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カテゴリ:★『死後の世界』 > ワード 死後の世界 叔父さんの住む霊界

自殺ダメ


 一週間と決まっている規則を破り、叔父さんのL氏は突然そのあくる二十日の晩にも又現れました。
 叔父「またやって来たがね、今晩はホンのちょっとの間じゃ。実はお前に自動書記を頼みに来たのじゃ。ワシは霊界でPという人物に出会ったが、その男が自動書記をしてはどうかとワシに勧めるのじゃ。Pは生前シェッフィールドに住んでいたそうで、その頃自動書記の経験があるそうな。なんでも生きている人間と通信をやるには、夢よりもこの方式でゆく方がずっと具合がよいというので、それをワシに伝授する約束になっている。中々の人柄な男で、ワシは付き合ってもよいと思っとる」
 ワード「実は私も自動書記なら一、二度試したことがあります。しかし成績は悪かったです」
 叔父「何時そんなことをやったのかい?ワシが死んでからかいな?」
 ワード「イヤその少し前です」
 叔父「騙されたと思ってもう一度やってみておくれ。ワシはかなり多忙じゃが、きっと忘れないでその時は出て来ます。カーリーには宜しく言っておくれ・・・」
 これっきりで夢は消えてしまいましたが、その晩ワード氏は突然自動的に次の文句を書きました-
 「約束通りワシは出て来た。Pさんがワシを助けてくれている。やってみると自動書記もあまり易しくはない。上手く読めればよいが・・・。今晩はこれだけにしておく。さようなら・・・」
 自動書記は二月二十二日の晩にも行なわれました。最初一、二回は半ば恍惚状態でありましたが、間もなくワード氏はすっかり意識を失うようになりました。
 ワード氏はそれを始める前に、先ず二、三の質問を書いておきます。するとこれに対する返答が何時の間にか自動的に書かれており、自分も覚醒後にそれを読んで大いにびっくりするという始末であります。
 ワード氏が最初叔父さんに提出した質問は左の三か条でした-
 一、あなたは生前好物のチェスその他の娯楽がやれなくなって御不自由ではありませんか?
 二、あなたの世界には階級的差別がありますか?
 三、あなたは祖先、親戚、又は歴史上知名の人物にお会いでしたか?
 いかにも初心の者が提出しそうな、罪のない質問ばかりであります。これに対して次の返答が現れました-
 「ワシは霊界へ来てからもチェスをやっているからちっとも不自由はしない。肉体の熟練を要する遊戯ならこちらでは出来ない。体が無いから・・・。しかし精神的のものはいくらでも出来る。チェスは全然精神的の娯楽であるから、心でそれをやるのに何の差支えもない。現にワシは今の今までラスカーとチェスをやって来た。勝負は先方に勝たれたが、しかし中々面白い取り組みじゃった。
 一体霊界に居る者は皆肉体の娯楽を必要としない。必要を感じたところで許されもしない。肉の快楽は若い者には必要じゃが、我々老人は死ぬるずっと以前から、大抵そんな事には倦いている。余りにそんな真似をしたがると制裁を免れない。幸いワシは死んだ時はもう老い込んでいたし、それに元来その種の楽しみには割合に淡白な素質であった。
 次に第二の質問であるが、勿論階級というような制度は霊界には無い。が、教育の有無が階級らしい差別を自然に作る。教育の行き届いた上流の人達は、兎角無教育な貧乏人達とは一緒になろうとしない。
 それから第三の質問・・・。これは当分預かりじゃ。何れこの次に・・・」
 ここに一言注釈しておかねばならんのは、叔父さんの言葉の中に出て来たラスカーという人物です。後で調べてみると、この人物はまだ生きていることが判明しました。で、後日ワード氏がその旨を叔父に質(ただ)すと、生きている人の霊魂は睡眠中にいくらでも霊界に入るもので、ただ覚めてからそれを記憶せぬだけの事だという返答でした。心霊問題に心を寄せる者の見逃し難き点でありましょう。

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 ワード氏の自動書記は最初の一、二回を除けば全然無意識状態でやったのですが、これは独り自動書記に限らず、あらゆる神憑り現象に於いてそうなることが望ましいようであります。人間の体は使い道が二通りあります。大雑把に言うと甲は頭脳を使用するやり方、乙は頭脳を使用せぬやり方であります。頭脳を使用するのは平生我々がやりつけの方法で、学問の研究だの、事務の処理だのは皆これでゆくのが本当であります。頭脳を使用せぬのは変態中の変態で、その時は人間の体が一つの機械の代わりを為し、これを動かす所の原動力は他から入ってまいります。それが即ち神憑り現象であります。そんな際には出来るだけ本人の意識が蔭に隠れ、憑って来るところの者をして自由手腕を揮(ふる)はしむることが望ましいことは申すまでもありません。
 自動書記にも深いのと浅いのと色々あります。浅いのになると、本人自身の意識が混入して不純性を帯びることを免れません。どうしても純の純なる自動書記の産物を得ようとするには当人が全然無意識の恍惚状態に入り、体全体を憑依霊に貸切にする必要があります。但しこんな場合には心霊問題に対して充分の理解と同情とを有する立会人が傍に付き切りにして監視を怠らぬことが何より肝心であります。さもないことには無抵抗な本人の体が憑依霊の為にどんなイタズラをされるか知れたものではありません。ワード氏の場合には幸いK氏夫妻が立会人としてあらゆる警戒保護の任に当たりつつありましたので大変好都合であったのであります。
 1月24日にはK氏の居宅で自動書記が行なわれましたが、その際左の三か条の質問が紙片に書いて提出されました。
 一、P氏は何処で死にましたか?
 二、あなたが『信仰』と仰るのはどういう意味ですか。何を信仰することです?
 三、あなたは祖先、親戚、史上の人物等にお会いになりましたか?
 右に対する返事はやがて次の如く現れました-
 「ワシは出掛けて来ましたよ。第一の質問に関しては直に調べてあげる。それから第三の質問じゃが、ワシはまだ歴史上知名の人物には会いません。しかしそれは出来ないのではない。もっと上の組に進めばきっと会えると思う-ア、今Pさんから聞いたが、同氏は極東・・・日本で死んだと言っている。
 近頃ワシの仕事は大変順調に進んでいる。次の月曜日には又必ずお前の所へ出かけます。時にワシはお前に聞かせることがあるが、実はホンの昨今下の組からワシ達の境涯へ上って来た一人の男がある。それがまた素敵に面白い人物で、生きている時分には極端な悪漢じゃったということで、死後色々の恐ろしい目に遭っている。その話が余りに面白いものだから、ワシは目下しきりに根堀り葉堀りほじくって聞いているところじゃ。それから第二の質問じゃが、信仰というのはつまり死後の生活を信じ、神を信ずることで、別に新しいものではない。全て人間は真っ先に何でもいいから信仰の手掛かりを見つけることじゃ。信仰しさえすれば、その対象は先ず何でも構わない。野蛮人のやってる動植物や、無生物の信仰でも無信仰よりはまだマシじゃ。しかしお前は大分疲れたネ。三十分間ばかり休んでからもう一度やるとしよう」
 それで一旦自動書記は中止されました。右の自動書記が正味有りのままのものであることは、立会人のK氏が自筆で証明を与えております。又Pという人物が日本で死んだという事は、当時ワード氏にも立会人にも判らなかったが、後日調査の結果、正確な事実であることが立証されました。

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 三十分間休憩の後、今度は質問抜きで自動書記が開始されました。時に午後六時半。
 先刻ワシは面白い人物に会ったとお前に言ったが、その人物は今ワシの直ぐ傍に来ている。元は立派な身分の方で、籍を陸軍に置いていたが、何か背徳の行為があったので、陸軍から除名処分を受けた。手始めに彼は一人の処女と結婚してその財産を巻き上げた。それからインドに行って、ここでも又一人の婦人を騙して金を絞り上げ、又一人の土人を殺害した。婦人の件は官憲に見つけられたが、土人の件は闇から闇へ葬られた。それから英国へ戻って泡沫会社の製造を企み、散々貧乏人の金銭を巻き上げた挙句に法網に触れて、五年の懲役を言い渡された。妻の方から離婚の訴訟を起こして、その通りになったのは在監中のことであったそうな。
 監獄を出ると早速賭博場を開いた。が、それも忽ち世間に漏れて、方々の倶楽部から除名処分を受けた。今度は何やらの発明をした青年を抱きこみ、暫くその提灯持ちをしていたものの、よくよく契約証書に調印という段取りに進んだ時に、ロンドンのストランド街で自動車に轢き殺されたのじゃが、この人物がお前の体を借りて自動書記をやりたいと言うのじゃ。暫くやらせてみることにしよう・・・」
 ここまで書いた時に筆跡ががらり一変して、速力が非常に加わり、同時にワード氏の態度までがまるで別人のようになりましたので、傍についているK夫妻は余程驚いたということであります。
 さてその文句はこうでした-
 「吾輩がちょっとこの肉体を借りてみたが、中々上手く行きません。吾輩は面白半分試しているだけである。吾輩は生前野獣のような生涯を送った者じゃ。その罪滅ぼしの出来ることがあれば、何か一つやりたいと思う。吾輩には自動書記がまだ上手く出来ない。吾輩は生前大失敗の歴史を残した。しかしL氏の助力を以って、必ずその取り返しをやる。これでL氏に体を譲る・・・・」
 叔父のLが交替して、次の文句を書き続けました-
 「事によると、只今の人物がお前の体を疲らせたかも知れん。ワシも未熟だが、この人ときては尚更未熟である。霊界で修業を積んでいないのでどうも荒くていけない・・・・。何しろ極度の刑罰から脱け出して来たばかりで、只今のところでは精神が少しも落ち着いていないが、これでも霊界の穏やかな空気に浸っておれば段々立派なものが書けるようになるだろう。当人は早く何か善い事をしたいと言って一生懸命焦っているものだから、ワシの方でも止むを得ずちょっとやらせてみることになったのじゃ。後日機会を見て、変化に富んだその閲歴を述べさせることにしましょう。ワシのとはまるきり種類が違っているから面白い。霊界へ来たのは却ってワシよりも先輩じゃ。死んだのは確か1905年(明治38年)で、乗合自動車が初めて運転を開始した時分じゃと言っている。イヤこの人の風評ですっかり時間を潰してしまった。今日はこれで終わりじゃ」
 それが済んだのは午後七時半でした。ちなみに右の陸軍士官の死後の体験は本書の後編に纏められてあります。

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 右の自動書記に引き続いて今度は霊夢式の現象が起こり叔父さんから今度送られるべき通信の内容につきて細々説明がありました。それは1914年1月26日の晩の出来事であります-
 叔父「今回ワシ達が自動書記を始めたのは大当たりじゃった。これから自動書記で続き物の通信を送って、一つ霊界生活につきて纏まった記事を作らせることにしよう。段々調べて見ると、今まで有りふれた霊界通信は兎角当人の直接見聞した体験のみに偏しているようじゃ。ワシの意見はそれと違って、自分の体験の外に自分の上に居る者や下に居る者の体験談をも加えて発表したらと思うのじゃ。そうすれば少なくとも三つの境涯の事情が判ることになる。尚ワシの友達で近頃上の境涯に昇った者もあるが、その人が一段上の境涯とも接触を保つつもりじゃというから、ざっとそう云った種類のものが出来上がることになるであろう。勿論ワシ自身の死後の経験も詳しく述べる。一体死んだ時には、さっぱり訳の判らぬことだらけであったが、その後ワシの守護神に導かれて地上に出掛け、他人の死ぬる実況を霊界から見物したので、近頃は大分勝手が判って来た・・・。
 ところで霊界の配置じゃが、段々調べてみると大分在来の説明とは相違の点がある。但し昔の教典が間違っているというよりも、教師達の解釈の仕方が間違っているのが多いようじゃ。その中で一番優れたものでも、やっと真理の一面を掴み得た位のものに過ぎない。我々じゃとて、無論一切の真理を掴み得たという訳ではない。真理というものは多角多面のダイヤモンドそっくりで、それぞれの面が真理の一部分を有しているに過ぎない。又その面には大きいのと小さいのとがある。で、どんな小さい教理でも真理の一面をもっていさえすれば生存に堪えるが、ただ真理の要素がまるで欠けている信仰は、とても存在し得ない。成らうことなら其の面は大きいに限る。世界の宗派の中で、ローマカトリック教などは一番真理の面の大きい方じゃが、あれにも決して一切の真理が含まれてはいない。尚霊界には仏教徒が居る。沢山の異教徒が居る。その他ありとあらゆる宗教の信者が居る。我々はこんな宗派被れの境涯から脱却して一切の真理を腹に蔵めることが出来た時に、初めて本当に神の思し召しが判ったといい得るのじゃが、それは前途中々遼遠じゃ。
 が、ワシの手に集めた新材料を説くのにも、在来の学説に当てはめた方が理解し易かろうと思われるから、ワシも大体に於いて天国、煉獄、地獄の概念を採用することにしよう。しかし多くの人達の説くところとワシのとは大分文字の用法が違うから、そのつもりでいてもらいたい。大雑把な説明をするには、在来の分類法に便利な点もないではないが、ワシの知る限り、地獄が永久的のものだという証拠は少しも見出し得ない。一時も早くこの考えは棄てるに如(し)くはない。一旦この考えを棄てると共に、この他の問題が判り易くなる。無論地獄という所には大変永く押し込められている霊魂があるにはある。例えばローマのネロなどは現に今でも地獄に居る。そして今後も中々出られそうにない。
 しかし地獄から脱出した実例としては、現に先般お前に紹介したあの陸軍士官がある。それを見ても地獄が永久呵責の場所でないことは確かである。ただ地上の人間と交通する大概の霊魂は、地獄へ行った経験が無いので、殆ど地獄の状況を説く者がない。多くの者はその存在さえも知らない。陸軍士官の物語が素敵に面白いは主としてこの点に存ずる。まだワシも詳しいことは聞かないからよく判らぬが、地獄というものは、つまり無信仰者の入って居る所と思えばよいようじゃ。又煉獄というのはつまり我々の境涯を指して居る。何ら信仰の閃きがなければ地獄にやられるが、多少なりともお光に接した者は我々の境涯に入って来る。キリストはわざわざ地獄に降りて、霊魂達に信仰を教えたというが、成る程そんなこともあったろう。今でも高級の霊魂は、宣教の為にわざわざ地獄へ降りて行かれる。
 それから天国じゃが、我々には残念ながらそちらのことはまだ一向分からない。天国は上帝と共に在る所-そう思っていれば現在の我々には充分である。ワシなどは煉獄の最下層に居る身の上であるのだから、其処へ達するまでの道中はまだまだ長い・・・」

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 叔父さんの霊界の説明は中世期時代の西洋思想-例えばダンテの説いたところなどを引き合いに出しておりますが、これは仏教思想に対照して見ても大差は無いようであります。地獄、浄土、極楽-その概念は右の説明でほぼ明白になるかと存じます。
 叔父さんはなお言葉を続け諄々(じゅんじゅん)として地獄の意義その他につきて叔父さん一流の説明を試みました-
 「ワシは先刻地獄という言葉を使ったが、その意義を誤解されると困る。ワシはただ「未信者の居住地」という意味にそれを用いている。其処は霊魂にとりて一番の難所には相違ないが、一旦それを越してしまえば、それから先は坂道が緩くなる。又煉獄という言葉も誤解せぬようにしてもらいたい。煉獄というのは我々の霊魂に付着せる浮世の垢を除き去る場所で、苦痛もあるが、同時にまた進歩するにつれて幸福か伴って来る。
 ところで、こう言うとお前達がびっくりするかも知れぬが、実は我々とてやはり堕落する虞は充分あるのじゃ。少なくとも前へ進む代わりに後へ退歩する虞がある。煉獄というものは決して安息逸眠の場所ではない。ワシ達は上へ昇るべき努力の為に常に忙殺される。但し我々にはもう色欲の誘惑だけはない。そんなものはすっかり振り落としてしまった。よくよく憐れなる地獄の居住者のみがその誘惑にかかり、依然として煩悩の奴隷となる・・・。何れ詳しい話は後で述べるが・・・。
 それからお前に一言注意しておくが、時とするとお前はこの霊界通信の仕事において、つまらないと思うことがあるかも知れぬ。が、こればかりはどうか中止せずに続けてもらいたい。この仕事はワシにとりても中々一通りの骨折りではない。しかしワシは生前の怠慢の罪を償うべく進んでそれをやっている。霊界通信はただお前の利益になるばかりではない。世間の方々も又これによりて多少学び得ることがあろうと思う。
 以上述べたところで、大体ワシの目論見は判ったと思うが、兎に角ワシの通信を読まれる者は、成るべく最後の結論を後回しにして、是非種々の条項を比較対照して頂きたい。特にワシの通信中に何も書いてないからというので、ワシがその事実を否定するのであると早合点されては迷惑である。一口に霊界といっても広大無辺の境域であるから、いかなる霊魂にもその中のホンの一小部分よりしか判りはせぬのじゃ-今日はこれでおおよそ言い尽くしたつもりじゃが、それとも何かまだ質問があるかしら・・・」
 ワード「霊界に光だの闇だのがあるものですか?」
 叔父「お前の思っているような光だの闇だのは先ず無いな。霊界は物質界ではないのであるから、従って物質的の光の存在すべき筈がない。が、一種心の闇というような闇はある。地獄は信仰の無い境地であるから、従って真っ暗である。ワシの居る境地はお前に今実地を見せるから、眼を開けて見るがよい!」
 そう言われると同時に、ワード氏の眼には一種穏やかな夕陽の色が映ったのでした。
 叔父「これがワシの居る世界の光じゃ。我々は全き信仰に入った者の如く判然と物を観ることは出来ない。ただ一歩進めば進むにつれて光は段々強くなる。光-若しそれを光と言い得るならば-は全て自身の内部にある。今日はこれで別れる・・・・」
 叔父の姿は次第にワード氏の眼底から消えて、やがて氏ただ一人後に取り残されました。

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