死にたい自殺サイト自殺方法自殺ダメ

当サイトは、死にたい人に自殺に関する霊的知識を与えて、自殺を止めさせる自殺防止サイトです。

自殺の霊的知識へ

カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 魂の開放

霊の書 魂の解放 目次

睡眠と夢

生霊間の交通

思想伝達

昏睡・硬直・死

夢遊病

没我状態

千里眼

夢遊病・没我状態・千里眼の解説

○受肉の時、霊は自分の意志で肉体をまとうのでしょうか。
「その問いは、囚人に、自分から進んで牢獄に繋がれているのかと、問うのと同じことである。受肉した霊は絶えず解放を願っている。肉体の衣が鈍重であればある程、それから解消を求める気持は強い」

○睡眠中、魂は肉体と同様に休息をしますか。
「いいえ、霊は少しもじっとしていない。睡眠中には、肉体に霊を結び付けている鎖が弛められる。この間、肉体は霊の存在を必要としないので、霊の方はあちこち空間を歩き回り、他の霊達と直接交流をする」

○睡眠中は、霊が自由になっているという事実を、私共はどうやって知ることが出来ますか。
「それは夢によって分かる。肉体の睡眠中に、霊は、覚醒時には気付いていない能力を発揮しているのである。過去を思い出す、未来を予見することもある、力量がいっそう増しているので、この世やあの世の諸霊と交流することも出来る。
諸君はこう言うことがある「おかしな夢を見たよ、この世とも思えぬ怖い夢を」と。その見方は間違っている。その夢とは、過去生で見た事物や場所を思い出している事がしばしばだし、又、次の世界で、ないしは未来のこの世で見るものを予見していることもあるのである。肉体の方は活動を停止しているので、霊は鎖を断ち切ろうとする。そこで、過去や未来に入り込んで、やりたいことをやろうとするのである。
人間とは哀れなものよ。自分が生きているごくありふれた事実についても、殆ど知っていない。自分では沢山知っていると思い込んでいる。しかし、ごく当たり前のことにも目をパチクリする。子供が「眠っている時、僕等は何をしているの?」「夢ってなあに?」と尋ねても、いっこうに答えることも出来ぬ。
睡眠中に、人は肉体から離れると、ある程度の魂の自由を味わっている。眠ると、霊の方は暫時、死後本人が入るであろう状況の中に入る。死んで直ぐに物質から解放されるような霊は、生前、いわば[知的な睡眠]をしていた人々である。このような人物は、眠ると自分達より優れた霊のいる世界に入って行く。其処でこれらの霊と行動を共にし、語り合い、種々の教示を受ける。彼等はまた霊界で仕事をしたりもする。死んだ時、彼等は自分がその仕事をもう始めていたこと、あるいはやり終えていたことなどに気付く。これらの事実よりする時、死とは何ら恐るべきものではないことが分かるだろう。聖パウロが言ったように、人は「毎日死んでいる」のである。
今迄述べた事は、進歩した霊達のことである。ごくごく普通の大衆の場合はどうかというと、彼等は死後、長時間混乱と不安の状態のままでいる。というのは、彼等は睡眠中に地上よりもっと低い世界へ行っていたのであって、そこへの執着、下劣な楽しみの魅力、そういうことで、その古巣へと戻って行くのである。そんな処で彼等が耽るものは、地上生活中の彼等の生活より、更に下卑た愚劣な幼稚な思想ばかりである。現世でも、心惹かれるものは楽しい一時を共にもった人達のこと、この事実ではないか。これに反し、話を聞いただけでも毛嫌いしたくなるような人達もいる。それは肌が合わないという感じであって、未だ一度も見たことのない人達の場合にはそういうことがある。人と人とが無関心なのはこういう事実の中にある。さて、彼等、かの霊達は新しい友を求めたりはしない、古いなじみの連中が其処にいるからである。一言でいうと、睡眠とは、人が思っている以上に大きな影響を及ぼしているものである。
睡眠の効果を通じて、肉体をまとっても霊魂は、常に霊の世界と接触を保っているのである。またこの事実あるが故に、高級の霊も大した反対もなしに、地上に受肉する気になるのである。神はかように望まれたのである-彼等が悪徳の中に混じっても、また清廉の源泉へ行き身の浄化が出来るようにと。また、他者を導く為に現界に入った彼等が、悪によって身を滅ぼすことのないようにと。睡眠とは、神が彼等の為に開いてある門である。彼等はこの門をくぐり、霊界の友等の元に行き、疲れた身に元気を取り戻す。前途には大いなる解放が待っている、死後の自由、それこそ彼等に相応しい真実の世界、そこに入って行く為の門である。
夢とは、霊が睡眠中に見聞したことの記憶である。しかし、人はいつも夢を見るわけではない、それは見たことすべてを記憶しているとは限らぬから。また、魂の見聞だけが夢になるとは限らない。睡眠に入る時や終る時の単純な反映による雑夢もある。また覚醒時の行為や思考の記憶も混じっている。さて、最高の賢者が、最低の愚者が見るような馬鹿げた夢を見ることがある。これを何と説明したらよいか。それは、邪悪霊は弱く小心な魂を痛めつける為に、夢を利用する、ということである。
その内、諸君は古い昔の夢、自分でも知らないある種の夢を見ることがあろう。その夢というのは、ジャンヌ・ダーク、ヤコブ、ユダヤの預言者、印度の苦行僧達の夢-魂が肉体から完全に自由になり、第二の生活、先程述べた霊の世界での記憶が夢となったものである。
夢を見たら、その夢が二種類の中のどの夢かを、しっかり見分けることである。これをしないと、矛盾撞著、偏見に陥る危険性があるからである」

○私共が必ずしも夢を記憶しておれないのは何故ですか。
「睡眠とは、単に肉体の休止に過ぎないのであって、霊の方では常に活動をしている。睡眠中、霊は自由を回復して、現世や他界の親しい者達と交流をする。しかし目覚めた時、肉体の物質は鈍重なので、霊は睡眠中の印象をそのまま持ち続けることが困難である。つまり、これらの印象は肉体器官によって受取ったものではないからである」

○夢の意味の解釈は、どのように考えたらよろしいですか。
「夢とは、占い師の言うような夢判断にあたるものではない。一つの夢が一つの出来事の表現であるなどというのは馬鹿げたことである。しかしながら、それは次の意味でならば表現と言える-即ち、その夢が現世の出来事とは関係ないにしても、霊にとっての真実のイメージの表示であるという意味ならば。夢はまた、多くの場合既述のよう、記憶である。また、もし神の許しがあらば、未来の虫の知らせである場合もある。また、魂が出かけて行った場所での、その時に生起している事柄の光景でもある。諸君は幾つもの事例をご存知ではないかな、夢の中で、家族や知人の前に出現した者が、何か事件について注意を与えるということを。幽霊とは何ぞや?何か通信したくて其処に来ている人の霊でないとしたら。目に見えたとおりのことが、実際に生起したのが確かならば、それは自分の幻影ではなかったことの証拠ではないか。特にそれが自分の覚醒時に考えたこともなかったものだったとしたら」

○私共は、よく予告と思えるような夢を見ることがありますが、実際は何事もありません。これはどういうことですか。
「その事は本人の霊的体験の中で生起するかもしれない、肉体的経験ではなくて。即ち、霊は見たいと望むものを見る、霊はそういう方向に進むから。霊は睡眠中も多少は物質の影響下にあるということを忘れないでもらいたい。つまり霊は完全に現界の観念から自由というわけにいかぬ、従って、彼の願望や恐怖が夢の中に形をとって出現することがある。これをもって想像の産物と言われるような様相を呈するのである。心がある観念で一杯になっている時は、何もかもその観念と結び付けてしまいがちなものである」

○よく知っている人物が夢に出現して、本人が考えてもいないことをする夢を見ることがありますが、あれは想像の産物ではありませんか。
「それを彼等が考えていない?なぜ貴方にそうだと分かるのですかな。彼等の霊は貴方の夢に出現する、貴方が彼等の夢に現れるように。貴方は目が覚めている時には、彼等が何を考えているか一向に分かっていない。それなのに、貴方は自分の欲求のままに、勝手にその知友に、過去に自分に起こったことの追憶やら、今生起しつつあることの追懐やらを、押し当ててしまっているのである」

○魂の解放には、肉体の熟睡が必要ですか。
「いや、霊は感覚が遠のくと、直ちに自由となる。霊は肉体の拘束が止まると、どんな瞬間をも利用して自由を発揮するのである。身体の活力の低減、即ち霊の肉体からの解放、つまりは肉体の力が弱くなればなる程、霊の方の自由は増していく、こういうわけである」
〔注解〕ほんのちょっとした時間でも、うとうとすると、まどろむことがあるが、あれはこの理由による。

○私共は時として、胸の内で何か語るような声を聞くことがあります。別に自分が何かを考えているわけではありません。これはどういうわけですか。
「左様、そのような事がよくある。特に感官の働きが微弱になりかける時には、全文が聞こえることもある。それは貴方に通信したがっている霊魂の声のおぼろげな反響、そのようなことがある」

○半睡で目をつぶっている時、はっきりした幻像が、細かい点まで見えることがありますが、あれは想像の産物なのですか。
「肉体の力が弱まると、霊の方はその拘束を打ち破ろうとする。霊は肉体から離れて、ものを見る。眠りが深まると、その見るところのものが夢となる」

○睡眠中、ないし半睡中に、これは大事だと思える観念が浮かぶことがよくあります。しかし目が覚めるといくら思い出そうとしても思い出せない、あの観念は一体何処から来るのですか。
「霊は肉体から解放されると、この間に色々な力を発揮する。その観念というのは、この霊の働きの結果である。また、他の霊達からの諸君に対する助言、そういうこともよくある」
-しかし、私達の方でその記憶を失ってしまうとすれば、その観念なり助言なりの効果は何ですか。何か役に立つことがありますか。
「これらの観念はどちらかというと、現界より霊的世界に関係したことの方が多い。しかしながら概して申すと、仮に肉体が記憶を失っても、霊の方では憶えているものであって、本人が目覚めている時、適当な時に、あたかも直観のような具合に、再現されるものである」

○肉体に宿っている霊が、一時肉体を離れて霊として活動している時に、自己の死の時を知ることがありますか。
「しばしばそれを知ることがある。それもはっきり予知することがよくある。覚醒時に、ふと死の時を直感するということがあるが、それはこの理由による。また人によっては、正確に自分の死の時を予言する者があるが、あれも同じ理由による」

○肉体の静止ないし睡眠中、霊の活動が原因で、肉体が疲労を覚えるということがありますか。
「ある。霊は肉体に繋がれている。それは丁度、柱に繋留された気球のようなものだ。気球の活動で柱が揺すられる、それと同時に、霊の活動が肉体の方に波動を及ぼす、そのため肉体に疲労を感じさせることがある」

○睡眠中に霊が解放されるというのは、私共が同時に二つの生活をしているということを示していると思います。肉体の方は外的な生活、魂の方は霊的な生活、ということですか。
「魂の開放中は、霊の生活の方が肉体の生活よりも優先している。しかし厳密に言うと、それは二つの生活ということではない。むしろ一つの、即ち同一の生活の二面ということである。何となれば、人間とは二重生活を生きているものではないから」

○よく知り合っている仲の二人の人が、睡眠中に交流するということがありますか。
「ある。又、覚醒中には面識のない人達同士で語り合うこともある。諸君は間違いなく、他国に友人達をもっているかもしれない。睡眠中に友人達を、身内の者を、知人を、自己のためになる人々を、諸君が訪問するという事実は実に多いのである。毎晩、実は諸君はこれをやっている」

○夜中の訪問は一向にその記憶がないのですが、その効用は一体何ですか。
「この訪問した時の直観は、覚醒中にも諸君の中に残っている。この直観は後日、理由もなしに自動的に、ふと心に観念として蘇ることがある。その感じは睡眠中の霊交に起源があるのである」

○意志の働きによって霊的訪問が出来るでしょうか。例えば、寝る前に次のように自分に言い聞かすことによって、「今晩これこれの人に会って、これこれについて語り合いたい」と。
「そのようなことはある。人が眠りにおちる、霊の方は別の生活に入る。しかしながら、霊は本人がこうと決めた計画には中々従わぬことが多い。というのは、人間の生活は霊が肉体から離れると、霊の行動には殆どかかり合わないからだ。しかし、ある程度進歩した人の場合は、上記の言葉はその通り実現される。そうでない人の場合は、霊の行動は全然違ったものとなる。つまり霊は感情の赴くままに行動したり、あるいは何もしなかったり、ということである。それ故、たまたま計画どおりに目的のその人を訪れることもある。だからと申して、本人が覚醒時に意志したが故に、必ずそうしたのだということではない」

○多数の人々が、睡眠中に、互いに訪問しあったり、集まったりが出来るのですか。
「出来る。交友の結び付きは、新しきも古きも、親しみのある霊魂達を互いに惹きつけるのである」
〔注解〕「古い」という言葉は、他界での交友の結び付きと解すべきである。我々は目覚めた時、霊的交流をしたような一種の感覚を思うことがある。が、その出所については一向に分からない。

○死んではいない友人を、死んでいると思い込んでいれば、その人は霊として友人に会うことが出来ますか。またその結果、友人が生きていることを知ることが出来ますか。この場合、彼はこの事実を目覚めてからも、直感として持ち続けることが出来ますか。
「できる。霊としてこの友人に会い、その健在を知ることが出来る。もしこの友人が死んでいるという思い込みが、当人の罪の償いの為そう思い込んでいるのでなければ、友人の健在の印象は覚醒後も残るだろう。逆に、罪の償いの為なら、死の印象の方が残っている」

○同じ観念が-たとえば、同じ発見のアイディアが-同時に複数の人に現れることがよくありますが、彼等が共に遠く離れているにも拘わらず、あれは何処から来るのですか。
「前にも言った通り、霊は睡眠中に互いに交流し合っている。そこで、肉体が目覚めている時に、霊はその学び知ったことを思い出す。人はその時、自分でそれを思い付いたのだと思う。この故に、同時に複数の人物が同一のことを発見できるわけだ。諸君は着想は「空間にあり」と言う。それは、真理は思いがけず近くにあるという意味だ。人は誰しも無意識の内に、思想を伝達し合っているのである」

○肉体の覚醒時にも、霊の方は相互に交流できるのですか。
「霊というものは、箱の中にあるように、肉体の中に閉じ込められているわけではない。それは四方八方に肉体の周囲に放射している。それゆえ覚醒時といえども、他の諸霊と交流することは可能である。ただ相当な困難はあるが」

○覚醒時に、二人の人間が同時に同一の思想をもつということがよくありますが、どうしてそうなるのですか。
「心の通じ合っている二人の場合は、覚醒時でもお互いの思念を交流し合っている、この故である」

○昏睡と硬直の状態のままで、一般に患者は自分の周りに起こっていることを見たり聞いたりします。しかし、この印象を表現することは不可能です。この印象を受取っているのは肉体の目と耳なのですか。
「違います、これを受取っているのは霊の方だ。霊は意識していても、これを表現することは出来ない」
-なぜ、表現出来ないのですか。
「肉体の状況の為、霊の思い通りにならないのである。肉体器官のこの特殊の状況からして、人間とは肉体以上の何者かであるということが分かる。肉体は作動していないのに、霊の方は活動しているのであるから」

○身体硬直に陥り、霊は肉体を離れてしまい、外見上は全く死んだようになってしまったのに、霊がその後肉体に戻って住むことが出来ますか。
「身体硬直下では肉体は死んではいない。依然として、多少の肉体機能を働かせている。活力は残存しており、微々たるものだが無くなってはいない。肉体が生きている限り、霊魂は繋がっている。両者を結んでいる紐が、身体器官の死と停止によって切断されると、両者の分離が実現され、もはや霊魂は二度と肉体には戻らない。明らかに死んだように見える人間が生き返るのは、死の過程が完全に終了していなかったからである」

○適切な救助により、切れかかっている紐を更新させ、もしこの救助がなければ決定的に死んだ筈の人間に、生命を呼び戻すことは可能ですか。
「可能である、間違いなく。諸君はこの種の証拠を毎日もっている。メスメリズム(催眠術)はこのようなケースで、しばしば強力な気付けの施術を演じてみせる、それは肉体に活力液を供給するからである。この活力液をその肉体は欠いていて、そのため器官の活動がうまくいかなかったのである」

↑このページのトップヘ