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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 進歩の法

霊の書 進歩の法 目次

自然状態

進歩の行進

退化する民族

文明

人間の法律の進歩

進歩に対する心霊主義の影響

○自然状態と自然法とは同じものですか。
「いや、自然状態とは原始の状態である。文明と自然状態とは相矛盾したもの、これに対し、自然法は人類の進歩に寄与するものである」

○自然状態の人間は、それ程の不足もなく、文明が進歩すれば生まれる嫌や事もありません。原始状態は地上にあり得る最も恵まれた状態だと、こういう意見がありますが、いかがですか。
「そのような幸福はけだものの幸福である。ところがそうではないと思っている人々がいる。それはけだものにならった幸福状態である。子供達もまた大人よりは幸福なのである」

○人類が自然状態に退化するということがありますか。
「ない。人類は絶えず進歩を続けねばならない。故に、幼年状態に戻る筈がない。もし、人間が進歩せねばならぬものなら、それは神がそのように望まれるからだ。この人類を原始状態に退化するなどと思うこと自体、進歩の法の否定となろう」

○人間の内部には、進歩の行進をそそる力があるのですか。それとも、教育の成果が進歩となって現れているのですか。
「人間は自然にひとりでに進歩するもの。しかし、全ての人が同じ歩調で進歩するのでなく、また進歩の方法も同じではない。このことはまた、進歩をすれば、社会的接触を通じて、他者の進歩に役立つ、そういう具合になっている」

○精神の進歩は、知的進歩に従って起こるのですか。
「精神の進歩は知的進歩の結果である。しかし、必ずしも直ちにそうなるとは限らない」
-知的進歩から精神の進歩へと、どうすれば繋ぐことが出来ますか。
「善悪の弁別がつくようになればよい。そうなれば、しっかりこれを見分ける。自由意志が進めば知性の進歩を来たし、人間行為についての責任感は増大する」
-それでは、最も開化した国民が最も堕落していることがありますが、これはどうですか。
「生存の目的は、完全な進歩を遂げることにある。しかし、個人の場合と同じく、国民もその進歩は歩一歩である。彼等に道義心が開発されるまで、彼等はその知性を悪に使っているかもしれぬ。道義心と知力は二つの力であって、長い道のりの末均衡に到達する」

○人間は進歩の行進を止める力をもっていますか。
「ない。しかしながら、進歩を妨害する力を発揮することがある」
-進歩の行進を阻止しようとする人々がいます、また人類を退歩させようとする人達がいます。これはどうお考えですか。
「彼等は極めて哀れな弱者である。神は彼等をこらしめられるであろう。彼等は彼等が阻止しようとした奔流によって押し流されるであろう」

○進歩に対する見解の相違から、本人は真面目に努力しているつもりでも、実は進歩を阻んでいる、そういう人々はいませんか。
「いる。大きな車輪の下に小石を挟んで押してる者達。しかし、車は一向に進まない」

○人類の進歩は遅々たるものですか。
「物事の力からして止むを得ぬことだが、進歩は絶えずゆっくり進行している。しかし、進歩が思うよう進まぬ時も、神は絶えず進歩への配慮をなさっている。物理的にも精神的にも刺激を与えて、変化を与えておいでになる」

○人間の強情たるや大変なものです。ですから、進歩どころか、少なくとも精神的には、退歩しているように見えませんか。
「いや、貴方は間違っている。全体として人類を眺めてみなされ、さすれば、進歩していることが目に映ろう。人類は何が悪であるか、これが前よりも分かるようになってきた。また毎日、悪弊の改善を目にすることが出来る。悪の行き過ぎがあれば、諸君の目には、善の必要また改善の必要性が、見えるであろう」

○進歩の最大の障害とは何でしょうか。
「自惚れと利己主義。これは精神の進歩の場合である。と申すのは、知的進歩は日々進んでおり、これは一寸見には、野心と金銭欲で自惚れと利己主義を倍加するように見えるが、しかし、これら悪徳はかえって精神を開明する探究心をそそるものでもある。とにかく、全てのものは一つに繋がっている、物理的世界だけでなく、精神の世界においても。そして善は悪からすら生まれるものであるから。しかし、上記の状態は暫くの間だけで、やがて状況は変わる、地上的享楽の枠を越えて、無限に偉大にして更に永続する幸福があることに、人々が気付くようになる時に」
〔注解〕二種類の進歩がある。それは互いに助け合う関係にありながら、並んで進歩することはない-それは知的進歩と精神の進歩である。開化した国民の間では、今日では、知的進歩が着々と進んでおり、それ故、過去の時代には思いもよらぬ進歩の段階に到達している。精神の進歩の方は、その同じレベルからはなお遠い段階にある。しかし、数世紀を隔てた社会慣習を較べてみれば、精神の面でも進歩のあったことを認めざるを得ない。何故、精神の面で、知的面以上の進歩は起こらないとしなければならぬのか。何故、十四・十九世紀の間と同じ程の大きな進歩が、十九・二十四世紀の間にあってはいけないのか。精神の絶えざる進歩を疑うことは、人類は完成の頂上に到達したなどと馬鹿なことを思ったり、或いは、人類は精神的には完全になり得ないなどと、経験上からも否定されるべきことを思ったりすることではなかろうか。

○歴史を見ますと、国民性をぶち壊す打撃があって、多くの国民が野蛮に逆戻りしています。このような場合には、どんな進歩があったのでしょうか。
「自分の家が今にも倒れそうな音を立てたら、諸君は家を壊して、別のもっと頑丈で使い易い家を建てる。しかし、それが建つまでは、不便で混乱状態が続く」
「また、次のことを理解されよ。人は貧しければ小屋に住む。富めば小屋を捨てて、宮殿に住む。すると、以前のその人のような貧しい哀れな者がやって来て、その人が捨てた小屋に入る。彼はそれ以前は宿無しだったのだが、この移動で家持ちとなる。上記の事から次のことを知りなさい、諸君のいわゆる退化した国民に今宿っている霊は、以前の盛時の国民をつくっていた霊ではない。進歩していたそれらの霊は、更に高級な住居に住む為に去り、進歩を遂げた。代わって、未熟な霊達が空き家に入ったのである、これらの霊達もまたいつの日か、家を空けることになる」

○その本質の点よりして、進歩の可能性のない民族はありませんか。
「ある。彼等は日毎に此の地上から絶滅の方向に向かっている」
-これらの民族を賦活させる魂達、その未来の図は如何なものでしょうか。
「これは全く別の魂達である。彼等は別の世界の経験を経て成熟した形でやって来る。神は誰からも後継者を奪い給うことはない」
-最も文明開化した人達も、元は野蛮人、人食い人種だったかもしれないのですね。
「諸君も左様なものであった、一度ならず、今日のようになる以前はな」

○どの民族も、個人の集合体です。それは個人と同じように、幼年・成年・老衰の過程を辿ります。これは歴史的にもその通りで、今日最も進歩した民族は、古代の進歩した民族と同じく、やがて衰退と終末の日を迎える、こう考えられませんか。
「肉体的にのみ生きている民族、つまり、勢力と領土拡張の面だけが偉大な民族は、生まれ、育ち、そして滅亡する。その民族の力が、人間の力と同じように消耗されるからである。自分に都合のよい法を振り回し、進歩と愛に敵対する民族は滅亡する。何となれば、光明は闇を破り、愛は利己を制するからである。しかしながら、個人と同じく、国民の為にも、魂のいのちというものが存在する。その国の法が永遠なる神法と調和している、そういう国民は生き残り、他国民を導く松明となる」

○進歩の暁、地上の民族は一つとなりますか。
「いや、一国民とはならない。これは不可能。と申すのは、気候が違えば習慣も欲求も違ってきて、違った国民性をつくる。その違いの故に、それに応じた法が必要となり、ここに別個の慣習と欲求をもつ国民が形成される。しかし、愛に国境はなく、皮膚の色の差別をしない。神法があらゆる地域で人間の法の基盤であれば、愛の法が国と国の間、人と人の間に行われよう。その時平和と幸福がある。その時なに人も隣人を犯すことなく、なに人も他者を犠牲にして生きることをしないからである」

○人類の文明は、進歩していますか、それとも一部の哲学者の言うように退歩していますか。
「進歩しておる、但し不完全であるが。人間は唐突に、幼児から熟年にはならぬ」
-文明の罪ということは、当を得ていましょうか。
「神の御業をあげつらうより、文明を誤用する者達の罪をあげつらうべきである」

○文明は最後には浄化されましょうか。文明故に生まれた悪が消滅していくほどに。
「そのようになる、人間の精神性が知性ほどに発展を遂げた暁には。実がなるのは花が開いて後である」

○文明は何故に、その可能性としてもっている善なるもの一切を、早急に花開かないのですか。
「人間が未だその善いものを、受け入れるに足るほどの、準備が出来ていないからである」
-それはまたこうではありませんか、文明が新しい方向を指向すると、新しい感情がそそられるということで。
「左様でもある。また、霊がもっている能力は全て一緒に開花するのではない。事には全てその時がある。なお未完の文明より、完熟した果実を期待するわけには参らぬ」

○文明が最終の点に達した時、何によってそれを知り得ますか。
「精神の進歩によってそれが分かる。諸君は自らかなり進歩を遂げたと信じている。それは偉大な発見、素晴らしい発明を成し遂げているし、また住む家も衣類も未開人に比してぐっと良くなっているから。しかし、諸君が自らを「文明人」と呼べるのは、その社会から不名誉な悪徳を消した時、隣人愛を実践して皆が兄弟となった時である。それまでは、諸君らは単に開化した国民、文明の第一局面を横切った人々、それにすぎぬ」

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