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自殺してはならない理由


 《あなた方は比較的若い年齢でこうした素晴らしい機会に恵まれたことを喜ぶべきです。今日尚あまりに多くの人達が日蔭の中で暮らし、狐火を追い求め、幻影を抱き、実在を見出せずにいることは何と悲しいことでしょう。あなた方は一人一人が無限の可能性の宝庫なのです。その中のどれだけを自分のものとするかは、あなた方の努力次第です。それが自由意志をどれだけ行使するかの尺度となります。どこまで追求するか、それはひとえにあなた方自身にかかっております》
 シルバーバーチ

 四人の若い真面目なスピリチュアリストがシルバーバーチと対話を交えた時の感動的な記事をこの私がサイキックニューズ紙に掲載したことがある。結成したばかりの青年部のメンバーで、どんな難しい質問でもよいから用意してくるようにとのシルバーバーチからの要請を受けて、ハンネン・スワッハー・ホームサークルを訪れた。
 二十代の男女二人ずつが青年部の代表として出席し、その内の一人が代表して質問を述べた。だらけ切った物的世界に何とかして霊的衝動を与えたいと望む若々しい熱誠と、同じような質問を何十年も繰り返し聞かされて来た、我慢を身上とする老練な指導霊とのコントラストは、まさに〝事件〟と言ってよい程の興味溢れるシーンであった。
 交霊会の終了後、一人が私にシルバーバーチの簡潔無比の言葉遣いと美しい言い回しの流麗さに深く感動したと言い、こう続けた。
 「それはあたかも一語一語丁寧に選び出しているようで、それでいて間髪を入れず返って来る答えは、凄いという他はありませんでした」
 彼はそれを現代人らしく〝霊的コンピューター〟に質問を入力するのに似ていると述べている。では、その青年グループによる交霊会での一問一答を紹介しよう。

-僕らのような若者の多くが真理を求めています。後に続く世代を育てる為の、よりよい世界を望んでいます。なのになぜ人間は殺し合い、同胞を不具にし合うのでしょうか。なぜ異なった民族、異なった宗教の人間を憎むのでしょうか。なぜこの地上にそれ程愛が乏しいのでしょうか。僕等は地上に平和が来ることを望んでいます。が、いつ、どういう形で来るのでしょうか。先輩の聖賢達が失敗して来た問題を、どうすれば我々が解決出来るのでしょうか。僕等はまだ若く、体力があり、無知と愚行、貪欲と憎悪に対する闘争に喜んで参加したいと思っております。あなたの助言をお聞かせください。

 「これはとても難しい問題です。今あなたが仰った無知と愚行は、実に永い間地上世界に根を張っております。それを一夜の内に取り除いてしまう呪文はありません。大自然は過激な革命ではなく一歩一歩の進化によって営みを続けているのです。全ての生長・発展はゆっくりと、しかも冷厳な法則によって営まれています。子供の身体を無理矢理に生長させようとすると必ず不自然なことが生じます。それと同じで、霊的生長を性急に求めると失敗します。
 こんなことを言うのは別に弱気になっているからではありません。私は、幸いにして霊的実在を垣間見ることを許された者は何事につけても楽観的であらねばならない、と信じます。が、いかに鈍感な人間でも、真理を知ることが自分に対して幾つかの制約を課したことになることに気付くものです。人間の力ではどうしようもない摂理というものに従わねばならないということです。
 私達は万能薬は持ち合わせません。私達に言えることは、霊的知識が広まり、その結果として無知が減るにつれて、それだけ人間と人間との間の差別が少なくなり、戦争が減り、貪欲が薄れ、日向が多くなるということだけです。地上の現状を一変させる力は私達にはありません。出来るのは、受け入れる用意の出来た者に人間本来の生き方を教える霊的真理を根気よく説いて感化していくことだけです。
 人間には、例によってある限られた範囲内での話ですが、選択の自由が許されております。
 宇宙の無限の霊力と共に創造活動に参加し、進化の行進を促進することが出来るのです。反対に邪魔することも出来ます。遅らせることも出来ます。躊躇わせることも出来ます。それも、大きな進化の過程の一コマなのです。
 無限なる叡智を具えた神は人間をでくの坊、操り人形、ロボットにはしませんでした。神の所有する崇高な属性の全てを潜在的に授かっているのです。ですから、人間界のことは人間自ら選択しなければなりません。その上で、戦争が何の解決にもならないこと、逆に新たな問題を生み出すこと、貪欲と利己心はその内部に、自らの災禍の種を宿していることを思い知らねばなりません。
 その昔ナザレのイエスは〝全て剣を取る者は剣にて滅ぶ〟と申しました。人間は自らの選択でそれを学んで行かねばなりません。あなた方が個人として為しうることは、どこにいても霊的知識を普及することです。あなたの他に一人だけでも光と真理をもたせてあげることが出来たら、それだけであなたの地上人生は無駄でなかったことになります。それが私からの忠言です」

-正直言って現在のスピリチュアリズム運動と霊媒現象は程度が低く・・・・

 「ちょっとお待ちなさい。私達は今あなたが仰ったスピリチュアリズム運動というものには関心はありません。私達が関心を向けているのは霊的資質の開発準備が整っている人達で、スピリチュアリストの組織の中の人であるか外の人であるかには拘りません。組織には組織としての目的があり、それはその組織の者が遂行すればよろしい。私達の責務はいつどこにいても自分を役立てることを望んでいる人を支援することです。
 私は名称というものには拘りません。スピリチュアリスト、セオソフィスト(神智学会員)、ロゼクルーシャン(バラ十字会員)、こうしたものはただのラベルに過ぎません。大切なのは一人一人が自分の能力に応じて真理を追求することです。霊媒能力が大切なのは、地上で最も大きな貢献の手段となりうる能力を授かった人間がそこにいるということを意味するからです。それは大変な責任を伴う仕事であり、その人は神聖な神託を受けているのです。と言うよりは、そう自覚すべきなのです」

-最近特に若者の間で急激に増えている麻薬中毒は何が原因なのでしょうか。僕等にも力になってあげられることがあるのでしょうか。

 「あります。心霊治療、すなわち霊の力を与えることが出来ます。麻薬性のある危険な薬を常用している気の毒な人達の霊ないし魂の改善を目標として行われるものです。霊力とは宇宙の大霊すなわち神の力であり、生命力そのものであることを理解しなければなりません。
 それはあらゆる存在の活力であり、動力であり、根源的推進力です。霊のない所に生命は存在しません。人間が動き、呼吸し、思考するのは、霊であるからこそです。心霊治療においてはその生命力が、麻薬によって身体と精神と霊との調和が乱されている患者の衰弱した活力を回復するのに使用されるのです。麻薬によって不調和状態となり、そこに、本来ならばふんだんにそして調和よく生命力が流れている筈の通路に、それを阻止する障害物が出来ているのです。
 もしあなたが治病能力をお持ちなら、丁度消耗したバッテリーに充電するようにカツを入れ、生命力が再び流入するようにその健康を阻害している障害物を取り除いてあげる、その通路となることが出来ます。それは薬害を取り除く為に更に別の薬を使用するというやり方よりも、遙かに健全です。
 なぜ多くの若者が麻薬に走るかということですが、その答えは簡単です。彼等は希望を失っているのです。欲求不満があるのです。悲観的になり、自分の力では何の希望も見出せずにいるのです。実在との接触が欠けているのです。霊的な道を見失い、といって物質万能主義に何一つ心の支えになるものを見出せないのです。そこで彼等は刺激を求めて麻薬に手を出すのですが、これは本来の道ではありません。先程も言いましたように、大自然は一歩一歩の進化によって営まれているのであって、急激な変革ではダメなのです」

-有色人種と白人との間の溝を修復する為に、我々若者は何をすればよいのでしょうか。

 「手本を示す他はありません。あなた達自身の生活ぶりの中で、魂には黄色も赤色も黒色もないこと、肌の色は魂の資質とは何の関係もないことを示せば、そうした差別、禁制、防柵に苦しめられている人達の注意を引くようになります。大霊はその無限の叡智でもって子等に様々な肌の色をもたせ、それらが一体となって美事な全体色を出すようにと意図されたのです。
 白い肌は霊の優秀さの証明ではありませんし、有色の肌が霊として劣っていることの証明でもありません。本当の霊の試金石は神的属性を発揮する時、すなわち霊が物質を超越して優位を占めた時です」

-霊的観点から見て心臓移植をどう思われますか。

 「何事も動機が大切です。移植が純粋に生命を永らえさせる為である場合が確かにあります。が、実験を重ねていく内に実験そのものの興味が先行して肝心の目的を忘れている場合があります。興味本位で無抵抗の動物を残酷な実験に使用することは、霊的観点から言うと褒められた行為ではありません。人間の健康は残酷な行為からは得られません。これまで謎とされている大自然の秘密は、そういう一方的な搾取行為では解明出来ません。
 私は臓器の移植には賛成出来ません。又輸血も賛成出来ません。私の考えでは-私はあくまで私の個人的見解を述べるだけですが-肉体的生命の維持ということが唯一の目的であってはならないと思います。心に宿す考えが正しければ行為も正しく、従って肉体も正常となります。
 問題の解決は臓器の移植ではありません。本当の解決は各自が神の意図(摂理)に則った生き方をすることです。人間は他の人間への思いやりと同時に、同じ惑星上に住んでいる他の生命の全てに対して思いやりを持たねばなりません。神は人間の寿命を引き延ばす為の実験材料として動物を用意したのではありません」

-現段階では心臓移植は必ず失敗に終わると考えてよろしいでしょうか。

 「実験そのものは成功するケースもあると思います。ただ私が気がかりなのは、実験そのものが霊的に見て間違った方向へ進みつつあることです。その方向は人間の幸福の為に献身すべき人が選ぶべき道ではないということです。現段階のやり方では健康は得られません。健康とは調和状態のことです。今の医学者のやっていることは一時的な部分品の継ぎ合わせに過ぎません。
 至って簡単で、しかも肝心なことを是非理解してください。人間という存在は身体と精神と霊の三位一体として創造されているのです。その三つは不可分のものです。置き換えは利かないのです。あなたはそれらが一体となって一つの個性を拵えている存在です。健康というのはその三つの要素の間の協調関係であり、規則的リズムであり、一体関係です。健康を得る方法はそれ以外にはありません。薬でもなく医学でもありません。それは一時凌ぎの手段に過ぎません。
 地上は無知だらけです。死を恐ろしい怪物のように思って避けようとしています。死を恐怖心をもって迎えていますが、死も自然の摂理の一環に過ぎません。地上はトレーニングセンターです。間違いなく訪れる次の、より大きな生活の場に備えて教訓を学ぶ為の学校なのです」

-神とは何でしょうか。

 「神の概念を完全にお伝えすることは不可能です。神は無限です。一方、言語や概念、心象といったものはどうしても限界があります。小なるものが大なるものを包み込むことは出来ません。が、宇宙をご覧になれば、ある程度まで神についての概念を掴むことが出来ます。
 この大宇宙は法則によって規制されているのです。千変万化の諸相を見せていながら、その一つ一つに必ず配剤がなされているのです。見えない程小さいものであっても、途方もなく巨大なものであっても、動き、呼吸し、存在しているものは全て自然法則によって支配されているのです。何一つとして法則の枠からはみ出るものはありません。四季は順序よく巡り、地球は地軸上を回転し、汐は満ちては返します。種子を蒔けばその中にあったものが芽を出すのです。自然は正直なのです。
 法則は絶対です。新しい発見も、それが何であれ、どこであれ、やはり同じ自然法則の下で統制されているのです。何一つ忘れられることはありません。何一つ見落とされることはありません。何一つ無視されることはありません。
 何の力でそうなっているのか。それは限りある存在ではありません。尊大に構えた人間的存在ではありません。旧約聖書に出て来るエホバ神ではありません。気紛れで、いつ腹を立てるか分からないような神ではありません。
 歴史と進化の後をご覧になれば、地球が徐々に前に向かって、或いは上に向かって進んでいることが分かります。ということは、その背後の力は善の力だということを示しているわけです。全てを支配し、全てを統制し、全てを指揮し、全ての中に存在する、その無限の愛と叡智の権化としての神の概念を、あなた方も少しずつ理解してまいります。それを私は〝大霊〟と呼んでいるのです」

-もう一つよく持ち出される問題に、人間の神への回帰思想があります。最後は神の霊の中に没入して個性を失ってしまうというのですが・・・・

 「究極はニルバーナ(涅槃)の達成ではありません。霊的進化はひとえにインディビジュアリティの限りない開発です。個性を失っていくのではありません。反対に増していくのです。神性の発現に伴って潜在的資質が発達し、知識が増え、性格が強化されていきます。
 神は無限なのです。従って無限の発達の可能性があります。完全というものは絶対に達成されません。絶え間なく完全へ向けて進化して行きます。その結果として自我を失ってしまうことはありません。ますます自我を見出していくのです」

-それはどういうものであるか、言葉で説明出来ないものでしょうか。

 「いいえ、説明出来ません。なぜならばそれは言語を超越した次元のことだからです。意識と悟りの状態です。その状態に達してみたいと理解出来ないものです。巨大な意識の海にインディビジュアリティが埋没してしまうのではありません。反対にその意識の海の深奥があなたのインディビジュアリティの中に吸収されてしまうのです」

-宿命というのは地上生活の中でどの程度まで働いているのでしょうか。そもそも宿命とは何かをご説明願えますか。先天的宿命というのは外部の力なのでしょうか、それとも自分で選んだものなのでしょうか。あなたは再生説を説かれますが、それはなぜなのか、どういう意義があるのか説明してください。

 「それはどちらでもあります。ある種の外部の力があなたにその道を選択させたということです。あなたには自由意志と同時に宿命もあります。もしも地上人生とは物的生活を総合したものだと考え、それで満足出来る人は、それはそれでよろしい。が、現在のその肉体に宿っている霊-必ずしも同じ側面とは限りません-が以前にもこの地上で生活したことがあることも考えられます。あなたは一個の大きなダイヤモンドの数ある側面の一つであって、各々の側面が全体の進化の為に異なった時代にこの物質界へ顔を出していることも有りうるのです」

-大きなダイヤモンドの側面の一つである、つまり私は類魂(グループソウル)の一つであるという意味だと思うのですが、もしも生命が永遠だとすると、他の類魂の体験を必要とするというのは論理的におかしいように思えます。

 「全宇宙を通じて作用と反作用が営まれております。遙か彼方にいる者でも、あなたが叡智を身に付けていく上において多大な影響力を行使することが出来るのです。人間は身体的にも精神的にも霊的にも孤立状態で生きることは有り得ないのです。それをグループソールと呼んでもダイヤモンドと呼んでも、所詮は用語を超越したものを表現する為にあれこれと用語を使ってみているに過ぎません。
 〝あなた〟とは一体誰なのでしょう。その〝あなた〟という存在はいつから始まったのでしょうか。あなたという個的存在は受胎の瞬間から始まったのでしょうか。〝アブラハムが生まれる前から私は存在している〟とイエスが述べておりますが、それはどういう意味かお分かりですか。〝霊としては私は常に存在していた〟という意味です。あなたもそうですし私もそうです。インディビジュアリティの断片が異なった時代に物的世界に顔を覗かせたということは有りうるのです。
 私の説が受け入れられないと仰る方と論争しようとは思いません。私は同志の方にも、ご自分の理性が納得しないものは拒絶しなさいと申し上げております。もしも私があなたから好感をもって頂けたら、そして愛とも言うべきものを頂戴出来たら、それはあなたの理性が私の述べていることを真実であると認めたからであるに相違ありません。もしも理性の許可を得た上での好感を勝ち取ることが出来ないとしたら、それは私達の仕事が失敗の運命にあることを意味します。我々はこれまでに得た知識を土台とし信頼し合わなくてはいけません。基盤に間違いがないことを確信した上でなくてはいけません。そこから、ゆっくりと着実に、より高い道を目指して、手を取り合って開拓していきましょう。
 あなたには、これから先、嬉しいことが沢山用意されております。イヤなことがないという意味ではありません。難問は常に降り掛かってきます。逆境にも遭遇します。あなたは完成された世界の完成された存在ではないからです。あなた自身が不完全であり、世の中も不完全です。しかし、あなたには自由意志があり、世の中の不完全とあなた自身の不完全を取り除いていく為の力となる素晴らしいチャンスが用意されています。そこにあなたの仕事があります。
 いかなる知識にも、それをいかに活用するかについての責任が付加されます。それはあなたへの一つの信託がなされたということです。その信頼を裏切ってはなりません。あなたがその知識を得るに相応しい人間であったと同時に、これから先あなたに受け入れる用意が出来た時に授けられる次の段階の知識に対しても十分な資格があることを、あなた自身の生活の中で身をもって示さなくてはいけません」

 《あなたに受け入れる用意が整った時、一旦獲得したら決して色褪せることもなく失われることもない、豊かな霊性が賦与されます。それはあなた自らの努力によって勝ち取るべき褒賞です。自らの魂の発達であり、自らの性格の強化です。そうやってあなたは、その段階での光明の中に生きるに相応しい存在となっていくのです》
 シルバーバーチ