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カテゴリ:★『ベールの彼方の生活』 > オーエン ある人物の生前と死後の様子

オーエン ある人物の生前と死後の様子 目次

一牧師の場合

一兵士の例

ある靴屋の生前と死後の様子

自殺ダメ

これは、オーエンの『ヴェールの彼方の生活』の第三巻に書かれていた話である。



 1917年12月10日 月曜日

 前回のような例はいわば地上の戦場シーンがこの静けさと安らぎの天界で再現されるわけであるから、貴殿にとっては信じられないことかも知れませんが、けっして珍しいことではありません。人生模様というのはそうした小さな出来事によって織り成されていくもので、こちらへ来ても人生は人生です。かつての同僚がこちらで再会し、地上という生存競争の荒波の中で培った友情を温め合うという風景はけっしてこの二人に限ったことではありません。
 では、更にもう一歩踏み込んで、別のタイプの再会のシーンを紹介してみよう。我々との間に横たわる濃霧の下で生活する人々に知識の光を授けたいと思うからです。その霧の壁は人間の限られた能力では当分は突き破ることは不可能です。いつまでもとは言いません。が、当分の間すなわち人間の霊覚がよほど鋭さを増すまでは、こうした間接的方法で教えてあげる他はないでしょう。
 第二界には地上からの他界者が一旦収容される特別の施設があります。そこでは“選別”のようなことが行なわれており、一人ひとりに指導霊が当てがわれて、霊界での生活のスタートとして最も適切な境涯へ連れて行かれます。その施設を見学すると実に様々なタイプの者がいて、興味深いことが数多く観察されます。中には地上生活に関する査定では中々良い評価をされても、確信とか信念とかの問題になると、ああでもないこうでもないと、中々定まらない者もいます。誤解しないで頂きたいのは、それは施設でその仕事に当たっている者に判断能力が不足しているからではありません。新参者もまず自分自身についての理解、つまりどういう点が優れ、どういう点が不足しているか、自分の本当の性格はどうかについて明確な理解がいくまでは、はっきりとした方向決めはしない方がよいという基本的方針があるのです。そこで新参者はこの施設においてゆっくりと休養を取り、気心の合った人々との睦び合いと語らいの生活の中において、地上生活から携えてきた興奮やイライラを鎮め、慎重にそして確実に自分と自分の境遇を見つめ直すことになります。
 最近のことですが、我々の霊団の一人がその施設を訪れて、ある複雑な事情を抱えた男性を探し出した。その男性は地上では牧師だった人で、いわゆる心霊問題にも関心を持ち、今我々が行っているような霊界との交信の可能性についても一応信じていた。が彼は最も肝心な点の理解が出来ていなかった。であるから、内心では真実で有益であると思っていることでも、それを公表することを恐れ、牧師としてお座なりのことをするだけにとどまった。肝心な問題を脇へやったのです。というのも、彼は自分には人を救う道が別にある・・・が今それを口にして騒がれてはまずい・・・・それはもっと世間が理解するようになってからでよい・・・・その時は自分が先頭に立って堂々と提唱しよう・・・・そう考えたのです。
 そういうわけで、真剣に道を求める人達が彼を訪ねて、まず第一に他界した肉親との交信は本当に可能かどうか、第二にそれは神の目から見て許されるべきことであかどうかを質しても、彼はキリスト教の聖霊との交わりの信仰を改めて説き、霊媒を通じての交わりは教会がテストし、調査し、指示を与えられるまで待つようにと述べるにとどまった。
 ところが、そうしている内に彼自身の寿命が尽きてこちらへ来た。そしてその施設へ案内され、例によってそこで地上で自分の取った職業上の心掛けと好機の活用の仕方についての反省を求められることになっていた。
 そこへ我々の霊団の一人が-

-回りくどい言い方をなさらずに、ズバリ、彼の名をおっしゃってください。
 “彼”ではなく“彼女”、つまり女性です。ネインとでも呼んでおきましょう。
 ネインが訪ねた時、彼は森の小道-群葉と花と光と色彩に溢れた草原を通り抜ける道を散策しておりました。安らかさと静けさの中で、たった一人でした。というのも、心にわだかまっているものを明確に見つめる為に一人になりたかったのです。
 ネインが近付いてすぐ前まで来ると、彼は軽く会釈して通り過ぎようとした。そこで彼女の方が声をかけた。
 「すみません。あなたへの用事で参った者です。お話することがあって・・・」
 「どなたからの命令でしょうか」
 「地上でのあなたの使命の達成の為に主の命を受けて、あなたを守護し責任を取ってこられた方です」
 「なぜその方が私の責任を取らなくてはならないのでしょう。一人ひとりが自分の人生と仕事に責任を取るべきです。そうじゃないでしょうか」
 「確かに仰る通りです。ですが残念ながらそれだけでは済まされない事情があることを、私達もこちらへ来て知らされたのです。つまりあなたが地上でなさったこと、或いは為すべきでありながら為さずに終わったことの全てが、単にあなた一人の問題として片付けられないものがあるのです。守護の任に当たられたその方も、あなたの幸せの為に何かと心を配られましたが、思い通りになったのは一部だけで、全部ではありませんでした。こうして地上生活を終えられた今、その方はその地上生活を総ざらいして、ご自分の責任を取らねばなりません。喜びと同時に悲しみも味わわれることでしょう」
 「私には合点がいきません。他人の失敗の責任を取るというのは、私の公正の概念に反することです」
 「でも、あなたは地上でそれを信者に説かれたのではなかったでしょうか。カルバリの丘でのキリストの受難をあなたはそう理解され、そう信者に説かれました。全てが真実ではなかったにしても、確かに真実を含んでおりました。私達は他人の喜びを我が事のように喜ぶように、他人の悲しみも我が事のように悲しむものではないでしょうか。守護の方も今そういうお立場にあります。あなたのことで喜び、あなたのことで悲しんでおられます」
 「どういう意味でしょうか。具体的に仰ってくださいますか」
 「慈善という面で立派な仕事をなさったことは守護霊様は喜んでおられます。神と同胞への愛の心に適ったことだったからです。が、あなた自ら受難について説かれたことを実行するまでに至らなかったことは悲しんでおられます。あなたは世間の嘲笑の的になるのを潔しとしなかった。不興を買って牧師としての力を失うことを恐れられた。つまり神からの賞賛より世間からの人気の方を優先し、暗闇の時代から光明の時代へ移り始めるまで待って、その時に一気に名声を得ようと安易な功名心を抱かれました。が、その時あなたは意志の薄弱さと、恥辱と冷遇を物ともしない使命感と勇気の欠如の為に、大切なことを忘れておられました。つまりあなたが到来を待ち望んでいる時代はもはやあなたの努力を必要としない時代であるかも知れないこと、闘争は既に信念強固なる他の人々によってほぼ勝ち取られ、あなたはただの傍観者として高見の見物をするのみであるかも知れないこと、又一方、その戦いにおいて一歩も後へ退かなかった者の中には、悪戦苦闘の末に名誉の戦死を遂げた者もいるかも知れないということです」
 「一体、これはどういうことなのでしょう。あなたは一体何の目的で私のところへ来られたのでしょうか」
 「その守護霊様の使いです。いずれその方が直々にお会いになられますが、その前に私を遣わされたのです。今はまだその方とはお会いになれません。あなたの目的意識がもっと明確になってからです。つまりあなたの地上生活を織り成した様々な要素の真の価値評価を認識されてからのことです」
 「判りました。少なくとも部分的には判ってきました。礼を言います。実はこのところずっと暗い雲の中にいる気分でした。なぜだろうかと思い、こうして人から離れて一人で考えておりました。あなたから随分厳しいことを言われました。ではどうしたらよいのかを、ついでに仰って頂けますか」
 「実はそれを申し上げるのが私のこの度の使いの目的だったのです。それが私が仰せつかった唯一の要件でした。つまりあなたの心情を推し量り、ご自身でも反省して頂き、あなたに向上の意欲が見られれば守護霊様からのメッセージをお伝えするということです。今あなたはその意欲をお見せになられました-もっとも心の底からのものではありませんが・・・。そこで守護霊様からのメッセージをお伝えしましょう。あなたがもう少し修業なされば、その方が直々にご案内してくださいます。その方が仰るには、取りあえずあなたは第一界に居所を構えて、そこから地上へ赴いて、こちらの光明の世界の者との交信を求めている人達の気持をよく汲み取り、その人達をキリストの光明と安らぎへ向けて向上させてあげる為に慰めと勇気付けのメッセージを送ることに専念している(光明界の)人達の援助をなさることです。あなたの教会の信者だった人の中には、悲しみにうちひしがれた人達の為に交霊会を開き、他界した肉親との交信をさせて喜ばせ、且つ、自らも喜びを得ようと努力しておられる人もいます。今こそあなたはその人達のところへ赴き、あなたの存在を知らしめ、あなたが地上時代に説かれたことを撤回するなり、語るべきでありながら勇気がなくて語らずに終わった真理を説いて聞かせるなりするべきです。これは恥を忍ばねばならないことではあります。でも、それによって地上の信者は大いに喜びを得るでしょうし、あなたの潔い態度に好意を抱くことでしょう。と言うのは、その方達は既に今のあなたの位置より遙かに高い天界からの愛の芳香を嗅ぎ取っているのです。でも、どうなさるかはあなたの自由意志に任されております。言われる通りになさるなり、拒否なさるなり、どうぞご自由になさってください」
 彼はしばし黙して下を向いていた。必死で思いを廻らせていた。その心の葛藤は彼のようなタイプの人間にとって決して小さなものではなかった。果たせるかな彼は決断に到達することが出来ず、後でもっとよく考えてからご返事しますとだけ述べた。怖れと優柔不断という、かねてからの彼の欠点が相も変わらず彼をマントの如く覆い、その一線を突き破りたくても突き破れなくしていた。ネインは自分の界へ戻って行った。が、彼女が求めにきた嬉しい返事を携えて帰ることは出来なかった。

-それで結局彼はどうしました?どういう決断をしたのでしょうか。

 この間聞いたところでは、まだ決めていないとのことでした。もっとも、この話はつい最近のことで、まだ結末に至る段階ではありません。彼の自由意志によって何らかの決断を下すまでは結末は有り得ないでしょう。貴殿が催される“交わりの集会”へは彼のような立場の霊が大勢参加するものです。

-交わりの集会というのは聖餐式のことでしょうか。それとも交霊会のことでしょうか。

 どう言い換えたところで同じでしょう。確かに地上の人間にとっては両者は大いに違うでしょうが、我々は地上の基準で考えているのではありません。どちらにせよ同じ目的、つまり両界の者と主イエスとの交わりを得る為です。我々にとってはそれだけで十分です。
 ところで我々が派遣した女性のことですが、貴殿はなぜこのような使命を女性が担わされたのか-キリスト教の牧師を相手にしてその行為と態度を論じ合わせたのはなぜかと思っておられる。その疑問にお答えしましょう。
 答えはいたって簡単です。実は彼には幼少時代に一人の妹がいたのですが、それが僅か二、三歳で夭逝した。そして彼一人が成人した。例の女性がその妹です。彼はその妹を非常に可愛がっていた。であるから、もしもその人生においてもう一段高い霊性を発揮していたら、たとえその後の彼女が美しく成人していても、すぐに妹と知れた筈です。が、低き霊性故に彼の視界は遮られ、視力は曇らされ、ついに彼女は自分が実の妹であることを気付いてもらえないまま去って行った。
 げに我々は、喜びにつけ悲しみにつけ一つの家族のようなものであり、それを互いに分かち合わねばならない。主イエスも地上の人間の罪と愛、すなわち喜びと悲しみを身をもって体験されたのですから。

自殺ダメ

これは、オーエンの『ヴェールの彼方の生活』の第三巻に書かれていた話である。



 1917年12月7日 金曜日

 地球を取り巻く暗闇-光明界から使命を帯びて降りてくる霊の全てがどうしても通過せざるを得ない暗闇を通って、地上という名の“闘争の谷”から光明と安らぎの丘へと、人間の群が次から次へと引きも切らずにやってまいります。これからお話するのは、その中でも、右も左もわきまえない無明の霊のことではなく、“存在”の意味、なかんずく自分の価値を知りたくてキリストの愛を人生の指針として生きてきた者達のことです。彼らは地上において既に、その暗闇と煩悩の薄暮の彼方に輝く太陽が正義と公正と愛の象徴であることを知っておりました。
 それゆえ彼らはこちらへ来た時に、過ちではなかろうかと気にしながらも生きてきたものを潔く改める用意と、天界へ向けての巡礼の旅において大きく挫折し或いは道を見失うことのないよう蔭から指導していた背後霊への信頼を持ち合わせているのです。
 それはそれなりに事実です。が、彼らにしてもなお、いよいよこちらへ到来してその美しさと安らぎの深さを実感した時の驚きと感嘆は、あたかもカンバスの上に描かれた光と蔭だけの平面的な肖像画と実物との差にも似て、その想像を超えた躍動する生命力に圧倒されます。

-判ります。私にはその真実性を全て信じることか出来ます。リーダーさん・・・・あなたがそちらでそう呼ばれていることをカスリーンから聞いております・・・
 でも、何か一つだけ例を挙げて頂けませんか。具体的なものを。

 無数にある例の中から一つだけと言われても困りますが、では最近こちらへ来たばかりの人の中から一人を選んでみましょう。現段階では我々の班は地上界との境界近くへ行って新参の案内をする役目は仰せつかっていませんが、それを仕事としている者と常に連絡を取り合っておりますので、その体験を参考にさせてもらっています。では、つい先頃壁を突き抜けてきたばかりで、通路脇の草地に横になっていた若者を紹介しましょう。

-“壁”というのは何でしょうか。説明して頂けませんか。
 貴殿らの住む物質界では壁といえば石とかレンガで出来ていますが、我々のいう壁は同じく石で出来てはいても、その石はしっかりと固いという意味で固形をしているのではありません。その石を構成しているところの分子は、地上の科学でも最近発見されたように常に波動の状態にある。そしてその分子の集合体も地上でエーテルと呼ぶところの宇宙に瀰漫(びまん)する成分よりも更に鈍重な波動によって構成されている。そもそも“動”なるものは意念の作用の結果として生じるものであり、また意念を発するのは意識をもつ存在です。したがって逆に考えれば次のようなことになりましょう。まず一個の、又は複数の意識的存在がエーテルに意念を集中するとそこに波動が生じる。そしてその波動から分子が構成される。それが更に別のグループ(天使団と呼んでもよい)の意念の働きによって濃度の異なる凝固物を構成し、或いは水となり、或いは石となり、或いは樹木となる。それ故、あらゆる物質は個性的存在である意念の物質化現象であり、その個性的存在の発達程度と、働きかけが一個によるか複数によるかによって、構成と濃度が異なるわけです。つまり意念の不断の放射がその放射する存在の発達程度に相応しい現象を生み出すわけです。
 霊界と物質界との間には常にこうした一連の摂理が働いているのです。
 先の“壁”は実は地上界から放射される地上独得の想念が固まって出来、それが維持されているものです。すなわち天界へ向けて押し寄せて来る地上の想念が地上に近い界層の想念によって押し返される。これを繰り返す内に次第に固さが増して一種の壁のようなものを形成する。その固さと素材は我々霊界の者には立派に感触があるが、地上の人間には一種の精神的状態としてしか感識出来ません。貴殿らがよく“煩悶の暗雲”だの“霊的暗黒”だのと漠然と呼んでいる、あれです。
 従って我々が“その壁は地上の人間の想念によって作られている”と言う時、霊の創造力の文字通りの意味において述べているのです。全ての霊に創造力があり、肉体に宿る人間は本質的には霊です。そしてその一人ひとりが我々と同じく宇宙の大霊の一焦点なのです。それゆえ霊界との境界へ向けて押し寄せて来るこの想念の雲は霊的創造物であり、それを迎えうって絶えず押し返し続け地上圏内に止めているところの霊界の雲と同じです。本質において、或いは種類において同じということです。程度において異なるのみです。つまり程度の高い想念体と低い想念体との押し合いであり、その時々の濃度の割合によって霊界の方へ押し込んで来たり、また地上近くへ押し返されたり、を繰り返している。が、それにも限界があり、全体としてみればほぼ定位置に留まっており、けっして地上圏からそう遠ざかることはありません。
 さて、貴殿の質問が我々に一つの大きなテーマを課す結果になりました。今日の地上においてはまだ科学の手の届いていない領域の一つを無理して地上の言語で語ることになってしまいました。いずれ科学が領域を広げた暁には地上の誰かが人間にとってもっと馴染み易い用語で、もっと分かり易く説明してくれることでしょう。

-大体の流れは掴めました。どうも済みませんでした。

 さてその男は通路脇の芝生に横になっていましたが、その道は男を案内してきた者達の住居の入り口に通じる通路でした。間もなく男は目を開いて、辺りの明るい様子に驚きの表情を見せたが、目が慣れてくると彼を次の場所まで案内する為に待機している者達の姿が見えてきた。
 最初に発した質問が変わっていた。彼はこう聞いたのである-「私のキット(兵士の戦闘用具)はどうしたのでしょうか。失くしてしまったのでしょうか」
 するとリーダー格の者が答えた。「その通り、失くされたようですね。でも、その代わりとして私達がもっと上等のものを差し上げます」
 男が返事をしようとした時、辺りの景色が目に入り、こう尋ねた。「それにしてもこんなところへ私を連れてきたのはどなたですか。この国は見覚えがありません。敵の弾丸が当たった場所はこんな景色ではありませんでしたが・・・・」そう言って目を更に大きく見開いて、今度は小声で尋ねた。「あの、私は死んだのでしょうか」
 「その通りです。あなたは亡くなられたのです。そのことに気付かれる方はそう多くはありません。私達はこちらからずっとあなたを見守っておりました。生まれてから大きく成長されていく様子、職場での様子、入隊されてからの訓練生活、戦場で弾丸が当たるまでの様子、等々。あなたが自分で正しいと思ったことをなさってきたことは私達もよく知っております。全てとは言えないまでも、大体においてあなたはより高いものを求めてこられました。ではこれから、こちらでのあなたの住居へご案内いたしましょう」
 男は少しの間黙っていたが、その後こう聞いた。「お尋ねしたいことがあります。よろしいでしょうか」
 「どうぞ、何なりとお聞きください。その為にこうして参ったのですから・・・・」
 「では、私が歩哨に立っていた夜、私の耳に死期が近付いたことを告げたのはあなたですか」
 「いえ、その方はここにいる私達の中にはおりません。もう少し先であなたを待っておられます。もっとしっかりなさってからご案内しましょう。ちょっと立ってみてください。歩けるかどうか・・・」
 そう言われて男はいきなり立ち上がり、軍隊の癖で直立不動の姿勢をとった。するとリーダー格の人が笑顔でこう言った。「もう、それはよろしい。こちらでの訓練はそれとは全く違います。どうぞ私達を仲間と心得て付いて来てください。いずれ命令を授かり、それに従うことになりますが、当分はそれも無いでしょう。その時が来れば私達よりもっと偉い方から命令があります。あなたもそれには絶対的に従われるでしょう。叱責されるのが怖くてではありません。偉大なる愛の心からそうされる筈です」
 男は一言「有難うございます」と言って仲間達に付いて歩み始めた。今聞かされたことや新しい環境の不思議な美しさに心を奪われてか、黙って深い思いに耽っていた。
 一団は登り道を進み丘の端を通り過ぎた。その反対側には背の高い美しい樹木の茂る森があり、足元には花が咲き乱れ、木々の間で小鳥がさえずっている。その森の中の小さく盛り上がったところに一人の若者が待っていて、一団が近付くとやおら立ち上がった。そして彼の方からも近付いてくだんの兵士のところへ行って、片腕で肩を抱くようにして一緒に歩いた。互いに黙したままだった。
 すると突如として兵士が立ち止まり、その肩にまわした腕をほどいて若者の顔をしげしげと覗き込んだ。次の瞬間その顔をほころばせてこう叫んだ。「なんと、チャーリーじゃないか。思ってもみなかったぞ。じゃあ、あの時君はやはりダメだったのか?」
 「そうなんだ。助からなかったよ。あの夜死んでこちらへ来た。すると君のところへ行くように言われた。君にずっと付いてまわって、出来るだけの援助をしたつもりだ。が、その内、君の寿命が尽きかけていることを知らされた。僕は君にそのことを知らせるべきだと思った。と言うのも、僕が首に弾丸を受けた時、君が僕を陣地まで抱きかかえて連れて帰ってくれたが、あの時君が言った言葉を思い出したんだ。それで君が静かに一人ぽっちになる時を待って、(死期の迫っていることを知らせるべく)出来るだけの手段を試みた。後でどうにか君は僕の姿を見ると共に、もうすぐこちらへ来るぞという僕の言葉をおぼろげながら聞いてくれたことを感じ取ったよ」
 「なるほど“こちらへ来る”か・・・・もう“あの世へ行く”じゃないわけだ」
 「そういうわけだ。ここで改めてあの夜の君の介抱に対して礼を言うよ」
 こうした語らいの内に二人だけがどんどん先を歩んだ。と言うのも、他の者達が気をきかして歩調を落とし、二人が生前のままの言葉で語り合うようにしてあげたのである。
 さて我々が特にこの例を挙げたことには色々と訳があるが、その中で主なものを指摘しておきたい。
 一つは、こちらの世界では地上での親切な行為は絶対に無視されないこと。人の為に善行を施した者は、こちらへ来てからその相手から必ず礼を言われるということです。
 次に、こちらへ来ても相変わらず地上時代の言語を喋り、物の言い方も変わっていないことです。ために、久しぶりで面会した時にひどくぶっきらぼうな言い方をされて驚く者もいる。今の二人の例に見られるように軍隊生活を送った者が特にそうです。
 また、こちらでの身分・階級は霊的な本性に相当しており、地上時代の身分や学歴には何の関係もないということです。この二人の場合も、先に戦死した男は軍隊に入る前は一介の労働者であり、貧しい家庭に育った。もう一人は世間的には恵まれた環境に育ち、兵役に就く前は叔父の会社の責任あるポストを与えられて数年間それに携わった。が、そうした地位や身分の差は、負傷した前者を後者が背負って敵の陣地から連れて帰った行為の中にあっては関係なかった。こちらへ来てからは尚のこと、何の関係もなかった。
 こういう具合に、かつての知友はこちらで旧交を温め、そして共に向上の道に勤しむ。それというのも、地上において己の義務に忠実であった者は、美と休息の天界において大いなる歓迎を受けるものなのです。そこでは戦乱の物音一つ聞こえず、負傷することもなく、苦痛を味わうこともない。地上の労苦に疲れた者が退避し、生命の喜びを味わう“安らぎの境涯”なのです。

自殺ダメ

これは、オーエンの『ヴェールの彼方の生活』の第三巻に書かれていた話である。


“後なる者、先になること多し”

 1917年11月15日 木曜

 我々が地上生活を送っていた時代には“霊的真理の道を選んだ者はすぐに後悔するが最後には必ず勝利を得る”と言われたものです。それを身をもって証明した者が少なくとも我々の霊団の中にも幾人かいます。視野をこの短い地上的時間に縛られることなく、限りない永遠性に向けていたからでした。今この天界より振り返り、これまでの旅路を短縮して一枚の絵の如く平たく画いてみると、そのカンバスで特に目立った点が浮き彫りにされ、そこから読み取れる教訓に沿って未来のコースを定めることも可能です。
 それにしても、天界の光に照らし出されたその絵は、かつて我々がその最中において悪戦苦闘した時に想像していたものと何という違いであろう。そこで貴殿に忠告しておくが、人生全体と日々の暮らしを形作っている様々な要素の価値判断において余りに性急であってはならないことである。今にして思えば、当時我々が携わった仕事が偉大であったのは全体として見た場合のことであって、一人ひとりの役割に目を向ければ実にささやかなものであり、大切だったのは個々の持ち前ではなく、それに携わる動機のみであったことが判る。というのも、一個の偉大な事業のもとに参加する者が多ければ多い程、それだけ存在価値も分散し、役割分担は小さくなっていくのが道理だからです。重要なのは根気よくそれに携わる動機である。事業全体としての趣旨は人類の為であり、一人一人がその恩恵に浴するが、その分け前はいたって僅かなものです。しかし一方、動機が気高くさえあれば、世間がそれをどう評価しようと問題ではない。人生という闘争の場において自分に最も相応しい役割を与えられたのであるから。

-何だかややこしくなって来ました。良い例を挙げて説明して頂けませんか。
 例ならば幾らでもあります。では一つだけ紹介しよう。
 地上の言い方をすれば“何年も前”のことになるが、靴直しを生業としていた男が地上を去ってこちらへ来た。何とか暮らしていくだけの収入があるのみで、葬儀の費用を支払った時は一銭も残っていなかった。こちらで出迎えたのもほんの僅かな知人だけだったが、彼にしてみれば自分如き身分の者を迎えにわざわざ地上近くまで来て道案内をしてくれたことだけで十分嬉しく思った。案内された所も地上近くの界層の一つで、決して高い界層ではなかった。が今も言った通り彼はそれで満足であった。と言うのも、苦労と退屈と貧困との闘いの後だけに、そこに安らぎを見出し、その界の興味深い景色や場所を見物する余裕も出来たからである。彼にとってはそこかまさに天国であり、みんなが親切にしてくれて幸福そのものだった。
 ある日のこと-地上的に言えばのことであるが-彼の住まいのある通りへ一人の天使が訪れた。中を覗くと彼は横になって一冊の本をどこということなく読んでいる。その本は彼がその家に案内されてここがあなたの家ですと言われて中に入った時からそこに置いてあったものである。天使が地上時代の彼の名前-何といったか忘れたが-を呼ぶと彼はむっくと起き上がった。
 「何を読んでおられるのかな?」と天使が聞いた。
 「別に大したものじゃありません。どうにかこうにか私にも理解できますが、明らかにこの界の者の為の本ではなく、ずっと高い界のもののようです」と男は答えた。
 「何のことが書いてあるのであろう?」
 「高い地位、高度な仕事、唯一の父なる神の為に整然として働く上層界の男女の大霊団のことなどについて述べてあります。その霊団の人々もかつては地上で異なった国家で異なった信仰のもとに暮らしていたようです。話しぶりがそれを物語っております。しかしこの著者はもうこの違いを意識していないようです。長い年月の修養と進化によって今では同胞として一体となり、互いの愛情においても合理的理解力においても何一つ差別がなくなっております。目的と仕事と願望において一団となっております。こうした事実から私はこの本はこの界のものではなく、遙か上層の界のものと判断するわけです。その上この本には各霊団のリーダーの為の教訓も述べられているようです。と言うのは、政治的性格や統率者的手腕、リーダーとしての叡智、等々についての記述もあるからです。それで今の私には興味はないと思ったわけです。遠い遠い将来には必要となるかも知れませんけど・・・。一体なぜこんな本が私の家に置いてあったのか、よく判りません」
 そこで天使は開いていたその本を男の手から取って閉じ、黙って再び手渡した。それを男が受け取った時である。彼は急に頬を赤く染めて、ひどく狼狽した。その表紙に宝石を並べて綴られた自分の名前があるのに気付いたからである。戸惑いながら彼はこう言った。
 「でも私にはそれが見えなかったのです。今の今まで私の名前が書いてあるとは知りませんでした」
 「しかし、御覧の通り、あなたのものです。と言うことは、あなたの勉強の為ということです。いいですか。ここはあなたにとってはホンの一時の休憩所に過ぎないのです。もう十分休まれたのですから、そろそろ次の仕事に取りかからなくてはいけません。ここではありません。この本に出ている高い界での仕事です」
 彼は何か言おうとしたが口に出ない。不安の念に襲われ、尻込みして天使の前で頭を垂れてしまった。そしてやっと口に出たのは次の言葉だった。「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。私ごとき者にはここが天国です」
 そこで天使がこう語って聞かせた。
 「そういう言葉が述べられるということだけで、あなたには十分向上の資格があります。真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾であり防衛手段の一つなのです。それにあなたは、それ以外にも強力な武器をお持ちです。謙虚の盾は消極的な手段です。あなたはあの地上生活の中で攻撃の為の武器も強化し鋭利にしておられた。例えば靴を作る時あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の財布の負担を軽くしてあげようと考えた。儲ける金のことよりもそのことの方を先に考えた。それをモットーにしておられた程です。そのモットーがあなたの魂に沁み込み、あなたの霊性の一部となった。こちらではその徳は決してぞんざいには扱われません。
 その上あなたは日々の生活費が逼迫しているにも拘わらず、時には知人宅の収穫や植え付け、屋根拭きなどを手伝い、時には病気の友を見舞った。その為に割いた時間はローソクの明かりで取り戻した。そうしなければならないほど生活費に困っておられた。そうしたことはあなたの魂の輝きによってベールのこちら側からことごとく判っておりました。と言うのも、こちらの世界には、私達の肩越しに天界の光が地上生活を照らし出し、徳を反射し、悪徳は反射しないという、そういう見晴らしがきく利点があるのです。ですから、正しい生活を営む者は明るく照らし出され、邪悪な生活を送っている者は暗く陰気に映ります。
 この他にも、あなたの地上での行為とその経緯について述べようと思えば色々ありますが、ここではそれはおいておきます。それよりもこの度私が携えてきたあなたへのメッセージをお伝えしましょう。実はこの本に出ている界に、あなたの到着を待ちわびている一団がいるのです。霊団として組織され、既に訓練も積んでおります。その使命は地上近くの界を訪れ、他界して来る霊を引取ることです。新参の一人ひとりについてよく観察して適切な場を選び、そこへ案内する役の人に引き渡すのです。もう、いつでも出発の用意が出来ており、そのリーダーとなるべき人の到来を待つばかりとなっています。さ、参りましょう。私がご案内します」
 それを聞いて彼は跪(ひざまず)き、額を天使の足元につけて涙を流した。そしてこう言った。「私にそれだけの資格があれば参ります。でも私にはとてもその資格はありません。それに私はその一団の方々を知りませんし、私に従ってくれないでしょう」
 すると天使がこう説明した。「私が携えてきたメッセージは人物の選択において決して間違いを犯すことのない大天使からのものです。さ、参りましょう。その一団は決してあなたの知らない方達ではありません。と言うのは、あなたの疲れた肉体が眠りに落ちた時、あなたはその肉体から脱け出て、いつもその界を訪れていたのです。そうです。地上にいる時からそうしていたのです。その界においてあなたも彼らと一緒に訓練をなさっていたのです。まず服従することを学び、それから命令することを学ばれました。お会いになれば皆あなたのご存じの方ばかりの筈です。彼らもあなたをよく知っております。大天使も力になってくださるでしょうから、あなたも頑張らなくてはいけません」
 そう言い終わると天子は彼を従えてその家を後にし、山へ向かって歩を進め、やがて峠を越えて次の界へ行った。行く程に彼の衣服が明るさを増し、生地が明るく映え、身体がどことなく大きく且つ光輝を増し、山頂へ登る頃にはその姿はもはやかつての靴直しのそれではなく、貴公子のそれであり、まさしくリーダーらしくなっていた。
 道中は長引いたが楽しいものであった。(長引いたのは本来の姿を穏やかに取り戻す為であった)そしてついに霊団の待つところへやって来た。一目見て彼には彼らの全てが確認出来た。出迎えて彼の前に整列した彼らを見た時には、彼には既にリーダーとしての自信が湧いていた。各自の目に愛の光を見たからである。

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