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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ 質問に答える(色々)

シルバーバーチ 質問に答える(色々) 目次

心霊治療について

長寿と食養生

死の悲しみと恐怖について

進化と発展

[神人合一]はあり得るか

人生の目的と背後霊の存在

障碍児の問題

憑依と除霊の問題

大地のヒーリングパワー

堕胎・脳の手術の是非・その他

-心霊治療のプロセスについてご説明願えませんか。

「生み出す結果は驚異的でも、技術的には極めて単純です。患者がいて、治療家がいて、大霊がいます。その大霊の生命力である治癒エネルギーが治療家の霊的能力を通して患者の霊体に届けられる-それだけのことです。
 本質的にはそれが全てです。神秘もなければ魔法もありません。自然法則の働きがあるだけです。ただ、治癒エネルギーには無限の可能性があるということです。その治癒エネルギーの流入を規制するものは何かといえば、治療家の資質、その治療家が到達した霊的進化の程度です。霊性が高ければ高いほど、それだけ受容力も高まります。
 もしも治療家が完全の域に達することが出来れば、治癒エネルギーも最高のものが届けられる理屈になります。が、完全というものは不可能ですから、実際には治癒エネルギーは治療家の霊性によって制約を受け、限定され、影響を受けることになります。
 治療家というチャンネルないしはパイプ-どうお呼びになっても結構です-は所詮は思考力をもった人間であり、身体と精神と霊の相関関係で出来上がった複雑極まる存在ですから、それを出入りするエネルギーは、そうした人間性の影響をどうしても受けます。
 治療家はその人間性を極力控え、日常生活においても霊性を高めるように心掛ければ、流入するエネルギーの量も多くなり、それだけ良い結果が得られるようになります。
 治療エネルギーは生命力そのものです。従って治療家は崇高な宇宙の生命力を扱っていることになるのです。私が邪悪な動機の為にその生命力を汚すようなことにならないようにと戒めるのは、そこに理由があるのです」

-治療家が患者に対して個人的に特殊な感情を抱くのはいかがでしょうか。

「それはいけません。霊力の中継者である治療家が個人的感情に動かされると、霊力の流入が阻害されます。通路は常に無垢の状態でないといけません。少しでも多くの霊力が流入するようにとの祈り以外のものがあってはなりません。あくまでも道具なのですから、自分勝手な考えを差し挟むことは許されません。霊力の流れの通路であること、それが治療家の仕事です。
 ところで、地上の医学者の診断を最終的なものと思ってはいけません。彼らなりの体験と勉強に基づいて結論を述べるのでしょうが、それを[不可謬]と信じてはなりません。
 全ての望みが絶たれた時でも、霊力はその驚異的な回復力によって、全快とまではいかなくても、病気を改善することが出来ます。現代医学とは根本的に観点が異なります。地上の医学者は人間を肉体のみの存在として、物的観点から処理します。一方、私達は基本的には霊的観点から人間を見ます。霊が正常であれば精神も正常であり、従って肉体も正常となります。その反対ではないのです。つまり肉体が正常になれば精神も霊も正常になるというものではないのです。霊が全てを統率しています。
 しかしその霊も、いつかは肉体から離れる時がまいります。皆さんはそれを[死]と呼んでおられます。死は本来は病気とか苦痛の中で迎えるべきものではありません。静かで安らかな雰囲気の中で迎えるべきものです。間違った生活環境は精神と霊と肉体の調和を乱し、それが霊のスムーズな撤退を妨げます。
 肉体の病的状態が治癒不可能な状態に至れば、霊は撤退せざるを得なくなりますが、その撤退をスムーズにしてあげるのも治療家の役目です。普通なら苦痛が大きく、しかも時間が長引くケースを、治療家は楽に、そして短時間で終らせるようにしてあげることができます。
 あなた方人間にとって死は相変わらず恐ろしく、そして怖く、出来ることなら死にたくないと思われるようですが、それは間違った考えです。私達から見れば、死は霊の誕生なのです」

-ということは、哀れみの情を抱くのは間違いだということになるのでしょうか。

「それは違います。哀れみは霊の属性です。哀れみ・慈悲・思いやり-こうしたものは人を癒してあげたり手を差し伸べてあげようとする欲求を鼓舞します。私心から発した偏った哀れみではなく、苦しみを背負った人全てに対する哀れみでないといけません」

-そこのところは私にもよく分かります。治療家が個人的に負担を感じて、その挙句に治療が失敗した場合、自分の力が及ばなかったが故の失敗だと受け止めてしまう可能性があります。

「今あなたは[治療が失敗した場合]と仰いましたが、その意味が私には解せませんが・・・・」

-患者が良くならなかった場合のことです。

「それを治療の失敗というのは間違いです。その患者は色んな次元での摂理に反したことをしてきて今その症状が表れている。それがあなたの治療によって消えなかったということで、それは治療の失敗ではありません。まだ身体が正常になる段階に至っていないということです」

-でも、治療家が自分で勝手なことをしたり、余計な思いを抱いたりして失敗するということは有り得るとは思われませんか。

「でしたら、それは治療家の失敗です。あなたのご質問は治療そのものが失敗したと仰りたいのでしょうけど、治療が失敗することはありません。治療家がヘマをすることはありますが・・・・」

-身体的に摂生に努めれば長生き出来るでしょうか。

「そうとは限りません。他にも考慮すべき要因が色々とあるからです。物的身体は物的法則だけで支配されているのではありません。精神的法則があり、霊的法則があり、それらが相互に関係し合っているからです。
 そもそも霊性というものは長寿とは関係ありません。霊的なものを物的なもので計ることは出来ません。長寿だから霊性が高く、短命だから霊性が低いということにはなりません」

-一点非の打ち所のない人生を送っていた人がガンで亡くなりました。なぜでしょうか。

「その答えは簡単です。その人は一点非の打ち所のない人生を送ってはいなかったということです。もし一点非の打ち所のない生活をしていれば、ガンにはなりません。ガンになったということがどこか摂理に反したことをしていたことの証明です」

 ここで、出席者の間で議論が交わされた。それを聞いていたシルバーバーチが言う-

「摂理というのは、表向きは単純に見えても、奥は実に複雑なのです。摂理のウラに摂理があり、そのまたウラにも摂理があるというふうに、幾重にも重なっているのです。全体を見ることが出来れば、一つのパターンがあることに気付かれるでしょうけど、あなた方には一つの側面しか見えません。それで[どうして?][なぜ?]という疑問が生じるのです。一部でもって全体を判断しようとするからです。
 ガンは精神の持ち方と深く関わっている病気の一つです。個体としての不調和が原因です。病理学的には寄生虫病的な増殖をする種類に属しますが、原因を辿って行くと意地汚さ・憎しみ・失意・虚栄心、その他、精神と肉体の調和を乱す何かがあり、その結果として悪性の細胞が手の施しようのない勢いで増殖していきます。
 病気は食べ物や飲み物だけで片付く問題ではありません。精神的な要素と霊的な要素も考慮しなければなりません。肉体に関わることだけで霊を判断することは出来ません。不可能なのです。例えばタバコを止めたからといって、止められずに吸い続けている人より霊的に上かというと、必ずしもそうとは言えません。霊性はその人の生き方によって自ずと決まるもので、第三者から見てどうのこうのと批判すべきものではありません」

-健康の為の法則を守り、その結果として健康体を保っていれば、霊的にも健康な側面が顕現され、それだけ立派であると言えないでしょうか。

「それは言えます。問題はそのように心掛ける動機です。何事も動機が大切です。例えば健康に良くないから肉は食べないというだけでは、霊性は向上しません。呼吸器に悪いからという理由でタバコを吸わないようにしても、それで霊性が向上するわけではありません。
 そうではなくて、霊性を開発しようと決意し、その開発に少しでも障害になるものは控えるというのであれば殊勝なことです。大切なのは動機です」

 ここで菜食主義に徹している人が、肉食をしないのは動物を殺して食することが間違いだからであることを述べると-

「人類が自分達以外の創造物への責任を自覚する段階に至れば、当然、殺生は出来なくなります。それは霊性の発達の一つの指標です」

-愛する人を失った人に対して、その悲しみの最中に死後の話を持ち出すのは賢明ではないと思うのです。そんな時、密かにその人に同情の念を送る方がよいと思うのですが、いかがでしょうか。

「霊性の発達した人は、その時々に応じた知恵を働かせることが出来るものです。適応の方法ならいくらでも思いつくでしょう。その時の当人の置かれた情況に応じて、知識と体験を有効に役立てるべきです。死別の悲しみの中にいる人にただの同情の言葉を掛けるだけでは、当人の救いには役立ちません」

 メンバーの一人が[死]そのものに対する牢固とした恐怖心の問題を持ち出すとシルバーバーチが-

「こちらの世界での困った問題の一つに、二度と地上へ生まれたがらない霊がいることです。前回の地上生活で死後のことに何の予備知識もなかった為に、霊的に辛い目に遭ったその体験から、地上という世界を嫌うのです。例えて言えば、地上で80歳まで生きた者が、自分が学問というものがないことを悔いて、もう一度小学校からやり直したいと思うようなものです。精神的には大人ですから、それは無理なのです。
 こうしている間でも地上から何百万、何千万という人間がこちらへ送られてきますが、その殆どが死後への準備が何も出来ていないのです。みんな当惑し、混乱し、茫然自失の状態です。それで我々が、色々と手を焼くことになります。本当はそちらで霊的教育を始める方が遙かに面倒が少なくて済むのです。
 もしもあなたが死の恐怖に怯えそうになった時は、自分の存在の始源、すなわち大霊の分霊であることを思い起こし、この全大宇宙を創造したエネルギーと同じものが自分にも宿っていることの意味を熟考するのです。そこから勇気を得て、壮大の気宇を抱くことです。下を向いてはいけません。上を見るのです。そして、援助は自分の内部と外部の双方から得られることを知ってください。
 あなたを愛する人々、そしてあなたの心臓の鼓動や呼吸と同じくらい身近にいて世話を焼いてくれている人々が、あなたを見放す筈がないとの信念に燃えてください。内的な平安と静寂、自信と決意、そして、全ては大霊が良きに計らってくださるとの悟りは、そうした認識の中においてこそ得られるのです。
 もとより、私の申し上げていることがそう簡単に実行できるものでないことは、私自身も先刻承知しております。が、霊的なことの成就が容易であろう筈がないのです。何度も申し上げておりますように、霊的意識が目覚めるのは、安楽な条件の中ではなく、難題と辛苦の中においてです。だからこそ一段と強化され、内部の霊性がますます発揮されることになるのです。
 それが人生の目的そのものなのです。楽なことばかりで何の苦労もなく、トゲのないハラの花に囲まれての生活では、成長は得られません。発達はしません。霊性は開発されません。これは大霊が定めた埋め合わせの原理の一環なのです。いつの日かあなたは、その時は嫌で仕方がなかった体験を振り返り、それらが実際はあなたの霊的進化を促す貴重な手段であったことを知って、感謝なさる日が来ることでしょう」

-あなたのお説ですと、大体において人間は誕生前から地上でどういう人生を送るかは分かっているそうですが、ある未熟な霊が一回の地上生活で今度こそは飛躍的に向上してみせると決意して生まれて来た場合、それは可能でしょうか。その為に例えば霊媒としての道を選んだ場合、プラスになるでしょうかマイナスになるでしょうか。

「どちらとも言えません。要はその能力をどう使用するかです。完全に無私の献身的な態度を維持すればプラスになります。私利私欲に走ればマイナスになります」

-精神的にも霊的にも意識が向上した人が過去の罪を地上生活中に奉仕の生活によって償うのは可能でしょうか。

「勿論可能です。それが地上に生まれて来る、そもそもの目的なのですから。難しく考えることはありません。色んな霊的意識が目覚め、なぜ地上にいるかが分かれば、それからの人生は償うべきものをどんどん償う人生となります」

-歴史をみても真理が権力によって抹殺されることがあるようですが、一体そういう敵対者がいる中ではたして霊的真理を機能させることが出来るものでしょうか。

「霊的真理はいかなる物的手段によっても抹殺されることはありません。抑圧・不正・圧政・独裁などによって後退させられることはあっても、無きものにされることはありません。霊を破滅させる力をもったものは地上には存在しません。地上での真理の普及には困難はつきものです。が、真理は真理であるが故に、最後は必ず行き渡ります。
 自由を旗印にしている人が酷い目に遭うことはあるかも知れません。殉教者・改革者・先駆者といわれる人達は皆、自分が啓示を受けた真理に忠実たらんとした人達です。人類の歴史は、そうした人達が迫害に耐えながら、なおも真理への忠誠心を失うことがなかった、長い物語であるといってもよいでしょう。地上には真理を抹殺できる力は存在しません」

-生き物は全て大霊が創造したものである以上、ウイルスなども大霊がこしらえたものに相違ありません。それを殺虫剤や消毒剤などで無きものにしてしまうのは間違いでしょうか。

「そうすべきだと考えてするのであれば、そうなさればよろしい。何事も、動機によって正否が決まります。地上世界はまだ未熟です。不完全で、完全へ向けて発展しているところです。その道程には幾多の困難や試練や障害や難題が横たわります。それらにどう対処していくかによって人類の進歩が決まります。
 そもそも人間の生命を奪うようなウイルスが発生するということは、人類の生き方がどこか間違っていることの証拠です。人類の生き方は地上の環境の全てに反映するのです。生き方を正せば、そういう克服できそうにない問題は生じなくなります。人類の行動と環境との間には不離の関係があるのです」

-宇宙旅行や宇宙探索の時代に入りましたが、人間はいずれは太陽系全体にまで活動範囲を広げるべきなのでしょうか。それとも地球という一天体に留まるべきでしょうか。

「物的側面の発展を阻止することは出来ません。人間は常により高いところに憧れ、より深いものを探ろうとするものだからです。ですが、この問題でも動機が問われます。純粋な知識の追求なのか、それともライバルに先んじて物的優位を得ようとするのか、そういった点が問われます」

-人間として最優先すべきものを忘れないという点も問われるのでしょうか。

「霊的原理に基づいた行動をしていれば、そういう問題は生じません。その点皆さんは霊的真理を知り得る立場にあるという点で恵まれていらっしゃいます。少なくとも自分の鼻の先しか見えない者よりは、少しばかり遠くがお見えになります」

 -あなたは、時にはこの世の喧噪から逃れて内なる霊的叡知を求めることを奨励なさいますが、生涯を世俗と絶縁した生活を送ることをどう思われますか。例えば修道士や修道女のように隔離された世界で生きる人達のことです。

「これも動機次第です。人の為に奉仕する為であれば結構なことですし、世俗から遁れることだけが目的であれば、それは良くありません。更には、霊的資質を開発する為に物欲から離れるというのであれば、それは望ましいことです」

-鎮痛剤や麻酔薬の使用は好ましくないと、どの霊も言うのですが、酷い苦痛に苛まれている者にも絶対に使用してはけないのでしょうか。

「それは、その時の事情と動機によりけりです。痛みを和らげてあげるのであれば、悪いことではありません。それ自体は私は反対しません。私が反対しているのは、スタミナの増進の為に薬物を使用することです。地上の人間として心掛けるべき優先課題というものがある筈です。すなわち霊と精神と肉体の調和です。その基本を踏まえた上で、苦しみ喘いでいる人に一時的に特殊な処方をするのは、決して悪いことではありません」

-因果律の問題も考慮に入れなければならないのではないでしょうか。

「勿論です。私は今、目の前で七転八倒している人にどうしてあげるべきかという問題にお答えしているのです。原則として薬物の使用が良くないことは今更申し上げるまでもないことです。その時々の事情で、今はこうするしかないと思い、良かれと思ってやっている人を非難することは出来ません。
 このことは、今地上でどうすべきかと迷い、真剣に解答を求めている人達の立場も考えて申し上げていることです。地球を救う為の大事業に多くの霊が参加し、私がこうして地上圏へと降りて来たそもそもの目的も、結局はその点にあります。こうした真剣な質問を出してくださるようになったことに、私は満足しているところです。真剣に求めていけば、更に大きな光明を見出されることでしょう」

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