでいるものが勃興した当初、高級界より強力な影響力が地上へ差し向けられ、霊媒現象が開発されました。かくして地縛的状態にあった霊を解放し、新たな生活へ甦らせる為の架け橋が設けられました。そのことを記念して我々はこの日を祝うのです。
 スピリチュアリズム-我々としては〝神の声〟と呼びたいところですが-これは真理に飢えた魂の叫びに応じて授けられるものです。
 しかし、このスピリチュアリズムにも次第に致命的な悪弊が生じつつあります。すなわち現象のみをいじくり回すことから生じる、言わば心霊的唯物主義です。現象を生ぜしめるエネルギーにのみ関心を向け、その背後で働く各種の知的存在を認識しようとしません。物質はあくまでも付帯的なものであり、実在は霊なのです。
 地上の全ての宗教がその基盤を来世への信仰に置いております。にもかかわらず、地球を取り巻く唯物的雰囲気の為に、折角の神の真理を心霊現象で埋め尽くして窒息死させかねない状態となっております。もしもそれのみにて満足するのであれば、寧ろ初めから一切の関わりを持たなかった方がよかったかも知れません。
 我々は、しかし、首尾よくそうした現象的段階を超えて、かつての真理より一段と高等な霊的真理を求めようとする者が多く輩出してくれることを期待しております。心霊現象はその為の手引きとしての価値しかありません」

 「スピリチュアリズムは今まさに最後の試練の時期(後注)を迎えております。そして多分それを首尾よく通り抜けて、更に新たな局面を迎えることになるでしょう。その時は、これまでより一段と内面的なスピリチュアリズムが前面に出て来ることでしょう。が、今はまだその時期ではありません」

 (注)-これはあくまで訳者個人としての見解であるが、このインペレーター霊団と丁度入れ替わるようにシルバーバーチ霊団その他、目的は同じでも手段を異にする霊団、例えばハリー・エドワーズに代表される心霊治療団が地上への働きかけを開始しているところをみると、インペレーターのいう〝最後の試練の時期〟とは第二次世界大戦に象徴される混乱の時期で、〝一段と内面的なスピリチュアリズム〟というのは、〝再生〟を因果律の重大な要素として前面に押し出した思想と心霊治療活動を指すものと考えられる。
 が、モーリス・バーバネルをして〝イエス・キリストに勝る〟と言わしめた心霊治療家のハリー・エドワーズも既に亡く、その後を追うようにバーバネルも他界し、そして昨年(1986年)の十二月にはやはり心霊治療家のテスターと、その恩人とも言うべきフリッカーの二人が申し合わせたように相次いで他界し、シルバーバーチが度々交霊会に招待していた治療家や霊媒も殆どが姿を消してしまったことを思うと、実はこれまでがその〝最後の試練の時期〟で、これから〝更に新たな局面〟を迎え、そして〝一段と内面的なスピリチュアリズム〟が啓示されることになるのかも知れないと思ったりもしている。
 願わくばそうあって欲しいものである。

 本書は英米をはじめとする西洋各国で〝スピリチュアリズムのバイブル〟と呼ばれて百年以上もロングセラーを続けている『霊訓』の続篇である。
 正篇は昭和十二年に浅野和三郎の抄訳によって本邦に紹介され、この度(六十年)潮文社からその復刻版が発行されている。それとほぼ時を同じくして私による完訳版が国書刊行会から出ている。
 『霊訓』の第一の特徴はキリスト教の牧師だったステイントン・モーゼスと、紀元前に地上生活を体験したという身元不明の霊との熾烈な論争という形で霊的真理が説かれていることである。主としてキリスト教の教義がその論争のテーマとなっている為に、読者の側にキリスト教に関する基礎的知識が要求される点が、本書を西洋人に比べて東洋人にどこか取っ付きにくくしている事実は否めない。しかし、キリスト教を熱烈に信仰し、自らもそれを説き聞かせる職にあるモーゼス(後に辞職して教師となる)の手がひとりでに動いて綴った文章(自動書記通信)が自分の信仰と真っ向から対立する内容であり、そのことに悩み、苦しみ、それに反論し、かくして〝目に見えざる存在〟との論争を延々十年間も続けながら全く正常な人格者であり続けたという事実が、この五感の世界以外に知的で理性的で愛を知る存在が実在していることを何よりも雄弁に物語っていると言えよう。
 その熾烈な論争-一時は霊側の総引き上げという形での決裂寸前にまで至った程の遠慮容赦のない激論を戦わせながら、モーゼスの側はあくまでも真摯な真理探究心を、霊側は真実の光明へ導かんとする温かい愛を最後まで失っていないところが、本書に稀有の価値を与えていると私は考えている。
 私はこれを一日数時間、ほぼ三百日かけて完訳したのであるが、その間、訳者としての立場を忘れて思わず情的にその内容に巻き込まれ、感涙の流れるに任せざるを得なかったことが何度あったか知れない。今でも心が落ち着きを失いかけた時は必ず紐解くことにしているが、その度に勇気百倍、生きる意欲を鼓舞される。『シルバーバーチの霊訓』『ベールの彼方の生活』と並んでこれを私が〝英国の三大霊訓〟の一つに数えるのはその為である。
 さて、この続篇はモーゼスの死後、恩師である医師のスピーア博士の夫人が、博士宅で催された交霊会(自動書記は自宅の書斎で、交霊会は博士宅で行なわれた。博士一家との縁については巻末「解説」を参照されたい)の筆記録の中から、是非とも公表すべきであると思われるものを選んで心霊誌Light に掲載し、それにモーゼス自身が同じ心霊誌に発表していた記事の中から参考になるものを精選して、それと一緒に一冊に纏めたものである。
 本書の特徴は、正篇が自動書記通信だけで構成されているのに対して、霊言現象による通信が紹介されていることである。霊言と自動書記の違いは、霊言が霊媒の発声器官を使用し自動書記が霊媒の腕を使用するという、形の上から言えばそれだけのことであるが、表向きは単純のようで裏面の原理はそれぞれに何種類もあって複雑である。

 そもそも霊界通信なるものの入手方法は右の霊言と自動書記の外にもう一つ、幽体離脱によって霊界を探検したり指導霊から直に教わったものを持ち帰って綴る、或いは語る、という方法がある。これは言わば霊界旅行記であるが、霊言や自動書記において霊が行なっている役割を自分が行なう-言うなれば一人二役をするだけのことで、原理的には右の二つと同じである。
 この場合でも本人の目には見えなくても大勢の背後霊が陰から指導し援助し、又危険から守ってくれている。この道の第一人者ともいうべき A・J・デービスは自分は霊の力を一切借りずに全部一人でやっているようなことを述べているが、これはただ自分でそう思っていただけで、実際には蔭から指導と援助と保護を受けていたのである。本書の中でも通信霊の一人が、それには例外はないと断言している。
 このことは地上と霊界との関係に限ったことではなく、霊界における上層界と下層界との関係においても同じである。『ベールの彼方の生活』の通信霊アーネルが部下と共に暗黒界を探検し、その間ずっと自分達だけでやっていたと思ったいたのが、帰還してみると、悉く上層界からの指示と加護を受けていたことを知る、という経緯が述べられている。
 その点『私の霊界紀行』(潮文社)のスカルソープ氏は自分の行動は全て背後霊団によって準備され案内され守られていると述べていて、デービスと対照的に実に謙虚である。見かけのスケールは小さいが、霊的には非常に高い、或いは深いことを述べていて、信頼度は抜群であると私はみている。
 他に有名な人としてはスエーデンボルグが挙げられるが、実際に見たものを無意識の内に潜在的な観念によって歪曲している部分が多過ぎて、私はあまり、というより、殆ど価値を見出せずにいる。特に初心者には妙な先入観念を植え付けられる危険性さえある。
 この霊能において肝要なのは、異次元の世界で見たものをどこまで生のまま三次元の世界の言語で表現出来るかであって、その純度が価値を決定付ける。そこに背後霊団の援助と霊能者本人の霊格の高さが要求されるわけである。尚この体外遊離現象はモーゼスも体験していて、僅かではあるが第三部で紹介されている。

 次に霊言現象の原理であるが、これには四種類ある。
(一)直接談話現象-これはエクトプラズムという特殊な物質によって人間の発生器官と同じものを拵え、それを霊が自分の霊的身体の口を当てがって喋る現象である。空中から聞こえる場合は肉眼に見えない程稀薄な物質で拵えてある場合で、メガホンから聞こえる場合は、そのメガホンの中に発声器官が拵えてある。
(二)霊媒の発声器官を使用する場合-普通霊言現象というのはこれを指す場合が多い。この場合は霊媒の潜在意識(精神機能)の中の言語中枢を使用するので、霊媒自身の考えによって影響されないだけの訓練が要請される。モーリス・バーバネルを通じて五十年に亘って霊言を送ってきたシルバーバーチ霊は、その為の訓練をバーバネルが母胎に宿った瞬間から開始したという。
(三)リモコン式に操る場合-シルバーバーチのように霊媒の身体を占領するのではなく、遠距離から霊波によって操る。原理的にはテレビのリモコンやオモチャのラジコンと同じである。霊視するとその霊波が一本の光の棒となって霊媒と繋がっているのが見られる。
(四)太陽神経叢を使用する場合-みぞおちの部分にある神経叢が心霊中枢の一つとなっていて、そこから声が出て来る人がいる。又、なぜかこの霊能をもつ人が殆ど決まって米国のナイヤガラ瀑布の近辺の出身か、そこで修行した人であるという事実も興味深い。

 次に自動書記現象の原理であるが、これには大きく分けて三種類、細かく分けると四種類ある。
(一)ハンドライティング-霊が霊媒の腕と手を使用する場合で、これは更に二種類に分けることが出来る。
 ①霊媒の腕を直接使用する場合。普通自動書記といえばこれを指す。モーゼスの場合もこれである。
 ②リモコン式に操る場合。霊言の場合と同じで、霊波によって霊媒の言語中枢と筆記機能とを操作する。
(二)ダイレクト・ライティング(直接書記)-紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られる。スレートライティングもこの部類に入る。多量のエネルギーを必要とするので長文のものは困難で、簡単なメッセージ程度のものが多い。
(三)インスピレーショナル・ライティング(霊感書記)-霊感で思想波をキャッチすると自動的に手が動いて書く。原理的には普段我々が考えながら書くのと同じで、ただその考えがインスピレーション式に送られて来るというだけの違いである。オーエンの『ベールの彼方の生活』がこの方法によって綴られている。

 さて、本書の第一部は最高指導霊のインペレーターをはじめとして、他に数人の霊による霊言が集められている。そのインペレーターの言葉に「私は今皆さんから遙か彼方にいます」とあるところから、その時はリモコン式にメッセージを送っていたことが推察される。それでもインペレーターが語る時は交霊会の部屋に厳かさと力強さが漲っていたという。そのインペレーターが冒頭で紹介している霊団の組織と役割分担についての説明は非常に興味深い。
 第二部は、自動書記による通信で正篇に綴られていないものの中から、スピーア夫人がぜひともと思うものを選び出したもので、正篇を補足する形になっている。
 注目すべきこととしては、ここで初めて〝再生〟の問題が取り上げられていることで、多くは語っていないがインペレーターがそれを肯定する立場から含蓄のあることを述べている。私の推察では、この再生問題はインペレーター霊団の役目の中に予定されておらず、いずれ、ほぼ半世紀後にシルバーバーチ霊団が再生説を基本概念とした霊的進化論を説くことになっているという、全体の予定表が出来ていたのであろう。
 第三部はモーゼス自身をテーマとして、まず他界後、心霊誌ライトに載った追悼の言葉、続いて交霊会で起きた珍しい物理現象、更に、入神中の体外遊離体験、そして最後に、生前モーゼスがライト誌に投稿した記事の中から興味深いもの、参考になるものを抜粋して紹介している。
 モーゼスの人となり、及びスピリチュアリズムに関する見解を知る上でそれが非常に参考になるが、私はそれを更に補足する目的で、ナンドー・フォドーの《心霊科学百科事典》から<ステイントン・モーゼス>の項目を全訳して巻末に紹介した。その内容がそのまま『霊訓』並びに霊媒としてのモーゼスの解説となっているからである。インペレーターを初めとする背後霊団の地上時代の身元についての調査資料も一般の読者の方には興味深いテーマであろう。
 なお第一部の構成者(編者はスピーア夫人であるが本書の構成者は別人である。名前は公表されていないが、多分当時のサイキック・ニューズ社のスタッフの一人であろう)が〝はじめに〟の中で述べているように、本書の集録されたものは断片的に抄出したものであって内容に連続性がない。そこでその〝断片〟の合間に正篇から抜粋を挿入して、理解を深める上で参考となるように私なりに配慮をした。時には長文に及ぶものもあるが、読者は一々正篇を紐解く手間が省けるであろう。
 又場合によっては内容の重大性に鑑みて、『シルバーバーチの霊訓』や『ベールの彼方の生活』からも抜粋して紹介してある。要するに私は本書を英国の所謂〝三大霊訓〟のダイジェスト版のようなものに仕上げたつもりである。
 今後ますます霊的なものが輩出することが予想される日本において、その真偽の判断の拠り所として、こうした時代の荒波にもまれながら生き延びて来た、真の意味での聖典と言えるものをぜひとも座右に置いておく必要があると考えるのである。
 初めに紹介した霊言現象及び自動書記現象による霊からのメッセージの入手方法の原理と合わせて、霊についての正しい常識と知恵を身に付けて頂くことになれば幸いである。
 最後に一言、翻訳の文体について述べておきたい。この『霊訓』の原文は正続ともに古めかしい文体で書かれており、それは霊言の場合も同じである。そこで国書刊行会からの完訳版では成るべくそれを訳文に反映させるように工夫した為に古い堅苦しい文体となったが、本書では霊言が主体となっていることも考慮して、思い切って現代文で表現してみた。インペレーター独特の重厚味が欠ける憾(うら)みが無きにしもあらずであるが、広く現代の読者に読んで頂く為にはこの方が親しみ易くて良いと判断した次第である。

 1987年6月  近藤千雄

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