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自殺ダメ



 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より

 P120より抜粋。


 以上四章に亘る説明で霊界という所が決して夢のような取りとめのない世界でなく、反対に、地上以上に整然たる秩序の中に生き生きとした〝仕事の生活〟が営まれている実在の世界であることを認識されたことと信じる。
 しかし、これまでの説明では、ただ霊界にも仕事があるという漠然とした概念だけで、霊界にはどんな仕事があるのかという仕事の中身の問題や、どんな人がどんな仕事に就くかという資格の問題、或いは一つの仕事が選ばれていく細かい過程については直接にタッチされていない。そこで本章ではそういった問題をトーマスとオーエンの書物を参照しながら観てみたい。

 他界直後

 地上の人間は概して仕事を嫌うものである。自分の仕事に生き甲斐を感じ情熱をもって仕事に打ち込む人は少ない。その理由は三つ考えられる。第一は仕事と能力とが一致しないこと。言い換えれば適材適所ということが実行されていないことである。第二はエネルギーの消耗と補給のバランスが取りにくいことである。もしも我々地上の人間が霊界の人間のように、随時、必要なだけのエネルギーを摂取して疲労とか不快などを自由かつ完全に取り除くことが出来たら、丁度子供が疲れを知らずに遊びたわむれるように、我々大人も思う存分仕事に身を打ち込むことが出来るに違いない。第三の理由は仕事の目的と意義を知らないことである。仕事とは要するに能力の作用であり、能力の作用を通じてこそ魂の成長が得られるのである。身体とはその作用の為の道具であり、器械類は更にその代用のようなものである。科学者や芸術家のように知性や想像力などを使用する人達でも、手がなければ仕事にならないのである。
 そうした地上における仕事の形態は霊界へ行ってもある程度まで維持されるものらしい。すなわち霊界の事情にすっかり慣れて、意念だけで生活出来るようになるまでには相当な期間が必要であり、その期間中は地上と似たような仕事を続けるわけである。それを次の通信の中に見てみよう。出典はトーマスの『実証による死の彼方の生活』。通信者はトーマス氏の父親と妹のエッタ。

 父「例えば旅行する場合をとってみても、こちらでは汽車とか自動車とかの交通機関は利用しない。しかし使用しないといっても原則的に言えばの話であって、例外的なことが沢山ある。例えば私は汽車や自動車なんかは絶対に使用しないし、また使用している人を見たこともないのだが、地上でエンジン関係の仕事に携わっていた人などは、指導霊から新しく仕事をあてがわれる迄は大抵エンジンのことを研究したがるのだ。そういう人が何か新しいものでも発明すると、早速地上のエンジニアに教えてやろうとする。だが、そういった地上的な機械仕事には直ぐに飽きが来る。所詮、こちらの人間には不必要なものだからだ。が、父さんの見るところでは、おそらく地上にはいずれそういった機械類が必要でなくなる時代がやって来ると思う。そのワケは、霊界の人間が使用している能力は地上の人間にもちゃんと宿っているからだ。ただ居眠りをしているにすぎん。フィーダの話によると、お前(トーマス氏)の友達で地上で工場を経営していたC・B君、あの人はこちらへ来てからも相変わらず工場を経営しているそうだ。が、進歩的な彼のことだ。そういつまでも続けることはせんだろう。今に趣味が変わって次第に霊的な生活に入っていくものとみている。もっとも今のところは生き甲斐を感じているらしいから、もうあと二、三年は工場の仕事を続けるだろうよ。
 「園芸などはこちらでも特に盛んな仕事の一つだ。芸術の中では音楽と絵画が盛んだが、中でも音楽は非常に盛んだ。勿論彫刻もあるし、綴れ織りなんかもある。一口で言えば地上の人間が楽しむものは一応全部揃っている。そういった仕事には当然作品や製品等が生まれ、時間の経過と共に不要品も出て来る。例えば作者又は所有者が上の界へ行ってしまった場合などがそれだ。そうなると当然その不要品の処理ということが問題となる。新参者が引き続いて使用してくれることもあるが、そうでなかったら、こちらには〝昇華〟又は〝変質〟の技術がある。その技術で全く異質のものにしてしまう。それに使用するものは矢張り意念であり、その仕事を受け持つのは物を造ることを専門にしている人達だ。
 「この間お前に通信したストレベット君、彼などは全然ダメだ。あの人は地上にいた時に全く創造力というものを働かせたことがないので、精神力が非常に弱い。素質もあるし立派な知性も具えている人なんだが、ただ持っているというだけで、それを実際に使って鍛えるということをやったことのない人だ。だから彼には何一つ自分でこしらえたものがない。他人が作ったものばかり使っている。その点この間交霊会に出た人(トーマス氏の友人)などは全く対照的な人だ。あの人はこちらへ来てみたら既に自分の思う通りの環境が出来ていた。地上生活中に着々とこしらえていた訳で、それだけ彼の創造力が強かった訳だ。勿論普段の意識では気が付いていなかったが、潜在意識はちゃんと知っていた。彼の創造力は晩年になってますます強さを増したが、それでも今と比べたら話にならん。今の彼は心身共に若返って、それは立派なものだ。彼の場合は生活そのものにも次から次へと新しい喜びや興味が湧いてきて、実に幸福そのものだ。が、それは皆、地上生活中に蒔いた種が実ったもので、結局それだけのものを頂戴する資格があるわけだ」
 問「着物の話をされましたが、そちらで着る衣服は地上で着る衣服の写しですか、それとも新しくあつらえるわけですか」
 エッタ「結局は両方ということになるでしょう。地上でも衣服を裏返したりして、見かけの上ではすっかり新しいものに作り変えることが出来るでしょう。あれと同じようなことがこちらでも行なわれます。同じといっても、やり方はこちら独得のものです。つまり地上で気に入っていた衣服への執着が強く残っているので、その念を型にしてこしらえるわけです。勿論大切なのは意念の働きです。こちらでは何かにつけ意念というものが一番大切です。ですが何もかも意念でやってしまうのかというと、そうでもありません。例えば地上からやって来たばかりの人は物的感覚が強いですから、すぐさま意念だけで仕事をさせるのは無理です。地上で建築の仕事に携わっていた人に直ぐ設計の仕事をさせても上手く行きません。矢張り本人がやりたいと思うことから始めるのが一番です。婦人は衣服の仕事をしたがる人が多いです。責任ある仕事には就けません。頭がいいとか技術が優れているというだけでは上の界へ行くことは出来ません。大切なのは魂の善性ないし霊格です。私達のいる界より下の界に、私達より頭のいい方や技術の優れた方が沢山おります。そうかと思うと底抜けの善人ではあっても思考技術の不足した方が高い世界にいます。そういう方は絵画を額縁に入れたり椅子にカバーを取り付けたりする仕事を好みます。精神的な仕事より手先の仕事の方が面白いのでしょう」
  
(解説)

 トーマス

 スピリチュアリズムの著述家の中でも有益な著書を数多く残した人。通信の真実性を確かめる為に霊界の父親との間でブックテストというのをやったことは有名。例えば交霊会が終わりに近付くと、その日の通信がトーマス氏の主観によるものでなかったことを示す何らかの証拠を父親に要求する。すると父親から「家に帰ったら窓の方を向いた本棚の一番上の段の左から五冊目の本の三十三ページを見なさい。真ん中辺りから父さんが晩年に口にしていた思想とよく似たことが書いてあるから」といった返事がある。勿論そういった本はトーマス氏が一度も読んだことのないものに限られる。こうして自分の主観や潜在意識の排除に努めた。主著は本書に引用したもの以外に「死後存続に関する新たな証拠」「人生の日没の彼方」等。

 フィーダ

 英国の生んだ世界的霊言霊媒オズボーン・レナードの支配霊。トーマス氏の著書は主としてこのレナード夫人を通じて得た霊言を纏めたもの。
 フィーダはよく通信の取次ぎをすることがあり、この場合も実際に語っているのはフィーダである。直接取り次ぐ時は〝私〟と言い、その内〝彼〟に変わったりして、全体の話の流れに注意していないと混乱してしまう。その混乱を避ける為にここでは直接話法に統一した。その取次ぎの様子が浅野和三郎著「心霊研究とその帰趨」に出ている。問はトーマス氏、答えはこの父親とフィーダ。
 問「フィーダが取り次ぎをする時、通信者は実際フィーダの前にいるのですか、それとも単に思念を送るだけですか」
 父「それはどちらの場合もある。フィーダの眼にこちらの姿が見えている場合もあれば、フィーダがこちらの思想のみを把握する場合もある。いつでも見たり聞いたりするというわけではない。概してフィーダと我々との連絡は確実であるが、人間界との連絡はそれ程上手く行かない」
 問「あなたがフィーダに話しかける時、彼女が聞くものは何ですか」
 父「それは私の言葉イヤむしろ私の言葉の含んでいる思想の波を捕える。地上の人と人との間にあっても思想伝達は可能だ。我々霊界居住者にとっては思想伝達が生命だ。それは言葉以上に正確だ。言葉そのものを送ることも不可能ではないが、しかし思想を送るより遙かに困難だ」
 問「フィーダはどんな具合に通信を受け取るのですか」
 フィーダ「通信者は私に感じさせたり見せたり聞かせたり、色んなことをします。私には感じることが一番容易のようです。先方で冷たいと感ずれば私にも冷たく感じ、熱いと感ずれば私にも熱く感じられます。つまり催眠術の暗示みたいなものです」(一部改める)

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 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より

 前の[父親からの通信]の続き


 問「動物も霊界へ行くのですか」
 父「無論そうなんだが、ただ、個的存在は失ってしまう。つまり地上における動物生活で獲得した無意識の生理的生命力の類魂の中に融合してしまう。エーテル的エネルギーの集合体といってもいい。その類魂は動物の種類によって更に幾つかに分かれており、今度地上に生まれる時は牛なら牛の類魂の一部が物質と結合するわけだが、それには別に個性というものはない」
 問「ペット類はそのまま生き続けますか」
 父「その通りだが、いつまでもというわけにはいかない。飼主との愛の関係が切れない限りそのままの姿で霊界に生き続けるが、切れてしまうと今言った類魂の中に融合してしまう。だから蛇とかライオンとかは見かけない。ペットにしていたトラなどを見かけることもあるが、ごく珍しいことだ。その場合もトラ自身の意思で生きているわけではない。人間の住む界に来るような動物は人間に可愛がられたものに限ると思えばよい」
 問「ペット類というのは馬、犬、猫、象、猿などのことですか」
 父「象はペットの内には入るまい。あれは野生動物だろう。こちらで見かける動物といえば馬、犬、猫位で、猿はあまり見かけない。鳥はどこでも見かける。父さんはずっと上の界の小鳥を見てきたが、まるで金か銀で出来ているみたいにピカピカ光っていたよ。その色合いの美しさはお前達にはちょっと想像出来んだろう」
 問「父さんの土地から太陽が見えますか」
 父「円く光っている太陽は見たことないが、光だけは届いているようだ。しかし、その光にばかりお世話になっているわけではない。父さんの考えでは、この界の人間は太陽光線なしでも生きていけるのではないかと思う。というのは、父さんが住んでいる土地自体が光を出しており、それだけで十分なのだ。自分で光を出しているから陰とか夜とかが無いわけだ。もっと上へ行ったら、それはそれは見事な色彩だよ」
 問「月、惑星、星などは如何ですか」
 父「形体そのものは見ていないが、地上へ近付いて何らかの方法で地上的感覚を利用すれば見える筈だ。その時には透視能力に似たものを使用することになる。しかし今のところ、そうまでして見ようとは思わん。こちらの人間は自分の進歩と仕事にとって為になること、つまりやり甲斐のあることしかやろうとしないものだ。お月さんなど有っても無くても別に関係ないよ」
 問「でも、月も神が創造なさったものですよ。ならば月を研究することは神を知ることになるんじゃないですか」
 父「神を知る道なら他にいくらでもあるさ」
 問「色々解り易く説明して頂いたのですが、これほど説明しても尚且つ死後の世界の実質性を疑う人がいるのですが・・・」
 父「無理もない話しだ。父さんもこうして説明しながら、その実質性の本当の実感を伝えるには言葉がいかにも不便で物足りなさを感じているのだ。実は同じ草にしても、樹木にしても、或いは花にしても、言葉ではちょっと説明しかねるところが沢山ある。そういったところは実際に見た者でないと判らない。いくら言葉で説明して聞かせても結局は無駄だ。それは丁度、お前が時折感じる生命の悦び、高揚、生き甲斐といったものを言葉で言い表せないのと同じだ。生命とはそういうものだ。魂の奥にあるものが顔を覗かせる。目に見えないものが魂を揺さぶる。上へ行けば行く程言葉に表せない珍しいもの、或いは言語に絶する生命の喜悦といったものを体験するようになる。地上より霊界の方がその生命の実相に近いわけだ。素晴らしい世界だよ」
 こうした霊界通信を読むと、死というものが至って自然な現象で、霊界での受け入れ態勢もちゃんと出来ていることが分かる。あまり自然で上手く出来ているので、自分が死んだことに気付かず、納得するまでに相当期間を要する人がいるらしい。

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 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より


 P98より

 では次にトーマス氏が霊界の父親と交わした問答を『実証による死の彼方の生活』から抜粋してみよう。霊媒は同じくオズボーン・レナード夫人である。
 問「今までのお話だと結局父さんのいる界は、距離は別として、要するにイギリスの真上にあるということになりますが、では地球の自転との関係はどうなりますか。やはり一緒に回転するわけですか」
 父「その通りだ。静止していると言う人もいるが、そうではない。やはり地球と一緒に回転している。ただその動きが全く感じられないのだ。高い界ほど速く回転している。中心からの距離が遠い程速く回るわけだから。もっとも、その差は少しずつだから、地球へ来て戻る位では何の変化も感じられないが」
 問「では地球からの距離はどうですか」
 父「その距離というのは実は当てにならんのだ。というのは、霊界の一番下層部は地球のずっと上の方にあるわけだが、上層部へ行くに従って〝物〟の形体に一定性というものが無くなってくる。意念による反応が敏感で、上の界へ行く程速くなる。今〝物〟と言ったが、それは他に適当な用語が無いからで、地上と同じ物体を想像されては困る。地上では固いものは誰がいじっても固いが、こちらでは意念の強弱によって固さが違ってくる。つまり意念によって柔らかくすることも出来るということだ。だから、こちらでは霊力と意念の強さというものが大切となってくる。こちらへ来たばかりの人間は霊力もないし意念も弱いので、一人では何も出来ない。地上の赤ん坊が一人で何も出来ないのと一緒だ」
 問「では、父さんの足の下はどうなってますか」
 父「やはり厚い層になっている。父さんの判断では地球よりはかなり浅いのではないかと思う。ただし、その成分は全く違う。これは全くはっきり断言出来る」
 問「霊界の層は稀薄ということのようですが、そうなると私達が夜空の星を眺めている時は、その層を突き通して見ているわけですか」
 父「そういうわけだ。しかし、だからといってその層をモヤのように実質のないものと思ってはいかん。この界にいる者には確かに固く感じられるし、又、普段はその表面しか見えない。但し成分は地球と大分違っている。その層の厚みは、そうだな、何マイルもあるという位の表現をしておこうか。勿論その層を掘っていけば下の界の大気圏に出る。もっとも掘ってみるバカはいないがね。上の界ほど層が稀薄に出来ているので、それだけ透視しやすい。それから、上の界と下の界との間に地上のトンネルに似た道路が設けてある。設けた、というよりは、出来た、といった方が当たっているだろう。というのは、みんな誰かが通った道を通るので、そこが何時の間にか一般の通路となってしまうわけだ。お前だって学生時代、正門から入らずに塀に出来ている穴を潜って通ったことがある筈だ。ただ地上と違う点は、地上の人間が手や足を使ってこしらえるところを、こちらの人間は霊力と念力とでやってしまうことだ」

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 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より


 W・H・エバンズ(1877~1960)
 幼少時より超能力を発揮、特に入神霊媒として活躍した時期もあるが、後半生はA・J・デービスの『調和哲学』をスピリチュアリズム的に解説して、各心霊紙に寄稿。著書には『A・J・デービスの調和哲学』その他数多い。


 P94からの抜粋。

 まず手始めにトーマスの『死の彼方の夜明けに』から、他界直後の様子を窺ってみよう。霊媒はオズボーン・レナード女史。通信者はトーマス氏の友人である。
 「こちらへ来ると同時に私は目に見えて元気になるのが判りました。が、もっと驚いたのは、見覚えのある人達が次々とやって来て再会の挨拶をしてくれたことでした。これには私も驚きました。中には私が地上で面倒を見てあげた人も幾人かおり、皆心から再会を喜んでくれました。その派手な賑やかさときたら、まるでロンドンの市長がお役人衆を引き連れて市中を挨拶回りする時のようでした。イヤ、あれ以上かもしれません。何しろ何百人もの人が代わる代わる私の手を握っては〝暫くでしたね〟〝ようこそ〟と挨拶してくれたのですから。
 握手しただけで別れてしまうのが残念な人が大勢いました。間もなく私も自由に行動出来るようになりましたが、歩いてみて始めて地上と違うところを発見しました。建物の様子や家財道具などは地上と少しも変わりませんが、目的地へ行くのに一々足を使わなくても、ただ目を瞑って精神を統一すれば、何時の間にかそこに来ているのです。初め私が歩こうとしたら指導霊からこう言われました。〝今誰かの所へ行く用事が出来たとする。が、歩いては駄目だ。足を使わずに行く。それにはまず頭を鎮め、その頭の中でその人のことだけを考える。次にその人の所へ行こうという意思を働かせる。それだけでよい。気が付いたらちゃんとその人の所へ来ている〟この説明に間違いないことは間もなく判りました。何か知りたいことや見たいものがある時は、歩いて行くのもいいですが、それではまどろこしくていけません。そんな時は地上でよく練習したのと同じ要領で精神を統一します。するとアッという間に目的地に着いております。同伴者がいれば同じことを一緒にやります。
 「帰る時も同じようにやります。家のことを念じると、もう帰っているのです。面白いので何回も行ったり戻ったりして遊びました。みんなも面白がっていました。初めの内はみんながジロジロと、まるで顕微鏡で覗くような調子で新米がやるのを細かく見つめています。あなたのお父さんもその一人でした。上手く行かない時に質問が出来るのでその方が有り難いといえば有り難いです。ようやく一人前になった時は、まるで子供が初めて凧を上げた時と同じで、破らぬように失くさぬようにと、それは大事に大事にしたのと同じ心境でした。
 「今の生活を反省してみると地上生活が意外に為になっていることが判ります。が、私には一つだけ後悔していることがあります。それは、私が非常に神経質で、物事に動じ易かったことです。例えば道で気に食わぬ人に出会ったりすると、あっさりと見過ごせばいいものを、イヤだという気持を強く感じたものです。こちらでは心に思ったことがそのまま表に出るので、イヤな人に出会った時にいくら見過ごそうと思っても、心にイヤだという念を抱いている限り、それが出てしまうのです。それについても指導霊からこう注意されました。〝あなたは気にしなくてもいいことまで気にして、いつまでもクヨクヨ考え込むところがある。例えば何の関係もない人なのに、あなたの方で勝手にその人を敵視して、あいつは自分のことをどう思っているんだろうか。こう思ってはいまいか、ああ思ってはいまいかと盛んに猜疑心を起こして、変に悩んでいることがある。実際にあなたの方から悪いことをしているのならともかく、自分に何のやましいところもないと確信したら、その人のことはそれきり忘れるようにしなさい〟と。
 「これを聞いてから私も、必要なことと必要でないこととを区別して、不要なことは直ぐに忘れるように努力しているのですが、地上でそういう努力をしたことがないので、少しやっただけで大変な疲労を覚えます。大体、地上で経験したことは楽に出来ますが、経験のないことをこっちへ来て改めてやろうとすると、地上でやる以上の苦心と努力が要ります。その疲れ様といったら、それはそれは大変です。全身がクタクタになってしまいます。その後私は実際に地上で私に迷惑をかけた人とも会いましたが、その時は殆ど敵という感じがしませんでした。今ではその方と一緒に仕事をすることさえあります。雑談に耽ることもあります。あなたも早くいらっしゃい。雑談の暇もあるんですよ。
 現在の私は二つの仕事を受け持っております。一つは一人ないし二人の地上の人間の背後霊としての仕事、もう一つは私のように急死によってこちらへ来た霊の世話です。あまりの急激な変化の為に戸惑う人が多いのです。私自身こちらで目覚めた時にこう言われました。〝気を楽に持ちなさい。一度に色々なことを考えるとますます混乱します。一つ一つゆっくりと理解していきなさい〟と。それからというものは実にスムーズに環境に慣れていき、すっかり慣れ切ってから〝一体ここはどこなのか〟といったことを考え始めました。
 今では私が会いたいと思った人、或いは私に用のある人といつでも気軽に近付くことが出来るようになりました。つまり自分で必要と思ったこと、或いは正しいと信じたことなら何でも出来るようになりました。ただ、その〝必要なこと〟と〝正しいこと〟を判断することは中々難しいことです。
 自分で善人だと思っている人の中には、実際は間違った道を歩んでいる人が少なくありません。色々と他人の世話を焼きたがる人がいますが、大切なのは世話をすることよりも、その動機又は自分の立場です。ご利益を目的として他人の世話をするのなら、むしろ他人のことは放っておいて、精々、つまらぬ欲心を抱かぬように心掛ける方がこちらでは為になります。今お父さんが大きく頷きながらこう言っておられます。〝そう、全くその通りだ。正直はやっぱり最上の策だ。特に自分の思想、動機、モットーなどには最後まで忠実でなきゃいかん。これは大切なことだ〟と。
 トーマス氏はこう付け加えている。「私にはこの友人の言っていることが一々よく解る。彼は確かに神経質で、忘れてしまうということの出来ない男であった」

自殺ダメ



 死後いずれは住まうことになっている霊的な世界がどうなっているかを理解するにあたって心得ておくべきことを、シルバーバーチの言葉から引用しておくと-
 「あなたは死後に赴く次の世界に今も立派に存在しているのです。バイブレーションの次元が違うに過ぎません。死ぬことで霊的存在になるのではありません。死んだからといって、あなたの霊格が一ミリたりとも増えるわけではありません」
 「あなたは今この時点において立派に霊なのです。今この特殊な物的バイブレーションの階層における幽体のバイブレーションが、死後あなたが赴く階層を自動的に決めるのです」
 「これまで地上界の寿命を生きてきた、その生き方と、その結果として発達した意識レベルが、今のあなたの幽体がどの次元で機能しているかを決定付けます。死後に目覚める階層のバイブレーションについてもこの原則が当てはまります」
 その階層について、シルバーバーチはこう述べています-
 「互いに混ざり合っています。空間に充満している無線電信のバイブレーションと同じです。様々な波長があり、様々なバイブレーションがあります。が、その全てが同時に同じ空間を占めているのです」
 「境界というものはありません。国境もありません。バイブレーションが異なるだけです。異なる階層、ないしは異なる意識レベルで機能しているだけです」
 では、意識レベルを上げて一段と高い階層の存在となるにはどうしたら良いか。そのカギは、シルバーバーチに言わせると〝人の為に役立つことをすること〟に尽きるようです。
 「こちらの世界では、各自の霊性の成長度に相応しい階層、つまりは、環境との調和が最もしっくりくる階層に落ち着きます。知的・道徳的・霊的成長度が自動的にそこに落ち着かせるのです。他の階層との違いは、そこに住まう霊の質の違いです」
 「霊的に高い次元にいる人程、質的に高いということです。他人への思いやりが強い程、慈悲心が大きい程、自己犠牲の意識が高い程、地上界にあっても意識的に高い階層に生きていることになります」
 物理的に言えば、今支配している身体のバイブレーションのレベルが向上するにつれて見た目には物的でも質的に徐々に物質性が衰え、やがて消えてなくなり(死滅し)、次の進化の段階へと進みます。かくして精神(魂)の内部での意識が発達するにつれて大霊(神)に近付くことになるわけです。
 簡単に言えば、以上が宇宙の各階層が互いに繋がり合っていることを示す、基本的なバイブレーションの関係です。バイブレーションというと我々はいかにも実体がないかに想像しがちですが、シルバーバーチは「死と共に後にする物質の世界よりも遙かに実体があり、遙かに実感があります」と述べています。その死後の階層について、更に細かく見てみましょう。
 地上生活を送っている間中も「皆さんは霊の世界の最高界から最低界までの全階層の影響を受ける状態にあります。が、実際に受けるのは各自が到達した霊性と同じ次元のものだけに限られます。邪悪な魂は邪悪なものを引き寄せます。高潔な魂は高潔なものを引き寄せます。それが摂理なのです」
 地上時代に心に宿した思念と実生活の中身によって、死後に待ち受ける階層での環境が決まります。死後の世界に関して誤った知識を教え込まれ、「最後の審判」の日を待ちながら居眠りを続けている霊の問題についてシルバーバーチは-
 「彼らの魂そのものが、そうした信仰が現実になると思い込んでいるのです。ですから、その信仰の概念が変化するまで、外部からは手の施しようがありません。そうした人々は事実上、地上での全生涯を通じて、死んだら大天使ガブリエルがラッパを吹くまで墓で寝て待つのだという思念体を形作り、それを毎日のように上塗りしてきているので、魂の内部での調整が進んでその思念体を切り崩すことが出来るようになるまで、その牢獄に閉じ込められ続けます」
 「自分が死んだことを認めようとしない者も同じです。無理矢理信じさせることは出来ません。死んだという事実を得心させることがいかに難しいか、皆さんには想像出来ないことでしょう」
 肉体器官の機能を支えていた幽体の働きはどうなるのかとの質問に、シルバーバーチはこう答えている-
 「肉体器官の機能が残っているかどうかの問題も意識の程度次第です。死後の生命について全く無知で、死後の世界があるかどうかなど考えたこともない人間は、肉体の機能がそのまま幽体に残っていて、死んだことに気付かないまま、地上時代と全く同じ生活を続けています」
 「勿論死後の世界でも罪を犯します。こちらの世界での罪悪は利己主義という罪悪です。こちらではそれが直ぐに外に現れます。心に宿すと、直ちに知れます。その結果も地上より遙かに早く出ます」
 「それは罪を犯した当人に直ぐに現れ、霊性が低下するのが分かります。どういう罪かと問われても〝自己中心的思考が生み出す罪〟と表現する以外、地上の言語で具体的に説明するのは困難です」

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