「私は霊的な目を通して眺めることが出来るという利点のお蔭で真理の様々な側面が見える立場にあります。あなた方は残念ながら肉体の中に閉じ込められているという不利な条件の為に、私と同じ視点から眺めることが出来ません」

 これは今スピリチュアリズムを熱心に勉強し始めた初心者の夫婦を招いた時に、霊と物質という基本的なテーマについて語るにあたっての前置きである。続けてこう語る。
 「あなた方は物質を纏った存在です。身を物質の世界に置いておられます。それはそれなりに果たすべき義務があります。衣服を着なければなりません。家がなくてはなりません。食べるものが必要です。身体の手入れをしなくてはなりません。身体は、要請される仕事を果たす為に必要なものを全て確保しなければなりません。物的身体の存在価値は基本的には霊の道具であることです。霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。身体が存在出来るのはまず第一に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。
 このことを申し上げるのは、他の多くの人達と同様に、あなた方もまだ本来の正しい視野をお持ちでないからです。ご自身のことを一時的な地上的生命を携えた霊的存在であるとはみておられません。身体に関わること、世間的なことを必要以上に重大視される傾向がまだあります。いかがですか。私の言っていることは間違っていますか。間違っていれば遠慮なくそう仰ってください。私が気を悪くすることはありませんから・・・」

 「いえ、仰る通りだと思います。そのことを自覚し、かつ忘れずにいるということは大変難しいことです」と奥さんが答える。

 「難しいことであることは私もよく知っております。ですが、視野を一変させ、その身体だけでなく、住んでおられる地球、それからその地球上の全てのものが存在出来るのは霊のお蔭であること、あなたも霊であり、霊であるが故に神の属性の全てを宿していることに得心がいくようになれば、前途に横たわる困難の全てを克服して行くだけの霊力を授かっていることに理解がいく筈です。生命の根元、存在の根元、永遠性の根元は霊の中にあります。自分で自分をコントロールする要領さえ身に付ければ、その無限の貯蔵庫からエネルギーを引き出すことが出来ます。
 霊は物質の限界によって牛耳られてばかりはいません。全生命の原動力であり全存在の大始源である霊は、あなたの地上生活において必要なものを全て供給してくれます。その地上生活の目的は極めて簡単なことです。死後に待ち受ける次の生活に備えて、本来のあなたであるところの霊性を強固にするのです。身支度を整えるのです。開発するのです。となれば、良いことも悪い事も、明るいことも暗いことも、長所も短所も、愛も憎しみも、健康も病気も、その他ありとあらゆることがあなたの霊性の成長の糧となるのです。
 その一つ一つが神の計画の中でそれなりの存在価値を有しているのです。いかに暗い体験も-暗く感じられるのは気に食わないからに過ぎないのですが-克服出来ない程強烈なものはありません。あなたに耐えられない程の試練や危機に直面させられることはありません。その事実を何等かの形で私とご縁の出来た人に知って頂くだけでなく、実感し実践して頂くことが出来れば、その人は神と一体となり、神の摂理と調和、日々、時々刻々、要請されるものにきちんと対応出来る筈なのです。
 ところが、残念ながら敵があります-取り越し苦労、心配、不安という大敵です。それが波長を乱し、折角の霊的援助を妨げるのです。霊は平静さと自信と受容力の中で初めて伸び伸びと成長します。日々の生活に要請されるもの全てが供給されます。物的必需品の全てが揃います」

 ここでご主人が「この霊の道具に我々はどういう注意を払えばよいかを知りたいのですが・・・・肝心なポイントはどこにあるのでしょうか」と尋ねる。

 「別に難しいことではありません。大方の人間のしていることをご覧になれば、身体の必要性にばかり拘って精神並びに霊の必要性に無関心過ぎるという私の意見に賛成して頂けると思います。身体へ向いている関心の何分の一かでも霊の方へ向けてくだされば、世の中は今よりずっと住み良くなるでしょう」

 「霊を放ったらかしにしているということでしょうか。ということは身体上のことはそうまで構わなくてよいということでしょうか。それとも、もっと総体的な努力をすべきなのでしょうか」

 「それは人によって異なる問題ですが、一般的に言って人間は肉体のことは疎かにしていません。寧ろ甘やかし過ぎです。必要以上のものを与えています。あなた方が文明と呼んでいるものが不必要な用事を増やし、それに対応する為に又新たな慣習的義務を背負い込むという愚を重ねております。肉体にとって無くてはならぬものといえば光と空気と食べ物と運動と住居位のものです。衣服もそんなにあれこれと必要なものではありません。慣習上、必需品となっているだけです。
 私はけっして肉体並びにその必要条件を疎かにしてよろしいと言っているのではありません。肉体は霊の大切な道具ではありませんか。肉体的本性が要求するものを無視するようにとお願いしているのではありません。私は一人でも多くの人間に正しい視野をもって頂き、自分自身の本当の姿を見つめるようになって頂きたいのです。まだ自分というものを肉体だけの存在、或いは、せいぜい霊を具えた肉体だと思い込んでいる人が多過ぎます。本当は肉体を具えた霊的存在なのです。それとこれとでは大違いです。
 無駄な取り越し苦労に振り回されている人が多過ぎます。私が何とかして無くしてあげたいと思って努力しているのは不必要な心配です。神は無限なる叡智と無限なる愛です。我々の理解を超えた存在です。が、その働きは宇宙の生命活動の中に見出すことが出来ます。脅威に満ちたこの宇宙が、かつて一度たりともしくじりを犯したことのない神の摂理によって支配され規制され維持されているのです。その摂理の働きは一度たりとも間違いを犯したことがないのです。変更になったこともありません。廃止されて別のものと置き換えられたこともありません。今存在する自然法則はかつても存在し、これからも永遠に存在し続けます。なぜなら、完璧な構想の下に全能の力によって生み出されたものだからです。
 宇宙のどこでもよろしい。よく観察すれば、雄大なものから極小のものに至るまでのあらゆる相が自然の法則によって生かされ、動かされ、規律正しくコントロールされていることがお分かりになります。途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、或いは変転極まりない大自然のパノラマに目を向けても、更には小鳥、樹木、花、海、山川、湖のどれ一つ取ってみても、丁度地球が地軸を中心に回転することによって季節の巡りが生まれているように、全ての相との繋がりを考慮した法則によって統制されていることが分かります。種子を蒔けば芽が出る-この、いつの時代にも変わらない摂理こそ神の働きの典型です。神は絶対にしくじったことはありません。あなた方の方から見放さない限り神はあなた方を見放すことはありません。(訳者注-〝神がしくじる〟という言い方はいかにも幼稚に響くが、我々が不安や心配を抱き取り越し苦労が絶えないということは、裏返せば神の絶対的叡智に対する信仰が不足していることを意味し、これを分かり易く表現すれば神がしくじるかも知れないと思っていることになる)
 私は、神の子全てにそういう視野をもって頂きたいのです。そうすれば取り越し苦労もなくなり、恐れおののくこともなくなります。いかなる体験も魂の成長にとっては何等かの役に立つことを知ります。その認識の下に一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。その最中にあってはそうは思えなくても、それが真実なのです。あなた方もいつかは私達の世界へお出でになりますが、こちらへ来れば、感謝なさるのはそういう暗い体験の方なのです。視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、その最中にある時は有り難く思えなくても、霊の成長を一番促進してくれていることを知るからです。今ここでそれを証明して差し上げることは出来ませんが、こちらへお出でになれば自ら証明なさることでしょう。
 こうしたことはあなたにとっては比較的新しい真理でしょうが、これは大変な真理であり、又多くの側面をもっています。まだまだ学ばねばならないことが沢山あるということです。探求の歩みを止めてはいけません。歩み続けるのです。但し霊媒の口をついて出るものを全部鵜呑みにしてはいけません。あなたの理性が反発するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶なさい。理に適っていると思えるもの、価値があると確信出来るもののみを受け入れなさい。何でも直ぐに信じる必要はありません。あなた自身の判断力にしっくり来るものだけを受け入れればいいのです。
 私達は誤りを犯す可能性のある道具を使用しているのです。交信状態が芳しくない時があります。うっかりミスを犯すことがあります。伝えたいことの全てが伝えられないことがあります。他にも色々と障害があります。霊媒の健康状態、潜在意識の中の思念、頑なに固執している観念などが伝達を妨げることもあります。その上に、私達スピリット自身も誤りを犯す存在だということを忘れてはなりません。死によって無限の知識の全てを手に出来るようになるわけではありません。地上時代より少しだけ先が見えるようになるだけです。そこであなた方より多くを知った分だけをこうしてお授けしたいと思うわけです。私達も知らないことが沢山あります。が、少しでも多く知ろうと努力を続けております。
 より開けたこちらの世界で知り得た価値ある知識をこうしてお授けするのは、代わって今度はあなた方が、それを知らずにいる人々へ伝えて頂きたいと思うからです。宇宙はそういう仕組みになっているのです。実に簡単なことなのです。私達は自分自身のことは何も求めません。お礼の言葉もお世辞も要りません。崇めてくださっても困ります。私達はただの使節団、神の代理人に過ぎません。自分ではその使命に相応しいとは思えないのですが、その依頼を受けた以上お引き受けし、力の限りその遂行に努力しているところなのです」