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カテゴリ:★『霊訓』 > モーゼス 続『霊訓』 自動書記による霊訓

-〝インスピレーション的霊能〟というのは具体的にはどういうものですか。

 「思想を言語に置き換えずに直接的に受信する能力のことである。これは霊能者の存在全体が霊の支配に浸り切れるようになって初めて可能な、最高の交霊手段である。この場合、霊との交信は精神的に(以心伝心で)行なわれ、言語は必要としない。元々霊界の上層においては声も言語も存在しない。霊と霊とが直接的に認識し合い、その交信は完璧であり、聞き落とすということがない」

 貴殿は今我々が脳へ伝達した概念を、いつも使用している言語で書き表している。これにはいつも四人の霊が関わっており、周囲を外敵より遮断し、適切な調和状態を確保してくれている。手書きの手段を選んだのは個性の証としての意味以外には格別の意味はない。用語は貴殿が普段使用しているものであり、思想だけが我々のものである」

 「我々は今、至上の大使命に携わっているところである。神の計画に基づく仕事であり、それを人間が挫折させるようなことになってはならぬ。これまで我々は段階的経過の内に霊的真理を明かすべく努力してきた。我々が神の使徒であることをイエスと同様にしるし(心霊現象)によって証さんとしてきた。が、同時に心霊現象は大事業の補助的手段に過ぎず、従って、それにあまり熱心になり過ぎるのも、或いはそれでもって事足れりとするのも間違いであることを警告してきた。
 現象はただの殻にすぎない。物理的と呼んでいる客観的現象の演出は、霊的真理の啓示という我々の使命を裏書するものとしてのみ存在価値がある。現段階においてはまだ必要性があり、又それを必要とする者は常に存在するであろう。それ故にこそ折に触れて我々は驚異的現象を演出して見せて来たが、同時に、それにあまり興味を持ち過ぎぬように警告し、時として危険でさえあると述べて来た。総じて心霊現象には副次的な価値しかないものである」

 「霊媒能力も過度に使用すると体力を消耗させる。この種の現象(物理的現象)は、あくまでも、真理を渇望する魂の為に我々が系統だて整理して伝えている通信を受け取るという仕事の補助的な価値しかもたない」

 「物理的現象に実在性があるかに思うのは間違いである。往々にして最低の手段に過ぎないことがあり、霊媒にとって危険でもあり、霊的交信のアルファベット(最も基本的なこと)を学ぶ者の為にのみ有効であるに過ぎない」

 「心霊写真に写る霊姿は霊的素材(エクトプラズムの一種)の映像であって、霊そのものではない。言わば作られたモデルであって、確認してもらう為に輪郭を整えたに過ぎない。白い霧状の物質で包んであるのも同じ理由からである。霊的素材を纏った状態を維持するのは容易でないので、そうやって位置と形を保つのである」

-その霊的素材は物質化現象で見られる物質と同じものでしょうか。

 「いや、同類のものではあるが、物質化の程度が異なる。寧ろ実験中に見られるライトに近く、濃度を濃くも薄くも出来る性質のものである」

-そうやって確認されても、その場にいた証拠にはならないと仰いましたが・・・・。

 「それは存在の絶対的証拠とはならないということである。人間は存在の概念を物質的に考える。既に述べたように、霊は遠距離からの操作も可能である。そこで、存在の証拠とはならなくても、他界した知人が地上へ戻って来たしるしとして、そういうものを拵えるのである。
 心霊写真は認知を目的として霊的素材で拵える映像である。その霊自身が拵える場合もあるし、その霊の指図で複数の霊(霊界の技術者)が拵える場合もあろう。但し、邪霊に騙されていなければ、の話である。邪霊集団にはよくよく注意するよう改めて警告しておく。ウヨウヨしているし、これからますます暗躍が活発となろう。貴殿はそうした霊からの攻撃も覚悟しておく必要がある。我々の使命が重大なものであるだけに、彼等の妬みを買い易く、攻撃を受けることは避けられないのである。強く警戒を要請しておく」

 「真理を求める者は、肉を霊の支配下に置けるようでなければならない。真実の霊的知識に憧れる者は生活の全ての面において純粋で、心身共に勇猛果敢で、真理の追求において一途で、足れるを知る人間でなければならない。純粋さ、素朴さ、一途さ、そして進歩と真理への憧憬-こうしたものが霊的知識の領域へ導いてくれるのである。これに反し、肉体的煩悩が霊性を抑圧している者、霊的知識を卑俗な目的の為に悪用せんとする利己主義者-この種の者は深刻な危険に晒されていると言える。
 移り気な人間はとかく神秘的なものに引かれる。神秘のベールが単なる好奇心でもって突き通せるものと安直に考えるのである。見栄が強く、能力も知識もないのに、あたかもあるように見せかける。それが他人のものを覗き見する悪趣味を生む。この種の人間には(邪霊集団の手先にされる)危険が付き纏う。真摯な探求者には何一つ危険はない」

 「根っからの悪人とはいえないまでも、自制心と規律に欠ける者、節度と調和を失える者は、邪霊による攻撃の恰好の的にされ易い。その種の人間との付き合いは避けるがよい。同じく霊的であっても、未発達の有り難からぬ指導霊の都合のよい手先にされていることがよくあるからである。不節制で、非理知的で、興奮し易い性格の持ち主には用心するがよい」

 「我々(神の使者)からのメッセージを求める者は、冷静さと誠実さと祈りの心、それに穏やかにして健全な身体的条件をもって臨んで欲しい」

 「地上の人間は純粋な霊的交信を得る為に微妙な条件をよく理解する必要がある。十分な条件が整わない時は、我々はただ、人間が自ら招いた危険から守る為に周囲の警戒態勢を維持するのが精一杯ということになる。しかも人間はそのことに一向に気付かずにいる。邪霊の姿が見えぬからに過ぎない。それはあたかも無知な人間が自分の無分別な振舞によって周囲の者に及ぼしている迷惑を、その鈍感さ故少しも気にしないのと同じである。人間の目に映じない-故に気が付かない。それだけのことである」

 「霊媒能力の開発には恩恵と同時に危険も伴うものである。よほど強力な霊団による守護がないと、未発達霊による浸入の危険性がある。用心と祈りとが肝要である」

 「霊媒としての仕事は(使命を持つ霊団によって)選ばれた者以外は勝手に始めてはならない。選ばれた者ならば霊団による守護がある。そうした霊媒に限って安全と言える。それも、誠実にして真摯な心構えで〝神の仕事と栄光の為に〟行なうとの認識があって初めて言えることである。自己中心の考え、いかなる形にせよ〝小我〟に囚われることから生じる邪心-見栄、自惚れ、野心等は霊性を汚す致命的な誘惑である」

 「低級な霊媒現象に付き纏う危険は実に深刻である。そのわけは、まず第一に、その種の現象はとかく目を見張らせるような驚きと物珍しさの対象としてのみ扱われ、又金儲けの手段とされ易いからであり、第二は、出席者が種々雑多な思いを抱いて集まり、そこから生じる雑多な雰囲気による調和の欠如が物質性の強い低級霊を引き寄せるのである。その種の霊も、高級霊の監督の下に働くのであれば、寧ろ高級霊よりも物的現象を扱うのは上手い。が、指導と監督の欠如は霊媒の堕落に繋がる。浸入した低級霊のおもちゃにされがちだからである。
 貴殿の交霊会でも雰囲気が我々にとって厚い壁のように思われることがよくあり、突き抜けることが出来ず、毒々しささえ覚える。呼吸が出来ない程である。低級霊にとってはそれが有り難く、地縛霊も又それを悦ぶ」

-なぜそうした霊の浸入を阻止してくれないのですか。

 「人間は災いを勝手に招いておいて、それを我々が阻止してくれないことに文句を言う。それを阻止するには交霊会の出席者みんなが心掛けと生活と動機を清潔にする外はないのである。電気は何にでも流れるのではない。良導体だから流れるのである。物事は原因があって結果が生じる。霊も同じである。邪霊の働きかけを疑うのは貴殿の目にそれが見えぬからに過ぎない。いずれその愚かさを知って驚く日も来よう。どれ程暗躍しているか、どういう悪影響を及ぼしているか、どういうことにまで及んでいるか、貴殿はまだ何も分かっていない」

 「我々は有るがままの事実を述べているのであって、人間が勝手にこうであるに違いないと想像していることには関知しない。人間を騙そうと企む霊は間違いなく存在する。そして、これ以後も存在し続けるであろう。貴殿がそれを無視してかかることは、貴殿に対する悪企みの温床にしかならない」

 「目を見張らせるような現象ばかり見せて〝珍しがり屋〟を喜ばせている霊媒は、知的にも道徳的にも低級な霊のおもちゃにされている。貴殿とて、いつも同じ霊が通信しているものと思い込んではならない。名前は何とでも名乗れるし、見せようと思えばどんな霊の姿でも見せられる。そうやって人間を騙しては喜んでいるのである」

 「我々は今、危惧の念をもって将来を見つめている。物質に囚われないようにとの説得が果して人間に通じるか、我々は疑問を抱いている。それが果たせない限り純粋な霊的真理の普及は覚束ないであろう。我々が嘆かわしく思うのは、人間が霊を物質界のレベルへ引き摺り下ろしてしまうことである。万一そういうことになれば、引き摺り下ろされた霊は災いの種となりかねない。それよりは逆に人間の側が霊のレベルまで霊性を高めるよう努力すべきである。そうすれば霊の証と真理の両方を手にすることが出来るであろう。
 我々としては、なるべくなら物的な交信手段の全てを排除してしまいたいところである。この方法(自動書記)とてインスピレーション的交霊に比べれば至ってお粗末なものである。
 どうか我々のことを同志と心得てもらいたい。そして貴殿の三位一体の存在(霊・精神・肉体)が有する能力の内の最高のものを使用出来るよう協力してもらいたい。退屈極まる物的現象を何度も何度も繰り返すことはいい加減にして欲しい。そして、我々に託された使命に恥じない威厳をもって頂きたいのである。
 霊的秘密を求め、真理の道具として選ばれた者が攻撃の矢面に立たされることは、必然のしからしむるところである」

 「能力を物的レベルから(精神的レベルへ)引き上げること、知覚力を鋭敏にすること、内部の霊的能力を開発すること、我々の存在の身近さを(現象という形でなしに)ごく自然に感識出来るようになること、入神という危険性のある状態にならずに我々を認識し交信出来るようになること、以上のことを心掛けてくれれば、我々としては申し分ないところである。これが人間として可能な最高の生活形態の手始めである。
 貴殿がそろそろ現象的なものから手を引いて霊的なより高度なものに発展させようと考えていることを、我々は嬉しく思っている。既に述べたように、成長過程の一つとして、我々も一時的に貴殿を物的現象の為に利用されるのを許さざるを得なかった。その段階をストップさせてもよい時機を見計らって、我々は今度は貴殿の存在そのものである霊の本質について学ばせる為に、他の霊との接触を許したのである」

 (注)-《解説》で概略が述べられていることであるが、モーゼスは当初は霊の存在に懐疑的だったが、多くの交霊会に出席する内に次第に信じるようになり、その内自分の身辺でも各種の心霊現象が発生するようになって、漸く確信を得るに至った。その間もずっと自動書記は続けられていたのであるが、背後霊団の身元について確信を得たのは、自動書記を綴ったノートが十四冊になった頃からだという(全部で二十四冊)。〝他の霊との接触を許した〟というのは、それまでプライベートな身近な話題ばかりだったのが、今度は霊団の中でも高級な霊が入れ代わり立ち代り名乗って出て高等な内容の通信を送り始めたことを言っている。

 「我々の教えの中に新たな要素が見られるようになったことに貴殿も気付いている。これまで貴殿を取り巻いていたドグマの垣根が少しずつ取り壊され、かつては理解出来なかった真理が把握出来るようになった。神聖であると思い込んでいたものの多くを捨て去ることが出来るようになった。かつては不可解な謎とされていたものについて考究するようになってくれた。
 我々は貴殿の教育をまず物的レベルから始めた。物質に勝る霊の威力を見せつけ、貴殿を通じて見えざる知的存在が働いているその証拠を見せることが出来た。その初期の段階では物理的現象で十分であった。が、その後我々は徐々に我々自身の身元について語り、貴殿の精神に新たな啓示の観方を吹き込んだ。それによって貴殿は神の真理が一民族、一個人、一地方、一時代に限られるものでないことを理解することが出来た。人間が勝手に拵えたとは言え、いかなる宗教にも真理の芽が内臓されていることを示したのであった。
 我々の指導は二つの平行線を辿ったのである。一つは物質的ないし物理的現象であり、我々が使用する隠れた霊力の目に見える証拠である。もう一つは我々が届けるメッセージの内容とその意義である。人間が肉体という物質に包まれている以上は、現象的証拠に関心が行き過ぎるのも止むを得ないことである。だからこそ我々は、それがあくまで副次的なもの-我々の本来の使命の証に過ぎないとの見解の理解を貴殿に要請してきたのである」

 モーゼスの使命に備えての霊団側の指導過程が明かされた。(『霊訓』の二十二節でモーゼスは〝私の全生涯に亘る霊的使命に関する長文の通信が送られて来たのはその時だった。その内容に私は非常に驚いた〟と述べながら、プライベート過ぎるからという理由で公表していないが、これから引用される部分が多分それではないかと推察している-訳者)

 「〝真理の太陽〟の一条の光が貴殿の魂に射し込んだ時、死せる者-と貴殿が思い込んでいた者-も生者の祈りによって救われること、永遠の煉獄は神学的創作、或いはそれ以上に愚かな戯言であることを悟った。神は、神を求める子等全てを等しく好意の目をもって見つめ給い、信仰と信条よりも正直さと誠実さの方を喜納されることを学んだ。
 又貴殿は、神はバイブル以外のいずこにおいても、又他のいかなる形でも人間に語りかけておられること-ギリシャ人にもアラブ人にもエジプト人にもインド人にも、その他、全ての子等に等しく語りかけておられることを学んだ。神は信条よりも誠心誠意を喜納されることを学んだ。貴殿の心の中でプラトンの思想が芽を出し、その言葉が甦ったことがある。が、その時はまだ、神の言葉はプラトンを通じて啓示されても、或いはイエスを通じて啓示されても、その価値に変わりはないとの理解が出来ていなかった。
 その後、貴殿は例の教父達(後注①)の教理や信仰が本質的にいかなるものであったかを学んだ。真相を理解し、それに背を向けた。初期の教会時代の神学を精神的に超えたのである。型にはまった神学に満足し、アタナシウス教義(後注②)の害毒に喜びさえ覚えていた段階から一段と向上したのである。不合理なもの、神人同形同性説的な幼稚なものを思い切って棄てた。
 貴殿にしてみれば、自らの思索によってそうしたと言いたいところであろう。が、それは違うのである。我々が手引きしてその結論を固めさせたのである。やがて我々は、最早貴殿の知的並びに宗教的水準に合わなくなった教会での牧師としての職から身を引かせるのが賢明と判断した。初期の目的を果たした場所より身を引かせ、地上における使命の次の段階の為の準備へと歩を進めた。幾度かあった身体的病気も、それによって貴殿の気質を調節する効果を目的としたものであり、それは実は我々にとっては霊力のエンジンの調節であった。それによって貴殿の健全なるコントロールを維持して来たのである」

 (注)①-キリスト教初期の教会において教理・戒律となる著作をした人達。
 (注)②-初期の神学には神人同形同性説を唱えるアタナシウス派と、それを否定するアリウス派とがあり、325年のニケーア宗教会議で後者が異端とされた。

-私のこれまでの人生はその為の準備だったわけですか。

 「その通りである。我々は唯一その目的の為に計画し導いて来たのである。何とかして十分な準備を整えた霊媒を確保したかったのである。まず精神が鍛えられていなければならない。それから知識を整えていなければならない。そして生活そのものが真理の受け皿として進歩的精神を培うに相応しいものでなければならなかった。
 その挙句に貴殿は、ある時我々にとって最も接触し易い人物(スピーア夫人。《解説》参照)によってスピリチュアリズムへの関心を持つように手引きされた。その折の我々による働きかけは強烈であった。計画を積極的に進めて行った。それまでの教説より遙かに進んだ神の福音を直接的に教えて行った。
 今貴殿が抱いている神の概念は、それまでのものに比べてどれ程真実に近いことであろう。漸く理解してくれた豊かなる神の愛は、どこかの一土地の一民族だけをひいきするような偏ったものではなく、宇宙と同じく無限にして無辺なのである。いかなる教理にも縛られることなく、人類は全てが兄弟関係で結ばれており、共通の神の子であり、その神はいつの時代にも必要に応じてご自身を啓示して来られているのである。
 神人同形同性説が人間の無知の産物であること、神の言葉であると誠しやかに喧伝されているものが往々にして人間の勝手な現像に過ぎないこと、最高神が一個の人体に宿って降誕するなどという考えは人間の戯言であること、そのような迷信は知識が進化すれば、それに由来する教義、神を冒涜するような見解と共に棄て去られるものであるとの理解に到達した。
 又自分以外に〝救い主〟は無用であること、自己と同胞と神に対する責務を忠実に遂行することこそ唯一の幸福への道であることを学んだ。そして今まさに貴殿は、現在の罪に対する死後の懲罰、進歩と善行の結果としての霊界での幸福と充足感について、我々霊団の者が教えるところの真理を理解しつつある。霊の訓えが貴殿にどれ程の影響を及ぼしたかを知りたければ、かつて抱いていた思想を吟味し、それを現在の考えと比較対照し、いかにして貴殿が暗黒より神の真理の驚異的光明へと導かれたかを見極めることである。
 貴殿は、おぼろげながらも、人生が外部の力によって形作られるものであることを認識し、霊が想像以上に人間界に働きかけているのではないかと思っている。事実その通りなのである。人類全体が、ある意味で、霊界からの指導の受け皿なのである。とは言え、我々といえども原因と結果の連鎖関係に干渉することだけは出来ない。人間の犯した罪の生み出す結果から救ってあげるわけには行かない。愚かしい好奇心に迎合することもしない。試練の場としての地上を変えるわけには行かないのである。
 又、全知なる神が、隠しておくのが賢明と考えられたが故に謎とされているものを、我々が勝手に教えるわけにも行かない。知識を押し付けることも出来ない。提供することしか許されないのである。これを喜んで受け入れる者を保護し、導き、鍛え、将来の進歩の為に備えさせることのみ許されるのである。
 我々の使命については既に述べた。それは、実は、人間と神との交わりの復活に過ぎない。かつての地上の精神的指導者が今尚霊界において人類の指導に心を砕いており、この度貴殿を監視し守護し指導して来たのも、貴殿がそうした指導者のメッセージを受け入れ、それを広く人類一般に伝えてくれること、一重にそれを目標としてのことであった。貴殿をその仕事に相応しい人物とすることが、これまでの我々の仕事であった。これからは神の福音を受け取り、機が熟せばそれを世界の人々へ伝えることが次の仕事となろう」

-では、これは宗教的活動なのでしょうか。

 「まさにその通りである。我々が人間にとって是非とも必要な福音を説きに来た〝神の真理の伝道者〟であることを、ここに改めて主張する。その使命にとって大切なこと以外は、我々は何の関心もない。その点によく留意して欲しい。さし当たって我々は貴殿が個人的な知友との交霊の為の霊媒とされようとしている傾向を阻止する。その種のことを身を晒すのは危険この上ない。霊覚の発達した者は、地上の者と交信したがっている無数の霊に取り憑かれ易いことを貴殿は忘れている。感受性が発達する程地上近くをうろつく低級霊に憑依される危険性も増える。実に恐ろしいことであり、貴殿をそういう危険に晒すわけには行かない。低級霊のすることは貴殿も既に知っている筈である。その種の行為に貴殿は実に過敏である。そうなった時は最早我々も手出しが出来ぬかも知れない」

 「交霊会は霊の目には光の中枢として映るもので、遙か遠方からでも見え、地上の縁者と語りたがっている無数の霊が寄り集まって来る。その中には物質を操る能力においては強力なのがいる。事実その点においては高級霊よりは上手なのである。霊は進化する程物的エネルギーが扱えなくなり、精神的感応力に訴えて知的な指導と指揮に当たることになる」

 「出席者の側に霊性が欠けている交霊会に群がる霊が死後一向に進化しない低級霊であることは、紛れもない事実である。所謂地縛霊であり、列席者が醸し出す雰囲気に誘われて訪れ、他愛もないことを述べて戸惑わせたり混乱させたりして面白がり、或いは悪徳や罪悪へ誘い込もうとする。
 そもそも霊的交信なるものは何の為に行なうのか、その存在意義を明確に弁え、それが今いかに堕落した目的の為に行なわれつつあるかを、よく考えてみることである。何の警戒態勢もないまま行なわれる交霊会に集まる霊に操られ始めたら最後、遅かれ早かれ列席者も同じレベルまで引き下げられてしまう。つまり精神的に、道徳的に、そして肉体的に、堕落の一途を辿ることになる。今の貴殿はあたかも伝染病の隔離病棟に入りながら病原菌だけは移されまいと期待するのにも似ている。いつの日がきっと大それたことをしたことを思い知らされることであろう。
 以前から吸血鬼が貴殿を狙っている(後注)。更に今は吐き気を催すような悪霊が付き纏っている。それは是非共払い除けねばならない。それは余程骨の折れることであろうが、もしそれが出来なければ、いつかはその餌食になるかもしれない」

 (注)-〝吸血鬼〟という種族が実在するわけではない。〝悪魔〟が、そう呼びたくなる程邪悪な性質を持つに至った存在という意味であるのと同じで、これも用語上の問題である。スカルソープの『私の霊界紀行』(潮文社)に次のような体験が紹介されている。
 「ある時いよいよ離脱の状態に入り、間違いなく離脱しているのであるが、どこかしら不安が付き纏い、霊界へ行かずに寝室の中を漂っていた。やがて階下の店へ下り、カウンターの後ろに立った。なぜか辺りの波長が低く陰気で、全体が薄ボンヤリとした感じがする。かつてそのような雰囲気を体験したことがなかったのて、もしかして離脱の手順を間違えたのかと思っていた。
 すると突然、邪悪で復讐心に満ちた念に襲われたような気がした。その実感は霊的身体をもって感じるしかない種類のもので、言葉ではとても表現出来ない。とにかく胸の悪くなるような、そして神経が麻痺しそうな感じがした。その念が襲って来る方角を察して目をやると、二十ヤード程離れた所に毒々しい煤けたオレンジ色の明りが見えた。その輝きの中に、ニタニタ笑っている霊、憎しみを顔一杯に表している霊が見える。そして、自分達の存在が気付かれたと知ると、咄嗟に思念活動を転換した。
 すると代わって私の目に入ったのは骸骨、朽ち果てた人骨、墓地などが幽霊や食屍鬼(しょくしき)、吸血鬼、その他地上的無知とフィクションの産物と入り乱れている光景だった。
 (中略)
 愚かしい概念も、何世紀にも亘って受け継がれてくると、各国の人民の精神に深く刻み込まれていく。未知なるものへの恐怖心もその影響の一つである。暗黒を好み、地上の適当な場所を選んで、そうした低級霊がたむろし、潜在的な心霊能力でもって地上の人間に影響を及ぼす。彼等が集団を形成した時の思念は実に強烈で、幽霊話に出て来るあらゆる効果を演出することが出来る。未知なるものへの恐怖心も手伝って、そうした現象は血も凍るような恐怖心を起させる」

 純正な物理現象が行なわれている最中に明らかに誤魔化しと分かる愚にもつかぬ行為が見られることを述べると-
 「物理現象に携わる低級霊は、ある目的を何とか達成しようとして、誤魔化す意図からではなしに、手っ取り早い手段を使用することがあるものである。特に完全物質化現象は低級霊にしか出来ない現象の一つであるが、霊側は別に誤魔化すつもりからではなしに霊媒の身体を利用することがある。それが一番手っ取り早いからであるが、貴殿にはそれが折角の純正な現象の中にも誤魔化しが混じっているかに思われるのである。
 現象によっては、高尚な心を持たない存在、従って道義心というものを持たない存在による演出である場合もあろう。貴殿の目にはあたかも躾の悪い動物の行為のように映るであろう。が、低級霊は大目に見てやらねばならない。そして、霊力の証拠以外のものは期待せずに、それをふるいに掛け、よく検討して意義あるものだけを選び出し、本物と偽物とが混じっていることに動揺しないことである。
 そもそも現象的なものは、そうした形での証拠しか受け入れられない者の為に必要なだけであって、我々が神の使者であることの証拠ではなく、又、我々の教訓の道徳的高尚さのしるしでもない。唯物的観念に囚われている者の為に用意された手段に過ぎないのである。
 それにはその演出に最も適切な霊が当てられる。その種の霊は極めて低級であり地上臭が強い。地上生活を何の進歩もなく終わったか、向上の意志だけはあったが実践するまでに至らなかった者のいずれかである。後者が最も強力な働き手となってくれるが、残念ながら彼等には道徳的な見極めがつけられない。
 だからといって貴殿が〝たかが家具を移動させる程度のもの〟と軽蔑的に述べている種類の現象に、人類の大先輩たる高級霊を差し向けるのは不条理であり、愚かしいことであろう。偉大なる霊は、かつて肉体に宿っていた時も地上の啓発の為に神によって派遣されていたのであり、そのような霊を、物質中心の物の考え方しか出来ない者の為に、証拠として演出してみせるだけの仕事に使用するわけにはいかない。それ程の霊になれば最早鈍重な物質への影響力は持ち合わせず、直接的に働きかけることは不可能である」

 「物理現象は、それを得意とする霊が最高の証拠を見せてくれる交霊会だけに限定すべきである。又、その際、現象的なもの以上のものを求めてはいけない。それは、高級霊に現象的な証拠を求めてはならないのと同じである。物的なもの、物理的なものを求める時は、原則として霊的進歩は犠牲にされるものである。それ故、交霊会というものは等級別にすべきであり、純粋に物理的なものは、それを必要とする場(科学的研究の為の実験会など)に任せることである。高級霊は物的雰囲気に支配された場には出たがらぬもので、従って、そういう場で高等な知識を求めてはならない。あくまで物的証拠しか求めてはならならい。反対に現象的なものを要求されない交霊会では大いに知識を求めるべきであり、高級霊との交わりによって、又彼等の教育と啓発の使命を理解することによって、霊的雰囲気を出来るだけ高めることを目的とすべきである」

-物理現象は止めてしまうべきでしょうか。

 「進歩を求める以上はそうすることが絶対に必要である。現象的なものを担当する霊からは真実の知識も教訓も得られない。物理的なものと霊的なものを截然(せつぜん)と区別する必要性をここに強調しておきたい。自分を霊的なものへ高めて行くことを目標として欲しい。霊的なものを物的なものへ引き摺り下ろすことになってはならない」

 「病気の時、或いは心配事のある時は、高級霊との交信を求めてはいけない。列席者の中に一人でも病気の者や精神的な悩みを抱えている者がいると、それが障害となる。オーラの本来の機能が低下していて、それが影響して室内の物が歪んだ様相を呈する。調和性に富み、愛に満ちた心、純粋で清潔な思念、健康で元気な身体、一途な真理探究心、こうしたものが我々にとって最高の助けとなる。
 何よりも障害となるのは猜疑心から来る不信、怒りに満ちた感情、心身の不健康な状態であり、とりわけ、いかなるものでも信じようとせず、全てを手の込んだ誤魔化しであると決めてかかる、覗き見的猜疑心である」

 モーゼスが低級霊に悩まされていた時にこう注意された。
 「交信の為の条件が充分に整っていない時にしつこく交信を求め過ぎるからそういうことになるのである。警告したように、それでは必ず災いが生じる。心身が衰弱している時は信頼の置ける通信を得られぬものと思うがよい。
 暫しの間我々との交信は中止されよ。是非中止されよ。と申すのも、貴殿の交信能力を我々の方で暫し預かることにしたのである。今の状態で我々の交信を求め続ければ、その能力が敵対勢力に乗っ取られ、憑依される危険性があるからである。貴殿もその可能性をいくらか感じているであろう。ただ、その危険性がいかに深刻なものであるかが分かっていないようである。我々がその危険から救っておこう。貴殿はそうとは気づかぬであろうが・・・・」

 交霊会に関する心得。
 「満腹の食事をした直後、或いは精神的ないし肉体的に疲れがひどい時、又は、会の雰囲気が調和に欠ける時は開かないこと。
 会に先立って言い争いのような会話、或いは心理的にエネルギーを消耗するようなことをしないこと。精神は受身的に、そして身体は楽にする。
 部屋の空気がムンムンする状態で開かないこと。会に先立って新鮮な空気を通しておくこと。
 なるべくなら開会する前に三、四時間程明りを遮断しておく。ドアを閉じる前に芳香性の樹脂をほんの少量だけ焚くとよい。
 開会中は物珍しさから勝手な要求をしてはならない。霊側で用意している計画を台無しにするからである。真剣で用心深い精神的態度を維持すること。特に、真面目で祈りに満ちた心で、より高い知識を求めて素直に耳を傾けること。常に霊的なものを求め、俗世間的なものは求めぬこと。
 霊媒は自分の身を隔離してオーラへの影響を断った方がよいことがある。キャビネットを設けるのも一つの方法である。

 音楽の効用について尋ねると-
 「良い音楽であれば使用しても結構であるが、無くてはならぬというものではない。我々にとっては音楽より寧ろ静粛と集中心の方が大切である。どちらかといえば音楽は低次元の現象や未熟な霊にとって有効なだけであって、我々にとっては、いつも聞かされている音楽(サウンド)は何の効用もない。逆効果である場合すらある」

 ある日の交霊会の後不快な臭気が漂ったので、そのことを尋ねると-
 「会の霊的状態が悪かった為である。これで出席者の方に分かって頂けると思うが、会に先立っての会話は議論になったりケンカ腰になったり昂奮させるようなものは避けるべきである。高級な交霊を求める為には隔離された状態と瞑想と断食と祈りとが不可欠であるとされるのはそうした理由による。昔から霊覚者や霊能者はそれに気付いていた。我々も貴殿にしばしば身体をじっと静かに保つこと、精神を安らかに保つことの大切さを説いて来た。それを欠くと交霊会は危険である」

 「交霊現象において我々が使用するエネルギーは、身体機能が(受身的状態であっても)正常に働いている時にのみ利用出来るのである。(激論などした後)脳が活発に働いていると、エネルギーは脳へ動員されてしまうが、受身の状態になるとそれが神経組織の方へ流れるので、我々はそれを利用する。消化器官が活動している時はエネルギーはそこへ集中されてしまう。突然のショックを受けると神経のバランスが崩れ、エネルギーは暫く散逸状態となる。
 といって、受身の状態が無活動・無関心の状態になってしまうと、それも又困る。目の前で進行中のことへの関心を持続させること(集中力)が磁気性オーラ(後注)の流れを軽快で規則正しいものにし、それが霊側と人間側との連絡を完璧なものにする。公開交霊会で入神演説をする場合も、聴衆が一心に聞き入ることが、そうした磁気的調和状態を保たせることになる。
 心配の念も禁物である。これには侵食する性質があり、受身的状態とは相反するものだからである。

 (注)-人体から発するオーラには磁気性のものと電気性のものの二種類がある。具体的なことは『母と子の心霊教室』を参照されたい。

 二つの埋葬地の中間に位置する家に滞在したことを咎められたモーゼスが「それがなぜいけないのですか」と尋ねたのに対してレクターと名乗る霊が-
 「最近の貴殿は墓地に漂う臭気に一段と影響を受け易くなっているからです。その近辺で長時間寝たり呼吸したりしてはいけません。そこに発生するガスや臭気は鈍感な人なら大して害はないが、貴殿程に発達してくると有害です」

-でも、直ぐ近くではありません。

 「二つの墓地の中間に位置しています。辺りの空気には貴殿の身体に有害なものが充満しています。
 肉体が腐敗していく時に強烈な臭気を発散する。それが生者の呼吸する空気に混入し、それに引かれて自縛霊がうろつきます。どこからどうみても感心しないものであるが、霊的感受性が過敏な人間にとっては尚更有害です」

-墓地を嫌っておられるようですが、埋葬より火葬の方が良いというお考えですか。

 「朽ちて行く肉体を生きた人間の生活の場のど真ん中に埋めること程愚かなことはありません。呼吸する空気が毒されてしまいます。もう少し進歩すれば、生きた人間に害になるようなことはしなくなるでしょう」

 モーゼスの知人が霊にまんまと騙されたことについてインペレーターが-
 「その知人に、一人で勝手に霊と交信することを中止させないといけません。このままでは邪霊集団の餌食にされてしまう。我々(組織的計画に基づいて働いている霊団の者)は所属するサークル以外のことには関与しません。それぞれのサークルに支配霊がおり、その支持の下に行動している。我々としては低級霊との交霊は絶対に避けるべきであると述べるのみです。危険に満ちています。その危険にわざわざこちらから近付くことはあるまい。嘘と誤魔化しばかりしている集団に関わり合ってはなりません」

-最近他界したばかりの人が二、三年で第七界(現象界の最高界)まで到達したというケースを御存知ですか。(多分どこかの交霊会に出席したら得体の知れない霊が二、三年前に他界したモーゼスの知人の名を騙って、もう最高界まで到達した、と自慢げに言ったのであろう。日本でもよくあるケースである-訳者)

 「知りません。そういうことは有り得ぬことです。何もかも出鱈目です。そのようなことを言う霊と関わり合ってはなりません」

-霊能が悪霊によって邪悪な目的の為に開発されるということは有り得ますか。

 「ある。大いにある。地上との関わりにおいては高級霊よりも低級霊の方が強力であるという事実から考えても、それが分かる筈である。彼等はその霊力を善の為には使おうとはしません。逆に、いずれは霊媒にとって害になるようなことをして、我々の本来の仕事に対する不信感を誘おうと企む。危険です。実に危険です」

 「ベンジャミン・フランクリンが叩音(ラップ)現象による通信手段を発見していたこと、スエーデンボルグのお蔭で霊側が地上との交信の可能性を知り、関心を持つようになったことは事実です。その当時は地上と霊界の全ての住民がいつでも交信が出来るようになると信じられたのである。しかし人間側の無知と、霊側に直ぐに著名人の名前を騙りたがる者が多過ぎることで、その可能性が大幅に縮小されました。更には、指導に当たる霊の間で、例えば貴殿の知人のように、地上に戻ることを許すと忘れかけていた快楽を思い出させることになって必ずしも為にならないという認識が行き渡りました。そこでそういう霊は他の天体ないしは他の境涯へ連れて行かれており、従って地上との交信には出ません」

-その発見はこちらより先にそちらの世界でなされていたわけですね。

 「全てこちら側でなされたことで、地上では何一つなされておりません。霊が発見して地上へ伝えられたものです。古代においてはラップのような手段は知られておりませんでした。これは現代特有のものです。古い時代においてはもっと物質性の少ない手段で交信が行なわれていたものです。珍しいケースを除いては物的手段を通す必要がなかったのです。霊と霊との直接の交信でした。が、人間が物質的になるに連れてその種の交信が減少し、ほんの僅かな人に限られることになりました。そこで信号による物的手段が発明されたのです」(この通信にはレクターとフランクリンの二人の署名が付いている)

 (注)-フランクリンの没年は1790年であるから、スピリチュアリズムの発端とされるフォックス家におけるラップ現象より半世紀以上も前のことになる。が、その頃から霊界では着々と準備をしていたことがこれで分かる。

 インペレーターに代わる。

 「地上で精神病者とされている者が実は低級霊の道具にされているに過ぎないことがよくある。その人間の身体を勝手に操作しようとしてそれが上手く行かず、支離滅裂な話をしたり辻褄の合わないことを言ったりすることをすることになる」

 「交霊会の雰囲気が乱れる時は、その原因となる人間なり霊なりが必ずその場に存在していると考えるのは間違いである。特に霊感の鋭い人間は単なる思念の放射だけで調子を狂わされることがよくある。我々にとっては思念こそが強力なエンジンなのである。それを色々な形で道具として使用するのである。直感が我々の感覚であり、思念は道具である」

 「霊が肉体から離れると思念の行使がずっと容易くなる。こちらでは思念の投射が会話の通常の方法であり、地上との通信や連絡の当たり前の手段である。人間のように身体を携えてその場に赴く必要はない。霊と霊との交信は時間と空間を超越して行なわれる。時間と空間は地上だけの条件である」

 「高級霊が自ら出頭せずに下級霊を通じて働きかけることは、よくあることである。実によくあることで、支配霊として交霊の場にいなくても、指示だけが送られて、それに従って会が進行する。が、我々のサークルにおいては、誰それの霊が来ていると述べた時には、実際にその場に来ていると思ってよい。同志を無防備のまま放置しておくようなことはしないと思われよ。が、それでもなお、思念の投射によって会の霊的雰囲気が乱されることがある。どうも思い通りに会が進行出来ない時は、それが原因であることが少なくない。そのような時は会の中止を命じる。
 出席者が多い場合も雰囲気が乱れ易い。霊が出現したがるその情念の強さが原因となることもあるし、辺りに集結した邪霊集団の策謀である場合もある。
 人間の大半がまだその事実を理解する水準に達していない。その為にスピリチュアリズムは悪魔との交わりであるとか、特殊な精神的ないし身体的病気であるとか、幻覚であるとか、イカサマであるとかの見方をされることにもなるわけである。
 それとは別に、霊的真理を正しく理解した少数の者による地道なサークルもある。高次元の交霊の崇高さの確証を手にして、僅か二人ないし三人が信念と誠実さをもって会合し、授かる言葉に耳を傾ける。その種のサークルにおいては精神は純粋にして真摯であり、崇高なる憧憬に溢れ、霊的思想に満ち溢れている。会に先立っての然るべき準備も整えられ、高級霊が訪れる為の環境条件が揃っている。かようなサークルにおいては、成果も又それ相応に高尚なものとなる。
 会の雰囲気が純朴な情愛に満ちたものであれば、先に他界した知人もしばしば訪れて身元を明かすことが出来よう。或いは霊的親和性に富む(見知らぬ)霊が訪れて慰安と励ましのメッセージを語ることもある。更には又、我々同様に、真理を希求する者の為の啓発と向上を任務とする霊が訪れて、他の分野にも及ぶ知識を授けることもあろう。
 こうしたサークルは、用意周到ささえ怠らなければ、人類の大いなる啓発の為の貴重な機関となるところである。ところが悲しい哉、人間の使命感は脆いものである。支えとなるべき一途な憧憬にやがて倦怠感が訪れる。俗世に心が奪われる。仕事に追いまくられる。取り越し苦労と悩みが入り込む。こうなると、我々の目指すものにとってその霊媒は最早無用のものとなる。或いはサークルの同志の理解力一杯のところまで学んで、関心が衰えて来ることもある。
 こうした次第で、サークル活動はよほど稀有な条件が整っていない限り長続きしないものである。中々進歩が見られぬし、色々な障害が邪魔するからである」

 「本来、霊の衣服は人間の目には映じないものであり、従って霊姿というものは確認出来ぬものである。そこで我々は人間側が期待しているような形体を装うことになる。仮に霊が地上の友人に姿を見せたければ、多分地上時代によく着ていた衣服に似たものを着て出現するであろう。そして、確証として特徴ある身振り、衣装、或いは表情を特に誇張して注意を引くことであろう。そうやって折角確認して欲しいと思って苦心したのに、友人が得心してくれなかった時の無念さと悲しみは一通りのものではない。
 これが、後に残した愛する人の為を思って戻って来る霊に付き纏う無念残念の一つである。付き添って何とか面倒を見ようとするのであるが、どうしても通じない。そこでどこかの霊媒を見つけて、そこへ出席してくれるように誘導する。漸く出席してくれたので、ここぞとばかりに苦心して生前の姿を見せ、死後の存続を証明し、変わらぬ愛を示そうとする。が、悲しい哉、その誠意が空しく物笑いの対象とされ、自分の存在が認めてもらえなかった時の傷心の深さは測り知れないものがある。そして多分、霊界との交信の事実そのものが根拠のない愚かな幻想であると決め付けられる。首尾よく自分が確認してもらえて変わらぬ愛を確かめることが出来た霊の測り知れない喜びとは対照的に、それは霊にとっての測り知れない心の痛みとなる」

 モーゼスが自分のサークルにおいてそうしたプライベートな交信が少ないことに残念を表明すると-

 「貴殿にはそれとは別の使命があるのである。我々としてはそうしたプライベートな交信にサークルが利用されることは許すわけにはいかない。好奇心の満足、たとえ愛に発するものであっても私情の混じったことの満足の為には絶対に許すわけにはいかない。貴殿のサークルはその程度の目的の為に利用してはならない。もっともっと高尚な目的をもったものなのである。貴殿に託された使命の崇高さについて十分な自覚が芽生えるまで待つ外はない。その時になれば我々がプライベートなものを拒絶する理由が分かるであろう」

-私の使命は主イエス直々のご計画によるものなのでしょうか。

 「既に述べた通り、この度の大事業には二人の偉大なる霊、すなわちモーセとエリヤが密接に関わっておられる。私が直接受けるインスピレーションは私の守護霊であるエリヤからのものである。私が地上にあった時も(紀元前五世紀)エリヤが私を鼓舞し、今は私を通じて貴殿に影響力を行使しておられる。が、彼をはじめ、我々は全て人間がイエスと呼ぶ崇高なる霊の配下にある」

-イエスにお会いになったことがありますか。それからモーセとエリヤにも。

 「いかにも。私の守護霊たるエリヤと偉大な霊モーセとは早くからお会いしている。会話も交わし、同時に指示を仰いで来ている。
 が、イエスと直接の接触に与かったのは、この度の使命との関わりが出来てからのことである。遠大なる大事業の計画を目的とした高級神霊の大集会へのお召しに与った時に初めてお姿を拝した。
 私が知る限り、主が再び試練の現象界まで降りて来られたのはごく最近のことである。又その大集会で拝見した高級神霊もやはり最近になって降りて来られた。多分、主がこの度と同じ目的をもって地上へ降誕されて以来、久しぶりのことであろう」

-どの集会のことでしょうか。確かあなたはイエスは一度も戻って来ていないと仰いましたが・・・

 「大集会というのは、貴殿も知っての通り、私がサークルを留守にしていた時に開かれたものである。それから、私は自分が定かでないことについて断定的な言い方をしたことはないつもりである。イエスは人間に直接働きかけられる境涯の彼方(超越界)へ行っておられたが、地上時代に肉体に宿って着手された大事業を一段と進める必要があり、再び現象界へと帰って来られたのである」

-私と同じようにその大事業の為に準備された者は他にもいるのでしょうか。あなたが関わっておられる霊媒は他にもいますか。

 「私が直接関わっている人間は貴殿以外にはいない。が、使命を担った霊の指導によって着々と研鑽を重ねつつある者は大勢いる。これまでに我々は貴殿の中に高級界と地上界との間に開かれた通路として最も貴重な要素を開発することに成功している。貴殿の精神が冷静になるに連れて他の多くの霊が訪れるようになるであろう。そして貴殿の疑念も晴れることであろう。現在の精神状態ではまだ他の霊には近付くことが出来ぬ。
 それはともかくとして、霊界では様々な知識を人類に授ける為の適切な人材を見出すべく、今後とも努力するであろう」

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