人間の目と霊の目

 十一歳のジョン君にとってこれが最初の交霊会だった。幼い時に妹を失い、今度は父親を不慮の事故で失って母親と二人きりとなったが、母親がシルバーバーチを通じて聞いた二人からのメッセージをいつもジョン君に語っていたので、十一歳の少年ながら、既に死後の世界の存在を自然に信じるようになっていた。
 まずシルバーバーチの方からお父さんと妹がここに来てますよと言い、二人ともジョン君と同じようにわくわくしていると言うと、

ジョン「僕は妹のことをよく知らないんです」

 「でも妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」

ジョン「僕がまだちっちゃかった時に見たきりだと思います」

 「いいえ、そのちっちゃい時から今のように大きくなるまで、ずっと見てきております。ジョン君には見えなくても、妹の方からはジョン君がよく見えるんです。同じように二つの目をしていても、ジョン君とは全く違う目をしています。壁やドアを突き通して見ることが出来るんですから」

ジョン「そうらしいですね。僕知ってます」

 「ジョン君のような目をもっていなくても、よく見えるんです。霊の目で見るのです。霊の目で見ると、遙か遠い遠い先まで見えます」

 霊に年齢はない

ジョン「今妹は幾つになったのですか」

 「それはとても難しい質問ですね。なぜ難しいかを説明しましょう。私達霊の成長の仕方はジョン君達とは違うのです。誕生日というものが無いのです。歳が一つ増えた、二歳になった、というような言い方はしないのです。そういう成長の仕方をするのではなく、霊的に成長するのです。言い換えれば、完全(パーフェクト)へ向けて成長するのです」

ジョン「パーフェクトというのは何ですか」

 「パーフェクトというのは魂の中の全てのものが発揮されて、欠点も弱点もない、一点非の打ち所のない状態です。それがパーフェクトです」

ジョン「言い換えればピースですか」(訳者注-peaceには戦争に対する平和という一般的な意味以外に、日本語で上手く表現出来ない精神的な意味が幾つかある。ここでは悟り、正覚(しょうかく)、といった意味であるが、少年がそのような難解な意味で使うのはおかしいし、さりとて平和の意味でもないので、原語のままにしておいた。多分何の悩みも心配もないことを言っているのであろう)

 「そうです。パーフェクトになればピースが得られます。しかし実を言うと〝これがパーフェクトです〟と言えるものは存在しないのです。どこまで到達しても、それは永遠に続く過程の一つの段階に過ぎないのです。いつまでも続くのです。終わりというものが無いのです」

 死は悲しいことではない

ジョン「でも、パーフェクトに手が届いたらそれで終わりとなる筈です」

 「パーフェクトには手が届かないのです。いつまでも続くのです。これはジョン君には想像出来ないでしょうね?でも、ほんとにそうなのです。霊的なことには始まりも終わりもないのです。ずっと存在してきて、休み無く向上して行くのです。ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のように身体が大きくなったのではなくて、精神と霊が大きくなったのです。成熟したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達したのです。でも身体のことではありません。幾つになったかは地上の年齢の数え方でしか言えません。
 そんなことよりもジョン君に知って欲しいことは、もう分かって来たでしょうけれど、妹とお父さんはいつも側にいてくれてるということです。これはまだまだ知らない人が多い大切な秘密です。いつも一緒にいてくれているのです。ジョン君を愛し力になってあげたいと思っているからです。このことを人に話しても信じてくれませんよね?みんな目に見えないものは存在しないと思っているからです。このことを理解しない為に地上では多くの悲しみが生じております。理解すれば〝死〟を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇ではないからです。後に残された家族にとっては悲劇となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません。新しい世界への誕生なのです。全く新しい生活の場へ向上して行くことなのです。ジョン君もそのことをよく理解してくださいね。妹のことは小さい時に見たことがあるからよく知ってるでしょう?」

ジョン「今この目で見てみたいです」

 「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」

ジョン「この部屋にいる人が見えるようにですか」

 「全く同じではありません。さっきも言ったように〝霊の目〟で見るのです。霊の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとても嬉しいと仰ってますよ。勿論お父さんはジョン君のことを何でも知っています。いつも面倒をみていて、ジョン君が正しい道から逸れないように導いてくれているのですから」

 考えることにも色彩がある

ジョン「僕に代わってお礼を言ってくださいね」

 「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえてますよ。ジョン君はまだちょっと理解は無理かな?でも、ジョン君が喋ること、考えてることも、皆お父さんには分かるのです。フラッシュとなってお父さんの所に届くのです」

ジョン「どんなフラッシュですか」

 「ジョン君が何か考える度に小さな光が出るのです」

ジョン「どんな光ですか。地上の光と同じですか。僕達の目には見えないのでしょうけど、マッチを擦った時に出るフラッシュのようなものですか」

 「いえ、いえ、そんなんじゃなくて、小さな色のついた明りです。ローソクの明りに似ています。でも、色んな色があるのです。考えの中身によって皆色が違うのです。地上の人間の思念はそのように色彩となって私達の所に届くのです。私達には人間が色彩の塊として映ります。色んな色彩をもった一つの塊です。訓練の出来た人なら、その色彩の一つ一つの意味を読み取ることが出来ます。ということは、隠しごとは出来ないということです。その色彩が人間の考えていること、欲しがっているもの、その他何もかも教えてくれます」

スピリチュアリズムはなぜ大切か

ジョン「スピリチュアリズムについて知るとどういう得をするのでしょうか」

 「知識は全て大切です。何かを知れば、知らないでいる時よりその分だけ得をします。知らないでいることは暗闇の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」

ジョン「光の中です」

 「でしたら少しでも多くを知らなくてはいけません。知識は大切な財産です。なぜならば、知識から生きる為の知恵が生まれるからです。判断力が生まれるからです。知識が少ないということは持ち物が少ないということです。分かりますね?ジョン君は今地球という世界に住んでいます。自分では地球という世界は広いと思っていても、宇宙全体から見ればほんの一欠片程の小さな世界です。その地球上に生まれたということは、その地球上の知識を出来るだけ多く知りなさいということです。それは次の世界での生活に備える為です。
 さてスピリチュアリズムのことですが、人生の目的は何かを知ることはとても大切なことなのです。なぜなら、人生の目的を知らないということは何の為に生きているかを知らずに生きていることになるからです。そうでしょ?ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。なぜなら、亡くなったお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか?」

ジョン「そう思います。前よりも助けられることが多いです」

 「ほら、ジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょ?さて次の質問は?」

 原子爆弾は善か悪か(本書の出版は1952年-訳者)

ジョン「地上の人間が発明するものについて霊の世界の人達はどう思っていますか。例えば原爆のことなんかについて」

 「これは大きな質問をされましたね。地上の人達がどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。
 地上の科学者達は戦争の為に実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーという秘密を発見しました。そしてそれを爆弾に使用しました。しかし本当はその秘密は人類が精神的、霊的にもっと成長してそれを正しく扱えるようになってから発見すべきだったのです。もうあと百年か二百年後に発見しておれば地上人類も進歩していて、その危険な秘密の扱い方に手落ちがなかったでしょう。今の人類はまだまだうっかりの危険性があります。原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘めているからです。ですから、今の質問に対する答えは、地上人類が精神的、霊的にどこまで成長するかにかかっています。分かりますか?」

ジョン「最後に仰ったことがよく分かりません」

 「では説明の仕方を変えましょう。原子エネルギーの発見は時期が早過ぎたということです。人類全体としてまだ自分達が発見したものについて正しく理解する用意が出来ていなかった為に、それが破壊の目的の為に利用されてしまったのです。もしも十分な理解が出来ていたら、有効な目的の為に利用されたことでしょう。
 そこで最初の質問に戻りますが、もしも地上の科学者の全てが正しい知識、霊的なことについての正しい知識をもっていれば、そうした問題について悩むこともなかったでしょう。出て来る答えは決まっているからです。霊的な理解力が出来ていれば、その発見の持つ価値を認識し、その応用は人類の福祉の為という答えしか出て来ないからです」

ジョン「それが本当にどんなものであるかが分かったら正しい道に使う筈です」

 「その通りです。自分の発明したものの取り扱いに悩むということは、まだ霊的理解力が出来ていないということです」

 幽霊と霊の違い

ジョン「幽霊と霊とはどう違うのですか」

 「これはとてもいい質問ですよ。幽霊も霊の一種です。が、霊が幽霊になってくれては困るのです。地上の人達が幽霊と呼んでいるのは、地上生活がとても惨めだった為にいつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子にその霊の姿となって見える場合の、いずれかです。幽霊騒ぎの原因は大抵最初に述べた霊、つまり地上世界から抜け出られない霊のしわざである場合が多いようです。死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望しか考えなかった生活がその霊を地上に縛り付けるのです」

ジョン「もう質問はありません」

 「以上の私の解答にジョン君は何点をつけてくれますか」

ジョン「僕自身その答えが解らなかったんですから・・・」

 「私の考えが正しいか間違っているかがジョン君には分からない-よろしい!分からなくても少しも構いません。大切なのは次のことです。ジョン君は地上の身近な人達による愛情で包まれているだけではなく、私達霊の世界の者からの大きな愛情によっても包まれているということです。目には見えなくても、ちゃんと存在しています。触ってみることが出来なくても、ちゃんと存在しています。何か困ったことがあったら、静かにして私かお父さんか妹か、誰でもいいですから心に念じてください。きっとその念が通じて援助にまいります」

 別の日の交霊会で同じ原爆の問題が取り上げられ次のような質問が出された。

-国家が、そして人類全体が原爆の恐怖に対処するにはどうすればよいでしょうか。

 「問題のそもそもの根元は人間生活が霊的法則によって支配されずに、明日への不安と貪欲、妬みと利己主義と権勢欲によって支配されていることにあります。残念ながらお互いに助け合い協調と平和の中に暮らしたいという願望は見られず、我が国家を他国より優位に立たせ、他の階層の者を犠牲にしてでも我が階層を豊かにしようとする願望が支配しております。全ての制度が相も変わらず唯物主義の哲学を土台としております。唯物主義という言葉は今日ではかなり影を潜めて来ているかも知れませんが、実質的には同じです。誰が何と言おうとこの世はやはり金と地位と人種が物を言うのだと考えています。そしてそれを土台として全ての制度を拵えようとします。永遠の実在が無視されております。人生の全てを目で見、耳で聞き、手で触れ、舌で味わえる範囲の、つまりたった五つの感覚で得られるほんの僅かな体験でもって判断しようとしています。
 しかし生命は物質を超えたものであり、人間は土塊や塵だけで出来ているのではありません。化学、医学、原子、こうしたもので理解しようとしても無駄です。生命の謎は科学の実験室の中で解かれる性質のものではありません。魂をメスで切り裂いたり化学的手段で分析したりすることは出来ません。いかなる物的手段によって解明しようとしても、生命を捉えることは出来ません。なのに物質界の大半の人間は(生命を物質と思い込んで)霊的実在から完全に切り離された生活を営んでおります。最も大切な事実、全生命の存在を可能ならしめているところの根元を無視してかかります。 地上の全生命は〝霊〟であるが故に存在しているのです。あなたという存在は霊に依存しているのです。実在は物質の中にあるのではありません。その物的身体の中には発見出来ません。存在の種は身体器官の中を探しても見つかりません。あなた方は今の時点において立派に霊的存在なのです。死んでこちらへ来てから霊的なものを身に付けるのではありません。母胎に宿った瞬間から既に霊的存在であり、どうもがいてみても、あなたを生かしめている霊的実在から離れることは出来ません。地上の全生命は霊のお蔭で存在しているのです。霊なしには生命は存在しません。なぜなら生命とはすなわち霊であり、霊とはすなわち生命だからです。
 死人が生き返っても尚信じようとしない人は別として、その真理を人類に説き、聞く耳をもつ者に受け入れられるように何等かの証拠を提供することが私共の使命の大切な一環なのです。人間が本来は霊的存在であるという事実の認識が人間生活において支配的要素とならない限り、不安の種は尽きないでしょう。今日は原爆が不安の種ですが、明日はそれより更に恐ろしい途方もないものとなるでしょう(水爆、更にはレーザー兵器のことを言っているのであろう-訳者)。が、地上の永い歴史を見れば、力による圧制はいずれ挫折することは明らかです。独裁的政治は幾度か生まれ、猛威を振るい、そして消滅して行きました。独裁者が永遠に王座に君臨することは有り得ないのです。霊は絶対であり天与のものである以上、初めは抑圧されても、いつかはその生得権を主張するようになります。魂の自由性 freedom (注)を永遠に束縛することは出来ないのです。魂の自在性 liberty (注)を永遠に拘束し続けることも出来ません。自由性と自在性は共に魂がけっして失ってはならない大切な条件です。人間はパンのみで生きているのではありません。物的存在以上のものなのです。精神と魂とをもつ霊なのです。人間的知性ではその果てを測り知ることの出来ない巨大な宇宙の中での千変万化の生命現象の根元的要素である霊と全く同じ不可欠の一部なのです。
 (注- freedom と liberty は英語においても共通性の多い単語で、日本語訳でもその違いが曖昧であるが、私はここでは freedom とは外部からの束縛がないという意味での自由性、liberty とは内部での囚われがないという意味での自在性と解釈してそう訳した-訳者)
 以上のような真理が正しく理解されれば、全ての恐怖と不安は消滅する筈です。来る日も来る日も煩悶と恐れを抱き明日はどうなるのだろうと不安に思いながら歩むことがなくなるでしょう。霊的な生得権を主張するようになります。なぜなら霊は自由の陽光の中で生きるべく意図されているからです。内部の霊的属性を存分に発揮すべきです。永遠なる存在である霊が拘束され閉じ込められ制約され続けることは有り得ないのです。いつかは束縛を突き破り、暗闇の中で生きることを余儀なくさせている障害の全てを排除していきます。正しい知識が王座に君臨し無知が逃走してしまえば、最早恐怖心に駆られることもなくなるでしょう。ですからご質問に対する答えは、とにもかくにも霊的知識を広めることです。全ての者が霊的知識を手にすれば、きっとその中から、その知識がもたらす責務を買って出る者が出て来ることでしょう。不安の種の尽きない世界に平和を招来する為には霊的真理、視野の転換、霊的摂理の実践において他に手段はあり得ません」

 真理普及は厳粛な仕事

 「ストレスと難問の尽きない時代にあっては、正しい知識を手にした者は真理の使節としての自覚をもたねばなりません。残念ながら、豊かな知識を手にし悲しみの中で大いなる慰めを得た人が、その本当の意義を取り損ねていることがあります。霊媒能力は神聖なるものです。いい加減な気持で携わってはならない仕事なのです。ところが不幸にして大半といってよい霊媒が自分の能力を神聖なるものと自覚せず、苦しむ者、弱き者、困窮せる者の為に営利を度外視して我が身を犠牲にするというところまで行きません。
 又、真理の啓示を受けた者-永い間取り囲まれていた暗闇を突き破って目も眩まんばかりの真理の光に照らされて目覚めた筈の人間の中にさえ、往々にして我欲が先行し滅私の観念が忘れられていくものです。まだまだ浄化が必要です。まだまだ精進が足りません。まだまだ霊的再生が必要です。真理普及の仕事を託された者に私が申し上げたいのは、現在の我が身を振り返ってみて、果して自分は当初のあの純粋無垢の輝きを失いかけていないか。今一度その時の真摯なビジョンに全てを捧げる決意を新たにする必要はないか。時の流れと共に煤けてきた豊かな人生観の煤払いをする必要はないか。そう反省してみることです。霊力の地上への一層の顕現の道具として、己の全生活を捧げたいという熱誠にもう一度燃えて頂きたいのです」