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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ 総集編

シルバーバーチ 総集編 目次

巻頭言

霊団の使命

人間・死・死後の世界

この世とあの世の係わり合い

宇宙の根本摂理-因果律

向上進化の原理

自由と責任

善悪と公正



祈り

宗教

力強く生きる為の叡智1

力強く生きる為の叡智2

落穂集1

落穂集2

落穂集3

 本書は霊の世界の祝福を受けて物質の世界へ届けられるものです。願わくば今これを手にされたあなたが、本書を読まれることによって心の目を開き魂に感動を覚えられんことを祈ります。生命の物的諸相の背後にあるより高い、より深い、より尊い、そしてより雄大な側面に気付くまでは、その人は暗い霧の中で生きていることになるのです。


                                            シルバーバーチ

○私達霊団の者も皆さんも、共に大霊への奉仕者です。ただ私達は皆さんよりホンの少しばかり先を歩んでいるというに過ぎません。そこでこうして引き返してきて、これまでに学んだものの中から皆さんのお役に立つものをお分けしようというわけです。お互いに扶助し合うということが生命の根本原理だからです。互助の精神のないところには荒廃があるのみです。互助の精神のあるところには平和と幸せが生まれます。地上世界はその互助の精神によって新しい社会を築かないといけません。原理はいたって簡単なのです。人間がそれをややこしくしているのです。

○そもそも私達が地上へ戻って来る目的はそこにあるのです。すわち、たった一冊の書物、たった一つの宗教、たった一人の指導者-それが地上の人間であっても霊界の存在であっても-そういう限られたものに自分の全てを託してはいけない、それよりも神の摂理に従順であるように心掛けなさいと申し上げる為です。それだけは絶対に裏切らない、絶対に間違うということがないからです。

○地上世界にもこれまでに何度となく霊的啓示がもたらされ、そして失われていくということが繰り返されてまいりましたが、今後こそは前面に押し出して二度と失われることにないようにしようとの決意のもとに、大々的な努力がなされております。私はその為の一個の道具にすぎません。今度こそは物質万能主義と利己主義の勢力の跋扈(ばっこ)を抑制し、人間がややもすると囚(とりこ)になってしまいがちな煩悩に負けないようにする為の努力がなされております。その為には日常生活の中にそうした霊的真理を生かしていくしかないのです。

○私達がこうした真理の普及に努力するのは、それが霊的摂理のみならず物的法則とも密接に係わり合っているからです。私達の目から見れば物質界も大霊の支配下の全大宇宙の一部であり、絶望の淵に喘ぐ地上人類の苦悩に無関心でいては、宗教心を説く資格はありません。

○私は私をこの地上へ派遣した霊団の代弁者にすぎません。私自身の栄誉とか褒賞とかを求める気持は微塵もございません。誇大に宣伝したり地上時代の偉そうな人物名を名乗ったりする趣味も持ち合わせません。私はただこれまで申し上げたような霊的真理、永い間忘れ去られていた真理に改めて[神の真理]のシールを貼って、こうして地上へお届けする為の道具であることに喜びを感じているのです。

○私の役目は私の所属する霊団からのメッセージをお届けすることです。手塩にかけて養成したこの霊媒と私自身の霊力の力量の範囲内で受け取ったものを忠実に伝達する努力を続けてまいりました。私はたたお役に立てばそれでよいのです。もしも私がお伝えするささやかな教えが、人生の嵐の中にあるたった一個の魂の一服の憩いとなり、疑念の嵐を潜り抜けた後の確信の港となれば、或いは又、こうした一見なんでもなさそうな素朴な霊的真理の聖域の中に幸せを見出し生き甲斐を覚えさせてあげることになれば、父なる神から仰せつかった仕事のいくばくかを成就したことになります。

○こうして私達が霊的真理の普及に努力している一方には、この真理そのものよりもそれを伝える道具つまり通信霊の身元の詮索の方か大事だと思っている人が大勢いるようです。その霊が地上で白人であろうが黒人であろうが黄色人種であろうがレッド・インディアンであろうが、それでどう違ってくるというのでしょう。神の真理が教養豊かな人によって届けられようと無学な人によって届けられようと、それが真理に間違いなければ、純粋の真理でありさえすれば、そんなことはどうでもよいことではないでしょうか。

○私達は物質の世界の子等がいかにすれば伸び伸びと生きることが出来るか、いかにすれば霊的真理の光に浴することが出来るか、いかにすれば人間的産物である教義への隷属状態から脱け出せるかをお教えしようと努力しているところです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、一旦宗教的束縛を受けるようになると、その迷信の厚い壁を真理の光が突き抜けるには永い時間を要するからです。

○強大な霊の勢力があなた方の物質の世界へ差し向けられております。全ての国において霊力の強い働きかけが感じ取れるようになるでしょう。地上世界にはびこる利己主義と無知に対抗して、なすべき大切な仕事があるからです。いずれはそれも征服されることでしょうが、それまでの過程において大変な苦悩があることでしょう。

○皆さんの味方として差し向けられる霊は色々です。地上で顔見知りだった人、血縁のあった人、更にはそうした地上的縁とは無関係に、ただ地上人類への愛に動かされてやって来る高級霊もいます。背後霊というと人間はとかく名前を知っている人達のことを頭に浮かべがちですが、その他に、自分の存在を知ってもらいたいとも功績を認めてもらいたいとも思わず、ただ持てる霊力を役立てたい一心から働きかける霊が無数にいることを忘れないでください。

○霊にかかわることは慎重な配慮による養成と進歩を要します。急激な変心は永続きしません。私達の仕事は永続性を目標にしているのです。一人また一人と、暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと這い出るごとに地上世界が進歩するのです。その一人ひとりが物質第一主義の棺に打ち込む一本の釘なのです。

○私達が行なっている仕事が今後もますます要請されてまいります。地上世界は流血と悲劇と苦悩に溢れております。無明故に神の摂理にそった生き方をせずに、暗黒と絶望へ向かう道を選択してしまいました。そこで私達は希望と光明と安らぎと調和へ導く叡智をお教えしようとしているのです。それを地上の人間は無明故に軽蔑しようとします。お届けするメッセージを拒絶します。霊力の働きかけを否定します。しかしそうした態度にはお構いなく真理は地上へ広がっていくことは間違いありません。大霊を始源としているからです。

○私が使用するこの霊媒の口からもしも皆さんの理性を反発させるもの、神の愛と矛盾すること、愚かしいこと、知性を侮辱するものが聞かれるようになったら、その時はもはや私の時代は終わったこと、私の仕事が挫折したことを意味します。

○スピリチュアリズムの活動は、放棄された信仰の瓦礫(がれき)の中にあって人類が懐疑と猜疑の為に全てを拒絶してしまうことなく、実と殻、事実と神話とを選り分けて、どの宗教にも包蔵されていながら幼稚な人間的想像の産物の下に埋もれてきた霊的真理に目を向けるよう導くという、大きな使命の一環なのです。

○こうして地上世界の為の仕事に従事している私達の多くは、これから先の地上はこうなるという未来像を見せて頂いております。それを受け入れ能力のある地上の同志に伝え、挫けがちな心を鼓舞しております。私が見せて頂いた未来図に較べると現在の地上世界が非常に醜く見えます。が私には地上世界はこれほどまで立派になりうるのだ、こうならねばならないのだということが分かっております。あとは[時間]の問題です。それを早めるも遅らせるも人類の自覚一つに掛かっております。

○人間はやはり神の摂理に則った生き方をしなければならないのだと思い知るまでは、混沌と破綻と悲劇と崩壊の止む時はないでしょう。私達は人間も本来は[霊]であることを原理とした摂理を説くほかはありません。なぜなら、物的なものが朽ち果てて塵となった後になお残るのは霊的なものだからです。物的なものだけに目を向けている人間は大きな過ちを犯します。なぜなら、その生き方は幻影を追い求めて永遠なるものを忘れているからです。いたって簡単なことなのですが、そのことが未だに理解されておりません。

○人間の心の中には常に[人間的なもの]と[霊的なもの]との葛藤があります。霊的なものが勝てば神との一体感を自覚します。人間的なものが勝った時は空しさを覚えます。そこで私達は人間を、本人がこれが一番良いと思っている道ではなく、この道の方がより大きな存在価値を発揮するという方向へ導いてあげる必要があるのです。

○身体の健康状態とは別に、皆さんを取り巻いている雰囲気と地上全体を取り巻いている大気が憎悪と凶暴性に満ちていて、私達が突き抜けるのに苦心惨憺することがあります。霊の目には見るも恐ろしい様相を呈しております。私達霊団はそうした病める地上世界-貪欲をむき出しにし、利己主義が支配し、本来の霊的属性を発揮している人がホンの一握りしかいない世界を何とかして改めたいと望んでいるのです。

○全生命の基盤となっている永遠の実在に関する知識を広めることは、もとより私達の仕事の一環です。生命は霊であり霊は生命だからです。しかし同時に人間は肉体を携えた[霊]であり、霊を宿した[肉体]ではないということ、肉体はその所有者が自我を発揮する為の仮の宿にすぎないという事実を、受け入れる用意の出来た人達に教えてあげることも大切な仕事です。

○困ったことに人間は自分に都合のよいことが都合のよいタイミングで生じてくれることを望みます。しかし私達はそういう期待にはお応えしかねます。私達には私達なりのタイミングがあります。皆さんよりは先見の明が開けておりますから、皆さんにとってのその時点でどうなるのが一番良いかの判断は、皆さん自身よりは私達の方が上です。地上の人間の祈りを聞いていると、もしもその通りに叶えさせてあげたら大変なことになりかねないことが沢山あります。

○神も、所詮は人間という物的な道具を使用するしかないのです。あなた方は霊力が地上へ働きかける為の道具です。ですから心を開き、受身的になり、先入観を取り除くことが大切です。人の為に役立ちたいという願望を抱くことが大切です。その願望に感応して、その為に必要な援助が届けられます。

○改めて申し上げるまでもないことですが、私達は皆さん方の献身的奉仕精神に呼応して献身するということに徹しており、その精神が無視されることは絶対にありません。と言って私達による援助は必ずしも皆さんが望んでおられる通りのものとは限りません。結果的に皆さんにとって好ましい形になるように、まず霊的理解力を培うことに努力します。皆さんの我がままに負けて程度を下げた形で妥協するよりも、高度なレベルまで皆さんに向上して頂く方が良いに決まっています。ここにお集まりの方だけでなく、世界各地の受け入れる用意の出来た人々に、真の自我に目覚めて頂こうと私達が努力しているそもそもの目的は結局はそこにあるであり、それが私達が皆さんに求める理想なのです。

○私達は命令はしません。皆さん方をロボットや操り人形のように扱うことはしません。協力者であって欲しいのです。インスピレーション、コミュニケーション、ヒーリング、その他いかなる形にせよ、霊力を地上へ届ける道具としての受容性を伸ばして頂きたいのです。

○皆さんがシルバーバーチとお呼びくださっている私は、霊界の無限の知識のホンの一部を託されているだけです。ですが、皆さんが更に進化すれば、私よりもっと立派な指導霊が、私を利用して一段と高い次元の知識と叡智を授ける手筈を整えております。

○もうこれでお終いという段階は来ません。完全というものは存在しないのです。皆さんも私も進化の途上にあります。そして私より進化した霊の話によりますと、その上にも更に進化した神霊が働いているということです。

○正しい知識を地上に普及させる-これが私達霊団の使命の一環です。一環とはいえ大変な仕事です。霊的実在に関する地上世界のあまりの無知に、このまま放置していては大変なことになるとの認識がこちらの世界で広まりました。その無知による弊害があらゆる面で顕著になってきたからです。地上世界だけではありません。霊界側にもそれが反映され始めたのです。どの宗教も自分のところの教義を信じた者は死後たちまち光輝溢れる霊となって、悩みや労苦から解放されるかに説いておりますが、事実はそうではありません。これほど真実からかけ離れた教えはありません。

○地上世界の無知による弊害を見るに忍びず、これは何としても思い切った手段を講じて霊的実在に関する正しい知識を普及させなければとの決断がなされました。私がこうして何十年にもわたってこのサークルで語り続けているのもその一環です。[霊的]というと何か掴みどころのない神秘的なものを想像なさりがちですが、そうではなくて実在そのものなのです。何代にもわたって引き継がれてきた誤解・無知・偏見・虚言・虚偽・迷信-要するに無数の人類を暗黒の抑圧の中に閉じ込めてきた勢力を取り除かねばなりませんでしたし、今なおそれを続けております。

○人間は身体と精神と霊の三つの要素が一体となったものです。一個の自我に三つの側面があるということです。その三者が調和よく機能している状態が健康です。

○人間が『死』と呼んでいるのは物的身体が物を言わなくなる現象です。用事が終わって霊との縁が切れ、元の大地へ戻っていくのですが、往々にしてそれが、霊に充分な準備が整っていないうちに起きるのです。それはともかくとして、霊は肉体という牢から解放されて、それよりはるかに精妙な構造をした霊的身体で自我を表現することになります。地上では眠っていた霊的感覚が発揮され始めると、その活動範囲も飛躍的に広がります。

○宇宙はたった一つで、その中に無数の生活の場があります。生命は一つです。ただそれには無数の進化の段階があるということです。そうした霊的事実を説明しようとすると言語の不自由さが立ちはだかります。とは言え、このぎこちない不適切な記号を使用せざるを得ず、結果的には真相が上手く伝えられないということになります。生命は一つです。宇宙は一つです。境界線というものは存在しません。国境というものはありません。死んで行った人も相変わらず同じこの宇宙で生き続けているのです。ただ地上とは異なるバイブレーションの世界、異なる意識の段階で生活しているというだけです。霊も、あなたの目には見えなくても同じ地上にいると考えてもよいのです。それはちょうど、あなたもご自分では気付かなくても、私と同じ霊界にいると考えてもよいのと同じです。


○あなたは物質の世界に生きているために、とかく生命活動を物的なものとして考えがちです。しかし生命の本質は物的なものではありません。生命の基盤は非物質的なものです。物質をいくら分析しても生命の起原は見つかりません。あなたという存在は物質ではありません。身体は物質で出来ています。しかし本当のあなたは、触れることも見ることも感知することも聴くことも出来ません。真実のあなたは『霊』なのです。

○あなたの行為、あなたの活動、あなたの思念、要するにあなたの生活そのものがあなたという実在を形成していくのです。その実在は肉眼では見えませんが、『死』 の過程を経て肉体と永遠に訣別した瞬間から、それが丸裸にされます。それ以上に立派に見せることも出来ませんし、それ以下に惨めに見られることもありません。地上生活によって形成された性格をそっくり携えて行くのです。平凡な日常生活の中で培われた霊的物質こそあなたの永遠の財産となるのです。

○死後あなたが赴く界層は地上で培われた霊性に相応しいところです。使命を帯びて一時的に低い界層に降りることはあっても、降りてみたいという気にはなりません。と言ってそれより高い界層へは行こうにも行けません。感応する波長が地上で培われた霊性によって一定しており、それ以上のものは感知できないからです。結局あなたが接触するのは同じレベルの霊性、同じ精神構造の者に限られるわけです。

○霊界へ来て何年になるとか、地上で何歳の時に死んだといったことは何の関係もありません。すべては霊性の発達程度によって決まることです。そこが地上世界と霊界との大きな違いです。地上ではみんなが同じ平面上で生活し、精神的にもまったく異なる人々と交わりますが、こちらへ来ると、あなたが交わる相手は霊的に同質・同等の人ばかりです。立派な音楽家の曲が聞けないという意味ではなく、生活の範囲がほぼ同等の霊格の者に限られるということです。そこには親和力の法則という絶対に狂うことのない法則が働いております。

○人間は物的身体という牢の中で生活しています。その牢には小さな隙間が五つあるだけです。それが五感です。皆さんはその身体のまわりで無数の現象が起きていても、その目に見え、その耳に聞こえ、その肌に触れ、その舌で味わい、その鼻で嗅いだもの以外の存在は確認できません。ですが実際にはその身体のまわりで無数の生命活動が営まれているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。人間の五感では感知できないというに過ぎません。

○こちらへ来た当初は霊的環境に戸惑いを感じます。十分な用意が出来ていなかったからです。そこで当然の成り行きとして地上的な引力に引きずられて戻ってきます。しばらくは懐かしい環境ー我が家・仕事場などーをうろつきます。そして大抵は自分がいわゆる『死者』であることを自覚していないために、そこにいる人達が自分の存在に気づいてくれないこと、物的に触っても何の感触もないことに戸惑い、訳が分からなくなります。しかしそれも当分の間の話です。やがて自覚の芽生えとともに別の意識の世界にいるのだということを理解します。

○死んで間もない段階では地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てたというだけのことです。個性は同じです。性格も変わっておりません。習性も特徴も性癖もそっくりそのままです。利己的な人は相変わらず利己的です。欲深い人間は相変わらず欲深です。無知な人は相変わらず無知のままです。落ち込んでいた人は相変わらず落ち込んだままです。しかし、そのうち霊的覚醒の過程が始まります。いわゆる『復活』です。

○死後の環境は地上時代の魂の成長度によって決まります。たとえば霊の世界では行きたいと思うだけでその場へ行けますが、その行動範囲にはおのずと霊格による限界があります。

○あなたは今その地上にある時から立派に霊的存在です。死んでから霊的存在になるのではありません。霊的身体は死んでから与えられるのではありません。死は肉体の牢獄からあなたを解放するだけです。それはあたかもカゴの中の鳥が放たれるのと同じです。

○人間は肉体を携えた霊であって、霊を携えた肉体ではりあません。肉体は霊が宿っているからこそ存在し得ているのです。それは神の火花であり、すべての存在に内在しており、すべての生命を通して顕現しているのです。

○地上というところは内部の魂が芽を出し開眼し発達して、肉体の死後に始まる次の段階の生活に耐えられるだけの霊力をつける、そのための体験を得る場所です。

○地上は幼児の学校であり、こちらは大人の学校です。地上では神から授かっている霊的資質を少しでも多く発揮するように、精神を修養し霊性を鍛錬して他人のために役立つことをする、その練習をしているのです。

○人間は例外なく心霊的能力をそなえております。これは大変大きな意味をもっております。歴史を勉強なされば、この事実は世界の全ての宗教の起原に結び付いている基本的真理であることを理解なさるはずです。偉大な宗教家の教えの中には必ずそのことが述べられています。みな同じ始原からのインスピレーションを受けているのですから当然のことです。人間は成就すべき霊的宿命をもった霊的存在であること、死後に待ち受けるより大きな生命活動に備える為にこの地上に来ていること、そして死ぬ時には地上で自らの力で身に付けた愛、自ら築いた性格、自ら開発した霊的才覚を携えて行くということを異口同音に説いております。これこそが全ての宗教の中心的教えではないでしょうか。しかもそれが全ての宗教において、一つの例外もなく忘れ去られていることも事実ではないでしょうか。膨大な量の教義、神学、教条主義、宗教とは何の関係もない、或いは宗教として何の価値もない、人間的思考の産物によって置き換えられているのです。

○厳密に言えば「霊は身体に宿る」という言い方は適切ではありません。霊と身体とは波長の異なる存在だからです。本当のあなたは体内にいるのではありません。心臓と肺の間に小さく縮こまっているのではありません。地上で生活するためにこしらえられた物的装置を通して自我を表現している『意識』です。

○実際には人間のすべてが睡眠中にこちらの世界へ来ております。それは神の配慮の一つで、いよいよこちらへ来た時に環境の違いによってショックを受けないように、未来の環境に慣れさせておくのです。ちょうど子供時代を過ごした土地へ来るとその頃の思い出が甦ってくるように、睡眠中に訪れていた環境の記憶が甦ってきます。

○睡眠というのは物的身体の操作から霊的身体の操作へとスイッチが切り替わることであり、その意味で、その間は霊の世界にいるわけです。その睡眠中の身体に別の霊が入ってくる心配はありません。あなたがドアを開けっ放しにして出て行った後、誰かがノコノコと入ってきてドアを閉めてしまうというような図を想像してはいけません。そういうものではありません。物的身体は相変わらずあなたの管理下にあります。ただ意識の焦点が別の次元に移っているというだけであって、やがて朝になれば意識が戻ります。

○衝撃などで昏睡状態に陥った場合は、霊と身体との正常な関係が破られているわけです。睡眠の場合は朝になれば霊がそういうものと自覚してバイブレーションを落として身体に戻る用意をします。それが正常な関係ですが、昏睡状態の場合は無理矢理に身体機能から離され、しかもその機能が破壊されている為に、戻ろうにも戻れないのです。

○オーラは身体から出る様々な放射物によって構成されています。実際には無数のオーラがあるのですが、地上界でオーラと言う時は肉体と霊体を包んでいるオーラのことです。あらゆる存在物にオーラがあります。意識をもたない物にもオーラはあります。

○人間のオーラには身体の状態と精神の状態が反映しますので複雑な波動を出しております。オーラを霊視しその意味が読み取れる人には、その人物の秘密が全て分かります。言ってみれば一冊の書物のページが開かれているようなものです。思ったこと、行なったことの全てが記録されています。外見をどう繕っても、オーラには本当のあなたがありのまままに表れています。

○パーソナリティとインディビジュアリティは違います。マスクを意味する[パーソナ]を語原とするパーソナリティは物的身体との関係で派生する地上だけの人物像です。つまり本来の自我であるインディビジュアリティが五感を通して地上で自我を表現しようとしている側面であり、自我の全体を氷山に例えれば、海面上に出ているホンの一部にすぎません。

○インディビジュアリティはパーソナリティよりはるかに大きな存在です。肉体の死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。インディビジュアリティを太陽に例えれば、パーソナリティはその太陽が作り出した影程の存在です。死後、インディビジュアリティは地上では表現できなかった潜在的資質を徐々に発揮していきます。

○発達にも二種類あることを知らないといけません。精神に係わるものと霊に係わるものです。前者は心霊的能力の発達にすぎませんが、後者は魂の成長そのものです。心霊能力が発揮されても魂の成長が伴わなければ、低いバイブレーションの仕事しか出来ません。両者が上手く組み合わさった時は、優れた霊能者であると同時に偉大な人格をそなえた人物となります。

○無数の生命の相が互いに融合し合っております。境界線のようなものは存在しません。一方の側に物的なものが存在し、他方の側に霊的なものがあって、それが混ざり合っているのです。原理は無線電信と同じです。無数の波長、無数の振動があるのですが、同じ空間を飛び交っております。その内のどれに反応するかは器機の感度によります。地上の人間は物質の波動の世界に閉じ込められております。物的な波長しか感知できません。霊視能力者は普通の波長より一段と精妙な波長を感知できる人であり、霊聴能力者は普通の音の波長より一段と精妙な波長を感知できる人です。これも霊媒という器機の感度の問題です。

○地上世界は永い間の物質中心の感覚によって粗悪な生活の場となってしまいました。元々人類は数多くの霊的感覚を使用することが出来たのです。内部の霊妙な能力に気付いていたのです。古い記録を御覧になれば、太古にさかのぼるほど超能力が使用されていたことがお分かりになるはずです。それが物質文明の発達と共に次第に委縮し、今日では霊的バイブレーションがキャッチできる人は極めて少数となりました。

○死後にも生命は存在します。いわゆる『故人』も今なお生き続けております。地上圏へ戻ろうと思えば戻れますし、現に戻っております。しかし、ただそれだけの表面上のことだけでこの問題を片付けてはなりません。なぜ生き続けることが出来るのか、どういう過程で甦るのか、新しい生活にとってそれまでの生活はどういう影響を及ぼすのか、地上と霊界とはどういうつながりになっているのか、死の門をくぐったあとにどういう体験をしているかー教訓として何を学んでいるか・・・こうしたことが宗教にも科学にも政治にも経済にも芸術にも国際関係にも影響を及ぼすのです。永いあいだ人類を苦しめてきた問題に新たな光を当てることになるからです。

人間は本質的には地上にいる時から既に霊的資質や属性の全てを所有しております。時たまチラリと発現することはあっても、大半は居眠りの状態で潜在しております。ですから、いかなる形式にせよ霊が地上と交信する時は、必然的に霊側が犠牲を強いられることになります。霊的波動を下げて人間の物的波動に近づけざるを得ないからです。

○人類の大半は霊的に高度なものを自らの力で手にすることは不可能です。バイブレーションがあまりにもデリケートであり、あまりにも鋭敏であり、あまりにも洗練されている為に、よくよく鍛練されたごく少数の霊覚者によってしか捉えられません。そこで地上との交信には私達の方から言わば階段を下りなくてはならないわけですが、そうすると当然、霊的な美しさが大きく殺がれてしまいます。

○死ぬ時は決して一人で旅立つのではありません。愛で繋がった人々が付き添って、何かと面倒を見てくれます。これには例外はありません。影の世界から首尾よく脱け出て新しい素敵な生活に入れるように手引きする態勢が出来ております。

○向上進化の道は孤独なものです。が、背後にはあなたを絶対に見捨てることのない霊団が付き添っております。魂を鼓舞する力は霊界から送られているのです。すべてのインスピレーションの始源はこちらにあるのです。

○肉眼で見ることも肉耳で聞くことも肌で触れてみることも出来ませんが、背後にはあなたとの地上的縁のある霊、血縁はなくても無私の愛に動かされた霊が控え、援助し、鼓舞し、もっとも生き甲斐のある生き方へと導いてくれております。

○背後霊にはあなたの困難、問題、願望のすべてが分かっております。又、ここが物質の世界であり、それなりの物的必需品というものがあることも承知しております。あなたが真理に忠実に生きておれば、飢えや渇きに苦しむことはありません。絶対に必要なものは必ず用意されます。

○[聖霊に対する罪]とは霊力の存在を否定することです。霊力はいつの時代にも地上へもたらされているのです。キリスト教は抽象的には霊力の存在を認めていながら、それが世界中の誰にでも届けられるものであるという話になる否定します。こうして皆さんとの交わりが出来るのも霊力のお陰なのです。ホンの僅かの間とはいえ、物質の世界と霊の世界とが目的において一つに調和することを可能にしてくれる、大霊の力なのです。

○[復活]は生命の法則の一つです。死の訪れと共に物的身体から離れた魂は全て復活したことになるのです。キリスト一人の話ではありません。大霊の子の全てに復活があるのです。死の関門を通過すると、物的身体を後にして今度は霊的身体に宿って霊の世界で新しい生活を始めるのです。地上生活は全てその為の準備なのです。

○地球が物的世界の一つとして存在を始めた当初から、神の教えを説く為の霊が派遣されてきました。そして各民族、各時代の言語で喋りました。その内容の程度もその国、その時代の要請、その民族の成長と発達の程度に即応したものでした。その方法・手段も理解力に応じたもの、高踏的になりすぎないものが用意されました。

○人間は墓場を乗り越えて生き続けます。人間も本来は霊だからです。火葬の炎さえその霊を滅ぼすことは出来ません。物質の世界はもとより、いえ、霊の世界の何をもってしても、内部に宿る神性、この世に生をうけることによって賦与された生命の炎を消すことは出来ません。

○いかなる極悪人といえども『存在』そのものを失ってしまうことはありません。神性の火花が衰えて微かに明滅する程度になっていることはあっても、完全に消滅してしまうことはありません。なぜなら、大霊と結びつけている神性の絆は永遠不滅のものだからです。いかなる霊も二度と甦れないほど堕落することはありません。又いかに高級な霊といえども、その堕落した霊に救いの手を差し伸べるために身を低くすることは出来るものです。

○魂が開発され霊的波長が高度なものになるにつれて、それだけ高度なエネルギー、大きなエネルギーと接触できるようになります。それは見えるものでもなく聞こえるものでもなく、永遠の霊的実在そのものです。それが生命の実在なのです。人間は生涯の大部分を影を追い求め、幻を捕えようとし、儚(はかな)いものを後生大事にしながら生きております。本当は静寂の中において、調和の中において、愛の中においてこそ、あなたの魂は着実に開発するのです。ゆっくりではあっても確実であり、間違いがありません。

○物質界の条件が、大きい方の意識で行なわれていることを小さい方の意識で思い出せなくしているのです。人間は死ぬまでは本当の意味で生きているとは言えないほどです。が、時として霊が物質の次元から離れて霊界からのインスピレーションに触れることがあります。その時、ホンの一瞬ですが言語を絶した無上の法悦に浸ることになります。

○睡眠中に暗黒の世界を訪れる人がいることは事実です。それは魂の本性がそこの波長に合っていて自然に引き付けられる場合と、一種の犠牲的奉仕精神から自発的にそういう環境に身を置く場合とがあります。地上に籍を置く人間の霊的身体を利用することによって暗黒界の霊を救う方法があるのです。聖書にはイエスがいわゆる地獄界に降りて行く話があります。睡眠中の話ではありませんが、原理は同じです。

○邪霊に憑依される人は、自らそういう条件を内部でこしらえています。あくまでもその人個人の問題です。愛と奉仕の精神に燃えた人に高級霊が引き寄せられるのと原理は同じです。法則は良いことばかりに働くのではありません。崇高な目的に作用する法則が悪い方向に作用することもあります。問題はあなたがどういう心がけでいるかに掛かっております。

○地上の人間は現実界と霊界とのつながりについて理解が出来ておりません。光り輝く高級霊からのインスピレーションに触れることが出来ると同時に、ふとしたことから無知な低級霊のなすがままになっていることもあります。いずれの場合も同じ摂理の働きなのです。

○皆さんは過去の偉人のことを過ぎ去ったこととしか考えませんが、その人達はその後も同じ情熱を地上の同胞に対して抱き続け、今なお活躍しているのです。

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