一寸先は闇の世の中と言われる人生において、一つだけ確実に予言出来ることがある。みんな[いつかは死ぬ]ということである。若くして死ぬ人がいる-往々にして悲劇的環境の中で・・・。長寿番付に名を連ねて、大往生を遂げる人もいる。が、遅かれ早かれ、みんな、いつかは死ぬのである。
 死について、また死後の生命について、いくら明るく健全な知識を手にした人でも、やはり身近な人の死は辛く悲しい体験であることには違いない。ある日の交霊会でシルバーバーチは、こう述べた。
 「私の説く真理を極めて当たり前のことと受取る方がいらっしゃるでしょう。既に度々お聞きになっておられる方はそうでしょう。が、驚天動地のこととして受け止める方もいらっしゃるでしょう。所詮、様々な発達段階にある人類を相手にしていることですから、それは当然のことでしょう。
 私の述べることがどうしても納得できない方がいらっしゃるでしょう。頭から否定なさる方もいらっしゃるでしょう。あなた方西洋人から野蛮人と見なされている人種の言っていることだということで、一蹴される方もいらっしゃるでしょう。しかし、真理は真理であるが故に真理であり続けます。
 あなた方にとって当たり前となってしまったことが、人類史上最大の革命的事実に思える人がいることを忘れてはなりません。人間は霊的な存在であり、神の分霊であり、永遠に神と繋がっている-私達霊団が携えてくるメッセージは、いつもこれだけの単純な事実です。神との繋がりは絶対に切れることはありません。時には強められ、時には弱められたりすることはあっても、決して断絶してしまうことはありません。
 人間は向上もすれば堕落もします。神の如き人間になることも出来れば、動物的人間になることも出来ます。自由意志を破壊的なことに使用することも出来ますし、建設的なことに使用することも出来ます。しかし、何をしようと、人間は永遠に神の分霊であり、神は永遠に人間に宿っております。
 こうした真理は、教会で朗唱する為にあるのではありません。日常生活において体現していかなくてはなりません。飢餓、失業、病気、貧民街といった、内部に宿る神性を侮辱するような文明の恥辱を無くすことに繋がらなくてはいけません。
 私達のメッセージは全人類を念頭においております。いかなる進化の段階にあろうと、そのメッセージには、人類の全てが手に取り、理解し、そして吸収すべきものを十分に用意してあります。
 人類が階段の一つに足を置きます。すると私達は、次の階段でお待ちしています。人類がその段まで上がってくると、また次の段でお待ちします。こうして一段また一段と宿命の成就へ向けて登っていくのです」

 別の交霊会で、肉親を失って、その悲しみに必死に耐えている人に対して、シルバーバーチがこう述べた。
 「あなたの、霊の世界を見る目が遮られているのが残念です。霊の声を聞く耳が塞がれているのが残念です。その肉体の壁を超えてご覧になれないのが残念です。今生きておられる世界が影であり実在ではないことを悟って頂けないのが残念です。あなたの背後にあって絶え間なく世話を焼いている霊の働きをご覧に入れられないのが残念でなりません。数々の霊-あなたのご存知の方もいれば、人類愛から手を差し伸べている見ず知らずの人もいます-が、あなたの身の回りに存在していることが分かって頂けたら、どんなにか慰められるでしょうに・・・。地上は影の世界です。実在ではないのです。
 私達の仕事は、こうした霊媒を通してのものばかりではありません。勿論、人間世界特有の(言語によって意思を伝える)手段によって私達の存在を知って頂けることを有り難く思っておりますが、実際には、皆さんの目に見えず耳に聞こえずとも、皆さんの現実の生活に影響を及ぼし、導き、鼓舞し、指示を与え、正しい選択をさせながら、皆さんの性格を伸ばし魂を開発しております。そうした中でこそ死後の生活に備えて、霊的な成長に必要なものを摂取できる生き方へと誘うことが出来るのです」

ある年の復活祭(イースター)の季節にシルバーバーチは[死]を一年の四季の巡りになぞらえて、こう語った。
 「四季の絶妙な変化、途切れることのない永遠の巡りに思いを馳せてごらんなさい。全ての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界が美を競い合う夏、そして又、次の春までの眠りに備えて大自然が声を潜め始める秋。
 地上は今まさに大自然の美事な顕現-春・イースター・蘇り-の季節を迎えようとしております。新しい生命、それまで地下の暗がりで安らぎと静けさを得てひっそりと身を横たえていた生命が、一斉に地上へ顕現する時期です。間もなくあなた方の目にも樹液の活動が感じられるようになり、やがて蕾が、若葉が、そして花が目に入るようになります。地上全体に新しい生命の大合唱が響き渡ります。
 こうしたことから、皆さんに、太古においては宗教というものが大自然の動きそのものを儀式の基本としていたことを知って頂きたいのです。彼らは、移り行く大自然のドラマと星辰の動きの中に神々の生活、自分達を見つめている目に見えない力の存在を感じ取りました。自分達の生命を支配する法則に畏敬の念を抱き、春を生命の誕生の季節として、最も大切に考えました。
 同じサイクルが人間一人ひとりの生命においても繰り返されております。大自然の壮観と同じものが一人ひとりの魂において展開しているのです。
 まず意識の目覚めと共に春が訪れます。続いて生命力が最高に発揮される夏となります。やがてその力が衰え始める秋となり、そして疲れ果てた魂に冬の休眠の時が訪れます。が、それで全てが終わりとなるのではありません。それは物的生命の終わりです。冬が終ると、その魂は次の世界において春を迎え、かくして永遠のサイクルを続けるのです。
 この教訓を大自然から学び取ってください。そして、これまで自分を見捨てることのなかった摂理は、これ以後も自分を、そして他の全ての生命を見捨てることなく働き続けてくれることを確信してください」

 スピリチュアリズムの普及に活躍していた同志が他界したとの報に接して、シルバーバーチはこう語った。
 「大収穫者である神は、十分な実りを達成した者を次々と穫り入れ、死後に辿る道をより明るく飾ることをなさいます。
 肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私達の世界では、また一人、物質の束縛から解放されて、言葉では言い表せない生命の喜びを味わい始める魂を迎えて、嬉し涙を流します。私は常々[死]は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しい喜び、そして地上で発揮できずに終った内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、喜んでいることを説いております。
 ここにおいでの方は、他界した者は決してこの宇宙からいなくなったわけではないとの知識を獲得された幸せな方達ですが、それに加えてもう一つ知って頂きたいのは、こちらへ来て霊力が強化されると、必ず地上のことを思いやり、こうして真理普及の為に奮戦している私達の仕事に協力してくれているということです。
 その戦いは地上の至るところで、日夜続けられております-霊の勢力と、醜い物的利己主義の勢力との戦いです。たとえ一時は後退のやむなきに至り、一見すると霊の勢力が敗北したかに思えても、背後に控える強大な組織のお蔭で勝利は必ず我がものとなることを確信して、その勝利へ向けて前進し続けます。
 いずれあなた方も、その戦いにおいて果たされたご自分の役割、すなわち大勢の人々に慰めと知識を与えてあげている事実を知って、大いなる喜びに浸ることになりましょう。今は、それがお分かりにならない。私達と共に推進してきた仕事によって、生きる喜びを得た人が世界各地に無数にいることを、今はご存知ありません。
 実はあなた方も、こうした霊的真理の普及に大切な役割を果たしておられるのです。その知識は、成る程と得心がいき、心の傷と精神の煩悶と魂の憧憬の全てに応えてくれる真実を求めている、飢えた魂にとって何ものにも替え難い宝となっております。
 太古の人間が天を仰いで福音を祈り求めたように、古びた決まり文句にうんざりしている現代の人間は、新しいしるしを求めて天を仰いできました。そこで私達が、あなた方の協力を得て、真実の知識をお持ちしたのです。それは、正しく用いさえすれば、必ずや神の子の全てに自由を-魂の自由・精神の自由だけでなく身体の自由までも-もたらしてくれます。
 私達が目的としているのは、魂を解放することだけではありません。見るも気の毒な状態に置かれている身体を救ってあげることも大切です。つまり私達の仕事には三重の目的があります。すなわち精神の解放と、魂の解放と、身体の解放です。
 そのことを世間へ向けて公言すると、あなた方はきっと、取り越し苦労性の人達から、そう何もかも上手く行くものではないでしょうという反論に遭うであろうことは、私もよく承知しております。しかし事実、私達の説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くものです。宇宙のどこを探しても神の摂理の届かないところがないように、地上生活のどこを探しても、私達の説く霊的真理の適用できない側面はありません。
 挫折した人を元気付け、弱き者、寄るべなき者に手を差し伸べ、日常の最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正を無くし、不平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露をしのぐ程の家とてない人々に住居を提供するという、こうした物質界ならではの問題にあなた方が心を砕いておられる時、それは実は、私達霊の世界からやってくる者の仕事の一部でもあることを知って頂きたいのです。
 そうした俗世的問題から超然とさせる為に霊的真理を説いているのではありません。霊的真理を知れば知る程、自分より恵まれない人々への思いやりの気持を抱くようでなければなりません。
 その真理にいかなる肩書きを付けようと構いません。政治的ラベル、経済的ラベル、宗教的ラベル、哲学的ラベル-どれでもお好きなものを貼られるがよろしい。が、それ自体は何の意味もありません。大切なのは、その真理が地上から不正を駆逐し、当然受けるべきものを受けていない人々に、生得の権利を行使させてあげる上で役立たせることです」
そして最後に[死]にまつわる陰湿な古い観念の打破を説いて、こう述べた。
「その身体があなたではありません。あなたは本来、永遠の霊的存在なのです。私達はこうした形で週一回お会いして僅かな時を過ごすだけですが、そのことがお互いの絆を強化し、接触を深めていく上で役に立っております。毎週毎週、あなた方の霊そのものが霊的影響力を受けて、それが表面へ出ております。その霊妙な関係は物的身体では意識されませんが、より大きな自我は実感しております。
 又、こうしたサークル活動は、あなた方が霊的存在であって物的存在ではないことを忘れさせないようにする上でも、役に立っております。人間にはこうしたものが是非とも必要です。なぜなら、人間は毎日、毎時間、毎分、あくせくと物的生活に必要なものを追い求めている内に、つい、その物的なものが殻にすぎないことを忘れてしまいがちだからです。それは実在ではないのです。
 鏡に映るあなたは、本当のあなたではありません。真実のあなたの外形を見ているにすぎません。身体は人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現する為の道具にすぎません。
 その身体があなたなのではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全大宇宙を支えている生命力-全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠の巡りを規制し、全生命の生長と進化を統制し、太陽を輝かせ星をきらめかせている大霊の一部なのです。
 その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。それは、あらゆる物的概念を超越した存在です。全ての物的限界を超えております。あなた方が想像するいかなるものよりも偉大なる存在です。
 あなたはまさに一個の巨大な原子-無限の可能性を秘めながら、今は限りある形態で自我を表現している、原子のような存在です。身体は内部に、いつの日か全ての束縛を押し破り、真実のあなたにとってより相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。そうなることをあなた方は[死]と呼び、そうなった人のことを悼み悲しんで涙を流されます。それは、相も変わらず肉体がその人であるという考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思い込んでいる証拠です。
 しかし、死は生命に対して何の力も及ぼしません。死は生命に対して何の手出しも出来ません。死は生命を滅ぼすことは出来ません。物的なものは、所詮、霊的なものには敵わないのです。もしあなたが霊眼をもって眺めることが出来たら、もし霊耳をもって聞くことが出来たら、もしも肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取ることが出来たら、その時こそ、肉体という牢獄からの解放を喜んでいる、自由で、意気揚々として、嬉しさ一杯の、甦った霊をご覧になることが出来るでしょう。
 その、自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空へ放たれたことに涙してはいけません。喜んであげるべきです。そして、その魂が真の自由を見出したこと、今地上にあるあなた方も神より授かった魂の潜在能力を開発すれば、同じ自由、同じ喜びを味わうことが出来ることを知ってください。
 これで、死の意味がお分かりになる筈です。そして、死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門にすぎないことを得心なさる筈です。
 他界してその自由を味わった後に開発される霊力を、今ここであなた方に身をもって実感して頂けないことを、私は実に残念に思います。しかし、あなた方には知識があります。それをご一緒に広めているところです。それによってきっと地上に光をもたらし、暗闇を無くすことが出来ます。
 人類はもう、何世紀にもわたって迷わされ続けてきた古い教義は信じません。教会の権威は失墜の一途を辿っております。霊的真理の受け入れを拒んできた報いとして、霊力を失いつつあるのです」