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カテゴリ:★『霊の書』 > 霊の書 霊の受肉

霊の書 霊の受肉 目次

地上誕生の目的



唯物主義

○霊が肉体をとって誕生する目的は何ですか。
「完全に到達する手段として、神の課し給うた必要な体験である。ある霊にとっては罪滅ぼしの意味をもち、またある霊には、これをもって使命を果たすことになる。完全を達成するために、彼等は地上生活のあらゆる盛衰変化を体験せねばならぬ。罪滅ぼしのために色々経験をすることは大変有用なことである。この誕生のためにはまたもう一つの目的がある。即ち、創造の事業に役割を果たせる霊になること、これである。この目的に沿い、彼は誕生した世界の物質状況と調和した道具に相応しいものになる。またこれを通じて、彼が神から任ぜられたその世界と結びつつ、彼固有の仕事を果たすことが出来るのである。かくて、彼は一つの歯車の如く、自己の役割をもって貢献し、他方では自分自身の進歩向上をも達成するのである」

○初めから正しい道を歩いて来た霊にも、物質界誕生が必要ですか。
「霊は、初め、すべて素朴で無知なものとして創られた。彼等は地上生活の苦難と闘争を通じて教訓を獲得するのである。苦しみなくして、努力なくして、経験から得る功罪なくして、公正なる神も、一つの霊といえど幸福ならしめることが出来ようか」
-もしそうなら、正道を歩いても、何の得にもならないということになりませんか。正道を歩いたとて、なおかつ地上に生まれ、苦しみを味わはねばならないのですから。
「そのような霊は、他よりも早く、完成の終着点に到達する。しかも、苦痛というものは、霊のもつ不完全さに起因することが多いから、従って欠点が少なければ、苦痛も少なくて済む。だから、他を妬んだり、羨んだり、欲や野心を持たぬ霊は、欠陥が少ないから、それから生じる苦痛を受けなくて済むのである」

○魂とは何ですか。
「肉体をまとった霊(スピリット)のことである」
-肉体と結びつく以前、魂は何だったのですか。
「霊であった」
-では、魂と霊とは全く同じものですか。
「そう、魂とは霊である。肉体をまとう以前、見えない世界に住む一個の知的存在であって、その浄化と啓発の目的のために、一時的に肉体に宿るのである」

○人間には、この魂と肉体の外に、何かありますか。
「魂と肉体を結びつける媒体がある」
-その媒体とはどのようなものですか。
「それは半物質-つまり、魂と肉体の中間的性質のもの、それ故にこそ、両者の仲介が出来るのである。この媒介を通じ、霊は物質に作用し、物質はまた霊に作用するのである」
〔注解〕人間は三つの要素から構成されている。①肉体、これは動物と同じで、活力原理から生気を受ける。②魂、即ち肉体に宿った霊のこと。③両者の媒介物、外被。半物質で霊の外被として肉体と結びつけるもの。

○魂は活力原理とは別個のものですか。
「何度も繰り返すように、肉体は単に魂の外被にすぎない」
-肉体は、魂なしでも、存在できますか。
「できる。しかも魂が肉体を去るのは、肉体が生きることを止める時に限る。誕生以前は、魂と肉体の結合は完全ではない。しかし一度その結合が完全に行われると、死によらねば、両者の結合が断たれることはない。その時初めて魂は肉体を去る。魂なしでも、有機的生命は肉体に働くかもしれないが、有機的生命を奪われた肉体に、魂が入っていることは出来ない」
-もし、肉体に魂がなければ、肉体とは一体何ですか。
「知性をもたぬ肉のかたまり。それを何と呼んでもよいが、もはや人間とは呼べない」

○一つの霊が、同時に、二つの肉体に宿ることが出来ますか。
「不可能である。霊とは個性であるから、同時に二つの生命体に働くことは出来ない」

○魂を物質生命の本源とする人々がいますが、これはどう考えたらよろしいか。
「それは定義の問題である。我々は用語には余り重きを置かない。諸君は、正しい意味そのものに、お互いの見解の一致をみるようにすべきだ」

○ある通信霊達、またある哲学者達は、魂とは神から発した生命の火花、と定義しています。なぜこうした食い違いがあるのですか。
「その定義で別に食い違いはない。大切なことは言葉の含んでいる意味である。なぜ、諸君は一つの事に一つの用語を使わないのか」
〔注解〕魂という語は、色々な使い方がされる。多くの場合、生命原理の意味で使われている。魂は神から発した声明の火花と言うのは、これが比喩的に使われているのである。ここで言う神とは、万有生命の源、一切が死後はそこへ帰って行く、宇宙生命の本源を指している。この場合にも、物質から独立した精神、つまり個性とか人格の存在は否定されていないわけで、従って、我々が魂とは肉体に宿った霊と言うのはこの意味である。魂の語に色々な定義があるのは、通信霊達が思い思いな使い方をすること、また現世でしみ込んだ観念で語ったりすること。しかしこれと言うのも、人間の言葉が不十分なせいである。つまりそれぞれの使い方に応じた用語がないので、これが誤解と議論の種となっている。従って高級霊の場合は、必ず、先ず我々が使う言葉の意味を限定してから語り始める。

○ある考え方によると、魂は肉体の筋肉の各部分に小分けされていて、これで肉体の各器官を支配していると言いますが、これは如何ですか。
「これもまた、魂という用語をどういう意味で使っているのか、その意味いかんによる。もし、魂とは生命を与える液状体という意味で使っているのなら、この意見は正しい。もし、魂とは肉体に宿った霊という意味でそれを使っているなら、間違いである。既述のように、霊とは個性である。それは液状体を媒介として肉体器官に働いているのであって、決して分割されるものではない」
-しかし、上記のような定義を下している通信霊がいますが。
「無知な霊は、原因と結果をとり違えるものである」

○魂とは肉体の外面であって、肉体を覆っている。このような考え方がありますが、本当でしょうか。
「魂は鳥かごの小鳥のように、肉体に閉じ込められているわけではない。魂は、ガラス球から放射する光のように、楽器から鳴り響く音のように、四方へ放射し、肉体からはみ出している。この意味でなら、魂は肉体の外面と言える。しかしだからといって、肉体を包み込んでいると考えてはいけない。魂には二つの外被がある。一つは鈍重な物質の肉体、これとは別に、光る精妙な性質の媒体。魂とはこの二つの外被の中心をなすもので、あたかも果実の核のようなものである」

○また次のような意見もあります。子供の魂は、この世に生まれてからつくられていくものであると。
「魂とは一個の単位であって、子供の場合も大人と同じく、完全なものである。この一生の間に作られ成長するものは、魂の道具である肉体だけである。またもや原因と結果の取り違いをしている」

○どうして通信霊達は、魂に同一の定義をしてくれないのですか。
「こういう問題について、すべての霊が同じように優れている訳ではない。一部の霊は知的にあまり進歩していないので、抽象的観念を理解するのが困難で、丁度地上の子供のようなものだ。一部の霊は誤った知識ばかりをもっており、通信を聞く人々に威張りたいがために、でたらめを得々と喋る。地上にはこういう人間が一杯いる筈だ。また本当に進歩している霊の場合でも、その根本の意味は同じでも、表現の仕方が色々違っていることもある。それは、地上の言葉では中々表現しにくい問題があり、また比喩をもってせねば分かって貰えないということもあるわけだ。従って、定義通りに受け取られては誤解を招くこともある」

○世界の魂、これは何と理解したらよろしいですか。
「すべての個が生み出された、生命と知性の宇宙的原理、これである。しかし、本当の意味を知らないで、この言葉を使っている場合が甚だ多い。だいたいこの魂という言葉は、大変弾力性のある語なので、各人各様に自分の想像で解釈してしまう。ある人々はこの魂を地球に結び付けて受取っている。つまり、諸君を正道に導く献身的な霊の集団、いわば地球支配の神の副官と受取っている」

○古代も近代も多数の哲学者達が、かくも永い間、精神に関する問題を論究してきながら、一向に真理に到達いたしませんが、一体どういうわけですか。
「彼等は永遠の真正の霊的真理を求め、この道を準備した先駆者であった。彼等とて人間である、自己の観念と真理の光とを取り違え、間違いも犯した。しかしその間違いが、これを論ずる者達の議論を生み、結果的には真理へ導く種となっている。なおこれら誤謬の中には、多くの偉大な真理が発見できる筈である。もし、それらの呈示しいる緒論についての比較検討が行われるならば」

○魂は肉体の特定の場所に鎮座しているものですか。
「そんなことはない。しかし、大天才とか特に頭脳を使う人の場合は、魂は頭の中に、また感情豊かで、愛の活動家の場合は、魂は心臓に、より多く住むと言えるかもしれぬ」
-魂を肉体生命を働かせる中枢に置くのだという人達がいます、これはいかがですか。
「霊はそういう箇所に特に住むと言えるかもしれぬ。というのは、全神経が集中されるのはそのような箇所だから。しかしながら、自分でここに生命力が集まっている、だからここに魂があると考える人達は、魂と活力液状体ないし活力原理を混同しているのである。そうは言うものの、魂は、知性や精神が格別に働く器官に、より多くあると、こう言えるかもしれぬ」

○解剖学者、生理学者、及び科学研究に従事する人々は、唯物論に陥り易いのですが、どうしてですか。
「生理学者は何事も五感を基にして考える。人間の誇りにかけて、五感で万事説明できるとなし、人間の理解を超えるものがあるなどとは認めたがらない。科学は一部の人達を厚顔にする。つまり、自然は自分達から何も隠すことは出来ないと考えるのだ」

○本当は、宇宙を支配する英知の存在を教えてくれる筈の研究なのに、唯物論が結果として出てくるのは、残念な事ではありませんか。
「まことに、科学の研究の結果が唯物論とは、科学の本意ではない。これというのも、どんな研究をしても間違った結論を引き出す、人間の不完全さゆえである。人間というものは、どんな良いものからでも悪いものを引き出す。それだけでなく、人間は滅びるという観念は、その外見上よりも、本人達を悩ませている。だから、唯物主義を最も声高く主張する者は、勇敢と申すより高慢なのである。いわゆる唯物論者の大部分は、未来生命に何の合理的な論点ももたない、単にそれだけの人物である。前途に空虚さしか見ぬ者達に、確たる未来への合理的な信念を示してやりなさい。彼等は溺れる者の気持で真剣にそれにとりすがるであろう」

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