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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 平等の法

霊の書 平等の法 目次

自然の平等

資質の不平等

社会的な不平等

富の不平等

金持ちと貧乏の試練

男女の同権

死の平等

○神の目よりして、全ての人は平等なのですか。
「その通り。全ての者は同じゴールに向っている。神はその神法を、誰にとっても等しく良いものとして、創っておいでになる。諸君等はこう言う『太陽は全ての人に輝いている』と。この言葉の中には、真理が諸君等の考える以上に、広大で普遍的であるという意味が語られている」
〔注解〕人はすべて、同じ自然法の働きに従っている。すべて人は同じ弱さを持っている、同じ苦を背負っている。金持ちも貧乏人も死ぬことは同じである。人間の生と死、誰一人特権もなく、等しく神は創っておいでになる。神の目の中で人は平等である。

○神はなぜ人に同じ資質を与えられなかったのですか。
「霊は全て等しく神によって創られている。しかし、ある霊は多くの生存を重ね、他の霊は少ない生存の経験しかもっていない。この結果、過去の生存で得た発展に差が出ている。これらの相違は経験の差であり、意志の鍛錬の差である。この意志の鍛錬いかんが本人の自由いかんとなり、霊によってはその為迅速な進歩をする者もある。諸君の目にする資質の多様性とはこれである。この資質の多様性が必要なのである。各人がその体力と知力の発展限度内で、神の計画を上手く果たしていく為に。甲のできない事は乙がする、このように各人が自分の持ち味を全体の仕事に生かすのである。それだけでなく、この宇宙の全ての世界は、連帯によって結ばれているのであって、諸君に先例を示す為には、諸君より先輩の高次世界の住人達が地上に来て住む、その必要もあるのである」

○霊が高次の世界から低次の世界へ移る場合、従来獲得していた能力は、完全にもったままですか。
「そうである。前に申したように、進歩している霊が退化するということはない。彼は肉体を付ける時に、前回よりも、更に感度の悪い肉体を、或いは不安定な肉体を選ぶかもしれぬ。しかし、これというのも全て新しい教訓の為、未来の進歩の一助の為、ここに結び付く」
〔注解〕人間の資質の多様性は、上述のように、人間の創造の差異によるものでなく、霊の受肉経験によって得られる発展の程度の差異によるものである。神は人間の能力を不平等に創造されたのでなく、発展の程度の違った霊が集まり交流するようになされたのである。進歩した霊が遅れた霊を助けるように、また、全ての者が相互援助を経つつ、人を一つに結び付ける愛の法の実際の理解に至るようにと、その為である。

○社会的状態に不平等があるのは、自然法によるのですか。
「いや、これは人間の作り出したもの、神の仕業ではない」
-この不平等は最後には消滅しますか。
「不滅なものは、神法の外にない。諸君は見ないのか、その不平等が少しずつ、日毎に消えていっているのを。諸君の現在の不平等は、高慢と利己の消滅と共に消えていこう。なお残る不平等は、長所の相違のみであろう。やがて次のような日が来よう、神の大家族は成員達は誰も、自分が良い血統の出だと言う者はいなくなるということ。良い血統とは霊にのみ言えることで、社会的地位によるものではないのである」

○社会的地位を悪用して、自己の利益の為に弱者を圧迫する者達を、どうお考えですか。
「その者達は呪われるべき者達である。悲しみこそ彼等の辿る運命。と申すのは、彼等にその抑圧が戻ってこよう。彼等が人を苦しめた、その同じ苦しみが自分のものとなる、その状態に彼等は再生しよう」

○富の不平等とは能力の不平等ではありませんか。能力が違いますと、富を手に入れる能力の違いとなってきますから。
「そうであり、そうではない。又、悪行であり、強奪でもあるか?あなたはこのことを何と考えなさるか」
-しかし、遺産は悪意の成果ではありませんか。
「どうしてそうだと言うのかね。その源を尋ねれば、それが必ずしも純なものかどうか、お分かりだろう。そもそもの初め、それは奪ったもの、ないしは不正の成果、そうではないと言えるかな。しかし、その初めが悪かったなどと言わないことにしても、富を追い求めること、それが真面目な追求の場合でも、それを早く手にしたい心の奥底の願い、それが褒めてよい心持だとお考えか?これは神の裁き給うところ。神の裁きはこの者の思うところよりも、しばしば厳しいものである」

○財産というものが、その源はよろしからぬ入手であるとしますと、これを相続した者はその責任を負っていますか。
「いや、他者の為した誤り、本人の関わり知らぬその事には、本人は何の責任もない。しかしながら、次の事を心得られよ。財産が特定の人に譲られるということは、不正の償いをその者にする機会を与える、そういう目的の為だけに譲られることがよくあるのだ。このことの納得がいけば、その本人には幸福がある。もしこの償いを、不正を為した人間の名においてするなら、その償いは両人の為となる。何となれば、この事を仕組んだ当の人物は後者、不正の源となった人物のことがよくあるから」

○法を犯していなければ、財産は概ね公平に配分するでしょう。我々は自分の行った財産の配分に、死後になって、責任があるということなのですか。
「種子の中にその果実はある。善行の果実は甘く、その他の果実は実に酸っぱい。この事は変わらず-心得ておかれよ」

○富の平等は可能なことですか。これまでにそんな事がありましたか。
「いや、可能ではない。能力や個性の相違の為にそれはそういかなくなる」
-そうですが、中には、社会の病気は全部救済できると信じる人々がいますが、いかがですか。
「そのような者は組織作りの職人、又は野心や嫉妬心で動かされている者達である。彼等が夢想する平等はたちまちに打ち倒されるもの、それは物事の勢いである。彼等はこの事が分かっていない。利己と闘いなされ、これが諸君等社会のペスト菌である。そして決して妄想を追わぬことだ」

○もし富の平等は可能でないとしても、幸福という面では同じなのでしょうか。
「いいや、だが幸福とは相対的なものであって、人は自分の中で納得するものがあると、それで充たされるものだから。つまり、真の幸福とは、各々の性向に適ったその人の時を持つということで、本人にとり気に食わぬ事に掛かり合うことではない。また、各人は別々の資質を持つのだから、色々な事の中に価値あることが見出されよう。平等とは万物の中に存在する。これを壊しているのは人間である」
-お説のような理解に、皆が立つことが出来ましょうか。
「正義の法を行うようになれば、人はやがてそうなる」

○自己の欠陥が原因で、困窮したり不幸になったりする人がいます。こういう人々に社会は責任はないのですか。
「責任はある。前に申したように、社会はそのような失敗の根源的原因であることが多い。またそれだけでなく、社会はその全成員の精神的教育に目を光らせておく義務がありはせぬか。社会は成員の悪い傾向を正すどころか、誤った教育でしばしばその判断を狂わしておる」

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