バーバネルの背後霊団の中心的指導霊は、シルバーバーチと名乗る三千年前の古代霊である。三千年前というとイエス・キリストより一千年も前ということになる。ところがそのシルバーバーチも、自分達は地上でイエス・キリストと呼ばれた霊を最高指揮者とする地球浄化の大事業の一翼を担う霊団の一つにすぎないと言い
「あなた方はイエスの本当の偉大さを知らないばかりか、その教えを歪曲し、勝手に解釈して、イエスの真実の教えを台無しにしてしまっている」
と、現在のキリスト教を徹底的に糾弾する。
その霊言は、1938年に最初の一冊が出版されて以来、第一期が全十二冊、第二期が五冊発行されている。何しろバーバネルが十八歳の時から七十九歳で他界するまでの、ほぼ六十年間にわたって毎週一回の割合で語り続けたのであるから、その量は膨大で、これからもシリーズは続けられることであろう。これほど素朴で何でもなさそうな教訓を、これほど平易に、そして繰り返し説き聞かせて、しかも読む者を飽きさせないどころか、読む度に新たなものを悟らせ、時にはハッとさせるものを秘めたものは、他に類を見ない。
シルバーバーチの魅力の秘密は、そうした味わい深い教訓もさることながら、その言葉に滲み出ている高い霊性の響きにあるように思う。そのことを偲ばせるエピソードとして、一見何でもなさそうで実は、大変大きな意味のある事実を紹介しておきたい。
●大きかったハンネン・スワッファーの存在
シルバーバーチ霊が主宰する交霊会は、正式には『ハンネン・スワッファー・ホームサークル』と呼ばれていた。スワッファーの自宅で開かれ、スワッファーがその司会役、日本でいう審神者(さにわ)をしていたからであるが、そうなっていった経緯の中に、スピリチュアリズムの計画性の一部を窺い知ることが出来るように思う。
スワッファーは本職は演劇評論家で、1920年当時既に『フリート街の法王』と呼ばれるほど英国ジャーナリズム界に君臨する存在だった。(フリート街は英国の新聞社が軒を連ねている通りでジャーナリズム界の代名詞として用いられることがある)
そのスワッファーが、当時霊媒として注目を集めていたバリアンティンの交霊会の司会役をしていたデニス・ブラッドレーが作家で顔見知りだったことから、試しに出席してみた。すると、英国新聞界の大物で大先輩のノースクリッフ卿の霊が出現して、バリアンティンの口を使って語りかけた。生前のノースクリッフを知り尽くしていたスワッファーは、その雰囲気に卿をしのばせるものを感じると同時に、語った話の中に自分しか知らないはずの、卿と自分だけの秘密が出てきたことから、ただならぬものを感じた。そしてその後も足繁く通って得心がいくまで調査し、ついに死後の個性の存続を確信して、その間の体験を『ノースクリッフの帰還』と題して出版し、大反響を呼んだ。
そうした体験を経てバーバネルの交霊会に出席したスワッファーは、今度はシルバーバーチ霊の霊格の高さを直観し、自宅で毎週金曜日に開催することにして、名称も『ハンネン・スワッファー・ホームサークル』とした。そして回を重ねるごとにシルバーバーチの霊言の質の高さに魅せられていったスワッファーは、そのシルバーバーチの霊媒で「サイキック・ニューズ」という心霊週刊紙の主筆でもあったモーリス・バーバネルに、その霊言を新聞紙上に連載してはどうかと勧めた。こんな素晴らしい教訓を一握りのメンバーが聞き捨てるだけでは勿体ないではないか、というのがその言い分だった。
しかしバーバネルは「そんなことをしては主筆としての魂胆を疑われる」と言って断った。が、霊言を聞くごとにますますその魅力に取りつかれていくスワッファーは、事あるごとに公表を迫った。二人は親友だったせいもあって、時には激しい口論にまで発展したこともあったらしいが、そのうちバーバネルも折れて、ついに連載に踏み切った。その時までに実に十年以上も経過していた。
もしもスワッファーの説得がなかったら、多分そのまま一握りのメンバーの者だけが聞くに止まっていたことであろう。このエピソードは、スワッファーの存在価値の大きさを物語ると同時に、バーバネルという人物がシルバーバーチ霊の『道具』であることに徹し、バーバネル個人としての名誉心や打算を欠片程も宿さなかったことを物語っているといえよう。もっとも、それもこれも、シルバーバーチの霊言の質の高さという背景があっての話であることは言うまでもない。
実はスワッファーの存在意義が発揮されたのは、それ一つだけではなかった。『フリート街の法王』としての知名度を利用して、各界の有識者を招待して交霊会に出席させ、思う存分、シルバーバーチと質疑応答をさせたことである。これが、霊言というものが実在することを宣伝する上で計り知れない効果があった。招待された人の中には
「よし、俺がバーバネルの化けの皮を剥がしてやる」とか
「シルバーバーチとかいう霊をこてんぱんにやり込めてやる」
等と言って意気込んで出席した者もいたようであるが、帰る時は皆しんみりとしていたという。シルバーバーチの存在そのものから受ける威厳に満ちた雰囲気に圧倒されてしまったのである。感涙にむせぶ者も少なくなかったという。
「あなた方はイエスの本当の偉大さを知らないばかりか、その教えを歪曲し、勝手に解釈して、イエスの真実の教えを台無しにしてしまっている」
と、現在のキリスト教を徹底的に糾弾する。
その霊言は、1938年に最初の一冊が出版されて以来、第一期が全十二冊、第二期が五冊発行されている。何しろバーバネルが十八歳の時から七十九歳で他界するまでの、ほぼ六十年間にわたって毎週一回の割合で語り続けたのであるから、その量は膨大で、これからもシリーズは続けられることであろう。これほど素朴で何でもなさそうな教訓を、これほど平易に、そして繰り返し説き聞かせて、しかも読む者を飽きさせないどころか、読む度に新たなものを悟らせ、時にはハッとさせるものを秘めたものは、他に類を見ない。
シルバーバーチの魅力の秘密は、そうした味わい深い教訓もさることながら、その言葉に滲み出ている高い霊性の響きにあるように思う。そのことを偲ばせるエピソードとして、一見何でもなさそうで実は、大変大きな意味のある事実を紹介しておきたい。
●大きかったハンネン・スワッファーの存在
シルバーバーチ霊が主宰する交霊会は、正式には『ハンネン・スワッファー・ホームサークル』と呼ばれていた。スワッファーの自宅で開かれ、スワッファーがその司会役、日本でいう審神者(さにわ)をしていたからであるが、そうなっていった経緯の中に、スピリチュアリズムの計画性の一部を窺い知ることが出来るように思う。
スワッファーは本職は演劇評論家で、1920年当時既に『フリート街の法王』と呼ばれるほど英国ジャーナリズム界に君臨する存在だった。(フリート街は英国の新聞社が軒を連ねている通りでジャーナリズム界の代名詞として用いられることがある)
そのスワッファーが、当時霊媒として注目を集めていたバリアンティンの交霊会の司会役をしていたデニス・ブラッドレーが作家で顔見知りだったことから、試しに出席してみた。すると、英国新聞界の大物で大先輩のノースクリッフ卿の霊が出現して、バリアンティンの口を使って語りかけた。生前のノースクリッフを知り尽くしていたスワッファーは、その雰囲気に卿をしのばせるものを感じると同時に、語った話の中に自分しか知らないはずの、卿と自分だけの秘密が出てきたことから、ただならぬものを感じた。そしてその後も足繁く通って得心がいくまで調査し、ついに死後の個性の存続を確信して、その間の体験を『ノースクリッフの帰還』と題して出版し、大反響を呼んだ。
そうした体験を経てバーバネルの交霊会に出席したスワッファーは、今度はシルバーバーチ霊の霊格の高さを直観し、自宅で毎週金曜日に開催することにして、名称も『ハンネン・スワッファー・ホームサークル』とした。そして回を重ねるごとにシルバーバーチの霊言の質の高さに魅せられていったスワッファーは、そのシルバーバーチの霊媒で「サイキック・ニューズ」という心霊週刊紙の主筆でもあったモーリス・バーバネルに、その霊言を新聞紙上に連載してはどうかと勧めた。こんな素晴らしい教訓を一握りのメンバーが聞き捨てるだけでは勿体ないではないか、というのがその言い分だった。
しかしバーバネルは「そんなことをしては主筆としての魂胆を疑われる」と言って断った。が、霊言を聞くごとにますますその魅力に取りつかれていくスワッファーは、事あるごとに公表を迫った。二人は親友だったせいもあって、時には激しい口論にまで発展したこともあったらしいが、そのうちバーバネルも折れて、ついに連載に踏み切った。その時までに実に十年以上も経過していた。
もしもスワッファーの説得がなかったら、多分そのまま一握りのメンバーの者だけが聞くに止まっていたことであろう。このエピソードは、スワッファーの存在価値の大きさを物語ると同時に、バーバネルという人物がシルバーバーチ霊の『道具』であることに徹し、バーバネル個人としての名誉心や打算を欠片程も宿さなかったことを物語っているといえよう。もっとも、それもこれも、シルバーバーチの霊言の質の高さという背景があっての話であることは言うまでもない。
実はスワッファーの存在意義が発揮されたのは、それ一つだけではなかった。『フリート街の法王』としての知名度を利用して、各界の有識者を招待して交霊会に出席させ、思う存分、シルバーバーチと質疑応答をさせたことである。これが、霊言というものが実在することを宣伝する上で計り知れない効果があった。招待された人の中には
「よし、俺がバーバネルの化けの皮を剥がしてやる」とか
「シルバーバーチとかいう霊をこてんぱんにやり込めてやる」
等と言って意気込んで出席した者もいたようであるが、帰る時は皆しんみりとしていたという。シルバーバーチの存在そのものから受ける威厳に満ちた雰囲気に圧倒されてしまったのである。感涙にむせぶ者も少なくなかったという。