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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 自由の法

霊の書 自由の法 目次

自然の自由

奴隷制度

思想の自由

意識の自由

自由-意志

運命

予知

人間行為の起源について

○自分は完全に自由であると思えるような地位がありますか。
「ない。ピンからキリまで、全ての人は相互の存在を必要とするから」

○人間はどんな生活をすれば、完全な自由の状態に入りますか。
「砂漠の中の隠者ならば。二人の人間があって、相手が目に入れば、その瞬間に相互の権利とか義務とかの関係が生まれて、もはや絶対の自由というものは存在しなくなる」

○他者の権利を尊重する義務があれば、自分の権利は消えますか。
「そんな事はない。人間には生得の権利というものがある」

○口では自由を唱えても、実際は、家の中でも部下に対しても専制的である、この二つはどう繋がりますか。
「彼等は知性では自然法を知っているが、気持では高慢や利己と繋がっているのだ。自由の主張が偽りでない時は、彼等は何を為すべきかは分かっている、だが実行しないのである」

○人が人の財産となることが、本来あるのでしょうか。
「人が他人に絶対服従するなどは、神法に反する。奴隷制度は力の誤用である。それは漸次進歩と共に消えよう、その他の誤用が全て消えていくにつれて」

○奴隷制度が既に人間の制度として成立している場合、この制度で利益を得る人達は、この制度を黙認していることで、非難に値しますか。
「悪いものはいつだって悪い。どんなに上手くこじつけても、悪行を善行に変えるわけにはいかぬ。しかし、悪行の責任は加害者がどんな考えでそれをやっているか、これに比例する。奴隷制度で利益を得る者は、自然法を破る罪を負う。但し、何事もそうだが、この場合もその罪は相対的なものだ。奴隷制はある民族に端を発している。人々はこれを悪とは思わず、全く自然なもののように思って、これを利用してきた。だが、理性の進歩、キリスト教の教えの弘布によって、彼等は奴隷も神の目からは自分達と同じものだということを悟った。その時、彼等は弁解の余地を失った」

○生得の資質の不平等の故に、ある民族は知的に進歩した他の民族の支配下に、置かれるのではありませんか。
「左様である。知的に進んだ民族がこれを向上させる為にである。但し、これを隷属して更にけものに近付ける為ではない。長期にわたり人間は、人間を、腕と手を使って働く動物であるかのように、また、彼等を役獣のように売買する権利が自分達にあるかのように、信じてきた。人間は自分達を清浄な血をもつ者と思い込んでいる。愚か者よ、物質しか目に映らぬ愚物!清浄なものは血ではない。霊、これであるぞ」

○自分の奴隷を人間的に取り扱う人達がいます。彼等は奴隷に不足のないようにしてやり、また彼等はこう考えています。奴隷を自由にしたらたちまち飢えてしまうと。このような者達をどうお考えですか。
「左様さな、彼等は奴隷を手酷く取り扱う者達よりは、自分の財産に良い判断を持っている。彼等は自分の牛や馬にも同様の配慮をしている。市場で良い値がつくようにな。彼等は悪い奴隷主ほど罪深くはない。しかし、彼等は奴隷の権利を奪い取っている、奴隷を商品として取り扱っているのと少しも変わりはない」

○人間には、拘束を逃れても、自由の天地に遊ぼうとする何かがあるのですか。
「ありますな。思想の中で限りない自由を楽しもうとしておる。思想活動は妨害を受けるが、それは根絶やしにはならぬ」

○人間は自分の思想に責任がありますか。
「人間は神に対して、自分の思想の責任を負う。神のみが思想の審理者、その正義に照らして、これを罪ありとし、または許す」

○意志の自由は思想の自由の当然の結果でしょうか。
「全て思想はそうであるが、意識とは人間に備わる内的な想念である」

○意識の自由に防壁を立てて疎外する権利が人間にありますか。
「それは思想の自由を阻害すると同じ事、神のみが意識を裁く権利を持っておいでなのだから。もし、人間が法律で人と人との関係を規制するなら、神は自然法によって、神と人間との関係を規制なされる」

○意識の自由に反対して妨害することの効果は何でしょうか。
「考えてもいない行為をさせぬこと、偽善者を作らぬこと。意識の自由は真実の文明や進歩の特色の一つである」

○真面目な信仰は、それが間違ったものでも、尊敬に値しますか。
「真面目なものなら、また善行の実践に導くものなら、それは敬意を表すべきだ。良くない信仰とは、悪行の実践と結び付くものである」

○自分の信仰と違うからといって、悪く言うのは誤りですか。
「それは愛に反する行為であり、思想の自由をも犯す」

○社会の為に良くない信仰を妨害することは、意識の自由を犯すことになりますか。
「諸君に出来るのは行為を抑えることだけ、信仰は近付き得ぬもの」

○意識の自由に対する尊重から、有害思想の普及を黙認すべきですか。また、その自由を侵害しないようにして、間違った原理の為に道を誤っている人々を、真理の正道に引き戻すようにすべきですか。
「勿論、そうしてよいだけでなく、そうするべきである。ただ、イエスの範に従って、優しさと説得をもって、また力に頼ることなしで。力は諸君が説得したいと望む人達の悪い信仰よりも、更に悪いもの。確信は暴力によって植え付けることは出来ない」

○どの主義も自分こそ真理の唯一の表現であると申しています。私達は何によって、それがホンモノであるかどうかを見抜けますか。
「最善なるものは、偽善者を作ること少なく、真実に有徳の士を沢山生み出すもの、これである。即ち、愛の法を心を込めて、また限りなく広く実行する人々、これを生むものである。真正の教えのしるしとはこれである。何となれば、神の子等に分裂と垣根を作る教えは、まやかしと有害の類以外の何物であり得ようや」

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