自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(一)]P81より抜粋

 1913年10月3日 金曜日

 もしあなたが霊的交信の真実性に少しでも疑念を抱いた時は、これまでに受け取った通信をよく検討なさることです。きっと私達の述べたことに一貫した意図があることを読み取られることでしょう。その意図とは、霊の世界が、不思議な面もあるにせよ、極めて自然に出来上がっていることをあなたに、そしてあなたを通じて他の人々に理解して頂くことです。実は私達は時折地上時代を振り返り、死後の世界を暗いものに想像していたことを反省して、今地上にいる人々にもっと明確なものを抱かせてあげたいと思うことがあるのです。死後にどんなことが待ち受けているかがよく判らず、従って極めて曖昧なものを抱いて生きておりました。それでよろしいと言う人が大勢おりますが、こうして真相の見える立場に立って見ると、やはり確固たる目的成就の為には曖昧ではいけないと思います。確固たる来世観をもっておれば決断力を与える勇気ある態度に出ることを可能にします。大勢でなくても、地上で善の為に闘っておられる人々に霊界の実在と明るさについての信念を植え付けることが出来れば、その明るい世界からこうして地上へ降りて来る苦労も大いに報われるというものです。
 ではこれから、地上の人間がこちらへ来た時に見せる反応を色々紹介してみましょう。勿論霊的発達段階が一様ではありませんから、こちらの対応の仕方も様々です。ご存知の通りその多くは当分の間自分が所謂死んだ人間であることに気付きません。その理由は、ちゃんと身体を持って生きているからであり、それに、死及び死後について抱いていた先入観が決して容易に棄てられるものではないからです。
 そうした人達に対して最初にしてあげることは、ですから、ここがもう地上ではないのだということを自覚させることで、その為に又色々な手段を講じます。
 一つの方法は、既に他界している親しい友人或いは肉親の名前を挙げてみることです。すると、知っているけどもうこの世にはいませんと答えます。そこで当人を呼び寄せて対面させ、死んだ人もこうしてちゃんと生き続けていることを実証し、だからあなたも死んだ人間なのですよと説得します。これが必ずしも効を奏さないのです。誤った死の観念が執拗に邪魔するのです。そこで手段を変えることになります。
 今度は地上の住み慣れた土地へ連れて行き、後に残した人々の様子を見せて、その様子が以前と違っていることを見せ付けます。それでも得心しない時は、死の直前の体験の記憶を辿らせ、最後の眠りについた時の様子と、その眠りから醒めた時の様子とを繋いで、その違いを認識させるようにします。
 以上の手段が全部失敗するケースが決して少なくありません。あなたの想像以上に上手く行かないものです。というのも性格は一年一年じっくりと築き上げられたものであり、それと並行して物の考え方もその性格に沁み込んでおります。ですから、あまり性急なことをしないようにという配慮も必要です。無理をすると却って発達を遅らせることにもなりかねません。もっとも、そんなに手こずらせる人ばかりではありません。物分りが良くて、直ぐに死んだことを自覚してくれる人もおります。こうなると私達の仕事も楽です。
 ある時私達は大きな町のある病院へ行くことになりました。そこで他の何名かの人と共にこれから他界してくる一人の女性の世話をすることになっておりました。他の人達はそれまでずっとその女性の病床で様子を窺っていたということで、いよいよ女性が肉体を離れると同時に私達が引取ることになっておりました。病室を覗くと大勢の人間が詰めかけ、みんなまるでこれから途方もない惨事でも起きるかのような顔をしております。私達から見るとそれが奇異に思えてならないのです。なぜかと言えば、その女性は中々出来た方で、漸く長い苦難と悲しみの人生を終え、病に冒された身体からもう直ぐ解放されて、光明の世界へ来ようとしていることが判るからです。
 いよいよ昏睡状態に入りました。〝生命の糸〟を私の仲間が切断して、そっと目覚めを促しました。すると婦人は目を開き、覗き込んでいる人の顔を見てにっこりされました。暫くは安らかで満足し切った表情で横になっておられましたが、その内なぜ周囲にいるのが看護婦と縁故者でなくて見知らぬ人ばかりなのだろうと、怪訝に思い始めました。ここはどこかと尋ねるので有りのままを言うと、不思議さと懐かしさがこみ上げて来て、もう一度後に残した肉親縁者を見せて欲しいと言います。
 婦人にはそれが叶えられました。ベールを通して地上の病室にいる人々の姿が目に映りました。すると悲しげに首を振って「私がこうして痛みから解放されて楽になったことを知って下さればいいのに・・・」と溜め息混じりに呟き、「あなた方から教えてあげて頂けないかしら」と言います。そこで私達が試みたのですが、その内の一人だけが通じたようです。が、それも十分ではなく、その内その人も幻覚だろうと思って忘れ去りました。(誰にでも叶えられるとは限らない)
 私達はその部屋を出ました。そしてその方の体力が幾分回復してから子供の学校へ案内しました。そこにその方のお子さんがいるのです。そのお子さんと再会した時の感激的シーンはとても言葉では尽くせません。お子さんは数年前に他界し、以来ずっとその学校にいたのです。そこでは今やお子さんの方が先生格になってお母さんに色々と教えていました。微笑ましい光景でした。建物の中や構内を案内して色々なものを見せて回り、又友達を紹介しておりました。その顔は生き生きとして喜びに溢れ、お母さんも同じでした。
 それから暫く私達二人はその場を離れたのですが、戻ってみるとその母子は大きな木の下に腰掛け、母親が地上に残した人達の話をすると、子供の方はその後こちらへ他界して来た人のことや、その人達と巡り合った時の話、学校での生活のことなどを話しておりました。私達は二人を引き離すのは辛かったのですが、遠からず再び、そして度々、きっと面会に来られるからという約束をして学校を後にしました。
 これなどは上手く行った例であり、こうしたケースは少なくありませんが、又別の経緯を辿るものが沢山あるのです。

 アーネルの母親の霊からの通信