再生の問題、動物実験の是非、犯罪、自殺等々についての質問がシルバーバーチの下に数多く寄せられる。その中から幾つかを紹介しよう。

質問(一)-動物実験は正しいことでしょうか間違ったことでしょうか。これによって人類の益になるものが得られるのでしょうか。

 「私はかねがね動物を使っての実験の全てに反対しております。そこに何一つ正当化すべきものは見出せません。動物はあなた方人間が保護し世話すべきものとして地上に存在しているのです。その成長と進化を促進する責任が、全面的とは言えませんが、人間に託されております。その無力な動物に苦痛を与えることは、動物が人間に示す情愛と献身と忠誠に対するあまりに酷い報復です。
 治癒力は自然界に様々な形で存在し、使用されるのを待っております。動物界の創造と進化をそんな形で邪魔しなくてもよいように、必要なものは創造主がちゃんと用意してくださっております。私達の世界から援助するスピリットは苦痛を軽減したり不治と宣告された病すら治してしまう技術を身に付けておりますが、けっして生体実験はいたしません。薬草を使うことがあります。霊波を使うことがあります。いずれも動物に対する残酷な行為は伴いません。宇宙には道義的な意図が行き渡っております。非道義的なものは摂理に反します」

質問(二)-スピリチュアリストの中にはスピリチュアリズムを占星術と同類と見ている人がいます。そういう人達は地上の出来事は星によって宿命付けられ操られていると考えています。

 「生命現象は一連のバイブレーション、放射性物質、放散物から成っており、従って人間も自然界のあらゆる存在ないし生命体によって影響されていることは確かです。そういったものが影響を及ぼしていることは事実ですが、どれ一つとして、どうしようもない宿命的な力をもってはおりません。あなたの誕生日にある星が地平線上にあったからといって、その星によってあなたの生涯が運命付けられていると考えるのは間違いです。全ての惑星、全ての自然、宇宙間のあらゆる存在、あらゆる生命体が何等かの影響を及ぼします。しかしあなたはあなたの魂の支配者です。あなたには自分で背負わねばならない責任があり、あなたの霊的進歩に応じて自分が運命を定めていくのです。
 占星術でいう惑星には確かに人体に影響を及ぼす放射性物質がありますし、人体に影響を及ぼせば霊にも影響を及ぼすことになります。しかし霊は絶対です。全てに優るものです。ですから、いかなる恒星も惑星も星座も星雲も、人体に及ぶ影響を克服するその霊の威力を妨げる力はありません。
 私が言いたいのは、要するにあなた方は神の一部であること、そして神性を宿すが故に、創造力を宿すが故に、この宇宙を創造した力の一部であるが故に、あなた方はその身体を牛耳ろうとする力に打ち克つことが出来るということです。
 分かり易く言えば私も影響力の一つです。あなた方が付き合う人達も何等かの影響を与えます。お読みになる本も影響力をもっております。しかしあくまで影響力に過ぎません。それによってあなたが圧倒されることもないし、絶対的に支配されることもないでしょう」

質問(三)-再生は本当にあるのでしょうか。

 「再生は事実です。私はかつて地上へ再生したことのある霊に何人か会っております。特殊な使命を託された人、預けた質を取り戻したい人が自らの意志で行なうものです。
 但し再生するのは個的存在の別の側面です。同じ人格がそっくり再生するのではありません。ここに一個の意識的存在があって、そのごく小さな一部が丁度氷山のように地上に顔を出します。それが誕生です。残りの大きい部分は顕現しておりません。次の誕生つまり再生の時にはその水面下の別の一部分が顔を出します。二つの部分に分かれても個的存在全体としては一つです。これが霊界において進化を重ねて行くと、その潜在している部分全体が顕現した状態となります」(表現する身体が精妙となっていき、それだけ神性が発揮し易くなっていく-訳者)

質問(四)-私は最近、一方において若者による犯罪が激増し、他方においては体罰が禁じられていることについて大いに考えさせられております。暴力以外に青春のはけ口を知らず、けだもの同然となってしまっている若者をどう扱ったらよいでしょうか。何かよい処罰の方法はないものでしょうか。(第二次大戦後のこと。本書は1955年の出版-訳者)

 「戦争が起きると気高い人間精神(愛国心)が昂揚される反面、敵を殺そうとする、人類の最も残忍な性質が発揮されます。人間精神の極致ともいうべき英雄的行為を生むと同時に、むごたらしい野蛮性も生みます」

-両極端が発揮されるわけですね。

 「そういうことです。しかも、暴力の方は戦争の必然性として大いに奨励されることになります。では戦争が終われば暴力と残虐性が直ぐに引っ込むかといえば、そう簡単にはまいりません。既に無数の人間が獣性をむき出しにした状態になっております。そうした事態にどう対処すべきかをお尋ねですが、それには二つの方法があります。いずれも地上で恭しく読まれている本(新旧聖書)にはっきりと述べられているものです。古い方は〝目には目を、歯には歯を〟(出エジプト記)と説き、新しい方は〝己を愛する如く隣人を愛せよ〟(マタイ)と説きます。どちらが良いかは分かり切ったことです。
 前者の方法を取れば解決は得られません。緩和剤、一時凌ぎの荒治療にはなっても、罪悪ないし蛮行を根本から無くしたことにはなりません。後者の方法を取り、そうした邪悪が精神と肉体と霊との不調和から生まれていることを認識し、それを矯正する為の適切な手段を講ずれば、彼等もまともな市民となっていくでしょう。私はこの方法をお勧めします」

-それは解るのですが、問題はそうした暴徒にどう近付くか、つまり彼等の従順な側面をどう捉えるかです。

 「従順な側面を捉えるかどうかの問題ではありません。彼等の野獣性を鎮め、本来の姿である霊性を発揮させるような精神的治療を、更に必要であれば霊的治療をいかに施すかの問題です。言ってみれば彼等は一種の病人であり、肉体と魂とが本来の繋がりを失っているのです。病気を治すには色んな方法がありますが、一番望ましい方法は身体と精神と霊の狂った関係に終止符を打ち、協調関係を取り戻させることです。すると自動的に健康状態になります。それと同じで、優れた心理学の専門家の協力、更には心霊治療家の参加を得ることが出来れば、きっと上手く行くでしょう。しかし、残念ながら、地上はまだその段階まで来ておりません」

-(別のメンバーが)これは非常に考えさせられる問題です。そういう若者はしっかりと体罰を課せば一応大人しくなると思うのですが・・・・・。

 「恐怖心を吹き込むばかりで、病弊の治療にはなりません」

-でも、大人しくさせることは出来るでしょう。

 「出来ます。ですが、一個の人間としての問題の解決にはなりません。あなた方は極めて限られた視野で見ておられます。それは丁度死刑にするのと同じです。その人間をこの世から抹殺すれば問題は片付くじゃないかと仰るようなものです。確かに一面から見れば片付いたと言えるでしょう。しかし本人はちゃんと(死後の世界で)生き続けているのです」(モーゼスの『霊訓』でイムペレーターが死刑にされた人間の霊や戦死者の霊の怨念と激情が地上の犯罪や暴力沙汰に拍車をかけている事実を生々しく伝えている-訳者)

-一人の堕落者の更生の方が社会全体より大切なのでしょうか。

 「社会は個人が集まって出来上がっているのです。全ての者に注意を向けてやらねばなりません。私が指摘しているのはより良い方法です。つまり暴力に暴力をもって対処するのでなく、理解をもって臨み、凶暴性を鎮めて市民的意識を芽生えさせるということです」

-(更に別のメンバーが)若者が暴徒と化してしまったことには我々にも責任があります。我々みんなの責任です。

 「私達みんなに責任があります。なぜなら人類は一つであり、同胞へ及ぼす影響はこの私にも及びます。私達が生活している宇宙は全生命があらゆる面において互いに依存し合っており、いかなる側面も他と隔絶することは出来ません」

-(最初の質問者)鞭を使うことは一時凌ぎであり、単に恐怖心でもって大人しくさせるに過ぎません。

 「現段階での地上人類はまだ社会悪に対する適切な矯正措置を生み出すところまで至っておりません。これは進化の問題です。かつては羊を一頭盗んだ者でも絞首刑にした時代がありました。死刑にしなかったら残りの羊はどうなるんだという理屈が大真面目でまかり通ったものです」

-未熟な社会では未熟な処罰が許されるのだと思います。

 「より良い方法に目覚めた人が一人でもいる限りは許されません。例えば恐怖の監獄に放り込むのと、真面目な市民に更生させる目的をもった監獄の改善の為に働かせるのと、どちらがより良いでしょうか。たった一人だけ更生に成功して九九人が失敗に終わったとしても、何の更生手段も講じないでいるよりはマシです」

-死刑制度は正しいとお考えですか。

 「いえ、私は正しいとは思いません。これは〝二つの悪の内の酷くない方〟とは言えないからです。死刑制度は合法的殺人を許していることにしかなりません。個人が人を殺せば罪になり、国が人を殺すのは正当という理屈になりますが、これは不合理です」

-反対なさる主たる理由は、生命を奪うことは許されないことだからでしょうか、それとも国が死刑執行人を雇うことになり、それはその人にとって気の毒なことだからでしょうか。

 「両方とも強調したいことですが、それにもう一つ強調したいのは、いつまでも死刑制度を続けているというのは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。なぜなら、死刑では問題の解決になっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう一つの殺人を犯していることに他ならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰にはなっておりません。ただ単に、別の世界へ突き落としただけです」

質問(五)-余暇の使い方について教えてください。

 「余暇は精神と霊の開発・陶冶に当てるべきです。これは是非とも必要なことです。なぜかと言えば、身体に関係したことは既に十分な時間が費やされているからです。人間は誰しも健康を維持し増進する為の食生活には大変な関心を示します。もっとも必ずしも健康の法則に適っておりませんが・・・・しかし精神と霊も発育が必要であることをご存知の方は殆どいません。そういう人達は霊的にみると一生を耳を塞ぎ口をつぐみ目を閉じたまま生きているようなものです。自分の奥に汲めども尽きぬ霊的な宝の泉があることを知りません。精神と霊が満喫出来る筈の美しさを垣間見たことすらありません。誰にも霊的才覚が宿されていることを知らずにおります。それの開発は内的安らぎを生み、人生のより大きい側面の素晴らしさを知らしめます。
 となれば霊性そのものの開発が何よりも大切であることは明らかでしょう。これは個々の人間のプライベートな静寂の中において為されるものです。その静寂の中で、周りに瀰漫する霊力と一体となるのです。すると、より大きな世界の偉大な存在と波長が合い、インスピレーションと叡智、知識と真理、要するに神の無限の宝庫からありとあらゆるものを摂取することが出来ます。その宝は使われるのを待ち受けているのです」

質問(六)-直感について説明してください。

 「よろしい。一言で説明出来ます。〝霊の即発〟です。直感とは霊が自己を認識する手段です。普段の地上的推理の過程を飛躍します。考えに考えた末に到達するような結論でも、電光石火の速さで到達します。同じ問題について多くの時間と思索の後にやっと到達することを〝霊の即発〟によって一気に我がものとしてしまう、一種の〝一体化〟の過程です」

質問(七)-有色人種と白人とが結婚して子孫を拵えることは好ましくないことでしょうか。

 「私も有色人種です。これ以上申し上げる必要があるでしょうか。地上では〝色素〟つまり肌の色で優劣が決まるかのように考えがちですが、これは断じて間違いです。優劣の差はどれだけ自分を役立てるかによって決まることです。他に基準はありません。肌の色が白いから、黄色いから、赤いから、或いは黒いからといって、霊的に上でもなければ下でもありません。肌の色は魂の程度を反映するものではありません。地上世界ではとかく永遠なるものを物的基準で判断しようとしがちですが、永遠不変の基準は一つしかありません。すなわち〝霊〟です。
 全ての民族、あらゆる肌色の人間が神の子であり、全体として完全な調和を構成するようになっております。大自然の美事なわざをご覧なさい。広大な花園で無数の色彩をした花が咲き乱れていても、そこには、一欠片の不調和も不自然さも見られません。全ての肌色の人間が融合し合った時、そこに完璧な人種が生まれます」

質問(八)-現段階の人間社会において、所謂ハーフカースト(注)の子孫も社会に受け入れられるべきでしょうか。(注-宗教又は階級を異にする者同士の間の子孫、特にヨーロッパのキリスト教徒とヒンズー教徒又はイスラム教徒との間の混血児のこと-訳者)

 「偏見を打ち崩し、誤った考えと闘わなければなりません。真理は、いかにその歩みはのろく苦痛を伴っても、真理であるが故に、必ず前進するものです。価値あるもの程手に入れるのに困難が伴うものです。成就は奮闘努力の末に得られるものです。勇気をもって挑戦し、そして征服した者こそ賞讃に値します。恐怖心から尻込みし困難を避けようとする者に用はありません。人生とは学校です。刻苦と闘争、努力と困難、逆境と嵐の中を潜ってこそ魂は真の自我に目覚めるのです」