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カテゴリ: ★『永遠の大道』

自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 第五界への誕生

 第四界の居住者が、やがて死の準備にとりかかる時期が来る。この死は人間の死とは全然違う。進化のこの道程に達した魂は、既に形態、外貌、幻像等の完全なる支配権を有っている。しかし支配権だけではまだ足りない。モウ一つ上の階段に進もうとするには、そこに一つの解脱が要る。外でもないそれは『形態の破毀』と称する、面倒な過程を首尾よく通過することである。ここでいよいよ外貌、形態、色彩、感情等への永の訣別を告げる。つまりそれ等のものが必需品として、又生活条件として、存在の価値を失うのである。
 魂はここで又もや無意識状態に陥る。かくていよいよ第五界に誕生した時には、姿に包まれていた時代の性質の一部は同時に消え去っている。
 一体全ての界の中間には、必ず一の沈黙時代、湮滅(いんめつ)時代がある。古代人はこれを冥府(ヘーズ)と呼んでいた。ここで魂は暫く中憩をやる。が、次第次第にその意識が回復し、底光する永遠の海の上に、過去の各界に於ける自己の一切の経験、事故の閲歴の骨子を為せる一切の光景が、歴々と写し出されて来る。彼は自己の有する統一原理、自己の霊(スピリット)の光で一々これを点検する。すると、その人の天分次第で、智的並に情的の種々の欲求がむらむらと浮いて来る。彼はその時、上昇か下降か、二つの中その一つを選ばねばならなくなる。つまり彼の霊が上からこれを促すのである。この際全ては前世に於ける経験の多寡によりて決まる。彼は絶対の意思の自由を許される。が、無理をすることは出来ない。止むに止まれぬ絶対必要の一途を選ばねばならない。『肉の人』ならば、夢幻界の入り口で、再び物質世界に下降するを常とする。又『魂の人』ならば、色彩界の入り口に達した時に、しばしば夢幻的形態の第一部に降るのもある。
 しかしながら、もしも過去世の検閲が幸に満足すべきものであってくれれば、彼は意を決して第五界に上昇する。すると俄然として周囲の静寂が破れる。全てを包む猛烈なる心霊的暴風雨の中に、彼の色彩と形態とに対する欲求が微塵に砕かれ、そして同時に自分自身のある部分をも、一時放擲(ほうてき)することになる。但し一層完成した第六界に達すれば、その放擲されたる部分は再び自己に戻って来る。
 (評釈)ここに至りて、地上の人間の想像はそろそろ貧弱を感ずる。何の形態も色彩も、又感情もない生活は、文字の上で理解が出来るとしても、実質的にはちょっと見当がとれ難い。マイヤースは自己の体験から、しきりにその真相を伝えようとしているらしいが、これだけの推薦では、殆ど何物をも我等に教えない。恐らくこれは何人にも至難の業であろう。

自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 『生命の書』を書くのには、各章毎に多少の象徴法を採用する必要がある。なので自分は『光焔』の一語をこの第五界の表現に使用した。ここで魂は独り自己のみならず、その属する類魂の全てに通暁する。彼はやはり彼であるが、同時に又その他の全てでもある。彼は、最早人間の想像するような形の内には生活しない。が、彼は依然として一の輪郭の内に生活する。その輪郭はその所属の類魂の過去の一切の思想、感情等によりて作られるもので、言わばこの大集団を動かすところの大火焔である。
 この第五界に住む時に、その経験はいかにも雑多であり、いかにも複合性を帯びているので、或る意味に於いては、何やら統一性を失ったようにも見える。彼の生活は言わば燃える火の生活である。絶大なる智情の飛躍もあれば、無限の自由と甚大なる不自由の交錯もあり、そして無辺際なる、種々の水平線の瞥見も伴い、要するに彼にとりて最も厳格なる訓練の時代である。思索の悩み、想像の呻き-ドウやら自己の心は存分に活動する暇なく、他の類魂達の烈しき生活の情熱が、その全身に燃え移ると言った生活。-要するに彼はかくして層一層、その統一原理たる霊(スピリット)の活動の中に近付きつつあるのである。
 兎に角今までに全く類例のない、猛烈な幸福、歓喜、悲哀、絶望の感じが、彼の生命の中に注ぎ込まれて来るのであるが、それにも係わらず、彼は依然としてそれから離れている。彼は決してこの激越性の嵐の中に巻き込まれはしない。要するに彼はその嵐を自覚しているが、しかしその上を乗り切っていると言った状態である。
 この意識の第五階段に於いて、魂は連続的に自覚している。そこには何の間隙も休息もない。彼は意識の諸々の階段に居住する類魂達の智情両面の生活に接触して、その苦楽に浸るのである。そしてその最高潮に達した時には、自我の出発点たる本霊の境域に迫りて、その光明に浴することも出来る。さればとて彼は決して自己の独立を失った訳ではない。彼は或る意味に於いて、自己の傑作の醍醐味に浸る所の独りの芸術家である。次第に進展し、変化する創作の新鮮味の中に、到底筆舌に絶する、かの一種不可思議なる至楽境を見出して、無上の幸福を満喫するのである。これは真の創造的天才者が、極めて微弱ながらも、その地上生活中に、時として味わうことの出来る境地である。
 この第五界の境涯は人間の心を以ってして、よく想像は出来ても、到底如実に把握し得る状態ではない。ここに至りて自己の存在の意義が、初めてはっきりと腑に落ちる。神、宇宙、人生-その真面目が何やら彷彿として判りかけて来る。が、最後の神秘の解決は依然として一の宿題として前途に残される。
 兎に角この第五界は、或る面白からぬ一面を有ちつつも、実に素晴らしい存在である。が、『魂の人』は容易にこの世界を後にして、第六界へと前進することは出来ない。それは彼一人の問題ではない。他の類魂が肩を並べて意識の同一水準線に達するまで、そこに待たねばならない。何となれば、それが永遠の織物に編み込まれるべき模様の完成を意味するからである。そうしておりながらも、彼は同系の他の幼稚な魂達-自分よりも遙かに濃密な物質に宿りて経験を積みつつある類魂-の情的生活に通暁する。これを要するに彼は自己を養い、自己を導く統一原理-本霊-の直属の全生活と密接不離の関係に置かれる。その関係は独り人間には限らない、同一系統の世界に属する一切の花、虫、鳥、獣その他の潜在生活とも共鳴するのである。
 (評釈)私が言ったら、マイヤースの第五界は幽界の上層を指しているものと考えられる。この境涯の魂は地上に免れざる利己主義、個人主義からの、全部的解放を以って眼目としているらしく見える。それが日本神道の所謂和魂の大成であろう。枝葉の点に疑問は免れないが、大体に於いて首肯される説明振りである。なかんずくこの世界の居住者が、自分よりも進化の後方を歩みつつある類魂の情生活に通暁するということは、私の交霊実験の結果から見て、特に興味深く感ずる。これは蓋(けだ)し『生』の問題を合理的に説明すべき大切な鍵ではあるまいかと思う。

自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 類魂の組織構造は、是非共これを明瞭に理解しておくべきである。類魂の統轄体たる『霊(スピリット)』が、生命と光明とを賦与するものは、進化の様々の階級に置かれたる、各種各様の生物である。その代表的なものを挙げれば、草木、花、鳥、虫、魚、獣、並に人間の男女などである。つまり本霊はたった一つで、様々の世界、様々の意識の階段に於ける魂達を養うのである。尚本霊の威力は他の天体の生物にも延びる。何となれば霊としては、ありとあらゆる形式に於ける、無尽蔵の経験を積まねばならぬからである。これ等の魂達は次第次第に進化し、そして最後に融合する。目的の完成は、所属の一切の魂達がこの第五界に達した時である。かくていよいよ彼等全てが、個性即全性、差別即平等の実相に徹底したとなれば、彼等は直ちに第六界に前進する資格が出来る。その時こそ一切の紐の断れる時、一切の心の糟粕(かす)の放棄せらるる時で、所属の魂達の間に思い切った淘汰改易が行なわれる。彼等は肩を並べて再び冥府入りをやる。そしてその状態に於いて、後に見棄てた過去の閲歴の全てを回顧点検する。
 (評釈)マイヤースはあくまで『霊(スピリット)』の一語で押し通しているが、とりも直さず、それは私の所謂自然霊の一つ、日本の神道で言えば地の経綸に当たる神々の一柱である。日本神話の天孫降臨なども、この見解に基づく時に初めてその真義が判って来る。枝葉の点につきての疑問は別として、私はこの見解一つでも、マイヤースの霊界通信が容易ならぬ価値を有っていると思う。

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 純粋理性

 光は多くの色から成立するが、しかし無色である。霊(スピリット)は多くの魂から成立するが、しかし喜怒哀楽の心の模様の上に超越している。かかるが故に、霊は当然白色を以ってその象徴とする所の第六界に属する。
 意識のこの階段に於いて、最も勢力あるは純粋理性である。人間界に知られている情緒煩悩等は、ここには影も形もない。白色こそは、完全に均整の保たれたる純理の表現である。この最終の経験の要領に入り行く魂達は、悉くこの均整の所有者である。彼等には形態上の智慧、その他無尽蔵の秘密の智慧が備わっているが、そは偏に不自由なる境涯の下に、幾回となく地上生活を繰り返し、幾千萬年かに亘る多大の星霜を閲して後、初めて獲得された経験の集積なのである。彼等は善と悪との知識と共に又善悪を超越した、彼岸の知識をも具えている。彼等は勝利者なるが故に、正に人生の君主である。彼等は今や何等の形態をも必要としない。彼等は単なる白光として存在することが出来る。彼等はいよいよ神霊の域に到達したのである。
 この第六界の存在の目的は、一神即多神、一霊即多魂の統一同化の完成であるといえる。いよいよこの目的が達成されたとなれば、個々の生命を包含せる霊は、首尾よく彼岸の神秘の中に歩み入り、以って人生窮極の目的たる無上智の進化を成就する。
 (評釈)ここに至りてマイヤースの通信は、結局深遠なる東洋思想とぴったり一致してしまっている。霊界通信もここまで来れば、全く見上げたものと思う。この際心ある人士の甚深なる反省考慮を希望して止まぬ。世界の神国を以って自任する日本の思想信仰界は、あまりにも低級卑俗、同時にあまりにも非論理的、非科学的の空言浮辞に耽り過ぎてはいないかと思う。

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 神的実在の一部

 ここで再び上昇か下降かの選択の必要が起こる。第六界の上層に達した魂が果たして大飛躍をなすの準備があるか。果たして『時』の世界から『無時』の世界へ、『形』の存在から『無形』の存在へ移り行く準備があるか。これは実に一切の問題の中で、最も困難なる問題である。初めてこの難問題に直面した時、よく肯定的答案を与ふべき準備ある魂は、真に数える程しかない。
 私はこの第七界が、『有形から無形への通路』であると言ったが、しかしこの『無形』の意味を曲解してはならない。私の所謂無形とは、形態を以ってそれ自身を表現する必要のない存在の意義である、と解釈してもらいたい。兎に角第七界に入る魂こそは、真の彼岸に入るのである。彼は神、宇宙の本体と一体になるのである。
 但し宇宙の本体との合同は、決して寂滅を意味する事と考えてはならない。汝は依然として独立的存在である。汝は言わば大海の一波浪である。汝は漸く実在の中に歩み入りて、あらゆる外形の迷を放棄したのである。が、汝の霊には、物質界並にエーテル界に於ける、永い永い経験の結果として、或る不可知の要素が加味されている。そればかりは何物にもかえられず、又何事を以ってしても滅ぼし得ない、一の貴い特質である。
 事実、第六界から第七界への進入は、物的宇宙からの脱出である。汝は独り『時』の流れの外に脱出したのみならず、又宇宙の最後の物的存在からの脱出でもある。が、或る意味に於いて、汝は依然として宇宙の内部に留まっている。汝は全体の一部、換言すれば神の一部として、丁度太陽のような働きをしている。汝の光は物的宇宙の瀰漫するが、しかし汝の霊は、完全に物質から離脱して、永遠の大霊の中に君臨している。宇宙に即して、しかも宇宙と離脱するということが、恐らく人生一切の努力の最終の目標であるらしい。
 私は今極度に切り詰めた言葉で、永劫の時の中に起こる人生を描き、かの不可思議なる『無時』の観念を伝えるべく試みた。もしも汝が神的実在の一部として、一旦彼岸に歩み入ったとすれば、汝は神の想像の全部に通暁する。汝は一秒時として無自覚でいることなく、地球の歴史の一切は、悉く汝の意識の中に入る。同様に汝は一切の天体の歴史にも通暁する。宇宙の萬有は、全部汝の偉大なる想像の中に包含される。過去、現在、未来、あるもの、あったもの、あるべきもの-これを要するに生命の全体が、永遠無窮に汝の薬籠中のものとなる。
 真の彼岸、真の超越界は到底筆舌に絶する。これを書こうとするさえ、傷心の種子である。
 『召さるるものは多く、選ばれるものは少ない』-これは実に至言である。地球生命の存続中に、彼岸に到達するものは極めて少数である。ある一群の魂達はよく第六界に達するが、多くはそこがとまりである。その中特殊の使命を帯びて、物質の世界に降るものもある。要するに『無時』の彼岸に歩み入るには、彼等は尚無力であり、不完全なのである。
 (評釈)ここに至りてマイヤースの通信は、いよいよ大飛躍を試みている。私の訳筆は成るべく一字一句をありのままに伝えるべく努めたので、自然読みにくい所が出来たかと思うが、玩味されたなら、彼の言わんとする所は、ほぼ推測に難しくないと思う。私としては、この際わざと蛇足的説明を控える。

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