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カテゴリ:★『各種霊的知識』 > テスター 質問に答える

テスター 質問に答える 目次

悩みや病気は何かの罰でしょうか

〝最後の審判〟は本当にあるのでしょうか

真面目な生活を送れば報われるでしょうか

神の存在を信じますか

宗教をどう思いますか

自分以外の者への責任はどこまで負うべきでしょうか

人間には自由意志というものがあるのでしょうか。それとも運命がキチンと定められているのでしょうか

私も死後生き続けるのでしょうか

自殺ダメ



『背後霊の不思議』 M・H・テスター著 近藤千雄訳より


モーリス・テスター
 二年間激痛に苦しめられたヘルニアを、心霊治療家テッド・フリッカーによって、僅か十分間の手当で治された。同氏から「あなたにも治病能力がある」と指摘され、間もなく治病能力を発揮、英国でも指折りの治療家として活躍した。1987年12月他界。



 私は心霊治療家として毎日幾人かの患者の治療に当たっている。大抵の患者は、来た時はただただ治してもらいたい一心なので、それ以上のことを考える余裕はない。が、良くなってくると、色々と質問をするようになる。直接聞く場合もあれば、手紙で質問してくることもある。心霊的なこと、道徳的なこと、心理学的なこと、生理学上のこと等々あらゆる分野にわたって質問を浴びせてくるので、私もうかうか勉強を怠れない。お陰で随分賢くなった。いわば患者から教えられた訳である。
 さて、あなたもここまで私の説に耳を傾けてくださったからには、疑問に思うこと、聞いてみたいことが多々あるのではないかと察している。といって具体的にどんな疑問を抱いておられるかは知る由もないが、これまでの体験から、おおよその見当はつく。これから掲げる質問とそれに対する私の回答を読んで頂ければ、全部とはいかないまでも、大抵の疑問は氷解していくものと確信する。それが本文での筆不足を補うことになることを期待している。



○悩みや病気は何かの罰でしょうか

 信心深い人がよく抱く疑問ですが、決してバチが当たったのではありません。
 病気になるには次の三つの原因が絡んでいます。
 まず第一に、日常生活や人間関係で難しい問題が生じます。これは地上という特殊な生活環境における神の試練であって、一人の例外もなく人間の全てに共通した条件です。つまり誰だって難しい問題を抱えているのです。
 が、これに対する反応は人によって異なります。
 それが第二の原因をこしらえるのです。つまり問題に対する心の姿勢です。順序よく片付けていく人と、又か、といった気持で対処する人とでは大いに違ってきます。これを悩みとしてしまう人は、病気への最短コースを辿っていることになるのです。
 それがやがて、第三の原因をこしらえる。つまり、 その悩みの連続が肉体に反応を示すようになります。これで立派な病人になったわけです。
 私の所に来る患者の大部分が最初必ず「私の人生は悩みの連続です」と口を切ります。そこで私は言ってやります。
 「とんでもない。実際にあるのは〝悩み〟ではなくて〝問題〟なんです。問題に対してクヨクヨ悩むのがいけないんです」と。
 神は問題は与えても、決して悩みは与えません。罰も与えません。もし与えているというのなら、その与えている張本人は自分自身だということを知ってください。

自殺ダメ



 これもキリスト教が生んだ恐怖心の一つで、地上で犯した罪の為に死後、寝巻き風のロングシャツを纏った白髪の老人によって裁きを受け、イエス・キリストを信じる者だけが救われるというのですが、こんな馬鹿げた話はないでしょう。
 既に説いたことですが、物的宇宙に寸分の狂いのない物理的法則があるように、人間の思想・感情・行為の全てにも因果律というものがあり、それ相当の責任を取らされるように出来ています。その責任は地上の時の流れの中において様々な形で取らされており、イエスといえども釈迦といえども、代わって償えるものではありません。
 では十分な償いをせずして他界した場合はどうなるのかという疑問を持たれるかも知れませんが、それは次の世界で償うことになるのです。地上と死後とを切り離して考えるからそういう疑問が出るのであって、あなたはそのまま生き続けるのであり、同じ宇宙の中で生活しているのです。ただ次元が異なるというにすぎません。
 心霊学によると死の関門を通過して霊界に目覚めると、地上生活のあらゆる出来事が、あたかもテレビのビデオテープを見るように眼前に展開するといいます。良かったこと、悪かったこと、努力したこと、頑張ったこと、怠けたこと、ズル賢くやったこと等々が次々と映し出されます。見栄も欺瞞も剥ぎ取られた赤裸々なあなたの姿を見せ付けられるのです。見ているあなたは当然色々と考えさせられる。もう一度地上に降りて、今度こそ立派に生きてみようと思うかも知れない。つまり再生です。或いは自分の地上生活に満足し、もう一段高い世界へ行ってみようという気持になるかも知れません。そこにはかなり選択の自由があるようです。
 その判断はいずれにせよその場に臨んでみないと分からないことですから、今から想像しても意味がありません。それよりもあなたが今心掛けるべきことは、霊界に行って赤裸々な自分を見るように今この時点で現在の自分を赤裸々に見つめて、偽りのない真っ正直な人生を送ることです。神の御心に適った人生を送っておれば何も恐れることはない筈です。

自殺ダメ



 〝真面目な生活〟とはどんな生活のことか、又〝報われる〟というのはどういうことを意味するかが問題でしょう。
 本書を読んでくださった方なら、その辺の本当の意味が分かって頂けると思いますが、もしも〝真面目〟という意味を、例えばあなたの信じる宗教の教義を忠実に守るとか、一地方の慣習に従い先祖伝来の家風をそのまま引き継ぐことだとすると、そんな真面目さは神には通じません。我欲を捨て、他人の為に心を砕き、死後の存続を信じて霊性の開発に勤しむ-これならば神の心に適った生活であり、大いに報いを受けるでしょう。すなわち〝健康と富と成功を得る〟ことが出来ること疑いなしです。

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 私は信じます。自然界のいずこを見渡しても、そこには必ず〝意匠〟があり、〝構図〟があることは御存じでしょう。
 小は原子から大は星雲に至るまで、数学的正確さと芸術的な美しさを具えた設計があります。デザインがあるからには、それを設計したデザイナーがいるに決まっています。それをゴッドよ呼んでもエホバと呼んでもアラーと呼んでも、或いは大霊と呼んでも生命力と呼んでも同じことです。
 但し、神というものが人間と同じような姿格好をしていて、常に自分への帰依の祈りを要求しているように説くのは私の理性が許さない。神はあくまで人間の想像を超えた存在であり、我々はその片鱗を僅かに見出しているに過ぎないのです。人間の霊的進化とは要するに神をより多く知ることだといってもよいでしょう。
 ボルテールはこんなことを言っています。
 「宇宙のことを考え出すと訳が分からなくなる。が、私のはめている腕時計には間違いなくそれを製造した人がいるのと同じで、宇宙にもそれを創造した何者かがいるに違いない」

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