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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ 動物は死後どうなるか

シルバーバーチ 動物は死後どうなるか 目次

動物は死後どうなるか1

動物は死後どうなるか2

 動物は死後どうなるのか-これは誰しも一度は考えてみたことのあるテーマであろう。ある日の交霊会で、そのテーマを本格的に扱った本を執筆中のシルビア・バーバネル女史がシルバーバーチに集中的に質問した。(訳者注-後にそれが When Your Animal Dies と題されて出版され、スピリチュアリストに限らず動物問題に関心のある人達の間でも大反響を呼んだ。それを読んで死後の存在に確信をもつに至った人も少なくないという。オースティンの原典にはその日の交霊会の記録の十分の一程度しか紹介されていないので、本章にはバーバネル女史の原典からそっくり引用させて頂いた)

問「動物は死後もずっと飼主と一緒に暮らすのでしょうか、それともいずれは動物だけの界へ行くのでしょうか」

 「どっちとも一概には言えません。なぜなら、これには人間の愛が関わっているからです。死後も生前のままの形体を維持するか否かはその動物に対する飼主の愛一つにかかっているのです。もしも動物とその飼主-この飼主(Owner)という言葉は好きではありません。他の生命を我がものとして所有する(own)などということは許されないのですから-その両者が時を同じくして霊界へ来た場合、その飼主の所で暮らします。愛のある場所が住処となるわけです。愛が両者を強く結び付けるのです。その場合は住処がありますから動物界へ行く必要はありません。
 動物界に住むのは飼主より先に霊の世界へ来た動物に限られます。誰かに世話をしてもらわなくてはならないからです。さもないと、心を温めてくれただけでなく一時的にせよ〝不滅性〟の要素を吹き込んでくれた〝愛〟から切り離されて、動物といえども心を取り乱すことがあるのです。地上で人間的な愛と理性と判断力と情愛を一身に受けた飼主より先に他界した場合は、その主人が来るまで動物界へ行ってそこで面倒をみてもらいます。それは丁度あなた方が遠出をする時にペットを専門家に預けるのと同じで、霊界の動物の専門家に世話をしてもらうわけです」

問「人間との接触によって動物はどんなものを摂取するのでしょうか」

 「長い進化の道程のどこかの時点で、神が、というよりは、法則の働きによって動物の魂に自我意識が芽生え、やがて理性が芽生え、知性が発達して来ました。その段階で人間は判断力というものを身に付けたわけです。すなわち物事を意識的に考え、決断する能力です。しかし実はそうした能力は全部初めから潜在していたのです。どんなに遠く遡っても、魂の奥に何等かの形で潜在していたのです。それが目覚めるには神の息吹が必要でした。
 さて、そうして神が動物に霊性の息吹を吹き込んだように、あなた方人間も動物に対して同じことが出来るのです。人間は神の一部です。従って進化の順序の中で人間の次に位置する動物に対して、その霊性の息吹を吹き込む能力を具えています。つまり動物との接触の中で、愛という霊的な力によって、動物の魂に自我意識を芽生えさせることが出来るのです。それがその後の長い進化の道程を経て、やがて人間という頂点にまで達するわけです。愛が生命の全ての鍵です。動物であろうと人間であろうと、愛は死によって何の影響も受けません。愛こそは宇宙の原動力です。全宇宙を動かし、全てを制御し、全てを統治しています。又愛は人間を通じて他の生命へ働きかけようとします。人間同志でもそうですし、動物、植物といった人間より下等な生命でもそうです。人間が可愛がる動物-犬、猫、その他のペット類-へ向けられる愛は死と共に終わるのではありません。愛
があればこそ生命は進化するのです」

問「霊界で動物と再会したとして、その一緒の生活はいつまで続くのでしょうか。いつまでも人間と一緒ですか」

 「いえ、その点が人間と違います。人間と動物はどこかの時点でどうしても別れなければならなくなります。地上の年数にして何十年何百年かかるか分かりませんが、動物の進化と人間の進化とではその速度が違います。より大きな光明へ向けて絶え間なく向上していく人間のペースについて行けなくなる時が来ます。人間は死の関門を通過して霊界の生活に慣れてくると、言い換えれば自分を地上と結び付けていた絆が切れたことを自覚すると、向上進化を求める欲求、内部の神性を発揮しようとする欲求が次第に加速されていきます。そして魂に潜む能力を他の生命の進化を援助する方向へと発揮しようとします。そうやって人間が霊的に向上すればする程、動物はそのスピードについて行けなくなり、やがて死後も燃え続けた愛の炎も次第に小さくなり、遂には動物はその所属する種の類魂の中に融合して行きます」

問「すると動物の場合は個性を失ってしまうということですか」

 「その通りです。そこに人間と動物の大きな違いがあるわけです。動物は類魂全体として未だ一個の個性を有する段階まで進化していないのです。その段階まで進化すれば、最早動物ではなくなり、人間の段階に到達したことになります。ペットとして可愛がられた動物は、人間の愛の力によって言わば進化の段階を飛び越えて人間と一緒に暮らすわけですから、その愛の糸が切れてしまえば、元の類魂の中に戻る他はありません」

問「折角人間との接触で得たものが消えてしまうのでは愛が無駄に終わったことになりませんか」

 「そんなことはありません。類魂全体に対して貢献をしたことになります。類魂全体としてその分だけ進化が促進されたことになるのです。共通の蓄えに対する貢献です。今までその類魂に無かったものが加えられたわけです。全体の為に個が犠牲になったということです。そうしたことが多ければ多い程類魂の進化が促進され、やがて動物の段階を終えて、人間の形体での個体としての存在が可能な段階へと進化して行きます」

問「その時点で人間界へと誕生するわけですか」

 「人間界への誕生には二種類あります。古い霊が再び地上へ戻って来る場合と、〝新しい霊〟が物質界で個体としての最初の段階を迎える場合です」

問「一人の人間としてですか」

 「そうです。双方とも霊魂(スピリット)です。双方とも自我意識をもった霊であり個性をもった霊的存在です。ただ、一方がベテランの霊で、進化の完成の為にどうしても物質界で体験しなければならないことが生じて、再び地上へやって来るのに対し、他方は、やっと人間の段階にまで達した新入生です。直前まで動物だった類魂が人間界への仲間入りをしたのです。アメーバの状態から始まって爬虫類、魚類、鳥類、そして動物と、ありとあらゆる進化の段階を経て、今漸く人間へと達したのです」

問「セオソフィー(神智学)の教えと同じですね」

 「何の教えでもよろしい。私に対して、学派だの宗派だのを口にするのは止めてください。私はそういうものに一切関心がありません。世の評論家というのはアレコレとよく知っていることをひけらかすだけで、その実、素朴な真理を何一つ知りません。それはさて措いて、あなた方はまさか蜘蛛を家の中に持ち込んでペットとして飼ったりはしないでしょう。カブト虫に温かい人間愛を捧げるようなことはしないでしょう。それはあなたと、そういう昆虫との間の隔たりを意識するからです。進化の道程において遙かに遅れていることを本能的に直感するからです。一方、犬とか猫、時に猿などをペットとして可愛がるのは、一種の近親感を意識するからです。もう直ぐ人間として生まれ代わって来る段階まで近付いて来ている為に、動物の方でも人間の愛を受け入れようとするのです」

問「では下等動物が人間に飼われるということは、その動物はもう直ぐ人間に生まれ代わるということを意味するのでしょうか」

 「進化にも、突然変異的な枝分かれ、所謂前衛と、後戻りする後衛とがあります。つまり前に行ったり後に下がったりしながら全体として進化して行きます。中には例外的なものも生じます。動物で知的な面で随分遅れているものもいれば、小鳥でも犬より知的に進化しているものがいたりします。しかしそうした例外と、全体の原理とを混同してはいけません」

問「動物の類魂は同じ種類の動物に何回も生まれ代わるのですか、それとも一回きりですか」

 「一回きりです。無数の類魂が次々と生まれ代わっては類魂全体の為に体験を持ち帰ります。動物の場合はそれぞれ一度ずつです。全体として再生する必要はありません。それでは進化になりません」

問「我々人間としては、犬や猫などのペットと同じように、生物の全てに対して愛情を向けることが望ましいのでしょうか」

 「それはそうです。しかし同じ反応を期待してはいけません。愛情は愛情を呼び、憎しみは憎しみを呼ぶというのが原則ですが、進化の程度が低い程反応も少なくなります。あなたの心に怒りの念があるということは、それはあなたの人間的程度の一つの指標であり、進歩が足りないこと、まだまだ未熟だということを意味しているわけです。あなたの心から怒りや悪意、憎しみ、激怒、妬み、嫉み等の念が消えた時、あなたは霊的進化の大道を歩んでいることになります」

問「動物が漸く人間として誕生しても、その人生が惨めな失敗に終わった場合は、再び動物界へ戻るのでしょうか」

 「そういうことはありません。一旦人間として自我意識を具えたら、二度と消えることはありません。それが絶対に切れることのない神との絆なのです」

問「屠殺とか動物実験等の犠牲になった場合の代償-所謂埋め合わせの法則はどうなっていますか」

 「勿論それにもそれなりの埋め合わせがありますが、一匹とか一頭とかについてではなく、その動物の属する類魂全体を単位として法則が働きます。進化の程度が異なる動物と人間とでは因果律の働き方が違うのです。特に動物の場合は原則として死後は類魂の中に個性を埋没してしまうので、個的存在とは条件が異なります。類魂全体としての因果律があるのですが、残念ながら人間の言語では説明のしようがありません。譬えるものが見当たりません」

問「シラミとかダニの寄生虫は人間の邪心の産物だという人がいますが、本当でしょうか。あれは埃とか病気などの自然の産物ではないかと思うのですが・・・」

 「その埃や病気は一体何が原因で生じるのでしょうか。原因を辿れば人間の利己心に行き着くのではありませんか。その利己心はすなわち邪心と言えます。確かに直接の原因は衛生の悪さ、不潔な育児環境、埃とか病気、直射日光や新鮮な空気の不足とかにありますが、更にその原因を辿れば、そういう環境を改めようとしない、恵まれた環境にある人達の同胞への利己心、同胞への非人間性に行き着きます。これは一種の邪心であり、私に言わせれば人間の未熟性を示します。そういう利己心を棄て、弱者を食いものにするような真似を止め、我欲や野心を生む制度を改めれば、害虫や寄生虫は発生しなくなります」

問「それは、例えばハエのようなものには当てはまらないでしょう」

 「いいですか。大自然全体は今尚進化の過程にあるのです。自然界のバランスは人類の行為如何によって左右されており、人類が進化すればする程、自然界の暗黒が減っていくのです。人間の霊性の発達と自然界の現象との間には密接な関係があるのです。人間の存在を抜きにした自然界は考えられないし、自然界を抜きにして人間の進化は有り得ません。双方の進化は大体において平行線を辿っています。人間は神によって創造されたものであると同時に、神の一部として、宇宙の進化の推進者であり、自分自身のみならず、自分の属する国家をも支配する自然法則に影響を及ぼします。
 私は今、人間と自然界の進化は大体において平行線を辿ると言いました。両者にはどうしても少しずつズレが出て来るのです。なぜなら、過去の世代が残した業は必ず処理して行かねばならないからです」

問「今仰ったことは恐ろしい野獣についても当てはまるのでしょうか」

 「一応当てはまります。ただ忘れないで頂きたいのは、進化というのは一定の型にはまったものではないことです。色々と変化をしながら永遠に続くのです。原始的なものからスタートして低い段階から高い段階へと進むのですが、かつては低い所にいたものが次第に追い抜いて今では高い所にいたり、今高い所に位置しているものが、将来は低い方になることもあります」

問「では進化にも後戻りということがあるわけですか」

 「それを後戻りと呼ぶのであればイエスという答えになりましょう。というのは、進化というのは一種の円運動(サイクル)、現代の思想家の言葉を借りれば螺旋(スパイラル)を画きながら進むものだからです。どちらの言い方でも構いません。要は進化というものが常に一直線に進むものではないことを理解して頂けばよろしい。一歩進んでは後退し、二歩進んでは後退し、ということを繰り返しながら延々と続くのです」

問「動物同士は殺し合っているのに、なぜ人間は動物実験をやってはいけないのでしょう」

 「それが人間の進化の指標だからです。人間が進化すればする程地上から残忍性と野蛮性が消えて行きます。愛と慈しみと寛容の精神が地上に漲った時、動物の残忍性も消えて、それこそライオンと子羊が仲良く寄り添うようになります」

問「しかし動物の残忍性も動物としての発達の表れではないでしょうか」

 「あなたもかつては動物だったのですよ。それがここまで進化してきた。だからこそ太古に比べれば動物界でも随分残忍性が減って来ているのです。トカゲ類で絶滅したのもいます。なぜ絶滅したと思いますか。人間が進化したからです」

問「大人しい動物の中にも絶滅したものがいますが・・・」

 「進化の一番の指標が残忍性に出ると言っているのです。太古でも進化上の枝分かれが幾つもありました。それらは進化の先進者とでも言うべきものです。進化というのはどの段階においても一定の型にはまったものではありません。優等生もおれば劣等性もおり、模範生もおれば反逆児もおります。大人しい動物はさしずめ〝火を吐く怪獣〟を追い抜いた優等生だったわけです」

問「寄生虫の類も動物と同じ類魂の中に入って行くのですか」

 「違います」

問「動物の類魂は一つだけではないということですか」

 「各種族にそれぞれの類魂がいます」

問「それが更に細分化しているわけですか」

 「そうです。細分化したものにもそれぞれの類魂がおります。新しい霊-初めて人間の身体に宿る霊は、動物の類魂の中の最も進化した類魂です」

問「やはりサイクルを画きながら進化していくのでしょうか」

 「そうです。全てサイクル状に進化します」

問「動物で一番進化しているのは何ですか」

 「犬です」

問「寄生虫の類魂の存在は害を及ぼしますか」

 「別に害はありません。全体のバランスから見て、殆ど取るに足らぬ勢力ですから。でもこれは普段あまり触れることのない深入りした質問ですよ」

問「動物の類魂の住処はやはり動物界にあるのですか」

 「私にはあなたより有利な点が一つあります。それは地理を学ばなくてもいいということです。場所と位置がいらないのです。霊的なものは空間を占領しないのです。地上的な位置の感覚で考えるからそういう質問が出て来るのです。魂には居住地はいりません。もっとも、形体の中に宿れば別です。類魂そのものには形体はありません。もしも形体を持つとなれば、何等かの表現形態に宿り、その形態で自己表現出来る場が必要になります」

問「動物の類魂は地球上に対して何か物質的なエネルギーを供給しているのでしょうか。地球にとってそれなりの存在価値があるのでしょうか」

 「進化の過程においての存在価値はあります。ただ気を付けて頂きたいのは、どうもあなた方は物的なものと霊的なものとをあまりに区別し過ぎるきらいがあります。地上に存在していても立派に類魂の一部でありうるわけで、死ななければ類魂の仲間入りが出来ないわけではありません」

問「ペットも睡眠中に霊界を訪れますか」

 「訪れません」

問「では死んでから行く世界にまるで馴染みがないわけですか」

 「ありません。人間の場合は指導霊が手を引いて案内してくれますが、動物の場合はそれが出来るのは飼主だけです。飼主が地上にいれば案内出来ません」

問「飼主が先に死んだ場合はどうなりますか」

 「その場合は事情が違って来ます。今述べたのは一般的な話です」

問「人間より動物の方が心霊能力が優れている場合があるのはどうしてですか」

 「〝進化〟の観点から言えばまだ人間となる段階には到達していませんが、人間が今送っているような〝文化生活〟を体験していないからです。人間がもしも文化生活の〝恩恵〟に浴さなかったら、もっと早い段階で心霊能力が普段の生活の一部となっていた筈です。つまり人間は文明と引き替えに心霊能力を犠牲にしたわけです。動物には人間のような金銭問題もなく、社会問題もないので、本来なら人間が到達すべきであった段階へ人間より先に到達したのです。人間の場合は物的生活の必要性から本来の心霊能力が押さえ込まれてしまったわけです。所謂霊能者というのは進化のコースの先駆者です。いずれは人間の総てが発揮する筈の能力を今発揮しているわけです」

問「動物には所謂第六感というのがあって災害を予知したり、知らない所からでもちゃんと帰って来たりしますが、これも心霊能力ですか」

 「そうです。霊能者にも同じことが出来ます。ただ動物の場合はその種族特有の先天的能力である場合があります。これも一種の進化の先駆けで、その能力だけが特に発達したわけです。ハトのようにどんな遠くからでも帰って来る能力もそれです。本能と呼ばれていますが、一種の〝先見の明〟です」

問「死んだばかりの犬が別の犬と連れ立って出て来ている様子を霊能者が告げてくれることがありますが、犬同士でも助け合うことがあるのですか」

 「ありません。但し地上でその二匹が一緒に暮らした経験があれば連れ立って出ることはあります」

問「その手助けをする人間の霊が必ずいるのでしょうか」

 「そうです。高い者が低い者を援助することになっているのです。それが摂理です」

問「動物界にはどんな種類の動物がいるのでしょうか」

 「地上で可愛がられている動物、親しまれている動物、大切にされている動物、人間と殆ど同等に扱われて知性や思考力を刺激された動物の全てがおります。そうした動物は飼主の手から離れたことで寂しがったり迷ったりするといけないので、動物界に連れて来られて、他の動物と一緒に暮らしながら、動物の専門家の特別の看護を受けます。その専門家は永い間動物の研究をして来ていますので、その正しい対処の仕方を心得ており、自然な情愛の発露を動物へ向けることが出来るのです。そこには動物を喜ばせるものが何でも揃っており、やりたいことが何でも出来るので、イライラすることがありません。そして時には地上にいる飼主の家の雰囲気内まで連れて来られ、暫しその懐かしい雰囲気を味わいます。心霊知識のない人でも自分の飼っていた犬を見たとか猫が出たとか言って騒ぐのはそんな時のことです。何となくあの辺にいたような気がするといった程度に過ぎないのですが、地上の動物の目にはちゃんと見えています。霊視能力が発達しているからです」

問「動物界で世話をしている人間が連れて来るわけですか」

 「動物界でその管理に当たっている人達で、それ以外の人について戻って来ることはありません。ところで、その世話をしている人はどんな人達だと思いますか。動物が大好きなのに飼うチャンスがなかった人達です。それは丁度子供が出来なくて母性本能が満たされなかった女性が、両親に先立って霊界へ来た子供の世話をするのと一緒です。犬とか猫、その他、人間が可愛がっている動物が飼主に先立ってこちらへ来ると、動物が大好きでありながら存分に動物との触れ合いがもてなかった人間によって世話をされるのです。勿論獣医のような動物の専門家がちゃんと控えております。それもやはり地上で勉強したことがそのまま霊界で役に立っているわけです。知識は何一つ無駄にはされません」

問「病気で死亡した動物の場合も人間と同じように看護されるのですか」

 「そうです。そうしたチャンスを喜んで引き受けてくれる人が大勢います」

問「動物界は種類別に分けられているのですか、それとも全部が混じり合っているのですか」

 「種属の別ははっきりしています」

問「動物界は一つでも、それぞれの境界があるということですか」

 「そうです。とにかく自然に出来上がっております。一つの大きなオリの中に飼われているのではありません」

問「猫は猫、犬は犬に分けられているわけですか」

 「その通りです」

問「特に仲の良かったものは別でしょう。その場合は互いに境界の近くに来るわけですか」

 「そういうことです。全てが至って自然に出来上がっていると考えてください」

問「犬の次に進化している動物は何ですか。猫ですか猿ですか」

 「猫です」

問「なぜ猿ではないのでしょう。人間と非常によく似ていると思うのですが」

 「前にも述べましたが、進化というのは一本道ではありません。必ず優等生と劣等性とがいます。人間は確かに猿から進化しましたが、その猿を犬が抜き去ったのです。その大きな理由は人間が犬を可愛がったからです」

問「犬が人間の次に進化しているから可愛がるのだと思っていましたが・・・・」

 「それもそうですが、同時に人間の側の好き嫌いもあります。それからこの問題にはもう一つの側面があるのですが、ちょっと説明出来ません。長い長い進化の道程において、猿はいわば足を滑らせて後退し、残忍にはならなかったのですが、ケンカっぽく、そして怠けっぽくなって歩みを止めてしまい、結局類魂全体の進化が遅れたのです。それと同時に、というより、ほぼその時期に相前後して、犬の種族が進化して来ました。猿よりも類魂全体の団結心が強く、無欲性に富んでいたからです。しかしどうも話が複雑になり過ぎたようです」

問「猿の種族が法則を犯したのでしょうか」

 「法則を犯したというのではなく、当然しなければならないことをしなかったということです」

問「では猿と同じように、将来、犬が進化の階段を滑り落ちるということも有り得るのでしょうか」

 「それはもう有り得ないでしょう。というのは、既に何百万年もの進化の過程を辿って来て、地上の種がすっかり固定してしまったからです。種の型が殆ど定型化して、これ以上の変化の生じる可能性はなくなりつつあります。物質的進化には限度があります。形体上の細かい変化はあるかも知れませんが、本質的な機能上の変化は考えられません。細かい変化は生じても、すっかり形体が変わることはありません。
 例えば人間の場合を考えてごらんなさい。現在の型、すなわち二本の腕と脚、二つの目と一つの鼻が大きく変化することは考えられません。これが人間の標準の型となったわけです。勿論民族により地方によって鼻とか目の形が少しずつ違いますが、型は同じです。動物の場合はこの傾向がもっと強くて、霊界の類魂に突然変異が発生することはあっても、それが地上の動物の型を大きく変化させることはまずないでしょう」

問「猿の転落もやはり自由意志に関連した問題ですか」

 「それは違います。自由意志は個的存在の問題ですが、動物の場合は類魂全体としての問題だからです」

問「動物に個体としての意識がないのに、なぜ類魂全体としての判断が出来るのですか」

 「本能による行動と本能の欠如による行動の違いがあります。個々には理性的判断力のない動物でも、働くか怠けるかを選ぶ力はあります。必要性に対して然るべく対処するかしないかの選択です。そこで種としての本能が伸びたり衰えたりします。個々には判断力はなくても、長い進化の過程において、種全体として然るべき対処を怠るという時期があるわけです」

問「それは植物の場合にも言えるわけですか」

 「言えます」

問「それは外的要因によっても生じるのではないですか」

 「それはそうですが、あなたの仰る外的というのは実は内的でもあるのです。それに加えて更に、霊界からコントロールする霊団の存在も考慮しなくてはいけません。その霊団も又法則、進取性、進歩といった要素に支配されます」

問「例えば猿の好物であるナッツが豊富にあれば、それが猿を怠惰にさせるということが考えられませんか」

 「そういうことも考えられますが、ではナッツがなぜ豊富にあったかという点を考えると、そこには宇宙の法則の働きを考慮しなくてはいけません。つまり人間の目には外的な要因のように見えても、霊界から見れば内的な要因が働いているのです。私の言わんとしているのはその点なのです。人間はとかく宇宙の法則を何か生命のない機械的な、融通性のないもののように想像しがちですが、実際は法則と法則との絡まり合いがあり、ある次元の法則が別の次元の法則の支配を受けることもありますし、その根源において完全にして無限なる叡智によって支配監督されているのです。法則にもまず基本の型というものがあって、それに色々とバリエーション(変化)が生じます。といっても、その基本の型の外に出ることは絶対に出来ません。どんなに反抗してみたところで、その法の枠はどうしようもなく、結局は順応していく他はありません。しかし同じ型の中にあって、努力次第でそれを豊かに意義あるものにして行くことも出来るし、窮屈で味気ないものにしてしまうことも出来ます。別の言い方をすれば、その法則に調和した色彩を施すのも、或いはみっともない色彩を塗りつけてしまうのもあなた次第ということです。いずれにせよ、最後は型に収まります」

 別の日の交霊会で動物実験が道徳的側面から取り上げられた。

問「動物実験がますます増えておりますが、どう思われますか。これを中止させようと運動している団体もありますが、霊界からの援助もあるのでしょうか」

 「為になる仕事をしようと努力している人は必ず霊界から鼓舞し支援し霊力をもたらそうとしている人達の援助を受けます。神の創造物に対して苦痛を与えることは、いかなる動機からにせよ許されません。ただ、動物実験をしている人の中には、人類の為という一途な気持で一生懸命なあまり、それが動物に苦痛を与えていることに全く無神経な人がいることも忘れてはなりません。しかし摂理を犯していることに変わりありません」

問「でもあなたは動機が一番大切であると何度も仰っています。人類の為と思ってやっても罰を受けるのでしょうか」

 「動機は成る程結構なことかも知れませんが、法の原理を曲げるわけにはいきません。実験で動物が何等かの苦痛を受けていることが分かっていながら尚意図的に苦しみを与えるということは、それなりの責務を自覚しているものと見做されます。動機は人の為にということで結構ですが、しかしそれが動物に苦痛を与えているわけです。そうした点を総合的に考慮した上で判断が下されます。いずれにせよ私としては苦痛を与えるということは賛成出来ません」

問「動物は人類の為に地上に送られて来ているのでしょうか」

 「そうです。同時に人類も動物を助ける為に来ているのです」

問「動物創造の唯一の目的が人類の為ということではないと思いますが」

 「それはそうです。人類の為ということも含まれているということです」

問「動物の生体解剖は動機が正しければ許されますか」

 「許されません。残酷な行為がどうして正当化されますか。苦痛を与え、悶え苦しませて、何が正義ですか。それは私共の教えと全く相容れません。無抵抗の動物を実験台にすることは間違いです」

問「動物を実験材料とした研究からは、例えばガンの治療法は発見出来ないという考えには賛成ですか」

 「神の摂理に反した方法からは正しい治療法は生まれません。人間の病気にはそれぞれにちゃんとした治療法が用意されています。しかしそれは動物実験では発見出来ません」

問「そうした酷い実験を見ていながら、なぜ霊界から阻止して頂けないのでしょうか」

 「宇宙が自然法則によって支配されているからです」

 更に別の交霊会で、狐狩りに参加した人が自分は間違ったことをしたのでしょうかと尋ねた。すると-

 「全て生命のあるものは神のものです。いかなる形にせよ、生命を奪うことは許されません」

問「でも、ウチの鶏を二十羽も食い殺したんですが・・・」

 「では、仮に私がその狐に銃を与えて、二十羽も鶏を食べたあなたを撃ち殺せと命令したらどうなります。全ての地上の生命にとって必要なものは神がちゃんと用意してくださっています。人間が飢えに苦しむのは狐が悪いのではなく、人間自身が勝手な考えをもつからです。地上の人間が向上進化すれば、そうしたあくどい欲望は無くなります。狐や鶏をあなたが拵えたのなら、これをあなたが食べても誰も文句は言いません。人間が鶏や狐を殺してもいいというのが道理であるとしたら、あなたの同胞を殺してもいいという理屈になります。生命は人間のものではありません。神のものです。生命を奪う者はいつかはその責任を取らなくてはいけません」

問「オーストラリアでは兎の異常繁殖が脅威となっておりますが、これについてはどうでしょうか」

 「人間は本来そこにあるべきでないところに勝手に持ってきて、それがもたらす不都合について文句を言います。私の地上のふるさとである北米インディアンについても同じです。インディアンは元々戦争とか、俗にいう火酒(ウイスキー、ジン等の強い酒)、その他不幸をもたらすようなものは知らなかったのです。白人が教えてくれるまでは人を殺す為の兵器は何も知らなかったのです。その内人間も宇宙のあらゆる生命-動物も小鳥も魚も花も、その一つ一つが神の計画の一部を担っていることを知る日が来るでしょう。神の創造物としてそこに存在していることを知るようになるでしょう」

 更に別の日の交霊会で-

問「イエスの教えの中には動物に関するものが非常に少ないようですが何故でしょうか」

 「その当時はまだ動物の幸不幸を考える程人類が進化していなかったからです」

問「他の国の霊覚者の訓えにはよく説かれているようですが・・・・」

 「それは、全部とは言いませんが大部分はイエスよりずっと後の時代のことです。それはともかくとして、あなた方はイエスを人類全体の模範のように考えたがりますが、それは間違いです。イエスはあくまで西欧世界の為の使命を担って地上に降りて来たのであって、人類全体の為ではありません。イエスにはイエスの特殊な使命があり、イエス個人としては動物を始めとする全ての生命に愛情をもっていても、使命達成の為に、その教えを出来るだけ制限したのです。その使命というのは、当時の西欧世界を蝕んでいた時代遅れの腐敗した宗教界に楔を打ち込んで、人生の照明灯(サーチライト)として難解なドグマに代わる単純明快な人の道を説くことでした」

問「下等動物への愛を説かない教えは完全とは言えないのではないでしょうか」

 「勿論です。ただイエスの場合はその教えをよく読めば動物への愛も含まれています。イエスは例の黄金律を説きました。すなわち〝何時の欲するところを人に施せ〟ということですが、この真意を理解した人なら、他のいかなる生命にも酷い仕打ちは出来ない筈です」

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