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カテゴリ:★『コナン・ドイルの心霊学』 > ドイル 霊魂説の弁護

ドイル 霊魂説の弁護 目次

懐疑の暗雲を吹き払う科学的研究

宗教の基本原理としてのスピリチュアリズム

ハイズビル現象の意義

心霊現象のメカニズム

否定派に欠落している学問的論拠

人格と才能を兼ね備えた霊媒、ホーム

弁証法学会の〝調査委員会報告書〟

物理的なものから精神的なものへ

心霊写真の始まり

霊魂説が最も妥当

善霊もいれば悪霊もいる

未知の大海を前にして

科学と宗教が握手をする時

 ハイズビル事件を契機として新しい啓示が次々と入手され始めた頃、ブルーム卿(注)が奇妙な比喩を用いてこう述べた-〝一点曇りなき無神論の青空に、たった一つ小さな雲が漂い始めた。それが近代スピリチュアリズムである〟と。
 普通なら〝無神論の暗雲の切れ間にチラリと青空が見え始めた〟とでも表現すべきところであろう。しかし、これを裏返せば、卿のキリスト教への懐疑がいかに徹底したものであったが、そして又、スピリチュアリズムのもつ重大性をいかに強く意識していたかを物語っていると言えよう。
 ジョン・ラスキンも、死後の生命に確信を得ることが出来たのはスピリチュアリズムの科学的研究のお陰であると述べている。同様の趣旨のことを何十人、いや何百人もの著名な人が認めている。どれ一つ取り上げても、真実を証言するに十分な重みをもった名前である。彼等は、言うなれば、その曙光を最初にとらえた〝高き峰〟だったのかも知れないが、その光は、これが更に広がれば、いずこの低地にいる者にも拝めるようになることであろう。
 そこで、この二千年の間に他の何ものにも為し得なかった、人類の思想と行為の改革を必ずや為し遂げるであろうスピリチュアリズムを、これから一緒に検証してみたいと思う。私は、その良い面だけを紹介するようなことはしない。まだまだ残されている問題もあるので、それも紹介したい。核心的な面において絶対的な自信をもって扱うことが出来れば、他の全ての面における真実性を臆することなく主張することが出来ると信じるからである。
 生命を失って血の通わなくなった既成宗教に活力をもたらすことは確実と信じられるこの新しい潮流は、〝近代スピリチュアリズム〟と呼ばれることがある。これは意味のあることである。というのは、その底流にある霊性は、表現形態こそ異なっても、人類の歴史と共に存在してきたのであり、特に地球上に生じた全宗教の理念の根幹において赤々と燃え盛って来たのである。バイブルにもそれが一貫して流れている。

 (注)-Lord Brougham (1778~1868)
 ブルーム型馬車を最初に用いたスコットランドの政治家・法律家で、スピリチュアリズムにも理解を示した。

 スピリチュアリズムは、その霊的神髄を、かつては〝しるしと不思議〟としてイエスが顕現して見せたのを、実験室内での霊媒現象という形で見せようとしたものである。ところが、残念ながら偽物を演出して金儲けを企むペテン師によってスピリチュアリズムの名が汚され、不幸な出来事(注)によって陰湿な印象を与える結果となってしまった。苦慮した関係者の中には、丁度〝mesmerism メスメリズム〟(催眠術)が〝hypnotism ヒプノティズム〟(催眠学研究)と言い換えることによって長年の中傷から逃れることが出来たように、〝心霊的宗教〟とでも言い換えてはどうだろうと考えた程だった。
 その一方には、そんな非難中傷をものともしなかった先駆者の一群がいたことを忘れてはならない。輝かしい経歴と世界的名声に傷がつくことを恐れず、〝正気〟を疑われることさえ顧みずに、スピリチュアリズムの旗印の下に、真実は真実として堂々と公表したのだった。これを〝近代スピリチュアリズム〟と呼ぶのである。
 新しい宗教ではない。そんな単純なものではない。全人類が等しく共有出来る霊的遺産なのだ。もっとも、遺産の全部ではない。まだまだ一部に過ぎない。が、その一部が、かつて蒸気が小さなヤカンの蓋を踊らせる現象が蒸気機関の発明へと繋がったように、いずれは普遍的な人類の指導原理となっていくことであろう。つまり、最終的には一つの宗教としてではなく全宗教の基本的原理となっていくことであろう。つまり、最終的には一つの宗教としてではなく全宗教の基本的原理としての存在意義をもつに至るであろう。
 宗教ならば、もう地球上に多過ぎる程存在する。不足しているのはその普遍的原理・原則なのだ。

 (注)-〝不幸〟の意味を取りようによって、ドイルが何を念頭においていたかの推測が変わって来るが、不慮の事故としては、実験の最中には心無い出席者が勝手な手出しをして、それが霊媒への危害を及ぼすことになった事件は幾つかある。が、この後ドイルが〝陰湿な印象〟を与えたといっているところをみると、クローフォード博士の自殺を念頭に置いていたのかも知れない。
 その自殺の四日前に友人に宛てた手紙には次のように書いている。
 「このところ精神的にすっかり参っております。二、三週間前までは至って元気だったのですが・・・・心霊研究のせいではありません。これはとても楽しく続けてまいりました。いかなる批判にも耐えられる成果を得たと断言出来ることに感謝しております。ケチをつけられるところは一点もないまでに完全に実験し尽しました・・・」
 これで発作的なものだったことが推察される。

 スピリチュアリズム勃興のきっかけとなったハイズビル現象は、それ以前にもしばしば見られていた怪奇現象と少しも変わったところはない。が、大きく違っている点が一つだけある。その当事者であるフォックス家の家族が怪奇現象にただ驚き、かつ怖がるだけで終わらずに、それを引き起こしていると思われる〝何ものか〟に向かって語りかけ、そこに見事に交信が成立したという点である。
 1726年のエプワースで起きた現象も、現象自体を見る限りハイズビルのものとよく似ていた。メソジスト派の創立者であるジョン・ウェスレーの父親サミュエル・ウェスレーの牧師館で起きたものであるが、こちらから語りかけても、ネズミの鳴くような声しか返って来なかったという。もしもフォックス家のように上手く行っておれば、それがスピリチュアリズムの発端となっていた可能性もあるわけである。
 フォックス家の場合は、二人の幼い姉妹の一人が奇妙な叩音(ラップ)のする方向へ向かって「あたしがする通りにしてごらん」と言って手を叩いたら、それと同じ数だけ叩音が返って来た。「じゃ、あたしの年齢は?」と聞くと、丁度その子の年齢の数だけ叩音が返って来た。こうして、その目に見えない原因の主と人間との間で〝知的な〟通信が交わされたのだった。
 知的といってもあまりに素朴であり、これ程垢抜けのしない話もないが、この現象に当代の第一級の学者達が関心を向けたことによって、人類史の大転換期の一つ-王朝の没落や大軍の壊滅的敗走よりも重大な意義をもつ事件-であることが明らかとなっていったのである。今後ともますますその意義の重要性が明らかにされていくことであろう。
 仮に将来、ハイズビル事件をどこかの画家に一枚の絵画に描いてもらったら、どんなものになるであろうか。多分、掘っ立て小屋のような木造の平屋の居間で、その娘が笑顔で天井を向いて手を叩いている様子-回りでは半ば畏れ、半ば懐疑の念を露にした近所の人々が大勢集まって見守っている風景を描くことであろう。その家屋の暗い片隅では、得体の知れない新しいエネルギーがうごめいていた。同じエネルギーが、かつても何度か活動していたのだが、それがついに地上に根付いて、人間の思想を根本から変革するまでに影響を及ぼすことになったのである。
 それにしても、なぜそれ程まで重大な結果が、そんなチャチな原因を通してもたらされたのであろうか、と誰しも疑問に思うであろう。が、ギリシャ・ローマの大思想家達も、パウロや漁師のペテロをはじめとする無教養な弟子達が、女性や奴隷やユダヤ教の異端者達と共に、自分達の博学な理論を超えたものを説き、太古からの哲学を打破してしまったことに、やはり〝なぜ!?〟という驚きをもったのである。
 目的を成就する為の手段として何が最も適切であるかは、神のみぞ知る問題であり、それは我々人間が勝手に想像するものとは滅多に一致しないものである。

 無論今では、その後のスピリチュアリズムの飛躍的発展によって、1848年のハイズヒル村で起きた現象の詳しいメカニズムが明らかとなっている。当時は極めて特殊な異常現象のように思われていたが、よく分かってみると、宇宙の全ての現象と同じく、きちんとした法則と条件の重なり合いによって生じていたのである。
 簡単に言えば、霊界側に地上的波動をもつスピリットがいて、彼等は地上の霊媒的素質をもつ人間から発散される特殊なエネルギーを活用する方法ないし技術を心得ている。一方、地上にそうした霊媒的素質をもった人間がいて、その両者が現象の起き易い条件下で揃うということである。譬えてみればカメラのシャッターを押すタイミングが、被写体とそれを撮る側との間でピタリ一致したようなものである。
 それと同じ効果を実験室で求めて見事に成功した最初の科学者が第一部で紹介したクローフォード博士で、『心霊現象の実在』『心霊科学の実験』の二冊に纏めている。その中で博士は、発生した物理現象の重量と同じ重量だけ霊媒の体重が減ることを確認している。結局、霊媒現象の秘密は、スピリットが霊媒のもつ特殊エネルギーを利用している点にある、ということになる。
 では、一体なぜ同じ人間でありながら、そうした体質の人間とそうでない人間とがいるのであろうか。これは、音楽的天才と音痴とがいるのはなぜかという疑問と同じで、その理由は分からない。当初は心霊現象といえば物理的なものと思われていて、テーブル現象(人間が手を触れなくても宙に浮く)や楽器演奏(人間が手を触れなくても演奏される)といった他愛ないものでありながらも、目に見え耳に聞こえるものばかりに注意が向けられた。
 その単純さが詐術(トリック)行為を生む原因ともなったのであるが、その後、それとは別に、知的ないし精神的要素の強い心霊現象もあることが分かって来た。自動書記・霊視・霊聴・直接談話・入神談話等々、キリストやその弟子達が見せたのと同じものであり、それも全て、たった一つの霊的エネルギーの顕現であることが明らかになってくる。
 詐術行為を助長した原因の一つとして、実験室を暗くする必要があったことが挙げられるが、それは必ずしも絶対的条件ではなく、この後詳しく紹介するD・D・ホームなどは、いつでもどこでもやってみせた。それはホームの能力の偉大さを物語るものではあるが、同時に、明るい部屋より暗い部屋の方が、又、じめじめした天候よりもカラッとした天候の方が、良い現象が見られるというのも事実である。
 そこに、心霊現象もかなり物質的要素が関与していることの証拠があると言えるであろう。無線電信も昼間より夜間の方が鮮明であり、雨の日は聞こえにくいという事実は右の事実を裏付けているし、心霊実験では赤色光を使うのが一番害が少ないとされている事実は、写真家の体験と共通している。

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