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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 人生の繰り返し

○霊にもセックスがありますか。
「諸君の考えるような性はない。定義どおりのセックスは地上の肉体にあってのものだ。愛と共感は霊にもあるが、それは似た者同志の気持の上に成立するものだ」

○前世で男性の肉体に宿っていた霊が、次には女性の肉体に宿ることが出来ますか。またこれと反対の場合も。
「出来る。同じ霊が男性に宿ったり、女性に宿ったりする」

○霊は霊界にいる間に、次は男女どちらに生まれるかを選択するのですか。
「それは霊が決めるのではない。次の人生で本人が受けねばならない試練の見地から、決定される問題である」

○両親は子供に、自分の魂の一部を譲り渡すのですか。それとも肉体を与えるだけで、魂は全然別個のものですか。
「両親が子供に与えるのは肉体だけである。魂は分割できないものだから。従って、愚かな親に賢い子が出来たり、この反対のこともある」

○私達は多くの前世を経てきたのだから、私共の身内は現世を越えて彼方にまで続いているわけですか。
「それは勿論だ。多くの地上生活を続けた結果、前から繋がる多数の身内が霊の中にいる。諸君は初めて逢った人に、共感や反感を覚えるだろう。それは過去からのそういう関係によって起きることが甚だ多い」

○再生の教えを聞きますと、前世に思いを馳せ、現在の家族との結びつきを軽視する気持になります。
「再生の教えは、結びつきの範囲を拡げこそすれ、これを壊すものではない。いやむしろ、現在の身内関係は、過去の愛情がもとになってつくられていることを確信する時、家族の結びつきは、いよいよ固くなるものだ。それは身内の親愛の義務をのっぴきならぬものとさえする。何となれば、諸君の近隣、あるいは使用人、これはあるいは、前世で親族関係とか、愛情とかの強い絆で諸君と結ばれていた霊が再生しているのかもしれない」
-しかしながら再生の教えは、祖先尊重の念を減ずるとも言えます。と申しますのは、私の父親は、かつて異民族であり、あるいは別の社会階級の人の霊であったかもしれませんから。
「それは事実だ。だが祖先尊重の念は、一般に誇らしさの上につくられている。即ち、一般の人達が祖先に誇りをもつのは、その地位であり肩書きであり財産によってである。多くの人は、自分の祖父に正直な靴屋があればこれを恥じ、堕落した貴族でもあれば、自分はその子孫だと鼻にかける。しかし人が何と言いまた何をなそうと、神慮による摂理の進行を変えることは出来ぬ。神は人間の虚しい虚栄をおもんぱかって、大自然の法を定め給うたのではないから」

○同一家系の子孫として次々生まれてきても、霊的な子孫関係がないとしたら、祖先の名誉を誇りにしても、それは馬鹿げたことですかね。
「いや、それは違う。人は、優れた霊が生まれたことのある家系に属することを喜ぶべきである。霊から霊が生まれたわけではないが、血族として結ばれている者への愛情は、切っても切れない真実なものである。何となれば、前世で抱いた愛情や、前世で結ばれた親族関係の愛著によって、同じ血族として、何度も生まれてくるのであるから。しかしだからといって、祖先の霊は、子孫が祖先の功績を自慢げに誇っても、決して喜びはしないということは、諸君にも分かるだろう。祖先の功績はそれがどんなに偉大であっても、子孫がその模範に従おうと奮起しなければ何にもならぬ。結局、祖先の誇るべき功績も、子孫に相応しく且つ有用となるのは、子孫が祖先に負けないと励むことによってのみである」

○子供の身体つきは両親に似ていることが多いですが、精神もはやり親から受け継ぐものですか。
「いや、受け継がない。親と子では魂が、つまり霊が違うから。肉体は肉体から生まれるが、霊は他の霊から生まれるものではない。血族の間には、同じ血族であるということ以外には、何の関係もない」
-だが親子の間で、精神性が似ていることが多いけど、これは何故ですか。
「それは同気相ひく力による。これにより同じような情緒や傾向をもった霊魂が集まってくるわけだ」

○親の霊が生まれた子供の霊に、影響を与えることはないのですか。
「それは大変大きな影響を与える。既に述べたように、霊はお互いの進歩に資するように創られている。親は子供を鍛えて、その魂を開発するように使命が課されている。これは親たるものの仕事だから、これがやれないようでは、親として何の資格もない」

○善良で道徳的な両親に、ひねくれた性悪の子供が生まれることがよくありますが、これはどうしたのですか。言い換えれば、善良な両親なら、同気相ひくことによって、善良な子供をつくりそうな筈なのに、必ずしもそうではないということです。
「邪悪な霊は、良い両親のもとに生まれて、自己を改善したいという希望から、それを願うということだ。神もまた、そういう親の愛と保護によって、良くなっていくようにと、道徳的な人々の保護下にそういう霊を置かれることがよくある」

○親は、意志や祈りによって、立派な子供の霊が宿るようにすることか出来ますか。
「出来ない。しかし、両親は産んだ子供の霊を改善することは出来る。親はその目的の為に子供を委託されている。これは親の義務である。しかし他方では、親自身の改善の為に試練として、悪い子供が与えられることもしばしばある」

○兄弟、特に双生児の場合は、性格が似ていることが多いが、これは何故ですか。
「彼等のもっている心情の類似性がお互いを引き付け合うのだ。しかも、彼等は一緒になって幸福なのである」

○兄弟で、身体が接着しており、内臓の一部も共有している子供達がいます。あれは二つの霊、つまり二つの魂なのですか。
「二つの霊だ。ただ二人はよく似ているので、一つの霊のように思えるものだ」

○双生児は二つの霊が共感によって生まれたとすれば、この双子が時には憎みあったりしますが、あれはどうしたことですか。
「共感をもった霊同士が双子となるとは限らない。悪い霊体が双子となり、地上を舞台として闘争しようと望んで、生まれてきたのかもしれない」

○母の胎内で争う子供達の物語がありますが。
「あれは、憎み合う者の宿縁の深さを示す比喩である」

○各国民は、それぞれ国民性が違っていますが、その原因は何ですか。
「霊はその性向の類似性をもって、別々の家族集団をつくる。各民族は共感をもった霊達が集まってつくった一大家族である。各国民性の特徴は、そこに集まった多数の家族の成員達のもつ性向である。善良で慈愛深い霊魂が、野蛮未開な民族の中に生まれたいと願うだろうか。そんなことはない。霊は個人と共感すると同様に、人間集団とも共感する。従って、霊は最も自分と一致できる国民のところへ行く」

○霊は新しい人生で、前世の精神や性格の特徴を残していますか。
「残している。但し、本人が進歩すればそれは変わる。次の人生では社会的地位も大きく変わる。前世で主人であった者が、次生では奴隷となり、その趣味も一変する。だから、それを同一人と識別すること難しい。何度生まれ変わっても、本人は本人、だからそこには何らかの人格の同一性がある。しかしそれにも拘わらず、次々の再生ごとに境遇も慣習も違う為に、その現れは変化する。そしてついに、漸次功を奏する改善を通じて、その人格は全く変化する。高慢で残忍だった者も、懺悔と努力で謙虚で慈悲深くなる」

○人は新しい人生で、前世の身体の特徴を残していますか。
「肉体は滅びる。新しい肉体と古い肉体との間に何の繋がりもない。しかしながら、霊は肉体に反映する。即ち、肉体は物質にすぎないが、なお霊の器に従う。霊は肉体に自分の個性を印する。一番目立つのは顔であるが、その中でも特に目に現れる。目は魂の鏡である。即ち、顔は肉体のどの部分より、際立って魂を反映している。だから大変醜い顔でも、善良で賢明で自愛深い霊の肉体となると、気持の良い感じとなる。反対にどんなに美人の顔でも、不快な感じを起させたり、反感さえも起させたりする。ちょっと見た目には立派な身体の人は、善人の霊の肉体のように見えるかもしれぬが、なお諸君は毎日、まずい肉体をもった道徳的で優れた人達を見ているのである。それ故、前世と今生の肉体が格別似ていなくても、好みや傾向の類似性によって、親近性とでも申すようなものが、一つの霊が次々と受肉する肉体には及ぶのである」

○再生した時、霊は前世の感じとか知識の痕跡を、残しているものですか。
「微かな記憶、いわゆる生得の観念というものがある」
-生得の観念という見解は、妄想ではあませんか。
「いや違う。それぞれの人生で獲得した知識は失われるものではない。肉体は消えても、霊は学び取ったものを記憶している。再生すると、部分的にはまた一時的には忘れもするが、一度知った一切は直覚となり、本人の進歩を助けるものだ。もし過去の知識が直覚として残らなければ、彼はいつも、新しく同じ事を繰り返さねばならなくなる。霊は次に再生すると、前世に近い所、即ち彼が既に到達していた次の点から出発する」

○そうしますと、前世と次生との間には、極めて密接な結び付きがある筈ですね。
「その結び付きというのは、諸君が想像する程、密接なものではない。何となれば、二つの人生の境遇や状況は、しばしば非常に違ったものであり、また、その間(霊界の生活で)、霊は相当な進歩を遂げているかもしれないからである」

○前もって勉強もしないのに、直感的にある特殊な知識、例えば語学とか数学とかの知識をもっているような人々の異常な能力の原因は何ですか。
「前世のほのかな記憶によるものである。即ち、魂が以前に成し遂げた進歩の結果である。但し、本人はそんなものを自分が今もっている意識は一向にないのだが。この直覚は何から出てくるのか。肉体は変わる、しかし、霊は不変である、その外被を変えても」

○再生して新しい肉体をとる時、ある種の知的能力を失いますか。例えば芸術的な趣味のようなものを。
「もし、その能力を汚すようなことをしたり、悪用していたならば、それを失う。更に、知的能力は一生の間、眠ったままになっていることもある。その場合は、霊がその眠っている能力とは無関係の別の能力を働かせようと欲するからである。しかし、次の新しい人生では、眠っていた能力も目を覚まして働くことになろう」

○神は存在するという直覚や、死後の生存の予感は、潜在する前世の記憶から出るのですか。
「そうだ。生まれる前、霊として知っていた知識が、潜在的な記憶として残っていて、これから発している。しかし高慢な人は、この感じを押し殺してしまう」
-神霊主義的な考え方や信念も、やはり同じ記憶から発しているのですか。
「このような考え方は、世界とともに古く、世界のどこに行ってもある。即ち神はいずこにも在りいつの時代にも在り給うからである。霊は肉体をまとって後も、霊であった時の直覚があり、従って目に見えない世界に、本能的な意識をもっている。だがこの直覚は偏見によってしばしば歪められたり、無知から出た迷信を混入して、堕落したものとなることが多い」

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