カテゴリ: ★『小桜姫物語』
小桜姫物語 目次
小桜姫物語 目次
舌代
小桜姫 解説
一 その生立
二 その頃の生活
三 輿入れ
四 落城から死
五 臨終
六 幽界の指導者
七 祖父の訪れ
八 岩窟
九 神鏡
十 親子の恩愛
十一 守刀
十二 愛馬との再会
十三 母の臨終
十四 守護霊との対面
十五 生みの親魂の親
十六 守護霊との問答
十七 第二の修行場
十八 龍神の話
十九 龍神の祠
二十 龍宮へ鹿島立
二十一 龍宮街道
二十二 唐風の御殿
二十三 豊玉姫と玉依姫
二十四 なさけの言葉
二十五 龍宮雑話
二十六 良人との再会
二十七 会合の場所
二十八 昔語り
二十九 身上話
三十 永遠の愛
三十一 香織女
三十二 無理な願
三十三 自殺した美女
三十四 破れた恋
三十五 辛い修行
三十六 弟橘姫
三十七 初対面
三十八 姫の生立
三十九 見合い
四十 相模の小野
四十一 海神の怒り
四十二 天狗界探検
四十三 天狗の力業
四十四 天狗の生来(せいらい)
四十五 龍神の修行場
四十六 龍神の生活
四十七 龍神の受持ち
四十八 妖精の世界
四十九 梅の精
五十 銀杏の精
五十一 第三の修行場
五十二 瀑布の白龍
五十三 雨の龍神
五十四 雷雨問答
五十五 母の訪れ
五十六 つきせぬ物語
五十七 有り難い親心
五十八 可憐な少女
五十九 水さかづき
六十 母性愛
六十一 海の修行場
六十二 現世のおさらい
六十三 昔の忠僕
六十四 主従三人
六十五 小桜神社の由来
六十六 三浦を襲った大津波
六十七 神と人との仲介
六十八 幽界の神社
六十九 鎮座祭
七十 現界の祝詞
七十一 神馬
七十二 神社のその日その日
七十三 参拝者の種類
七十四 命乞い
七十五 入水者の救助
七十六 生木を裂かれた男女
七十七 神の申し子
七十八 神々の受持
舌代
小桜姫 解説
一 その生立
二 その頃の生活
三 輿入れ
四 落城から死
五 臨終
六 幽界の指導者
七 祖父の訪れ
八 岩窟
九 神鏡
十 親子の恩愛
十一 守刀
十二 愛馬との再会
十三 母の臨終
十四 守護霊との対面
十五 生みの親魂の親
十六 守護霊との問答
十七 第二の修行場
十八 龍神の話
十九 龍神の祠
二十 龍宮へ鹿島立
二十一 龍宮街道
二十二 唐風の御殿
二十三 豊玉姫と玉依姫
二十四 なさけの言葉
二十五 龍宮雑話
二十六 良人との再会
二十七 会合の場所
二十八 昔語り
二十九 身上話
三十 永遠の愛
三十一 香織女
三十二 無理な願
三十三 自殺した美女
三十四 破れた恋
三十五 辛い修行
三十六 弟橘姫
三十七 初対面
三十八 姫の生立
三十九 見合い
四十 相模の小野
四十一 海神の怒り
四十二 天狗界探検
四十三 天狗の力業
四十四 天狗の生来(せいらい)
四十五 龍神の修行場
四十六 龍神の生活
四十七 龍神の受持ち
四十八 妖精の世界
四十九 梅の精
五十 銀杏の精
五十一 第三の修行場
五十二 瀑布の白龍
五十三 雨の龍神
五十四 雷雨問答
五十五 母の訪れ
五十六 つきせぬ物語
五十七 有り難い親心
五十八 可憐な少女
五十九 水さかづき
六十 母性愛
六十一 海の修行場
六十二 現世のおさらい
六十三 昔の忠僕
六十四 主従三人
六十五 小桜神社の由来
六十六 三浦を襲った大津波
六十七 神と人との仲介
六十八 幽界の神社
六十九 鎮座祭
七十 現界の祝詞
七十一 神馬
七十二 神社のその日その日
七十三 参拝者の種類
七十四 命乞い
七十五 入水者の救助
七十六 生木を裂かれた男女
七十七 神の申し子
七十八 神々の受持
[小桜姫物語]について 目次
舌代
自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
本書は、本文復刻版『浅野和三郎著作集』の一冊として四六上製版で昭和60年7月に発行されたものの新装版である。復刻の原本は、心霊科学研究会出版部より昭和12年2月に出版されている。
本物語は言わば家庭的に行なわれたる霊界通信の一にして、そこには少しの誇張も夾雑物もないものである。が、その性質上記の如きところより、これを発表せんとするに当たりては、亡弟もかなり慎重な態度を採り、霊告による祠の所在地、並にその修行場等を実地に踏査する等、いよいよその架空的にあらざることを確かめたる後、始めてこれを雑誌に掲載せるものである。
霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得られるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的のものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽くし得べしとさえ考えられるのである。
それは兎に角として、又内容価値の如何もこれを別として、亡弟が心を籠めて遺せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念としてこれを座右に謹呈するに当たり、その由来の一端を記すこと爾り。
昭和十二年三月 浅野正恭
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
本書は、本文復刻版『浅野和三郎著作集』の一冊として四六上製版で昭和60年7月に発行されたものの新装版である。復刻の原本は、心霊科学研究会出版部より昭和12年2月に出版されている。
本物語は言わば家庭的に行なわれたる霊界通信の一にして、そこには少しの誇張も夾雑物もないものである。が、その性質上記の如きところより、これを発表せんとするに当たりては、亡弟もかなり慎重な態度を採り、霊告による祠の所在地、並にその修行場等を実地に踏査する等、いよいよその架空的にあらざることを確かめたる後、始めてこれを雑誌に掲載せるものである。
霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得られるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的のものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽くし得べしとさえ考えられるのである。
それは兎に角として、又内容価値の如何もこれを別として、亡弟が心を籠めて遺せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念としてこれを座右に謹呈するに当たり、その由来の一端を記すこと爾り。
昭和十二年三月 浅野正恭
小桜姫 解説
自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
解説-本書を紐解かれる人達の為に-
浅野和三郎
本編を集成したものは私でありますが、私自身をその著者というのは当たらない。私はただ入神中のT女の口から発せられる言葉を側で筆録し、そして後で整理したというに過ぎません。
それなら本編は寧ろT女の創作かというに、これも又事実に当てはまっていない。入神中のT女の意識は奥の方に微かに残ってはいるが、それは全然受身の状態に置かれ、そして彼女とは全然別個の存在-小桜姫と名乗る他の人格が彼女の体躯を支配して、任意に口を動かし、又任意に物を見せるのであります。従ってこの物語の第一の責任者は寧ろ右の小桜姫かも知れないのであります。
つまるところ、本書は小桜姫が通信者、T女が受信者、そして私が筆録者、総計三人がかりで出来上がった、一種特異の作品、所謂霊界通信なのであります。現在欧米の出版界には、こう言った作品が無数に現れておりますが、本邦では、翻訳書以外にあまり類例がありません。
T女にこうした能力が初めて起こったのは、実に大正五年の春のことで、数えてみればモー二十年の昔になります。最初彼女に起こった現象は主として霊視で、それは殆ど申し分なきまでに的確明瞭、よく顕幽を突破し、又遠近を突破しました。越えて昭和四年の春に至り、彼女は或る一つの動機から霊視の外に霊言現象を起すことになり、本人とは異なった他の人格がその口頭機関を占領して自由自在に言語を発するようになりました。『これで漸くトーキーが出来上った・・・・』私達はそんなことを言って歓んだものであります。『小桜姫の通信』はそれから以後の産物であります。
それにしても右の所謂『小桜姫』とは何人か?本文をお読みになれば判る通り、この女性こそは相州三浦新井城主の嫡男荒次郎義光の奥方として相当世に知られている人なのであります。その頃三浦一族は小田原の北条氏と確執を続けていましたが、武運拙く、籠城三年の後荒次郎をはじめ一族の殆ど全部が城を枕に討死を遂げたことはあまりにも名高き史的事跡であります。その際小桜姫がいかなる行動に出たかは、歴史や口碑の上ではあまり明らかでないが彼女自身の通信によれば、落城後間もなく病にかかり、油ヶ壺の南岸、濱磯の仮寓で寂しく帰幽したらしいのであります。それかあらぬか、同地の神明社内には現に小桜神社(通称若宮様)という小社が遺(のこ)っており、今尚里人の尊崇の的になっております。
次に当然問題になるのは小桜姫とT女との関係でありますが、小桜姫の告げる所によれば彼女はT女の守護霊、言わばその霊的指導者で、両者の間柄は切っても切れぬ、堅き因縁の絆で縛られているというのであります。それにつきては本邦並びに欧米の名ある霊媒によりて調査を進めた結果、ドーも事実としてこれを肯定しなければならないようであります。
尚面白いのは、T女の父が海軍将校であった為に、はしなくも彼女の出生地がその守護霊と関係深き三浦半島の一角、横須賀であったことであります。更に彼女はその生涯の最も重要なる時期、十七歳から三十三歳までを三浦半島で暮らし、四百年前彼女の守護霊が親しめる山河に自分も親しんだのでありました。これは単なる偶然か、それとも幽冥の世界からのとりなしか、神ならぬ身には容易に判断し得る限りでありません。
最後に一言しておきたいのは筆録の責任者としての私の態度であります。小桜姫の通信は昭和四年春から現在に至るまで足掛八年に跨りて現れ、その分量は相当沢山で、既に数冊のノートを埋めております。又その内容も古今に亘り、顕幽に跨り、又或る部分は一般的、又或る部分は個人的と言った具合に、随分まちまちに入り乱れております。従ってその全部を公開することは到底不可能で、私としては、ただその中から、心霊的に観て参考になりそうな箇所だけを、成るべく秩序を立てて拾い出してみたに過ぎません。で、材料の取捨選択の責は当然私が引き受けねばなりませんが、しかし通信の内容は全然原文のままで、私意を加えて歪曲せしめたような箇所はただの一箇所もありません。その点は特に御留意を願いたいと存じます。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
解説-本書を紐解かれる人達の為に-
浅野和三郎
本編を集成したものは私でありますが、私自身をその著者というのは当たらない。私はただ入神中のT女の口から発せられる言葉を側で筆録し、そして後で整理したというに過ぎません。
それなら本編は寧ろT女の創作かというに、これも又事実に当てはまっていない。入神中のT女の意識は奥の方に微かに残ってはいるが、それは全然受身の状態に置かれ、そして彼女とは全然別個の存在-小桜姫と名乗る他の人格が彼女の体躯を支配して、任意に口を動かし、又任意に物を見せるのであります。従ってこの物語の第一の責任者は寧ろ右の小桜姫かも知れないのであります。
つまるところ、本書は小桜姫が通信者、T女が受信者、そして私が筆録者、総計三人がかりで出来上がった、一種特異の作品、所謂霊界通信なのであります。現在欧米の出版界には、こう言った作品が無数に現れておりますが、本邦では、翻訳書以外にあまり類例がありません。
T女にこうした能力が初めて起こったのは、実に大正五年の春のことで、数えてみればモー二十年の昔になります。最初彼女に起こった現象は主として霊視で、それは殆ど申し分なきまでに的確明瞭、よく顕幽を突破し、又遠近を突破しました。越えて昭和四年の春に至り、彼女は或る一つの動機から霊視の外に霊言現象を起すことになり、本人とは異なった他の人格がその口頭機関を占領して自由自在に言語を発するようになりました。『これで漸くトーキーが出来上った・・・・』私達はそんなことを言って歓んだものであります。『小桜姫の通信』はそれから以後の産物であります。
それにしても右の所謂『小桜姫』とは何人か?本文をお読みになれば判る通り、この女性こそは相州三浦新井城主の嫡男荒次郎義光の奥方として相当世に知られている人なのであります。その頃三浦一族は小田原の北条氏と確執を続けていましたが、武運拙く、籠城三年の後荒次郎をはじめ一族の殆ど全部が城を枕に討死を遂げたことはあまりにも名高き史的事跡であります。その際小桜姫がいかなる行動に出たかは、歴史や口碑の上ではあまり明らかでないが彼女自身の通信によれば、落城後間もなく病にかかり、油ヶ壺の南岸、濱磯の仮寓で寂しく帰幽したらしいのであります。それかあらぬか、同地の神明社内には現に小桜神社(通称若宮様)という小社が遺(のこ)っており、今尚里人の尊崇の的になっております。
次に当然問題になるのは小桜姫とT女との関係でありますが、小桜姫の告げる所によれば彼女はT女の守護霊、言わばその霊的指導者で、両者の間柄は切っても切れぬ、堅き因縁の絆で縛られているというのであります。それにつきては本邦並びに欧米の名ある霊媒によりて調査を進めた結果、ドーも事実としてこれを肯定しなければならないようであります。
尚面白いのは、T女の父が海軍将校であった為に、はしなくも彼女の出生地がその守護霊と関係深き三浦半島の一角、横須賀であったことであります。更に彼女はその生涯の最も重要なる時期、十七歳から三十三歳までを三浦半島で暮らし、四百年前彼女の守護霊が親しめる山河に自分も親しんだのでありました。これは単なる偶然か、それとも幽冥の世界からのとりなしか、神ならぬ身には容易に判断し得る限りでありません。
最後に一言しておきたいのは筆録の責任者としての私の態度であります。小桜姫の通信は昭和四年春から現在に至るまで足掛八年に跨りて現れ、その分量は相当沢山で、既に数冊のノートを埋めております。又その内容も古今に亘り、顕幽に跨り、又或る部分は一般的、又或る部分は個人的と言った具合に、随分まちまちに入り乱れております。従ってその全部を公開することは到底不可能で、私としては、ただその中から、心霊的に観て参考になりそうな箇所だけを、成るべく秩序を立てて拾い出してみたに過ぎません。で、材料の取捨選択の責は当然私が引き受けねばなりませんが、しかし通信の内容は全然原文のままで、私意を加えて歪曲せしめたような箇所はただの一箇所もありません。その点は特に御留意を願いたいと存じます。