自殺ダメ



 [ベールの彼方の生活(一)]P52より抜粋

 1913年9月29日 月曜日

 これまでの通信をお読みになるに当たっては、地上より高い視野から観るということが実際にどんなものであるかを、十分に理解しておいて頂く必要があります。そうしないと私達が述べた事柄に一見すると矛盾するかに思えるところがあって、あなたが不可解に思うことが少なくなかろうと思うのです。前回の通信におけるキリスト神の具象体の出現と前々回の巨大な裂け目に橋が架けられる話とは、私には極めて自然に繋ぐことが出来ます。と言うのは、実体のあるものとして-勿論霊界の私達にとって実体があるということです-実感をもって私が目撃した暗黒界との間の架け橋は、大天使と配下の霊団が今私達が働いている界とその霊団のいる高級界との間に架けた〝光の柱〟と、実質的には同じ目に見えないエネルギーによる現象だからです。
 私達にとってその具象化の現象が、あなた方人間にとっての物質化現象のようなものであることがこれでお判りでしょう。あれは私達低い界にいる者には使いこなせない高次元のバイブレーションによって、高級霊がこの〝父なる王国〟の中の二つの土地を結んだわけです。どういう具合にするのかは今のところ推察する他はないのですが、私達のように地上からやって来た者には、この界と一段上の界とを結ぶことは別に不思議なこととは思えないのです。(本書ではキリスト教的表現がそのまま使用されることが多い。これも聖書の中のイエスの言葉で、広義には死後の世界全体、狭義にはその上級界すなわち神界を指すことがある-訳者)
 あなたにもっともっと私達の世界の驚異について勉強して頂きたいというのが私達の願いです。そうすれば地上生活にありながらもそうしたことが自然なことに思えるようになるでしょうし、更にこちらへ来てから全くの不案内ということもなくて済むのではないでしょうか。地上生活にあってもという意味は、つまりは地上は天上界の胚芽期のようなもので、天上界は地上を磨き上げて完成させたものだということを悟るということです。こちらへ来てからのことは言うまでもないでしょう。
 そこで、この問題に関してあなたの理解を助ける意味で、私達が大切なものと大切でないものとを見分け区別する、その分類法についてお話してみようかと思います。私達は何か困ったことが生じると-私達の仲間内だけの話ですが-どこかの建物の屋上とか丘の頂上など、どこか高い所で周囲が遠くまで見渡せる所に登ります。そこでその困り事を口で述べ、言い終わると暫く、言わば自分の殻の中に退避するように努めます。すると普段の自分より高い次元のものを見聞きするようになり、大切なものがその視力と聴力に反応し、そのままいつまでも高い次元に存在し続けるのが判ります。一方、大して重要でないものについては何も見えもせず聞こえもせず、それで大切か否かが区別出来ることになります。

-判るような気もしますが、何かよい例を挙げて頂けませんか。

 よろしい。では、ある婦人の例で、〝不信感〟の為に進歩を阻害され満足感が得られないまま過ごしていた人の話をしてみましょう。その方は決して悪い人ではないのですが、自分自身のことも、周りの人のことも、どうも確信が持てないのでした。中でも一番確信が持てないのが天使のこと-果たして本当に光と善の存在なのか、もしかしたら天使の身分でありながら同時に暗黒の存在ということも有り得るのではないかと疑ったりするのでした。私達は当初なぜそんなことで悩むのか理解出来ませんでした。と言うのは、ここでは何もかもが愛と光明に溢れているように私には思えるからです。が、その内判ったことは、その方には自分より先に他界した親戚の人が何人かいて、こちらへ来てもその人達の姿が一人も見当たらず、どこにいるのかも判らないということが原因なのでした。そうと判ってから私達は色々と相談した挙句に、ある丘に登ってその方を救ってあげる最良の方法を教えてくださいと祈ったのです。すると思いも寄らない驚くべきことが起きました。
 跪いていると丘の頂上が透明になり、私達は頭を垂れていましたから丘を突き抜けて下の界の一部がくっきりと見え始めたのです。その時私が見た情景-私達五人全員が見たのですから幻影ではありません-は薄暗い闇の中に荒涼とした平地で、一人の大柄な男が岩に背をもたれて立っております。そしてその男の前にはもう一人、少し小柄な人が顔を手で覆った格好で地面に跪いております。それも男性でした。そしてどうやら立っている男に何か言い訳をしているみたいで、それを立っている男が不審の表情で聞いております。やがて突然その男が屈(かが)み込み、伏せている男を掴まえて自分の胸の辺りまで立ち上らせ、そのまま遠くの地平線の、ほのかな明りの見える方向へと、平地を大股で歩いて行きました。
 彼は小柄な男を引き摺りながら相当な道のりを歩きました。そしてやがて明りがずっと大きく見える辺りまで来ると手を離し、行くべき方角を指差しました。すると小柄な男が盛んに礼を言っている様子が見えます。やがてその男は明りの方向へ走って行きました。私達はその男の後を目で追いました。ある所まで来ると大柄な男の方が橋の方角を指差します。それは前にお話したあの橋です。但しそこは例の〝裂け目〟の暗黒界側の端です。その時点でも私達はなぜこんな光景を見せられるのかが理解出来ませんでした。が、とにかく後を追い続けると、その橋の入り口の所に建てられた大きな建物に辿り着きました。見張りの為の塔ではなく、暗黒界からやって来た者に休養と介助を施す所です。
 その塔からは、その男がずっと見えていたことが判りました。と言うのは、その男が辿り着くと直ぐに、橋の上の次の塔へ向けて合図の明りが点滅されるのが見えたのです。
 その時点で丘が普通の状態に戻りました。そしてそれ以上何も見えませんでした。
 私達はますます判らなくなりました。そして丘を降りて帰ろうとしました。するとその途中で私達の霊団の最高指導者であられる女性の霊が迎えて下さり、そしてその方と一緒にもう一人、私達の界のある地域の高い地位の方と思しき男の方がおられました。私達がまだ一度もお会いしたことのない方でした。指導霊が仰るには、その男の方は今しがた私達が見た光景について説明する為にお出で下さったとのことでした。お話によりますと小柄な男性は例の私達が何とかしなければと思っている女性のかつてのご主人で、私達からその婦人に早くあの橋へ行き、そこで暫く滞在しておればご主人がやって来るであろうことを告げてあげるようにとのことでした。例の大柄な男はその婦人ならさしづめ〝闇の天使〟とでも呼びたがりそうな存在で、暗黒界でも相当強力な勢力を持つ霊の一人だということです。でもあのシーンからも想像出来ますように、良いこともするのです。ではなぜいつまでも暗黒の世界に留まっているのですか、と私達は尋ねてみました。
 その方は笑顔でこう答えられました。「父なる神の王国はあなた方が想像されるより遙かに素晴らしい所です。これまであなた方には、いかなる地域もいかなる界層も他と完全に離れて独立し、それ自体で完全という所は一つも見当たらなかった筈です。そのような所は一つも存在しないのです。あの暗黒の天使の本性の中にも各界層の知識と善性と邪悪性とが混ざり合っております。あの土地に留まっているのは、一つにはその本性の中の邪悪性のせいで、それが光明の土地に馴染めなくしているのです。もう一つの理由は、心がけ次第で向上出来るのに本人がそれを望まないということです。それは一つには強情さのせいでもありますが、同時に光明を憎むところがあり、あの途方もなく急な坂道を登って行こうとする者を大バカ者だと思っております。光明界と暗黒界の対比のせいで、その坂道を登る時の苦痛と煩悶が事さらに大きく感じられるからです。それで彼はその土地に留まるのです。彼のように一種の憂鬱と麻痺的絶望感の為に光明界へ来ようとしない霊が無数におります。そうかと思うと彼は憎しみと錯乱から残忍性を剥き出しにすることがあります。あなた方が先程ご覧になったあの男にも散々残酷な行為を働き、虐め上げておりました。それも臆病なごろつきによく見られる残忍さをもってやっておりました。が、その残忍性も尽き果てたのでしょう。ご覧になったように、男の嘆願が彼の魂の柔らかい琴線に少し触れると、気持が変わらない内にと男を放してやり、道まで教えてやりました。きっと心の奥ではあの愚か者が・・・と思いながらも、自分よりはましな愚か者だと思っていたことでしょう」

 こうした話は私にとって初めてのことでした。あの暗黒の世界にも少しでも善性があるとは知りませんでした。でも今にして思えば、そうであって当然だと思います。なぜかと言えば、もし完全な悪の塊であれば私達のいる光明界へ来ようなどという心は起きないでしょうから。

-それにしてもこの話は、最初に言われた大切なものとそうでないものとを見分けることと一体どういう関わりがあるのでしょうか。

 善なるものが全て神のものであることは言うまでもありませんが、我々神の子にとっては光明も暗黒も絶対ではなく、又絶対では有り得ないということです。両者は相対的に理解しなくてはいけません。今にして判ったことは、〝暗黒界の天使〟が大勢いるということです。その人達は魂の本性に何か歪んだもの、善なるものへの志向を妨げる強情なところがある為に、今のところは暗黒界にいる。が、その内いつか、長い長い生命の旅路において、もしかしたら今のところ彼らより祝福されている私達を追い越し、神の王国において高い地位を占めることになるかも知れないのです。
 ではお寝みなさい。私達が書いたことをよく熟考して下さい。私達にとっても大変勉強になりました。こうしたことが地上にいる人々の多くの方々にも学んで頂ければ有り難いと思うのですが。

 アーネルの母親の霊からの通信