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カテゴリ:★『コナン・ドイルの心霊学』 > ドイル 向上進化を基調としたスピリットの世界

ドイル 向上進化を基調としたスピリットの世界 目次

啓示の信憑性を決める三つの条件

明るく、活動に満ちた世界

目的は霊性の開発と進化

肉体の障害は死後に持ち越さない

心の通い合う者が集まる

娯楽もスポーツもある

子供騙しの地獄や極楽はない

迷えるスピリットの存在

罪の概念の多様性

魂を蝕む罪悪

罰の原理

外なる暗黒は中間地帯

自然と進化は断絶を嫌う

科学者も囚われる信仰上の偏見

 死後の世界に関する情報を伝えてくれるものとしてまず第一に挙げたいのは、現実に今その世界で生活しているスピリットから送られて来たメッセージである。既に述べたことだが、この新しい啓示は次の三つの点においてその信憑性が十分に裏付けられていると考えてよい。
 一つは、バイブルにいう〝しるし〟が実験会における心霊現象という形で伴っていること。もう一つは、多くの場合、スピリットが指摘する地上時代の事実が正確であり、霊媒がテレパシーや無意識の記憶によって知っていたという説明では、到底片付けられないものであること。そして三つ目が、複数の霊媒から色々な手段で個別に入手されたものであるにもかかわらず、その内容は、完全にとは言わないまでも、極めて類似しているという事実である。
 特に注目すべきことは、死後のある一定段階から先のことになると、意見がまちまちになってくることで、やはり、スピリットになったからといって直ぐに全知全能になるわけではなく、我々と同じく、高等な次元のことに関して深く瞑想する必要があるということである。従って、例えば生まれ変わり(再生・輪廻転生)の問題になると、見解に大きな食い違いが見られる。
 ただ、私見によれば、総体的に言えば再生を否定する見解の方が多いようである。しかし、数こそ少ないが、これを肯定する見解を述べるスピリットは、他の問題に関して極めて信頼性に富むことを述べている。その史実に鑑みて、この問題に関しては柔軟な態度を持つべきであると考える。
 さて、本論に入る前に、二番目に挙げた事実を裏付ける良い例を紹介しておきたい。これは、スコットランドの港町グラスゴーに住むフェニックス氏を霊媒とする直接談話の交霊会の記録で、司会者(さにわ)はスピリチュアリズムの世界では知らぬ者のないアーネスト・オーテン氏である。スピリットの声はメガホンの中から出ていた・・・

声「今晩は、オーテンさん」
オーテン「今晩は。どなたでしょうか」
声「ミルと申します。あなたは私の父をご存知です」
オーテン「いいえ、私はそういうお名前の方は存じませんが・・・」
声「いえ、ご存知です。先日、父と話をなさったばかりです」
オーテン「そうでした。今思い出しました。ほんの行きずりのご縁でお会いしました」
声「父に私からのメッセージを届けて頂きたいのですが・・・」
オーテン「どんなことでしょう?」
声「先週の火曜日の真夜中の出来事を父は〝気のせい〟にしていますが、そうではないと、ただそれだけお伝えください」
オーテン「分かりました。そう伝えましょう。あなたは他界なさってもう長いのですか」
声「かなりになりますが、こちらの時間はそちらの時間とは違いますので・・・」
オーテン「地上では何をしておられましたか」
声「軍医です」
オーテン「死亡の原因は?」
声「軍艦に乗っていて被弾しました」
オーテン「他に何かご用は?」
 この質問に対する返答は、ベルディの歌劇〝トロバトーレ〟の中のジプシーの歌を口笛で吹いた。音程は正確で、その後ダンスのクイックステップの曲が聞こえ、
「これは父へのテストケースです」
と述べた。
 オーテン氏は実験の後すぐさまミル氏を訪ねて事の次第を述べた。ミル氏はスピリチュアリズムには関心のない方であるが、オーテン氏が述べたことは全て正確であることを認めた。息子さんの死亡原因も本人の言った通りだった。火曜日の出来事というのは、ミル氏が書斎で仕事をしていると、息子が大好きだった〝トロバトーレ〟の中のジプシーの歌が聞こえた。部屋中を調べてみたが、そんな歌声のする原因が突き止められないので、〝気のせい〟だと思った。クィックステップの曲は息子さんがよくピッコロで演奏していたもので、ミル氏はそのテンポのステップが出来なくて、いつも家族のお笑い草にされたという。
 この例を挙げたのは、このようにスピリットの述べた地上時代のことが正確であれば、そのスピリットが今生活している世界についての叙述も真剣に受け止めてしかるべきだということを申し上げる為である。もっとも、何しろ我々には直接の確認のしようがないわけであるから、最終的には、多くの霊媒を通して入手したものを比較検討するしかないことは言うまでもない。

 そこで、そうした比較検討の末に得られた死後の世界に関する情報を纏めてみると、大体次のようなことになる。
 まず完全に一致しているのは、死後の世界は幸せに満ちているということである。二度と地上へ戻りたいとは思わない、というのが一般的である。先に死んで行った肉親や知人が出迎えてくれて、以後ずっと生活を共にしていることが多い。といって遊び暮らしているわけではなく、性格と能力に合った仕事に従事している。
 生活環境は地上とよく似ているが、全てが一定の高い波動(オクターブ)に統一されており、リズムが同じなので、違和感というものを感じないが、全体として地上環境とはまるで違っている。地上に存在するものは何でも存在する。アルコールやタバコまであるというと嘲笑する人がいるが、何でも複製出来ると言っておきながら、アルコールやタバコは作れないというのは不自然であろう。
 もっとも、地上でもそうであるように、たしなむといっても程度の問題である。『レーモンド』の中にその話が出ていて、それが物議を醸したことがあるが、お読みになれば分かるように、レーモンドはそれを極めて特殊なこととしてユーモアを交えて語っている。
 キリスト教の牧師の中には、そのことを笑止千万の話として、その一事をもって他の全ての通信もみな戯言と決め付けている人が多いが、私からその人達に指摘したいのは、私の知る限り、死後の世界でアルコールをたしなむ話を述べている人がこのレーモンド以外にもう一人いる-他ならぬイエス・キリストであるという事実である。マタイ伝26章29節でイエスはこう述べている-〝私の父の国であなた方と共に新たに飲むその日まで、私は今後けっしてぶどうの実からこしらえたものを飲むことはしない〟と。
 もっとも、この話は些細なことの内に入る。そして、こうした途方もなく大きな問題、それも全体として曖昧さを拭い切れない問題を扱う中で、些細なことに拘るのは危険である。私の知っているある女性がこんなことを言ったことがある-〝来世のことが不思議に思えるのは当たり前ですよ。私達だって、もしも生まれる前にこの世の事情を語って聞かされていたら、さぞかし不思議に思えて、信じられなかったでしょうよ〟と。中々うがった見方である。

 (訳者解説)
 レーモンドの通信の話の箇所は、多分、次の箇所のことであろう。
 「ボク(レーモンド)はもう食べたいとは思いませんよ。でも、食べている人を見かけることはあります。地上の食べ物に似たものを食べてないと気が済まないみたいです。
 こちらでは欲しいものは何でも手に入ります。先日地上からやってきたばかりの人はタバコを欲しがってました。こちらには何でもこしらえる製造工場のような所があって、何でも好きなものがこしらえられるんです。もっとも、地上の物質のようなものでこしらえられるのではありません。エッセンスというかエーテルというか気体というか、とにかく同じものではないけど、タバコに似たようなものがあります。ボクは吸いたいとは思わないので吸わなかったけど、そいつはそれに飛びついて、四本ばかり吸ってました。今はもう見るのもイヤだと言っています。地上とは全く味が違うらしいのです。それで次第に欲しくなくなるのです。
 こちらへ来たての頃は、色々と欲しがるのです。肉を欲しがる人がいますし、強いアルコール類を飲みたがる人もいます。ウィスキーソーダなんかをねだる人もいます。嘘じゃありません。ほんとにこしらえることが出来るのです。でも、一、二杯飲んだら、もうそれ以上欲しがらなくなるみたいです。いつまでも飲んべえのままの人がいる話は聞いていますが、ボクはまだ見たことはありません・・・・」
 この後オリバー・ロッジの脚注として、〝とてもユーモラスに述べている〟とある。

 そこで、これからもっと大きな問題へと進むが、死後に迎える生活が幸せに満ちたものであるといっても、その目的とするのは、自我の内部に滞在している霊的資質を発達させることにある。行動派の人は行動で、知的才能に優れた人は知的才能で、芸術・文学・演劇・宗教その他、各々が神から授かった才能を発揮する為の仕事に勤しむのである。知的なものも性格的なものも、地上時代のものをそっくり携えて行っている。年を取った為の衰えは脳の機能の衰えであって、自我に取り入れたものはそのまま残っている。
 地上で愛し合っていた者はいずれ再会する。が、地上時代のような肉体関係はないし、従って子供の出産もない。それでいて、強烈な親和力による深い親密度を実感するという。地上で真実の愛を実感することなく終わった者も、霊の世界へ来て、遅かれ早かれ、霊的配偶者を見出すという。
 幼くして他界した子供は霊界で自然な成長をする。それ故、例えば二歳の女の子を失った母親が二十年後に他界して霊界入りした場合、二十二歳に成長した娘が迎えに来てくれるという。といって、年齢そのものに意味はない。自我の成長度が容貌に表れるのである。老人は若返るのであるから、女性は老化による美の衰えを嘆く必要はなく、男性は体が言うことをきかなくなったことや頭脳の衰えを嘆く必要はないわけである。あちらへ行けば、失ったものが全て取り戻せるのである。

 同じことが身体の障害についても言える。その障害の全てが消滅しているのである。手足は戻り、視力も戻り、知的能力も本来のものが取り戻せるのである。障害を受けているのは肉体だけなのである。霊的身体は決して傷つかない。完全無欠である。
 第一次大戦で多くの若き英雄が手足を失ってしまった今、これは実に大きな朗報というべきである。A・ウォーレス博士主催の最近の交霊会でも、出現したスピリットが最初に述べたセリフは、
 「左手がちゃんとあるよ」
だったという。同じことがアザや異常部分、盲目、その他ありとあらゆる障害について言える。それらは決して永遠に背負わされる十字架ではなく、やがて訪れる霊の世界では、全てが消滅するのである。全ての者が完全な健康体となる-霊界通信は口を揃えてそう伝えている。
 「でも・・・」と、信じられない人は次のような疑問を抱くであろう。
 「霊視能力者が描写する死者の霊姿が、老人で古い時代の衣装をつけていたり、マゲを結っていたりするが、あれはどういうことか」と。
 実は、そうした霊姿は現在のスピリットそのものの姿ではなく、そういう容姿しか記憶していない身内の人や知人の為にそういう装いをして見せたり、霊視能力者の視覚にそういうイメージを投影したものなのである。白髪のままだったり、古い時代の衣装をつけていたりするのはその為である。もしも本人の今現在の進化した姿を見せたならば、神話・伝説にある流れるような羽衣(ローブ)をつけているかも知れない。そのローブにはそのスピリットの霊格と性格を示す生地と色彩が鮮やかに出ていることであろう。が、それでは地上の者には本人であることの確認が出来ない。

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