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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ 質問に答える6

シルバーバーチ 質問に答える6 目次

質問に答える6(1)

質問に答える6(2)

(1)-スピリチュアリズムが現代の世界に貢献出来るものの中で最大のものは何でしょうか。

 「最大の貢献は神の子等に色んな意味での自由をもたらすことです。これまで隷属させられてきた束縛から解放してくれます。知識の扉は誰にでも分け隔てなく開かれていることを教えてあげることによって、無知の牢獄から解放します。日蔭でなく日向で生きることを可能にします。
 あらゆる迷信と宗教家の策謀から解放します。真理を求める戦いにおいて勇猛果敢であらしめます。内部に宿る神性を自覚せしめます。地上の他のいかなる人間にも霊の絆が宿ることを認識せしめます。
 憎み合いもなく、肌の色や民族の差別もない世界、自分をより多く役立てた人だけが偉い人と呼ばれる新しい世界を築くにはいかにしたらよいかを教えます。知識を豊かにします。精神を培い、霊性を強固にし、生得の神性に恥じることのない生き方を教えます。こうしたことがスピリチュアリズムに出来る大きな貢献です。
 人間は自由であるべく生まれて来るのです。自由の中で生きるべく意図されているのです。奴隷の如く他の者によって縛られ足枷をされて生きるべきものではありません。その人生は豊かでなければなりません。精神的にも身体的にも霊的にも豊かでなければいけません。あらゆる知識-真理も叡智も霊的啓示も、全てが広く開放されるべきです。生得の霊的遺産を差し押さえ天命の全うを妨げる宗教的制約によって肩身の狭い思い、いらだち、悔しい思いをさせられることなく、霊の荘厳さの中で生きるべきです」

(2)-スピリチュアリズムはこれまで通り一種の影響力として伸び続けるべきでしょうか、それとも一つの信仰形体として正式に組織をもつべきでしょうか。

 「私はスピリチュアリズムが信仰だとは思いません。知識です。その影響力の息吹は止めようにも止められるものではありません。真理の普及は抑えられるものではありません。自らの力で発展してまいります。外部の力で規制出来るものではありません。あなた方が寄与出来るのは、それがより多くの人々に行き渡るように、その伝達手段となることです。それがどれだけの影響をもたらすかは前もって推し量ることは出来ません。その為のルールを拵えたり、細かく方針を立てたりすることは出来ません。(そういうことを人間の浅知恵でやろうとすると組織を整え、広報担当、営業担当といったものを拵え、次第に世俗的宗教となり下がるということであろう-訳者)
 あなた方に出来るのは一個の人間としての責任に忠実であるということ、それしかないのです。自分の理解力の光に照らして義務を遂行する-人の為に役立つことをし、自分が手に入れたものを次の人に分け与える-かくして霊の芳香が自然に広がるようになるということです。一種の酵素のようなものです。じっくりと人間生活の全分野に滲透しながら熟成してまいります。皆さんはご自分で最善と思われることに精を出し、これでよいと思われる方法で真理を普及なさることです」

(3)-支配霊になるのは霊媒自身よりも霊格の高い霊と決まっているのでしょうか。

 「いえ、そうとは限りません。その霊媒の仕事の種類によって違いますし、又、〝支配霊〟という用語をどういう意味で使っているかも問題です。地上の霊媒を使用する仕事に携わる霊は〝協力体勢〟で臨みます。一人の霊媒には複数の霊から成る霊団が組織されており、その全体の指揮に当たる霊が一人います。これを〝支配霊〟と呼ぶのが適切でしょう。霊団全体を監督し、指示を与え、霊媒を通じて喋ります。時折他の霊が喋ることもありますが、その場合も支配霊の支持と許可を得た上でのことです。しかし役割は一人ひとり違います。〝指導霊〟という言い方をすることがあるのもその為です。
 入神霊言霊媒に限って言えば、支配霊は必ず霊媒より霊格が上です。が、物理現象の演出に携わるのは必ずしも霊格が高い霊ばかりとは限りません。中にはまだまだ地上的要素が強く残っているからこそ、その種の仕事に携われるという霊もいます。そういう霊ばかりで構成されている霊団もあり、その場合は必ずしも霊媒より上とは限りません。しかし一般的には監督・支配している霊は霊媒より霊格が上です。そうでないと霊側に主導権が得られないからです」
 (訳者注-〝霊〟と〝魂〟の違いと同じく、この〝支配霊〟と〝指導霊〟の使い方は英語でも混乱している。と言うよりは勝手な解釈の下に使用されていると言った方がよいであろう。これは各自の理解力に差がある以上やむを得ないことであり、こうしたことは心霊の分野だけでなく学問の世界ですら一般的である。だからこそ辞引や用字用語辞典が生まれて来るのである。心霊用語を一定の規範の中に纏めるべきだという意見も聞かれるが、私は使用する人間にその心得がない以上それは無駄であると同時に、その必要性もないと考えている。要は自分はこういう意味で使用するということを明確にすれば、或いは文脈上それがはっきりすれば、それでいいと思う。特に霊界通信になると根本的に人間の用語では表現出来ないことが多く、通信霊は人間以上にその点で苦労しているのである。それは私のように英語を日本語に直す仕事以上に大変なことであろう。霊言でも自動書記でも同じである。それが人間の言語の宿命である。シルバーバーチが折りある毎に、用語に拘らずその意味を汲み取って欲しいと言っているのもその為である)

(4)-入神状態(トランス)は霊媒の健康に害はないのでしょうか。

 「益こそあれ何ら害はありません。但し、それは今までに明らかにされた霊媒現象の原理・法則を忠実に守っていればのことです。あまり頻繁にし過ぎると、例えば一日に三回も四回も行えば、これは当然健康に悪影響を及ぼします。が、常識的な線を守って、きちんと期間を置いて行い、霊媒としての日頃の修業を怠らなければ、必ず健康にプラスします。なぜかというと、霊媒を通して流れるエネルギーは活性に富んでいますから、それが健康増進の効果をもたらすのです。正しく使えば霊媒能力は全て健康にプラスします。が使い方を誤まるとマイナスになります」

(五)-思念に実体があるというのは本当でしょうか。

 「これはとても興味深い問題です。思念にも影響力がある-このことには異論はないでしょう。思念は生命の創造作用の一つだからです。ですから、思念の世界においては実在なのです。が、それが使用される界層(次元)の環境条件によって作用の仕方が制約を受けます。
 今地上人類は五感を通して感識する条件下の世界に住んでいます。その五つの物的感覚で自我を表現出来る段階にやっと到達したところです。まだテレパシーによって交信し合える段階までは進化していないということです。まだまだ開発しなければならないものがあります。地上人類は物的手段によって自我を表現せざるを得ない条件下に置かれた霊的存在ということです。その条件が自ずと思念の作用に限界を生じさせます。なぜなら、地上では思念が物的形体を取るまでは存在に気付かないからです。
 思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が感識されないのです。肉体による束縛を全く受けない私の世界では、思念は物質より遙かに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現又は精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。
 勘違いなさらないで頂きたいのは、地上にある限りは思念は仕事や労力や活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野で捉えなければいけません」

-物的活動の動機付けとして使用するのは許されますね?

 「それは許されます。又事実、無意識の内に使用しております。現在の限られた発達状態にあっては、その威力を意識的に活用することが出来ないだけです」

-でも、その気になれば霊側が人間の思念を利用して威力を出させることも可能でしょう?

 「出来ます。なぜなら私達は人間の精神と霊を通して働きかけているからです。ただ、私が是非申し上げておきたいのは、人間的問題を集団的思念行為で解決しようとしても、それは不可能だということです。思念がいかに威力があり役に立つものではあっても、本来の人間としての仕事の代用とはなり得ないのです。またまた歓迎されないお説教をしてしまいましたが、私が観る限り、それが真実なのですから仕方がありません」

-大戦前にあれ程多くの人間が戦争にならないことを祈ったのに阻止出来ませんでした。あれなどはそのよい例だと思います。ヨーロッパ全土-敵国のドイツでもそう祈ったのです。

 「それは良い例だと思います。物質が認識の基本となっている物質界においては、思念の働きに自ずと限界があります。それはやむを得ないことなのです。ですが他方、私は思念の価値、ないしは地上生活における存在の場を無視するつもりはありません」

-善意の人々にとっては思念の力が頼りです。
-米国民への友好心は我々英国人への友好心となって返ってきます。

 「それから、遠隔治療において思念が治療手段の一つとなっています。但しその時は霊が仲介役をしていることを忘れないでください。地上の人間は自分の精神に具わっている資質(能力)の使い方を殆ど知らずにいます。ついでに言えば、その精神的資質が次の進化の段階での大切な要素となるのです。その意味でこの地上生活において思念を行為の有効な先駆けとする訓練をすべきです。きちんと考えた上で行為に出るように心掛けるべきです。ですが、思念の使い方を知らない人が何と多いことでしょう。僅か五分間でも、じっと一つのことに思念を集中出来る人が何人いるでしょうか。実に少ないのです」

(6)-遠隔治療において患者が(精神を統一するなどして)治療に協力することは治療効果を増すものでしょうか。

 「私の考えでは、それは波長の調整にプラスしますから、大体において効果を増すと思います。異論もあることでしょうが、私はそうみています。知らずにいるよりは知っている方が原則としては治療が容易になります。治療エネルギーを送る側と受ける側とが波長が合えば、治療が一段と容易になります。
 治療を受けていることを知らないでも顕著な治療効果が表れたケースがあることは私もよく知っておりますが、大抵の場合それは患者の睡眠中に行われているのです。その方が患者の霊的身体との接触が容易なのです」(昼間に送られた治癒エネルギーが睡眠中に効き始めるというケースもある-訳者)

(7)-心霊研究をどう思われますか。

 「その種の質問にお答えする時に困るのは、お使いになる用語の意味について同意を得なければならないことです。〝心霊研究〟という用語には、所謂スピリチュアリストが毛嫌いする意味が含まれています(S・P・Rのように資料をいじくり回すだけに終始して一歩も進歩しない心霊研究をさす-訳者)。こうした交霊会や実験会や養成会も真の意味における〝研究〟であると言えます。というのは、私達はそうした会を通して霊力がより一層地上へもたらされる為の通路を吟味・調査しているからです。
 皆さんは私達から学び、私達は皆さんから学びます。動機が純粋の探求心に発し、得られた知識を人類の福祉の為に使うのであれば、私は研究は何であっても結構であると思います。が、霊媒を通して得られる現象を頭から猜疑心をもって臨み、にっちもさっちも行かなくなっている研究は感心しません。動機が真摯であればそれは純粋に〝研究〟であると言えます。真摯でなければ〝研究〟とは言えません。純心な研究は大いに結構です」

(8)-国教会は、スピリチュアリズムには何ら世の中に貢献する新しいものがないと言って愚弄しておりますが、それにどう反論されますか。

 「私は少しも愚弄されているとは思いません。私達がお届けした〝新しいもの〟が一つあります。それは、人類史上初めて宗教というものを証明可能な基盤の上に置いたことです。つまり信仰と希望とスペキュレーションの領域から引き出して〝ごらんなさい。このようにちゃんと証拠があるのですよ〟と言えるようになったことです。しかし、新しいものが無いとおっしゃいますが、ではイエスは何か新しいものを説いたでしょうか。大切なのは新しさとか物珍しさではありません。真実か否かです」

 ここでメンバー達がシルバーバーチの当意即妙の応答ぶりに感心して口々にそのことを述べると、こう述べた。
 「地上の皆さんは細切れの知識を寄せ集めなければなりませんが、私達は地上にない形で組織された知識の貯蔵庫があるのです。どんな情報でも手に入ります-即座に手に入れるコツがあるのです(注)。私達の世界の数ある驚異の一つは、全てが見事に、絶妙に組織されていることです。知識の分野だけでなく、霊にとってのあらゆる資源-文学、芸術、音楽等の分野においてもそうです。全てが即座に知れ、即座に手に入ります。まだ地上の人間に知られていないことでも思い通りになります」(注-霊格の高い低いに関係なく、そのコツさえ会得すれば誰にでも知れる。だからこそ歴史上の人物を名乗って出る霊は警戒を要するのである。つまり、その人物の思想や地上時代の情報はいとも簡単に-あたかもコンピューターの情報のように、或いはそれ以上に簡単に、しかも詳細に知れるので、〝それらしいこと〟を言っているからといって直ぐに信じるのは浅はかである。他界したばかりの霊を呼び出す場合も同じで、それらしく見せかけるのは霊にとっては造作もないことである。そんなことは専門にやって人間を感動させたり感激させたりしている低級霊団がいて、上手く行くと、してやったりと拍手喝采して喜んでいる。別に危険性はないが、私には哀れに思えてならないのである-訳者)

(九)-大霊(神)を全能でしかも慈悲ある存在と形容するのは正しいでしょうか。

 「何ら差し支えありません。大霊は全能です。なぜならその力は宇宙及びそこに存在するあらゆる形態の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。大霊より高いもの、大霊より偉大なもの、大霊より強大なものは存在しません。宇宙は誤まることのない叡智と慈悲深き目的をもった法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは間違いない事実です。
 このことは慈悲の要素が神の摂理の中に目論まれていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力をもってしても、因果律の働きに干渉することは出来ないという意味での機械性です。
 いかに霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さをもって結果を生んでいく過程を阻止することは出来ません。そこに摂理の機械性があります。機械性という用語しかないのでそう言ったのですが、この用語ではその背後に知的で、目的意識をもったダイナミックなエネルギーが控えている感じが出ません。
 私がお伝えしようとしている概念は全能にして慈悲に溢れ、完全で無限なる神であると同時に、地上の人間がとかく想像しがちな〝人間神〟的な要素のない神です。しかし神は無限なる大霊である以上その顕現の仕方も無限です。あなた方お一人お一人がミニチュアの神なのです。お一人お一人の中に神という完全性の火花、全生命のエッセンスである大霊の一部を宿しているということです。その火花を宿していればこそ存在出来るのです。しかしそれが地上的人間性という形で顕現している現段階においては、皆さんは不完全な状態にあるということです。
 神の火花は完全です。一方それがあなた方の肉体を通して顕現している側面は極めて不完全です。死後あなた方はエーテル体、幽体、又は霊的身体-どう呼ばれても結構です。要するに死後に使用する身体であると理解すればよろしい-で自我を表現することになりますが、その時は現在よりは不完全さが減ります。霊界の界層を一段又一段と上がっていく毎に不完全さが減少して行き、それだけ内部の神性が表に出るようになります。ですから完全といい不完全といい、程度の問題です」

-バラも蕾の内は完全とは言えませんが満開となった時に完全となるのと同じですね。

 「全くその通りとも言いかねるのです。厄介なことに、人間の場合は完全への道が無限に続くのです。完全へ到達することが出来ないのです。知識にも叡智にも理解力にも真理にも、究極というものがないのです。精神と霊とが成長するにつれて能力が増します。今成就出来ないものも、その内成就出来るようになります。梯子段を昇って行き、昨日は手が届かなかった段に上がってみると、その上にもう一つ上の段が見えます。それが無限に続くというのです。それで完全という段階が来ないのです。もしそういうことが有りうるとしたら、進化ということが無意味となります」

 これは当然のことながら議論を呼び、幾つかの質問が出たが、それに一通り応答した後シルバーバーチはこう述べた。
 「あなた方は限りある言語を超えたものを理解しようとなさっているのであり、それは是非これからも続けて行くべきですが、たとえ口では表現出来なくても、心のどこかでチラッと捉え、理解出来るものがある筈です。例えば言葉では尽くせない美しい光景、画家にも描けない程美しい場面をチラッと見たことがおありの筈ですが、それは口では言えなくても心で感じ取り、しみじみと味わうことは出来ます。それと同じです。あなた方は今、言葉では表現出来ないものを表現しようとなさっているのです」

-大雑把な言い方ですが、大霊は宇宙の霊的意識の集合体であると言ってよいかと思うのですが・・・・

 「結構です。ただその意識にも次元の異なる側面が無限にあるということを忘れないでください。いかなる生命現象も、活動も、大霊の管轄外で起きることはありません。摂理-大自然の法則-は、自動的に宇宙間の全ての存在を包含するからです。たった一つの動き、たった一つのバイブレーション、動物の世界であろうと、鳥類の世界であろうと、植物の世界であろうと、昆虫の世界であろうと、根菜の世界であろうと、花の世界であろうと、海の世界であろうと、人間の世界であろうと、霊の世界であろうと、その法則によって規制されていないものは何一つ存在しないのです。宇宙は漫然と存在しているのではありません。莫大なスケールをもった一つの調和体なのです。
 それを解く鍵さえ掴めば、悟りへの鍵さえ手にすれば、至って簡単なことなのです。つまり宇宙は法則によって支配されており、その法則は神の意志が顕現したものだということです。法則が神であり、神は法則であるということです。
 その神は、人間を大きくしたようなものではないという意味では非人格的存在ですが、その法則が霊的・精神的・物質的の全活動を支配しているという意味では人間的であると言えます。要するにあなた方は人類として宇宙の大霊の枠組みの中に存在し、その枠組みの中の不可欠の存在として寄与しているということです」

-ということは神の法則は完全な形で定着しているということでしょうか。それとも新しい法則が作られつつあるのでしょうか。

 「法則は無窮の過去からずっと存在しています。完全である以上、その法則の枠外で起きるものは何一つ有り得ないのです。全ての事態に備えられております。あらゆる可能性を認知しているからてす。もしも新たに法則を作る必要性が生じたとしたら、神は完全でなくなります。予測しなかった事態が生じたことを意味するからです」

-こう考えてよろしいでしょうか。神の法則は完全性のブループリント(青写真・設計図)のようなもので、我々はそのブループリントにゆっくりと合わせる努力をしつつあるところである、と。

 「中々良い譬えです。皆さんは地上という進化の過程にある世界における進化しつつある存在です。その地球は途方もなく大きな宇宙のほんの小さな一部に過ぎませんが、その世界に生じるあらゆる事態に備えた法則によって支配されております。
 その法則の枠外に出ることは出来ないのです。あなたの生命、あなたの存在、あなたの活動の全てがその法則によって規制されているのです。あなたの思念、あなたの言葉、あなたの行為、つまりあなたの生活全体をいかにしてその法則に調和させるかは、あなた自ら工夫しなければなりません。それさえ出来れば、病気も貧乏も、その他無知の暗闇から生まれる不調和の状態が無くなります。自由意志の問題について問われると必ず私が、自由といっても無制限の自由ではなく自然法則によって規制された範囲での自由です、と申し上げざるを得ないのはその為です」

(10)-この機械化時代は人類の進化に役立っているのでしょうか。私にはそうは思えないのですが。

 「最終的には役に立ちます。進化というものを一直線に進むもののように想像してはいけません。前進と後退の繰り返しです。立ち上がっては倒れるの繰り返しです。少し登っては滑り落ち、次に登った時は前より高い所まで上がっており、そうやって少しずつ進化して行きます。ある一時期だけを見れば〝ご覧!この時期は人類進化の暗い汚点です〟と言えるような時期もありますが、それは物語の全体ではありません。ほんの一部です。
 人間の霊性は徐々に進化しております。進化に伴って自我の本性の理解が深まり、自我の可能性に目覚め、存在の意図を知り、それに適応しようと努力するようになります。
 数世紀前までは夢の中で天界の美を見、或いは恍惚たる入神の境地においてそれを霊視出来たのは、ほんの一握りの者に限られていました。が今や、無数の人々がそれを見て、ある者は改革者となり、ある者は先駆者となり、ある者は師となり、死して後もその成就の為に立ち働いております。そこに進歩が得られるのです」

-その点に関しては全く同感です。進歩はあると思うのです。が全体として見た時地球上が(機械化によって)あまり住み良くなると進化にとってマイナスとなるのではないかと思うのです。

 「しかし霊的に向上すると-あなた個人のことではなく人類全体としての話ですが-住んでいる世界そのものにも発展性があることに気付き、かつては夢にも思わなかった豊かさが人生から得られることを知ります。機械化を心配しておられますが、それが問題となるのは人間が機械に振り回されて、それを使いこなしていないからに過ぎません。使いこなしさえすれば何を手に入れてもよろしい-文化、レジャー、芸術、精神と霊の探求、何でもよろしい。かくして内的生命の豊かさが広く一般の人々にも行き渡ります。
 その力は全ての人間に宿っています。全ての人間が神の一部だからです。この大宇宙を創造した力と同じ力、山を拵え恒星を拵え惑星を拵えた力と同じ力、太陽に光を与え花に芳香を与えた力、それと同じ力があなた方一人ひとりに宿っており、生命の中でその絶対的な力に波長を合わせさえすれば存分に活用することが出来るのです」

-死に芳香を与えた力が蛇に毒を与えているという問題もあります。

 「それは私から見れば少しも問題ではありません。よろしいですか。私は神があなた方の言う〝善〟だけを受持ち、悪魔があなた方の言う〝悪〟を受け持っているとは申し上げておりません」

-潜在的には善も悪も全て我々の中に存在しているということですね。

 「人間一人一人が小宇宙(ミクロコズム)なのです。あなたもミニチュアの宇宙なのです。潜在的には完全な天使的資質を具えていると同時に獰猛な野獣性も具えております。だからこそ自分の進むべき方向を選ぶ自由意志が授けられているのです」

(11)-あなたは地球という惑星がかつてより進化していると仰いましたが、ではなぜ霊の浄化の為に尚苦難と奮闘が必要なのでしょうか。

 「なぜなら人間が無限の存在だからです。一瞬の間の変化というものはありません。永い永い進化の旅が続きます。その間には上昇もあれば下降もあり、前進もあれば後退もあります。が、その度に少しずつ進化してまいります。
 霊の世界では、次の段階への準備が整うと新しい身体への脱皮のようなものが生じます。しかしその界層を境界線で仕切られた固定した平地のように想像してはなりません。次元の異なる生活の場が段階的に幾つかあって、お互いに重なり合い融合し合っております。地上世界においても、一応皆さんは地表という同じ物質的レベルで生活なさっていますが、霊的には一人ひとり異なったレベルにあり、その意味では別の世界に住んでいると言えるのです」

-これまでの地上社会の進歩はこれから先に為されるべき進歩に較べれば微々たるものに過ぎないのでしょうか。

 「いえ、私はそういう観方はしたくないのです。比較すれば確かに小さいかも知れませんが、進歩は進歩です。次のことを銘記してください。人間は法律や規則を拵え、道徳律を打ち立てました。文学を豊かにして来ました。芸術の奥義を極めました。精神の隠された宝を突き止めました。霊の宝も、ある程度まで掘り起こしました。
 こうしたことは全て先輩達のお蔭です。苦しみつつコツコツと励み、試行錯誤を繰り返しつつ、人生の大渦巻の中を生き抜いた人達のお蔭です。総合的に見れば進歩しており、人間は初期の時代に較べて豊かになりました。物質的な意味ではなく霊的・精神的に豊かになっております。そうあって当然でしょう」

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