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カテゴリ:★『霊訓』 > 霊界通信の種々相

霊界通信の種々相 目次

本書編纂につきて

霊界通信の種々相

人間と心霊界との関係

諸君は何を求めてここに来れるか?

宇宙の摂理

自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 これは、『[霊訓]W・S・モーゼス著 浅野和三郎訳』の巻末に付録として付いていた文章であります。これはモーゼスとは無関係の、別の霊媒に憑依して語った高級霊の言葉です。

 これは、昭和十五年四月、心霊科学研究会出版部より出版された〝霊界通信の種々相〟の一部を復刻したものである。なお、原文は、Psychic Press,Ltd.(London)のTwo Worldsに掲載された、Robert James Leesのものである。

 本書編纂につきて

 本書は亡弟和三郎が、昭和六年より、同十年十月に至る間に於いて、英国の心霊雑誌、著書等より随時抄訳して雑誌に掲載せるものの中から、十篇を集録せるものであります。その中『太陽神とその神政』は、所謂霊界通信ではありませんが、『宇宙の摂理』などと密接な関係がありますので、便宜抄録することに致しました。
 何と申しましても、心霊学の最も発達しているのは英国であります。この点は遺憾ながら認めぬ訳には参りません。従って参考とすべきものも又少なくない訳です。そしてこれ等通信を通じて窺われることは、通信に関与する顕幽両界の人々が、慨して真面目で謙虚な態度を持しておられることです。これは英国政治方面のやり方などとは、全く趣を異にするものと考えられます。
 我が国に於ける心霊研究は日猶浅く、霊媒を通じて現れるところの通信に対し、研究的態度を以って臨むことが、兎角行なわれない傾向にあります。それには霊媒としての訓練、これに対する人達の心構え等、今後研究訂正さるべき点多々ある事が痛感されます。
 これに抄録せる通信の中には、内容の優れているものがあると同時に、その方面に対しても、好参考となるものもあることを信じます。他方に於いて、我が国では、強いて心霊事実に眼を塞がんとするものが、宗教畑にも、学界にも、今猶瀰漫している状態に在りますが、何時迄も呉下の阿蒙家を以って過ごせるものでもないから、早晩心霊に目覚める時節が到来することでしょう。その暁に、他界の居住者達を、直ちに神仏扱いにして、結局顕幽交通を堕落せしむることにならぬとも限らぬ虞があります。そんな場合にも、これ等通信は、充分参考にする価値あることを疑わないものであります。

 昭和十四年十二月

 浅野和三郎

 ここには十篇を収録したもの、となっていますが、この著作集では、[太陽神とその神政]等を割愛し、[パワーと語る]他四篇を集録しました。

自殺ダメ


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 霊界通信の種々相

 浅野和三郎訳

 パワーと語る

 『ツー・ワールズ』紙の記者であるジェームス・リー氏は、先般来現界並に霊界の名士を歴訪して、その会見記事を誌上に連載している。同誌の快諾を得て、その中の一部を紹介する。

 モリス夫人の支配霊パワーが、近代神霊主義の史上に、一新紀元を画すべき、重要な存在であると思考する人士は、ロンドン市内にも沢山居りますが、全く無理もありません。パワーの業績たるや、殆ど前代未聞と言ってよい位です。
 なので私はイの一番に、このパワーに白羽の矢を立て、その専用霊媒であるモリス夫人との会見を、保護者たるカウエン氏に申し込みました。一体パワーは面会が嫌いで、従来交霊会の席上に出現した事などは、ただの一度もない。で、モリス夫人の擁護圑の人々さえも、単に公開講演の壇上で、パワーに接するだけでありました。が、私の請求は、幸にもパワーの容るる所となり、或日の夕、ごく少数の仲間で、会見を遂げる段取りになりました。出席者はカウエン氏、モリス夫妻、及び私の四人だけで、場所はモリス夫人のフラットでした。
 賛美歌を唄っている中に、霊媒は見る見る人格が転換して行きました。その顔は長目に硬ばりその頭部は昂然と高く聳え、その両手は折り襟をつかみ、賛美歌が済んだ時には、パワーとして知られている他界の存在者が、もう我々の眼前に出現して、言葉を切らんとしていました。
 暫く沈黙-俄然として例の冴えた、凛々たる名調子が、室内の静寂を破りて響き出でました。
 『自分のみで勝手に喋るよりも』と、彼は語り始めました。『寧ろあなたの質問に答えることにしましょう。その方がドウも効果が多いらしい』
 待ってましたとばかりに、私はそれから早速質問を連発しました。
 問『では御言葉に甘えてお尋ねします。第一に、あなたの帯びておられる、特殊の使命が何であるか、先ずそれを伺いたい。つまり他の支配霊達の使命と、何れの点に於いて相違しているか・・・』
 答『自分がこの霊媒と接触を保つことになったのは、彼女の幼少の時代のことであるが、自分の役目は、最初から個人的のものではなく、多数の代表者としての資格を以って、人類全般に呼びかくのである。つまり地上の人類に向かって、一切の宗教の普遍性を説き、キリストの大神霊が、全ての大中心であることを、はっきり認識させたいのが眼目なのじゃ・・・』
 問『キリストの大神霊と申しますと?』
 答『キリストの大神霊とは、言うまでもなく太陽系の司宰神じゃ。キリストの神霊は、一切の宗教の教師達を通じて現れておられるが、必要とあれば、あなたの体にも現れることが可能である。現在スピリチュアリズムが、一般人士から歓迎されないのは、その教義の中に、キリストが除外されていると誤解されている為で、霊界から観ていると、その辺の消息がよく判るのである。イエスでも、マホメットでも、釈迦でも、実は皆キリスト神の使徒なのじゃ。人類一般に、キリストの大神霊に対する理解が出来るようになれば、現在の世界の不和争闘は、立派に中止されるのじゃが、容易にそこまで進まんので困る。いかに説いても、耳を塞いで聴こうとせんものがあるので困る・・・』
 問『あなたの使命は、他にもお有りでしょうな?』
 答『あります。神霊主義・・・・つまり死後生存の真理の普及に向かって、奮闘しつつある人達に、宗教的自由を確保してやりたいのじゃ。多くの人達は、まだ我々のやり方につきて、疑惑を有っている。殊に自分がパワーという仮名を用い、本名を名乗らんのが、不審に堪えぬらしい。が、本名を名乗らぬのには、そこに一応の理由がある。それは自分が衆意の代表者である為のみでなく、実は今回裁判事件の到来を、予知していた為でもあるのじゃ。『パワーと名乗るは一体誰か?』きっとその身元調査が始まるに相違ない。その際いかにこちらが努力して、その証拠を挙げようとも、賢(さか)しぶりたる当局者達が、大人しくこれを受け容れる筈は絶対にない。きっと何とか彼とか智慧を絞って、嘲笑軽侮の材料を見つけ出すに相違ない。そうなれば、却ってこの道に疵をつけることにもなる。かたがた自分は、あくまでパワーで押し通して、生前の本名を名乗ろうとはしなかった。つまり自分としては、これが予定の行動なのじゃ』
 問『今回の裁判が、不結果に終わることは、前以て御判りになっておりましたか?』
 答『そりァ最初から、霊界の上層の方々には、よく判っていた。地上の人々は、今回の不起訴を以って失敗と考え、失望の意を漏らしているようであるが、それが果たして失敗というべきものであろうか?地上の人達は、専ら物質的見地からのみ、この問題を考察するが、他にも色々の見地があることを忘れてはならぬ。成る程神霊主義が、当局者から認められなかったのは、通俗の意味からいえば、確かに失敗であろうが、この裁判の為に、神霊主義に対する一般の注意が、猛烈に喚起されたことからいえば、確かに成功と称してもよいのである。先ず神霊主義者に対する当局の不当の処置、それがどれだけ神霊党の為に、世間の同情を博することになったか知れぬ。次に各自がその信奉する教義の為に勇往邁進して、少しも権力と、僻見(へきけん)とに動かされなかった天晴の態度、それがどれだけ一般の尊敬を贏ち得たか知れぬ。あなた方は、今後ますます屈せず、撓まず、英国の有する最高法院にまで、事件を提出せねばならぬ。無論他の権力、他の半官とても、同様にこの道の前進を阻害しようとするのであろう。が、それはかねて覚悟の前であらねばならぬ。いかにあなた方が苦難に遭うとも、結局信教の自由は、立派にあなた方の手中に帰する時が来る・・・。今回の裁判事件は、永遠に信仰史上の標柱となるのである・・・。人間の法律には、やがて変動の時が来る。しかもそれは余り遠き未来の事ではない。無論この事件を、最高の法院までもたらすには、多大の経費を要するであろうが、しかしそれは是非とも敢行してもらいたい。それは単に信仰上の自由を獲得すべき、必要の手段であるのみならず、民衆の心に、この道に対する興味を巻き起こすべき、有用の手段でもある。いかに無関心な人達でも、スピリチュアリズムが、ここまで突き詰めたことをやるにつけては、必ずそこに、価値ある何物かが伏在するに相違ないと思うであろう』
 問『法廷で黒白を争うことにつきて、苦々しく考えるものがないでしょうか?』
 答『それは必ずある。あるに相違ない。法廷に於ける論難攻撃は、神の道に協ったやり方ではないと、そう思考するものが、相当多数存在することは事実であろう。が、それは楯の半面の見方に過ぎない。見よイエスは、二千年前に、そうしたやり方の模範を示したではないか!平和は時として、交戦の結果として見出される。この戦いは、ひとり人類のみの戦ではない。霊界にも多数の協力者が控えている。最後の勝利、最後の自由が獲得さるるのは、結局霊界の後援があるからじゃ』
 問『少しく今後の世の中につきて伺いたいもので・・・』
 答『今後の世の中は、スピリチュアリズムによりて救なわれるのじゃ。これより外に、済度の途は絶対にない。自分にはその事がよく判っているが、そう断言して憚らないのじゃ。無論一切の既成宗教は、人類進化の途上に於いて、それぞれの用途、それぞれの使命を有っていた。世の中には無用の長物は、ただの一つもない。悉く目的があったればこそ、そうしたものが発生もしているのじゃ。が、流転は万物の常で、あなた方は、今や新時代の開拓者たる位置を占めている。宗教は永遠に滅びはせぬが、ただ対抗戦に日もこれ足らざる既成宗教団体のやり方は、決して永くは続かない。全世界を通じて、ただ一つの宗教しかないという認識は、日ならずして到来する。そうしてその只一つの宗教というのは、天地自然の法則そのままを包括せる、スピリチュアリズムに外ならないのである。但しこの事は極めて大切な事柄であるから、誤解のなきように願いたい。宗教がただ一つという事は、既成宗教の全てを排斥することではない。スピリチュアリズムの大旗幟(きし)の下には仏教徒も、イスラム教徒も、又キリスト教徒も、悉く安住が出来る。各宗教の宗祖達は、それぞれの特長を以って、悉くスピリチュアリズムの網領中の部分々々を、実行実現すべく努めたのである。キリストの大神霊は、公平に各宗の祖師達を通じて、その教を垂れ給うたのである。ただ全てを総合し、全てを統一した時に、初めてキリストの大神霊の教の全体が窺われる・・・』
 問『霊媒が入神後援を行なうに当たり、実際どの程度まで、あなたのお力が加わりますか?』
 答『御承知の通り、霊媒の頭脳の取り扱いには、まだ多少の困難を感じているが、しかしその中に、自分の意思を発表する為には、少しの不便も感じなくなると思う』
 問『あなた方が、スピリチュアリズムに興味を感じた最初の動機は、何でありましたか?あなたは現世生活中から、この問題に関係されていたのですか?』
 答『イヤイヤ少しもそんな事はなかった。自分はただ宗教問題に興味を有っていたのじゃ・・・』
 問『すると死後に於いて初めて、スピリチュアリズムの問題に触れたので・・・?』
 答『帰幽後自分は依然として宗教とか、人生の目的とかいったような問題に、心を惹かれていました。その中自分は、天使ミカエルの麾下(きか)に属した。ミカエルの部下に属するということは、取りも直さず戦闘・・・真理の普及の為の戦闘に従事することで、その縁故から自分は、自然スピリチュアリズムの為奮闘することになった。ここに居らるる我等の兄弟(コウエン氏を指しつつ)とても、つまりは我等同人の見立てた人物なのじゃ。渾身の熱誠を込めて、側目も振らず猛進する、その意気組が気に入ったのじゃ。一旦真理の光に接するが最後、この人の前進を立ち塞ぐべき何物もない。この人の性格は、本人自身よりも、却って自分達が一層よく知っている。この人には真理の為、道の為に、驀地(ばくち)に進む熱がある。火がある。現在自分が使用する二つの道具-霊媒と霊媒の保護者-の性格に、多大の相違があるのを見て、不思議に思うものがあるかも知れぬが、少しく考えれば、少しも不思議ではない。一長一短互に相補いつつ、こちらの仕事を進めるのじゃ』
 問『心霊界には、近き将来に於いて、何ぞ重要な進歩が起こりますか?』
 答『起こります。・・・・つまりこれまでにも幾回か述べた通り、一つの機械が発明され、それによりて顕幽両界の間の交通が、現在よりも一層簡単化するのじゃ。それが出来れば、人体を借りずとも通信が出来る・・・』
 問『パワーさん、それは又飛んでもないお話ですナ。すると人間の霊媒能力、全然不用になりますのですナ』
 答『右の機械というのは、丁度現在の無線と同様に使用さるるのじゃ。尚その外にも、まだ新しい現象が起こります。外でもない、それは人間の第六感が、行く行く発達を遂げることで、その暁に於いては、霊界の存在は問題ではなくなる・・・。つまり霊界は最早理論ではなくして、事実と化するのじゃ。現在人間は五感で限られているが、今後数代を重ねる中に、別にモ一つ感覚が加わるのである』
 問『イヤ色々有難う存じました。終わりに臨み、たった一つ伺っておきたい。もしもあなたが、これきりで通信を打ち切るという場合に臨んだら、人間界に対するあなたの最後の通信は、どんなものでありますか?』
 答『そう改まって最後の通信は何かと訊かれると、自分もちょっとまごつきます。・・・・格別劇的な返答も出ませんナ・・・。イヤありますあります。(何事を措きても、爾等先ず神の王国を求めよ)-自分が人間界に向かって放送する最後の通信は、先ずこの言葉でしょうナ』
 それからパワーは霊媒に対して、あくまで心を平静に持つようにと、色々懇切な注意を与えることを忘れませんでした。やがて終わりの祈祷を述べ終わると、繊弱(せんじゃく)な霊媒の全身に、ブルブル!と戦慄が起こり、それっきりパワーは体から離れ去りて、後には日頃のつつましやかな、モリス夫人が残りました。
 もしもこんな不思議現象が、寺院の内にでも起こったなら、全キリスト教を震駭(しんがい)せしめたでありましょうが、神霊論者の間で、こんな事は尋常茶飯事に過ぎません。私達は平気な顔をして、それから晩餐の食卓に就いたのでした。(ジェームス・リー)

自殺ダメ


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 左記は二千年前地上に生活したと称する古代霊パワーが、現代入神講演者として、世界的霊名を馳せつつある英国の名霊媒、ミューリック・モリス夫人を通して、地上の人類に呼びかけた、大講演の筆記である。その着眼のいかに高邁であり、又その熱情のいかに熾烈であるかを観よ。

 世にも強烈なるは、人間が感覚に対する執着性である。彼等は、言わば五感の奴隷である。眼に見えないもの、耳に聞こえないもの、手に触れないもの等に対して、大多数の人間は、片端から、これを無用の長物視する傾向を有している。が、この物質の世界は、多くの世界の中の、ただ一つの世界に過ぎない。人間は単に物質の舞台に登場するに留まらず、他の色々の舞台にも、登場せねばならぬ運命を有っているのである。
 私共のように、死の関門を通過したものには、物質的存在と、超物質的存在との、相互交錯の模様がよく判る。宇宙内部は、決してたった一と色の、物質的なもののみを以って成立する訳のものではない。その内面には、物質以上のものが、無数に充満しており、そして人間は、同時にそれ等の全てと交渉を有しているのである。悲しい哉人間の五感は、お粗末千万のお道具であるので、微妙精緻な霊的事実を捕える力がなく、その結果、人世の最大重要事を等閑視して、しばしば取り返しのつかぬ失敗、錯誤に陥ることにもなる。我々具眼者・・・つまり人間以上の視力の所有者から見れば、全く危くて黙視するに忍びない。なので、私のような、人間世界に興味を失わないものが、霊媒と称する敏感者を通じて、地上の子孫と交通を開き、以っていささか道案内の役を買って出ることにもなるのであります。
 過去に現れた大導師達と同じく、現代人とても、その心掛け次第で、いくらでも心眼は開けて来る。道を求める誠意さえあれば、彼は生きながら、道そのものの体現者となれるのである。全ては心の眼が開くか、開かないかで決まる。一旦心の眼が開きさえすれば、濶然として、より大なる世界が眼前に展開し、地上の人類の為に、深き憐れみと、厚き同情を以って、全て獻げることを辭せざる、優れた霊界居住者の群との、密接なる交渉も成立する。人間とは、比較にならぬ程立ちまされる洞察力のお蔭で、彼等は地上の人類に向かって、いかに近く襲来すべき難局を打開すべきかを指示する能力を備えている。そもそも難局とも何か?他でもない、それは人類の意念、欲望の集積が作り上げた結果である。全ての人類はどうあっても、逃げることの出来ない、一つの原則-苦難の法則に縛られている。苦難によりて獲得された、貴き経験-これ以外に、人類の解放は、到底望むべくもないのである。
 何れの時代、何れの民族間にも、それぞれの宗教があり、又それぞれの導師がある。彼等の表現する真理は皆美しく、彼等のもたらす教には、大なる欲心と、希望とが充ち充ちている。が、悲しい哉人間には、物的欲望と、下劣なる排他的感情とがあり、為に各宗教宗派の間には、いつしか不和、争闘、猜忌、反感が伴った。それが従来人類の大なる悩みである。優れたる他界の居住者達には、この真相がよく判っているので、彼等は宗教問題に関して、世界の全人類を統一融合せしむべく、最大の努力を惜しまないと同時に、人生最大の神秘である所の、『自我』の問題の解決に向かって、懇切なる指導を惜しまないのである。人間が切実に本具の面目を求むる時こそ、宇宙人生の統一原理-神の観念が、初めてはっきりと捕捉し得る時なのである。
 汝は汝自身の認識力を通じてのみ、外界を知ることが出来る。甲の観る世界と、乙の観る世界とは、しばしば根本的に相違する。他なし、その観点が全然相違しているからである。汝の使用する機関を通じてのみ人生を知り、人生を理解するのである。従って汝にとりて最大の急務は、先ず汝自身を知ることである。自我の神秘を解決し得た時に於いてのみ、汝は初めて宇宙人生を語る資格が出来る。ここでくれぐれも銘記すべきは、肉体のみが、決して人間の有する唯一の重要機関ではないことである。科学はこの点に関して、既に有力なる幾多の暗示を与えつつあるが、今後科学の進歩と共に、人間に超物質的エーテル体が具わることは、必ずはっきりと証明されて来る。それはただ時日の問題に過ぎない。人間というものは、一方物質の世界に住むと同時に、他方超物質の世界-換言すれば、感情の世界、理性の世界、叡智の世界にも住むのである。従って人間は、これ等微妙精巧なる心の機関につきて、充分の研究、充分の理解を必要とする。何となれば人類は、それ等の機関を浄化し、又活用することによりてのみ、人生千古の宿題たる平和と、幸福とを、地上に実現せしむることが出来るからである。
 かの地上の人類を悩ました、世界大戦の勃発は、そもそも何に起因したか?他なし、破壊的思念の集積の結果である。世界の人類は、尚その悪影響の下に呻吟しつつある。果たして然らば、思念の世界が、いかに人生に至大の影響を有するかは、極めて明白ではないか!で、何は措いても地上の人類は、先ずその心を清め、破壊的思念に換ゆるに、建設的思念を以ってせねばならない筈である。人類にして、努めて倦むなくんば、優れたる霊界の居住者達は、右に関する知識を与えるに、決してケチなるものではない。ここに霊界との交通をば、出来るだけ開拓せねばならぬ最大の理由がある。死の彼岸に住む霊達は、悉く汝等の隣人である。彼等が何よりも切実に希望する所は、信仰の融合統一である。従来地上の宗教界は、その不和争闘が、あまりにも烈しかった為に、心ある人士は、悉く袂を連ねて無神論に走り、又懐疑論に走った。彼等としては、各宗教の信仰間に存在する憎しみと、怨みとを、正視するに忍びなかったのである。
 この宗教宗派の争いが、或る程度、死の彼岸にも続くことは事実である。が、それは地上の執着と、煩悩とから離脱し得ざる、未熟霊の仕業である。霊界の上層に進めば、最高の統一原理-ただ一の神的実在と、秩序整然たる神霊界の認識が、全般的に行き亘ってしまっている。在来の何れの大宗教としても、結局皆それを捕えてはいるのであるが、ただ程度の深浅、名称の異同等に煩わされた結果、排他主義の奴隷になってしまったのである。一旦這間の真相が、人々の心に閃くと同時に、人類はここに初めて真の自由、真の解放の域に達し、全面的に大自然の大道理を受け容れることが出来て来る。

 建設と破壊

 現代人の多くは、最早キリスト教の教理教条を、そのまま受け容れることが出来なくなっているが、しかしあの信仰にも、その用途が全然ないではない。多数の善男善女が、あれに依りて、或る程度の安心立命を求め得るのであるから、強いて彼等の信仰を破壊するにも及ばないのである。又いかにこれを破壊しようとしたところで、容易にこれが出来るものでない。丁度幼稚園の生徒が、簡単卑近な御伽話で、無上の満足を味わうようなものである。が、無論それが最後のものであってはならない。真のキリストは宇宙的神的キリストであって、断じて地上の一個人の独占すべきものでも何でもない。大自然律の裏には、大自然律の制定者があり、そしてその制定者の下には、それぞれの執行者が控えている。ここに組織が生じ、職分が定まるのであるが、唯物質界の観念を、そっくりそのまま、神霊の世界に当てはめる事は誤りである。超物質界に於いて、優れた智慧を獲たものの懐く職分の観念は、物質界の人士の懐く職分の観念よりも、比較にならぬ程深刻である。物心両面の世界を左右する不可思議の威力、これが腑に落ちた時に、初めて高級の霊達の職分が認められ、続いて宇宙神の実在が認められる。全て物質界と超物質界とを区別するものは、ただ意識の障壁に過ぎない。意識が拡大すれば、又意識の使用する諸種の媒体が発達すれば、その障壁は立所に撤廃される。勿論死によりて、肉体と物質界との間の交通は止んでしまう。が、その瞬間に、魂の機関である所の、エーテル体が活動を起して、即座に新しき環境との交通を開拓する。かるが故に、各自の魂が十二分の発達を遂げさえすれば、あらゆる世界の障壁は、悉く撤廃され、座ながらにして顕幽を達観し、三世を通覧することになるのである。
 キリスト教の創立者である所のイエス、彼は正にこの宇宙原理の顕彰者の一人に相違ないと思う。ただ今日の人類の知識の程度、又今日の人類の生活の状態は、二千年前とは天地の相違である。ここに指導方針の大変更を必要とする。今後に来るべきは、どうあっても、一切の既成宗教宗派に超越し、全ての長所を採り入れると同時に、全ての短所を棄てたものであらねばならない。一つの民族には当てはまるが、他の民族には当てはまらず、一つの階級には誂え向きだが、他の階級には役に立たないと言ったような、そんな偏狭な、そんな融通性の乏しい教理では、どうにもならない。全てに共通の、大司宰神の信仰の下に、全人類が融合一致して、意義ある生活を営むことが出来るのでなければ、我等の大精神運動-神霊主義の出現の理由が、全然見出されないことになるといえる。

 戦雲

 兎に角そう言った大変動は早晩必ず到来するに決まっている。我々には、その予言が出来る。何となれば我々には、人生の大局を達観し、現在地の世界に低迷する、暗雲の彼方を透見する力が具わっているからである。
 私は先の大戦が、破壊思想の集積であったと述べた。
 我々から観れば、又もや地の世界は暗雲に鎖されている。が、我々はそれを眺めて、敢えて悲観はしない。何となれば苦難によりてのみ、初めて大なる慈悲が養われ、又苦難によりてのみ、初めて争闘の愚なることが、痛切に人の心に浸み込むからである。地上一切の民族、一切の人種は、この神の大計画に参与して、応分の役割を演ぜねばならない。全て破壊ありて建設、立替ありての建て直しである。人類の進化は、単にこの筆法によりてのみ得られる。
 諸君はこの神の大計画の一分担者であるから、諸君の存亡は、偏にこの神の大理想に順応すると、否とによりて決する。
 記せよ、諸君は一人残らず、宇宙の神的実在の一分子であるから、真の解放の目的が達せられるまでは、どうあっても苦難を甘受せねばならぬ。で、この際我々霊界居住者としての使命は、ひとり世界の各宗教の統一を期すのみでなく、同時に地上の人類に、切実有効なる実行的指針を伝え、以って天下の老若をして、その向かう所を知らしめることである。
 インドの釈迦も強調した通り、人間によりて何より大切なことは、見性の一事である。明智の開発である。心眼の打開である。これが単なる口頭禅でなしに、いよいよ実行上に現れたとすれば、古来世界の大導師達によりて○(漢字不明)彰された、神の実在が初めて判り、同時に神の支配の下に、それぞれ経綸の衝に当たる、偉大なる神々の指教と、保護とに浴することが出来て来るのである。現在この未曾有の、大試練の前に立つ地上の人類にとりて、これ以外に、又これ以上に、切実有効なる実効的指針はないと思う。

自殺ダメ


 (自殺ダメ管理人よりの注意 この元の文章は古い時代の難解な漢字が使用されている箇所が多数あり、辞書で調べながら現代で使用するような簡単な漢字に変換して入力しています。しかし、入力の過程で、間違える可能性もあります故、どうかご了承ください)

 諸君は何を求めてここに来れる?

-モリス夫人の入神講演の要旨-

 入神講演家として、現在英国の天地を震撼せしめつつあるミューリッグ・モリス夫人は、本年五月六日の夜、マンチェスター市のホールズウォース講堂で、数千の聴衆を前にして、『諸君は何を求めてここに来れるか』という標題で、約四十分間に亘りて大講演を行なった。無論それは同夫人の支配霊、『パワー』と名乗る男性の霊魂の演説であって、同夫人は単にその体を支配霊に貸していたに過ぎない。
 『もしも諸君が「パワー」を信じないとすれば、諸君はモリス夫人が現代、否恐らくは全ての時代を通じての、最も卓絶した婦人雄弁家であることを承認せねばなるまい』
 ブリストル市の『イヴニング・ワールド』紙が、かく賛美している如く、モリス夫人の入神講演は、よほど非凡なもののようである。夫人が演壇に現れたる風采は、楚々として露をも厭うような按配らしいが、やがて瞑目少時にして、椅子から立ち上がった瞬間には、その人格はすっかり転換しており、堂々たる男子の態度で、着ているビロード服のリボンを鷲掴みにして、深味のある次低言で喋り出すのだそうである。左に右の講演の要旨を紹介する。-

 パワーの演説

 私の今夕の演題は、『諸君は何を求めてここに来れるか?』というような事にしておきます。諸君は人類として、自分を取り巻く、驚くべき自然界の美を注視されているのでありましょう。諸君は四季の往来を御覧になった。諸君は『不思議』と言わねばならぬ万象の裡に生活された。が、最初からこれ等に親しんでいる為に、諸君はそれ等を当然の事柄と思考されるようになった。
 私は物心づくと同時に、絶えず人生の真意義を見出すべく研究を進め、その結果、萬有の裡に表現する所の、或る偉大なる力の実在を認識することになりました。その偉大なる力は、古来『神』という名称で呼ばれていたが、神の観念は、時代によりて、人の心が変化するにつれて変化し、なので、宗教と信仰とは、人類の発達に伴いて、変化する性質のものであると称せらるるに至ったのであります。
 太古の未開時代にありては、人々はその偉大なる力を捜した結果、一神を崇拝する代わりに、多くの神々を崇拝したが、やがて歳月の経過につれて、それ等は全て合流して、ただ一つの人格神となった。科学の盛んなる現代にありては、更に又思想の変化が起こり、神は一切の萬有中に内在する所の、一の力であると思考さるるに至りました。
 我々は偉大なる文明が生まれては、又滅び行くのを見た。我々は偉大なる体系が組織されては又崩壊し行くのを見た。それは悉く人類の発達が然らしむるのであります。が、人類の発達とは、そもそも何事を意味しますか?人類の形態が、時代を通じて発達したという意味か?それとも何等か他に発達を遂げたものがあるであろうか?そもそも物質界は、ただ一つの偉大なる力の、外面的表現に過ぎない。換言すれば、無形の力が有形化したものに過ぎない。で、人類が進化の道程を辿る間に、形態的に顕著なる変化を遂げたことは事実であるが、しかし真に宗教的に、又真に科学的に考察することを知らない人々には、人間の真相は、到底判り得ない或る物のようであります。
 私がかく思い切ったことを申し上げるのは、死と称する関門を潜った為に、私の視界が前日に比して、遙かに拡大したが為であります。私には人生の真の大目的が、何であるかが判るようになった。私には何が為に、諸君が地上に発生したかの理由を洞察し得るようになった。私には画一主義が絶対に誤謬であること、しかし統一協調主義が、宇宙の真理である事が充分腑に落ちて来た。
 我々は諸君に一つの宗教を提供するのみならず、一つの精神科学をも提供しようとするもので、幸いにも諸君がこれに拠ってくださらば、諸君の地歩は、高き磐石の基礎の上に置かるることでありましょう。
 人類を強くさせる最大の秘訣は、人類の負担すべき大なる責務を、明確に認識させることであります。
 ところで現在諸君が接触しつつある所のキリスト教-あの教は、明らかに二元的観念の上に立っております。他にあらず、それが善と悪との対立的存在を認めることです。これは非常な損失だと思います。今夕私はここに現れて、断乎として諸君にかく呼びかけます。曰く善も悪も共に同根より出で、ただ両者の間に、程度の差異が存在するのであると。宇宙間にはただ一つの力しかない。悪とはただ無智の別名に過ぎないもので、もし魂が向上発達すれば、悪はそれにつれて諸君から離れ去ります。人間には、ただ物質的肉体が存在するばかりでなく、魂の用ゆるエーテル体がある。そのエーテル体は肉体の内部に浸透している。が、しかし全然独立した別個の存在で、その属する他界の組織元素と同一であることは、丁度肉体が物質元素から成立していると同様である。
 御承知の通り、生命は到底不滅で、どんな道徳上の罪人でも、やはり死後の生存を続けます。どんな罪人でも、どんな無神論者でも、その点に相違はない。滅びたいと望んでも、そればかりはとても出来ない相談である。なので、死の彼岸に於いて、ドウすれば最大の幸福に浴し、最高の歓喜に浸り得るかという問題に逢着するのですが、それは結局、生活の様式如何に係わるのであります。心霊科学の支持する所によれば、諸君は地上の生活中、時々刻々、諸君のエーテル体を築きつつあるので、エーテル体は要するに、肉体のそっくりそのままの模写に外ならない。神霊主義の神髄に触れていない方には、何故にそのエーテル体が肉眼に見えないかを怪しむでしょうが、それはガラスの杯の中の微生物であります。顕微鏡の力を借りなければ、諸君は微生物を見ることが出来ない。これと同様に、魂の力を借りなければ、諸君はこのエーテル体を見ることが出来ないのであります。
 もしも我々が、所謂神と称する偉大なる実在の一部分であることを知れば、完全円満の成果をもたらすべき可能性が、自己に内在する事を自覚し得るでしょう。そして経験の上に経験を積み重ねることによりて、我々は最後に、一の神人となるべき資格があることを認め得るでしょう。が、それは全然各自の心懸け一つにかかります。私共の使用するエーテル体は、魂の大なる働きを表現するに適応した、一種の要素から成ります。諸君は地上の物質で出来上がった肉体を有っています。地上の生活には、地上生活相当の欲望があり、要求があります。時とすれば、諸君は知らぬが仏で、大自然の法則を無視した行動を執り、その必然の結果として、苦悩を味わいます。が、もしも諸君が自然の法則に順応しさえすれば、肉体を通じて現れる神の意思の表現に、一点の齟齬はないのです。
 人が完全の域に達するのは、独り経験によるのみです。真の人格は、常に外観の背後に控えております。それは丁度夜光の珠が、その包被の奥に隠れているが如きものであります。が、人が一旦豁然として、天国が自己の内部に存在することの真理を暁った暁に於いては、その結果は、いかに驚嘆に値するでしょう。彼は地上に生を営みながら、一切の萬有と一つであるのみならず、死の関門の彼方に住む人達とも、一身同体であるでありましょう。
 過去に現れた、一切の啓示もそうであったが、近代神霊主義も又、人類救済の一の大使命を果たすことになります。宇宙間にただ一つの力、ただ一つのエネルギーしか存在しないこと、従って一切の事物はその一つの力の表現に過ぎないこと、従ってその力が正しき方向に用いられるにあらずんば、必然的に自分自身の破滅をもたらすべきこと。-この真理が諸君の心胸に徹する為に、近代神霊主義は発生したのであります。
 こうした思想上の大変動は、各人個々の努力によらなければ、到底実現の見込みはない。試みに活眼を開いて、現在世界の大勢を御覧ください。国民的見地に立ちて、事物を観察する代わりに、諸君はそろそろ国際的見地から、事物を観察せんとしかけておるではありませんか。やがて諸君はそうした見方すらも、尚余りに弱小過ぎることを感ずることになるでしょう。兎に角大きく求むる際に、大きな答が現れます。人類現下の大目標は、世界人類の同胞的精神の発露であります。
 尚諸君にとりて、当面の問題は、物質科学に接触したと同様に、心霊科学に接触することであります。霊媒能力が世界に於いて最大の用途を見出すのは、一般に精神的大覚醒が普及してから後の事に属します。ここで一言御注意までに、霊媒現象がドウして発生するかを申し上げたい。これは人類が、多くの媒体を持っているからであります。諸君は物質的肉体を有すると同時に、科学者の所謂エーテル体をも併せ有します。霊媒現象が起こるのは、結局このエーテル体が存在するからで、エーテル体には、大体二つの用途があります。第一は肉体の原子構造を擁護する任務、第二はこれを以って、他界の居住者と交通連絡を講ずる任務であります。
 近代神霊主義の使命は、実に重大であります。それが統一協調の大原則を人類に教えただけでも、実に偉大なる業績で、世界平和の関鍵(かんけん)は、全然これにかかっております。又この真理が充分に徹底する事によりてのみ、思想の大道は、初めて各方面に開通します。今夕私はこの婦人の肉体を借りて、所信の一端を披瀝しましたが、ここではお暇を告げるに先立ち、御一緒に魂の交流を試みようではありませんか。(そう言って『パワー』は短き祈祷の文句を述べ、それが終わると、モリス夫人は間もなく常態に復した)。

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