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エバンズ 子供関連の知識 目次

天界の保育園

死産児との再会

子供関連の知識 三

自殺ダメ



 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より

 P137より抜粋


 次に少し趣を変えて子供の世界にスポットライトを当ててみたい。
 幼くして霊界入りした霊魂はまず「天界の保育園」へ連れて行かれる。そこには子供の養育に必要なあらゆる設備が揃っており、そこで働く保母達の愛によって子供達はすくすくと育っていく。〝子供は無限なる可能性の宝庫である〟とはデービスの言葉であるが、この可能性を伸ばしてやることが保母の使命なのである。
 ここで特に指摘したいことは、所謂死産児も霊魂として立派に霊界に生き続けていることである。一般には母体から出ることを誕生と言い、その瞬間を人間としての出発点とするが、実際には霊魂が母体内に宿った時が本当の意味での誕生であって、空気を吸う吸わないは関係ないのである。死産児からこれこれしかじかのことをお母さんに伝えてくださいという通信を受け取った話はいくらでもある。
 ある霊能者から、如何なる死にも必ず産婆のような役をする霊魂が幾人か付いているが、その役は性質の細やかさ故に死産児が受け持つことが多いといった意味の話を聞いたことがあるが、それに違いないと思う。なぜなら「死」は霊界への「誕生」だからである。
 一度母体に宿った生命が永遠に不滅であるという事実、更にその子供といつの日か元気な姿で再会出来るという事実は、世の母親、又父親にとっても何よりの福音と言えよう。私はそこにも神の愛の大きさを痛感せずにいられない。
 では次にオーエンの『ヴェールの彼方の生活』からオーエン氏の母親が例のカストレル宮殿を訪れた時の話の続きを紹介してみよう。
 「その時不思議に思ったことは、その中に子供が混じっていることでした。なぜ不思議かというと、それまで私は子供には子供だけの特別の世界があって皆そこへ連れて行かれるものと思い込んでいたからです。最後に居残ってお話をしてくれた婦人はそこの母親のような地位にあられる方で、その他の方々はその婦人の手助けをされているらしいのです。私はその中の一人に、そこの子供達が皆幸福そうで愛らしく、こんな宮殿でもいかにも寛いでいることには何か訳があるのですかと尋ねてみたところ、大略次のような説明をしてくれました。
 「ここで生活している子供は死産児ばかりで、地球の空気を吸ったことのある子供とは性格上に非常な違いがある。僅か二、三分しか呼吸したことのない子供でも、全然呼吸していない死産児とはやはり違う。それ故、死産児には死産児として特別の養育が必要であるが、死産児は霊的知識の理解の点では地上生活を少しでも体験した子より早い。まだ子供でありながらこうした高い世界で生活出来るのはその為である。が、ただ美しく純真であるだけでは十分とは言えない。ここで一応の清純さと叡智とを身に付けたら、今度は地球との関係した仕事に従事している方の手に預けられ、その方の指導の下に間接的ながら地上生活の体験を摂取することになる。

自殺ダメ



 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より

 P139より抜粋


 「私は初めこの話を興味本位で聞いておりました。ところがその呑気な心の静寂を突き破って、この都市へ来たのは実はそのことを知る為だったのだという自覚が油然として湧いて来ました。私には実は一度死産児を産んだ経験があるのです。それに気が付くと同時に私の胸には、その子に会いたいという気持が止めども無く湧いて来ました。〝あの子もきっとここに来ているに違いない〟そう思うや否や私の心の中に感激の渦が巻き起こり、しばし感涙にむせびました。その時の気持はとても筆には尽くせません。側に仲間がいることも忘れて、木陰の芝生にうずくまり、膝に頭を押し付けたまま、湧き出る感激に身を浸したのでした。親切なその仲間は私の気持を察して、黙って私の肩を抱き、私が感激の渦から脱け出るのを待っておりました。
 やがて少し落ち着くと、その仲間の一人が優しくこう語ってくれました。〝私もあなたと同じ身の上の母親です。生きた姿を見せずに逝ってしまった子を持つ母親です。ですから今のあなたのお気持がよく判るのです。私も同じ感激に浸ったものです〟
 それを聞いて私はゆっくりを顔を上げ、涙に潤んだ目をその友に向けました。すると友は口に出せない私の願いを察してくれたのでしょう。直ぐに腕を取って一緒に立ち上がり、肩を抱いたままの姿勢で木立の方へ歩を進めました。ふと我に返ってみると、その木立の繁みを通して子供達の楽しそうなはしゃぎ声が聞こえて来るではありませんか。多分私はあまりの感激に失神したような状態になっていたのでしょう。まだ実際に子供に会ってもいないのにそんな有様です。これで本当に会ったら一体どうなるか-私はそんなことを心配しながら木立に近付きました。
 表現がまずいなどと言わないでおくれ。時間的に言ったらそう昔のことでもありませんが、さりとて昨日や一昨日のことでもありません。なのに、その時の光景と感激とが生き生きと甦ってきて、上手な表現などとても考えておれないのです。地上にいた時の私は死産児にも霊魂があるなどということは考えも及びませんでした。
 ですから、突如としてその事実を知らされた時は、私はもう・・・ああ、私にはこれ以上書けません。どうか後は適当に想像しておくれ。とにかく、この愚かな母親にも神様はお情けを下さり、ちゃんと息子に会わせてくださったのです。私がもっとしっかりしておれば、もっと早く会わせて頂けたでしょうにね。
 最後に一つだけ大切なことを付け加えておきましょう。本当はもっと早く書くべきだったんでしょうに、つい思い出にかまけてしまって・・・。その大切なことというのは、子供がこちらへ来ると、まずこちらの事情に慣れさせて、それから再び地上のことを勉強させます。地上生活が長ければ長い程、それだけこちらでの地上の勉強は少なくて済みます。死産児には全然地上の体験が無いわけですが、地球の子供であることには変わりありませんから、やはり地球の子としての教育が必要です。つまり地上へ近付いて間接的に地上生活の経験を摂取する必要があるのです。勿論地上へ近付くにはそれなりの準備が必要です。又、いよいよ近付く時は守護に当たる方が付いておられます。死産児には地上の体験がまるで無いので、地上生活をした子供に比べてその準備期間が長いようです。矢張り地上生活が長い程、又その生活に苦難が多ければ多い程、それだけこちらでの勉強が少なくて済み、次の勉強へ進むのが早いようです。

自殺ダメ



 『これが死後の世界だ』M・H・エバンズ著 近藤千雄訳より


 P142よりの抜粋


 子供の教育

 では子供達はいかなる方法でいかなる教育が授けられるかとなると、これは一概には言えないであろう。教育の究極の目的が魂の開発にある以上、各自の性格と発達程度に応じ、必要性と睨み合わせて一人一人異なった方法を編み出さねばならない筈だからである。その観点からみて天界の教育法の中に一つだけ注目すべきことがある。それは子供の生活の場が常に家庭的雰囲気に包まれていることである。
 つまり先生又は保母と生徒達とは文字通り母と子の関係にあり、決して地上の学校制度のように規律化された形式的なものではない。子供達は言わば孤児であり、先生も先生という役につけられたものではあるが、表面的にはそうでも、霊的には血縁より更に強い〝愛〟の関係によって結ばれており、その上神の叡智による深遠なる配慮が働いているのである。
 では霊界での教育方法の一例を同じく『ヴェールの彼方の生活』に見てみよう。
 「さてその婦人がお坊ちゃんと話をされている間、私達はその近辺をぶらついて子供の教育施設を見て回りました。その中に一つだけ特に目を引くものがありました。
 それは直径六~七フィートもあろうかと思われるガラスの球体で、二本の通路の交差点に据えてあります。中を覗いてみると、色んな種類の花や樹木、草などが植えてありましたが、無造作に植えたものではなく、植物の進化の順を追って植えてあるのです。つまり地上なら化石を色んな角度から観察するところを、こちらでは実際にその進化の過程を再現して勉強しているのです。全部立派に生きており、この球体を覗けば、どの種類の植物がどんな過程を経て現在の形体まで進化したかが一目瞭然と判るようになっているのです。
 ですから、ここの子供達の仕事は結局、植物の現在に至る進化の過程を研究することによって、それが更に今後いかなる過程を経てどのような形体に進化していくかという未来の進化過程を推測することです。知力を伸ばす為の素晴らしいトレーニングで、みんな結構楽しみながらやっているとのことです。
 他の部門でも少し年長の生徒達が同じことを研究していますが、そこでは実生活への応用ということが加味されており、さっきのガラスの球体も実はその年長の生徒達がこしらえたものなのだそうです。未来の標本を作るに当たっては子供達なりに想像力を働かせて、こうなるだろうと思うものをこしらえます。感心させられるような立派なものもありますが、中にはどうも危なっかしいのが混ざっており、時にはちょっと想像出来ないような珍妙な格好をしたものもあります」

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