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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 社会の法

霊の書 社会の法 目次

社会生活の必要性

孤独の生活

家族-縁

○社会生活は自然を基盤としていますか。
「まさにそうである。神は人間を社会生活を営む者として創られた。神は人間に言葉の能力と、相互関係に必要な諸能力を与えられた。この事に目的がないわけではない」

○絶対孤独の生活は、自然の法に反しますか。
「左様、人間が本能的に社会を求める限り、人間が相互に助け合って進歩していこうと思う限り」

○人間は社会を求めますが、それは個人の気持が求めるのですか。それとも、この個人感情の中に、神慮の目的が潜んでいるのですか。
「人間は進歩せねばならぬ。しかし、それは一人では出来ない。個人にあらゆる能力が備わっているわけではないので、他者との接触が必要となるからである。一人っきりでいると、人間は禽獣となり、また色あせてしまう」

○社会生活上の趣味嗜好は、自然を基盤としたものでなければなりません。これはどんな趣味や好みの場合もそうですが。独居生活は、本人は満足でも、そのような趣味は非難されますが何故ですか。
「そのような満足は利己的な満足に過ぎない。飲酒に満足して浸りきっている者がいるが、諸君はこれを是認するかな。誰の役にも立たぬ生活の仕方は、神を喜ばせることは出来ないのではないか」

○世俗の害毒を逃れ隠遁生活をする人達がいますが、どうお考えですか。
「このような生活には二重の利己がある。彼等は悪から逃避している。また、その為に他の悪にはまり込んでいる。即ち隣人愛の法の失念、これである」
-しかし、このような隠遁が罪の償いの為なら、つまり欠陥をもった一つの魂に課された罪滅ぼしなら、価値があるのではないですか。
「最もよい罪滅ぼしとは、過去に犯した悪にまさって、出来る限りの善を行うこと、これである」

○不幸な人々の救済に献身する為、世を捨てる人達をどうお考えですか。
「彼等は進んで身を卑しくすることで、自己を高めている。彼等には二重の価値がある、一つは物的享楽から超然とすること、他は労働の法を守って善行を積んでいること」
-何か労働はするとしても、静隠を求めて隠遁をする人達、これはいかがですか。
「そのような動機から隠退する者は利己的ではない。彼等は社会から遊離してはいない、彼等の労働が一般の善に役立つ限り」

○古い時代から、ある宗派では沈黙の誓いを定めています。これはいかがですか。
「諸君のお尋ねは、話をすることは自然にかなうことか、神は何故これを与えられたか、ということであろう。神はお与えになった能力の誤用を咎め給う、その使用ではない。しかしながら、沈黙は有用である。それは、沈黙において人は深く自己自身となる、つまり、その者の霊は自由となり、我等との繋がりが一層強まる。しかし、沈黙の誓いは愚かである。このような沈黙の行を、道徳的な行為とする人々は、善意でこれに従っているのだろうが、しかし彼等は誤りを犯している。彼等は神法の何たるかを真に理解していないのだから」
〔注解〕沈黙の誓いは、孤独の誓いと同じで、人間から社会的な関係を奪い取ってしまう。人はこの社会関係によって、善を為したり、進歩の法を完遂する機会を持つことになるのである。

○動物の中には、子供が親の保護を必要としなくなると、親子が互いを忘れてしまうものがあります。これは何故ですか。
「動物の生活とは物質的な生活であって、精神的生活ではない。母親の子に対する愛は、自分から生まれたものへの自己保存の本能、これのなせるわざである。子が一人立ち出来るようになると、母親の仕事は終る。自然もそれ以上の事を要求しない。そこで母は子を捨て去り、自分の次の仕事に没頭する」

○動物の親が子を捨てることから、次のように推断する人達がいます。人間の家族の結び付きは、大自然の法ではなくて、単に社会的習慣の結果に過ぎないと。これをいかにお考えですか。
「人間の歩む道は動物の道とは違っている。なぜ人間は動物と人間を一緒くたにしようとするのか。人間には物質への欲求以上の何かがある、即ち、進歩への渇望、これである。社会的結合、これは進歩に必要。そして家族的結合によって、社会的な結合が深められていく。この故に、家族の縁は自然法である。神は望み給うた、人間達が家族を通じて、同胞として互いに愛し合うことを学ぶようにと」

○家族の結び付きが弛めば、社会にどんな影響が及びますか。
「利己主義の退化である」

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