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カテゴリ:★『小桜姫物語』 > 小桜姫物語

自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 岩屋の修行中に誰かの臨終に出会ったことがあるか、とのお訊ねでございますか。-それは何度も何度もあります。私の父も、母も、それから私の手元に召し使っていた、忠実な一人の老僕なども、私が岩屋に居る時に前後して没しまして、その都度私はこちらから、見舞いに参ったのでございます。何れあなたとしては、幽界から観た臨終の光景を知りたいと仰るのでございましょう。宜しうございます。では、標本のつもりで、私の母の亡くなった折の模様を、ありのままにお話し致しましょう。わざわざ調査するのが目的で、やった仕事ではないのですから、無論色々見落としはございましょう。その点は充分お含みを願っておきます。機会がありましたら、誰かの臨終の実況を調べに出掛けてみても宜しうございます。ここに申し上げるのはホンの当時の私が観たまま感じたままのお話でございます。
 それは私が亡くなってから、もうよほど経った時・・・かれこれ二十年近くも過ぎた時でございましょうか、ある日私が例の通り御神前で修行しておりますと、突然母の危篤の知らせが胸に感じて参ったのでございます。こうした場合には必ず何等かの方法で知らせがありますもので、それは死ぬる人の思念が伝わる場合もあれば、又神様から特に知らせて頂く場合もあります。その他にもまだ色々ありましょう。母の臨終の際には、私は自力でそれを知ったのでございました。
 私はびっくりして早速鎌倉の、あの懐かしい実家へと飛んで行きましたが、モーその時はよくよく臨終が迫っておりまして、母の霊魂はその肉体から半分出たり、入ったりしている最中でございました。人間の眼には、人の臨終というものは、ただ衰弱した一つの肉体に起こる、あの悲惨な光景しか映りませぬが、私にはその外にまだ色々の光景が見えるのでございます。なかんずく一番目立つのは肉体の外に霊魂-つまりあなた方の仰る幽体が見えますことで・・・・。
 御承知でもございましょうが、人間の霊魂というものは、全然肉体と同じような形態をして肉体から離れるのでございます。それは白っぽい、幾分ふわふわしたもので、そして普通は裸体でございます。それが肉体の真上の空中に、同じ姿勢で横臥している光景は、決してあまり見ませんでしたが、初めて人間の臨終に出会った時は、何とまァ変怪なものかしらんと驚いてしまいました。
 もう一つおかしいのは肉体と幽体との間に紐がついていることで、一番太いのが腹と腹とを繋ぐ白い紐で、それは丁度小指位の太さでございます。頭部の方にもモー一本見えますが、それは通例前のよりもよほど細いようで・・・・。無論こうして紐で繋がれているのは、まだ絶息し切らない時で、最後の紐が切れた時が、それがいよいよその人の死んだ時でございます。
 前申す通り、私が母の枕辺に参りましたのは、その紐が切れる少し前でございました。母はその頃モー七十位、私が最後にお目にかかった時とは大変な相違で、見る影もなく、老いさらばえておりました。私は直ぐ身元に近付いて、『私でございます・・・』と申しましたが、人間同志で、枕元で呼び交わすのとは違い、何やらそこに一重隔てがあるようで、果してこちらの思念が病床の母に通じたかどうかと不安に感じられました。-もっともこれは地上の母につきて申し上げることで、肉体を棄ててしまってからの母の霊魂とは、無論自由自在に通じたのでございます。母は帰幽後間もなく意識を取り戻し、私とは幾度も幾度も会って、色々越し方の物語に耽りました。母は、死ぬる前に、父や私の夢を見たと言っておりましたが、勿論それはただの夢ではないのです。つまり私達の意思が夢の形式で、病床の母に通じたものでございましょう・・・・。
 それは兎に角、あの時私は母の断末魔の苦悶の様を見るに見兼ねて、一生懸命母の体を撫でてやったのを覚えています。これは只の慰めの言葉よりも幾分か効き目があったようで、母はそれからめっきりと楽になって、間もなく気息を引取ったのでございました。全て何事も真心を籠めて一心にやれば、必ずそれだけの事はあるもののようでございます。
 母の臨終の光景について、モー一つ言い残してならないのは、私の眼に、現世の人達と同時に、こちらの世界の見舞者の姿が映ったことでございます。母の枕辺には人間は約十人余り、何れも眼を泣き腫らして、永の別れを惜しんでいましたが、それ等の人達の中で私が生前存じておりましたのはたった二人程で、他は見覚えのない人達ばかりでした。それからこちらの世界からの見舞者は、第一が、母よりも先へ亡くなった父、続いて祖父、祖母、肉親の親類縁者、親しいお友達、それから母の守護霊、支配霊、産土の御神使、・・・・一々数えたらよほどの数に上ったでございましょう。兎に角現世の見舞者よりはずっと賑やかでございました。第一、双方の気分がすっかり違います。一方は自分達の仲間から親しい人を失うのでございますから、沈み切っておりますのに、他方は自分達の仲間に親しき人を一人迎えるのでございますから、寧ろ勇んでいるような、陽気な面持をしているのでございます。こんな事は、私の現世生活中には全く思いも寄らぬ事柄でございまして・・・・。
 他にも気付いた点がまだないではありませぬが、稚拙な言葉でとても言い尽くせぬように思われますので、母の臨終の物語は、一先ずこれ位にしておきましょう。

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 第一期の修行中に経験した、主なる事柄につきては、以上で大体申し上げたつもりでございますが、ただもう一つここで是非とも言い添えておかねばならないと思いますのは私の守護霊の事でございます。誰にも一人の守護霊が付いておることは、心霊に志す方々の御承知の通りでございますが、私にも勿論一人の守護霊が付いており、そしてその守護霊との関係はただ現世のみに限らず、肉体の死後も引き続いて、切っても切れぬ因縁の絆で結ばれておるのでございます。もっとも、そうした事柄がはっきり判りましたのはよほど後の事で、帰幽当時の私などは、自分に守護霊などと申すものが有るか、無いかさえも全然知らなかったのでございます。で、私がこちらの世界で初めて自分の守護霊にお目にかかった時は、少なからず意外に感じまして、従ってその時の印象は今でもはっきりと頭脳に刻まれております。
 ある日私が御神前で、例の通り深い精神統一の状態に入っていた時でございます、意外にも一人の小柄の女性が直ぐ眼の前に現れ、いかにも優しく、私を見てにっこりと微笑まれるのです。打ち見る所、年齢は二十歳余り、顔は丸顔の方で、器量はさしてよいとも言われませぬが、何処となく品位が備わり、雪なす富士額にくっきりとまゆずみが描かれております。服装は私の時代よりはやや古く、太い紐でかがった、広袖の百衣を纏い、そして下に緋の袴を穿いておるところは、どうみても御所に宮仕えしておる方のように窺われました。
 意外なのは、この時初めてお目に懸かったばかりの、全然未知のお方なのにも係わらず、私の胸に何ともいえぬ親しみの念がむくむくと湧いて出たことで・・・。それにその表情、物ごしがいかにも不思議・・・・先方は丸顔、私は細面、先方は小柄、私は大柄、外形はさまで共通の箇所がないにも係わらず、何処とも知れず二人の間に大変似たところがあるのです。つまりは外面はあまり似ないくせに、底の方でよく似ておると言った、よほど不思議な似方なのでございます。
 『あの、どなた様でございますか・・・・・』
 漸く心を落ち着けて私の方から訊ねました。すると先方は相変わらずにこやかに-
 『あなたは何も知らずにおられたでしょうが、実は自分はあなたの守護霊・・・・あなたの一身上の事柄は何もかもよう存じておるものなのです。時節が来ぬ為に、これまで蔭に控えていましたが、これからは何事も話相手になってあげます』
 私は嬉しいやら、恋しいやら、又不思議やら、何が何やらよくは判らぬ複雑な感情でその時初めて自分の魂の親の前に自身を投げ出したのでした。それは丁度、幼い時から別れ別れになっていた母と子が、不図どこかで巡り会った場合に似通ったところがあるかも知れませぬ。何れにしてもこの一事は私にとりて誠に意外な、又誠に意義のある貴い経験でございました。
 激しい昂奮から冷めた私は、勿論私の守護霊に向かって色々と質問の矢を放ち、それでも尚腑に落ちぬ箇所があれば、指導役のお爺様にも根掘り葉堀り問い詰めました。お蔭で私の守護霊の素性はもとより、人間と守護霊との関係、その他につきておおよその事が漸く会得されるようになりました。-あの、それを残らずここで物語れと仰るか・・・・宜しうございます。何も御道の為とあれば、私の存じておる限りは逐一申し上げてしまいましょう。話が少し堅うございまして、何やら青表紙臭くなるかも存じませぬが、それは何卒大目に見逃して頂きます。又私の申し上げることにどんな誤謬があるかも計りかねますので、そこはくれぐれもただ一つの参考に留めて頂きたいのでございます。私はただ神様やら守護霊様から聞かされたところをお取次ぎするのですから、これが誤謬のないものだとは決して言い張るつもりはございませぬ・・・・。

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 成るべく話の筋道が通るよう、これから全てを一纏めにして、私が長い年月の間にやっと纏め上げた、守護霊に関するお話を順序よく申し上げてみたいと存じます。それにつきては、少し奥の方まで遡って、神様と人間との関係から申し上げねばなりませぬ。
 昔の諺に『人は祖に基づき、祖は神に基づく』とやら申しておりますが、私はこちらの世界へ来てみて、この諺の正しいことに気付いたのでございます。神と申しますのは、人間がまだ地上に生まれなかった時代からの元の生神、つまりあなた方の仰る『自我の本体』又は高級の『自然霊』なのでございます。畏れ多くはございますが、我が国の御守護神であらせられる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)様を始め奉り、瓊瓊杵尊様に随伴して降臨された天児屋根命(あまのこやねのみこと)、天太玉命(あまのふとだまのみこと)などと申す方々も、何れも皆そうした生神様で、今も尚昔と同じく地の神界にお働き遊ばしてお出でになられます。その本来のお姿は白く光った球の形でございますが、よほど真剣な気持で深い統一状態に入らなければ、私共にもそのお姿を配することは出来ませぬ。まして人間の肉眼などに映る気遣いはございませぬ。もっともこの球の形は、じっとお鎮まり遊ばした時の本来のお姿でございまして、一旦お働きかけ遊ばしました瞬間には、それぞれ異なった、世にも神々しい御姿にお変わり遊ばします。更に又何かの場合に神々がはげしい御力を発揮される場合には荘厳と言おうか、雄大と申そうか、とても筆紙に尽くされぬ、あの恐ろしい龍姿をお現しになられます。一つの姿から他の姿に移り変わることの迅さは、到底造り付けの肉体で包まれた、地上の人間の想像の限りではございませぬ。
 無論これ等の元の生神様からは、沢山の御分霊・・・・つまり御子様がお生まれになり、その御分霊から更に又御分霊が生まれ、神界から霊界、霊界から幽界へと順々に階段が付いております。つまり全てに亘りて連絡はとれておりながら、しかしそのお受け持ちがそれぞれ違うのでございます。こちらの世界をたった一つの、無差別の世界と考えることは大変な間違いで、例えば瓊瓊杵尊様に於かれましても、一番奥の神界に於いてお指図遊ばされるだけで、その御命令はそれぞれの世界の代表者、つまりその御分霊の神々に伝わるのでございます。おこがましい申し分かは存じませぬが、その点を御理解が充分でないと、地上に人類の発生した経路がよくお判りにならぬと存じます。稀薄で、清浄で、殆ど有るか無きかの、光の凝塊と申し上げてよいような形態をお有ち遊ばされた高い神様が、一足跳びに濃く鈍い物質の世界へ、その御分霊を植え付けることは到底出来ませぬ。神界から霊界、霊界から幽界へと、段々にその形態を物質に近づけてあったればこそ、ここに初めて地上に人類の発生すべき段取りに進み得たのであると申すことでございます。そんな面倒な手続きを踏んであってさえも、幽から顕に、肉体のないものから肉体のあるものに、移り変わるには、実に容易ならざる御苦心と、又殆ど数えることの出来ない歳月を閲したということでございます。一番困るのは物質というものの兎角崩れ易いことで、色々工夫して造ってみても、皆半端で流れてしまい、立派に魂の宿になるような、完全な人体は容易に出来上がらなかったそうでございます。その順序、方法、又発生の年代等につきても、或る程度まで神様から伺っておりますが、只今それを申し上げている暇はございませぬ。いづれ改めて別の機会に申し上げることに致しましょう。
 兎に角、現在の人間と申すものが、最初神の御分霊を受けて地上に生まれたものであることは確かでございます。もっと詳しく言うと、男女両柱の神々がそれぞれ御分霊を出し、その二つが結合して、ここに一つの独立した身魂が造られたのでございます。その際どうして男性女性の区別が生ずるかと申すことは、世にも重大なる神界の秘事でございますが、要するにそれは男女何れかが身魂の中枢を受け持つかで決まる事だそうで、よく気をつけて、天地の二神誓約の段に示された、古典の記録を御覧になれば大体の要領はつかめるとのことでございます。
 さて最初地上に生まれ出でた一人の幼子-無論それは力も弱く、智慧も乏しく、そのままで無事に生長し得る筈はございませぬ。誰かが傍から世話をしてくれなければとても三日とは生きておられる筈はございませぬ。そのお世話係がつまり守護霊と申すもので、蔭から幼児の保護に当たるのでございます。勿論最初は父母の霊、殊に母の霊の熱心なお手伝いもありますが、段々生長すると共に、ますます守護霊の働きが加わり、最後には父母から離れて立派に一本立ちの身となってしまいます。ですから生まれた子供の性質や容貌は、或る程度両親に似ていると同時に、又大変に守護霊の感化を受け、時とすれば殆ど守護霊の再来と申しても差し支えない位のものも少なくないのでございます。古事記の神代の巻に、豊玉姫からお生まれになられたお子様を、妹の玉依姫が養育されたとあるのは、つまりそう言った秘事を暗示されたものだと承ります。
 申すまでもなく子供の守護霊になられるものは、その子供の肉親と深い因縁の方・・・・・つまり同一系統の方でございまして、男子には男性の守護霊、女子には女性の守護霊が付くのでございます。人類が地上に発生した当初は、専ら自然霊が守護霊の役目を引き受けたと申すことでございますが、時代が過ぎて、次第に人霊の数が加わると共に、守護霊はそれ等の中から選ばれるようになりました。無論例外はありましょうが、現在では数百年前ないし千年二千年前に帰幽した人霊が、守護霊として主に働いているように見受けられます。私などは帰幽後四百年余りで、さして新しい方でも、又さして古い方でもございませぬ。
 こんな複雑な事柄を、私の拙い言葉で出来るだけ簡単に掻い摘んで申し上げましたので、さぞお判りにくい事であろうかと恐縮しておる次第でございますが、私の言葉の足りないところは、何卒あなた方の方でよきようにお察しくださるようお願い致します。

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 岩屋の修行中に私が自分の守護霊と初めて会ったお話を申し上げたばかりに、ツイこんな長談議を致してしまいました。こんな拙い話が幾分たりともあなた方の御参考になればこの上もなき幸せでございます。
 ついでに、その際私と私の守護霊との間に行なわれた問答の一部を一応お話致しておきましょう。格別面白くもございませぬが、私にとりましてはこれでも忘れ難い思い出の種子なのでございます。
 問『あなたが私の守護霊であると仰るなら、何故もっと早くお出ましにならなかったのでございますか?今迄私はお爺様ばかりを杖とも柱とも頼りにして、心細い日を送っておりましたが、もしもあなたのような優しい御方が最初からお世話をして下さったら、どんなにか心強いことであったでございましたろう・・・・』
 答『それは一応もっともなる怨み言であれど、神界には神界の掟というものがあるのです。あのお爺様は昔から産土神のお神使として、新たに帰幽した者を取り扱うことにかけてはこの上もなくお上手で、とても私などの足元にも及ぶことではありませぬ。私などは修行も未熟、それに人情味と言ったようなものが、まだまだ大変に強過ぎて、思い切って厳しい躾を施す勇気のないのが何よりの欠点なのです。あなたの帰幽当時の、あの烈しい狂乱と執着・・・・とても私などの手に負えたものではありませぬ。うっかりしたら、お守役の私までが、あの昂奮の渦の中に引き込まれて、いたずらに泣いたり、怨んだりすることになったかも知れませぬ。かたがた私としてはわざと差し控えて蔭から見守っているだけに留めました。結局そうした方があなたの身の為になったのです・・・・・』
 問『では今までただお姿を見せないというだけで、あなた様は私の狂乱の状態を蔭からすっかり御覧になってはおられましたので・・・・』
 答『それは勿論のことでございます。あなたの一身上の事柄は、現世に居った時のことも、又こちらの世界に移ってからの事も、一切知り抜いております。それが守護霊というものの役目で、あなたの生活は同時に又大体私の生活でもあったのです。私の修行が未熟なばかりに、随分あなたにも苦労をさせました・・・・・』
 問『まあ勿体無いお言葉、そんなに仰せられますと私は穴へも入りたい思いが致します・・・・。それにしてもあなた様は何と仰る御方で、そしていつ頃の時代に現世にお生まれ遊ばされましたか・・・・』
 答『改めて名乗る程のものではないのですが、こうした深い因縁の絆で結ばれている上からは、一通り自分の素性を申し上げておくことに致しましょう。私はもと京の生まれ、父は粟屋左兵衛と申して禁裡に仕えたものでございます。私の名は佐和子、二十五歳で現世を去りました。私の地上に居った頃は朝廷が南と北との二つに別れ、一方には新田、楠木などが控え、他方には足利その他東国の武士共が付き従い、殆ど連日戦闘のない日とてもない有様でした・・・。私の父は旗色の悪い南朝方のもので、従って私共は生前に随分数々の苦労辛酸を嘗めました・・・・』
 問『まあそれはお気の毒なお身の上・・・・・私の身に引き比べて、心からお察し致します・・・・。それにしても二十五歳で亡くなられたとの事でございますが、それまでずっとお独り身で・・・・・』
 答『独り身で居りましたが、それには深い理由があるのです・・・。実は・・・今更物語るのも辛いのですが、私には幼い時から許婚(いいなずけ)の人がありました。そして近い内に黄道吉日を選んで、婚礼の式を挙げようとしていた際に、不図起こりましたのがあの戦乱、間もなく良人となるべき人は戦場の露と消え、私の若き日の楽しい夢は無惨にも一朝にして吹き散らされてしまいました・・・。それからの私はただ一個の魂の脱けた生きた骸・・・・丁度蝕まれた花の蕾のしぼむように、次第に元気を失って、二十五の春に、寂しくポタリと地面に落ちてしまったのです。あなたの生涯も随分辛い一生ではありましたが、それでも私のに比ぶれば、まだ遙かに花も実もあって、どれだけ幸せだったか知れませぬ。上を見れば限りもないが、下を見ればまだ際限もないのです。何事も皆深い深い因縁の結果と諦めて、お互いに無益の愚痴などはこぼさぬことに致しましょう。お爺さまの御指導のお蔭で近頃のあなたはよほど立派にはなりましたが、まだまだ諦めが足りないように思います。これからは私もちょいちょい見回りに回り、ともども向上を図りましょう・・・・』
 その日の問答は大体こんなところで終りましたが、こうした一人の優しい指導者が見つかったことは、私にとりて、どれだけの心強さであったか知れませぬ。その後私の守護霊は約束の通り、しばしば私の許に訪れて、色々と有り難い援助を与えてくださいました。私は心から私の優しい守護霊に感謝しておるものでございます。

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 私の最初の修行場-岩屋の中での物語は一先ずこの辺で区切りを付けまして、これから第二の山の修行場の方に移ることに致しましょう。修行場の変更などと申しますと、現世式に考えれば、随分億劫な、何やらどさくさした、うるさい仕事のように思われましょうが、こちらの世界の引越しは至極あっさりしたものでございます。それは場所の変更と申すよりは、寧ろ境涯の変更、又は気分の変更と申すものかも知れませぬ。現にあの岩屋にしても、最初は何やら薄暗い陰鬱な所のように感ぜられましたが、それがいつとはなしに段々明るくなって、最後には全然普通の明るさ、少しも穴の内部という感じがしなくなり、それに連れて私自身の気持もずっと晴れやかになり、戸外へ出掛けてそぞろ歩きでもしてみたいというような風になりました。確かにこちらでは気分と境涯とがぴッたり一致しているもののように感ぜられます。
 ある日私がいつになく統一の修行に倦(あ)きて、岩屋の入口まで何とはなしに歩み出た時のことでございました。ひょっくりそこへ現れたのが例の指導役のお爺さんでした。-
 『そなたは戸外へ出たがっているようじゃナ』
 図星をさされて私は少し決まりが悪く感じました。
 『お爺さま、どういうものか今日は気が落ち付かないで困るのでございます・・・。私はどこかへ遊びに出掛けたくなりました』
 『遊びに出たい時には出ればよいのじゃ。ワシがよい場所へ案内してあげる・・・・』
 お爺さんまでが今日はいつもよりも晴々しい面持で誘って下さいますので、私も大変嬉しい気分になって、お爺さんの後について出掛けました。
 岩屋から少し参りますと、モーそこは直ぐ爪先上りになって、右も左も、杉や松や、その他の常盤木のしんしんと茂った、相当険しい山でございます。あの、現界の景色と同一かと仰るか・・・・・左様でございます。格別違ってもおりませぬが、ただ現界の山よりは何やら奥深く、神さびて、ものすごくはないかと感じられる位のものでございます。私達の辿る小路の直ぐ下は薄暗い谷になっていて、茂みの中を潜る水音が、微かにさらさらと響いていましたが、気のせいか、その水音までが何となく沈んで聞こえました。
 『モー少し行った所に大変に良い山の修行場がある』とお爺さんは道々私に話しかけます。
 『多分そちの気に入るであろうと思うが、兎も角も一応現場へ行ってみるとしようか・・・・』
 『どうぞお願い致します・・・・・』
 私はただちょっと見物する位のつもりで軽く御返事をしたのでした。
 間もなく一つの険しい坂を登り詰めると、そこはやや平坦な崖地になっていました。そして四辺にはとても枝ぶりのよい、見上げるような杉の大木がぎっしりと建ち並んでおりましたが、その中の一番大きい老木には注連縄が張ってあり、そしてその傍らに白木造りの、小さい建物がありました。四方を板囲いにして、僅かに正面の入口のみを残し、内部は三坪ばかりの板敷、屋根は丸味のついたこけら葺き、どこにも装飾らしいものはないのですが、ただ全てがいかにも神さびて、屋根にも、柱にも、古い苔が厚く蒸しており、それが塵一つなき、あくまで清らかな環境としっくり融け合っておりますので、実に何ともいえぬ落ち着きがありました。私は覚えず叫びました。-
 『まァ何という結構な所でございましょう!私、こんなところで暮らしとうございます・・・・』
 するとお爺さんは満足らしい微笑を老顔に湛えて、おもむろに言われました。-
 『実はここがそちの修行場なのじゃ。モー別に下の岩屋に帰るにも及ばぬ。早速内部へ入ってみるがよい。何もかも一切取り揃えてあるから・・・・』
 私は嬉しくもあれば、また意外でもあり、言われるままに急いで建物の内部へ入ってみますと、中央正面の白木の机の上には果して日頃信仰の目標である、例の御神鏡がいつの間にか据えられており、そしてその側には、私の母の形見の、あの懐かしい懐剣までもきちんと載せられてありました。
 私は我を忘れて御神前に拝跪(はいき)して心から感謝の言葉を述べたことでございました。
 大体これが岩屋の修行場から山の修行場へ引越した時の実況でございます。現世の方から見れば一片の夢物語のように聴こえるでございましょうが、そこが現世と幽界との相違なのだから何とも致し方がございませぬ。私共とても、幽界に入ったばかりの当座は、何やら全てが頼りなく、又呆気なく思われて仕方がなかったもので・・・。しかし段々慣れて来るとやはりこちらの生活の方が結構に感じられて来ました。僅か半里か一里の隣の村に行くのにさえ、やれ従者だ、輿物(のりもの)だ、御召換(おめしがえ)だ・・・・、半日もかかって大騒ぎをせねばならぬような、あんな面倒臭い現世の生活を送りながら、よくも格別の不平も言わずに暮らせたものである・・・。私は段々そんな風に感ずるようになったのでございます。何れ、あなた方にも、その味がやがてお判りになる時が参ります・・・。

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