ステッドの通信 目次
序説
スコット女史が自動書記能力を獲た経路
一 発端
二 幽界生活は第二のうまや
三 幽界居住者の姿
四 観念の世界
五 幽界通信の困難
六 幽界の消息
七 恐怖と真理
八 既成宗教は先駆者
九 科学的知識
十 背負っている殻
十一 押せば開く
十二 肉体の発酵事業
十三 不断の振動
十四 書籍ヌキの文学
十五 人間はただの操人形
十六 幽界の政庁
十七 第二の死の有無
十八 各天体からの寄せ集め
十九 より大なるものの信仰
二十 異性間の愛着
二十一 解放の日
二十二 音楽と心霊実験
二十三 トンネルの両面開掘
二十四 絶大なる透視能力
二十五 ジエレー博士の幽界に於ける努力
二十六 機会をつかめ
二十七 神と人との進化
二十八 過去も現在も同様に映ずる世界
二十九 物質の海に実在する自我
三十 過去と未来
三十一 胡桃(くるみ)割り
三十二 知識伝達法の改良
三十三 生命と性
三十四 ステッドの挨拶
カテゴリ:★『霊訓』 > ステッドの通信
序説
自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
これは[『霊訓』W・S・モーゼス著 浅野和三郎訳]に付録として付いていた文章です。
この復刻版の原本は、昭和13年11月、心霊科学研究会から出版されたものである。
ステッドの通信 序説
今回心霊文庫の第六篇として『ステッドの通信』を選びましたが、これは確かに大方の期待に添った処置と考えます。何となれば近年欧米に現れつつある無数の霊界通信中でも、この通信は嶄然(ざんぜん)として一頭地を抜いている観がありますから・・・。
御承知の通りウィリアム・テイ・ステッドは生前から熱心なる心霊研究家であり同時に又優秀な自動書記の能力者でもありました。現にその著作には『事実の幽霊談』『ジユーリアの通信』等不朽の名篇があります。不幸にしてステッドは1912年4月8日、渡米の途上タイタニック号の沈没と運命を共にしましたが、帰幽後に於ける彼の活動と言ったら実に素晴らしいもので、いやしくも気の利いた霊媒が見つかりさえすれば、彼はたちどころにこれに憑りて人間界に向かって通信を試みつつあります。
近年彼が狙いをつけたのは実にロンドンの閨秀(けいしゅう)作家ドウソン・スコット女史でした。女史の告白にもある通り、女史は近年しきりに自動書記能力の発達に苦心し、亡夫その他から首尾よく立派な通信を受け取ることに成功しましたが、ある日の実験に際して、俄然としてステッドからの通信に接したのであります。通信者はこの界の老大家、受信者はこの界の花形役者-これでは立派な通信が出来上がる筈です。前後併せて三十四章、何所にも一点の弛(たる)み、寸毫(すんごう)の無駄を発見し得ません。
私は本書が専門の心霊研究者はもとより、いやしくも思想問題、信仰問題に携わる、全ての方々に是非繙読(はんどく)して頂きたいと思います。必ずやそれ等の人達に幾多有益なる思索上の手懸りを与え、幼稚無用なる論争の大半を一掃することになるであろうと信じます。
昭和六年三月七日 浅野和三郎識
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
これは[『霊訓』W・S・モーゼス著 浅野和三郎訳]に付録として付いていた文章です。
この復刻版の原本は、昭和13年11月、心霊科学研究会から出版されたものである。
ステッドの通信 序説
今回心霊文庫の第六篇として『ステッドの通信』を選びましたが、これは確かに大方の期待に添った処置と考えます。何となれば近年欧米に現れつつある無数の霊界通信中でも、この通信は嶄然(ざんぜん)として一頭地を抜いている観がありますから・・・。
御承知の通りウィリアム・テイ・ステッドは生前から熱心なる心霊研究家であり同時に又優秀な自動書記の能力者でもありました。現にその著作には『事実の幽霊談』『ジユーリアの通信』等不朽の名篇があります。不幸にしてステッドは1912年4月8日、渡米の途上タイタニック号の沈没と運命を共にしましたが、帰幽後に於ける彼の活動と言ったら実に素晴らしいもので、いやしくも気の利いた霊媒が見つかりさえすれば、彼はたちどころにこれに憑りて人間界に向かって通信を試みつつあります。
近年彼が狙いをつけたのは実にロンドンの閨秀(けいしゅう)作家ドウソン・スコット女史でした。女史の告白にもある通り、女史は近年しきりに自動書記能力の発達に苦心し、亡夫その他から首尾よく立派な通信を受け取ることに成功しましたが、ある日の実験に際して、俄然としてステッドからの通信に接したのであります。通信者はこの界の老大家、受信者はこの界の花形役者-これでは立派な通信が出来上がる筈です。前後併せて三十四章、何所にも一点の弛(たる)み、寸毫(すんごう)の無駄を発見し得ません。
私は本書が専門の心霊研究者はもとより、いやしくも思想問題、信仰問題に携わる、全ての方々に是非繙読(はんどく)して頂きたいと思います。必ずやそれ等の人達に幾多有益なる思索上の手懸りを与え、幼稚無用なる論争の大半を一掃することになるであろうと信じます。
昭和六年三月七日 浅野和三郎識
スコット女史が自動書記能力を獲た経路
自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
スコット女史がいかなる経路を辿りて自動書記能力を発揮することになったか?-女史はその著述の中で率直に告白しておりますから、ここにその要点を抄訳して、本書を紐解かれる方々の御参考に供します。
私がどんな経路を辿りて死者から通信を受け取ることになったか、一つ率直に告白すべきだと考えます。
一体私は心霊現象の可能性につきて多年懐疑的態度を執って来たものであります。私は御同様ただ有り合わせの理屈を並べるのでした。こんな下らない人間の生涯が、肉体の滅びた後まで続くのですって・・・。御冗談でしょう。秋の木枯らしに吹き飛ばされた木の葉が再び来ん春に舞い戻りますか!あんまり勿体をつけ過ぎると却って滑稽なものになりはしませんか。
人類が猩々から進化したということはそれは事実かも知れない。この人間が更に一段の進化を遂げて一の超人間になることも或はあり得るであろう。が、過去はドシドシ過ぎ去ってそれっきり記憶から消えて行くのが事実ではないか!心霊現象などというものはあれは結局主観の産物に相違ない。現に心理学は全てを色々の精神状態、例えば幻覚、錯覚、催眠状態、等々に帰しているではないか・・・。
長い間こんな小理屈に捕えられていた私にも、とうとう少しずつ変化が起こって来ました。信念の兆して来るのは誠に遅く、丁度目に見えぬ塵埃がいつの間にやら積もるようなものらしい。それが積もり積もって、一朝俄然として我々は不可能が可能になったことを発見するのであります。最後に私の疑念を根底から一掃したのは所謂死者からの通信でした。丁度電話口で一人の友と対話するのと何の相違もない確実さは、これを拒否すべき一切の術を私が奪い去りました。『あなたは死んだのだからあなたと話をするのはバカバカしい』-そんな事を言ってみても一向始まらない。彼は現に存在し、そして彼の生前の特性をそっくり表現した言葉で、嬉しい、懐かしい通信を送ってくれるのですから何とも致し方ないのです。五感の証明なら或る場合にこれを疑ってもよいでしょう。我々の眼に昇ると見える太陽は実は動かずに、地球がその周囲を急速度で回転していることは事実です。が、一人の友が遠方からあなたに話しかける場合に、その音声、その人格、その談話の内容を規準としてそれが本人か否かを識別し得ないという事は全然あり得ません。殊にその人格が何よりも有力に物を言います。
こんな具合で私は霊界の存在並に死後個性の存続という事につきては確証を握りましたが、それでも他の諸々の心霊現象に対しては、私は一々懐疑の眼を向け、牛の歩みののろのろした前進を続けて行きました。『何とか他にも色々の解釈法がありそうだ・・・』常にそうした用心深い、もしくは煮え切らない態度を執りました。
私が初めて死者と交通を開いたのは卓子傾斜法によりました。卓子の彼方には活きた実在の人達が居って、我々と交通を開きたがっているのです。いよいよそれが事実に相違ないと認められた瞬間の、私の受けた衝動は正に絶大なものでした。私は驚き畏れて椅子に反り返った。死んだ者がチャンと生きているのですもの・・・、そして死んだ者からの通信を立派に受け取れるのですもの・・・。
勿論この卓子通信法は甚だ不満足なものではありました。それが我々の潜在意識の産物でないことは判っても、その通信内容がいかにも貧弱で彼我の意思の疎通が不充分でありました。何ぞもっと完全な装置はないものか-私はその事ばかりに心を苦しめるようになりました。
こんなに近くて、しかもこんなに遠い。そのじれったさは誠に言語に絶えました。譬えてみれば、丁度親友に手を差し延べると、その中間に幕が降りたようなものです。しかもその幕は言声を包む幕で、相互の言葉がはっきり通じないのです。私のような性急者にはそれが到底満足し切れませんでした。相互の交通が出来るというならそれは是非直截(ちょくせつ)で、明瞭で、そして確証的でなければ駄目だ。共同電話みたいに誰でも利用し得るまでにならなければ嘘だ・・・。
なので私は他界の住人達に質問を発しました。私に果たして心霊能力があるか?もしも能力があるものなら、これを発達せしめて彼我の間に、より完全な交通を開くことは出来まいか?
するとその返答はこうでした。彼方の世界でも顕幽交通の困難に打ち勝とうと正に全力を挙げている。熱心家は誰彼を問わずこの仕事に加入するがよい。とりあえずあなたはお書きなさい。
つまり私がやるもやらないとも言わないのに、他界からは早くも自動書記をせよとの号令がこの私にかかった訳なのです。その後私が研究の為にどこかの交霊会に出席する毎に決まり切って、汝は自動書記をやるのだと命ぜられました。
一体書くことは私の職業ですから、それはお易い御用ですが、そんな事で物質界と霊界との交通を簡単化し得るか否かは少々心細く思われました。が、こちらから贅沢を言うべきでないと思い、早速その準備に取り掛かりました。
私は大型の滑らかな紙を買い求め、それをピンで止めるべき適当な板を捜しました。それには製図版が誂え向きだが、そんなものは手元にありません。色々と工夫の結果、台所にあった料理板を使うことにしました。私は一枚の紙をそれにピン止めにして、その前に座を占め、手には軽く鉛筆を握りました。鉛筆は最黒色のものを選び、成るべく細く削りました。出来るだけ心を空虚にして、軽く鉛筆を持って待つこと暫くにして、意外々々!私の手は自分自身以外の或物によって動かされ始め、何やら紙面に微かなる痕跡を造って行く。あちらへ行ったり、こちらへ曲ったり、自分の手にしてしかも自分の手にあるまじき行動を執る。とうとう紙の末端に達してピタリと止まって、待っている。これは行を変えるのだ-私はそう気が付きました。私の手を動かしている何物かは決して私を無視している訳ではなく、私との共同作業を期待しているらしいのです。私は歓んでその命令に服従しました。
何という興味深い冒険でしょう!
が、書き終わって読み返してみた時にいささかがっかりしました。何となればそれはただ金釘の連続に過ぎず、所々にミミズみたいなものが混じっているだけでしたから・・・。
こんな大騒ぎ、こんな絶大の期待の結果がただ金釘の連続!その時の私の気分は丁度初めて登校した就学児童のそれでした。前途の希望は相当大きいが実際自分に直面したものはただ苦しい手ほどきでした。
私は椅子にもたれてとくと考えました。もしも続いて刻苦努力すれば出来ないものでもなかろうが、自分に果たしてそれだけの時間の余裕があるだろうか。私位の中年のお婆さんになれば中々用事が多いのだから・・・。
最後に私は毎朝少許の時間をこの仕事に割くことに決心し、規則正しく金釘の稽古を始めました。規則正しくと言っても、私は天使ではありませんから、時として遅々たる進歩に愛想を尽かし、料理板を台所に逆送して、こんな事はきれいさっぱりと忘れてしまおうとしたことも何回かありました。
が、それも出来ませんでした。いつの間にやら楽天的希望と言ったようなものが湧いて来て、書いてみたくてしようがなくなる・・・。一日二日と経つ中に、とても制止し切れなくなるのです。その衝動が外部から来るのか、それとも我々を無意識から有意識に導いた、人性固有の向上的意念の働きによるものかは私には判り兼ねます。
私に言わせると祈祷だの断食だのというのはドウも忍耐力の別名のようです。私が辛抱強く稽古をしている中に、最初大きな曲線であったものが次第に小型になり、とうとうそれが立派に読み得る文字になり、そしてある日曜の朝に一つの言葉を綴ったのです。その時の私の驚喜満足がいかに多大であったかは何卒お察しください。とうとうモノになりかけたのですもの・・・。
しかし、それはホンの手ほどきで、たった一語が一句位のものでした。鉛筆を動かしてくれている霊魂というのは、訊いてみるとそれは私の亡夫で、しきりに私を激励してくれました。現界を後にしてからの亡夫は、天使みたいな忍耐力を獲得したものと見え、私のような、がっかりし易くて、じれったがり屋で、そして疑り深い人間を、根気よく誘導してくれるのでした。
が、こんな短所だらけの人間でありながらも私は進歩しました。切れ切れの片言がやがて繋がりの文章となり、兎も角も通信を受け取るようになりました。その頃は自分の親戚の人達からの通信ばかりでした。何れも親切に私みたいな我儘者の努力に興味をもって援助を与えてくれました。その後私が自由自在に通信を受け得るようになったのは、主としてこれ等の人達が練習させてくれた賜と信じています。
それにしても自動書記は私にとりて中々捗々しく行かない難事業でした。後には手で文字を綴る前に、その形が私の胸に印象されるようになり、更に後になると、思想が映るようになりましたが、最初は中々そうは行かず、ゆっくりと一文字一語を綴るのでした。思想が映るようになってからは自分で勝手にその思想に衣裳を着せればよいのですから非常に楽でした。もっとも時にはしっくりと思想に合った文句が見つからず、幾時間も筆を停めていることもありはしましたが・・・。
他界からの音信は直ぐそれを言葉に書き留めないと、時としてその筋道を見失うことがあって困りました。後で訊き直してみても、教えられることもあるし、又教えられないこともあるし、あてになりません。これは私の記憶力が鈍いせいでもありましょうが、ドウも外界から伝えられる思想はつるつる滑って保持し難きところが確かにあります。迅速に書き留めないと崩壊して消えがちです。
但し自動書記には機械的でない他の反面があります。つまり書く人の心の準備で、それは平板や鉛筆の準備以上に必要です。
通常私は朝食後直ぐに座ることにしました。ですから午前九時と十時の間に邪魔をする電話の憎らしさったらありません。自分はその間是非ともたった一人で心を平静にしていなければならないのです。そうしておいて心の中から雑念妄想を払い除ける。
あなた方も心を空虚にしようと試みられたことがお有りですか?中々容易な仕事ではありませんネ。四方八面から色々の思想が突入して来て、空っぽにしておこうと思う場所を占領する。それ等を一方に押し出してやると、そのお代わりが直ぐ他方から飛び込んで来る。私はありとあらゆる方法を講じてこれ等の邪魔者を駆除すべく試みました。ある時は一つの池を想像し、それに注意を集中して、一生懸命池の縁に近付く者を追い返しました。或る時は階段の上に自分自身を据え付け、扉を拝して昇って来る雑念小僧や妄想娘に鎮め出しを喰わせようとしました。が、私にとりて最も有効な統一法は或る一つの文句を作り、心の中でそれを色々違った書体で書き換え書き換えすることでした。私はそれで漸く自分の心を空白に保つことに成功しました。
そうして準備した心の空白に一つの文句がポカリと映ると、私は大急ぎでそれを書き下ろします。それが私の自動書記の初期で、当時はただ断片的に通信を受け取るのみでした。従って次にいかなる文句が続くかは少しも判らず、それが却って興味をそそる点でもありました。『これで果たして何等かの意味を為すかしら・・・』そう思っていると忽ち奇想天外式の文句が続いて私を驚喜せしめるのでした。
私はそれ等の通信を保存しておきましたが、やがて積もり積もって厚ぼったい草稿になりました。それが『四人の死者から』の前半です。それまでは私の自動書記は皆親族の霊魂達から送られたものでした。が、ある日バーチングトンの友達と卓子の前に座った時に、まるで赤の他人の霊魂が現れました。我々の思想が彼に達したので、それに応じて手伝いに来たというのです。それが取りも直さずダブルユー・テイ・ステッドでした。
が、卓子の傾斜ではドウも思う壺にはまりませんので、私はとうとう側の霊示的筆写法で通信を受け取ることに致しました。
心をすっかり空虚にして静かに座っていると、間もなく長い文句が私の心眼にありありと映じ出しました。それは光で出来上がった蛇そのまま、ねじれたり、くねったり、結ぼれたり解けたりしています。私は勇気を鼓してやっとそれを書き取りました。
ステッドの教える所によれば、彼が我々の心に印象しようと思う思想が、つまり右の文字になるのだそうです。『四人の死者から』の後半はそうして出来ました。ステッドの通信を受け取るに当たりて私は随分と自分の心胸の奥の奥まで祓い清め、彼を失望させまいと努力しました。私は現世でステッドとは一度も会いませんでした。私は彼が高き理想の人物であることは知っていましたが、彼の書いたものは一行も読んだことがなく、彼が死後の生命の存続を宣言しつつあった際などには、てっきりそれは謬見だと確信し切っていました。
その後私は他界の存在に関してステッドと同一線上を歩むようにはなりましたものの、しかし彼の信ずる事柄で私が信じ得ないものは沢山ありました。これは現在でもその通りです。彼の人生観、又人生を取り巻く不可思議事象の解釈等は、ドウも私の解釈と食い違った所があります。が、私は彼からの通信を受け取ることには歓んで応じました。彼の意見に賛成だろうが、賛成でなかろうが、兎も角も私は彼の言わんと欲する所を取り次ぎすることにしました。彼も又それで満足してくれました。それは私にとりて甚だ有益な練習でもあり、又興味ある仕事でもあった。何となれば私自身にドウしても承認し得ない意見でも、それがいかに合理的であり得るかを示してくれたことが一再でなかったから・・・。私はステッドが生前書いたものを一切読んだことがなく、又その経歴も殆ど知らないと申しましたが、私はあくまでその無知を続ける方がよいと考えました。ですから『四人の死者から』がいよいよ出版された時には筆者たる私の心痛たらありませんでした。
あれは私の観念が生んだシロモノではないかしら・・・。あの中に盛られた思想は結局私の潜在意識の現われではないだろうか・・・。夢-出鱈目-人気取り-そう思われはしないだろうか・・・。
私は不安な心地で世間の評論を待ちました。ところが意外にも世間はあの通信を認めてくれました。ステッドの旧友達は、あの中に盛られた思想は、正にステッドのに相違ないと折り紙を付けてくれました。米国のその批評家などは『ジユーリアの通信』を思い出させるとまで褒めてくれました。
それに元気をつけられて私は霊界通信業を止めようとする気にならず、とうとうその後ステッド以外の他の霊魂とも取引を開くようなことになってしまいました・・・。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
スコット女史がいかなる経路を辿りて自動書記能力を発揮することになったか?-女史はその著述の中で率直に告白しておりますから、ここにその要点を抄訳して、本書を紐解かれる方々の御参考に供します。
私がどんな経路を辿りて死者から通信を受け取ることになったか、一つ率直に告白すべきだと考えます。
一体私は心霊現象の可能性につきて多年懐疑的態度を執って来たものであります。私は御同様ただ有り合わせの理屈を並べるのでした。こんな下らない人間の生涯が、肉体の滅びた後まで続くのですって・・・。御冗談でしょう。秋の木枯らしに吹き飛ばされた木の葉が再び来ん春に舞い戻りますか!あんまり勿体をつけ過ぎると却って滑稽なものになりはしませんか。
人類が猩々から進化したということはそれは事実かも知れない。この人間が更に一段の進化を遂げて一の超人間になることも或はあり得るであろう。が、過去はドシドシ過ぎ去ってそれっきり記憶から消えて行くのが事実ではないか!心霊現象などというものはあれは結局主観の産物に相違ない。現に心理学は全てを色々の精神状態、例えば幻覚、錯覚、催眠状態、等々に帰しているではないか・・・。
長い間こんな小理屈に捕えられていた私にも、とうとう少しずつ変化が起こって来ました。信念の兆して来るのは誠に遅く、丁度目に見えぬ塵埃がいつの間にやら積もるようなものらしい。それが積もり積もって、一朝俄然として我々は不可能が可能になったことを発見するのであります。最後に私の疑念を根底から一掃したのは所謂死者からの通信でした。丁度電話口で一人の友と対話するのと何の相違もない確実さは、これを拒否すべき一切の術を私が奪い去りました。『あなたは死んだのだからあなたと話をするのはバカバカしい』-そんな事を言ってみても一向始まらない。彼は現に存在し、そして彼の生前の特性をそっくり表現した言葉で、嬉しい、懐かしい通信を送ってくれるのですから何とも致し方ないのです。五感の証明なら或る場合にこれを疑ってもよいでしょう。我々の眼に昇ると見える太陽は実は動かずに、地球がその周囲を急速度で回転していることは事実です。が、一人の友が遠方からあなたに話しかける場合に、その音声、その人格、その談話の内容を規準としてそれが本人か否かを識別し得ないという事は全然あり得ません。殊にその人格が何よりも有力に物を言います。
こんな具合で私は霊界の存在並に死後個性の存続という事につきては確証を握りましたが、それでも他の諸々の心霊現象に対しては、私は一々懐疑の眼を向け、牛の歩みののろのろした前進を続けて行きました。『何とか他にも色々の解釈法がありそうだ・・・』常にそうした用心深い、もしくは煮え切らない態度を執りました。
私が初めて死者と交通を開いたのは卓子傾斜法によりました。卓子の彼方には活きた実在の人達が居って、我々と交通を開きたがっているのです。いよいよそれが事実に相違ないと認められた瞬間の、私の受けた衝動は正に絶大なものでした。私は驚き畏れて椅子に反り返った。死んだ者がチャンと生きているのですもの・・・、そして死んだ者からの通信を立派に受け取れるのですもの・・・。
勿論この卓子通信法は甚だ不満足なものではありました。それが我々の潜在意識の産物でないことは判っても、その通信内容がいかにも貧弱で彼我の意思の疎通が不充分でありました。何ぞもっと完全な装置はないものか-私はその事ばかりに心を苦しめるようになりました。
こんなに近くて、しかもこんなに遠い。そのじれったさは誠に言語に絶えました。譬えてみれば、丁度親友に手を差し延べると、その中間に幕が降りたようなものです。しかもその幕は言声を包む幕で、相互の言葉がはっきり通じないのです。私のような性急者にはそれが到底満足し切れませんでした。相互の交通が出来るというならそれは是非直截(ちょくせつ)で、明瞭で、そして確証的でなければ駄目だ。共同電話みたいに誰でも利用し得るまでにならなければ嘘だ・・・。
なので私は他界の住人達に質問を発しました。私に果たして心霊能力があるか?もしも能力があるものなら、これを発達せしめて彼我の間に、より完全な交通を開くことは出来まいか?
するとその返答はこうでした。彼方の世界でも顕幽交通の困難に打ち勝とうと正に全力を挙げている。熱心家は誰彼を問わずこの仕事に加入するがよい。とりあえずあなたはお書きなさい。
つまり私がやるもやらないとも言わないのに、他界からは早くも自動書記をせよとの号令がこの私にかかった訳なのです。その後私が研究の為にどこかの交霊会に出席する毎に決まり切って、汝は自動書記をやるのだと命ぜられました。
一体書くことは私の職業ですから、それはお易い御用ですが、そんな事で物質界と霊界との交通を簡単化し得るか否かは少々心細く思われました。が、こちらから贅沢を言うべきでないと思い、早速その準備に取り掛かりました。
私は大型の滑らかな紙を買い求め、それをピンで止めるべき適当な板を捜しました。それには製図版が誂え向きだが、そんなものは手元にありません。色々と工夫の結果、台所にあった料理板を使うことにしました。私は一枚の紙をそれにピン止めにして、その前に座を占め、手には軽く鉛筆を握りました。鉛筆は最黒色のものを選び、成るべく細く削りました。出来るだけ心を空虚にして、軽く鉛筆を持って待つこと暫くにして、意外々々!私の手は自分自身以外の或物によって動かされ始め、何やら紙面に微かなる痕跡を造って行く。あちらへ行ったり、こちらへ曲ったり、自分の手にしてしかも自分の手にあるまじき行動を執る。とうとう紙の末端に達してピタリと止まって、待っている。これは行を変えるのだ-私はそう気が付きました。私の手を動かしている何物かは決して私を無視している訳ではなく、私との共同作業を期待しているらしいのです。私は歓んでその命令に服従しました。
何という興味深い冒険でしょう!
が、書き終わって読み返してみた時にいささかがっかりしました。何となればそれはただ金釘の連続に過ぎず、所々にミミズみたいなものが混じっているだけでしたから・・・。
こんな大騒ぎ、こんな絶大の期待の結果がただ金釘の連続!その時の私の気分は丁度初めて登校した就学児童のそれでした。前途の希望は相当大きいが実際自分に直面したものはただ苦しい手ほどきでした。
私は椅子にもたれてとくと考えました。もしも続いて刻苦努力すれば出来ないものでもなかろうが、自分に果たしてそれだけの時間の余裕があるだろうか。私位の中年のお婆さんになれば中々用事が多いのだから・・・。
最後に私は毎朝少許の時間をこの仕事に割くことに決心し、規則正しく金釘の稽古を始めました。規則正しくと言っても、私は天使ではありませんから、時として遅々たる進歩に愛想を尽かし、料理板を台所に逆送して、こんな事はきれいさっぱりと忘れてしまおうとしたことも何回かありました。
が、それも出来ませんでした。いつの間にやら楽天的希望と言ったようなものが湧いて来て、書いてみたくてしようがなくなる・・・。一日二日と経つ中に、とても制止し切れなくなるのです。その衝動が外部から来るのか、それとも我々を無意識から有意識に導いた、人性固有の向上的意念の働きによるものかは私には判り兼ねます。
私に言わせると祈祷だの断食だのというのはドウも忍耐力の別名のようです。私が辛抱強く稽古をしている中に、最初大きな曲線であったものが次第に小型になり、とうとうそれが立派に読み得る文字になり、そしてある日曜の朝に一つの言葉を綴ったのです。その時の私の驚喜満足がいかに多大であったかは何卒お察しください。とうとうモノになりかけたのですもの・・・。
しかし、それはホンの手ほどきで、たった一語が一句位のものでした。鉛筆を動かしてくれている霊魂というのは、訊いてみるとそれは私の亡夫で、しきりに私を激励してくれました。現界を後にしてからの亡夫は、天使みたいな忍耐力を獲得したものと見え、私のような、がっかりし易くて、じれったがり屋で、そして疑り深い人間を、根気よく誘導してくれるのでした。
が、こんな短所だらけの人間でありながらも私は進歩しました。切れ切れの片言がやがて繋がりの文章となり、兎も角も通信を受け取るようになりました。その頃は自分の親戚の人達からの通信ばかりでした。何れも親切に私みたいな我儘者の努力に興味をもって援助を与えてくれました。その後私が自由自在に通信を受け得るようになったのは、主としてこれ等の人達が練習させてくれた賜と信じています。
それにしても自動書記は私にとりて中々捗々しく行かない難事業でした。後には手で文字を綴る前に、その形が私の胸に印象されるようになり、更に後になると、思想が映るようになりましたが、最初は中々そうは行かず、ゆっくりと一文字一語を綴るのでした。思想が映るようになってからは自分で勝手にその思想に衣裳を着せればよいのですから非常に楽でした。もっとも時にはしっくりと思想に合った文句が見つからず、幾時間も筆を停めていることもありはしましたが・・・。
他界からの音信は直ぐそれを言葉に書き留めないと、時としてその筋道を見失うことがあって困りました。後で訊き直してみても、教えられることもあるし、又教えられないこともあるし、あてになりません。これは私の記憶力が鈍いせいでもありましょうが、ドウも外界から伝えられる思想はつるつる滑って保持し難きところが確かにあります。迅速に書き留めないと崩壊して消えがちです。
但し自動書記には機械的でない他の反面があります。つまり書く人の心の準備で、それは平板や鉛筆の準備以上に必要です。
通常私は朝食後直ぐに座ることにしました。ですから午前九時と十時の間に邪魔をする電話の憎らしさったらありません。自分はその間是非ともたった一人で心を平静にしていなければならないのです。そうしておいて心の中から雑念妄想を払い除ける。
あなた方も心を空虚にしようと試みられたことがお有りですか?中々容易な仕事ではありませんネ。四方八面から色々の思想が突入して来て、空っぽにしておこうと思う場所を占領する。それ等を一方に押し出してやると、そのお代わりが直ぐ他方から飛び込んで来る。私はありとあらゆる方法を講じてこれ等の邪魔者を駆除すべく試みました。ある時は一つの池を想像し、それに注意を集中して、一生懸命池の縁に近付く者を追い返しました。或る時は階段の上に自分自身を据え付け、扉を拝して昇って来る雑念小僧や妄想娘に鎮め出しを喰わせようとしました。が、私にとりて最も有効な統一法は或る一つの文句を作り、心の中でそれを色々違った書体で書き換え書き換えすることでした。私はそれで漸く自分の心を空白に保つことに成功しました。
そうして準備した心の空白に一つの文句がポカリと映ると、私は大急ぎでそれを書き下ろします。それが私の自動書記の初期で、当時はただ断片的に通信を受け取るのみでした。従って次にいかなる文句が続くかは少しも判らず、それが却って興味をそそる点でもありました。『これで果たして何等かの意味を為すかしら・・・』そう思っていると忽ち奇想天外式の文句が続いて私を驚喜せしめるのでした。
私はそれ等の通信を保存しておきましたが、やがて積もり積もって厚ぼったい草稿になりました。それが『四人の死者から』の前半です。それまでは私の自動書記は皆親族の霊魂達から送られたものでした。が、ある日バーチングトンの友達と卓子の前に座った時に、まるで赤の他人の霊魂が現れました。我々の思想が彼に達したので、それに応じて手伝いに来たというのです。それが取りも直さずダブルユー・テイ・ステッドでした。
が、卓子の傾斜ではドウも思う壺にはまりませんので、私はとうとう側の霊示的筆写法で通信を受け取ることに致しました。
心をすっかり空虚にして静かに座っていると、間もなく長い文句が私の心眼にありありと映じ出しました。それは光で出来上がった蛇そのまま、ねじれたり、くねったり、結ぼれたり解けたりしています。私は勇気を鼓してやっとそれを書き取りました。
ステッドの教える所によれば、彼が我々の心に印象しようと思う思想が、つまり右の文字になるのだそうです。『四人の死者から』の後半はそうして出来ました。ステッドの通信を受け取るに当たりて私は随分と自分の心胸の奥の奥まで祓い清め、彼を失望させまいと努力しました。私は現世でステッドとは一度も会いませんでした。私は彼が高き理想の人物であることは知っていましたが、彼の書いたものは一行も読んだことがなく、彼が死後の生命の存続を宣言しつつあった際などには、てっきりそれは謬見だと確信し切っていました。
その後私は他界の存在に関してステッドと同一線上を歩むようにはなりましたものの、しかし彼の信ずる事柄で私が信じ得ないものは沢山ありました。これは現在でもその通りです。彼の人生観、又人生を取り巻く不可思議事象の解釈等は、ドウも私の解釈と食い違った所があります。が、私は彼からの通信を受け取ることには歓んで応じました。彼の意見に賛成だろうが、賛成でなかろうが、兎も角も私は彼の言わんと欲する所を取り次ぎすることにしました。彼も又それで満足してくれました。それは私にとりて甚だ有益な練習でもあり、又興味ある仕事でもあった。何となれば私自身にドウしても承認し得ない意見でも、それがいかに合理的であり得るかを示してくれたことが一再でなかったから・・・。私はステッドが生前書いたものを一切読んだことがなく、又その経歴も殆ど知らないと申しましたが、私はあくまでその無知を続ける方がよいと考えました。ですから『四人の死者から』がいよいよ出版された時には筆者たる私の心痛たらありませんでした。
あれは私の観念が生んだシロモノではないかしら・・・。あの中に盛られた思想は結局私の潜在意識の現われではないだろうか・・・。夢-出鱈目-人気取り-そう思われはしないだろうか・・・。
私は不安な心地で世間の評論を待ちました。ところが意外にも世間はあの通信を認めてくれました。ステッドの旧友達は、あの中に盛られた思想は、正にステッドのに相違ないと折り紙を付けてくれました。米国のその批評家などは『ジユーリアの通信』を思い出させるとまで褒めてくれました。
それに元気をつけられて私は霊界通信業を止めようとする気にならず、とうとうその後ステッド以外の他の霊魂とも取引を開くようなことになってしまいました・・・。
一 発端
自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
1926年のある寒き二月の午後、スコット女史は、その二人の心霊友達と卓子を囲みて、交通実験を試みた。別に誰の霊魂を呼んでみようという考えもなく、ただ習慣的に祈祷の文句を述べたのであった。すると間もなく、卓子が非常に断乎たる態度で傾き出した。
かねて規定の符徴を用いて卓子が綴った文字はWSTの三字であった。これでは何の意味だか判らぬので、三人は卓子に憑れる霊魂に向かって抗議を申し込み、今の文字は何かの誤謬ではないかと言った。しかし卓子はさもじれったそうに再び綴ったが、それは依然としてWTSTであった。
三人は色々相談したがやはり判らない。ままよ卓子の好きなように、動かせてみようという事になった。すると今度はもっと丁寧にW.T.STEAD.と立派に綴った。
こうなっては最早疑いの余地がない。これは有り難いと三人は有頂天になって歓んだ。が、念の為に訊いた。『あなたは本当にステッドさんですか?』-すると卓子はそれに相違なき旨を肯定した。
ところで右の三人は何れも生前ステッドとは赤の他人であった。『彼がポール・モール・ガゼット』紙の主筆であったこと、『評論之評論』誌の創立者であったこと、位はよく知っていたがただ一度の面識さえなかった。
ステッドの霊魂は三人の研究を助けるべく現れて来た旨を告げて、こんな注意を与えた。
『心を平静にしていなさい。出来るか、出来ないか、判らないが、私から通信を送ってみます。丁度写真みたいに・・・』
しかし三人の精神状態はその日余り昂奮していたので、さっぱり要領を得られなかった。ステッドはさも失望したらしく、『ドウもあなた方の心が緊張し過ぎていて困る。明日やり直しをしましょう』と綴った。
翌日の卓子実験も甘く行かなかった。で、その時スコット女史は自動書記で通信を試みてくれないかとステッドの霊魂に請求した。『宜しい』という返答なので、女史は二月二十五日の午前を以っていよいよ自動書記の実験を行なった。すると早速ステッドからの通信が現れた。最初のは至極簡単なものであった。-
ステッド『私はここに居ります』
女史『ドウしてあなたは私達の所へお出でくだすったのです?』
ステッド『あなた方が求めたからです。私はあなた方の思想に触れ、それに応じたまでです。あなた方は私の名前を覚えていて歓迎してくれました。私は前回、あなた方の心に、一つの通信を印象しようとしたが成功しませんでした。私の通信というのはこんなものでした。-求めよ、然らば与えられん。捜せよ、然らば見出されん。叩けよ、然らば開かれん』
こんな事がきっかけでスコット女史を通じて、ステッドの興味ある自動書記の通信が出現することになったのであった。
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
1926年のある寒き二月の午後、スコット女史は、その二人の心霊友達と卓子を囲みて、交通実験を試みた。別に誰の霊魂を呼んでみようという考えもなく、ただ習慣的に祈祷の文句を述べたのであった。すると間もなく、卓子が非常に断乎たる態度で傾き出した。
かねて規定の符徴を用いて卓子が綴った文字はWSTの三字であった。これでは何の意味だか判らぬので、三人は卓子に憑れる霊魂に向かって抗議を申し込み、今の文字は何かの誤謬ではないかと言った。しかし卓子はさもじれったそうに再び綴ったが、それは依然としてWTSTであった。
三人は色々相談したがやはり判らない。ままよ卓子の好きなように、動かせてみようという事になった。すると今度はもっと丁寧にW.T.STEAD.と立派に綴った。
こうなっては最早疑いの余地がない。これは有り難いと三人は有頂天になって歓んだ。が、念の為に訊いた。『あなたは本当にステッドさんですか?』-すると卓子はそれに相違なき旨を肯定した。
ところで右の三人は何れも生前ステッドとは赤の他人であった。『彼がポール・モール・ガゼット』紙の主筆であったこと、『評論之評論』誌の創立者であったこと、位はよく知っていたがただ一度の面識さえなかった。
ステッドの霊魂は三人の研究を助けるべく現れて来た旨を告げて、こんな注意を与えた。
『心を平静にしていなさい。出来るか、出来ないか、判らないが、私から通信を送ってみます。丁度写真みたいに・・・』
しかし三人の精神状態はその日余り昂奮していたので、さっぱり要領を得られなかった。ステッドはさも失望したらしく、『ドウもあなた方の心が緊張し過ぎていて困る。明日やり直しをしましょう』と綴った。
翌日の卓子実験も甘く行かなかった。で、その時スコット女史は自動書記で通信を試みてくれないかとステッドの霊魂に請求した。『宜しい』という返答なので、女史は二月二十五日の午前を以っていよいよ自動書記の実験を行なった。すると早速ステッドからの通信が現れた。最初のは至極簡単なものであった。-
ステッド『私はここに居ります』
女史『ドウしてあなたは私達の所へお出でくだすったのです?』
ステッド『あなた方が求めたからです。私はあなた方の思想に触れ、それに応じたまでです。あなた方は私の名前を覚えていて歓迎してくれました。私は前回、あなた方の心に、一つの通信を印象しようとしたが成功しませんでした。私の通信というのはこんなものでした。-求めよ、然らば与えられん。捜せよ、然らば見出されん。叩けよ、然らば開かれん』
こんな事がきっかけでスコット女史を通じて、ステッドの興味ある自動書記の通信が出現することになったのであった。
二 幽界生活は第二のうまや
自殺ダメ
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
ステッド『私はここに居りますよ。(小休止)私は全力を挙げてやってみましょう。あなたは幽界の状況を知ろうとしていなさる』
女史『ただそれのみではありません。私はあなたの通信を活用して、肉体の死が生命の終わりでないことを、世人に知らせたいのです』
ステッド『それなら始めましょう。私は生前から死後生命の存続に関する心の準備を有っていました。が、それが現在私が送りつつある、こんな生活ぶりであろうことは夢想だもしませんでした。私は生前こう考えていた-人間は死んだら直ぐ神と直接交通を行い、自分自身の下らない利害損失の念などは振り棄てて、礼拝三昧、賛美歌三枚に浸るであろうと。思うにそうした時代も或は究極に於いて到着するかも知れません。しかし現在の我々はまだそれを距ること甚だ遠い。
人間の地上生活は言わば一のうまや(律令制で、諸道の30里(約16キロ)ごとに置かれた施設)、我々の進化の最初のうまやに過ぎない。現在の私の幽界生活は第二のうまやである。我等はまだ不完全である。我等はまだ個々の希望欲念を脱却し得ない。我等は依然として神に遠い。
要するに宇宙は私の想像していたよりも遙かに広大無辺であり、その秩序整然たる万象の進展は真に驚嘆に値するものがある。何事に対しても絶大の責任を有たるる神様は益々私には有り難く思われます』(二月二十二日)
(自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)
ステッド『私はここに居りますよ。(小休止)私は全力を挙げてやってみましょう。あなたは幽界の状況を知ろうとしていなさる』
女史『ただそれのみではありません。私はあなたの通信を活用して、肉体の死が生命の終わりでないことを、世人に知らせたいのです』
ステッド『それなら始めましょう。私は生前から死後生命の存続に関する心の準備を有っていました。が、それが現在私が送りつつある、こんな生活ぶりであろうことは夢想だもしませんでした。私は生前こう考えていた-人間は死んだら直ぐ神と直接交通を行い、自分自身の下らない利害損失の念などは振り棄てて、礼拝三昧、賛美歌三枚に浸るであろうと。思うにそうした時代も或は究極に於いて到着するかも知れません。しかし現在の我々はまだそれを距ること甚だ遠い。
人間の地上生活は言わば一のうまや(律令制で、諸道の30里(約16キロ)ごとに置かれた施設)、我々の進化の最初のうまやに過ぎない。現在の私の幽界生活は第二のうまやである。我等はまだ不完全である。我等はまだ個々の希望欲念を脱却し得ない。我等は依然として神に遠い。
要するに宇宙は私の想像していたよりも遙かに広大無辺であり、その秩序整然たる万象の進展は真に驚嘆に値するものがある。何事に対しても絶大の責任を有たるる神様は益々私には有り難く思われます』(二月二十二日)