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カテゴリ:★『死後の世界』 > ワード 死後の世界 叔父さんの住む霊界

自殺ダメ


 叔父さんは右に現れた霊界の図表を指しながら、なお熱心に説明を続けました-
 「勿論これは大よその図面であって、出来るだけ簡単にしてあるから、小さい宗派の名などは一つも載せてはない。しかしこれでも気をつけて見れば余程手掛かりにはなるであろう。
 言うまでもなく図に示してあるのは状態の区別であって場所の区別ではない。お前も既に知っている通り、霊界に場所などは全然無いからな。それから宗派などは実際は大変入り込んでいるもので、中々簡単に図で表せはしない。例えばイスラム教神秘派の教理は明らかに萬有神教と類似点を有し、又モルモン教がイスラム教と一致点を多量に持っているの類じゃ。そんな箇所は観る者の方で適宜に取捨判断してもらわねばならぬ。
 これと同様に、我々霊界の居住者とてただ一箇所に噛り付いてばかりはいない。必要に応じてあちこち移動する。例えば例の陸軍士官などは大抵は半信仰の境の第一部に居るが、時とすればちょいちょい第二部にも顔を出す。
 ワシなどは現在主として第二部の方に居る。ワシが第一部に居たのは、自分の心持では何年も滞在したように感じられたが、人間界の時間にすればたった四、五日位のものであった。
 ところで、ここに一つ是非とも注意してもらわねばならんことは、霊界の仕事と人間界の仕事とがあべこべになっていることじゃ。霊界の仕事というのはつまり精神の修養で、遊びというのが人間界の所謂業務に相当する。我々肉体のなくなった者は衣食住その他一切の物質的問題に関与する必要がなくなっている。しかし道楽で我々は、自分と同一趣味、同一職業の地上の人間と交通接触し、頼まれもせぬくせにその手伝いをしたり何かする。勿論道楽でやるのであるから宗派の異同だの、信仰の有無だのには一向頓着しない。こいつも一つ図面で見せることにしよう」
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 又もワード氏の眼には火で描かれた別図が現れました。叔父さんはそれを見ながらしきりに説明を進める-
 「例えばワシが建築に趣味をもっているとする。他に一人の彫刻家があって、その人も又別の見地から建築に趣味を有するものとすれば、ワシと右の彫刻家とは、建築という共通点で交通を開くことになる-ざっとそう言った関係から霊界と人間界との間にも交通が開けて行こうというものじゃ。
 お前にはもうワシの言葉の意味がよく判ったようであるから説明はこの辺で切り上げておくが、兎に角こんな按配式で、霊界に来てたった一つの仕事にしか趣味を持たない者は甚だ知己が少ないことになる。趣味というものは中々有り難いもので、たとえ宗教上にはまるきり相違した関係をもっている者でも、趣味のお蔭でいくらでも接触することが出来る。道楽もきれいな道楽ならば決して悪くないが、女道楽、酒道楽-そんな欲望を相互の共通点として交通することになると所謂魔道へ堕ちて地獄の御厄介にならなければならない。そんな話は陸軍士官のお手のもので、何れ奇談百出するであろう。ワシの道楽はせいぜい建築道楽、チェス道楽位のものであるから、あっさりしている代わりに現代式の強烈な刺激はない・・・」

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 「我々の趣味道楽はざっと右に述べた通りじゃが」と叔父さんは言葉を続けました。「本業の精神の修業となると中々やかましい。精神の修養には宗教問題が必然的に伴って来る。我々半信仰の境涯に居る者には、宗教的色彩が頗る曖昧である。それを充分見分けるだけの能力が具わってはいないからである。が、一旦上の境涯に進み入ると宗派的色彩が大変鮮明になって来る。いつかも説明した通り、真理というものは多角多面のダイヤモンドで、それぞれの面にそれぞれの真理がある。その一面の真理を掴んでいるのが一つの宗教であり、誰しも先ず一つの宗教を腹に入れ、それを土台として他の方面の真理の吸収に進んで行くのが順序であるらしい。
 が、宗教宗派の異同対立は要するに途中の一階梯で、決して最終の目的ではないらしい。人間が発達するに連れて真理の見分け方が厳密になる。一つの宗教の生命たる真理の部分だけは保存されるが、誤謬の箇所は次第に振り落とされて行く。最後に到達するのが神であるが、神は真理そのものである。
 結局霊界の最高部に達すると再び宗教の異同などは問題でなくなって来る。一遍宗教に入ることが必要であると同時に最後に宗教から超越することが必要なのである。宣教の為に地獄の方に降って行く者は宗教を超越するところまで達した霊魂でなければならない。イヤ霊界の最高部の者でもまだ充分でない。それ等はやっと地獄の入り口、学校の所までしか降ることを許されない。地獄のどん底までも平気で宣教の為に降りて行くのは光明赫灼(かくやく)たる天使達で、それは霊界よりずっと上の界から派遣されるのである。霊界の者があまり地獄の深い所まで降るのは危険である。地獄の学校へ行ってさえも、現世的引力が中々強く、その為に自分の進歩を何年間かフイにしてしまうのである。
 学校は大別して成人組と幼年組との二種類に分かれる。幼年組というものは、夭折して何事も学び得なかった幼児達を収容する場所で、科目は主として信仰に関する事柄ばかりである。霊界では読書や作文の稽古は全く不必要で、そんなものは人間界とは正反対に、純然たる娯楽に属する」
 ワード「幼年組の教師は?」
 叔父「それには霊界の最高部に居る婦人達の中で、生前育児の経験を持たなかった者が選び出されるのじゃ。こうして彼等は婦人の第一本能たる母性愛の満足を求める。その他生前教師であった者、牧師であった者もよく出掛けて行く。時とすると、行ったきり長い長い歳月の間、まるで戻らずにおる者もある。霊界では他人を教えるのは一の道楽であって、決して業務ではないのである。
 最後にワシはくれぐれも断っておくが、ワシがお前に見せたあの霊界の図表は決して固定的のものではない。地上にも相当流点はあるが、霊界の方では尚更そうである。鉄の鋳型にはめたようにあれっきり造りつけになっていると思われては大いに困る-ワシは大概これで説明するだけのことは説明したと思うが、何ぞお前の方に訊きたいことがあるかな?」
 ワード「あなたは先刻成人組と仰いましたが、そこでは何を教えるのです?」
 叔父「信仰問題に関して大体の観念を養ってやる所じゃ。其処に居る者はただぼんやりと信仰でもしてみようかしら位に考えている連中に過ぎない。彼等の眼には生前犯した罪悪の光景が映っても、なぜそれが罪悪であるかがはっきり腑に落ちない。信仰にかけてはまるで赤ん坊なのじゃ」
 ワード「それなら何故幼年組と別々に教えるのです?」
 叔父「それは当たり前ではないか。信仰上又は道徳上の知識に欠けているという点に於いては双方似たり寄ったりであるが、一方は何ら罪穢れのない赤ん坊、他方は悪い事なら何もかも心得ているすれっからし、その取り扱い方も自然に異なると言うものじゃ-今日はこれだけ・・・・。いずれ又出掛けて来る・・・」

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 これは2月14日に出た自動書記で、霊界から見た人間の臨終の光景が実によく描かれております。通信者は例の叔父さんのLの霊魂であります- 「憑って来たのはワシじゃ。最近ワシは人間の臨終の実況を霊界から見物したので、今日はそれをお前に通信してあげる。案内してくれたのはワシの守護神じゃ。何処をどう通って行ったものか途中はさっぱり分からないが、兎に角現場に臨んだのじゃ。見るとそれは通風のよい大きな部屋で、さっぱりはしているが、しかし別段贅沢な装飾などは施してない。部屋の外は庭園になっている。ただ何分冬じゃから別に面白いこともない・・・。
 ベッドの上には七十歳ばかりと思われる一人の老人が臥せっている。その人の身分は牧師じゃ。するとワシの守護神が説明してくださる-
 「彼は忠実なる道の奉仕者である。彼が死後直ちに導かるるは信仰と実務との合一せる、霊界最高の境涯である。彼はローマ舊教(ろーまきゅうきょう=カトリック)の牧師としてこの教区を預かっている身分である・・・」
 ふと気が付くと室内にはたちまち麗しき霊魂達が充ち充ちて来た。それが後から後から殖えて行くので、終いには部屋に入り切れず、庭園へまでも溢れ出た。
 「どんな人達でございます?」ワシはびっくりして訊ねた。
 「いずれもこの者に救われた善良な霊魂達である」とワシの守護神が答えてくださる。「それなる婦人、彼女は一旦堕落しかけたのであるが、この者の導きによりて誠の道に戻ることが出来た。あれなる愚昧の少年、彼は一旦地獄へ堕ちたのをこの者の為に救い出された。あれなる父親、彼は今一息で、己の娘を娼婦の群に追いやるところであったのを、この者が娘を尼寺に連れて行ってくれたばかりに心が和らいだ。今では父子二人共霊界の最高境に達して楽しい月日を送っている。これ等の霊魂達が皆打ち連れて、父であり又友であるこの者を迎えるべく出て参ったのじゃ」
 そう守護神が説明してくだすっている最中に、これ等の霊魂達よりも一段優れて麗しく光輝く何者かが室内に現れた。
 「跪いて!」と守護神がワシに教えてくださる。
 ワシが跪くと同時に部屋に溢れた霊魂達もことごとく拝跪(はいき)の禮(れい)をとった。
 「どなたでございます?」とワシが小声に訊ねる。
 「この御方がこの教区の真の支配者の天使であらせられる。わざわざお迎えの為にお出ましになられたのじゃ。気をつけて見るがよい」
 すると、極めて静かに牧師の体から一条の光線が脱けて出た。頭部の辺が一番よく光る。色は金色に近いが、ただ幾分青味を帯びている。そうする内に右の光は次第次第に凝集して、頭となり、肩となり、いつしか一個の光明体が肉の被物の中から脱け出した。最初はうっすらしていたが、やがて輪郭がくっきりして来た。同時に幾百とも知れぬ満座の霊魂達の口から歓喜の声が溢れた。
 「万歳万歳!一同お迎えいたします!」
 すると老牧師は一同に向かってにっこりしたが、イヤその笑顔の晴々しさ!体全体が笑み輝くと疑われた。老牧師の霊魂はベッドの傍に看護の労をとりつつあった地上の人達に向かっても同様に笑顔を見せてその幸福を祈るのであった。
 やがて体と霊魂とを繋ぐ焔の紐は次第に延びて、遂にプツリ!と切れてしまった。同時に看護の人達はワッとばかり泣き崩れたが、その泣き声は霊魂達の群からドッと破裂する歓びの歌にかき消されてしまった。と、お迎えの天使は老牧師の手をとって言われた-
 「汝いみじき者よ、汝はよくも地上の哀れなる者の為に尽くした。余は汝に向かって汝が生前救済の手を述べた全ての者の支配を委ねるであろう」
 言いも終わらず、又も満座の霊魂の群から起こった歓呼喝采!その響きは未だにワシの耳に残っている。
 間もなく部屋の付近から全ての姿は消えて、後にはただワシと、守護神と、二、三の哀悼者のみが残ったが、イヤ実に何とも言われぬ結構な光景で、其処を立ち去った時のワシの胸も嬉しさに躍ったのである。
 今日のワシの通信はこれで終わりじゃ。今晩仕事の手伝いをしてくれた五人の人達にはワシから厚くお礼を述べておく。何れ又・・・」

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 ワード氏は2月16日に例の霊夢式の方法で霊界の叔父さんと会談しましたが、その日の叔父さんはいつもよりも一層学究的の態度で、自分が霊界へ来て初めて学校に入った時の、ちと堅くはあるが、しかし極めて意味深長なる実験談を詳細に物語ったのでした。
 「叔父さん」とワード氏から質問しました。「あなたはこの前の通信で、色々の幻影がきちんと類別されていったことをお述べになりましたが、あれから先は一体どうなったのでございます?」
 叔父「よしよし今日はあの続きを物語ることにしましょう。あの幻影の排列された街道は、前方を見ても後方を顧みても、どこまでも際限なく続いて、果ては彼方の風景の中に消え去ったのであるが、やがて突然ワシの守護神が直ぐワシの傍にお現れになった。
 「付いて来い!」
 そう言われるのでワシは守護神の後に付いて行くと、数ある景色の一つの中を突き抜けて、いつしかその奥の田舎へ出た。その際あの幻影がどんな風に処分されたのかはワシにも正確に説明することは出来ない。現在でもそれはちゃんとワシの眼に始終映っている-が、一口に言うと、全てが次第次第に背後の方へ引っ込んで行って余り邪魔にならなくなったのじゃ。
 それからいくつかの野を横切り、丘を降りて、やがて行く手に一棟の華麗な建物の見える所へ出たのである。
 「あれは何でございます?」とワシが訊ねた。
 「あれは汝の入る学校じゃ」
 「学校でございます?私はもう子供ではございません」
 「イヤ汝は子供じゃ。信仰の道にかけてはまだよくよくの赤ん坊じゃ。それその通り汝の姿は小さいであろうが・・・」
 そう言う間にもワシの守護神の背丈がズンズン高くなるように思われた。しかしワシの体が別に小さくなるとは認められなかった。
 やがてワシ達の右の建物の門前に出たのであるが、イヤその門の立派なことと云ったら実に言語に絶するものがあった。
 間もなくワシは教室に連れて行かれた。他に適当な言葉がないから教室とでも言うより仕方がない。其処には沢山の児童達が勉強していた。イヤ児童と言うのもチトおかしい・・・。皆成人なのである。が、成人にしては妙に発育不充分で、ただ顔だけがませているのである。
 やがて其処の先生というのに紹介されたが、生徒達が揃いも揃って貧弱極まるのに反して先生の姿の立派なことはまた別段であった。ただに体が堂々としているばかりでなく、総身光輝いている。そしてその光の故で教室全体が程よく明るい。これに引き換えて、生徒達の体ときてはいずれも灰色で不景気極まるが、その中でもワシの体が誰よりもすぐれて真っ暗であった。
 次の瞬間にはもうワシの守護神の姿は消え失せていた。先生が親切にワシの手をとってとある座席につかせてくれた。そしていよいよ授業が開始されたのであるが、ワシとしてこんな教授法には生まれて初めて接したのである。大体において述べると先生の方で知識を生徒の頭脳に注入するやり方でなく、生徒の頭脳から知識を引き出すやり方なのである。最初の間は、どの質問もワシにはさっぱり判らなかった。そのくせ他の生徒にはすっかりそれが呑み込めているらしく、一人の生徒が先生の質問に対して何とか答えると、それを手掛かりに次の質問が又先生から発せられる。何処まで行っても問と答えとの繋がりで、微塵も注入的なところがない。その一例として先生が私にかけた質問振りを紹介することにしよう」

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 先生がワシに向かって質問されたのは、ワシが教室へ入って暫く過ぎてからのことであった。
 先生「あなたは何ぞ質問がありますか?」
 私「御座います-一体ここは霊界であるというのに、どうして色々の物が実体を具えているように見えるのです?なかんずく私自身が依然として体を持っているのが不審でなりません」
 先生「それなら訊ねるが、人間は何物から成立しております?」
 私「肉体と霊魂より成立しております」
 先生「科学者はそれに何という定義を下します?」
 私「物質と力だと申します」
 先生「その通り-それで人が死ぬるとその物質はどうなります?滅びますか?」
 私「イヤ物質は滅びません、ただ形を変えるだけであります。私の肉体が腐敗して土壌に化すると、それから植物が発生します」
 先生「肉体を働かせていた力はどうなります?」
 私「力は霊界へ回ります。それが霊魂でございます。霊魂も又滅びません」
 先生「宜しい。物質も力も共に滅びない。が、地上に残しておいた肉体は生前の肉体とどこか違った点はありませんか?」
 私「違った点がございます」
 先生「どの点が違います?今あなたが地上へ行って自分の遺骸を見たとすれば、主としてどこが相違していると思います?」
 私「肉体は腐敗しますから、段々原形を失いつつあるものと存じます。形が違います」
 先生「事によると形はもう無くなっているかも知れない。ところで物質と力とは滅びないとすれば形はどうなります?形は滅びますか?」
 私「滅びるでしょう。滅びないという理由はないように思われます」
 先生「然らばお訊ねしますが、あなたがかつて起こした思想の形は少しも滅びずに霊界に存在したではありませんか?思想の形が滅びない以上、あなたの肉体の形とても滅びずにいないでしょうか?」
 私「そうかも知れません-しかし思想を形作った私自身が今霊界に存在する以上、私のことを考えたものが私よりも以前に存在している筈だと思います。私が居って考えたからその思想の形が霊界に存在する。誰かが居って考えたから私というものが霊界に存在する!そうではないでしょうか?」
 先生「その通りじゃ。誰かがあなたのことを考えたからあなたが出来上がったのである。その誰かが即ち神じゃ。神は思想を以ってあなたを創られた。それと同一筆法で、あなたも又思想を以って物を創る-これであなたは何を悟りましたか?」
 私「形も又物質及び力と同じく滅びないということであります。それからもう一つは、神が私を考えて創られたと同様に、私も又考えて形を創り得るということであります」
 先生「これであなたが最初発した質問に対する答案が出来たではありませんか?」
 私「そうかも知れません・・・。私が現在霊界で見ているものは形である。私自身も又形に過ぎないから、それで自分と同じく全ての物が皆実体を具えているように見える・・・こんな道理かと存じます。しかし何故私自身実体があるように見えるのでしょう・・・」
 先生「そう見えるのが当たり前じゃ。霊界には物質は全く無い」
 私「それなら若しも私がこの形で地上に戻ったなら、自分が非実体的であるような感じが起こるでしょうか?」
 先生「地上に戻ってあなたは物質化しますか?」
 私「しません。するとあなたの仰る意味はこうでございますな-私が物質化するのでなければ、単なる形であり、力であり、物質との比較は出来ないと・・・」
 先生「分かり易いように一つ例を引きましょう。若しもここに光があって、それを煙の真ん中に置いたとする。そうすれば何が見えます?」
 私「勿論煙を通して光が見えます。恐らくいくらかぼんやりと・・・」
 先生「煙は何です?」
 私「力です」
 先生「ただ力だけですか?」
 私「無論炎には形もあります」
 先生「煙は何です?」
 私「物質と形とです」
 先生「それであなたの質問に対する答案にはなりませんか?」
 私「そう致しますと、先生の仰る意味はこうでございますか-人間の物質的肉体を通して霊魂が光るのは、丁度煙を通して蝋燭の火が光るようなものだと・・・・」
 先生「その通り」

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