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カテゴリ:★『霊との対話』 > アラン・カルデック あの世を信じていた霊

アラン・カルデック あの世を信じていた霊 目次

無神論の信念を打ち砕いた臨死体験-医師カルドン氏

霊実在論の発展を予告する作家の霊-ジャン・レイノー

安らぎに満ちた死の瞬間-ジョルジュ

サンソン氏-死後の招霊を希望していた男性

寡婦フロン夫人-失明した細密画家

ヴィニャル博士-生前に幽体離脱した男性

アントワーヌ・コストー-心優しき舗装工

カルドン氏は、生涯の一時期を、捕鯨船付きの医師として海の上で過ごした。そして、唯物的な世界観を持ち、唯物的な生活をしていた。その後、J村に隠棲し、田舎医師としての余生を送った。
 暫く前から、自分が心臓肥大にかかっていることを自覚しており、しかも、この病が治療不能であることを知っていたので、死の思いが心を占領し、憂鬱に襲われ、心が安らぐ時がなかった。死の二ヶ月程前、彼は自分が死ぬ日を予告した。
 死期が迫ったことを悟ると、彼は家族を枕元に呼び寄せ、別れを告げることにした。母親、妻、三人の子供、そして親族が、ベッドの周りに集まった。妻が彼の体を支えている間に、昏睡状態に陥り、顔面蒼白となった。みんなは彼が死んだものと思った。
 ところが、数分して彼は目を開いたのである。目はきらきらと輝き、顔も深い喜びに輝いていた。そして、彼はこう叫んだ。
 「ああ、我が子達よ!死とは、なんと美しい、なんと美しい、なんと素晴らしいものだろう。死は、何という恵みだろう! 何という素敵なことだろう。
 私は一度死んだのだ。私の魂はどんどん昇っていった。高く、高く昇っていった。しかし、神が私に、『一度、家族のもとに帰り、次のように告げなさい』と仰ったのだ。
 [死を恐れてはならない。死とは解放なのだ]
 ああ、私の見たものの偉大さを描写することはとても出来ない。私の感じた印象を言葉で表すことは出来ない。お前達は到底それを理解することが出来ないだろう。
 だが、子供達よ、このえもいわれぬ至福は、善き生き方をした人間に必ず与えられるものなのだよ。だから、思いやりを持って生きなさい。持っているものの中から、恵まれない人々にその一部を分けてあげなさい。
 ああ、愛しい妻よ、お前には苦労をかけることになるね。治療費をまだ払っていない人々がいるが、あまり五月蝿く催促しないようにしなさい。そして、生活に困っている人の場合は、払えるようになるまで待ってあげなさい。払えない人の場合、支払いを免除してあげなさい。神様が必ず償いをしてくださるはずだ。
 息子よ、しっかり働いてお母さんを支えてあげておくれ。正直に生き、家族を汚すようなことは絶対にしないように。私がおばあちゃんから受け継いだ、この十字架を、お前にあげよう。さあ、受け取りなさい。それを肌身離さず持ち歩き、いつも私のこの最後の忠告を思い出すようにしなさい。
 子供達よ、お互いに助け合い、支え合って生きるのだよ。みんな調和して生きるように。自惚れたり、傲慢になったりしてはならない。
 お前達に酷いことをする人を許しなさい。そうすれば、神様も、お前達を許してくださるだろう」
 こう言って、今度は永久にその目を閉じた。その表情は本当に威厳に満ちていたので、埋葬されるまでの間、評判を聞いた多くの人々が見に来ては、感嘆して帰っていった。
 次の霊示は家族の友人が得たものである。全ての人に読んでもらいたいと考えて次に掲げる。

ー招霊します・・・。
 「はい、私はあなたのすぐ側におります」
ーあなたの最後のご様子を伺い、感動いたしました。あなたの二度の死の間に起こったことを、もう少し詳しく教えて頂けませんか?
 「私がその時に見たものをあなた方が理解出来るとは思われません。というのも、その短い間に、自分の体を離れた私が見たものは、およそ言語を超えたものだったからです」
ーその時、どこに行っていたのですか?地上から遠いところに行ったのですか?他の星でしょうか。或は、広々とした空間に行ったのでしょうか。
 「霊にとって距離は意味を持たないのです。何かよく分からない力に運ばれて、夢でしか見たことがないような、素晴らしい空の輝きを見たのです。あまりにも速く空間の中を移動したので、その間にどれくらい時間がかかったのかを言うことは出来ません」
ーその時、かいま見た幸せを、今味わっているのですか?
 「いいえ。出来ればそれを味わいたいと思いましたが、神はそれを許されませんでした。地上にあった時、心の奥から湧き上がってきた、恵みに満ちた聖なる言葉を、私はあまりにもしばしば無視したからです。
 しかも、私は自分の死を受け入れることが出来ませんでした。
 また、無神論の医師として、私は神聖なるものを一切否定しました。『魂が永遠である』などということは、私には、頭の悪い人々を騙す為の作り話としか思われなかったのです。とはいえ、『死後は虚無である』という考えは、私を苦しめ続けました。そして、一方で、常に自分が感じていた神秘的な力も否定し続けました。
 哲学を学んでも、迷いから抜け出ることは出来ませんでした。哲学によっても、人間に苦悩と喜びを配当する神の偉大さを理解することは出来なかったからです」
ー二度目に本当に死んだ時、直ぐに自分を取り戻すことは出来ましたか?
 「いいえ。私の霊がエーテル界を移動していく間に、ようやく自分を取り戻すことが出来たのです。死の直ぐ後ではありません。しっかり目を覚ますまで、死んでから数日を要しました。
 だが、神は私に恩寵を与えてくださいました。それがどのようなものであったか、これからお話してみましょう。
 二度目に死んだ時点で、生前の無神論は既に姿を消していました。その頃には神を信じるようになっていたのです。いわゆる科学的思考が限界に行き着き、地上的な理性の果てに、私は神聖な理性というものを見出していたからです。神聖な理性によって、私はインスパイアされ、慰められ、苦悩にまさる勇気を与えられました。私はそれまで呪っていたものを祝福していたのです。そして、死は私にとっては解放でした。
 神の御心は、宇宙と同じ位広いのです。神に祈る時、筆舌に尽くし難い慰めを得ることが出来ますが、この慰めは、我々の魂にとって、最も確かなものなのです」
ー一度目の時、あなたは実際に死んでいたのですか?
 「そうとも言えるし、そうでないとも言えます。霊が体から分離すれば、当然、肉体の火は消えます。しかし、霊がもう一度、肉体に戻れば、眠りを経験していた肉体には再び生命が戻ってくるのです」
ーもう一度、肉体に戻ってきた時、あなたを肉体に結びつけている絆を感じましたか?
 「感じました。霊と肉体を結びつける絆はなかなか切れるものではありません。絆が切れる為には、肉体が最後に強く身震いをする必要があります」
ー最初の、数分間の見せかけの死の時、あなたの霊は、一時的にではありますが、特に混乱することもなく肉体から離れることが出来ました。それに対して、二番目の、本当の死の時は、何日間にもわたって混乱が続きました。最初の時は、魂と肉体の絆はより強固だったのですから、分離はもっとゆっくりしたものになったはずと思われるのですが、実際には逆でした。これはどういうわけですか?
 「あなた方は、肉体に宿った状態の霊を何度も招霊したことがあり、そして霊から応答を得ているはずです。私の場合も、あれと同じことが起こっていたのです。神が私を呼び、神の御使いも私に『いらっしゃい』と言いました。私はそれに従ったわけです。
 そして、私は神が私に特別にくださった恩寵に感謝しました。私は神の偉大さが無限であることを実際に見、そして納得したのです。
 神様のお陰で、私は、本当に死ぬ前に、家族にメッセージを伝えることが出来ました。『善き生き方、正しき生き方をしなさい』と、心から言うことが出来たのです」
ーあなたが肉体に再び戻られた時、非常に美しい、崇高な言葉を語られましたが、どこからあのような言葉が出たのでしょうか?
 「あの言葉は、私が見たもの、聞いたものを反映していたのです。また、高級霊達が、私にインスピレーションを与え、また、私の表情にも影響を与えたのです」
ーあの時、親戚の方々や家族に対し、あなたの言葉がどのような印象を与えたとお思いですか?
 「あの言葉は衝撃的だったので、大変深い印象を与えただろうと思います。死を前にしては嘘は通用しません。どれほど恩知らずの子供達であっても、死にゆく父の前では頭を垂れざるを得ないでしょう。墓に片足を入れかけた父親を前にして、聖霊の見えざる手によって触れられたら、子供達の心は、深い、真実の感動に浸されるはずです。
 死ぬことにより、人間は神の正義にさらされ、神による報いを受けるのです。
 私の友人達、私の家族は、神を信じておりませんでしたが、私が死ぬ前に発した言葉は信じるだろうと思います。あの時、私はあの世からの使者だったからです」
ーあなたは、「臨死体験をした際にかいま見た幸福を、現在は享受していない」と仰いました。ということは、現在、不幸だということですか?
 「いいえ、不幸ではありません。私は、死ぬ前には、心の底から神を信じるようになっておりましたので。神は、私の祈りと、神に対する絶対的な信仰を考慮に入れてくださったのです。私は完成への途上におり、かいま見ることを許された最終地点に、いつかは辿り着くことが出来ると思っています。
 友人諸君、どうか、あなた方の運命を司っている、目に見えない世界に対して祈ってください。祈りによって、あらゆる世界に属する霊達が一体になることが可能になるのです」
ー奥さん、そして子供さん達に、何か言っておきたいことはありますか?
 「力強く、正しく、そして決して変わることのない神を信じなさい。祈りの力を信じなさい。祈れば心が軽くなり、必ず慰めが得られます。
 また、慈悲の行為を為しなさい。それは地上に生まれた人間にとって、最も純粋な行いなのです。貧者の一灯は、神の前では最も価値あるものとなります。神は、貧しい人がほんの僅かでも差し出すことを、とても高く評価されます。金持ちがそれに匹敵しようとしたら、もの凄く多くを与えなければなりません。
 あらゆる行為に、思いやりを込めなさい。人間は皆兄弟です。慈悲の行為を鼻にかけることなく、謙虚に与え合いなさい。
 私の愛する家族達よ、これからあなた方は試練に直面することでしょう。しかし、神様が見ておられると思って、勇気を持って試練に立ち向かいなさい。
 次のように祈るとよいでしょう。
 『常に全てを与えてくださる、愛と善意の神よ、いかなる苦難の前でも尻込みしないように力をお与えください。愛に溢れた、優しい、思いやりのある人間にしてください。財産はなくても、暖かい心に満ちた人間にしてください。私達は地上において霊実在論を学び、あなたをよりよく理解し、あなたをさらに愛したいのです。
 神よ、あなたの名は自由の象徴です。虐げられた人々が、あなたの名により自由を得、愛と許しと信仰を必要としている人々が、あなたの名により、それらのものを得ることが出来ますように』」

「友人の皆さん、こちらでの新たな生活は本当に素晴らしいですよ。霊界では、光の奔流の如き広大な流れの中に浸って、魂達は、果てしのなさにひたすら酔うのです。肉体の絆を断った後、私の目は壮大な水平線を一望に眺め、無限に広がる壮麗な景観に酔いしれています。物質の闇から抜け出すと、輝かしい夜明けに遭遇し、そこで全能の神を感じ取るのです。
 私が救われたのは、私が地上で書いた作品のお陰ではありません。霊実在論から得た永遠の知識のお陰で魂を汚さずに済んだからなのです。一方で、残念なことに、多くの人々は、無知が原因で魂に汚れをつくってしまっています。
 私の死は祝福を受けました。私の伝記を書く人々は、私の死が早すぎたと言うでしょうが、そうした人々は全く無知なのです。彼らは、私にもっと作品を書かせたかったと思うでしょうが、そんなことには意味がありません。彼らはまた、私の死が大騒ぎを引き起こさなかったことは、霊実在論の聖なる立場を守る為にはよいことであった、ということを決して理解しないでありましょう。
 私の作品は完成しておりました。先輩諸作家は相変わらず書き続けていますが、私は、頂点を極め、人間が書き得る最も優れた作品を書いたと自負しております。さらにその先に進むことは不可能であったと言ってよいでしょう。
 私の死は、文学的素養のある人々の注意を喚起し、彼らの意識を私の主要な作品に向けさせることになるでしょう。彼らは今までそれを無視するふうを装ってきましたが、今後は最早無視し続けることは出来ないはずです。
 神に栄光がありますように。霊実在論を擁護している高級霊の援助を受けて、私もまた、あなた方の進む道を照らす明かりの一つとなりましょう」

 パリにて。家族的な集いにおいて、自発的に与えられた霊示である。
 その予期せぬ死ーそれは多くの人々を驚かせたーが早すぎた、との見解に対して、ジャン・レイノーの霊が答えたもの。

 「霊実在論にとって、霊実在論の未来にとって、霊実在論のこれからのあり方にとって、私の死が損失であるなどと、誰が言ったのですか?友よ、霊実在論の信仰がどのような道筋を辿ったか、どのようにして進んできたか、お分かりでしょうか?
 神はまず物質的な証拠を与えてくださいました。動くテーブル、ラップ音、そしてあらゆる種類の物理的現象。それらは、まず人々の関心を引く為の導入部として必要だったのです。面白おかしい導入部でした。人々には、まず手で触ることの出来る証拠が必要だったのです。
 しかし、現在では、状況は変わってきています。物理的な現象の後で、神は、知性に、良識に、冷徹な理性に語りかけ始めました。最早軽業は必要なくなったのです。理性に訴えることによって、最も頑固な無神論者さえ論破し、同意させる必要が出てきたのです。しかし、それとても、まだ始まりでしかありません。
 よろしいですか、私が言うことによく注意してください。
 今後、知的な現象、反駁の余地のない現象が相次ぎ、既に、ある程度の数に達している霊実在論の信奉者が、さらに増加することになるのです。輝かしい光が、抗い難い磁場となって地球全体に広がり、頑固に抵抗する人々さえも絶対の探求に向かわせ、この霊実在論という驚嘆すべき科学の研究へと赴かせることになっているのです。
 あらゆる人々が、あなた方の周りに集い来たり、アカデミックな学位など投げ捨てて、謙虚に、恭しく霊実在論を学び、そして納得していくことでしょう。やがて、彼らの権威と名声を霊実在論の普及の為に用いることになるのは確実です。
 それによって、あなた方は、今考えている限度を超えて、さらに先まで進むことが可能となります。過去の人生、未来の人生に関する、理性的で深遠な知識を獲得することによって、人類の再生が可能となるのです。
 以上が、霊実在論の現状に関する私の展望です」

 ボルドーにて。
ー招霊を行います・・・。
 「あなたの呼びかけに応じて、喜んでやってまいりました。
 そうです、その通りです。私にとって、地上からの呼びかけに応ずるに際し、霊的な障害は殆どないと言ってよいでしょう(これは、霊媒の思いに対して答えたもの)。
 私は、こうして、自ら望んで地上にやってきて、大いなる真理の最初の種蒔きをするつもりでいます。私は地上のことを忘れたことはなく、こうして兄弟達に暖かく迎えられるのです」
ー来てくださって本当にありがとうございます。
 しかし、それにしても、あなたとお話がしたいという私の思いが、これほど早くあなたに伝わるとは思ってもみませんでした。私達の間には、誠に大きな隔たりがありますので、そんなに直ぐに思いが届くとは考えられなかったのです。
 「私の試練が、いずれにしても、幸いなことに早めに終わったからです。こうして我々の間に距離が出来たとはいえ、常に我々を結びつけている共感という絆は存在するのです。しかも、あなたが常に思いを馳せてくださることで、この絆が確実に強くなっています」
ー数多くの霊人が、霊界での目覚めについて、既に語ってくださっていますが、あなたにもお願いしたいと思います。あなたの霊界での目覚めはどのようなものだったのですか?霊と肉体の分離はどのようにして行われたのですか?
 「それでは、私もまた語ってみましょう。
 私は、最後の解放の時が近づいてきていることを感じていました。私は、多くの人々よりもずっと強い幸せを感じており、自分がどうなるかという結果は既に知っていましたので、苦しみは少しも感じませんでした。最も、その結果が私が予想したよりも遥かに素晴らしいものでしたが。
 肉体は、霊的な能力への障害となります。たとえどれほど強い光を持っていたとしても、地上においては肉体に邪魔されて閉じ込められ、その光は弱められてしまうのです。
 最後の瞬間、私は、幸福な目覚めを期待しつつ眠りに就きました。
 あっという間に目が覚め、後はただただ驚嘆するばかりでした。天上界の壮麗さが目の前に繰り広げられて燦然と輝いていたのです。私がその存在を確信し、素敵な住み心地に憧れていた世界の、無限の広がりの中に、私の視線はあてどもなく彷徨っていました。それはまさに、私の感覚の真実を私に明かし、確信させる類の荘厳な景観でした。
 さて、人間は、いくら真理を確信していても、いざそれを話す段になると、心の中に疑いが生まれ、躊躇いが生じるものです。自分が伝えようとする真理に対する疑いが頭をもたげ、或は、その真理を証明する為の不完全な手段に対して、心もとない気持ちになるものです。
 人々に伝えたいと思っていた真理に対し、私自身は確信を抱いていたものの、正直なところ、いざその話題に触れることになった時には、勇気を奮い起こす必要がありました。正しい道を進む為にどうしても真理を信ずる必要のある人々に対し、それをいわば手で触れるような形で示すことが出来ないことを、密かに恐れていたのです」
ー生前、あなたは霊実在主義を広めようとしていたのですか?
 「それを広めようとすることと、実践することの間には、大きな違いがあります。多くの人々が、実践してもいない教義を広めようとしております。私は実践はしておりましたが、広めようとはしておりませんでした。
 キリストの教えを実践している者は、それを自覚していないとしてもキリスト教徒でありましょう。同様に、自らの魂の不死性、前世の存在、絶え間なき向上、地上での試練、浄化の為の献身などを信じている者は、誰でも霊実在主義者であります。
 私はそれらを信じていましたので、霊実在主義者だったと思います。私は霊実在論を理解していました。そして、実践はしていましたが、広めようとはしませんでした」

パリの霊実在主義協会において行われた、サンソン氏の最初の招霊の直ぐ後で、ジョルジュという名の霊人が、「正しき人の死」というタイトルで、次のような霊界通信を送ってきた。

 「私の死は、まさに正しき人の死であり、穏やかな、希望に満ちたものでありました。暗い夜の後に明るい一日が始まるように、地上の生活の後には霊界での生活が始まります。私の場合、何の動揺もなく、何の悲痛な思いも伴わず、息を引き取る瞬間は、周りの人々からの感謝と愛に満たされていました。
 しかし、このような死を迎えることの出来る人間は実に少ないものです。狂熱の人生、或は絶望の人生を送った後で、調和に満ちた死を迎えることはとても難しいのです。生きている時にすこぶる元気だったとしても、ピストルで自殺した場合、既に魂が体から分離しているというのに、体の痛みを感じて苦しみます。信仰もなく、希望もなく死んだ場合、体から離れるのに引き裂かれるような思いをし、しかも、その後は、訳の分からない空間に放り出されるのです。
 混乱の中にある霊人達の為に祈ってあげてください。苦しんでいる霊人達の為に祈ってあげてください。愛の思いは、霊界にもしっかり通じます。そして、愛の思いは、霊界の霊人達を救い、慰めることが出来るのです。
 この点に関しては、あなた方が感動的な例を持っています。サンソン氏の葬儀の際に行われた、霊実在主義に基づく祈りによって、ベルマールという人の霊が目を覚まし、あっという間に回心を遂げたのです。どうか彼の霊を招霊して尋ねてみてください。彼は、あなた方が聖なる道においてさらに進化を遂げることを願っています。
 愛には限界がありません。愛は空間を満たし、慰めを与えます。愛の海は無限に広がっていき、やがては空と接します。そして、霊人達は、空と海を満たす壮麗な愛の姿に心を打たれるのです。愛は海よりも深く、空よりも広く、地上に生きている人間も、霊界に生きている霊人も、全ての存在を結びつけ、有限なるものと無限なるものを、真に驚嘆すべきやり方で融合させるのです」

サンソン氏は、パリ霊実在主義協会の古くからのメンバーであったが、1年間の酷い苦しみの後で、1862年4月21日に亡くなった。生前、自らの死期を悟った氏は、協会の会長宛に、次の一節を含む手紙を送ってきた。

 「私の魂と肉体が、もし、突然、分離するようなことがありましたら、どうか、私が約1年前に依頼しましたことを思い出してくださるようお願い申し上げます。私の霊を、出来るだけ早めに、出来るだけ頻繁に招霊して頂きたいのです。
 地上にいる間は協会の為に殆どお役に立てなかった私ですが、霊界から様々な情報をその都度お送りすることによって、皆様に、研究の為の材料を提供させて頂きたいと思うからです。俗に『死』と呼ばれている現象がーそれは、我々霊実在主義者にとっては、単なる変化にすぎないわけですがーどのような経過を辿るのかを、皆さんにお知らせしたいのです。
 さらに付け加えてお願いしたいのですが、私の霊がそれほど進化していない為に、もしも、死後の霊的解剖とでも言うべきこの作業が不毛なものになりそうな場合、どうか、それを適当な段階で打ち切って頂きたいのです。
 また、高級諸霊が忠告を通じて私を助けることをご許可くださるように、神に対して祈って頂きたいのです。特に、我々の霊的な指導者である聖ルイに対し、私の次の転生の時期と場所を選ぶことに関して、私をご指導くださるよう祈って頂きたいのです。というのも、既に、この問題は私の大きな関心の的となっているからです。
 最も、こんなに早々と、こんなに思い上がった形で、次の転生のことまで神にお願いしようとしていることを、私が密かに恥じているのもまた事実なのですが」

 「死後、出来るだけ速やかに招霊してもらいたい」というサンソン氏の希望を叶える為、我々は、協会の他の数人のメンバーと共に、喪中の家を訪れた。そして、そこで、遺体を前にして招霊を行い、以下の対話を得た。それは埋葬の1時間前のことであった。
 これには二重の目的があった。一つは、サンソン氏の意志を尊重するということ。もう一つは、死んだ直儀の魂ーそれも、卓越した知性を備え、悟りも高く、霊実在主義の教える真理を深く究めていた人の魂ーが、どのような状況を経ることになるのかを観察するということである。霊実在論に基づく信仰が、死後の霊にどのような影響を及ぼすことになるのか知りたかったし、また、霊の最初の印象がどのようなものであるかを把握したかったのである。
 サンソン氏は、完全に意識状態で、生から死への移行の様子を語ってくれた。彼は、一度、死に、そして霊界に生まれ変わったわけだが、心境は一変していた。それは、彼の悟りの高さのしからしむるところであろう。

 1 喪中の家にて  1862年4月23日
ー招霊を行います・・・。
 「私は今、約束を果たす為に、こうして出てまいりました」
ーサンソンさん、こうして、あなたの死後、出来るだけ早くあなたをお呼びしたのは、約束を果たす為でもあり、また、それは、我々にとっての大きな喜びでもあります。これはあなたが望まれたことです。
 「神の特別の思い召しによって、私の霊に通信が許されました。あなた方の善意に感謝申し上げます。しかし、私には力がない為に、上手くゆくかどうか心配です」
ーあなたは亡くなる際に随分苦しんでおられましたので、現在お元気なのかどうかお尋ねします。今でも苦しみは感じておられるのですか?現在の状況と二日前のそれを比べると、どんな違いがありますか?
 「現在は大変幸せです。もう苦しみは全く感じられません。私は、再生し、回復しました。地上の生活から霊界の生活への移行は、当初は何が何だかよく分かりませんでした。しかし、死の前に、私は神に祈って、『愛する人々と話が出来ますように』とお願いしてあり、神はそれを聞き届けてくださいました」
ー意識がはっきりするのに、どれくらい時間がかかったのですか?
 「八時間程です。繰り返しますが、神が私の言うことを特別に聞いてくださったのです。私をそれなりに評価してくださったのでしょう。感謝の言葉もありません」
ーどうして、もう地上にはいないということが分かるのですか?どのようにして、それを確かめることが出来るのですか?
 「私がもはや地上に属していないことは、はっきりと感じられます。
 しかし、あなた方を守り、支える為に、ずっとあなた方の側にいるつもりです。そうして、慈悲の心と献身の大切さを説くつもりです。それこそが、私の人生の指針でしたから。それから、本当の信仰を、霊実在論に基づく真実の信仰を説き、正義と善の信仰を復興するつもりでおります。
 私は今、大変力強い感じを受けています。一言で言えば変身したのです。私は、もはや、全ての喜び、全ての楽しみから見放された、物忘れの酷い、あの惨めな老人ではありません。今私を見ても、きっと私が誰なのか分からないでしょう。私は霊になってそれほど変わったのです。私は空間に住まい、私の目指す未来は神であり、その神は、無限の空間の中で輝き渡っています。
 もし可能であれば、私の子供達にこのことを話してあげたいものです。あの子達は、どうしても信じようとしませんでしたからね」
ーここにあなたの遺体がありますが、これを見ると、どのような感じがしますか?
 「哀れでちっぽけな抜け殻にすぎません。後は塵になるだけです。そして、私は、私を評価してくださった人々のよき思い出を待ち続けるのです。
 変形した、哀れな私の肉体がー私の霊が宿っていた小さな肉体がー見えます。そこに宿って、私は長年の試練に耐えたのです。ありがとう、私の哀れな体よ。お前のお陰で私の霊は浄化されました。お前に宿って味わった聖なる苦しみが、私の功績となったのです。こうして、死んですぐ、お前に話しかけることが出来るとは思ってもみませんでした」
ー最後の瞬間まで、意識ははっきりしていましたか?
 「はい。私の霊は最後まで能力をしっかりと保持していました。もう見ることは出来ませんでしたが、感じることは出来ました。
 それから、私の一生が目の前に展開されました。
 私の最後の願いは、死後、あなた方と話すことでしたが、それが今こうして実現しています。そして、私はあなた方を守れるように神にお願いしました。そうすることで私の夢を実現させたかったのです」
ーあなたの肉体が最後の息を引き取った時、そのことを意識していましたか?その時、あなたの内部で何が起こったのですか?どんな感じがしましたか?
 「地上の生命が粉々になり、視覚が失われました。空虚、未知・・・。そして、いきなりもの凄い力に運ばれて、歓喜と偉大さに満ち満ちた世界にいることに気がついたのです。もはや、感じることも、理解することも出来ませんでした。ただ、筆舌に尽くし難い幸福に満たされていたのです。もはや苦しみは一切感じられませんでした」
ーあなたのお墓の前で・・・(私がどんなことを言おうとしているかご存知ですか)?

 最初の数語が発されるや否や、直ちに答えが返ってきた。質問を最後まで言う必要はなかった。また、仲間の間で、この問答を葬儀の際に墓の前で読むかどうかに関し、意見が別れていたのだったが、それに対する答えも与えられた。

 「ああ、知っていますとも。昨日もあなたはここにいましたし、今日もいましたから。私は大変満足しています。有り難うございます。本当に有り難うございます。
 それから、人々は死者を尊重していますので、何も恐れずに、全てを話してください。そうすれば、人々はあなたを理解し、あなたに敬意を払うでしょう。話してください。信仰なき人々が廻心(えしん)の機会を得られるように。話してください、勇気を持って、そして自信を持って。願わくば、私の子供達が廻心して信仰の道に入れますように」

 ということで、葬儀の際に、我々は彼から伝えられた次の言葉を読み上げた。

 「我が友人達よ、死を恐れる必要はありません。もし、よき生き方をしているのであれば、死とは休憩に他なりません。もし、やるべきことをやり、試練に打ち勝っているとすれば、死とは幸福に他なりません。
 繰り返し言いましょう。勇気を持って、そして熱意を持って生きてください。地上の財産に執着しないことです。そうすれば、必ず報われます。他者の為に生きてください。心の中で悪を犯さないように。そうすれば、地球は軽やかな場所になります」

 2 パリ霊実在主義協会にて 1862年4月25日
ー招霊を行います・・・。
 「我が友よ、私は今、あなた方の側におります」
ー葬儀の当日に、対話出来たのは、大変嬉しいことでした。さて、あなたの許可があったので、こうして再びお話をし、教訓を完成させたいと思います。
 「準備は万全です。私のことを思ってくださって、とても幸せです」
ーこうして、見えない世界についての情報を頂き、それを理解出来るようになるということは、実に有り難いことです。というのも、あの世についての間違った捉え方が、しばしば不信仰を生み出すもとになっているからです。どうか、私達の幼稚な質問に驚かないようにしてください。
 「大丈夫です。それでは質問してください」
ーあなたは、生から死への移行を、大変分かり易く、はっきりと描写してくださいました。「息を引き取った瞬間に、地上の生命が粉々になり、視覚が失われた」と仰いました。その時、何か、苦しみや、辛さを感じましたか?
 「おそらく、そうした苦しみはあったのでしょうが、あまり覚えていません。
 というのも、生とは、絶え間ない苦しみの連続であり、死とは、そうした苦しみに対する褒美なのですから。死の瞬間には、肉体を脱ぎ捨てる為に途方もない努力をしなければならず、その為に、あらゆる力が傾注されますので、自分がどうなっているかということは考えている暇もないのです」

 このケースは、決して普遍的なものではない。経験によれば、多くの霊は、息を引き取る前に、既に意識を失っているし、また、それ以外の、ある程度、脱物質化が進んでいる霊は、努力なしに肉体からの離脱を果たすこともあるからである。

ーもっと苦痛に満ちた死の瞬間を迎える霊もいるということはご存知ですか?例えば唯物主義者。「死ねば何もかも終わる」と思っている人間にとって、死の瞬間は大変なことになるのではないでしょうか?
 「その通りです。死の準備の出来ている霊の場合、苦しみは存在しないと言ってよいでしょう。或は、安らかに死を迎えることが出来るので、苦しまずに済むのです。死後、自分がどうなるかが分かっているからです。死の瞬間には、精神的な苦しみが一番大きなものであり、それがないということは、とても有り難いことなのです。
 死後の世界を信じない者は、丁度死刑を宣告された罪人に似ています。ギロチンの刃が見えますが、それが落ちた後自分がどうなるか分からないのです。こうした死と、無神論者の死はよく似ています」
ー頑迷な唯物論者で、「死後は虚無だ」と信じている人もいるようですが。
 「そうですね。最後の瞬間まで『死後は虚無だ』と信じている人もいます。しかし、霊と肉体が分離する瞬間に、霊の自覚が戻ってきます。そして、事態が理解出来ない為に苦しむのです。どうなったのかを把握しようとするのですが、それが出来ません。分離の時には必ずそうしたことが起こります」

 「信仰を持たない者が死の瞬間にどうなるか」ということに関して、別のある霊は、次のように語ってくれた。

「頑迷な無神論者が死の瞬間にどうなるかということですが、悪夢の中で、崖っぷちに立ち、もう少しで落ちそうになっていることがありますね、あれにそっくりなのです。
 逃げようとしても逃げられず、歩くことさえ出来ない。何かに掴まろうとするのだが、何も見つからず、段々滑り落ちていく。誰かを呼ぼうとしても、声を出すことが出来ない。身をよじって、拳を硬く握り締め、声にならない叫び声を上げる。丁度そんな感じです。
 それが普通の悪夢なら、やがて目が覚め、恐怖から解放されます。夢を見ていただけだということが分かり、再び幸せを感じることが出来るのです。
 ところが、死の瞬間の悪夢は、もっともっと長引き、死を越えて、時には数年間も続くことがあるのです。そういう場合、霊にとっては本当に辛い体験となります。暗闇に閉じ込められたのと同じなのですから」

 以下、再びサンソン氏の霊に聞く。

ー「死の瞬間には何も見えなかった」と仰いました。「肉体の目では何も見えない」ということは分かります。しかし、生命が消える前に、霊界の光をかいま見るのではないのですか?
 「先程言った通りです。死の瞬間には、霊が覚醒します。肉体の目には何も見えませんが、霊的な深い目が開けて、瞬間的に未知の世界を発見するのです。真理が直ちに現れ、その時の心境、そして過去の記憶に応じて、ある者には深い喜びが、ある者には得体の知れない苦しみが与えられます」
ーあなたの霊的な目が開けた時に、何に打たれたのですか?何が見えたのですか?もし可能なら、その時見えたものを描写してください。
 「我に返って自分の前にあるものを見た時に、目が眩んだように感じられました。直ぐには意識が覚醒しなかったらしく、事態がよくのみ込めなかったのです。
 しかし、神の善意のお陰で、私は様々な能力を取り戻しました。多くの忠実な友人達が周りにいるのが見えました。また、地上での交霊会で私達を助けてくれていた指導霊達が来て、私を取り囲み、微笑みかけてくれました。比類のない幸福感に包まれて、彼らは生き生きとしており、私自身も、辛いエネルギーに満たされて元気はつらつとしており、空間を超えて自由に移動出来るのです。
 私が見たものを人間の言葉で描写することは不可能です。
 今後、さらに招霊に応じ、神の許可が下りる範囲で、私の幸福について語ってみたいと思っています。地上であなた方が幸福だと思っていることなど、まるで錯覚にすぎません。
 どうか、智慧に従って、聖なる生き方をしてください。慈悲に満ちた、愛に溢れた生き方をしてください。そうすれば、どのような大詩人であっても描写出来ないような、素晴らしい霊界生活が待っています」

 おとぎ話というのは、信じられないようなことで一杯である。だが、霊界で起こることも、ある意味では、似たり寄ったりではないだろうか。サンソン氏の話は、「薄暗い、哀れな掘っ立て小屋で眠り込んだ男が、起きてみたら、壮麗な王宮にいて、輝かしい宮廷人達に囲まれていた」というおとぎ話に似ている。

ー霊人達は、どんな様子をしているのですか?人間のような姿をしているのですか?
 「地上における交霊会で、霊達は、『霊界においては、地上でとっていた一時的な姿形をそのまま保持している』と言っていましたが、まさにその通りです。
 しかし、地上でのみすぼらしい肉体と、霊界での素晴らしい霊体の違い、もう本当に比べようがありません。天上界には醜さというものが全く存在しないのです。地上の人間に特有の粗雑さというものが一切感じられないのです。これらの典雅な霊体は、神の祝福を受けており、形態の持つあらゆる優美さを帯びています。
 また、その言語の美しさは、とても伝えることが出来ませんし、星のような眼差しの持つ深さも、地上の言葉では到底表現出来ません。建築家の中の建築家である神がその全能を用いて創り上げるものが、いかなるものとなるか、どうか想像してみてください。さすれば、天上界の美しさの一端なりとも感じられるのではないかと思います」
ーあなたの目には、あなた自身はどのように見えるのですか?輪郭のある、境界を持った形態をとっているように見えるのでしょうか?頭、胴体、腕、脚などを持っていますか?
 「霊は、地上での形態を保持していますが、それは、神聖化され、理想化されています。
 勿論、手足もありますよ。脚も指もしっかりと感じることが出来ます。そして、思いによって、あなた方の前に出現し、腕に触れることも出来ます。
 今私はあなた方の直ぐ側におり、皆さんの手を握っているのですが、勿論、あなた方にはそれは感じられないでしょう。我々がそう望みさえすれば、空間を乱さずに、何の気配も感じさせずに、どこにでも出現出来るのです。今、あなたは手を組んでいますが、私はそこに手を添えているのですよ。
 『あなた方を愛しています』と私は言いますが、私の体はいかなる場所も占めず、物質界の光は私の体を透過していきます。あなた方にとっては奇跡に他ならないことが、我々霊人達にとっては日常茶飯事なのです。
 霊人の視覚は、人間の視覚とは異なります。同様に、体も、地上の人間の体とは全く異なります。存在全体が根本から変わってしまうのです。
 繰り返しますが、霊には神聖な洞察力が備わっており、全てにそれが及びます。ですから、あなた方が考えていることが手に取るように分かるのですよ。
 また、あなた方が最も思い出し易いような形態を取ることも可能なのです。しかし、試練を全て通り抜けた高級霊は、神の側にいるのに相応しい姿をしています」
ー交霊会の様子は、あなたの目にはどのように映りますか?生前ご覧になっていたのと同じように見えるのでしょうか?人々の様子は、生前ご覧になったのと同じですか?同じようにはっきりと見えますか?
 「むしろ、生前よりも、ずっとはっきりしていますよ。というのも、私には全員の思いが読めるからです。それに、君臨している霊人達のよき思いが、この部屋には満ち満ちていますから、私は非常に幸せなのです。
 こうした調和が、パリ霊実在主義協会のみならず、フランス中の支部において見られたら、どんなによいことでしょうか。というのも、離反し合い、嫉妬し合っている為に、混乱を好む悪霊達に支配されてしまっているグループが、まだ数多く存在するからです。『霊実在論の神髄は、エゴの完全な滅却にある』ということを、しっかり自覚してほしいものです」
ーあなたは、私達の思いが読めると仰いました。どのようにして、我々の思考があなたに伝わるのか、そのメカニズムを教えて頂けませんか?
 「説明するのは難しいですね。霊に特有の、そうした驚異的な能力を説明する為には、新たな概念が沢山詰まった巨大な言葉の兵器庫を開かなくてはならないし、あなた方も霊人達と同じ位智慧を持たなければならないからです。しかし、あなた方の能力は物質によって制限されている為に、それは不可能なのです。
 忍耐強くあってください。よき生き方をするのです。そうすれば、やがて必ず分かります。希望を持って向上し続ければ、必ず我々と同じようになれるのです。本当に人生に満足して死ねれば、多くのことを得ることが出来ます。
 考えることを本性とする人間にとっては、好奇心は大事なものです。その好奇心を満たしつつ、死ぬまで穏やかに生きてください。そうすれば、過去・現在・未来のあらゆる疑問をやがて解くことが出来るでしょう。
 それまでは、次のようにでも言っておくしかありません。すなわち、『あなた方を取り囲んでいる、我々と同様、触ることの出来ない空気が、あなた方の思いを伝えるのであり、あなた方の吐く息に、あなた方の思いが書き記されているのです』と。
 『あなた方の思いは、あなた方の周りに出没している霊人達によって、絶えず読まれているのだ』ということを、どうぞ忘れないでください。神の使者達に対しては、何も隠すことは出来ないのです」

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