心霊現象は「電話のベル」

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 コナン・ドイルといえば誰しも思い浮かべるのは名探偵シャーロック・ホームズであろう。その世界的ベストセラーを書いたドイルがライフワークと言ってもよいほど関心と資金を注いだのだが、他ならぬスピリチュアリズムであったことを知る人は少ない。
 ハイズヒルでの騒ぎが米国から英国へと飛び出し、クルックスによる心霊現象の研究が話題をまいていた頃は、ドイルは医学生としてエディンバラ大学の眼科で学んでいた。そして卒業して眼科医として開業した頃も、エドマンズ判事の霊的体験記やクルックス博士の実験報告を読んでも、世の中にこんな現実離れのしたものに関心を持つ人がいるものかといった感慨しか抱かなかったらしい。
 そのうち英国海軍のさる将校に誘われて交霊会に出席し、頭から無視するわけにはいかないものを感じる。が、病院か開店休業状態で生活費にも困り始めたドイルはミステリー小説を書く。これも出版社をたらい回しにされたが、表紙の文字が擦り切れて読み辛くなった頃に月刊雑誌に連載されることになる。これが第一作の『紺色の研究』である。
 これがバカ売れして原稿依頼が殺到する。ご存知『シャーロック・ホームズ』シリーズの始まりであるが、その原稿書きに追われている最中にも気掛かりだったのはスピリチュアリズムのことだった。暇を見つけては欧米の学者の研究成果を読んだり交霊会に出席したりして理解を深めていく。それを書物に纏めて出発したのがThe New Revelationで、1918年のことだった。さらに翌年にはThe Vital Messageを刊行している。(後にこの二冊は合本となって発行され、その日本語訳が『コナン・ドイルの心霊学』のタイトルで新潮社から出版されたが、その後『遥かなるメッセージ』と改題されて『ザ・ベール』から発売されている。)
 その第一作の第一章でドイルはこう述べている。

 以上、第一次大戦に至るまでの私の心霊観の発展の跡を辿って来た。その間私は一貫して慎重な態度を堅持し、否定論者が言うような安直な軽信性はなかったつもりである。どちらかと言えば慎重すぎた程である。というのは、私は変わった出来事を何でもかんでも検討の対象とすることには躊躇してきた。もしかしたら私は一生涯を一心霊研究家として、例えばアトランティス大陸の存在とかベーコン論争(シェークスピアはベーコンではないかという議論ー訳者)のような、面白くはあっても道楽的要素の強い問題で、ああでもない、こうでもないと、迷い続けていたかも知れなかった。
 が、幸か不幸か、大戦が勃発した。戦争というものは[生]と真剣に見つめさせ、一体何の為に生きているのかを改めて考えさせることになった。苦悩する世界の中にあって毎日のように夢多き青春が満たされないまま次々と散っていく若者の訃報に接し、またその魂が一体いずこへ行ってしまうのかについて明解な概念を持たないまま嘆き悲しむ妻や母親達の姿を見て、突如私は、これまで自分がだらしなく引きずってきた問題は、実は物質科学が知らずにいるエネルギーが存在するとかしないとかいった呑気なものではなく、この世とあの世との壁を突き崩し、この未曾有の苦難の時代に人類に用意された、霊界からの希望と導きの呼びかけなのだという考えが閃いた。これは大変なことなのだと気づいた。
 そう思った私は客観的な現象への興味が薄らぎ、それが実在するものであることさえ確信すれば、それでその現象の用事は済んだのだと考えた。それよりも、それが示唆している宗教的側面の方が遥かに大切なのだと思うようになった。
 電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが、それが途方もなく重大な知らせの到来を告げてくれることがある。心霊現象は、目を見張るものであっても些細なものであっても、電話のベルに過ぎなかったのだ。それ自体は他愛もない現象である。が、それが人類にこう呼びかけていたのだー目を覚ましなさい!出番に備えなさい!よく見なさい、これが『しるし』なのです。これが神からのメッセージへと導いてくれるのです、と。
 本当に大事なのはその『しるし』ではなく、その後に届けられるメッセージだったのである。新しい啓示が人類にもたらされようとしていたのである。