シルバーバーチは〝死〟を悲しむべき出来事とは見ていない。それどころか、より大きな意識、より広い自由、潜在能力をより多く表現出来る機会を与えてくれる、喜ぶべき出来事であると説く。

 「この交霊会も死が幻影であることを証明する機会の一つです。すなわち死の淵を霊的知識で橋渡しをして、肉体という牢獄を出た後に待ち受ける充実した新たな生活の場の存在を紹介する為に私達はこうして戻って来ているということです。何でもない、実に簡単なことなのです。ですが、その簡単なことによって、これまでどれ程意義ある仕事が為し遂げられて来たことでしょう。手を変え品を変えての普及活動も、結局は古くからの誤った認識を駆逐する為にその簡単な事実を繰り返し繰り返し述べているに過ぎません。その活動によって今や霊的知識(スピリチュアリズム)への抵抗が少しずつ弱まり、橋頭堡が少しずつ広がりつつあります。我々の活動を歯牙にかけるに足らぬものと彼等が多寡を括っていたのも、つい先頃のことです。それがどうでしょう、今やあなた方の周りに、崩れ行く旧態の瓦礫が散乱しております。
 私達は施設はどうでもよいのです。関心の的は人間そのものです。魂と精神、そして両者を宿す殿堂としての身体-これが私達の関心事です。人間も神の一部であるが故に永遠の霊的存在である-この単純にして深遠な真理に耳を傾ける人全てに分け隔てなく手を差し延べんとしているのです。実に単純な真理です。が、その意味するところは極めて深長です。一旦この真理の種子が心に宿れば、大いなる精神的革命をその人にもたらします。
 皆さんはよく、かつての偉大な革命家を鼓舞したのは一体何であったかが分からないことが多いと仰います。しかし人間の思想を一変させるのは何気なく耳にする言葉であることもあります。ほんの囁き程度のものであることもあります。一冊の書物の中の一文であることもあります。新聞で読んだたった一行の記事である場合だってあります。私達が求めているのも同じです。単純素朴なメッセージによって、教義で雁字搦めとなった精神を解放してあげ、自らの知性で物事を考え、人生のあらゆる側面に理性の光を当てるようになって頂くことです。古くからの教えだから、伝来の慣習だからということだけで古いものを大切にしてはいけません。真理の宝石、いかなる詮索にも、いかなるテストにも、いかにしつこい調査にも耐えうる真理を求めなくてはなりません。
 私の説く真理を極めて当たり前のことと受け取る方がいらっしゃるでしょう。既に度々お聞きになっておられるからです。が、驚天動地のこととして受け止める方もいらっしゃるでしょう。所詮様々な発達段階にある人類を相手にしていることですから当然のことです。私の述べることがどうしても納得出来ない方がいらっしゃるでしょう。頭から否定する方もいらっしゃるでしょう。あなた方西洋人から野蛮人と見做されている人種の言っていることだということで一蹴される方もいらっしゃるでしょう。しかし真理は真理であるが故に真理であり続けます。
 あなた方にとって当たり前となってしまったことが人類史上最大の革命的事実に思える人がいることを忘れてはなりません。人間は霊的な存在であり、神の分霊であり、永遠に神と繋がっている-私達霊団が携えてくるメッセージはいつもこれだけの単純な事実です。神との繋がりは絶対に切れることはありません。時には弱められ、時には強められたりすることはあっても、決して断絶することはありません。人間は向上もすれば堕落もします。神の如き人間になることも出来れば動物的人間になることも出来ます。自由意志を破壊的なことに使用することも出来ますし、建設的なことに使用することも出来ます。しかし、何をしようと、人間は永遠に神の分霊であり、神は永遠に人間に宿っております。
 こうした真理は教会で朗唱する為にあるのではありません。日常生活において体言して行かなくてはなりません。飢餓、失業、病気、スラム等々、内に宿す神性を侮辱するような文明の恥辱を無くすことに繋がらなくてはいけません。
 私達のメッセージは全人類を念頭に置いております。いかなる進化の階梯にあっても、そのメッセージには人類が手に取り理解しそして吸収すべきものを十分に用意してあります。人類が階段の一つに足を置きます。すると私達は次の段でお待ちしています。人類がその段まで上がってくると、又次の段でお待ちします。こうして一段又一段と宿命の成就へ向けて登って行くのです」

 別の交霊会で、肉親を失ってその悲しみに必死に耐えている人に対してシルバーバーチがこう述べた。
 「あなたの(霊の世界を見る)目が遮られているのが残念でなりません。(霊の声を聞く)耳が塞がれているのが残念でなりません。その肉体の壁を超えてご覧になれないのが残念でなりません。あなたが生きておられる世界が影であり実在でないことを知って頂けないのが残念でなりません。あなたの背後にあって絶え間なくあなたの為に働いている霊の力をご覧にいれられないのが残念でなりません。数多くの霊-あなたのご存知の方もいれば人類愛から手を差し延べている見ず知らずの人もいます-があなたの身の回りに存在していることが分かって頂けたら、どんなにか慰められるでしょうに。地上は影の世界です。実在ではないのです。
 私達の仕事はこうした霊媒だけを通して行っているのではありません。勿論人間世界特有の(言語によって意志を伝える)手段によって私達の存在を知って頂けることを嬉しく思っておりますが、実際にはその目に見えず、その耳に聞こえずとも、あなた方の生活の現実に影響を及ぼし、導き、鼓舞し、指示を与え、正しい選択をさせながら、あなた方の性格を伸ばし、魂を開発しております。そうした中でこそ(死後の生活に備えて)霊的な生長に必要なものを摂取出来る生き方へと誘うことが出来るのです」

 ある年イースタータイム(注)にシルバーバーチは〝死〟を一年の四季の巡りに美事になぞらえて、こう語った。(注-イースターはキリストの復活を祝う祭日で、西洋ではクリスマスと並んで大々的に祝う。その時期は国によって少しずつズレがあるが、当日をイースターサンデー、その日を含む週をイースターウィーク、五十日間をイースタータイムという-訳者)

 「四季の絶妙な変化、途切れることのない永遠の巡りに思いを馳せてごらんなさい。全ての生命が眠る冬、その生命が目覚める春、生命の世界が美を競い合う夏、そして又次の春までの眠りに備えて自然が声を潜め始める秋。
 地上は今まさに大自然の美事な顕現-春、イースター、復活-の季節を迎えようとしております。新しい生命、それまで地下の暗がりの中で安らぎと静けさを得てひっそりと身を横たえていた生命が一斉に地上へ顕現する時期です。間もなくあなた方の目に樹液の活動が感じられ、やがて蕾が、若葉が、群葉が、そして花が目に入るようになります。地上全土に新しい生命の大合唱が響き渡ります。
 こうしたことから皆さんに太古の非文明時代(注)において宗教というものが大自然の動きそのものを儀式の基本としていたことを知って頂きたいのです。彼等は移り行く大自然のドラマと星辰の動きの中に、神々の生活-自分達を見つめている目に見えない力の存在を感じ取りました。自分達の生命を支配する法則に畏敬の念を抱き、春を生命の誕生の季節として最も大切に致しました。(注-シルバーバーチは文明の発達そのものを少しも立派なものと見ていない。それによって人類の霊的な感覚が麻痺したとみており、その意味でこの表現に〝野蛮〟というイメージは込められていない-訳者)
 同じサイクルが人間一人ひとりの生命においても繰り返されております。大自然の壮観と同じものが一人ひとりの魂において展開しているのです。まず意識の目覚めと共に春が訪れます。続いて生命力が最高に発揮される夏となります。やがてその力が衰え始める秋となり、そして疲れ果てた魂に冬の休眠の時が訪れます。しかし、それで全てが終わりとなるのではありません。それは物的生命の終わりです。冬が終わるとその魂は次の世界において春を迎え、かくして永遠のサイクルを続けるのです。この教訓を大自然から学び取ってください。そしてこれまで自分を見棄てることのなかった摂理はこれ以後も自分を、そして他の全ての生命を見捨てることなく働き続けてくれることを確信してください」

 スピリチュアリストとして活躍していた同志が他界したことを聞かされてシルバーバーチは-
 「大収穫者すなわち神は、十分な実りを達成した者を次々と穫り入れ、死後に辿る道をより明るく飾ることをなさいます。
 肉眼の視野から消えると、あなた方は悲しみの涙を流されますが、私達の世界では又一人束縛から解放されて、言葉で言い表せない生命の喜びを味わい始める魂を迎えて、嬉し涙を流します。私はいつも〝死〟は自由をもたらすものであること、人間の世界では哀悼の意を表していても、本人は新しい自由、新しい喜び、そして地上で発揮せずに終わった内部の霊性を発揮する機会に満ちた世界での生活を始めたことを知って喜んでいることを説いております。ここにおいでの方々は、他界した者がけっしてこの宇宙からいなくなったのではないとの知識を獲得された幸せな方達ですが、それに加えてもう一つ知って頂きたいのは、こちらへ来て霊力が強化されると必ず地上のことを思いやり、こうして真理普及の為に奮戦している我々を援助してくれているということです。
 その戦いは地上の至る所で日夜続けられております-霊の勢力と醜い物的利己主義の勢力との戦いです。たとえ一度は後退のやむなきに至り、一見すると霊の勢力が敗北したかに思えても、背後に控える強大な組織のお蔭で勝利は必ず我がものとなることを確信して、その勝利へ向けて前進し続けます。いずれあなた方もその戦いにおいて果たされたご自分の役割-大勢の人々の慰めと知識を与えてあげている事実を知って大いなる喜びに浸ることになりましょう。今はそれがお分かりにならない。私達と共に推進して来た仕事によって生きる喜びを得た人が世界各地に無数にいることを今はご存知でありません。
 実際はあなた方はこうした霊的真理の普及に大切な役割を果たしておられるのです。その知識は、成る程と得心がいき心の傷と精神の疑問と魂の憧憬の全てに応えてくれる真実を求めている飢えた魂にとって、何ものにも替え難い宝となっております。太古の人間が天を仰いで福音を祈った如くに、古びた決まり文句にうんざりしている現代の人間は、新たなしるしを求めて天を仰いで来ました。そこで私達があなた方の協力を得て真実の知識をお持ちしたのです。それは正しく用いさえすれば必ずや神の子全てに自由を-魂の自由と精神の自由だけでなく身体の自由までももたらしてくれます。
 私達の目的は魂を解放することだけが目的ではありません。見るも気の毒な状態に置かれている身体を救ってあげることにも努力しております。つまり私達の仕事には三重の目的があります-精神の解放と魂の解放と身体の解放です。そのことを世間へ向けて公言すると、あなた方はきっと取り越し苦労性の人達から、そう何もかも上手く行くものでないでしょうといった反論に遭うであろうことは私もよく承知しております。しかし、事実、私達の説いている真理は人生のあらゆる面に応用が利くものです。宇宙のどこを探しても、神の摂理の届かない所がないように、地上生活のどこを探しても私達の説く霊的真理の適用出来ない側面はありません。
 挫折した人を元気付け、弱き者、寄る辺無き者に手を差し伸べ、日常の最小限の必需品にも事欠く人々に神の恩寵を分け与え、不正を無くし、不平等を改め、飢餓に苦しむ人々に食を与え、雨露を凌ぐ程の家とてない人々に住居を提供するという、こうした物質界ならではの問題にあなた方が心を砕いている時、それは実は私達霊の世界からやって来る者の仕事の一部でもあることを知って頂きたいのです。その種の属性的問題から超然とさせる為に霊的真理を説いているのではありません。霊的な真理を知れば知る程、自分より恵まれない人々への思いやりの気持を抱くようでなければなりません。その真理にいかなる名称(ラベル)を付けようと構いません。政治的ラベル、経済的ラベル、宗教的ラベル、哲学的ラベル-どれでもお好きなものを貼られるがよろしい。それ自体何の意味もありません。大切なのはその真理が地上から不正を駆逐し、当然受けるべきものを受けていない人々に生得の権利を行使させてあげる上で役立たせることです」

 そして最後に〝死〟にまつわる陰湿な古い観念の打破を説いて、こう述べた。
 「その身体があなたではありません。あなたは本来、永遠の霊的存在なのです。私達はこうした形で週に一度お会いして僅かな時を過ごすだけですが、そのことがお互いの絆を強化し接触を深めて行く上で役に立っております。毎週毎週あなた方の霊そのものが霊的影響力を受けて、それが表面へ出ております。その霊妙な関係は物的身体では意識されませんが、より大きな自我は実感しております。又、こうしたサークル活動はあなた方が霊的存在であって物的存在でないことを忘れさせないようにする上でも役立っております。人間にはこうしたものが是非とも必要です。なぜなら人間は毎日毎日、毎時間毎時間、毎分毎分、物的生活に必要なものを追い求めてあくせくしている内に、つい、その物的なものが殻に過ぎないことを忘れてしまいがちだからです。それは実在ではないのです。
 鏡に映るあなたは本当のあなたではありません。真のあなたの外形を見ているに過ぎません。身体が人間が纏う衣服であり、物質の世界で自分を表現する為の道具に過ぎません。その身体はあなたではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全大宇宙を支えている生命力、全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠の巡りを規制し、全生命の生長と進化を統制し、太陽を輝かせ星を煌かせている大霊の一部なのです。その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。程度において異なるのみで、基本的には同じなのです。それはあらゆる物的概念を超越した存在です。全ての物的限界を超えております。あなた方の想像されるいかなるものよりも偉大なる存在です。
 あなたはまさに一個の巨大な原子-無限の可能性を秘めながらも今は限りある形態で自我を表現している原子のような存在です。身体の内部に、いつの日か全ての束縛を押し破り真実のあなたにより相応しい身体を通して表現せずにはいられない力を宿しておられるのです。そうなることをあなた方は死と呼び、そうなった人のことを悼み悲しんで涙を流されます。それは相も変わらず肉体がその人であるという考えが存在し、死が愛する人を奪い去ったと思い込んでいる証拠です。
 しかし死は生命に対して何の力も及ぼしえません。死は生命に対して何の手出しも出来ません。死は生命を滅ぼすことは出来ません。物的なものは所詮、霊的なものには敵わないのです。もしあなたが霊眼をもって眺めることが出来たら、もし霊耳をもって聞くことが出来たら、もしも肉体の奥にある魂が霊界の霊妙なバイブレーションを感じ取ることが出来たら、肉体という牢獄からの解放を喜んでいる、自由で意気揚々とし、嬉しさ一杯の甦った霊をご覧になることが出来るでしょう。
 その自由を満喫している霊のことを悲しんではいけません。毛虫が美しい蝶になったことを嘆いてはいけません。カゴの鳥が空へ放たれたことに涙を流してはいけません。喜んであげるべきです。そしてその魂が真の自由を見出したこと、今地上にいるあなた方も神より授かった魂の潜在力を開発すれば同じ自由、同じ喜びを味わうことが出来ることを知ってください。死の意味がお分かりになる筈です。そして死とは飛び石の一つ、ないしは大きな自由を味わえる霊の世界への関門に過ぎないことを得心なさる筈です。
 他界してその自由を味わった後に開発される霊力を今直ぐあなた方に身をもって実感して頂けないことは私は実に残念に思います。しかしあなた方には知識があります。それをご一緒に広めているところです。それによってきっと地上に光をもたらし、暗闇を無くすことが出来ます。人類はもう、何世紀も迷わされ続けて来た古い教義は信じません。教会の権威は失墜の一途を辿っております。霊的真理の受け入れを拒んで来た報いとして、霊力を失いつつあるのです」