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カテゴリ: ★『死後の世界』

自殺ダメ



 さていよいよ戦争の話でありますが、-我々が敵地に乱入すると同時に敵の軍隊も又向こうの山丘に沿いて集合した。ざっと地理の説明をやると、皇帝の領土と敵の領土との中間には一の展開した平原がある。余り広いものでもないが、それが二大勢力間の一つの障壁たるには充分で、恐らくダントンの強烈なる意思の力で創り出した代物かも知れません。もっともその地帯の幅はいくら、長さはいくらということはちょっと述べにくい。霊界にも物質界の所謂空間と云ったようなものが存在せぬからです-が、兎に角それは相当に広いもので、二つの大軍が複雑極まる展開運動を行なうには差し支えない。地質は想像も及ばぬほど磽确(こうかく=小石などが多く、地味がやせた土地。また、そのようなさま)で、真っ黒に焼け焦げ、ザクザクした灰が一杯積もっている。
 山は二筋ある。ダントンは向こうの山を占領し、我々は手前の山を占領して相対峙した。空は、地獄では何時でもそうだが、どんよりと黒ずんで空気は霧のかかったように濃厚であるが、こんな暗黒裡にありてもお互いの模様はよく見える。
 味方の重砲は三個の主力に分かれた-ナニ地獄の戦にも大砲を使用するかと仰るのですか-無論ですとも!人間が間断なく発明しつつある一切の殺人機械が地獄に行かずに何処へ行きましょう?半信仰の境涯だとて、まさか大砲を置く余地はありません。兵器という兵器はその一切が地獄のものです。ところで、ここに甚だ面白い現象は、地上に居る時に、小銃その他近代式の兵器を使用したことのない者は霊界へ来てからまるきりそれを使用することが出来ないことです。地獄の兵器は単に形です。従って兵器が敵に加える損害は精神的のものであって、ただその感じが肉体の苦痛にそっくりなだけです。
 で、地上に居た時、一度も小銃の傷の痛みを経験したことのない人間には殆どその痛みの見当が取れません。従って他人に対してその痛みを加えることも出来なければ、又他人によりてその痛みを加えられる虞(おそれ)もない。生きている時分に小銃弾の与える苦痛を幾らか聴かされていた者には多少の効き目はあるとしても、真に激しい痛みを自らも感じ、又他人にも感じさせるのには、是非とも生前に於いて実地にその種の痛みを経験した者に限ります。
 同一理由で、地獄に於いてもっとも凶悪なる加害者は、地上に於いて惨めな被害者であった者に限ります。若し彼が誰かに対して強い怨恨を抱いて死んだとすれば、自分の受けたと同一苦痛をその加害者に報いることが出来るからです。かの催眠術などというものも、つまりその応用で、術者自身が砂糖を舐めて、被害者に甘い感じを与えたり何かします。なかんずく神経系統の苦痛であるとこの筆法で加えることも、又除くことも出来ます-が、地上に於いてはその効力に制限があります。それは物質が邪魔をするからです。しかし、モちと研究の上練習を積めば催眠療法も現在よりは余程上手い仕事が出来ましょう。ついでにここに注意しておきますが、この想念の力なるものは他人を益するが為にも、又他人を害するが為にもどちらにも活用されます。昔の魔術などというものは主としてこの原則に基づいたもので、例えば蝋人形の眼球へ針を打ち込むということは、単に魔術者が相手の眼球へ念力を集中する為の手段です。そうすると蝋人形に与えた通りの苦痛が先方の身に起こるのです。
 ですから、こんなことをやるのには、無論相手の精神-少なくともその神経系統をかく乱しておいて仕事にかかる方が容易であるが、しかし稀には先天的に異常に強烈な意思の所有者があるもので、そんな人は直接物質の上に影響を与える力量を有しています。最高点に達すれば無論精神の力は物質を圧倒します。地球上ではそんな場合は滅多にないが、霊界ではそれがザラに起こります。
 兎に角右の次第で、地獄の軍隊は生前自分の使い慣れた兵器を使用します。大砲や小銃をまるきり知らない者にはそんな兵器はまるで無用の長物です。
 ところで、ここに一つ可笑しな現象は、地獄に大砲はあっても馬がないことです。馬は動物なので各々霊魂を持っている。大砲その他の無生物とは違って単に形のみではない。従って矢鱈に地獄にはやって来ない。
 但し馬の不足はある程度まで人間の霊魂を臨時に馬の形に変形させることによりて除くことが出来た。無論これは吾輩が皇帝の故智を学んで行なった仕事で、敵のダントンが其処へ気が付かなかったのはどれだけ味方に有利であったか知れなかった。一体人間の霊魂をたとえ一時的にもせよ、その原形を失わしめるということは中々容易な仕業ではない。何人も馬や犬の姿に変えられることを大変嫌がる。何やら自分の個性が滅びるように心細く感ずるらしい・・・。事によるとダントンには、人の嫌がる仕事を無理にやらせるだけの強大なる意思力がなかったのかも知れません。

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 間もなく戦争は真剣に開始された。この戦争の烈しさに比べると、今まで観せられた御前試合などはまるで児戯に近いもので、何しろ地獄の住民というのは生前ただ戦闘ばかりを渡世にしていた連中なのでありますから、従ってそのやりっぷりが猛烈である。が、外面的には地獄の戦争も地上の戦争も余りかけ離れたものでもない。地獄の武器や軍装が目茶目茶に不統一であるのがちょっと目立つ位のもので・・・。
 兎に角ダントンは中々の曲者で余程巧妙な戦法を講じた。古代の甲冑に身を固めた味方の騎士隊の突撃に対して、彼が密集部隊を編成し、その大部分に大鎌を持たせたところなどは敵ながらも上手いものであった。古代の騎士は大砲だの小銃だのの味を知らない。従ってそんな近代式の兵器は彼等に対して殆ど効能がない。早くもそれを看破して鎌という、騎兵にとっての大苦手を持ち出したなどは、返す返すも機敏というべきものであった。
 無論敵にも砲兵隊の備えはあったが、しかしそれはフランス革命時代の旧式極まるもので、味方の新鋭の兵器にはとても及ばなかった。もっとも味方が烏合の衆であるのに反して、敵が飽くまで団結力と統制力とに富んでいたのは、ある程度まで兵器の欠陥を補うには余りあった。
 詳しくこんなことを述べれば際限もないが、地獄の戦況などは格別の興味もあるまいと思うからただその結果だけを報告するに止めます。味方は敵よりも人数が多く、又大体に於いて獰猛でもあった。ですから長い間の戦闘-殆ど幾年にも亙るべく見えた悪戦苦闘の後で、吾輩はとうとう敵の左翼を駆逐することに成功し、やがてその全軍をば山と山との中間の低地に追い詰めて三方から挟撃する事になった。敵は全然壊滅状態に陥り、莫大な人数が捕虜になった-吾輩が早速右の捕虜を馬に変形させて、部下の馬になった者と更迭させたなどは、全然地上の戦争に於いては見られない奇観でした。
 それから味方はダントンの領土内に侵入して略奪のあらん限りを尽くした-うっかり言い落としましたが、ダントンの軍隊の少なからざる部分は婦人であって、そいつ達は男子よりも寧ろ味方を悩ました。従ってそいつ達が勝ち誇った我が軍の捕虜になった時に、いかに酷い目に遭わされたか-こいつは言わぬが花でありましょう。その外敵地の一般住民に対する大虐待、大陵辱-そんなことも諸君の想像にお任せすると致しましょう。
 ただここに不思議なことは、地上に於いて略奪を逞(たくま)しうすることが、一種の快感と満足とを伴うのに反し、地獄に於いては全然それが伴わないことです。地獄の略奪はただの真似事・・・。言わば略奪の影法師であります。いくら奪い取ってもその物品は何の役にも立たないものばかり、例えば奪った酒を飲んでみても、さっぱり幽霊の腸(はらわた)には浸みません。夢で御馳走を食べるよりも一層詰まらない。夢ならまだいくらか肉体との交渉があるが、地獄の住民にはまるきり肉体との縁もゆかりもないのです。
 地獄で現実に感ずるのはただ苦痛だけ、快楽はまるでない。これが地獄の鉄則なのだから致し方がありません。
 無論戦勝後吾輩は直ちに王位に就くことは就いた-が、驚いたことにはダントンの以前の部下は大部分何処かへ消えてしまった。何故消えたのか、その当座は頓と訳が判らなかったが、後で段々調べてみると、ダントンの没落が彼等をして一種の無情を感ぜしめ、こんな下らぬ生活よりはもう少し意義ある生活を送りたいとの念願を起こすに至った結果、向上の道が自然に開かれたのでした。詰まり神はかかる罪悪の闇の中にも善の芽生えを育まれたのであります。
 この辺で私の物語は暫く一段落つけることにしましょう。丁度ワード氏が地上へ戻るべき時間も迫ったようですから・・・。

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 叔父さんがワード氏を書斎に迎えて二言三言挨拶をしている中に、もう陸軍士官が入って来て早速その閲歴談を始めました。これから彼の地獄生活に更に一大転換が起こりかける極めて肝要の箇所であります-

 さて前回は吾輩が新領土を手に入れて王位に就いたところまでお話しましたが、実際やってみると王侯たるも又難いかなで、ただの一瞬間も気を緩めることが出来ない。間断なく警戒し、間断なく緊張していないと謀反がいつ何処から勃発せぬとも限らないのです。
 早い話が地獄の王様は歯を剥いている一群の猟犬に追い詰められた獲物のようなもので、ちょっとでも隙間があれば忽ち跳びかかられる。我輩はあらん限りの残忍な手段を講じて、謀反人を脅かそうと努めたが、何を試みても相手を殺すことが出来ないのであるからいかんとも仕方がない。刑罰を厳重にすればする程ますます彼等の憎しみと怨みとを増大せしむるに過ぎない。
 そうする中に皇帝から使者があって、吾輩の戦勝を祝すると同時に凱旋式への出席を請求して来た。これを拒絶すれば先方を怖れることになる。これに応ずればその不在に乗じて反逆者が決起する。何れにしても余り面白くはないが、兎も角も吾輩は後者の危険を冒して皇帝の招待に応じて度胸を見せてやることに決心した。
 さて部下の精鋭に護られつつ、威勢よく先方に乗り込んでみると、先方もさるもの、極度に仰々しい準備を施して吾輩を歓迎した-少なくとも歓迎するらしい振りをした。儀式というのは無論例によりて例の通り、単に空疎なる真似事に過ぎない。楽隊はさっぱり調子の合わぬ騒音を奏する。街区を飾る旗や幟(のぼり)は汚れ切って且つビリビリに裂けている。吾輩の通路に撒かれた花は萎み切って悪臭が鼻を撲(う)つ。行列の先頭を飾る少女達までが、よくよく注意して観ると、その面上には残忍と邪淫との皺が深く深く刻まれていて嘔吐を催させる。
 皇帝自身出迎えの行列と出会った上で、我々は連れ立って武術の大試合に臨んだ。それが終わると今度は宮城に行って、大饗宴の席に列したが、例によって空っぽの見掛け倒し、何もかも一切嘘で固めて、本当の事と云えばただ邪悪分子があるのみである。
 「時に」と皇帝はおもむろに吾輩をかえり見て言った。
 「王位を占むる苦労も中々大抵ではござるまいがナ・・・」
 吾輩はからからと高く笑った。
 「全くでございますが、しかし陛下のお膝元に居るよりは気が休まります」
 「そうかも知れん-が、間断なく警戒のし続けでは、中々大儀なことであろう。その点に於いては余とても同様じゃ。で、その気晴らしの為に余は時々地上に出かけてまいることにしておる。ここで目まぐるしい生活を送った後で地上へ出張するのは中々いい保養になる・・・・」
 これを聞いて吾輩の好奇心はむらむらと動き出した。
 「地上へ出張と仰られますが、どうしてそんなことが出来るのでございます。一旦幽体を失った以上それは難しいかと存じますが・・・」
 「まだ若い若い・・・」と彼は叫んだ。「モちと勉強せんといかんナ!-しかし御身が現在までこれしきの事を知らずにいたとは寧ろ意外じゃよ・・・・」
 彼は暫く吾輩の顔を意味ありげに見つめたが、やがて言葉を続けた-
 「どんな地獄の霊魂でも、若しも地上の人間と連絡を取ることさえ工夫すれば暫時の間位は仮の幽体を造るのはいと容易いことなのじゃ。上手く行けば物質的の肉体でも造れぬことはない。人間界でこちらと取引を結んでいるのは男ならば魔法使い、女ならば先ず巫女と云った連中じゃが、無論彼等に憑るのは大抵は妖精の類で、本当の地獄の悪魔が憑るようなことは滅多にない-もっとも我々が魔術者と取引関係をつけるには余程警戒はせねばならぬ。魔術者などという者は皆意思の強い奴ばかりで、うっかりするとソイツの為に絶対服従を命ぜられる」
 「どうして彼等にそんな威力があるのでございます?」
 「我々が部下に号令をかけるのと別に変わることはない。つまりただ意思の力によるのじゃ。で、下らぬ弱虫の霊魂は訳なく魔術者の奴隷にされる-もっとも我々のように鉄石の意思を有している者は、アベコベにその魔術者を支配して自己の奴隷にしてしまうことも出来んではない。そうなると実にしめたものじゃ・・・・」
 そう言って彼はツと身を起こし、
 「それはそうとこれから一緒に芝居でも見物することにしようではないか?」
 それっきり皇帝は魔術の件に関してはただの一言も触れなかった。しかし彼がそれまでに述べただけで吾輩の胸に強烈なる印象を与えるには充分であった。
 「不思議なことが出来るものだナ!自分も一つやってみようかしら・・・」
 吾輩はこんな考えに捕えられるようになってしまった。
 当時吾輩が何故この仕事の裏面に潜める危険に気が付かなかったのかは自分にも時々不思議に感ぜられることがある。皇帝がこの問題を提出したのは我輩を危地に陥れようという魂胆に相違ないのであるが、その胸底の秘密を吾輩に悟らせなかったのは矢張り先方が役者が一枚上なのかも知れない。
 勿論当時の吾輩とて皇帝に好意があろうとは少しも考えてはしなかった。
 「こいつァ人を地上に追い払っておいて、その不在中に謀反人の出るのを待つ計略だナ」
 そこまでのことは察した。しかし吾輩は強いてそれを問題にしなかった。
 「謀反人が出たら出たでいい。戻って来て叩き潰すまでのことだ・・・」
 そう考えた-ところが、皇帝の方では確かにモ一つその奥まで考えていた-吾輩が地上へ降って悪事を行なえば、その罪の為にもう一段地獄の奥へ押し込められ、刃に血塗らずして楽に厄介払いが出来る・・・・。
 さすがの吾輩もそこまで洞察する智恵がなく、保養もしたいし、地上も懐かしいし、新しい経験も積みたいしと云った風で、とうとう地上訪問の覚悟を決めてしまった。
 間もなく吾輩は自分の領地に戻ったが、果たして予期した通り、国内は内乱の進行中で、一部の謀反者がダントンを牢から引き出して王位に担ぎ上げていた。吾輩がさっさとそんな者を片付けて、一味徒党を再び監獄にぶち込んでしまったことは云うまでもない。吾輩の地上訪問はそれからの話である。

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 陸軍士官の告白はここに至りてますます深刻味を加えてまいります。魔術に関する裏面の消息が手に取るように漏らされて、心霊問題に携わる者の為にこよなき参考の資料を供してくれます-

 それから吾輩は直ちに生前魔法使いであった者を物色し始めた。自分の領土内にも案外そんな手合いが沢山居ることは居たが、大概はちょっと魔法の一端をかじった位の者ばかりで、所謂魔法使いの大家であった者は地獄のもっと深い所へ墜とされているのであった。
 が、散々探し回った後で、やっとのことで一人、かつて魔道の大家の弟子であったというのを見つけ出した。そいつは、実地の経験は少しもないが、ただ魔道の秘伝だけは生前その師匠から教わっていた。そして地上の魔術者と連絡を取る方法なるものを吾輩に伝授した。
 その方法というのはつまり一つの呪文を唱えることである。地上の魔術者が唱える呪文と霊界で唱える呪文とがぴったり合うと、そこに一つの交流作用が起こって感応が出来る・・・。秘伝は単にそれだけで、やってみれば案外易しいものであった。
 兎も角も吾輩が、そうして連絡を取ることになった。魔術者というのは一人のドイツ人で、プラーグの市端に住んで居る者であった。そいつは中々の魔術狂で、既に死者の霊魂-勿論幽界のヤクザ霊魂ではあるが、そんな者を呼び出す方法を心得ており、又少しは妖精類とも連絡を取っていた。が、それでは段々食い足りなくなって、近頃は本物の地獄の悪魔を呼び出しにかかっていた。待ってましたと言わんばかりに早速それに応じたのが吾輩であった。
 さて例の呪文と呪文との流れの中に歩み入り、こちらの念を先方の念に結び付けてみると、不思議不思議!自分は無限の空間を通じて地上に引っ張られるような気がして、忽然として右のドイツ人の面前に出たのであった。
 神秘学研究者-そう右のドイツ人は自称しているが、成る程不思議な真似をしている男には相違なかった。先ず輪を作って自分がその中央に立つ。輪の内面には三角を二つ組み合わせて作った六角の星型がある。その周囲には五角形やらその他色々の秘密の符号が描いてある。室内の火鉢からは何やらの香料の煙が濛々と舞い上がる。
 室そのものが又真っ暗で、四方の壁も床も石で畳んであるところから察すれば確かに一の穴蔵らしかった。壁に沿いてはミイラも容れた木箱やらその他二、三品並べられてあった。
 吾輩の方からは先方の様子がよく見えたが、先方はまだ吾輩の来ていることに気がつかぬと見えてしきりに呪文を唱え続けた。吾輩は成るべく早く先方が気のつくようにと意念を込めた。
 ふと気がついてみると、輪の外側には、少し離れて一人の婦人が恍惚状態に入っていた。
 「ははァ」と吾輩は早速勘付いた。「我々はこの女の肉体から材料を抽き出して幽体を製造するのだナ」
 吾輩は直ちに右の婦人に接近して幽体製造に着手すると同時に、ますます念力を込めて姿を見せることに努めた。間もなく魔術者は吾輩を認めた。吾輩の姿はまだ普通の肉眼に映ずるほど濃厚ではないのであるが、先方がいくらか霊視能力を有していたのである。
 みるみる魔術者はさッと顔色を変えて恐怖の余り暫くはガタガタ震えていたが、やがて覚悟を決めたらしく、きッと身構えして叫んだ。
 「命令じゃ、もっと近寄れ!」
 「大きく出やがったナ」と吾輩が答えた。「吾輩は何人の命令も受けぬ。頼みたいことがあるならそれ相当の礼物を出すがいい」
 吾輩の返答には奴さん少なからず面食らった。悪魔を呼び出すのには、古来紋切り型の台詞があって余程芝居気たっぷりに出来上がっている。ところが吾輩はそんな法則などを眼中に置いていないのだから、相手がマゴつくのも全く無理はない。
 暫く躊躇した後で彼は再び言った-
 「然らば汝の要求する礼物とは何物なるか?」
 相変わらず堅苦しいことを言う。こんな場合に普通の応答としては「汝の魂を申し受ける」とか何とか言うのであろうが、吾輩別に魔術者の魂など欲しくも何ともない。さてそれなら何と返答をしようかと今度は吾輩の方で躊躇したが、漸く考え出して叫んだ-
 「それならお前の方で何を寄越すか?」
 「余の魂をつかわす」
と早速の返答。
 それを聞いて吾輩は嘲笑った-
 「お前の腐った魂などを貰ったところで仕方がない。吾輩はモちと実用向きの品物が欲しい」
 「然らば」と彼は一考して「汝に人間の体を与えてつかわす。それなら便利であろうが・・・」
 「そんな芸当が出来るかね?吾輩は幽体さえ有してはいない・・・」
 「苦しうない。先ず汝に一個の幽体を造ってつかわす。幽体を造っておいて、次に肉体を占領するのが順序じゃ」
 「そいつァ豪儀だ!是非一つやってくれ・・・・」
 魔術者の言葉は決して嘘ではなかった。さすがに神秘学の研究者と名乗るだけあって、彼は中身なしの幽体の殻だの、稀薄に出来上がった妖精だのを沢山引き寄せる力量を持っていた。で、吾輩はそれ等の中から然るべき妖精を一匹選り出して吾輩の元の姿に造り替えた。それから今度は霊媒に近付き、魔術者からも手伝ってもらって、本物の物質的肉体を製造することに成功した。
 吾輩は思わず歓呼の声を挙げた。一旦地獄へ落ちた身でありながら、も一度肉体を持って地上に出現することが出来たのであるから嬉しくて堪らない筈だ。
 「ド-かね君、人間らしく見えるかね?」
 「右顧左眄しながら叫んだ。
 「ああ中々立派な風采じゃ!」
 「外出しても差し支えないものかしら・・・」
 「さァそいつは受け合われないが、兎も角も出掛けてみるがよかろう」
 そこで吾輩は石段を昇って晴天白日の娑婆に出てみた-が、その結果は不思議であると同時に又頗(すこぶ)る不愉快でもあった。吾輩の体はゾロゾロと溶けて行くのである。
 「ウワーッ!大変大変!、助け舟・・・」
 急いで穴蔵に駆け込んで行って物質化のやり直しをする始末!
 「君」と吾輩が言った。「太陽の光線に当たってヘロヘロと溶けるような体は有り難くないナ。モちと何ぞマシなものを造ってくれんか?」
 「仕方がなかったら」と彼は囁いた。「生きている人間に憑依することじゃ。それなら溶ける心配はない-この人造の体じゃとて、気をつけて暗闇の中ばかり歩いておればちっとも溶ける心配はないのじゃが・・・」
 こんな按配で吾輩はこの魔術者とグルになってますます悪事を企むことになった。

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 吾輩とグルになった魔術者の一番好きなものは(と陸軍士官が語り続けた)一に黄金、二に権力、三に復讐-この三つが彼の生命なのである。さればと云って女色なども余り嫌いな方でもない。彼の手元にはいつも十余人の女の霊媒が飼ってある。そいつ達は彼に対して悉く絶対服従、魂と同時に肉をも捧げる。
 吾輩はこの男の為には随分金儲けの手伝いもしてやった。仕掛けは極めて簡単である。我々は平気で金庫でも何でも潜り抜けることが出来る。それから内部の金貨を一旦ガス体に変えて安全地帯に持ち出しておいて更に元の金貨に戻すのである。しかしこの仕事は優しいようにみえて中々強大なる意思の力を要する。下拙な霊魂にはちょっと出来る芸でない。もっと易しいのは睡眠中の誰かを狙ってそいつの体の中に潜り込み、所謂夢遊病者にしておいて、ウンと金貨を持たせて都合の良い場所へ引っ張り出すことである。無論そいつは夢中でやっている仕事だから、翌朝眼を覚ました時に、前夜の記憶などはさっぱり持っていない。
 そりゃ成る程この仕事にも時々失策はある。夢遊病者が追跡されて捕縛されたことは一度や二度に留まらない。無論そいつ達は窃盗罪に問われる-が、魔術者の方では呑気なものだ。誰も窃盗の御本尊がこんな所にあろうとは疑う者がありはしない。いわんや肉体のない我々ときては尚更平気なもので、仕事が済んだ時にただ先方の体から脱け出しさえすればそれでよい。そうすると当人の霊魂がその後へノコノコ入って来て、窃盗罪の責任を引き受けてくれる。
 金儲けの為に働いたと同様に、吾輩は復讐の為にも随分働いてやったものだ。あの魔術者は一切の宗教が大嫌いで、機会さえあれば僧侶に対して復讐手段を講じようとする。
 初めの中は格別念入りの悪戯もやらなかった。魔術者の手先に使われている奴は皆妖精の類でそいつ達の得意の仕事は室内の椅子を投げるとか、陶器類をぶち砕くとか、眠っている人の鼻をつまむとか大概それ位のものにすぎない。ところが、その中次第次第に魔術者の注文が悪性を帯びて来て、相手の男を梯子段から突き落とさせたり、又その家に放火をさせたりするようになった。
 仕事があんまり無理になって来ると、妖精共の大半は御免を蒙(こうむ)って皆逃げてしまい、多年彼の配下に使われていた亡霊までが大人しく彼の命令に従わなくなった。もっともそいつ達は、公然反抗すれば魔術者から酷い目に遭わされるので、滅多に口には出さない。ただ不精無精に仕事をやるまでのことであった-ナニその魔術者がどんな方法で亡霊虐めをやるのかと仰るのですか?それは例の意思の力です。強い意思で亡霊達に催眠術をかけてやるのです。大概亡霊という奴は意思の薄弱な輩で、そいつ達を虐めるのは甚だ易しい。主人の魔術者から一目置かれているのは先ず吾輩位のもので、吾輩はアベコベに魔術者の牛耳を執る位にしていました。その代わり働き振りも又同日の談でない・・・。
 それはそうと吾輩主人の為に働くと同時に又自分の利益を図ることも決して忘れはしなかった。自分の体を物質化して生きている時と同様に酒色その他の欲望を満足させる位は朝飯前の仕事で、そんな時の穴蔵の内部の光景と云ったら真に百鬼夜行の観があった。魔術者の使っている十人余りの女霊媒の外に、物質化せる幽霊が又十人余りもいる。そいつ等が人間並みに立ったり、座ったり、話をしたり、笑ってみたり、歌を唄ったり、又舞踏までもやらかす。とどのつまりが筆や口にはとても述べ難き狂態のあらん限りを尽くす・・・。
 が、そうする中にも吾輩の幽体は間断なく補充して行く必要があった。元来が自分のものでなく、ホンの一時的の借り物なので、いかにも品質が脆弱で分解し易くてしようがない。おまけに悪事ばかり働いているから一層弱り方が激しい。いくら人間に憑依して補充してみてもそんなことでは中々追いつかない。これには吾輩もほどほど困ってしまった。

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