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カテゴリ:★『新樹の通信』 > 新樹の通信

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 前回の通信を受け取ってから間もなき昭和五年一月四日、午前九時頃に、彼の父は又亡児を呼び出して訊ねました。-
 「あれから汝はお母さんの守護霊を訪問したか?」
 亡児は頗る元気良く答えました。--
 「ええ早速訪問しました。つまりいつかの約束を実行した訳なのです」
 そう言って彼はポツリポツリその際の状況を物語るのでした。--
 「この訪問については、僕は無論前以て指導役のお爺さんの了解を求めておきました。お爺さんは、それは結構だと言って、大変喜んでくれました。
 僕は現世に居た時のようにやはり洋服を着て出掛けました。元から僕は他を訪問する時にはちゃんとした風をして行くのが好きで、その心持はこちらへ来たって少しも変わりません。ナニその時の僕の姿ですか・・・・では早速お母さんの霊眼にお目にかけます・・・・。
 後で彼の母の物語るところによれば、生前愛用の渋味のある茶っぽい洋服を一着に及び、細いステッキを携えた新樹の身軽な扮装が、鮮明に眼裏に映ったということです。
 亡児の物語はなおびびとして続きました。-
 さて先方へ着いてみると、無論守護霊さんは歓んで僕を迎えてくださいました。
 「まァあなたの今日の御様子はすっかりこの間とは違いますね」
 そう言って、物珍しそうに僕の洋服姿に見入っておられるのでした。二十世紀の若い洋服青年と、足利末期の上﨟姿の中年の婦人との取り合わせなのですが、よもやこんな芸当が出来ようとは、僕生前ちっとも想像しておりませんでした・・・・。
 「私はこんな粗末な、狭い場所に居りますので」と守護霊さんはどこまでも同情深く「さぞあなたは窮屈で面白くないでしょう。どこか他所へお連れしましょう」
 「イヤ一ぺん守護霊さんの住んでおられる場所を見せて頂きます」と僕が申しました。「窮屈な位はちっとも構いません。それが済んでから何所かへ案内して頂きましょう・・・・」
 先日守護霊さんのお言葉にもあった通り、あの方はやはりお宮に住んでおられるのですね。場所は海岸の非常に閑静な・・・・イヤむしろ閑静を通り越して物寂しい位の所で、屋根は銅葺きの、あまり大きくない綺麗なお宮です。「これが守護霊さんの何百年かに亘る長い長い歳月の間静かに静まっておられるお宮か・・・・」と思うと僕は何とも言われぬ厳粛な気分に打たれました。帽子を脱いで扉の内部へ入ってみると、一面に板の間になっていて、奥の正面の所に神さんがお祀りしてあるばかり、家具だの、什器だのと言ったようなものは何一つも見当たらない、誠にさっぱりしたものでした。「こんな所で修行三昧に浸っているから守護霊さんは霊能が優れているのだ・・・」僕はつくづくそう感心しました。これというのも皆その人の性格から来るのでしょう。僕なんか、あんな生活はとても御免だ・・・。
 守護霊さんは何のもてなしも出来ないで困ると仰って、大変に気を揉まれました。
守「何所へお連れしましょうね?あなたはどんな場所がお好きです?」
僕「場所なんか何所だってちっとも構やしません。それよりか僕ゆっくり守護霊さんからお話を伺いたいです」
守「そうですか。ではこの上のお山は大変風景がよい所ですから、そこへお連れしましょう」
 僕達は早速上の山へ行きましたが、辺りは樹木鬱蒼と生え茂り、一方にチョロチョロした渓流があって、大きな巌(いわお)が程よくあしらわれ、いかにも絶勝の地ではありましたが、しかし僕にはそんな場所は何やら寂し過ぎるように感じました。
僕「守護霊さん、あなたはここで修行をされたのですか?」
守「自分はドーいうものかこんな寂しい場所が好きで、修行は大概ここへ来てやりました。あの水辺の大きな巌の蔭、あそこが私の一番気に入った所です」
 守護霊さんは、それが当然だという風に仰るのですが、どうしてそんな気持になれるのか、僕には寧ろ不思議な位でした。「何だってこんな陰気な所で修行されるのだろう・・・・イヤだナ」-僕は実際そう思いました。しかし好きも嫌いも、皆その人の性質の反映ですから、こればかりは致し方がありませんね。地上の生活でもそうした趣がありますが、こちらへ来るとそれが一層顕著なようで、善悪に係わらず、めいめい自分の落ち着く場所に落ち着くより外に途がないようです。
 僕達の間には自然修行についての談話も出ました。-
守「私の修行と言ったらつまり主に統一をやるのですが、あなたもやっぱりそうでしょう」
僕「無論そうです。が、僕なんか、まだまだ駄目です。ドーも雑念妄想が何時の間にか、むらむらと兆して来て弱ってしまいます。これからみっしり努力するつもりで・・・」
守「あなたは何所で修行をなさいます?」
僕「僕はやはり自分の部屋でやるのが一番気持が良いです。僕こんな陰気な山の中などで座るのはイヤです・・・」
 構わないと思って、僕そう言ってやりますと、守護霊さんは微笑を浮かべて「こんな寂しい場所へ連れて来て、本当にお気の毒です」と言われました・・・。
 精神統一の話に続いて、僕は再び守護霊さんの身の上話を聴こうとしましたが、やはり駄目でした。「大変年数も経っているので記憶が薄らいでしまった・・・・」そんな事を言われるのです。ドーも当年の事を思い出すことが多少苦痛なのでしょうね。お母さんの守護霊さんの経歴は、一つお父さんから直接に訊いてください。僕の手には少し負えません・・・。
 続いて守護霊さんは相変わらず、僕に向かって色々の事を訊かれました。僕が幼少の時の事、学校時代の事、それから亡くなる時には何所に居たかというような事・・・・。僕仕方がないから大体話しておきました。詳しい事は守護霊さんから聴いてもらいます。やはり僕のことを自分の子供のように思うらしく、色々世話を焼いてくれます。僕の方でも、お母さんとも少し違うところがあるが、いくらかそんなような気持がして、自然無遠慮な言葉もききます。「そんなに僕の生前の事をお聞きになりたいなら何れゆっくりお話致しましょう。材料なんか沢山ある・・・」僕そう気焔を吐いておきました。
 兎に角お母さんの守護霊は、亡くなってから相当長い歳月を閲(けみ)しているので、その修行も、我々と違って大分出来ている様子に見受けられます。優しい中に、中々しっかりした所のある方です。体はどちらかといえば痩すぎで、すんなりしています・・・・」
 亡児の報告は大体右のようなものでした。例によりてそれと入れ代わりに続いて彼の母の守護霊に出てもらい、亡児との会見の顛末を物語らせました。それはこうです。-
 「この間は子供が訪ねて来て大変に失礼しました。私の住居はあんな粗末な所でございますから、本当にお気の毒に思いました。でも大そうさばけた子供で、是非私の住居を見たいと申しますから、内部へ案内しますと、「大分僕達とは勝手が違う・・・・」と言ってしきりに四辺を見回していました・・・。
 私は別にお宮に住みたいと思った訳ではないのですが、ドーいうものかお宮という事になってしまいました。こんな事は自分の一存にのみも行かないところがあるのです・・・・。
 あの子の服装は、この前会った時とは、すっかり変わっているので、びっくり致しました。あれが只今の時代の服装なのですね。中々大きな男でございますね・・・。
 それからあなたも御存知のあの裏の山へ案内して、そこで色々物語を致しました。その時子供はこんな面白いことを申しました。「この山は大変良い景色ではあるが、しかし現界の山とはどこやら気分が違う。達者な時に随分山登りもやったが、この山で感じるような気持にはただの一度もならなかった。ここに立っていると自然と気がシーンと沈んでしまう・・・」
そう言って大変感心しているのです。やはり私の修行するように出来ている山なのですからあんな陽気な気分の子供には寂しくて仕方がないのでございましょうね。兎に角幽界へ来てからは、めいめい自分に適した境涯に落ち着くより外に、致し方がないものと思われます。
 それから、私はあの児の幼少の時代からの事を色々と訊ねました。あなた方には別に珍しくも何ともない事柄でございましょうが、私には非常に興味の深い物語でした。かいつまんで筋道だけを申しますと、あの子の申したことは、大体こういうようなことでございます。-
「僕は幼少の時から体が丈夫で、かなりいたずら坊主でもあった。こんな事を言うと他人が笑うかも知れないが、学問もよく出来た一方で、大変に父母にも可愛がられた。僕も一生懸命勉強し、次第に上級の学校に入り、二十二歳の時に長崎の高商を卒業した。守護霊さんとは時代が違うからお判りになるまいが、卒業後には直ちに会社というものに入った。暫くしてから、その会社から遠方へやられ、そこで亡くなった。立派な人になろうと思って大いに気張って働いたものだが、思いも掛けない病気の為にこんなことになり、両親にも気の毒で堪らない・・・・」
 こんな話をしている中に段々悲しそうな様子が見えましたから、これはいけないと気付きまして私は早速話頭を変えました。-
問「あなたは只今遠い所へやられたと言われましたが、それは何という所です?」
答「大連という所です」
問「その大連という所はどんな所です?」
答「大変に賑やかな立派な市街で、家屋なども内地よりは却って上等です」
問「そこであなたはどんな仕事をしていたのですか?」
答「無論会社の仕事をしていました。そこでも大変皆さんから可愛がられ、僕は非常にそこの勤めが好きでした。又僕は色々の事に趣味が多いので、どこへ行っても退屈ということを知りませんでした。中でも僕が好きなのは、音楽と絵書で、大連で描いた絵などもかなり沢山あります・・・」
 良い按配にこんな話をしている中に、子供は再び元の快活な状態に戻りました。一体にあの子は陽気な資質なのでございますね。あんな陽気な子が、むざむざと夭死(ようし)したというのは、本当に可哀相だと思います・・・。
 でも、夭死したので、それがこちらで発奮する種子になるのでございます。「このまま空しく引っ込んでしまうのはあまりに残念だ。これから大いに修行して幽明交通の途を開き、大いに父を助けて御国の為に尽くそう・・・」口には出しませんが、あの子の思い詰めていることはよく私に感じます。これから後も、私は努めてあの子に会うことに致しましょう・・・」
 この日彼の母の守護霊が私に物語ったところは大体右の通りでした。嬉しいのは、両者の間に、次第に母子の関係らしい、親しみの情が加わりつつあることで、彼の父としては、そうした傾向を今後一層助長させたく切望している次第であります。

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 光陰の経つのは迅いもので、前後五十幾回かの招霊を重ねている中に、早くも新樹の一周忌の二月二十八日が近付きました。
 心弱いとお笑いになる方があるかも知れませんが、その日が近付くと共に、彼の父も母もドーしても亡児の霊を招き出す勇気が起こりませんでした。
 「とうとうあの子の記念の日が近付いてしまった。大分諦めがついたようでも、あの子はやはり在りし日の事を追憶して悲しんでいるだろう・・・・・」
 そう考えるとツイ気遅れがして、昭和五年の二月十六日に招いたきり、一時パッタリ招霊に遠ざかってしまいました。
 その中二十八日が来ましたので、当日は自宅でホンの内輪の縁者のみを招いて心ばかりの祭事を執行し、いささか亡児生前の面影を偲び合いました。同時に彼の臨終地たる大連に於いても、又彼が生前お世話になった古河電機の方々を始め、多くの友人達が集まって盛んな追悼祭を営んでくだすったと承りました。
 「こんな事はきっとあの子の方に感応しているに相違ない・・・。一つ思い切って招き出して様子を聞いてみようかしら?」
 三月も十日になった時に、彼の父は初めて亡児に会って見る気になりました。彼の母も漸くそれに賛同しました。
 「では座ってみましょうか・・・」
 間もなく彼女の体は、例の通り亡児生前の姿態そのまま、少し反り気味になりましたが、心なしか、今日は少しその様子が沈んでいるように見受けられました。やがて言葉が切れました。-
 「新・・・新樹です・・・。暫くでしたね」
 「イヤ大変どうも暫くだった。少し取り混んでいたものだからゆっくり座っている隙がなかった。幽界に昼夜の区別がないと言っても、時日の長い短い位の懸念はあると見えるね?」
 「そりァお父さんありますよ。今度は大分ゆっくりだナ、と僕そう思っていました」
 「それは大変済まなかった・・・。近頃汝の方に何か変わったことはなかったかい?」
 「別に大したこともありませんでしたが、ただこの間僕の方に非常に強く感じて来ることがあって閉口しました。色々の人がしきりに僕の事を思ってくれている・・・・それがひしひしと僕の方に感ずるのです。で、こりァきっと僕の命日が巡って来たのに相違ない。僕が死んでモー一年になるのだ・・・・そう僕は感付きました。そんなことがあると、僕の方でもツイ現世の事を思い出して困りました。いけないと知りつつツイ地上生活が眼に浮かんで・・・」
 いつの間にか大粒の涙がポロリポロリと彼の母の両頬に伝わるのでした。
 彼の父は成るべく平静な態度で談話を進めました。「実は今日は三月十日で汝の一年祭は十日以前に済んだものだ。叔父さんだの、叔母さんだの、ホンの内輪の者ばかり招いて、神主に祝詞をあげてもらったのだが、それが汝の方に通じたと見える・・・」
 「何やら遠くの方で祝詞のようなものを感じました。そして色んな人がしきりに僕に会いたがっているのです。そんな事は僕だってやはり会いたいのです・・・」
 「汝の執着が薄らぎさえすれば、それに連れて現世が段々はっきり見えて来るのだから、そう悲観したものじゃないさ。まァゆっくりやるさ」
 私は軽く受け流しておきました。亡児の態度にも段々落ち着きが見えて来ました。
 「僕の宅の方も何ですが、その頃大連の方にも多勢集まっているように感じました。色々の人達がガヤガヤと僕の名を呼んだり何かしているのです。余り細かい事は判りませんが、何にしろ僕の事をしきりに追憶してくれている事はよく通じました。大連には僕の友達の青柳もいるようでした。青柳はモー帰って来たのでしょうか?」
 青柳君は満鉄の社員で、以前ロンドンに留学していたのですが、二月の末には任地に帰って来ていたらしいのです。青柳君が旅行免状の手違いで、ロシアの官憲に一時抑留された話は、当時の新聞電報にも載っていました。
 「さァワシもよく知らないが」と私は答えました。「二月二十八日頃には多分大連へ戻って来ていたのだろう。帰っていれば、汝の追悼会には必ず臨んだ筈だ。ロンドンでもしきりに汝の風評をしていた位だから・・・」
 「そうでしょうね。僕には確かに青柳が居るように感じられたのです。あの男にはお父さんもロンドンで大変お世話になったそうですね」
 「イヤ大変世話になった。青柳君は、ロンドンで新樹君と一緒だと面白いがなア、としきりに言っていたよ」
 「そうでしたろう。そんな話を聞くと僕、まだ残念だという気がします。いけない事と知りつつドーも現世の執着が容易に除き切れないで困ります」
 「無理もないが、しかし男らしく諦めが肝心だ。そんな話はモーこれで止めるとしよう・・・」
 「ではお父さんから、大連の皆さんに宜しく言ってあげてください。お祭りをしてもらって、非常に嬉しかった、とそう仰ってください」
 「承知した」
 私達の対話はそれでちょっと中絶しましたが、暫くして亡児の方から切り出しました。
 「実はね、お父さん」と彼は割合に快活な語調で「僕あの時分、あんまりクシャクシャしたものですから、思い切って散歩に出てみたのです。ついでにその話をしましょうか?」
 「幽界の散歩-そいつァ面白い。話してもらおう」
 「こちらの散歩は現世の散歩とは大分気分が違います。僕はどこと当てども無く、あちこち歩いてみたのですが、イヤ何とも言われない、のんびりとした感じでした。行ったのは公園みたいな所ですが、少しも狭っこましい所がなく、見渡す限り広々としていて、そして一面に綺麗な花が咲いている。それ等の花の中には、生前ただの一度も、見たことのないようなのもありました。その色がいかにも冴え冴えしていて、地上の花とはどことなく違うのです。で、幽界の花にもやはり根があるかしら・・・僕そう思ったので、一本の花を手でいじってみましたが、根はやはり張っているものらしく、中々抜けなかったです」
 「面白いねどうも・・・汝その花を摘んではみなかったのか?」
 「イヤ摘んでみました。そしてそれを自分の部屋に持って帰って花瓶に挿し、幽界の花がどう現世の花と違うかを研究してみたのです。僕達の世界には昼夜の区別がなく、従って日数を申し上げる訳にはまいりませんが、花瓶の花は別に水をやらなくてもいつまでも萎れないのです。ちゃーんと立派に咲き匂っているのです。そこが地上の花と大いに異なる点ですね。ドーも僕が花を忘れずにいる間は、花はいつまでも保存されていたように思いますね。その内、僕はいつしか花の事を忘れてしまいました。ふと気が付いてみた時にはモー花は消え失せていました。僕にはそれが不思議でなりません。あの花は一体何所へ行ってしまったのでしょう・・・」
 「さあワシにも判らんね、幽界の花の行方は・・・。兎に角そいつは大変面白い研究だった。花を摘む時の具合は地上の花を摘むのと同じだったか?」
 「同じでした。茎がポツンと折れる具合が少しも変わりませんでした」
 「時に、汝の行った、その広い公園には誰も人が行っていなかったか?」
 「最初は誰も見かけませんでした。僕一人で公園全体を占領したようなもので、実にのびのびした良い気持ちでした。第一、いくら歩いても暑くもなければ、寒くもなく、又少しも疲労を感じないのですからね。そうする中にふと、僕の歩いている背後から、二人連れの男女がやって来ました。男は二十二、三、女は十七、八で、どちらも日本人です。僕が言葉をかけようかと思っている中に、二人はツーッ!と向こうへ行ってしまい、ロクに顔を見る暇もありませんでした。僕は何だか少しあっけなく感じたので、今度誰か来たら話かけてみようと思いました。幸いにそこに一脚のベンチがあったので、僕はそれに腰を下ろして、人の来るのを待ちました。すると暫くして、十五、六の男の子が出て来ました。僕は非常に嬉しかったものですから、丁度生前やったようにその子供に言葉をかけました。子供の方でも歓びましたが、しかし余程びっくりしたものと見え、何とも返答をしないのです。その子は可愛い洋服を着て、半ズボンを穿いていました。暫く僕の傍に腰をかけている中に、漸く談話をするようになりました。いつ幽界へ来たかと訊いたら、モー随分以前に僕は死んだのです、と言っていました。余程の家柄の生まれらしく、中々品位のある子でした。僕は、ここで又会うからその内出て来たまえ、と言っておきました。左様なら、と言いも終わらぬ中にその子の姿は消えました。そんなところは非常に呆気なく、何だか頗る頼りないのが幽界の生活の実情です。慣れないせいかも知れないが、僕にはまだまだ地上の生活の方が懐かしいです。現に地上の人達は僕の一周忌を忘れもせずに、多勢集まって懇ろに追悼会などを催してくれるのですからね・・・・」
 亡児が再び湿り勝ちになりそうな模様なので、私は急いで話頭を他に転じ、数分間よもやまの話を交換してその日の座を閉じたのでした。

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 彼の父と亡児との間にはすっかり寛いだ気分で、これという特殊の題目を設けずに雑話を交換することもしばしばあります。それ等の中には、勿論何等とりとめのないのもあるが、又時として、そのまま葬ってしまうのも惜しいと思わるる節がないでもありません。手帳の中から手当たり次第に抽出してみましょう。
 問「生前の記憶は死んでもはっきり残っているものか?」
 答「そうですね、生前の事を考えると皆ぞろぞろ眼に浮かんで来ますね。生きていた時よりも却ってはっきりしているようです。当時を思い出して僕は時々嬉しい気分に浸ることもあります・・・」
 問「汝の過去の短い生涯で何時が一番嬉しかったか?」
 答「そうですね、僕の思い出の中では、中学校卒業後、長崎へ行って居た時代が一番面白かったと感じますね。ここを卒業したらどんな所に行くのかしら・・・そう思って勉強していました。会社に入ってからは、何やら身が固まったようで、それ程にも面白くなくなりました・・・」
 問「横須賀時代にはよく汝は海水浴に行ったものだが、そちらで海水浴をやりたくはならないか?」
 答「イヤこの間一度やりましたよ。ある時僕がふと海に入りたいナ、と思うと、途中の手続きは判らないが、兎に角僕は綺麗な海岸に行っていたのです。そこで僕は泳いでみました。その感じですか・・・。水の中に居るような感じはしますが、別に冷たくも又温かくも感じない。そしていくら泳いでも疲れない。要するに海水浴の気分がするだけで、生前の海水浴とは大分勝手が違うのです。向こうの方で誰だか一人泳いでいたようでしたが、はっきり判りませんでした・・・」
 問「汝はそちらで親族の誰かに会ったかナ?」
 答「ええこの間お祖母さんを尋ねてみました。僕がおばあさん、と呼んでみても返答がありません。おばあさんはまだあんまりはっきりしていないようです。と言って、全然無自覚でも何でもない。静かに眼を瞑って、良い心持でうつらうつらしていると言った按配なのです・・・」
 問「呼んで自覚させる必要はないかしら?」
 答「さァおばあさんは別に苦痛がありそうでもないし、又これを呼び覚ましてドーコーという事もないのですから、あのまま安らかに眠らせておいて、自然に眼が覚めるのを待った方がよいかと思いますね・・・」
 問「お祖父さんにはまだ会わんかナ?」
 答「まだ会いません。僕これから早速会って来ます。地上と違って、こんな場合には都合がよいです・・・」そう言って沈黙がちょっと続いたが、やがて彼は戻って来て祖父訪問の状況を報告するのでした。「僕行って来ました。お祖父さんは、お祖母さんよりも後で亡くなったのに、却って自覚が早いようです。生前のようにキチンと座って、にこにこしていました。僕が、おじいさん!と呼びかけると返答はしないが、ドーやら判ったようです。よほどはっきりした顔をしていました。--が、おじいさんも通信はまだ無理です。格別お父さんの方で用事がないなら、モー暫くあのまま安楽にさせて置かれたら良いでしょう・・・」
 問「幽界へ行ったものがどうして自覚が速かったり、遅かったりするのだろう。汝の一存でなく指導役の方々に訊いて返答をしてもらえまいか?」
 答「お易い御用で・・・。-伺ってみるとやはり信念の強いものが早く自覚するそうで、その点に於いて近代日本人の霊魂は甚だ成績が悪いようです。現に僕なども自分の死んだことも自覚せず、又自分の葬式の営まれたことも知らずに居た位ですからね・・・」
 問「唯物論者-つまり死後個性の存続を信じない連中は死後どうなるかナ?」
 答「非常に自覚が遅いそうです」
 問「一つこれから自覚していない人達の実況を見てくれまいか?」
 答「承知しました。-今その一部を見せてもらいましたが、イヤどうもなかなか陰惨ですね。男も女も皆裸体で、暗い所にゴロゴロして、いかにも体がだるそうです。僕は気持が良くないというよりか、寧ろ気の毒の感に打たれ、この連中は一体いつまでこの状態に置かれているのですか、とお爺さん(指導霊の一人)に訊いてみますと、この状態は必ずしも永久に続くのではない。中には間もなく自覚する者もある。自覚する、しないは本人の心がけ次第で、他からいかんともし難いのだ、という返答でした・・・」
 問「再生の事を一つ訊いてもらおうか?」
 答「お爺さんに伺ってみると、再生する者と再生しない者と二種あるそうです。後者はそのままずっと上の界へ進むので、その方が立派な霊魂だそうです。それ程浄化していないものは分霊を出すことによりて浄化する。浄化した部分は霊界に残るが、浄化していない分霊は地上に再生する。-ざっとそう言った手続きだそうです。赤ん坊でもその全体が再生するという事は無いそうで・・・」
 問「無自覚の霊魂でも、こちらで呼べば霊媒に憑って来るのはドーいう理由か?」
 答「それは産土(うぶすな)系統の神さんがお世話をなさるからだそうです。そんな場合にはいつも産土系が世話を焼いてくれます」
 問「汝が現在やりつつあるような幽明交通と、所謂悪霊の憑依という事この間には、何等か根本的の相違があるのか。一つしっかり調べてくれまいか?」
 答「お爺さんに聞いてみましたが、両者の間に根本的の相違はないようで、悪霊の憑依というのは、要するに有害な観念の波動が、強く対者の体に感応するだけらしいです」
 問「前にも幾度も聞いたが、幽界に於ける体の感じをモ一度聞かせてくれないか?呼吸や脈拍はあるかナ?」
 答「そんなものはてんで気がつきませんね。内臓などもあるのか無いのか判りません・・・」
 問「地面を踏む感じは?」
 答「自分の部屋にいる間は、歩くという感じがないでもありませんが、地上の歩行とは大分違います。歩くと言っても何やら軽い、柔らかい気持です。又足音というものもしません。遠距離に行く時には、一気呵成に行ってしまうので、尚更歩くという懸念が起こりませんね・・・」
 問「幼少で死んだものが幽界でどんな生活をしているか一つその実況を見て来てくれないか?」
 答「承知しました。一つお爺さんに頼んでみましょう。-(五、六分の後)只今見せてもらいました。赤ん坊でも、小さいながら、我々と同様、修行させられて、心も姿も発達するのですね。地上の子供のように迅速ではないが、やはり、あんな按配式に大きくなるのですね。僕の行った所では、五十歳位の婦人達が二、三人居って、それが子供達の世話をしていました。子供の人数ですか-人数は五、六人で、三歳から四、五歳位の男と女の子が一緒に居ました。抱かれたり、何かしている具合は現世とちっとも変わりません。場所はあっさりした家の内部ですが、ドーも幽界の家屋は、どれも皆軽そうに見えます。ずっしりと重そうな趣がなく、何やら芝居の道具のような感じがしますね。僕はお爺さんに向かい、これ等の子供が学校へ行く年齢になればドーなるのか、と尋ねてみましたら、お爺さんは早速僕を学校のような場所へ連れて行って見学させてくれました。一学級の生徒は二十人位で、やはりここでも男女合併教育をしていました・・・」
 問「他にも組がいくつもあるのだね?」
 答「色々の組に分かれています。何を標準として学級を分けるのかというと、それは受け持ちの教師のする事で、主として子供が死ぬ時に、因縁によりて導いてくれた神とか仏とかに相談して充分調査の上で実行するらしいのです。もっとも宗教的区別などはある程度までの話で、上の方に進めばそんな区別は全然消滅するそうです」
 問「科目はどんな風に分かれているかな?」
 答「現世とは大分違いますね。算術などは全然不必要で、その他地理も歴史もありません。幽界で一番重きを置くのはやはり精神統一で、これをやると何でも判って来るのです。音楽だの文学だのも、子供の天分次第でワケなく進歩するようです。学問というよりも寧ろ趣味に属しましょう。趣味があればいくらでも進歩するが、趣味がなければまるきり駄目です。ですから子供達は一室に集まっておりながら、その学修する科目はめいめい違います」
 問「生徒達の服装は?」
 答「皆まちまちで一定していません。帽子なども被っていませんでした」
 問「書物だの、黒板だのもあるか?」
 答「皆一通り揃っています。子供が質問すれば教師はそれに応じて話をするらしく見えます」
 問「教師はどんな人物だったか?」
 答「三十歳前後の若い男でした。お爺さんに訊いてみると、この人は生前に子供を持たなかった人だそうです。つまり生前子供の世話をしなかった理合わせに、幽界で教員をやりたいという当人の希望が、神界から聴き届けられた訳なんだそうです。で、僕なんかもその部類に属しはしませんか、と試みにお爺さんに訊いてみたら、お爺さんはただ、ソーだなあ、と言っていました・・・」
 問「話頭は少し後戻りするが、赤ん坊が死んだ時にドーいう具合でいるものなのか、一つ世話役の婦人にでも、訊いてもらえまいか?」
 答「承知しました。-女の人はこう答えます。赤ん坊は少しも浮世の波に揉まれず、従って何等の罪も作らずに現世を去ったのであるから、神さまの方でも、ごく穏やかに幽界に引き取ってくださる。つまり現界から幽界への移り変わりがなだらかで、そこに死の苦痛も悲しみもなく、殆ど境遇の変化を知らずに、すらすらと生長を続けるのだという話です。長く地上に生きていれば、自分ではその気がなくても、知らず識らず罪を作りますが、赤ん坊にはそれがありません。赤ん坊が楽なのは当然だと僕も思いますね。ヘタに中年で死ぬより赤ん坊で死んだ方が幸福かも知れない・・・」
 問「赤ん坊は乳を飲みたがりはしないか?」
 答「最初は保母が乳房をくくませるそうです。もっとも乳が出る訳でなく、又乳を飲む必要もない生活なので、子供の方でも段々その欲望がなくなって来るそうです・・」
 問「幽界の子供の発育が遅いのは何故だろう?」
 答「子供の発達にはやはり現世の生活の方が適当なのでしょうね。幽界でも生長することはするが現世に比べるとずっと遅いということです・・・」

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 ここに掲載する新樹の通信なるものは、主としてその父の命により、探検又は訪問せる時の報告を集めたものです。私は彼が死後まだ十日経つか経たぬ時、中西霊媒を通じて、彼の死を申し聞けましたが、その時彼が悲憤の涙に暮れた様は、今でもありあり眼に映ずるような気がします。私はその時彼との間に、ある会話を交えました。その事柄は簡単ではあるが、私と彼との間にしか知られていないことであるから、中西霊媒に現れたものが新樹の霊魂に相違ない事を確信していました。その後霊媒が何人か変わっても、私との会話の内容を肯定しますから、彼の通信なるものは、相当確実性があるものと私は信じます。
 この通信録は、目次記載の通り四編から成っています。その中『新樹と守護霊』は、万人必ずしも同様なりとはいい得ないでしょうが、およそいかなる関係を有するものなるかを説いたところ、大抵通則と見てよいよう考えられます。『乃木さんと語る』は、武人の面目躍如たるを見るべく、そして戦争の避くべからざるを警告して、日本国民の覚悟に及び、又お宮とお墓の別を明らかにせる如きは、万人の知っておかねばならぬ事柄であることを信じます。この他『幽界居住者の伊勢参宮』『或る日の龍宮』何れも啓発せらるる所少なくないよう考えられます。
 新樹と私とは、前記の如き関係があり、一種感傷的気分がないではありませんが、今これを世に送ろうとするのは、決してそんな気分からではありません。各編何れも不朽と迄は行かずとも、世に伝えて恥ずかしからぬものと信ずるからであります。
 この通信は、もっと早く世に出て然るべきものと思われますが、何かの都合で今日に至ったものです。が、今でも敢えて遅しとはせないでしょう。

 昭和十三年四月 浅野正恭

自殺ダメ


 [霊界通信 新樹の通信](浅野和三郎著)より

 (自殺ダメ管理人よりの注意 この文章はまるきり古い文体及び現代では使用しないような漢字が使われている箇所が多数あり、また振り仮名もないので、私としても、こうして文章入力に悪戦苦闘しておる次第です。それ故、あまりにも難しい部分は現代風に変えております。[例 涙がホロホロ零る→涙がホロホロ落ちる]しかし、文章全体の雰囲気はなるべく壊さないようにしています。その点、ご了承ください。また、言葉の意味の変換ミスがあるかもしれませんが、その点もどうかご了承ください)

 私が新樹に向かい、彼の本来の守護霊につきて、初めて問いを発したのは、彼我の間の交通の途が開けてから、まだ幾何も経たぬ昭和四年七月二十二日のことでした。
 問「汝にも、きっと守護霊が付いている筈だが・・・。つまり汝を指導してくださる、後見人みたいな方が・・・」
 答「つ・・・付いております・・・」当時は通信がまだ不完全で、やっと言葉が繋がり出した時でした。「五・・五人付いております」
 問「五人・・・フム大変多勢付いているのだね・・・。一体一人に守護霊が、そんなに多勢付いているものなのかしら・・・」
 私がいささか不審の眉をひそめて、独り言のようにそんな事を申しました。その時新樹からは、何とも答がありませんでしたが、ただ妻の霊眼には、漢字で『五』の字が極めて鮮明に映じました。
 越えて七月二十五日にも、私は新樹に向かって、同じく守護霊問題を持ち出しました。その時の返答で、現在彼に付いている五名の守護霊は、死後産土神から特に付けられた、臨時の指導者であり、彼の本来の守護霊ではないことが明らかになりました。「自分の守護霊の事を訊かれると、僕何だか悲しくなるから、その話は暫く止めてください・・・」亡児はそう言って、これに関する談話を避けるのでした。そう言われては、私も無理に問い詰めることもならず、いつも奥歯に物の挟まったような気持で、とうとう約一年間も、この問題を未解決のまま打ち棄てておきました。
 そうする中に、ドウあっても彼の守護霊を突き止めなければ、収まりがつかないことが、ボツボツ起こりました。なかんずく私をして、あくまでこの問題を追窮させる決心を起こさせたのは、昭和五年六月十四日の夜、「東京心霊科学協会」の事務所で行なわれた、亀井霊媒の交霊会に、亡児の顔が現れたことでした。それは余り鮮明な物質化現象ではなかったが、しかし亀井霊媒の頭上約一尺許の辺に、彷彿として現れたのは、まさしく亡児生前の顔に相違なかった。それは私自身よりも、むしろ立会人中の二、三人が承認するところでした。
 で、その翌日、私は早速亡児を妻の体に招き出して、右の事実の有無を確かめました。ところが意外にも、亡児は断固として右の事実を否定しました。-
 「僕、亀井という男の交霊会などに、ただの一度も出現した覚えはありません。僕はお母さんの体以外に、絶対に憑らないことにしております・・・」
 これを聞いて、私は少なからず疑惑に閉ざされました。あれが亡児の仕業でないとすれば、一体何人がそんな真似をしたのか?亀井霊媒の背後に働いている、印度人モゴールの悪戯か?それとも新樹の背後に控えて、彼の行動を助けている、五人の指導者達の仕業か?それとも又彼の本来の守護霊の所作か?
 私は直ちに、あらん限りの手段を講じて、右の詮索に当たりました。ここで一々その手続きを述べることは、余りにも煩瑣(はんさ)に亘る虞がありますから、省いておきますが、兎に角私が最後に到達した見込みは、ドウあっても、それは新樹の本来の守護霊の仕業に相違あるまいという事でした。
 「こりァドウあっても、新樹の守護霊を呼び出して、聞いてみなければならない」と私は躍起となりました。「新樹は、守護霊の話を持ち出すと、悲しくなると言って、成るべく避ける気味だが、彼も幽界へ入ってから、既に一年以上になる。いつまでそんな感傷気分に浸っているべきでもあるまい。よしよしとりあえず、妻の守護霊に頼んで、一つ新樹の守護霊に会ってもらってみよう・・・」
 なので七月二日の夜、私は妻の守護霊を招霊して、右の旨を述べると、先方は案外気軽に、私の注文を引き受けてくれました。-
 「承知致しました。早速これから亡児の守護霊に会って、色々訊いてみることにしましょう。仔細は何れ後ほどお知らせします」
 約十分間程経過すると、妻の守護霊は再び戻って来て、いかにも満足そうに、右の会見の次第を報告するのでした。-
 「やはりあなたのお見込み通り、亡児に代わって、これまで色々の事をしたのは、守護霊の仕業だったそうでございます。これまであの方は、仔細あって裏面に隠れ、態と新樹にも会わずにいましたが、時節が来たので、今後は直接新樹の世話をすると申しております・・・」
 「一体その守護霊という方は、どんな方ですか?」と私少し急き込み気味に訊ねました。「やはり人霊ですか?」
 「中々立派な、気性の優しい方でございますよ・・・。勿論元は私達と同じく人間でございます。しかし私などより、ずっと後の時代の方で、生まれた時の年号はたしか享保、とか申すそうでございます。あの方の経歴について、私も一通りの事は聞いて存じておりますが、私から申し上げたのでは面白くございません。何卒直接御本人を招霊なさって、お訊きくださいませ・・・」
 「無論妻の体に憑れるのでしょうネ?」
 「それは憑れます。しかし御本人は、まだ一度も人間の体に憑依して、通信したことがないので、少々心配だと申しております。まァやって御覧なさいませ」
 「新樹は守護霊の事を言われるのが、何やら辛いような事を申しておりましたが、別に差し支えはないでしょうネ。何やらあなたから、一言亡児によく言い聞かせておいて頂きたいのですが・・・」
 「宜しうございます。ナニ時節が来たのですから、モウ心配はございません。これからあの子は、段々自分の本当の守護霊と一緒になって、働くことになるてじょう」
 「時に」と私は一考して、「現世に居た時の守護霊の姓名は、何というのでしょうね?招霊する時に姓名が判っていないと、何やら勝手が悪いですが・・・」
 「姓名でございますか・・・。承知致しました。しかし言葉で言ったのでは、若しも間違うといけませんから、この女の眼に見せておくことにしましょう・・・」
 そう言ってから、ものの一分とも過ぎぬ時に、妻の閉じたる眼の裏には、白地に極めてくっきりと黒く浮き上りて、
 「佐伯信光」
という四文字が現れたのでした。

 私がいよいよ亡児の守護霊を呼び出したのは、それから数日を過ぎた七月八日の午前でした。左にその日の問答を、ありのままに記述することに致します。
 問「あなたのお名前は・・・。あなたは新樹の守護霊さんですか?」
 例の如く私は潮時を見て、そう切り出しました。
 答「私は・・・私は・・・・私は・・・・」
 先方は非常に興奮の模様で、数回同一文句を繰り返しました。
 唾液が喉につかえて、上手く言葉がきけない模様でした。それでも漸く「私は・・・佐伯信光・・・と申すものでございます」
 問「イヤよくお憑りくださいました。あなた様が亡児の守護霊さんだったことは、近頃漸く承知致しました。あの子の肉親の父として、厚く御礼を申し上げます。-色々お訊きしたいと思うことがございまして、今回お呼び立て致しましたが、何卒お差支えなき限りは、御通信を願いたいもので・・・」
 答「承知致しました。が、何分にも私はまだ弱輩の身で、果たして充分の通信をお送りする事が出来ますか、どうか、いささか心懸りでございます。新樹の守護霊と致しましても、こんな未熟のものでございますから、甚だ力量が不足勝ちで・・・最愛のお子さまを、ああいう事に致しまして、私と致しましても、誠に面目次第もないことでございまして・・・・」この間むせ返る涙の為に、言葉が暫くしどろもどろになりましたが、やっと気を取り直した風で、「しかし、これもどうぞ定まった天命とお思いになり、どうぞお諦めをお願い致します。私とても同様に、早く現世を去りましたもので、従ってさしたる修行を積んだものではございませぬ。しかし今後は、充分新樹を助けて、活動を致しまして、御研究の御手伝いを致し、せめてもの埋め合わせを致したく考えております」
 問「それでは早速伺いますが、一体あなたは、どちらのお方で、又いつ頃の時代にお生まれでしたか?」
 答「私は名古屋の藩士で・・・・。身分は大したものでもございません。生まれた年は、たしか享保五年と記憶しますが、一体こちらでは、年代などは一向用事のないもので、従ってそれ等の記憶は、段々薄らいでまいりますが、たしか享保五年であったと存じます。そして死没致しましたのが寛延元年、私が二十九歳の時でございます・・・」
 問「あなたはその間、ずっと名古屋にお住まいでしたか?」
 答「イヤ名古屋に居住致しましたのは、二十三歳の時迄でございます。元来私は幼少の時から、少しばかり文学を好みまして、最初は文学で身を立てんと致しましたが、その中段々と音楽の趣味が加わり、寧ろそちらの方面で身を立てようと心得まして、それには名古屋では、思う通りの師にも付けませんにより、江戸へ上ったような次第でございました」
 問「音楽はどんな種類のものをおやりなされたか?」
 答「笛でございます。江戸へ行ってからは、その道の優れた師につき、色々苦心を重ねましたが、お恥ずかしいことには、音楽者として充分上達もせぬ中に、空しく早世してしまい、私としても、残念至極に存じました。で、新樹の守護霊を命ぜられた時には、あの子を音楽の方で身を立てさせようかとも、一時は考えたこともございますが、ドウもあの子は、私程音楽が好きではございませんでした。又時代も時代でございますから、とうとう断念して、余り音楽を勧めないことにしました。それでも私の感化で、多少は音楽が好きであったように見受けました・・・」
 問「あの子の音楽趣味は、あなたの感化だったのですか」
 と私もいささかびっくりして叫びました。「新樹は一体多趣味の男で、文学も好き、絵書も好き、運動も好きという按配でしたが、わけても音楽に対しては、ちょっと素人離れのする位の理解と趣味とを持ち、殊にハーモニカの吹奏は、手に入っていました。守護霊と本人との関係は、そんなにも密接なものと見えますネ」
 答「左様でござりまする。人間の性格趣味の約七割位は、その人の背後に控えている守護霊の感化でござりまする。で、新樹という人物は、余程の程度まで私に似ておりましたが、ただあの子の方が、体格は遙かに私よりも優れていたように思いました。あの子が、よもや彼のように早世しようとは、夢にも思いませんでございました・・・・」
 問「するとあなたにも、当人の死はやはりお判りになりませんでしたか?」
 答「死という事は、我々守護霊にも、その間際まで教えられないのが通例でございます。ずっと上の方の神さまにはお判りになっておられるでしょうが、我々の境涯では、とても判るものでございません・・・」
 問「イヤ話頭が大分飛んだ方面へ飛びました。後へ戻って、少しあなたの御経歴を伺わせてください。-あなたはただ音楽の修行をなされただけで、どちらにも士官というようなことはなさらなかったのですか?」
 答「イヤ未熟ながらも、その道で将軍家に仕えました」
 問「御家庭は作られましたか?」
 答「生涯に一度も妻帯は致しません」
 問「あなたの父母兄弟は?」
 答「私の両親は早くみまかりましたので、私は幼時の際から、親戚の手で育ちました。兄弟は三人、一番上が姉、その次が兄、その兄が家督を継ぎました。私は三番目の末っ子でございました」
 問「あなたの信仰は?」
 答「私の家では代々神道でありました為、私も神さまを信仰致しておりましたが、別にこれぞという深い理解を持っていた訳ではございません・・・」
 問「あなた方の時代の学問は?」
 答「主に漢学でございます。それに少しばかり図学の方を加えた位のもので・・・。全体私は余り体が丈夫な方でございませんので、充分身を入れて、蛍雪の苦を積むという程の修行は致しませんでした」
 問「あなたはどんな病気でお亡くなりになられましたか?」
 答「平常から私は心臓が弱かったので、別に床に就いて寝るような事もありませんでしたが、ドウも他の方々のように、活発に働くことが出来なかったのです。私の生命奪りの病気も、結局その心臓でした。が、その当時私は急死したらしく、少しもその際の記憶が残っておりません。どの位経って正気がついたものか、私にはとんと判っておりません。初めて幽界で気が付きました時は、丁度夜が明けて、眼が覚めたのではないかと思いました」
 問「ドウして死んだという自覚が出来ましたか?」
 答「私の守護霊さま・・・その方はいつも四十位の年輩にお見受けされる方でありますが、その方が色々私の面倒を見てくださいましたので、直ぐ自分は死んで、違った世界に来たのだナ、という事が判りました・・・」
 問「その後幽界に於けるあなたの御修行はどんなものです?」
 答「判らんことがありますると、皆右の守護霊さまに伺います。こちらで一番の難問題は、やはり執着を棄てることでございます。私としても随分辛い、悲しい事がございましたが、一生懸命修行によりて、それを忘れるように努め、只今では少しは汚い念慮が失せて参りました。これでも人の守護霊となりますのは、よほど心をしっかりともって、向上の心掛けがないとなりませんもので・・・」
 問「それは大きに左様でしょう。-あなたはそちらでどんな住宅にお住みになられています?」
 答「こちらの住宅というものは、御承知の通り、本人の性情に合ったものでございます。で、私の住宅はやはり笛の響きが上手く立つような、天井の高い作りで、・・・別に装飾などの必要はありませんが、ただ天井が高くて、部屋も相当広くないと、響きが立ちませんので、その点だけは充分注意して造られております。私には山水の景色だの、贅沢な装飾だのというものは少しも用事がございません。その点新樹の住宅と同様で、ただ私の住宅の方が、ずっと広々としております・・・」
 問「そうすると、あなたは幽界へ行かれてからも、盛んに笛をお吹きなさるか?」
 答「時々は一心不乱に笛を吹くこともございますが、ふとした調子で、全くやらなくなることもございます。こんな道楽ばかりしていてはならないというような気がしまして、暫くは全く笛などは無きものにしまして、静座して精神統一の修行に浸るのです。それを致しませんと、決して向上が出来ませんので・・・」
 問「一体あなたは、新樹の幾歳の時から守護霊になられましたか?」
 答「あの子が六歳か七歳かの時と思います」
 問「なァーるほど!」と、私は覚えず歓喜の声を放ちました。
 「考えてみると、あの子の幼少の頃はかなり乱暴な、どちらかというと、軍人向きの性質のように見えました。ところが、段々生長するに連れて、段々優しい気性になり、後には絵だの、音楽だのの好きな優男になりました。やはりあなたの性格趣味が感応して行ったのでしょうネ」
 答「或いはそうかも知れません・・・。前にも申し上げました通り、守護霊の感化は、普通六割にも七割にも達するものでございますから・・・」
 ここに至りて私は、いよいよ日頃心にかかっていた疑惑の中心に触れた質問に取り掛かりました。-
 問「さて折り入って一つお訊ねしたいのですが、これまで亡児の知らぬことで、蔭からあなたがその代理を務められたことがおありですか?」
 答「ハイ」と守護霊は低い、しかしきっぱりとした語調で、「時々は左様な場合もないではごさいませぬ」
 問「第一に新樹が死んだ当日のあの通報-悲しい電報が着く約三時間以前に、大きな火の球が、鶴見の自宅の棟に現れましたが、あれはあなたのお仕業ですか?」
 答「ハイあれは私が致しました。本人にはまだ何の働きもありませんから、ああした場合には、大抵その守護霊が代理を務めるのでございます」
 問「それから昨年の三月五日、大連で告別式を営みました際に、洋服をつけた新樹の姿が現れて、脱帽して一々会衆に挨拶するのが、一、二の霊視能力者の眼に映じました。あれもあなたのお仕業ですか?」
 答「ハイ、あれも私が致しました。新樹は大変よく勤めた子で、上役の方からも、又同僚の方からも非常に信用され、心からその夭折を惜しまれました。それだによって、その告別式に於いて何の兆(しるし)もなく、そのまま平凡に終わったとありましては、あまりに私として可哀相に感じましたので、新樹になりかわりまして、私が一通りの挨拶をしたのでございます」
 問「本年六月十四日の夜、亀井という霊媒の交霊会を催した時、新樹の姿らしいものが現れましたが、あれは誰の仕業ですか?」
 答「あれも私の致しました事でございます。新樹は一途にただ母親のみに憑かりたがっておりますので、印度人の方から出てもらいたいと頼みましても、それはあの子の方に響きません。私にはその事がよく判っておりますので、代理で姿を現すことに致しました。モゴールという印度人の頼みも、元々別に悪意から出たのではなく、寧ろ霊界の事を知らせるのには、甚だ有益なことと思われましたので、思い切ってあんな真似も致しました。私からも早速、新樹にその次第を言い聞かせておくことに致しましょう・・・」
 問「イヤ大変事情が明らかになり、日頃の疑団が氷解したように感じます。してみると死の直前、直後、又その瞬間等に於ける死の前兆というものも、大部分守護霊の働きと考えれば宜しいようで・・・」
 答「全部そうだと申すことは出来ますまいが、その七、八割ないし八、九割は、守護霊の働きでございます。なお他の方々につきて、充分お調べを願います。未熟者の私が申すことに、誤謬がないとは限りませぬから・・・」
 問「最後にモ一つ私の問にお答を願います。-何故あなたは、これまで新樹から離れておられたのです?」
 答「それはこういう次第でございます。誰しも帰幽後暫くの間は、少し厳しくしてやらなければ、中々執着が抜け兼ねるもので、それには本人の守護霊よりも、モ少し年代を経た、経験の多い方々が、指導される方が効果があります。で、誰しも帰幽した当座は、その守護霊が蔭に隠れて、出て来ないのが普通であります。殊に私などは弱輩の身で、そこには必ず手落ちもあるだろうと思いまして、かたがた成るべく永く蔭に隠れていることに致しました。しかし、時節が参りまして、いよいよかく名乗りを挙げました以上は、最早逃げも隠れも致しませぬ。私の力量の及ぶ限り、お手伝いを致しますから、何卒御遠慮なく御尋ねして頂きます。そうすることが、新樹の勉強になると同時に、又私の勉強にもなります。又私の力量に及ばぬことは、これまでの老巧な指導者達を始め、上級の方々にお尋ねしてお答え致します。イヤこちらの世界の事は、探れば探るほど奥が深く、ちょっとやそっとでは、とても御返答は出来兼ねるように感じます・・・」
 この日の問答は、これで終りましたが、時計を見ると、約二時間ばかりこの問答にかかっていました。

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