-愛とは何でしょうか。

 「気が合うというだけの友情、趣味が同じということから生まれる友愛から、己を忘れて人の為に尽くそうとする崇高な奉仕的精神に至るまで、愛は数多くの形態を取ります。地上では愛 Love という言葉が誤って用いられております。愛とは言えないものまで愛だ愛だと盛んに用いる人がいます。ある種の本能の満足でしかないものを愛だと錯覚している人もいます。が、私が理解している限りで言えば、愛とは魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主たる神との繋がりを悟った時に自ずから湧き出て来る魂の欲求です。最高の愛には一欠片の利己性もありません。すなわち、その欲求を満たそうとする活動に何一つ自分の為にという要素がありません。それが最高の人間的な愛です。それが人類の啓発を志す人々、困窮する者への救済を志す人々、弱き者への扶助を願う人々、そして人生の喜びを踏み躙る既得権力との闘いを挑む人々の魂を鼓舞して来ました。
 母国において、或いは他国に赴いて、そうした愛他的動機から人類の向上の為に、言い換えれば内部に秘めた無限の可能性を悟らせる為に尽力する人は、愛を最高の形で表現している人です。その表現形態にも様々な段階(ランク)があります。愛の対象に対する働きかけという点では同じであっても、自ずから程度の差があります。最も程度の低い愛、狭隘で、好意を覚える者だけを庇い、そして援助し、見知らぬ者には一欠片の哀れみも同情も慈悲も感じない者もいます。しかし宇宙には神の愛が行き渡っております。その愛が天体の運行を定め、その愛が進化を規制し、その愛が恵みを与え、その愛が高級霊の魂を鼓舞し、それまでに成就したもの全部をお預けにして、この冷たく薄暗い、魅力に乏しい地上へ戻って人類の救済に当たらせているのです」

-自分の思念には全て自分が責任を取らねばならないのでしょうか。

 「(精神障害などがある場合は別として)一般に正常と見做されている状態においては、自分の言動に全責任を負わねばなりません。これは厳しい試練です。行為こそが絶対的な重要性を持ちます。いかなる立場の人間にも人の為に為すべき仕事、自分の霊性を高めるべき好機(チャンス)、霊の成長を促進する為の機会が与えられるものです。有徳の人や聖人君子だけが与えられるのではありません。全ての人に与えられ、その好機の活用の仕方、ないしは疎かにした度合に応じて、霊性が強化されたり弱められたりします」

-子供はそちらへ行ってからでも成人して行くと聞いておりますが、(霊媒の)子供の背後霊が何年経っても子供のままだったり、十八年も二十年も前に他界した子供がその時のままの姿格好で出て来るのはなぜでしょうか。

 「地上の人間はいつまでも子供っぽい人を変だと見るかと思うと、一方では子供の無邪気さを愛するような口を利きます。しかも、人類の為に敢えて幼児の段階に留まる手段を選んでいる霊を変だと仰います。幼児の方が得をする理由は容易に理解出来ます。幼児は大人にありがちな障壁がありません。極めて自然に、いつも新鮮な視点から物事を眺めることが出来ます。大人が抱える問題に悩まされることもないので、通信のチャンネルとして好都合なのです。大人にありがちな寛容性を欠いた先入観や偏見が少ない為に仕事がスムーズに運びます。いつも生き生きとして新鮮味をもって仕事に携わり、大人の世界の煩わしさがありません。煩わされないだけ、それだけ霊的交信に必要な繊細なバイブレーションを直ぐにキャッチ出来るのです。
 しかし実はその幼児の個性は、大人の霊が仕事の為に一時的に纏っている仮の衣服である場合が多いのです。仕事を終えればいつでも高い世界へ戻って、それまでの生活で開発したより大きな意識の糸を手繰り寄せることが出来ます。変だと決め付けてはいけません。こういう霊をトプシー Topsy と言います。こういう形で自分を犠牲にして地上の人々の為に働いている神の愛すべき道具なのです。
 何年も前に他界した子供がそのままの姿で出現するのは、自分の存続の証拠として確認してもらう為です。身元の確認を問題にされる時に忘れてならないことは、他界した時点での姿や性格や癖を持ち、その時の姿のままを見せないとあなた方が承知してくれないということです。そこで霊媒に影像を見せてそれを伝達させます。言わばテレビの画像のようなものです。霊媒が自分の精神のスクリーンに映った映像を見て叙述するわけです。直接談話であれば映像を見せる代わりにエクトプラズムで他界当時と同じ発声器官を拵えます。条件さえ上手く整えば、地上時代とそっくりな声が再生出来ます」

-子供の頃から動物に対して残酷なことをして育った場合はそちらでどんな取り扱いを受けるのでしょうか。動物の世話でもさせられるのでしょうか。

 「人間の永い歴史を通じて、動物がいかに人間にとって役立って来たかを教えることによって、地上時代の間違った考えを改めさせないといけません。動物界をあちらこちらへ案内して、本来動物というものが本当に動物を愛し理解する人間と接触するといかに愛らしいものであるかを実際に見せてやります。知識が増すにつれて誤った考えが少しずつ改められていきます。結局は残酷を働いたその影響は、動物だけでなくそれを働いた人間にも表れるものであることを悟ることになります」

-他界する者の大多数が死後の生活の知識を持ち合わせません。他界直後は目眩のような状態にあり、自分が死んだことに気付きません。それは子供の場合も同じでしょうか。それとも本能的に新しい生活に順応して行くのでしょうか。

 「それはその子供の知識次第です。地上の無知や迷信に汚染され過ぎていなければ、本来の霊的資質に基づく自然な理解力によって新たな自覚が生まれます」

-人間が寿命を完(まっと)うせずに〝死ぬ〟ことを神が許されることがあるのでしょうか。

 「神の意図は人間がより素晴らしい霊的生活への備えを地上生活において十分に身に付けることです。熟さない内に落ちた果実が不味いのと同じで、割り当てられた地上生活を完うせずに他界した霊は新しい世界への備えが十分ではありません」

-子供が事故で死亡した場合、それは神の意図だったのでしょうか。

 「これは難しい問題です。答えとしては〝イエス〟なのですが、但し書きが必要です。地上生活は全て摂理によって支配され、その摂理の最高責任者は神です。しかしその摂理は人間を通じて作用します。究極的には全て神の責任に帰着しますが、だからといって自分が間違ったことをしでかしておいて、これは神が私にそうさせたのだから私の責任ではないという理屈は通用しません。神がこの宇宙を創造し、叡智によって支配している以上は、最終的には神が全責任を負いますが、あなた方人間にも叡智があります。理性的判断力があります。自分で勝手に鉄道の線路の上に頭を置いておいて神に責任を求めても何にもなりません」

-所謂〝神童〟について説明して頂けませんか。

 「三つの種類があります。一つは過去世の体験をそのまま携えて再生した人。二つ目はたとえ無意識であっても霊媒的素質を具えた人で、霊界の学問や叡智、知識、真理等を直接的にキャッチする人。三つ目は進化の前衛としての、所謂天才です」

-〝豚に真珠を与える勿れ〟と言ったイエスの真意は何でしょうか。

 「自分では立派な真理だと思っても、受け入れる用意の出来ていない人に無理矢理に押し付けてはいけないということです。拒絶されるから余計なことはするなという意味ではありません。拒絶されることなら、イエスの生活は拒絶の連続でした。そんな意味ではなく、知識、真理、理解を広めようとする努力が軽蔑と侮辱をもって迎えられるような時は、そういう連中は見る目を持たないのだから、美しいものを無理して見せようとせずに身を引きなさいという意味です」

-一身上の問題で指導を仰ぐことは許されるでしょうか。

 「それは許されます。ただ、霊的なことに興味はあっても真髄を理解していない人に説明する時は慎重を要します。うっかりすると霊界からの援助を自分のご利益の為だけに不当に利用しているかの印象を与えかねません。スピリチュアリズムの基本は詰まるところ物的な豊かさよりも霊的な豊かさを求めることであり、自分自身と宇宙と神についての実相を理解する上で基本となるべき摂理と実在を知ることです。無論物的生活と霊的生活とは互いに融合し調和しております。両者の間にはっきりした一線を画すことは出来ません。霊的なものが物的世界へ顕現し、物的なものが霊的なものへ制約を与え、条件付けております」

-この世に生きる目的は霊的なものを制約するものを排除し、霊的本性が肉体を通してより多く顕現するようにすることだと私は理解しておりますが・・・

 「その通りです。地上生活の目的はそれに尽きます。そうすることによって自分とは何かを悟って行くことです。自分を単なる肉体であり他の何ものでもないと思い込んでいる人は大きな幻影の中で生活しており、いつかは厳しい実在に目覚める日が来ます。その日は地上生活中に訪れるかも知れないし、こちらへ来てからになるかも知れません。こちらにいる内の方が遙かに有利です。なぜなら地上には魂の成長と進化と顕現の為の条件が全部揃っているからです。人間は地上生活中に身体機能並びに霊的機能を存分に発揮するように意図されているのです。霊的なことにのみ拘って身体を具えた人間としての義務を怠ることは、身体上のことにばかり目を奪われて霊的存在としての責務を疎かにするのと同じく、間違っております。両者が完全なバランスが取れていなければなりません。その状態で初めて、この世にありながら俗世に染まらない生き方が出来ることになります。つまり身体は神聖を帯びた霊の〝宮〟として大事にし、管理し、手入れをする。すると成長と進化の過程にある霊が身体を通してその成長と進化の機会を与えられる、ということです」

-心霊治療を始めるには治療家自身がまず完全な健康体でなければならないのでしょうか。

 「無論誰しも完全な健康体であるのが望ましいに決まっています。但し、霊力によって病気を治す人も霊媒と同じく〝道具〟です。つまり自分が受けたものを伝達する機関です。その人を通して霊力が流れるということです。言わば〝通路〟であり、それも内部へ向けてではなくて外部へ向けて送る通路です。その人の資質、才能、能力がその人なりの形で顕現しますが、それが霊界との中継役、つまり霊媒としての資格となり、生命力と賦活力と持久力に溢れた健康エネルギーを地上へもたらす役目が果たせるのです。その際、治療家自身の健康に欠陥があるということ自体は治病能力の障害にはなりません。治病エネルギーは霊的なものであり、欠陥は身体的なものだからです」

-精神統一によって心の静寂、内的生命との調和を得ることは健康の維持に役立つでしょうか。

 「自然法則と調和した生活を送り、精神と身体との関係を乱すような(摂理に違反した)行為をしなければ、全ての病気に効果があるでしょう。或いは遺伝的疾患のない健全な身体をもって生まれておれば効果があるでしょう。内部に秘められた〝健康の泉〟の活用法を知れば、全ての病気を駆逐することが出来ることは確かです。しかし、現実には地上に病気が蔓延している以上、事は非常に厄介です。限界があるということです。例えば〝死ぬ〟ということは誰も避けられません。身体は用事が終れば捨てられるのが自然法則だからです。ところが困ったことに、あまりに多くの人間が内部の霊性が十分に準備が出来ていない内に、つまり熟し切らない内に肉体を捨てています。魂の鍛練にとって必要な体験を十分に積んでいないのです。私は法則を有りのままに述べているまでです。人間にとってそれを実践するのが容易でないことは私も承知しております。何しろ地上という所は物質が精神を支配している世界であり、精神が物質を支配していないからです。本当は精神が上であり、霊がその王様です。しかしその王国も人間の行為の上に成り立っています」

-心の静寂が得られると肉体器官にどういう影響が現れるのでしょうか。

 「それ本来の有るべき姿、つまり王たる霊の支配下に置かれます。すると全身に行き渡っている精神がその入り組んだ身体機能をコントロールします。それはその根源において生命を創造し身体を形作った霊の指令に従って行われます。霊はその時のあなたの身体の構成要素のあらゆる分子に対して優位を占めています。それが出来るようになれば完全な調和状態-あらゆる部分が他と調和し、あらゆるリズムが整い、あなたは真の自我と一体となります。不協和音もなく衝突もありません。静寂そのものです。なぜなら、霊が宇宙の大霊と一体となっているからです」

-あなたはなぜそんなに英語がお上手なのでしょう。

 「あなた方西洋人は時折妙な態度をお取りになりますね。自分達の言語が喋れることを人間的評価の一つとなさいますが、英語が上手だからといって別に霊格が高いことにはなりません。たどたどしい言葉で喋る人の方が遙かに霊格が高いことだってあります。私はあなた方の言語、あなた方の習性、あなた方の慣習を永い年月をかけて勉強しました。それは私達の世界ではごく当たり前の生活原理である〝協調〟の一環です。言わば互譲精神(ギブアンドテイク)を実践したまでです。
 つまりあなた方の世界を援助したいと望む以上はそれなりの手段を講じなくてはならない。その手段の中には人間にとって最高の努力を要求するものがある一方、私達にとって嫌悪感を禁じ得ない程の、神の子としてギリギリの最低線まで下がらなくてはならないこともあります。私はこうして英語国民を相手に喋らねばなりませんので、何年もかけて困難を克服しなければなりませんでした。あなた方から援助も頂いております。同時に、かつて地上で大人物として仰がれた人々の援助も受けております。今でも言語的表現の美しさと簡潔さで歴史にその名を残している人々が数多く援助してくれております」(平易な文章の中に高等な思想を盛り込む技術はシルバーバーチ一人の才能から出ているのではなく、英米文学史上のかつての名文家が協力していることが窺える-訳者)

-心に念じたことは全部その霊に通じるのでしょうか。

 「そんなことはありません。その霊と波長が合うか合わないかによります。合えば通じます。バイブレーションの問題です。私と皆さん方とは波長がよく合います。ですから、皆さんの要求されることが全部受け取れます。何か要求事をされると、そこにバイブレーションが生じ、その〝波〟が私に伝わります。それを受ける受信装置が私に具わっているからです。地上と霊界の間でも、魂に共感関係があれば思念や要求の全てがすぐさま伝わります」

-我々が死ぬ前と後には霊界の医師が面倒を見てくれるのでしょうか。

 「見てくれます。霊体をスムーズに肉体から引き離し、新しい生活に備える必要があるからです。臨終の床にいる人がよく肉親の霊や知らない人が側にいるのに気付くのはその為です。魂が肉体から脱け出るのを手助けしているのです」

-昨今のような酷い地上の状態では(何回も再生を繰り返した霊ではなく)全く新しい霊が誕生する方がよいのではないでしょうか。

 「私達は人間一人ひとりは果たすべき責任をもって生まれていると説きます。たとえ今は世界が混沌と心配と喧騒に満ち、敵意と反抗心と憎しみに満ちていても、そうした苦闘と悲劇を耐え忍ぶことの中から新しい世界の誕生が待ち受けております。その為にはその旗手となるべき人々がいなくてはなりません。その人達の先導によって真一文字に突き進まねばなりません。
 霊は苦闘の中で、困難の中で、刻苦の中で自らを磨かねばなりません。平坦な道でなく、困難を克服しつつ前進し、そして勝利を手にしなくてはなりません。恐怖心が一番の敵です。無知という名の暗黒から生まれるものだからです」