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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 人生の繰り返し

霊の書 人生の繰り返し 目次

再生の正義

別の天体への再生

進み行く輪廻

死後の子供の運命

霊の性

家族関係-子孫

生得の観念

○地上生活中に完成の域に達しなかった魂は、浄化を成し遂げることが出来ましょうか。
「新たな人生の試練を受ければ、それは出来る」
-その新しい人生とは、どのようにして経験するのですか。それは魂が霊として変化をすることですか。
「勿論、魂は浄化すれば変化する。だが、最も有効な変化は、魂が地上生活の試練を体験することである」
-では、魂は何度も地上生活を繰り返すのですか。
「左様、我等も繰り返し地上生活を体験した。これを否定する者は諸君等を、自分同様の無知にしておこうとする者である」
-魂は一つの肉体を去ると、また別の肉体に宿る、つまり魂は再生する、こう考えてよろしいですか。
「全くそのとおりである」

○再生の目的は何ですか。
「罪の償い、即ち、それによる人類の進化改善。この目的なくして、再生に正義はない」

○再生の回数に限度がありますか。それとも永久に再生を繰り返すのですか。
「新しく生まれ変わる度に、霊は一歩ずつ進歩する。こうして一切の汚れから脱却した時、もはや再生の必要はなくなる」

○再生の回数は、どの霊でも同じですか。
「同じではない。進歩の早い霊は、余り多くの試練を受けずに済む。しかしそれにも拘わらず、再生の回数は相当な数になる。何となれば、進歩の道程は無限に近いから」

○最後の再生を終えた霊はどうなるのですか。
「清浄霊となり、完全な至福の状態に入る」

○再生の論拠とは、いかようなものでしょうか。
「神の正義、また黙示である。何となれば、前にも申したことであるが、愛深い父は過ちを犯した子等のために、後悔の門を開いておかれるものだから。自己を改善しなかった者には、永久に幸福の道を閉ざすということは、正義に反すると思われぬか。すべての人が神の子ではないのか。不正義と、執拗な憎しみと、許されぬ刑罰があるとすれば、それは利己的な人間どもの中だけである」

○私共の再生は、この地球上で繰り返し行われるのですか。
「いや、すべて地球上とは限らない。多くの天体で再生が行われる。現在諸君が生きているこの地球は、諸君にとって、最初の地上生活でもないし、また最後でもない。しかし、最も物質的な生活の中の一つであり、完全からは最も遠いものである」

○再生は次々と別の天体へ移りながら行われるのですか。それとも、同じ天体で何回か再生して次の天体へ移るのですか。
「現在より高級の天体へ行けるだけの進歩をしない場合は、同じ天体で数多く再生を繰り返すことになる」
-では、私共は何度もこれから地球に生まれ変わるわけですか。
「その通り」
-私共が、今後別の天体で生活した後、再び地球に生まれ変わることも出来ますか。
「それは可能である。これまでも諸君は、別の天体の生活を経てきているかもしれない」

○そのように、二度地球に戻って再生することは必要なことですか。
「いやそんなことはない。しかし、もし諸君が進歩しなければ、地球より良くない、あるいはずっと劣った天体に行くことになるかもしれない」

○そのような二度の地球生活には、何か得るところがありますか。
「特殊の使命がある場合は別として、特に利益はない。使命がある場合は、生まれる所が地球であれ、他の天体であれ、霊は進歩する」
-むしろ再生せず、霊として生きる方が幸福なのではありませんか。
「いや、断じて違う。再生すべきだ。我々は神へ向って限りなく進みたいと思うからだ」

○別の天体で生活した者が、初めて地球に再生することが出来ますか。
「できる。諸君が他の天体へ再生するのと同じことだ。宇宙のすべての天体は、固い絆で結ばれている」
-現在地球で生活している者のうち、初めて地球へ再生して来ている者もありますか。
「大部分がそうだ。種々の進歩の段階の者が含まれている」
-初めて地球へ来ている霊を見分ける、何かしるしがありますか。
「そんなことは、諸君にとり余り用のないことだ」

○完全と至福に到達するには、宇宙のすべての天体で生活を体験する必要があるのですか。
「そんな必要はない。同程度の天体が沢山あるから、それらへ移ったとて目新しい体験をすることにならなから」
-では、同じ天体に何度も再生するというのは、何故ですか。
「再生する度に、違った境遇に生まれる。そのことで本人は新しい体験を重ねることになるのだ」

○以前住んでいた天体より低次の天体に入って、霊は肉体をとって生存できますか。
「できる。進化の手助けをする使命がある場合には可能である。この場合、彼等は喜んで、その下降生活の十字架を負う。このおかげで彼等は進歩の機会を得ることになるからだ」
-この下降生活が贖罪の為に行われることはありませんか。又、手に負えぬ霊が神によって送られるということはありませんか。
「彼等はそのままとどまる、だが退歩するわけではない。手に負えぬ霊達は進歩しないということで罰せられる。また、本人の性情に適した状況下で、同じ間違った人生を再開せねばならぬことでも罰せられる」
-その同じ人生を再開させられるのは、どういう霊達ですか。
「自己の使命を全うしなかった者。あるいは、受けるべき試練に耐え得なかった者達」

○特定の天体に生存している人類は、皆同じ発展段階にあるわけですか。
「いや、それは地球の人類の場合と同じだ。進歩している者もあれば、未発達の者もある」

○地球から別の天体へと再生する場合、霊は地球で獲得した知性を具えたまま行くのですか。
「その通りだ。一度獲得した知性は失われることはない。だが、知性を発揮する方法は同じではないかもしれぬ。というのは、進歩の程度と新しく身に付ける肉体の質によって、発揮の方法が違ってくるからである」

○他の天体に住んでいる人類も、私共のような肉体をもっているのですか。
「それは必ずもっている。霊魂が物質に働きかけるには肉体が必要だからだ。だが、肉体は霊の浄化の程度に応じて、濃厚であったり精妙であったりする違いはある。また行くべき天体を決定するのもこの浄化の程度である。我等が父なる神の家には、多くの宿があり、この宿には多くの段階があるのだ。地上にありつつこの事を知り、この事実に気付いている者達がいる、また全くこの洞察をもたぬ者達もいる」

○他の天体の物理的・精神的状況につき、何か正確な知識を私共はもつことが出来ますか。
「我々霊は、諸君の到達した発達程度に応じて、答えを与えるのみ。我々はその秘密を万人に示してはいけないのだ。何となれば、それを洩らしても理解できない発達程度の人々がいて、彼等はそれを知ると混乱に陥るからだ」

○別の天体へ再生する場合は、霊は赤ん坊となって生まれるのですか。
「どこの天体でも赤ん坊となって生まれる必要がある。だが、どこの天体でも、地上の赤ん坊のように愚かであるとは限らない」

○霊は、次に再生する天体を、自分で選ぶことが出来ますか。
「必ずしもそうは出来ない。しかし、彼は希望することが出来るし、その希望は叶えられるかもしれない。ただそれは本人がそれに相応しい時に限る。実は、霊の発達に見合った天体なら、いつでも行けるようになっている」
-もし霊が希望をもっていない場合は、何によって再生する天体が決められるのですか。
「霊の発達の程度によって決められる」

○どの天体の居住者も、肉体的・精神的状態は、皆同じようなものですか。
「いや違う。つまり天体というものは、そこの居住者と同じように、進歩の法に従っている。どの天体も、諸君の地球のように、低い段階から出発している。従って、地球も他の天体が経過したように、変化を遂げることになろう。やがて人類が善良となった暁は、地球は地上天国と化すだろう」
〔注解〕現在地上に生存する民族は漸次消滅し、もっと完全な民族が出現する事になろう、丁度現在の民族が、先住の劣等な民族の後を受けたように、新しい民族が、我々現存民族に続いて出てくる。

○物質的生活をすべて終わり、希薄な媒体以外に何もつけていない霊ばかりが住んでいる天体がありますか。「ある。その媒体は極めて希薄なので、諸君から見ると、何も着けていないようだ。これこそ完全浄化の霊達の状態だ」
-すると、これら霊の媒体と、霊そのものとの間には、はっきりした区別はないということですか。
「区別というものは存在しない。両者の差は漸次減少し、あたかも、夜の闇が黎明(れいめい)の中に融け込んでいるように、両者は互いに入り交っている」

○霊の媒体の素材は、どの天体でも同じですか。
「いや、天体により精妙さに差がある。別の天体へ変わる時、霊はその天体に固有の物質を身にまとう。即ち、その外被の波長を変える」

○肉体をもたない霊は、特殊な天体に居住するのですか。それとも、天体から離れた宇宙空間に居住するのですか。
「彼等はいずれかの天体に居住している。しかし、それは人間が地上に縛られているように、その天体に縛り付けられている訳ではない。彼等は自在に移動する力を所有している。この点、彼等は何処にでも在ると言うことが出来る」
〔注解〕霊の伝えるところによると、地球は、その居住者の肉体的・精神的資質の点では、この太陽系の惑星の中でも、最低のものの一つであると。火星は、ある点では、地球の人類よりも低い。木星は、あらゆる点で、地球人より遥かに優れている。太陽は肉体をもつ者の住む世界ではないが、高級霊達の集まる場である。これら高級霊は某処から、太陽系の各天体に向け、その思想を放射している。彼等はこれら諸天体を低位の霊の媒介を通じて支配している。彼等は宇宙液状体を媒介物として、彼等の作用をそれら低位の霊へ向けて送達するという方式をとっている。物理的な点では、太陽は霊気の中枢のようである。この点、他の太陽も、その本質や機能は、我が太陽と同様に思われる。
 天体の大きさ、太陽からの距離は、その天体の進歩程度とは必ずしも関係は無い。即ち、金星は地球よりも進歩しており、土星は木星よりは進歩していない。
地球上の著名な人物の多数は、完全に最も近い天体の一つである木星に、再生すると言われる。更に驚いたことだが、地上では有名でなかった人達が、進歩した天体に再生が許されているということである。しかし、次のことを思う時、これは驚くには当らない。第一に、我々の目には目立った地位にはなかったが、ある使命を帯びて地上に遣わされていた霊達がいたということ。第二に進歩によって、地球と木星の中間くらいの生活を送っていたであろう霊がいたということ。第三に、木星にも地球同様に、多数の進歩の段階があり、地上の奴隷と教養人の差のような差が、木星にあるかもしれないということ。哲学者と同じ町に住むから、無学な人が哲学者と同レベルにあるとは言えないように、霊が木星に住んでいるから、木星の最高級の人物と同レベルということはあり得ない。

○霊はその形成の初期において、自己のすべての能力を具えていますか。
「いや、霊にも人間同様に幼年期がある。その初期は、霊は本能的な生活をするのであって、自分や自分の行為については殆ど意識をもっていない。知性は徐々にしか発展しない」

○霊が初めて肉体をとった時の状態はどうですか。
「人間の幼児に似た状態である。知性がやっと目を吹き始めたところで、生きることを試みているという状態だ」

○野蛮人の魂は、幼児期の魂ですか。
「どっちかというとそうだ。だが、彼等は情緒をもっているから、相当程度進歩した魂ではある」
-では、情緒は進歩のしるしですか。
「進歩のしるしである。しかし、完全のしるしではない。それは活動のしるし、また「我」を意識しているしるしである。反対に、魂が初期の段階では、知性も活力も種子としてあるだけである」

○もし、我々が現在この世で完全な生活を送ったとすれば、途中の段階を飛び越して、清浄霊の状態に到達することは可能ですか。
「それは出来ない。人間が完全と考えるものは、完全から未だ遥かに遠い。人間には計り知れないものが存在する、現在の人間が背伸びをしても無理があるものが。仮に、人間が地上の尺度で完全としても、真の絶対の完全からみれば、まだ遥かに遠い。それは丁度、早熟な子供のようなもので、早熟とはいえ、やはり大人になるためには、青年期を経過せねばならない。また完全な健康になるために、回復期を通らねばならない病人に似ている。しかもなお、霊は道徳性と同様に知識の点でも進歩せねばならない。仮にその一方だけ進歩しているとすれば、完全の頂上に達するためには、他の半面でも等しく進歩する必要がある。しかしながら、次の事だけは確かである。即ち、人が現在の生で進歩するなら、次の生存で受ける試練の時間は短くなり、またその苦痛も少なくなるということである」

○次の人生で、既に彼が到達している点よりも、低い点に下がることがありますか。
「社会的地位のような意味でなら可能だが、霊としての進歩の程度という意味でなら不可能である」

○善人の魂が、次の人生で、無頼漢となることがありますか。
「ない、霊魂が退歩することはなからだ」
-悪人の魂が善人の魂に変わることがありますか。
「もし、悔悟しているなら、あり得る。その場合、彼の次の人生は、改善の努力の賜物としての人生である」

○将来の再生によって自己改善することが確実なら、この事を知った者の中に、それをあてにして現在は怠けていようとする者も、出てくるのではありませんか。
「そういう考え方をする者は、何事においても、心からの信をもたない者である。そういう者は、永遠の刑罰という観念をもってしても、抑制することは出来ない。大体この観念は信じ難いものであるとしても、彼にその観念すら受け付けようとせぬだろう。事実、不完全な霊は、現世の間に、人生を真面目に考えてみることをしない。しかし、一旦死を経過すると違ってくる。即ち、間もなく自分が大間違いをしていたことに気付く。そして今度再生したら、反対の気持でやってみようと思うものだろう。進歩はこうして達成される。地上生活で、抜群の進歩を遂げる人があるが、それは他の者が未だ身につけていない経験を所持していることである。他の者も次第にそれを身に付けていく。迅速な進歩を遂げるか、いつまでもぐじぐじしているか、それは個々の霊いかんによる」

○地上生活の苦労を経験して、初めて霊は改善されていくものですから、地上生活とはざるやふるいのようなもので、霊界の霊達は完全に達するために、このふるいをどうしても通らねばならない、こういうわけですか。
「その通りである。彼等は地上生活の試練の中で、悪を避け善を行うことによって、自己を改善する。しかし、それには再生とそれに続く浄化を次々と数多く重ね、その努力に応じて長くもなりまたは短くもなる、数多の時間を重ねつつ、その目指すゴールに到達するのである」
-自己改善に当たり、霊に影響を与えるのは肉体ですか、それとも、霊が肉体に影響を与えるのですか。
「諸君の霊こそはすべてである。肉体は朽ちるべき着物、それ以上の何ものでもない」

○幼児のままで死ぬ子供の霊は、大人の霊ほどに進歩していますか。
「時には、大人よりずっと進歩していることがある。つまり、その子供は前世ではもっと長生きし、多くの経験を既に重ねていたかもしれぬから。それが相当な進歩を遂げていた霊の場合は、特にそうである」
-では、子供の霊が父親の霊よりも進歩しているかもしれないのですか。
「そういうことはしばしばある。諸君もそういう実例を数多く見るのではないか」

○幼児期に、しかも何も悪いことをすることなしに死んだ子供の場合、その魂は霊の段階の中で、高い段階に属しますか。
「何も悪い事をしなかったということは、何も善い事もなさなかったということだ。神は受けるべき試練を免れさせ給うことはない。もしそういう霊が高い段階に属するなら、それは彼が子供であったからでなく、それ以前の諸人生で進歩を遂げていて、その高い段階に達していたからである」

○子供のままで死ぬことが多いが、それは何故ですか。
「子供のその短い人生は、本人にとっては、前世で予定されていた寿命が中断された為の補いかもしれない。また両親にとっては子供の死は試練であり、または罪の償いであることが多い」
-幼児期に死んだ子供の霊はどうなりますか。
「彼は新しい人生を再び始める」

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