[霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より
(自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)
新樹が満鉄病院で亡くなったのは昭和四年二月二十八日午後六時過ぎでした。彼の父はその訃報に接すると共に直ちに旅装を整え、翌三月一日の朝特急で大連に向かい、同四日大連着、五日告別式火葬、六日骨上げで、かかる場合に通用の筋書きを半ば夢見る心地で急がわしく辿りつつありました。かくて同十二日の夕暮れには彼の遺骨を携えて寂しく鶴見の自宅に帰着しました。
彼の父に取りて甚だ意外だったのは新樹の霊魂が早くもその一日前(三月十一日)に中西霊媒を通じて、不充分ながらも既に通信を開いていたことでした。
最初霊媒に憑って来た新樹は、自分の死の自覚を有していなかったそうで、あたかも満鉄病院に病臥しているかの如く、夢中で頭部や腹部の苦悩を訴えたといいます。その時立会人の一人であった彼の叔父(正恭中将)は、例の軍人気質で、単刀直入的に彼が既に肉体を棄てた霊魂に過ぎないことをきっぱり言い渡し、一時も早く彼の自覚と奮起とを求めたそうであります。
「えっ!僕、モー死・・・・死んだ・・・・・僕・・・残・・・・念・・・・だ・・・・」
そう絶叫しながらその場に泣き崩れたと言います。
新樹の霊魂はその後数回中西霊媒を通じて現れ、又一度ちょっと粕川女史にも感応したことがありました。それ等によりて彼の希望は次第に明白になりました。掻い摘むとそれはこんなことでした。-
(一)約百ヶ日を過ぎたら母の体に憑りて通信を開始したい。
(二)若くて死んだ埋め合わせに、せめて幽界の状況を報告し、父の仕事を助けたい。
彼の父も母も百ヶ日の過ぎるのを待ち構えてその準備を急ぎましたが、大体に於いてそれは予定の如く事実となりて現れました。彼の母は十数年前から霊視能力を発揮していましたが、今回新樹の死を一転機として霊言能力をも併せて発揮し、不完全ながら愛児の通信機関としての心苦しき任務を引き受けることになりました。
最初の頃は、新樹自身もまだ充分に心の落ち着きが出来ておらず、又彼の母も感傷的気分が勝ち過ぎていましたので、兎角通信が乱れ勝ちでありましたが、月日の経つと共に次第に纏まりが出来て参りました。八月十二日第二十回目の通信を寄越した時などは、彼は自分の死の当時を追懐して多少しんみりした感想を述べるだけの心の余裕が出来ておりました。-
「僕、叔父さんから、新、汝(おまえ)はモー死んでしまったのだ、と言い聞かされた時は、口惜しいやら、悲しいやら、実に堪らない気がしました。お母さんから、あんなに苦労して育てて頂いたのに、それがつまらなく一会社のただの平社員で死んでしまう・・・・・僕はそれが残念で残念で堪らなかった。しかし僕、次の瞬間にこう決心しました。現世で碌な仕事が出来なかった代わりに、せめて幽界からしっかりした通信を送ってお父さんを助けよう。それが僕として一番損害を取り戻す所以であり、一番意義ある仕事であろう。それには是非お母さんの体を借りなければならない。僕最初から他の人ではイヤだと思っていた・・・」
簡単に述べれば新樹の通信はこんな順序で開始され、以って現在に及んでいるのであります。それがいつまで続くかは神ならぬ身の予想し得る限りでないが、恐らく彼の父又彼の母の現世に生きている限り全く断絶することはないでしょう。何となれば彼の父に取りて心霊事実の調査は殆どその生命であり、又彼の母に取りて彼岸の愛児の消息は何物にも変えられぬ精神の糧でありますから・・・・。
新樹との通信中、霊媒たる彼の母の霊眼にはありありと彼岸の愛児の起居動作並びにその環境が映じます。又通信中の彼女の言語態度は或る程度亡児の生前の面影を彷彿せしめます。これ等は当事者にのみ判る事柄で筆舌を以って伝えるによしもなきことは筆者の甚だ遺憾とする所であります。