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カテゴリ: ★『新樹の通信』

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 新樹が満鉄病院で亡くなったのは昭和四年二月二十八日午後六時過ぎでした。彼の父はその訃報に接すると共に直ちに旅装を整え、翌三月一日の朝特急で大連に向かい、同四日大連着、五日告別式火葬、六日骨上げで、かかる場合に通用の筋書きを半ば夢見る心地で急がわしく辿りつつありました。かくて同十二日の夕暮れには彼の遺骨を携えて寂しく鶴見の自宅に帰着しました。
 彼の父に取りて甚だ意外だったのは新樹の霊魂が早くもその一日前(三月十一日)に中西霊媒を通じて、不充分ながらも既に通信を開いていたことでした。
 最初霊媒に憑って来た新樹は、自分の死の自覚を有していなかったそうで、あたかも満鉄病院に病臥しているかの如く、夢中で頭部や腹部の苦悩を訴えたといいます。その時立会人の一人であった彼の叔父(正恭中将)は、例の軍人気質で、単刀直入的に彼が既に肉体を棄てた霊魂に過ぎないことをきっぱり言い渡し、一時も早く彼の自覚と奮起とを求めたそうであります。
「えっ!僕、モー死・・・・死んだ・・・・・僕・・・残・・・・念・・・・だ・・・・」
そう絶叫しながらその場に泣き崩れたと言います。
 新樹の霊魂はその後数回中西霊媒を通じて現れ、又一度ちょっと粕川女史にも感応したことがありました。それ等によりて彼の希望は次第に明白になりました。掻い摘むとそれはこんなことでした。-
 (一)約百ヶ日を過ぎたら母の体に憑りて通信を開始したい。
 (二)若くて死んだ埋め合わせに、せめて幽界の状況を報告し、父の仕事を助けたい。
 彼の父も母も百ヶ日の過ぎるのを待ち構えてその準備を急ぎましたが、大体に於いてそれは予定の如く事実となりて現れました。彼の母は十数年前から霊視能力を発揮していましたが、今回新樹の死を一転機として霊言能力をも併せて発揮し、不完全ながら愛児の通信機関としての心苦しき任務を引き受けることになりました。
 最初の頃は、新樹自身もまだ充分に心の落ち着きが出来ておらず、又彼の母も感傷的気分が勝ち過ぎていましたので、兎角通信が乱れ勝ちでありましたが、月日の経つと共に次第に纏まりが出来て参りました。八月十二日第二十回目の通信を寄越した時などは、彼は自分の死の当時を追懐して多少しんみりした感想を述べるだけの心の余裕が出来ておりました。-
「僕、叔父さんから、新、汝(おまえ)はモー死んでしまったのだ、と言い聞かされた時は、口惜しいやら、悲しいやら、実に堪らない気がしました。お母さんから、あんなに苦労して育てて頂いたのに、それがつまらなく一会社のただの平社員で死んでしまう・・・・・僕はそれが残念で残念で堪らなかった。しかし僕、次の瞬間にこう決心しました。現世で碌な仕事が出来なかった代わりに、せめて幽界からしっかりした通信を送ってお父さんを助けよう。それが僕として一番損害を取り戻す所以であり、一番意義ある仕事であろう。それには是非お母さんの体を借りなければならない。僕最初から他の人ではイヤだと思っていた・・・」
 簡単に述べれば新樹の通信はこんな順序で開始され、以って現在に及んでいるのであります。それがいつまで続くかは神ならぬ身の予想し得る限りでないが、恐らく彼の父又彼の母の現世に生きている限り全く断絶することはないでしょう。何となれば彼の父に取りて心霊事実の調査は殆どその生命であり、又彼の母に取りて彼岸の愛児の消息は何物にも変えられぬ精神の糧でありますから・・・・。
 新樹との通信中、霊媒たる彼の母の霊眼にはありありと彼岸の愛児の起居動作並びにその環境が映じます。又通信中の彼女の言語態度は或る程度亡児の生前の面影を彷彿せしめます。これ等は当事者にのみ判る事柄で筆舌を以って伝えるによしもなきことは筆者の甚だ遺憾とする所であります。

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 さてこれから新樹の通信を発表するにつけ、この仕事に対して全責任を有する彼の父としては通信者が果たして本人に相違ないかドーかを先ず以って読者にお伝えすることが順序であると考えます。これに関して充分の考慮が払われていなければ、結局新樹の通信とはただの名目ばかりのもので心霊事実として一向取るに足らぬものになります。不敏ながら彼の父とても心霊研究者の席末を汚しているもの、この点に関しては常に出来る限りの注意を払いつつあるのであります。
 既に述べた通り真っ先に新樹の霊魂を呼び出したのは彼の叔父で、そしてこの目的に使われたのは中西霊媒でした。彼の父は多大の興味を以ってこの実験に対する当事者の感想を叩きました。するとその答はこうでした。-
「あれなら先ず申し分がないと思う。本人の言語、態度、気分等の約六割位は彷彿として現れていた。自分は前後ただ二回しか呼び出さないが、若しも今後五度、十度と回数を重ねて行ったらきっと本人の個性がもっと完全に現れるに相違なかろうと思う・・・」
 比較的公平な立場にある、そして霊媒現象に対して相当懐疑的態度を持する人物の言葉として、これはある程度敬意を払うべき価値があると思われます。
 彼の父が自身審判者となりて中西女史を通じて初めて新樹を呼び出したのは、それから約一ヶ月を隔てる四月の九日でした。その時は幽明を隔てて最初の挨拶を交わしたまでで、さして伝えるべき程の内容を有しませんでしたが、ただ全体から観て成る程生前の新樹そっくりだという感じを彼の父に与えたのは事実でした。が、研究者としての立場から観た時に、それは確証的なものではありませんでした。彼の父は焦った。「何とかして動きの取れない証拠を早く挙げたいものだ。それにはただ一人の霊媒に憑けるだけではいけない。少なくとも二、三人の霊媒に憑けて対照的に真偽を確かめるより外に途はない・・・・」
 そうする中に亡児は一度粕川女史に憑り、続いて七月の中旬から彼の母に憑りて間断なく通信を送ることになりました。「これで道具立ては漸く出来かかった。その中何とかなるだろう・・・・」-彼の父はしきりに機会を持ちました。
 月が八月に入りて漸くその狙いつつあった機会が到着しました。同月十日午前のこと、新樹は母の体に憑り、約一時間に亘り、死後の体験談を試みましたが、それが終わりに近付いた時彼の父はふと思いついて彼に向かって一の宿題を提出しました。-
「幽界にも大廟は必ず存在する筈だ。次回には一つ大廟参拝を試み、そしてその所感を報告してもらいたいのだが・・・・」
「承知しました、出来たらやりましょう・・・」
 するとその翌日中西女史が上京しました。彼の父はこの絶好の機会を捕え、直ちに新樹の霊魂を同女史の体に呼んで、昨日彼の母の体を通じて提出しておいた宿題の解決を求めました。
「昨日鶴見で一つの宿題を出しておいた筈だが・・・・」
 そう言うより早く新樹は中西霊媒の口を使って答えました。-
「ああ、例の大廟参拝ですか・・・。僕早速参拝して来ましたよ。僕、生前に一度も大廟参拝をしませんでしたから、地上の大廟と幽界の大廟とを比較してお話することは出来ませんが、ドーもこちらの様子は大分勝手が違うように思いますね。絵で見ると地上の大廟には色々の建物があるらしいが、こちらの大廟は、森々とした大木の茂みの裡に、ごく質素な白木のお宮がただ一つ建っているきりでした・・・・」
 彼はこれに付け加えてその際の詳しい物語をするのでした。委細は他の機会に紹介することにして、ここで看過してならぬことは、彼の母を通じて発せられた宿題に対し、彼がその翌日中西霊媒を通じて解答を与えたことでした。
「先ずこれで一つの有力な手掛かりが付いた」と彼の父は歓びました。「思想伝達説を持ち出して強いて難癖を付けなければ付けられぬこともないが、それは死後個性の存続説を否定すべく努める学徒達の頭脳からひねり出された一の仮定説に過ぎない。自分は難癖の為の難癖屋にはならぬことにしよう。多くの識者の中にも恐らく私の態度に味方される方もあろう・・・」
 翌十二日の午前、彼の父は鶴見の自宅に於いて、今度は彼の母を通じて亡児を呼び出しました。
「昨日中西さんに憑って来たのは確かに汝に相違ないか?」
「僕です・・・・。あの人は大変憑り易い霊媒ですね、こちらの考えが非常に迅く感じますね」
「モ一度汝の母の体を使って大廟参拝の話をしてくれまいか。少しは模様が違うかも知れない」
「そりゃあ少しは違いますよ。こうした仕事には霊媒の個性の匂いと言ったようなものが多少ずつ加味せられ、その為に自然自分の考えとピタリと来ないようなところも出来ます。お母さんの体はまだあまり使い易くありませんが、やはりこの方が僕の考えとしっくり合っているようです。もっとも僕の考えていることで、微妙なところは、途中でよく立ち消えになりますがね・・・・」
 こんなことを言いながら彼は大廟参拝談を繰り返したのでしたが、彼の母を通じての参拝談と中西霊媒を通じての参拝談との間には、ただ長短精粗の差があるのみで、その内容は全然同一物なのでした。
 彼が一度粕川女史に憑ろうとしたことも事実のようでした。八月四日午前彼は母の体を通じて問わず語りに次のような事を述べました。-
「僕一度あの御婦人・・・・粕川さんという方に憑ろうとしました。折角お父さんがそう言われるものですから・・・。けれどもあの方の守護霊が体を貸すことを嫌っているので、僕使い難くて仕方がなかった・・・・。僕たった一度しかあの人には憑りませんでした・・・・」
 新樹と交通を開いた当初に於いて手懸りとなったのは先ずこんな程度のものでしたが、幸いにもその後東茂世女史の霊媒能力が次第に発達するに従い、確実なる証拠材料が少しずつ上に積み重ねられ現在に於いては果たして本人に相違ないかドーか?と言ったような疑念を挟むべき余地は最早全然なくなりました。東女史の愛児相凞(そうき)さんと新樹との間には近頃あちらで密接なる交通関係が締結され、一方に通じたことは直ちに他方に通じます。そして幽界に於ける両者の生活状態は双方の母達の霊眼に映じ、又双方の母達の口を通じて詳しく漏らされます。ですから、よしや地上の人間の存在は疑われても、幽界の子供達の存在は到底疑われないのであります。
 こうした次第で、彼の父も母もこれを亡児の通信として発表するに少しの疑惑を感じませぬが、ただその通信の内容価値につきては、余りにこれを過大視されないことをくれぐれも切望して止みませぬ。発信者はホンの幽界の新参者、又受信者はホンのこの界の未熟者、到底満足な大通信の出る筈はありませぬ。せいぜい幽明交通の一小標本位に見做して頂けば結構で、真の新樹の通信はこれを今後五年十年の後に期待して頂きたいのであります。

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 既に申し上げた通り新樹が彼の母を通じて兎も角も通信を開始したのは、昭和四年七月の半ば頃でしたが、通信とはホンの名ばかり、僅かに簡単な数語を小切れ小切れに受け取り得るに過ぎませんでした。当時の手帳から標本として少しばかり抄出します。-
問「汝は目下何かキモノを着ているか?」
答「来ています・・・白いキモノ・・・」
問「飲食をやるか?」
答「何も食べません・・・」
問「睡眠は?」
答「睡眠もいたしません・・・」
問「月日の観念はあるか?」
答「ありません、ちっとも・・・」
 これが七月十七日の問答筆記で、その末尾に次のような筆者の注釈が付いています。-
「この日の通信の模様はよほど楽になった。自分が「昨年の今日は、汝と一緒に大連の郊外老虎灘へ出掛けて行き、夜まで楽しく遊び暮らした日だ」と言うと、彼は当時を追懐せるものの如くしきりに涙を流した・・・」
 七月二十五日、第八回目の通信の記録を見ると、モー幾らか進境を認めることが出来ます。左にその全部を掲げます。-
問「私達がここにこうして座り、精神統一をやって、汝を招こうとしている時に、それがどんな具合に汝の方に通じるか?一つ汝の実感を聞かせてくれないか・・・」
答「ちょっと、何かその、震えるように感じます。細かい波のようなものが、ブルブルブルブルと伝わって来て、それが僕の方に感じるのです」
問「私の述べる言葉が汝に聞こえるのとは違うか?」
答「言葉が聞こえるのとは違います・・・感じるのです・・・。もっとも、お父さんの方で、はっきり言葉に出してくだすった方が、よくこちらに感じます。僕はまだ慣れないから・・・」
問「私に限らず、誰かが心に思えば、それが汝の方に感じるのか?」
答「感じます・・・いつも波みたいに響いて来ます。それは眼に見えるとか、耳に聞こえるとか言ったような、人間の五感の働きとは違って、何もかも皆一緒に伝わって来るのです。現にお母さんはしょっちゅう僕の事を思い出してくださるので、お母さんの姿も、心持も、一切が僕に感じて来てしようがない・・・・」
問「生前の記憶はそっくりそのまま残っているか?」
答「記憶していることもあれば、又忘れたようになっているのも中々多いです。必要のない事は、丁度雲がかかったように、奥の方に埋もれてしまっていますよ・・・」
問「満鉄病院へ入院してからの事を少しは覚えているか?」
答「入院中の事、それからドーして死んだかというような事は全然覚えていません。火葬や告別式などもさっぱり判りませんでした・・」
問「汝が臨終後間もなく火の玉が汝の母に見えたが、あれは一体誰がやったのか?」
答「僕自身は何も知りません・・・・。今守護霊さんに伺ったら、全部守護霊さんがやってくだすったのだそうです・・・」
問「いつ汝は自分の死を自覚したか?」
答「叔父さんに呼び起こされた時です・・・」
問「あのまま放任しておいてもいつか気が付くかしら?」
答「さあ・・・・・・(暫く過ぎて)只今守護霊さんに訊いたら、それは本人の信仰次第で、真の信仰のある者は早く覚めるそうです。信仰のないものは容易に覚めるものではないと言われます」
 これが当日の問答の全部です。例によりてその末尾には筆者の注釈がついている。-
「右の問答後、妻に訊くと、先刻細かい波の話が出た時に、彼女の霊眼には、非常に繊細な、綺麗な漣(さざなみ)がはっきり見えたと言う。これが所謂思想の波、エーテル波動とでもいうものか?」
 初期の通信の標本紹介はこの辺で打ち切り、後は多少分類的に手帳から抄録を行い、いささかなりとも死後の世界の実相を知りたく思われる方々の資料に供したいと存じます。

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 幽界の居住者と交通を行なうに当たりて、誰しも先ず訊きたがるのは彼等の生活状態、例えばその姿やら衣食住に関する事柄やらでありましょう。彼の父の質問も決してその選には漏れませんでした。
 手帳を繰り広げて見ると、彼の父が初めて亡児に向かい、彼が幽界で執っている姿につきて質問を発したのは七月二十六日、第九回目の招霊を行なった時でした。
問「現在汝は以前の通り、自身の体があるように感ずるか?」
 すると亡児は考え考え、次のように答えました。-
答「自分というものがあるようには感じますが、しかし地上に居た時のように、手だの、足だのが、あるようには感じられません・・・・。と言ってただ空なのではない、何物かがあるようには感じます。そして造ろうと思えばいつでも自分の姿を造れます・・・・」
 この答は一方ならず彼の父を考えさせました。在来欧米に現われたる幽界通信によれば、彼岸の居住者の全部は生前そっくりの姿、或いはそれをやや理想化し、美化したような姿を固定的に有しているように書いてあります。これは深く霊魂問題に思いを潜める者の多年疑問とせる点で、これが果たして事実の全部かしら?という疑いが常に奥の奥で囁きつつあったのであります。が、多くの幽界通信の所説を無下に排斥することも又乱暴な仕業でありますので、止む無く暫くこれに関して最後の結論を下すことを避けていた訳なのですが、今この亡児の通信に接し、彼の父はなにやら一道の光明に接したような気がしたのでした。
 「こりゃあ面白い」と彼の父は独り言しました。「幽界居住者の姿は確かに造りつけのものではないらしい。それには確かに動と静、仮相と実相この両面があるらしい・・・・」
 殆どこれと前後して、彼の父はスコット女史の体を通じて現れた「ステッドの通信」を読みましたが、その中にほぼ同様の意味の事が書いてあったので、ますますこの問題に興味を覚え、この日の質問をきっかけに幾度かこれに関して亡児と問答を重ねました。亡児も又面白みがついたと見え、自分の力量の及ぶ限り、又自分で判らぬ時には母の守護霊その他の援助を借りて相当具体的の説明を試みました。八月三十一日の朝彼の父と亡児との間に行われた問答はその標本の一つであります。-
問「幽界人の姿に動と静と二通りあるとして、それならその静的状態の時には全然姿はないのか?それとも何等かの形態を有しているのか?」
答「そりゃ有してますよ。僕達の平常の姿は紫っぽい、軽そうな、フワフワした毬(まり)みたいなものです。あまり厚みはありませんが、しかし薄っぺらでもない・・・」
問「その紫っぽい色は、全ての幽体に通有の色なのか?」
答「皆紫っぽい色が付いていますよ。しかし浄化するにつれて、その色が段々薄色になるらしく、現にお母さんの守護霊さんの姿などを見てみると、殆ど白いです。ちょっと紫っぽい痕跡があるといえばありますが、モー九分通り白いです・・・」
問「その毬みたいな姿が、観念の動き方一つで生前そっくりの姿に早変わりするというのだね。妙だナ・・・」
答「まあちょっと例えていうと速成の植物の種子のようなものでしょう。その種子からぱっと完全な姿が出来上がるのです・・・」
問「その幽体も、肉体同様やがて放棄される時が来るだろうか?」
答「守護霊さんに訊いたら、上の界へ進む時はそれを棄てるのだそうです。-しかし、必要があれば、その後でも幽体を造ることは造作もないそうで・・・」
問「幽界以上の界の居住者の形態は判るまいか?」
答「判らんこともないでしょう、僕には沢山指導者だの顧問だのが付いていて、何でも教えてもらえますから・・・・。お父さんは一段上の界を霊界と呼んでおられるようですが、只今僕の守護霊さんに訊いてみましたら、霊界の居住者の姿も大体幽界のそれと同一で、ただその色が白く光った湯気の凝体みたいだと言います。-こんな事をただ言葉で説明してもよくお判りになれないでしょうから、お母さんの霊眼に一つ幽体と霊体との実物ををお目にかけましょうか?」
 彼の父が是非そうしてくれと注文すると、間もなく彼の母の閉じたる眼底に、極めてくっきりと双方が映じ出でたのでした。後で透一から覚めて物語るところによると、こちらもその形状は毬又は海月(くらげ)のようで、ただ幽体には紫がかった薄色がついており、そしてどちらも生気躍動と言った風に、全体に細かい、迅い、振動が充ち充ちていたといいます。
 この種の問答はまだ数多くありますが、徒らに重複することをおそれ、ただ比較的纏まりの良い、第四十六回目(昭和四年十二月二十九日午後)の問答を以って全てを代表させることに致します。この日は昭和四年度の最終の招霊と思いましたので、多少の繰り返しを厭わず、おさらい式のものにしたのでした。-
問「多少前にも尋ねたことのあるのが混じるだろうが、念の為にもう一度質問に応じてもらいたい。-汝が叔父さんに招かれて初めて死を自覚した時に自分の体のことを考えてみたか?」
答「そうですね・・・。あの時、僕、真っ先に自分の体はと思ったようです。するとその瞬間に体が出来たように感じました。黙って見てもやはり生前そっくりの体で、別にその感じが生前と違いませんでした。要するに、自分だと思えばいつでも体が出来ます。若い時の姿になろうと思えば勝手にその姿にもなれます。しかし僕にはドーしても老人の姿にはなれません。自分が死んだ時分の姿までにしかなれないのです」
問「その姿はいつまでも持続しているものかな?」
答「自分が持続させようと考えている間は持続します。要するに持続すると否とはこちらの意志次第のようです。又僕が絵を描こうとしたり、又は水泳でもしようとしたりするとその瞬間に体が出来上がります。つまり外部に向かって働きかけるような時には体が出来るもののように思われます。-現に今僕がこうしてお父さんと通信している時には、ちゃーんと姿が出来ています・・・・」
問「最初汝は裸体姿の時もあったようだが・・・」
答「ありました。ごく最初気が付いた時には裸体のように感じました。こりゃ裸体だな、と思っていると、その次の瞬間にはモー白衣を着ていました。僕、白衣なんかイヤですから、その後は一度も着ません。寛いだ時には普通の和服、訪問でもする時には洋服-これが僕の近頃の服装です」
問「汝の住んでいる家屋は?」
答「何でも最初、衣服の次に僕が考えたのは家屋のことでしたよ。元来僕は洋館の方が好きですから、こちらでも洋館であってくれれば良いと思いました。するとその瞬間に自分自身の置かれている室が洋風のものであることに気付きました。今でも家屋の事を思えば、いつも同じ洋風の建物が現れます。僕は建築にあまり趣味を持ちませんが、勿論立派な洋館ではありません。丁度僕の趣味生活に適当した、バラック建ての、極めてざっとしたもので」
答「どんな内容か、モ少し詳しく説明してくれないか?」
答「東京辺の郊外などによく見受けるような平屋建で、室は三間ばかりに仕切ってあります。書斎を一番大きく取り、僕いつもそこにおります。他の室は有っても無くても構わない。ホンの付録物です」
問「家具類は?」
答「ストーブも、ベッドも、又台所道具のようなものも一つもありません。人間の住宅と違って至極あっさりしたものです。僕の書斎には、自分の使用する卓子と椅子とが一脚ずつ置かれているだけです。書棚ですか・・・そんなものはありませんよ。こんな書物を読みたいと思えば、その書物はいつでもちゃーんと備わります。絵の道具なども平生から準備しておくというような事は全然ありません」
問「汝の描いた絵などは?」
答「僕がこちらへ来て描いた絵の中で、傑作と思った一枚だけが保存され、現に僕の室に掛けてあります。装飾品はただそれきりです。花なども、花が欲しいと思うと、花瓶まで添えて、いつの間にやら備わります」
問「現在こうして通信している時に、汝はどんな衣服を着ているのか?」
答「黒っぽい和服を着ています。袴は穿いていません。先ず気楽に椅子に腰をかけて、お父さんと談話を交えている気持ですね・・・」
問「庭園なども付いているのかい?」
答「付いていますよ。庭は割合に広々と取り、一面の芝生にしてあります。これでも自分の所有だと思いますから、邸の境界を生垣にしてあります。大体僕華美なことが嫌いですから、家屋の外周なとも鼠がかった、地味な色で塗ってあります」
問「イヤ今日は話が大変要領を得ているので、汝の生活状態が彷彿として判ったように思う。-しかし、私との通信を中止すると汝は一体ドーなるのか?」
答「通信が済んでしまえば、僕の姿も、家も、庭も、何もかも一時に消えてしまって、いつものフワフワした凝塊一つになります。その時は自分が今どこに居るというような観念も失せます」
問「自我意識はドーなるか?」
答「意識がはっきりした時もあれば、又眠ったような時もあり、大体生前と同一です。しかし、これは恐らく現在の僕の修行が足りないからで、追々覚めて活動している時ばかりになるでしょう。現に近頃の僕は、最初とは違って、そう眠ったような時はありません。その事は自分にもよく判ります」
問「汝の住宅にはまだ一人も来訪者はいないのか?」
答「一人もありませんね・・・。幽界へ来ている僕の知人の中にはまだ自覚している者がいないのかも知れませんね・・・」
問「そんな事では寂しくてしようがあるまい。その中一つ汝のお母さんの守護霊にでも依んで、訪問してもらおうかナ・・・」
答「お父さん、そんな事が出来ますか・・・」
問「そりゃきっと出来る・・・出来なければならない筈だ。汝達の世界は大体に於いて想念の世界だ。ポカンとしていれば何も出来まいが、誠心誠意で思念すればきっと何でも出来るに相違ない・・・」
答「そうでしょうかね。兎に角お父さん、これは宿題にしておいてください。僕やってみたい気がします・・・・」
 この日も彼の母の霊眼には彼の幽界に於ける住宅がまざまざと映じましたが、それは彼の言っている通り、頗るあっさりした、郊外の文化住宅らしいものだったとの事でした。その見取り図も出来てはいますが、格別吹聴する程のものでもないからここには省きます。

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 新樹は一体幽界に於いてどんな修行をしているか?という事は最初から彼の父が訊こうと努めた点でした。
 昭和四年七月二十五日第十回目の招霊の際の記録を紐解いて見ると彼の父は彼の幽界に於ける指導者について質問していました。
問「汝にはやはり生前の守護霊が付いていて、その方に指導してもらっているのか?」
答「守護霊の事をいうと僕何だか悲しくなるからその話を止めてください・・・・。現在僕を指導してくださるのは、何れもこちらへ来てから付けられたもので、みんなで五人おります。その中で一番僕がお世話になるのは一人のお爺さんです・・・」
問「その五人の指導者達の姓名は?」
答「めいめい受持ちがあって、想えば直ぐ答えてくださるから名前などは要らないのです・・・」
問「その五人の受持ちは?」
答「難しいなあドーも・・・。まだ僕には答えられない。兎に角僕が何かの問題を訊きたいと思うと、五人の中の誰かが出て来て教えてくださる」
問「幽界で汝の案内をしてくれる人もあるのか?」
答「ありますよ。案内してくださるのはお爺さんの次位の人らしい・・・」
問「現界と通信する時は誰が世話してくれるのか?」
答「いつもお爺さんです」
答「僕慣れていないので、細かい話はまだ出来ない。よく先の事・・・神界の事などを教えられます」
 同年八月三日第十五回目の招霊の際には書物の事が話題になっていました。
問「汝が書物を読んでいる姿が昨日母の霊眼に映じたが、実際そんな事があったのか?」
答「読んでいました。あれは霊界の事を書いてある書物です。僕が書物を読もうと思うと、いつの間にか書物が現れて来るので・・・」
問「その書物の用語は?」
答「あの時のは英語で書いてありました。ちょっと難しい事も書いてあるが、しかし生前英語の書物を読んだ時の気分と現在の気分とを比較してみると、現在の方がよほど判りよい。じっと見つめていると自然に判って来ます」
問「書物は何冊も読んだか?」
答「ソー何冊も読みはしません。事によると幽界の書物は一冊しかないのかも知れません。こちらで調べようと思うことが、何でも皆それに書いてあるらしく思われますよ。つまり幽界の書物というのは、思想そのものの具象化で、読む人の力量次第で、深くもなれば又浅くもなり、又求むる人の注文次第で、甲の問題も乙の問題もその一冊で解決されると言った形です。僕にはどうもそうらしく感じます」
問「その書物の著者は誰か?又それに標題が付いていたか?」
答「著者も標題もありませんよ」
問「汝が読んだものをこちらへ放送してくれないか」
答「お父さん、現在の僕にはまだとてもそんな事は出来ませんよ。こんな通信の仕方では僕の思っていること、感じていることの十分の一も伝えられはしませんもの・・・」
問「今汝は書物がいつの間にか現れると言ったが、一体誰がそんな事をしてくれるのだろう?ただで書物が現れる筈はないと思うが・・・」
答「それはそうでしょう。自分一人でやっているつもりでも、案外蔭から神さん達がお世話をしてくだすっておられますからね。書物などもやはり指導者のお爺さんが寄越してくれたのでしょう、-きっとそうです」
 亡児は又修行の一端として、時々幽界の諸方面の見学などもやっているようですが、その内容をここに併記するのは混雑を来たす虞(おそれ)があるので差し控えます。
 兎に角、幽界の修行と言ってもその向かう方面は中々複雑なものであるらしく、とても簡単に片付けることは出来ませんが、しかし幽界の修行の中心は、煎じ詰めればこれを精神統一の一語に帰し得るようです。
 精神統一・・・これは現世生活に於いても何より大切な修行で、その人の真価は大体これで決せられるようであります。五感の刺激のまにまに、気分の向こうまにまに、あちらの花に憧れ、こちらの蝶に戯れ、少しもしんみりとした、落ち着いたところが無かった日には、五、七十年の短い一生はただ一場の夢と消え失せてしまいます。人間界の気の利いた仕事で何か精神統一の結果でないものがありましょう。
 が、物質的現世では統一三昧に耽らずとも、ドーやらその日その日を暮らせます。ところが、一旦肉体を棄てて幽界の住民となりますと、全ての基礎を精神統一の上に置かなければ到底収まりがつかぬようです。
 新たに帰幽したものが、通例何より苦しめられるのは、現世の執着であり、煩悩であり、それが心の闇となりて一寸先も判らないようであります。地上の闇ならば、これを照らすべき電燈も、又ガス燈もありますが、帰幽者の心の闇を照らすべき燈火(ともしび)は一つもありません。心それ自身が明るくなるより外に幽界生活を楽しく明るくすべき何物もないのであります。
 そこで精神統一の修行が何より大切になるのであります。一切の雑念妄念を払い除け、じっと内面の世界に潜り入り、表面にこびりついた汚れと垢とから離脱すべく一心不乱に努力する。それを繰り返し繰り返しやっている中に、段々四辺が明るくなり、段々幽界生活が凌ぎ易いものになる。これより外に絶対に幽界で生きる途はないようです。
 昭和五年二月の十六日、亡児はそれに関して次のように述べています。-
「僕が最初こちらで自覚した時に、指導役のお爺さんから真っ先に教えられたのは、精神統一の必要なることでした。それをやらなければ、いつまで経っても決して上へは進めないぞ!-そう言われましたので、僕は引き続いてそれに力を尽くしています。その気持ですか・・・僕、生きている時一向統一の稽古などをしなかったので、詳しい比較を申し上げることは出来ませんが、一口に言うと何も思わない状態です。いくらか眠っているのと似ていますが、ずっと奥の奥の方で自覚しているようなのが少々睡眠とは違いますネ。僕なんかは現在こちらでそうしている時の方が遙かに多いです。最初はそうしている際にお父さんから呼ばれると、丁度寝ぼけている時に呼ばれたように、びっくりしたものですが、近頃ではモーそんな事はありません。お父さんが僕の事を想ってくだされば、それは直ぐこちらに感じます。それだけ、幾らか進歩したのでしょうかしら・・・。この間お母さんの守護霊さんに会った時、あなたもはやり最初は現世の事が思い切れないでお困りでしたか、と訊いてみました。すると守護霊さんもやはりそうだったそうで、そんな場合には、これはいけないと自分で自分を叱り付け、精神を統一して、神さまにお願いするのだと教えてくれました。守護霊さんは閑静な山で精神統一の修行を積まれたそうですが、僕はやはり自分の部屋が一番良いです。段々稽古したお蔭で近頃僕は執着を払い除けることが少しは上手になりました。もしひょっと雑念が兆せば、その瞬間、一生懸命になって先ず神さんにお願いします。すると忽ちパラッとした良い気分になります。又こちらでは精神統一を、ただ執着や煩悩を払うことにのみ使うのではありません。僕達は常に統一の状態で仕事にかかるのです。通信、調査、読書、訪問・・・何一つとして統一の産物でないものはありません。統一がよく出来る出来ないで、僕達の幽界に於ける相場が決まります・・」
 以上はやっとの思いで幽界生活に慣れかけた一青年の告白として、幼稚な点が多いのは致し方がありませんが、幾分参考に資すべき箇所がないでもないように感じられます。

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