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カテゴリ:★『スピリティズムによる福音』 > スピリティズムによる福音 第16章

第十六章 富と神の両方に仕えることは出来ません

財産家の救い

強欲から身を守る

ザアカイの家でのイエス

悪しき金持ちの話

タラントの話

神意に従った富の使い方。富と貧困の試練

富の不平等

◆霊達からの指導

真なる財産

富の使い方

地上の財産への執着心を捨てること

財産の相続

財産家の救い

一、誰にも二人の主人に仕えることは出来ません。なぜなら、一方を愛し、他方を憎むことになるか、一方に親しんで、他方の気持ちを疎んじることになるからです。
(ルカ 第十六章 十三)

二、すると彼のもとに青年がやって来て言った、「善き師よ、永遠の命を得る為には何をすればよいのでしょうか」。するとイエスは答えて言われた、「なぜ私を善いと言うのですか。善いのはただ神のみです。永遠の命に入りたいのであれば戒めを守りなさい」。「どんな戒めですか」。青年は問い返した。「殺してはなりません。姦淫をしてはなりません。盗んではなりません。偽証をしてはなりません。父母を敬い、自分と同じように隣人を愛しなさい」。青年は言った、「私はそれら全ての戒めを守っています。それでもまだやらなければならないことは何でしょうか」。イエスは言われた、「もし完全になりたいのであれば、帰って所有するものを全て売り払い、貧しい者にそれらを与えれば、天における富を得ることが出来ます。その後来て、私について来なさい」。この言葉を聞くと、青年は多くの財産を所有していたので悲しくなり、去って行った。
 するとイエスは使徒達に言われた、「誠に言いますが、富んだ者が天の国に入ることは難しいことです。又、更に申し上げますが、ラクダが針の穴を通ることの方が、富んだ者が天に国に入るよりも容易なことなのです」。
(マタイ 第十九章 十六-二十四、ルカ 第十八章 十八-二十五、マルコ 第十章 十七-二十五)

注釈-この強いたとえの表現は多少強引であるようにも思えます。というのも、ラクダと針の間にどのような関係があるのか理解することが出来ないからです。実は、ヘブライ語のラクダという言葉は、綱(ロープ)という意味にも使われるのです。翻訳では、最初の意味で訳してしまっているわけですが、イエスは別の意味でこの言葉を用いたことが考えられます。少なくともその方が自然です。

強欲から身を守る

三、群衆の中のある者が言った、「先生、私の兄弟に相続した財産を分けるように仰ってください」。イエスは言われた、「おお、人よ。誰が私を、あなた達を裁き、あなた達の財産の分割をするように仕向けたのですか」。そして更に言われた、「いかなる強欲からも身を守るように注意しなさい。人が何に富んでいようが、その者の命はその者の所有する財産には関係がありません」。
 そこで続けて次のたとえ話を語られた、「畑が豊作だったある金持ちがいた。そしてこのように自分の中で思いを巡らせていた、『最早収穫物を蓄える場所がなくなってしまったが、どうすればよいだろうか』。そしてこのように言った、『私の穀物庫を壊し、もっと大きな穀物庫を建て、そこに私の全財産と全ての収穫物を保管しよう。そして自分の魂にこう言おう。魂よ、何年分もの食糧が沢山蓄えてある。安心して休み、食べ、飲み、楽しめ』。
 すると神はその者に言われた、『なんと気が狂ってしまったことか。まさに今夜あなたの魂を奪うであろう。そうしたら、あなたが蓄えたものは何の役に立つであろうか』。自分だけの為に富を蓄える者には、このことが当てはまり、そのような者は神の前には豊かではありません」。
(ルカ 第十二章 十三-二十一)

ザアカイの家でのイエス

四、エリコに入ると、イエスはその町をお通りになった。そこにはザアカイという名の、徴税官の頭で大変富んだ者がいた。彼はイエスと知り合いたくて、イエスがどんな人が一目見ようと望んでいたが、背が低かった為、群衆に遮られて見ることが出来なかった。そこで群衆の前へ走って行くと、そこを通られる筈のイエスを見ようと、いちじくの木に登った。イエスはそこへやって来られると目線を上の方へ向け、ザアカイを見ると彼にこう言われた、「ザアカイよ、早く下りて来なさい。今夜あなたの家に泊めてもらう必要があります」。ザアカイは直ちに木から下りると喜んでイエスをお迎えした。それを見て皆不満げに言った、「イエスは罪人の家に泊まりに行かれた」
(→序章 Ⅲ「パブリカン(徴税官)」)。
 ザアカイは主の前に出ると言った、「主よ、私は財産の半分を貧しい者に分け与え、なんであろうと、もし誰かから不正な取り立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。するとイエスは言われた、「今日この家には救いが来た。なぜなら彼もアブラハムの子供であるからです。人の子が来たのは、失われたものを尋ね出して救う為なのです」。(ルカ 第十九章 一-十)

悪しき金持ちの話

五、ある金持ちがいて、彼は紫の衣や高級な衣を纏い、毎日贅沢な生活を送っていた。また、ラザロという名の乞食がいて、その全身はできもので覆われており、金持ちの家の扉の前に横たわって、その家の食卓から落ちるパンくずでその飢えを癒そうとしていた。しかし誰もそれを与えてくれる者はなく、ただ犬がそのできものを舐めに寄って来るだけであった。
 さて、この乞食は死に、天使達によって、アブラハムのもとへ連れて行かれた。金持ちも死んだのだが、その墓場ば地獄であった。苦しみに遭っている時、目を上げると遠くにアブラハムとラザロが見えた。そこで金持ちは言った、「父アブラハムよ、私を憐れに思い、私の舌を冷やす為に指先を水で濡らしたラザロをこちらへ送ってください。この炎に包まれた苦しみは大変恐ろしいものです」。
 しかし、アブラハムは答えて言われた、「息子よ、あなたは生きている間に富を受け取り、ラザロは悪いものを受けたことを思い出しなさい。だから今彼は慰められ、あなたは苦しみの中にいるのです。又、私達とあなた達の間には永遠に深い淵が存在しており、それ故にここからそちらに行こうとする者はそちらへ行くことが出来ず、又、あなたのいる場所からは誰もこちらに来ることは出来ないのです」。
 金持ちは言った、「そうであるならば父なるアブラハムよ、お願い致します。ラザロを私の父の家へ送ってください。私には五人の兄弟がいますが、彼等がこの苦しみの場所へ来ることがないように、ラザロにこのことを警告して頂きたいのです」。アブラハムは彼に言われた、「彼等にはモーゼや預言者達がおり、その者達の話を聞くがよかろう」。「違います。父アブラハムよ。もし死者の誰かが彼等に会いに行けば、彼等は懺悔することでしょう」。アブラハムは答えられた、「彼等がモーゼや預言者の話を聞かないのであれば、たとえ死者が生き返ろうとも、その者の助言を信じることはありません」。
(ルカ 第十六章 十九-三十一)

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