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カテゴリ:★『シルバーバーチの霊訓』 > シルバーバーチ まえがき

シルバーバーチ まえがき 目次

まえがき1

まえがき2

まえがき3

まえがき4

まえがき5

まえがき6

まえがき7

まえがき8

まえがき9

まえがき10

まえがき11

(シルバーバーチの霊訓1巻より)

 まえがき

 古代霊シルバーバーチと霊媒モーリス・バーバネル

 四十年余り前(1920年頃)のことである。文人による社交クラブで司会役をしていた十八歳の議論好きの青年が、思わぬ成り行きからスピリチュアリズム(注①)の研究に引きずり込まれた。そしてある心霊家の招きでロンドンの東部地区で催されていた交霊会(注②)なるものに一種の軽蔑心を抱きつつ出席した。
 これといった感動も覚えぬまま会の成り行きを見ていたその青年は、入神した人間の口をついてインディアンだのアフリカ人だの中国人だのが代わるがわる喋るのを聞いて苦笑を禁じ得なかった。そして列席者の一人から「あなたもその内同じことをするようになります」と言われた時もアホらしいといった気持で軽く聞き流した。後にこれが現実となるとは神ならぬ身には知る由なかった。
 二度目に出席した時、青年は途中でうっかり〝居眠り〟をしてしまい、目覚めてから慌てて失礼を詫びた。ところが驚いたことに他の出席者達から「居眠りをなさっている間あなたはインディアンになっておられましたよ。名前も名乗ってましたが、その方はあなたがお生まれになる前からあなたを選んで、これまでずっと指導してこられたそうです。その内スピリチュアリズムについて講演なさるようになるとも言ってました」と言われた。
 この時も青年は一笑に付した。しかしどこか心の奥にひっかかるものがあった。そしてその後出席する度に入神させられ、その度に同じインディアンが喋った。初めの内片言英語しか話せなかったのが次第に流暢になっていった。
 その青年の名はモーリス・バーバネル(注③)。そしてインディアンはシルバーバーチ(注④)と呼ばれるようになった。両者は顕と幽の相反する世界にいながら密接に結び付いた仕事で世界的に知られるようになる運命にあった。前者は練達の宣伝家、著作家、編集者として、後者はハンネン・スワッハー(注⑤)氏の言葉を借りれば〝他のいかなる説教家よりも多くの心酔者をもつ〟雄弁な説教者としてである。
 スワッハーの言葉には説得力がある。スワッハー自身がその会の司会者であり、今日までその交霊会はハンネン・スワッハー・ホームサークルの名称で知られているからである。それにスワッハーはジャーナリズム界では〝フリート街の法王〟の異名をとる反骨のジャーナリストとして長くその存在を知られている人物である。
 そのスワッハーの勧めでシルバーバーチの霊言が心霊紙上で公表されるようになってからも、霊媒がバーバネルであることは内密にされた。バーバネルにしてみれば自分を通じての霊的教訓はいくら宣伝されてもそれだけの価値はあるが、それを掲載するサイキックニューズ紙とツーワールズ紙の主筆が実はその霊媒であるというのは、受け取られようではまずい印象を与えるのではないかという用心があったのである。そういう次第でバーバネルがシルバーバーチの霊媒であるという事実は二十年余りも極秘にされていたが、一体霊媒は誰なのかという次第に高まる一般の噂を放置するわけにもいかなくなり、遂に1957年8月24日のツーワールズ紙上でバーバネル自ら公表したのであった。
 シルバーバーチについてスワッハーはこう述べている。「シルバーバーチは実はインディアンではない。一体誰なのか、本当のところは分からない。本来属する界は波長が高過ぎて地上とは直接の交信が不可能である為に低い界の霊(霊界の霊媒)の幽体を使用している。シルバーバーチと名乗るインディアンは多分その幽体の持ち主であろう。その証拠に彼はこう言っているのである。〝いずれ私の身元を明かす日も来ることでしょう。私は仰々しい名前を使うことによって敬愛を受けたくはありません。私が語る真理によって私の真価を証明する為にあえて素朴なインディアンに身をやつしております。それが自然の理というものなのです〟と」
 これらの教説が霊媒の潜在意識の仕業でないことをどうやって見分けるのかとの批評家の質問に対してスワッハーは、両者が別個の存在であることを示す決定的な事実が幾つかあると言う。例えばシルバーバーチは再生説(注⑥)を説くが、バーバネルは通常意識の時はこれを否定し、入神すると反対に再生説を主張する。
 シルバーバーチ自身も自分が心霊家がよく持ち出す〝霊媒の第二人格〟でないことを示す証拠をこれまで何度も提供している。例えば霊媒の奥さんのシルビアに対してシルバーバーチが、今度のエステル・ロバーツ女史(注⑦)の交霊会でかくかくしかじかのことを直接談話(注⑧)で言います、と約束したことがある。そしてその約束通りのことが起きた。一緒に出席していたバーバネルも初めてシルバーバーチの声を直接聞いて感動を覚えたという。
 「文は人なり」とは十八世紀のフランスの博物学者ビュフォンの名言であるが、これはシルバーバーチに関する限り人間性のみならず教説の説き方についても言える。霊媒のバーバネルもシルバーバーチの説き方の巧みさをまさに〝霊の錬金術〟であると激賞してこう述べている。
 「年がら年中ものを書く仕事をしている人間から観れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれ程叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さでもって説き続けるということ、それ自体が既に超人的であることを示している。ペンで生きている他のジャーナリスト同様、私も平易な文章程難しいものはないことを熟知している。誰しも単語を置き換えたり消したり、文体を書き改めたり、字引や同義語辞典と首っ引きでやっと満足の行く記事が出来上がる。ところがこの〝死者〟は一度も言葉に窮することなく、すらすらと完璧な文章を述べていく。その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し、精神を昂揚し、気高さを感じさせる。シルバーバーチの言葉には実にダイヤモンドの輝きにも似たものがある。ますます敬意を覚えるようになったこの名文家、文章の達人に私は最敬礼する」
 南アフリカにおけるスピリチュアリズムの中心的指導者であるエドマンド・ベントリー氏もその著書の中でシルバーバーチとバーバネルとの相違を〝一目瞭然〟であると評し、特に弁舌のさわやかさと文体の美しさにおいて際立った対照を見せていると述べてからこう続ける。
 「バーバネルも確かに優れた演説家である。公開の演壇上、宴会の席で、選挙の応援演説で、或いは何万人もの聴衆を前にした集会の演説等々での体験から氏は実に弁舌爽やかであり、ユーモアのあるエピソードを混じえるのも巧みであり、なかんずく法廷弁護士にも似た理路整然とした説明にただならぬ才能を見せる。
 しかしシルバーバーチはこうした人間的評価の域を完全に超えている。シルバーバーチには荘厳さと威厳があり、それに王者の風格とも言うべき高度な素朴さと情愛とが一体となった風合いが感じられる。あえて説明するに及ばぬことであるが、その表現力の幅広さ、用語の選択の適確さ、生気溢れる爽やかな弁舌をみれば、シルバーバーチと名乗る存在が明らかにバーバネルとは別個の霊界からの訪問者であり、それが豊富な知識と叡智と才能を携えて訪ね、地上の人間の身体を借りて語っていることは明白である」
 そのシルバーバーチがバーバネルの身体を完全に使いこなすに至る過程をバーバネル自身が次のように語っている。
 「初めの頃は身体から二、三フィート離れた所に立っていたり、或いは身体の上の方で宙ぶらりんの格好で自分の口から出る言葉を一語一語聞き取ることが出来た。シルバーバーチは英語が段々上手になり、初めの頃の太いしわがれ声も次第に綺麗な声-私より低いが気持のよい声-に変わっていった。
 他の霊媒の場合はともかくとして、私自身にとって入神はいわば〝心地よい降服〟である。まず気持を落ち着かせ、受身の心境になって気分的に身を投げ出してしまう。そして私を通じて何とぞ最高で純粋な通信が得られますようにと祈る。すると一種名状し難い温かみを覚える。普段でも時折感じることがあるが、これはシルバーバーチと接触した時の反応である。温かいといっても体温計で計る温度とは違う。恐らく計ってみても体温に変化はない筈である。やがて私の呼吸が大きくリズミカルになり、そしていびきにも似たものになる。すると意識が薄らいで行き、周りのことが分からなくなり、柔らかい毛布で包まれたみたいな感じになる。そして遂に〝私〟が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか私にも分からない。
 聞くところによると、入神はシルバーバーチのオーラと私のオーラとが融合し、シルバーバーチが私の潜在意識を支配した時の状態だとのことである。意識の回復はその逆のプロセスということになるが、目覚めた時は、部屋がどんなに温かくしてあっても下半身が妙に冷えているのが常である。時には私の感情が使用されたのが分かることもある。というのは、あたかも涙を流した後のような感じが残っていることがあるからである。
 入神状態がいくら長引いても、目覚めた時はさっぱりした気分である。入神前にくたくたに疲れていても同じである。そして一杯の水を頂いてすっかり普段の私に戻るのであるが、交霊会が始まって直ぐにも水を一杯頂く。忙しい毎日であるから、仕事が終わっていきなり交霊会の部屋に飛び込むこともしばしばであるが、どんなに疲れていても、或いはその日どんなに変わった出来事があっても、入神には何の影響も無いようである。あまりに疲労が酷く、こんな状態ではいい成果は得られないだろうと思った時でも、目覚めてみると、いつもと変わらない成果が得られているのを知って驚くことがある。
 私の経験では交霊会の前はあまり食べない方が良いようである。胸がつかえた感じがするのである。又、色々と言う人がいるが、私の場合は交霊会の出席者(招待客)について予めあまり知らない方が上手くいく。余計なことを知っているとかえって邪魔になるのである」

 私(アン・ドゥーリー)にとっては1963年秋に初めて出席した交霊会は忘れ難いものとなった。格別目を見張るような現象があったわけではない。常連のメンバー六人に私を含む招待客六人の計十二人が出席した。雰囲気は極めてリラックスして和気あいあいとしていた。部屋はロンドン近郊の樹木に囲まれたバーバネル氏の自宅の一階の居間で、書物の並ぶ壁で四方を取り囲まれた素敵な部屋であった。
 聞いた話では交霊会は〝テーブルの振動〟によって始まるとのことであった。確かにそうなのだが、その時の印象は見ると聞くとでは大違いであった。死んだカエルの足がピクピク引きつるのを科学者が目撃したのが電気時代の始まりだそうだが、私にとってそんな言い草は、他の出席者と共に両手をテーブルの上に置いた途端に消し飛んだ。テーブルに〝生命〟が吹き込まれるのをこの目で見ただけでなくこの手で感じ取ったのである。出席者が誠実な人ばかりであることは確信していたので、誰かが故意に動かしているのではないことは断言出来る。そのテーブルがこちらの挨拶に応えて筋の通った反応を見せた時に、私がこれまで抱いていた万有引力の法則の概念が崩れ去った。何の変哲もない無生物である木製のテーブルがギーギーときしむ音を出しながら人間が頷くような動作から、苛立つように激しく前後に揺れ動く動作まで、様々な動きを見せるのだった。
 そうした現象が一通り終わって全員が着席すると、霊媒のバーバネルがソファに腰掛けて入神状態に入った。その瞬間から会が目に見えぬ一団によって進められている雰囲気となった。そして私は神秘家の言う〝聖霊の降下〟を垣間見ることとなった。
 驚いたことにバーバネル氏の顔が急に変貌し始めたのである。仕事の上で慣れ親しんでいるあの皮肉屋でいつも葉巻を口にした毒舌家のジャーナリストに、一体何の変化が生じたのだろうか。フロイトに言わせると、精神病や夢の原因は悉く潜在意識の仕業だそうで、我々もそう思い込んで来た。が、それから八十分に亘って私がこの目で見この耳で聞いたものは、そんな単純な説明ではとても解釈出来るものではなかった。ジャーナリストとしてネタ集めに奔走してきた関係で、私は熟練の税関職員と同じように、話し振りや挙動でその人の本性を見抜く才能が身に付いている。今目の前で喋り始めたのが日頃親しくしているバーバネル氏とは別人であることを私は直ぐに直感した。バーバネル氏の身体が喋っているのであるが、それはバーバネル氏その人ではない。話し振りが全く違うのである。
 その日、シルバーバーチは出席者の一人一人に個別に語りかけたが、その内容は万人に共通した普遍的なものであった。ただついでに付け加えれば、その日このしたたか者の私を含む三人の女性が涙を流した。悲しみの涙ではない。感激の涙である。こう言うと又否定論者の偏見を招くことになるかもしれない。が、ギリシャのデルポイの神託でリディアの最後の王クロイソスが何の変哲もないメッセージを受けたことがもとで、王国が根底から揺れ動いた例もあることを忘れてはならない。
 さて長年の慣例に従い私もシルバーバーチに悩み事の相談を許された。私はこう質問した。「私が今尚理解出来ないのはこの世に不可抗力の苦難が絶えず、それが私を含めて多くの人間を神へ背を向けさせていることです」
シルバーバーチ「成る程。でも神はその方達に背を向けませんよ。一体どうあって欲しいと仰るのですか。苦労なしに勝利を収め、努力なしに賞を獲得したいと仰るのでしょうか」
 次に私は「当然の報いと慈悲との関係がよく分かりません」と尋ねた。
シルバーバーチ「報いは報いであり慈悲は慈悲です。地上で報われない時はこちらの世界(死後の世界)で報われます。神を誤魔化すことは出来ません。なぜなら永遠の法則が全ての出来事をチェックしているからです。その働きは完璧です。宇宙を創造したのは愛です。無限なる神の愛です。無限なる愛がある以上、そこに慈悲が無い筈はないでしょう。なぜなら慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛、こうしたものは全て神の属性だからです。
 苦難は無くてはならぬものなのです。一体霊性の向上はどうすれば得られるのでしょう。安逸をむさぼっていて得られるでしょうか。楽でないからこそ価値があるのです。もし楽に得られるのであったら価値はありません。身に付いてしまえば楽に思えるでしょう。身に付くまでは楽ではなかったのです」
 このハンネン・スワッハー・ホームサークルにおけるシルバーバーチの霊言の全てが公表されれば、今物質主義的文化の危険な曲がり角に立つ人類が抱える諸問題についての注目すべき叡智が数多く発見されることであろう。
 とりあえずその中から私なりに選んだ叡智の幾つかを紹介するに際し、読者の全てがご自分の人生において慰めとなり、或いは思考の糧となる何ものかを見出されることを希望してやまない次第である。

 1966年 アン・ドゥーリー(シルバーバーチの霊訓第一巻編者)

 注釈

①スピリチュアリズム Spiritualism
 狭義には、古来〝奇跡〟又は〝超自然現象〟と呼ばれてきたものを組織的に調査・研究した結果、その背後に〝霊魂〟つまり他界した先祖の働きがあるとする〝霊魂説〟及びそれを土台とする死後の生命観、道徳観、神に関する思想・哲学を意味するが、広義には、次の注②の交霊会を通じてその死者との交信や心霊現象一般を指すこともある。ラテン諸国ではスピリティズム Spiritism と呼んでいる。

②交霊会
 霊媒を通じて死者の霊と交信したり心霊現象を観察したりする会で、出席者が十人前後の私的な集いと科学的調査研究を目的としたものとがある。西洋では前者を家庭交霊会(ホームサークル)と呼ぶが、日本では双方とも心霊実験会と呼んでいる。

③モーリス・バーバネル(1902~1981)
 ミスター・スピリチュアリズムの異名をとった英国第一級の心霊ジャーナリストで、本文で紹介されている二つの週刊心霊紙(ツーワールズは後に月刊誌となる)の主筆を務めつつ、シルバーバーチの霊言霊媒として五十年余りに亘って毎週一回(晩年は月一回)交霊会を開き、数え切れない人々に啓発と慰安を与えた。

④シルバーバーチ Silver Birch
 バーバネルの遺稿「シルバーバーチと私」によると当初は別のニックネームで呼ばれていたが、それが公的な場で使用するには不適当ということで、本人自らこの名を選んだ。面白いことに、そう決まった翌日バーバネルの事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色の樺(シルバーバーチ)の木の絵葉書が入っていたという。常識では、距離的に考えて直ぐ翌朝に届く筈はない。

⑤ハンネン・スワッハー(1879~1962)
 〝フリート街の法王〟(フリート街は英国の新聞社が林立する通り)と呼ばれた世界的なジャーナリスト。シルバーバーチの霊言を高く評価し、当初は自宅に呼んで交霊会を開き、後にバーバネルの自宅で定期的に行なわれるようになり、その霊言を二つの心霊紙に掲載させる一方、自分の知名度を利用して各界の名士を招待して、スピリチュアリズムの普及と理解に大いに貢献した。

⑥再生説
 一旦他界した人間が再び人体に宿って地上に誕生して来るという説。スピリチュアリズムの中でも賛否両論があり、従って定説とはなっていないが、シルバーバーチはこれを五十余年に亘って首尾一貫して説き続け、その説に矛盾撞着は見られない。これを肯定する霊の間にも諸説があり、中には否定する霊さえいるが、その間の事情についてシルバーバーチはこう語っている。
 「知識と体験の多い少ないの差がそうした諸説を生むのです。再生の原理を全面的に理解するには大変な年月と体験が必要です。霊界に何百年何千年いても再生の事実を全く知らない者がいます。なぜか。それは死後の世界が地上のように平面的でなく段階的な内面の世界だからです。その段階は霊格によって決まります。その霊的段階を一段又一段と上がって行くと、再生というものが厳然と存在することを知るようになります。もっともその原理はあなた方が想像するように単純なものではありませんが・・・」

⑦エステル・ロバーツ
 英国屈指の女性霊媒で、多彩な霊能を発揮したが、中でも霊視と霊聴の適確さは完璧であった。中心的支配霊はブラック・クラウドと名乗るやはりインディアンで、直接談話(注⑧参照)でユーモア溢れる話術で列席者と親しく交わった。バーバネルは女史を英国最高の霊媒として敬意を表し、毎週開かれる交霊会に出席して細かくメモを取り、それを中心的資料として名著(「これが心霊の世界だ」潮文社刊)を著した。

⑧直接談話
 シルバーバーチは入神中のバーバネルの発生器官を使用した。これを入神談話又は霊言現象と呼ぶが、霊媒の身体を使わず直接空中からメガホンを使って話しかけるのを直接談話と呼ぶ。この際も実際にはエクトプラズムという霊質の物質でメガホンの中に人間と同じ発声器官を拵えている。

(シルバーバーチの霊訓2巻より)

 ロンドンの質素なアパートの一室でシルバーバーチと名乗る古代霊が、入神した霊媒の口を借りて現代に生きる人々の為の人生訓を説き続けている。本来の高い霊格を隠す為に無名の北米インディアンの姿に身をやつし、大切なのは自分の語る中身であって自分の身元ではないことを強調するのである。
 シルバーバーチの使命は宇宙を支配する不変の理法についての知識を広めることにある。それを流暢で美しい、しかも平易な言葉で説き明かす。
 こうして私が綴っている間も世界は又もや猜疑と不信の渦中に巻き込まれて行きつつある(第二次大戦の予兆)。不吉な流言が飛び交い、恐怖が地上に忍び寄っている。貧困と飢餓が各地に発生している。猜疑心が地球を二分している。信頼と善意の欠如の為に、差し出した友愛の手が拒絶されている。
 思うに、もしシルバーバーチの平易でしかも実用的な教訓が日常生活に応用されれば、間違いなく四海同胞の時代が到来するであろうことに同意しない人はまずいないであろう。
 所謂ハンネン・スワッハー・ホームサークルのメンバーが定期的に交霊会を開くのは、そのシルバーバーチの霊訓を広める為に他ならない。霊言は速記者によって記録され、各種の雑誌や書物を通じて世界各地に広められている。
 この愛すべきインディアンはこうして世界中に無数の同志を作って来たが、その大半は一度もその交霊会に出席したこともなれば、メンバーと直接会ったこともない人ばかりである。中には余りの苦しみにシルバーバーチの救いの言葉を求めて便りを寄せる人もいる。
 それに対してシルバーバーチはいつでも喜んで助言を与え人生哲学を説いて聞かせる。これまでも数え切れない程の人が慰めと援助の言葉を授かって来たが、その一つとして無名の南アフリカ人のネーピア氏の場合を紹介しよう。
 まずネーピア氏が交霊会の司会者であるスワッハー氏に宛てて「見知らぬ者が突然手紙で助言を求める失礼をお許し下さい」との書き出しで自己紹介し悩みを披瀝した後、シルバーバーチの霊言との出会いの感激をこう綴った。
 「・・・・それを読んで私は、これでやっと真理探究の目的地に辿り着いたと確信しました。失うものが多かっただけに、それだけ補うものを用意してくれたのだと思いました。一読して、これだ!と思ったのです。あまりの感動に私はまるでシルバーバーチが私の直ぐ側にいて語りかけ、助言し、理解と忍耐と慈悲の心で接してくれているように感じた程です。私は本当にそんなことがあるのだろうかと思ったりしました。私の魂はすっかりシルバーバーチに奪われてしまったからであり、それ程の緊密な接触を求めるまでに至っていたからです。
 私がこうしてお便りしたのは果してそんなことが実際にあるのかどうかをお聞きする為です。この遠きアフリカにいる私如き者にお教え頂けますでしょうか。私に代わってシルバーバーチにお聞きくださいますでしょうか。そして、あなたを通じてシルバーバーチのご返事をお聞きしたいのです。見知らぬ者からのお願いとしては虫が良過ぎるでしょうか。(攻略)」
 この手紙はやむを得ない事情で到着が遅れはしたが、私達の催す交霊会でシルバーバーチのもとに届けられた。朗読されるのを聞き終わったシルバーバーチはこう語った。
 「この方にこうお伝え下さい。大いなる勇気をもつこと、大自然の中に生きその変転極まりない現象に接して来た人間ならその背後に法則が存在することに気付いておられる筈だということです。その法則は寸分の狂いもなく機能しております。神は大自然の隅々まで配慮し無限の変化を律している如くに、人間の一人一人にもそれなりの備えを用意して下さっております。
 過ぎ去ったことに未練を抱いても何にもなりません。人生は過去ではなく現在に生きなければなりません。目を魂の内奥に向け、神の授け給うた泉から潜在力を引き出し、信念から生まれる冷静さをもって人生に対処出来るよう、力と安らぎを求めて祈ることです。
 又こうお伝え下さい。この方には奥さんという実物教訓とすべき信仰をもつ人の愛に浴していることを喜ぶべきです。自分の心の中の嵐を鎮めることです。そして真の自我に目覚めることによって神を悟った人から平穏なる安らぎを求めることです。静かに己を見つめ、その静寂の中にそれまで知らずにいた真の自我を見出した時、心の葛藤も終わりを告げることでしょう。どうかその方によろしくお伝え下さい。そしてこう言い添えて下さい-挫けてはいけない。怯んではいけない。神は決してお見捨てにならない、と」

 このシルバーバーチの言葉をスワッハーからの手紙で読んだネーピア氏はその喜びをこう語っている。
 「この美しいシルバーバーチの言葉から受けた大いなる慰めと喜びを私はどう言い表したらよいか、言葉もありません。心の奥深く染みる思いが致します。きっと喜んで頂けることと思いますが、スワッハー氏に初めてお手紙を差し上げて以来私も随分進歩し、実は当地に新たに設立されたスピリチュアリスト教会の会長のご指名を受けたばかりなのです。願わくば私に代わってシルバーバーチに私の感謝の言葉をお伝え頂き、同時に、授かったご忠言を実行に移すことによって心の柵を乗り越え、荒れた道を無事通過し、今ではご指摘頂いた道にしっかりと足を踏まえていることをお伝え頂ければ幸いです」
 そしてシルバーバーチを〝素晴らしき霊〟と呼んで、こう結んでいる。
 「私が怏々(おうおう)として長年求めて尚得られなかった真の信仰と幸せを見出し闇から光明へと導いてくれたのは、実にこのシルバーバーチの霊訓でした。全てシルバーバーチのお蔭です。その霊訓が、同じくシルバーバーチから慰めを得ていた妻を通じてもたらされたのです。この事実をありのまま申し上げ感謝の意を表すのも礼儀であるという私の考えにきっとご賛同頂けるものと確信致します。そのようにお伝え頂けますでしょうか」

 この言葉をスワッハーが読むのを聞いたシルバーバーチはこう語った。
 「魂が目を覚ました人間からこうしたメッセージを受けて私こそ感謝の念を禁じ得ません。私も彼と共に神に感謝の祈りを捧げましょう。しかし彼にこう伝えて下さい。彼が暗闇の中から這い出て光明を見出したように、つまり己の誤りから長い間苦悩の道を歩んだ後に真理を見出したように、今度は他人にそうしてあげなければならない。即ち人生の不安を和らげいまだ味わえずにいる心の安らぎを見出すことが出来るよう、手助けをしてあげなければいけないということです。その人の体験を単なる結果として終わらせずに誘発剤としなければならない-つまりその真理を他人に授けなければならないということです。そこでその方にこうお伝え頂きたい。今献身的に働いておられる新しい真理普及のセンター(スピリチュアリスト教会)を、奥さん共々、叡智の光の流れ出る泉となし、今尚暗闇にいる多くの人々にその光に気付かせて頂きたい。そうすることが二人してその灯台を築かれた努力が報われる所以となることでしょう」

 シルバーバーチは筆者にとっても長い間の人生のカウンセラーであり、同時によき友でもある。畏れ多い程高い霊格の持ち主でありながら常に庶民的な人間味を漂わせる。慈悲心と情愛の固まりのような方である。それというのもシルバーバーチの使命が私達地上の人間の弱点と欠点とに深く関わり合う性質のものだからであろう。しかしかつて一度たりともシルバーバーチが人を咎めるのを聞いたことがないのである。
 シルバーバーチの実在性に関してはどこにも曖昧さや取り留めのなさはない。肉眼にこそ見えないが、その存在には現実味があり実体性がある。一個の生きた知的存在であり、その口を借りている霊媒(実は筆者の主人)とは全く異質の存在であることが私にはよく判る。
 シルバーバーチは可能な限りいつでもどこでも援助の手を差し伸べてくれる。私もかつて困難の渦中にあった時にシルバーバーチの助言を求めたことがあるが、その助言はその時は本当だろうかと疑いたくなるようなものが時としてあった。ところが結局は必ずシルバーバーチの言った通りになって、成る程と得心がいくのである。
 心温まる親しみを込めた勇気付けをしてくれる時のシルバーバーチは、普段の指導者的で哲人的な雰囲気が消えて、心優しい霊となる。例えば愛する者が他界した時などは、その人の死後の様子を告げて地上に残された身内の人々を慰めてくれる。私の父が他界した時も霊界での父の目覚めの様子を語ってくれて感動させられた。
 晩年の父は熱心なスピリチュアリストであった。死後存続の知識がそれまでの人生観と生き方をすっかり変えていた。そしてシルバーバーチに深い愛着を抱いていた。死後私がシルバーバーチに父が新しい世界に目覚めた時の様子を聞いたところ、
 「あなたのお父さんにとって死後の存続はごく当たり前のことでしたが、今まさにその世界を目の前にして、その素晴らしさに圧倒されておられます」という返事であった。
 「父が自然さを愛する人間だったからでしょう」と私が言うと
 「それもそうですが、不思議なご縁で私に対して非常に愛着をもっておられました。お父さんが目覚められると直ぐ私は弟さんが立って見ている側でお父さんの手を握り締めて〝ようこそ〟と語り掛けました。(弟は第一次世界大戦で戦死)お父さんは私達二人を見てはた目も構わずほろほろと感激の涙を流され、その身体-晩年より大きくなっておられます-を震わせておられました」そう述べてから更にこう言葉を継いだ。
 「あなた方地上の人間には霊の世界の真実の相(すがた)は想像出来ません。私がどう伝えても、それより遙かに実在性の感じられる世界なのです。今ではご尊父もすっかり意識を取り戻されております。あれこれと為すべきことがあり、いずれその成果が現れるでしょう。それより、お母さんもそう長くあなたと一緒に暮らせることを期待してはいけませんよ。こちらへ来られた方が遙かにお幸せです。これ以上地上にいると大きな苦痛となります」(母はこのメッセージの後二、三ヶ月して他界した)

 このようにシルバーバーチは全ての人間の悩みに同情して親身になってくれるが、その悩みを肩代わりしてくれることは絶対にない。考えてみると、もしも私達の悩みをシルバーバーチが全部取り除いてくれたら、私達は性格も個性もないロボットになってしまうであろう。私達はあくまでも自分の理性的判断力と自由意志を行使しなくてはならないのである。
 そうは言うものの、私達はどっちの道を選ぶべきかでよく迷うものである。そんな時シルバーバーチはこう私達に尋ね返してその処置へのヒントを与えてくれる。
 「そうなさろうとするあなたの動機は何でしょうか。大切なのはその動機です」
 そのシルバーバーチがこうして地上に戻って来た動機は一体何であろうか。それは極めて明白である。受け入れる用意のある人に援助の手を差し伸べること-これに尽きる。

 1949年 シルビア・バーバネル(シルバーバーチの霊訓第二巻編者)

 (シルバーバーチの霊訓3巻より)

 ハンネン・スワッハー・ホームサークルの支配霊シルバーバーチの霊言集は既に何冊か出ているが、本書はその好評に応えて新たに編纂したものである。
 シルバーバーチは今や世界で最も有名な〝死者〟の一人となっている。その霊言の価値は平凡な日常生活に応用出来るという点にある。それがまず第一のメリットであるが、もう一つ、シルバーバーチが一貫して説き続けているのは絶対的な道徳的摂理の存在-全大宇宙の隅々まで支配し、いかなる嘆願、後悔、懺悔、その他自分の所業がもたらす結果から逃れんとするいかなる方便によっても影響されない法則が存在することを指摘している点である。その法則そのものが自動的にそれに相応しい結果をもたらすと説くのである。
 本書の編纂に当たって苦心したのは、膨大な資料の中からどれを削るかということであった。その取捨選択に当たって私が心がけたことは、シルバーバーチという古代霊を人類の指導者の名に相応しい存在として浮き彫りにすること-人間の進むべき方向を示し、その道中に生ずる困難を避けるのではなく、それと取り組み、それを自らの手で克服していく為の心構えを教えてくれる、真の指導者であることを明らかにすることである。
 今は私もレギュラーメンバーの一人であるが、本書に収められた霊言は私がまだメンバーでなかった頃のものである。が、私もその後十分に霊言に親しみ、その真髄が、様々な進化の階梯にある全ての人間が理解し応用することの出来る単純素朴な訓えを通して最大限の貢献をすることにある、ということを十分に得心している。古代の哲学者と近代の哲学者との差は大して大きくはない。古代の哲学者の方が単純素朴であり、インスピレーションの源を意識していた者が多かったということくらいなものである。が、これから紹介する人物は心理の不滅性と不変性、そしてそれが誰にでも理解出来る形で表現出来るものであること、そして又その表現法の違いを除いては決して改める必要がないという事実の生き証人である。つまりシルバーバーチはその訓えを通じて死後の意識的生活の存続を証明し、霊的教訓は決して失われることはないこと、この世とあの世の区別なく人間的体験のエッセンスであること、そして人間の霊性に秘められた可能性が無限であることを教え示すのである。
 良き時代を体験し〝悪しき〟時代にはこの古代霊の叡智の導きを受けた人間の一人として、私はその叡智の抜粋を紹介出来ることを心から嬉しく思う。私は大抵の思想に親しみ、新旧の宗教の殆ど全てに通暁しているつもりであるが、素朴さと真実味と実用性の点においてこの霊訓に匹敵するものに出くわしたことがない。又説得力の素晴らしさは他の追随を許さないものをもっている。それはインスピレーションの源に少なくとも一段階、他よりも近いからに他ならない。
 本書の目的は地上の暗闇に光をもたらし、人間に背負わされた重荷を軽減し、生命の大機構を解き明かし、魂の死後存続を証明し、地上世界を美しく且つ祝福された生活の場として再構築することである。それは今まさに読まれんとするこの霊的知識を応用することによってのみ実現されることであろう。

 1944年 編者

 訳者注-全十一冊の中で本書だけが〝編者〟The Editor としてあって氏名が記されていない。表紙をH・S (ハンネン・スワッハー)ホームサークル編としたのは、それが版権の所有者だからである。このシリーズに関する限り誰が編纂したかはどうでもよい問題であろう。要はシルバーバーチの霊言そのものである。私もその点に鑑みて一つの章を内容上から二つに分けたり、前巻でカットしたものを加えたりして日本人向けに理解の便を図ってある。表題も内容に相応しいものに改めてある。老若男女がいつどこで読んでもすっと理解出来るように、というのが私の本シリーズの翻訳に当たっての基本方針であり、それがシルバーバーチ霊団の基本的態度でもあるからである。

 (シルバーバーチの霊訓4巻より)

 霊的交信という不安定な関係を永年に亘って維持し続けている数多くの優れた支配霊の中でも、ハンネン・スワッハー・ホームサークルの霊言霊媒モーリス・バーバネルの支配霊シルバーバーチ程広く愛され、しかるべき敬意を受けている霊はまずいない。
 本書の目的はそのシルバーバーチの膨大な霊言の記録の中から、今尚霊的実在の理解へ向けて刻苦している人類にとって不滅の意義をもつシルバーバーチならではの叡智の幾つかを選んでお届けすることである。
 私は当初、既に出版されている霊言集の中から幾つかの主題に分けて抜粋しようと思った。つまり〝枕辺のシルバーバーチ〟とでも呼ぶべきものが最初の構想だったのである。
 ところが、いざ手がけてみると、シルバーバーチの霊言はそう簡単に扱えるものでないことが分かった。大画家、大劇作家、大作曲家と同じく、シルバーバーチというのは常に人間的体験の重大なテーマを扱うか、永遠の普遍的真理を説き明かそうとしているかの、いずれかであることが分かった。一見些細に思える問題について質問すると、シルバーバーチは直ぐにそれを宇宙の大哲理の本流に繋がった支流として扱うのである。
 そこで私は、いっそのことその本流に足を踏み入れて、真理、死、恐怖心、愛、不滅性、人生の摂理、大霊すなわち神、その他幾つかの関連した問題についてのシルバーバーチの言葉を集めることにした。
 さてシルバーバーチの霊言の流暢さについては今更申し上げるまでもない。経験豊かなさるジャーナリスト(モーリス・バーバネル)の言葉を借りれば-
 「シルバーバーチの教えは言わば霊の錬金術、つまりアルファベットの26文字を操って輝かんばかりの美しい言葉を生み出す能力の典型である。年がら年中物を書く仕事をしている人間から見れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれ程叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さでもって説き続けることそれ自体が既に超人的であることを示している。
 ペンに生きる他のジャーナリストと同様、私も平易な文章程難しいものはないことを熟知している。誰しも単語を置き換えたり削ったり、文体を書き改めたり、字引や同義語辞典と首っ引きでやっと満足のいく記事が出来上がる。ところがこの〝死者〟は一度も言葉に窮することなく、スラスラと完璧な文章を述べていく。その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し精神を昂揚し、気高さを感じさせる。
 シルバーバーチは宗教とは互いに扶助し合うことに尽きると言う。神とは自然法則であり、腹を立てたり復讐心を剥き出しにする人間的な神ではないと説く。その言葉一つひとつにダイヤモンドの輝きに似たものがある。その人物像はまさしく〝進化せる存在〟であり、全人類への愛に満ち、世故に長けた人間の目には見えなくても、童子の如き心の持ち主には得心のいく真理を説き明かそうとする。迷える人類の為に携えて来たメッセージは〝人の為に自分を役立てなさい〟ということしかないと言いつつも、そのたった一つの福音の表現法はキリがないかに思える程多彩である。
 永年に亘ってその霊言に親しんできた者として、ますます敬意を覚えるようになったこの名文家、文章の達人に私は最敬礼する」
 第一集の Teachings of Silver Birch (後注①)を読んだ英国新聞界の大物の一人で政治家でもあるビーバーブルック卿 W.M.A.Beaverbrook は当時の交霊会の司会者であるハンネン・スワッハー(第一巻21頁参照)へ宛てた手紙の中で〝文章が実に美しい。そして私はその内容の純真・素朴さに心を打たれました〟と激賞している。
 第二集の More Teachings of Silver Birch (後注②)について Natal Daily News 紙は〝イギリスの言語をこれ程優しく、これ程簡潔に、これ程美しく操った書は滅多にない〟と論評し、〝英語による表現の最高傑作の一つ〟として The Book of the Week (その週の推薦図書)に推している。又、その中の一節が〝これだけのものはチャーチル程の名文家にも書けない〟と激賞されている。
 そしてこの度は Wisdom of Silver Birch (邦訳シリーズ第三巻)が Aberdeen Press and Journal 紙によって激賞され、同じくその文章表現の自在な躍動ぶりがチャーチルの名文にも匹敵すると述べられている。
 確かにシルバーバーチの訓え程高尚にしてしかも難解さを感じさせない思想は、世界の大宗教家の訓えは別として、他に類を見ない。しかし同時にその大宗教家達の思想も比肩しえないものも兼ね備えている。それはシルバーバーチが我々の地上とは異なる次元の世界から語りかけていることにある。
 愛他精神と素朴さと叡智に満ち、汎神論に裏打ちされたその明晰な教訓は、常に人生における霊的要素と同胞との関係における慈悲心の大切さを強調する。そして〝無色の大霊〟と呼んでいる神に対する絶対的な奉仕の生活を唱道する。
 シルバーバーチには現代の聖人と呼ばれるアルバート・シュバイツァーに見られるのと同じ、苦しむ人類への献身的精神と全生命に対する畏敬が見られる。同時に(英国の詩人)シェリーの詩を一貫している洞察力の純粋さと、万物に同じ霊の存在を認める思想を見ることも出来る。しかしその二人の稀代の天才とも異なるものがある。二人は、作品と業績はさておくとして、その哲理に普通一般の人間の理解の及ばないものが時として見られるが、シルバーバーチは〝知〟に偏ることがない。繰り返し一貫して説くテーマは〝摂理への従順〟である。
 ではその摂理とは何か。それをシルバーバーチ自身に語って頂くことにしよう。

 ウィリアム・ネイラー(シルバーバーチの霊訓第四巻編者)

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