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カテゴリ:★『スピリティズムによる福音』 > スピリティズムによる福音 第6章

第六章 救い主キリスト

軽いくびき

約束された救い主

◆霊達からの指導

真実の霊の出現

軽いくびき

一、苦しむ者、重荷を負っていると思う者は、皆私のところへ来なさい。私があなた達の苦しみを和らげてあげます。私のくびきを負い、私が心優しく、へりくだっているのだということを学びなさい。そうすれば、あなた達の魂は休まることが出来るでしょう。なぜなら、私のくびきは負い易く、私の荷は軽いからです。
(マタイ 第十一章 二十八-三十)

二、キリストが人類に教えてくれた通り、貧困、落胆、肉体的苦痛、愛する者の死など、全ての苦しみの慰めは、未来を確信し、神の正義を信じることによって受けることが出来ます。反対に、この人生の向こう側には何も期待せず、或はそれに疑問を持っている者の苦しみは、そうした者の上に重くのしかかってくることになり、その苦しさを和らげる望みは一切なくなってしまいます。このことが「疲れた者は私のところへ来なさい。私が疲れを和らげてあげます」とイエスに言わせたのでした。
 しかし、イエスは、イエスの救援と苦しむ者が幸せを約束される為の条件を決めています。その条件とは、イエスが教えてくれた神の法そのものです。イエスのくびきとはこの法を守ることです。しかしそのくびきは軽く、その法は優しいのです。なぜなら、その法は愛と慈善の実践を義務とする法だからです。

約束された救い主

三、もしあなた達が私を愛するなら、あなた達は私の戒めを守るべきです。私は父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の救い主をあなた達にお与えになります。その救い主がいつまでもあなた達と共におられる為にです。その方は、真実の霊です。世はその方を受け入れることが出来ません。世はその方を見ようともせず、知ろうともしないからです。しかし、あなた達はその方を知っています。その方はあなた達と共におり、あなた達の内におられるからです。
(ヨハネ 第十四章 十五、十七)

 しかし、救い主、即ち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなた達に全てのことを教え、又、私があなた達に話した全てのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ 第十四章 二十六)

四、イエスはもう一人の救い主の出現を約束しています。それは、当時の世界がまだ知ることの出来なかった真実の霊です。世界はそのことを理解するにはまだ未熟であったのです。神は全てのことを教え、キリストが述べたことを思い出させる為、真実の霊を送るのです。真実の霊が、後になって全てを教える為に現れるということは、イエスは全てを教えることが出来なかったことになります。キリストが述べたことを思い出させる為に出現するということは、イエスの教えが忘れられてしまったか、或は間違って理解されてしまったからです。
 スピリティズムは決められた時代にキリストの約束を守る為に現れました。真実の霊がその確立を指導しています。彼は人間に法を守ることを呼び掛けています。キリストがたとえ話でしか話さなかったことを理解出来るよう、全てを教えてくれています。キリストは「聞く耳を持つ者が聞きなさい」と言いました。スピリティズムは目や耳を開く為に現れました。なぜなら、スピリティズムは偶像や装飾を通じて話すのではないからです。意図的にベールで覆われた神秘の謎を解き明かしてくれ、地上で見放された者や苦しむ者全てに、全ての苦しみには正当なる理由と有益な目的があることを示すことによって、最高の慰安をもたらしてくれるのです。
 キリストは「苦しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」と言いました。しかし、なぜ苦しまなければいけないのかを知らされずに、どうして苦しむことにより幸せになることが出来るでしょうか。スピリティズムは、その理由が過去の人生と、人類が過去の償いを行う場所としての地球自体の行方の中に存在するということを明らかにしています。また苦しみの目的とは、療法となる有益な手段となり、未来の人生における幸せを得る為の浄化の手段となることであると示しています。人間は自分が苦しむに値することを理解し、苦しみを正当であると認めることが出来るようになります。その苦しみが自分の進歩を助けることを知っているので、報酬を約束された労働に取り掛かる者のように、不満をこぼすことなく苦しみを受け入れることが出来るのです。スピリティズムは、未来に対する揺らぐことのない確信を人間に与え、それによってその魂からは疑いの余地さえ失われてしまいます。人間に物事を高い視点から見下ろすことを教えてくれ、地上での盛衰の重要性など、スピリティズムの示す光輝く広い地平線の彼方に消え去ってしまうのです。そして未来に待つ幸せへの希望は、道を最後まで歩み続ける為の忍耐、甘受の気持ち、勇気を人間に与えてくれるのです。
 このように、人間がどこから来て、どこへ向かい、そしてなぜ地球上に生まれたのか教え、真なる神の法の原理を思い出させ、信仰と希望による慰安を与えてくれることによって、スピリティズムはイエスが約束した救い主を現実のものとしてくれるのです。

霊達からの指導

真実の霊の出現

五、
かつて道に迷えるイスラエルの民に真実をもたらし、闇を払おうとした時と同じように、私はやって参りました。私の言うことを聞いてください。私の言葉が過去においてそうしたように、スピリティズムは無神論者達に、彼等の頭上には普遍の真実、すなわち、草花を芽生えさせ、波を起こす善なる神、偉大なる神が君臨しているのだということを教えなければなりません。私は神の教義を示し、又、それを収穫する者として、人類に散らばった善を束に纏め、「苦しむ者よ、私のところへおいでなさい」と申したのです。
 しかし、恩知らずな人達は、私の父の君臨する国へ繋がる広く真っ直ぐ延びる道から外れ、険しい不信仰の小道に迷ってしまったのです。私の父は、人類を全滅させようとしているのではありません。父は、あなた達が、生きる者も死ぬ者もお互いに助け合い、救い合うことを望んでいるのです。死ぬ者とは、肉体の死んでしまった者のことです。なぜなら死は存在しないからです。そして、預言者や伝道者に耳を傾けるのではなく、地上に最早存在していない者達がこう叫ぶ声を聞いてください。「祈り、信じなさい。死とは生き返ることです。人生とは選択された試練なのです。その試練の中であなた達の耕す美徳というものが、杉の木が伸びるように育ち、発展するのです」。
 弱く、自分の知性の闇を知っている者は、温厚なる神が手渡してくれた灯を遠ざけてはいけません。その灯はあなたの道を照らし、迷える子供達をその父親の懐へ導いてくれるのです。
 あなた達の惨めさや、又、天国を見上げながら過ちのどん底に落ち、道に迷ってしまった不幸な者達に手を差し伸べようともしないあなた達のあまりの弱さに、私は深い同情を抱いています。あなた達の目の前で明らかにされることを信じ、愛し、熟考してください。良い種と悪い種とを混ぜてはいけません。夢想と現実とを取り違えてはいけません。
 スピリティズムを学ぶ者よ、お互いに愛し合いなさい。これが最初の教えです。自分を教育しなさい。これが第二の教えです。全ての真実がキリストの教えの中に存在します。キリスト教の中に根付いてしまった過ちは、全て人類が生み出したものなのです。ですから、あなた達が何も存在しないと考えていた墓の向こうから、あなた達に向かって訴えてくるのです。「兄弟達よ、何事も消滅するものはないのです。イエス・キリストは全ての悪に打ち勝ったのです。あなた達は、不信仰に打ち勝たねばならないのです」と。(真実の霊 パリ、1860年)

六、私は、可哀想な、見捨てられた貧しい者達を慰め、教える為に参りました。あなた達の甘受の気持ちを試練のレベルまで引き上げよと伝えに来たのです。あなたの痛みはオリーブの園にて神聖なものとされたのですから泣いてもよいのです。泣いて、待てばよいのです。慰安の為の天使達が、あなたの涙を拭きに来てくれるからです。
 働く者達よ、あなたの道のりを計画してください。前日の厳しい道のりを、再びその次の日も歩み続けてください。あなた達の手によってなされる労働は、あなた達の肉体に地上の糧を与えてくれます。しかし、あなた達の魂も忘れられてはいません。なぜなら神聖なる庭師である私は、あなた達の思考の静まっている時、あなた達の魂の手入れを行っているからです。あなた達の休む時間がやって来てその日の日課から解放され、目をその日の光に対して閉じた時、私の蒔く貴重な種があなたの中で芽生えるのを感じることが出来るでしょう。私達の父の国では、何も失われるものはありません。あなた達の汗、あなた達の苦しみは、より進んだ世界においてあなた達を豊かにしてくれる宝となるのです。その世界では、光が闇に取って代わり、あなた達の中で最も質素な者がきっと最も輝かしくなるでしょう。(真実の霊 パリ、1861年)
 誠に言います。自分達の重荷を背負い、その兄弟達を助ける者達こそが私の愛する者達です。反抗による過ちを消し、人間の試練の崇高なる目的を教えてくれる貴重な教義をもって自分自身を教育してください。風が吹いて埃を追い払うように、霊達の一吹きによって地上の富を得た者達に対するあなた達の羨みが吹き飛ばされて行きますように。地上の富を得た者達とは、大抵最も惨めな者達であるのです。なぜなら、彼等の試練はあなた達の試練に比べて、より危険であるからです。私はあなた達と共にあります。私の使徒達はあなた達に教えます。愛の生きた泉に愛を求めてください。人生に拘束された者達よ、あなた達の完成の為にあなた達を弱く造られた者の下へ、いつの日か、自由と喜びをもって向かって行くことが出来るよう、その準備をしてください。造形し易い粘土を自分達の手で形作り、自ら不滅の自分をつくり上げることを神は望まれているのです。(真実の霊 パリ、1861年)

七、私は魂の医者です。あなた達を必ず治すことの出来る薬を持ってきました。弱い者、苦しむ者、病にかかった者は私の特に愛する子供達であり、私は彼等を救いに来たのです。私のもとにおいでなさい。苦しみ、悩むあなた達は皆、慰められ、楽になることが出来るのです。別の場所に力と慰めを求めてはなりません。なぜなら、この地上の世界ではそれを与えることが出来ないからです。神はスピリティズムを通じて、あなた達の心に最高の救いを投げかけてくれるのです。耳を傾けてください。無慈悲、偽り、過ち、不信心があなた達の痛ましい心から根絶されますように。こうしたものこそがあなたの血液の純粋な部分を吸い上げ、あなた達を殆ど死にまで至らせる傷を負わせる怪物なのです。未来において、創造主に慎ましく服従することが出来るように、神の法を実践してください。愛し、祈ってください。主より送られて来る霊達の教えを、素直に受け止めることが出来ますように。神を心の底から呼んでください。そうすれば、主はあなた達に素晴らしい言葉を伝え、教授してくれる、神の愛する子を送ってくれるでしょう。私はここにいます。あなた達が私を呼んだので、私はここにいるのです。(真実の霊 ボルドー、1861年)

八、神は慎ましい者達を慰め、神の力を嘆願する苦しむ者達に力を与えます。神の力は地球上の全ての場所に及び、流される一つ一つの涙の側には慰安の薬を用意してくれています。自己を犠牲にし、献身して生きるということは、途絶えることなく祈っているようなものであり、そこには深い教えが含まれています。人類の知恵はこの二つの言葉の中に生きているのです。痛みや道徳的な苦しみに対し、不平を訴えるのではなく、それらが地上で生きる為に与えられた分け前であるという真実を、苦しむ霊達が理解することが出来ますように。献身と自己犠牲-これらの二つの言葉を標語として掲げ、強く生きてください。なぜならこれらの言葉には、慈善と慎ましさを実践するのに必要な全ての義務が込められているからです。義務を果たすことが出来た時の達成感は、あなた達の心に平安と甘受の気持ちを与えてくれます。心臓はよりよく響き、魂は落ち着き、肉体は衰弱しなくなります。だから、霊が深く痛めつけられる程、肉体は同じように苦しむのです。(真実の霊 ルアーブル、1863年)

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