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カテゴリ:★『霊との対話』 > アラン・カルデック 生まれ変わった霊

P氏はモスクワ在住の医者であり、その人徳と学識によって、多くの人々から尊敬されていた。
 彼を招霊した人は、彼のことを直接知っていたわけではなく、その名声を知っていたにすぎない。そして、この霊界通信は、もとはロシア語でなされたものである。

ー(招霊の後に)ここにいらっしゃいますか?
 「はい、来ております。
 私が死んだ日に、私はあなたに通信を送ったのですが、あなたは書くことを拒みましたね。あなたが私について言ってくださったことを私は聞いて、あなたを知るようになったのです。そこで、あなたのお役に立ちたいと思い、通信を試みたわけですが」
ーそんなによい人であるあなたが、どうして死ぬ前にあれほど苦しまれたのですか?
 「それは神様のお計らいです。神様は、そのようにして、肉体からの解放の喜びを二倍にしてくださったのです。その後、あっという間にこちらに連れてきてくださいました」
ー死ぬということで、恐怖を感じませんでしたか?
 「いいえ。神に全幅の信頼を置いておりましたので」
ー肉体からの分離は苦しくありませんでしたか?
 「はい、苦しくありませんでした。あなた方が『死の瞬間』と呼んでいるものも、何ということもありませんでした。プチン、という音がして霊子線が切れただけでおしまいです。その直後には、私の哀れな肉体から解放されて、すっかり幸福感に浸っていました」
ーその後、どうなりましたか?
 「私の周りに多くの友人達がやってきて、とても暖かく迎えてくれました。特に、私が生前助けてあげた人達が多くやってきました」
ー今はどんなところにいらっしゃるのですか?どこかの惑星にいるのでしょうか?
 「どこかの惑星にいるのではなくて、あなた方が『空間』と呼んでいる領域にいます。
 しかし、そこには無数の段階があり、地上の人には到底想像もつきません。霊界には、本当に沢山の階層があるのです。地獄領域と言われるようなところから、最も浄化された美しい魂の住む領域まで、無限の階梯があります。現在私のいる所には、数多くの試練、つまり数多くの転生輪廻を経た後でないと来られません」
ーつまり、そこに至る為に、あなたは数多くの転生を経験したというわけですね。
 「それ以外にどんな方法があるというのでしょうか?神によって打ち立てられた不変の秩序には、例外の入る余地はありません。
 報いというのは、戦いに勝利を収めた後に初めて与えられるものではないでしょうか。そして、報いが大きいということは、必然的に戦いが大変だったということになりませんか?しかし、一回の転生はごくごく短いものでしかありませんから、戦いも、数多くの転生に分けて少しずつ経験するということになります。
 私が現在、かなり高い、幸福な境地にいるということは、私が既に、数多くの戦いにおいて、神に許されてそれなりに勝利を収めてきた、ということを意味します」
ーその幸福の根拠は何ですか?
 「これは地上の人間に説明するのが最も難しいことの一つです。
 現在、私が享受している幸福は、自分自身に対する限りない満足が根拠となっています。しかし、これは自分があげた功績に対する満足ではありません。もしそうだとすれば、それは傲慢ということになるからです。
 そうではなくて、神の愛に浸ること、神の無限の善意に対する感謝に浸ることだと言えるでしょう。善を、そしてよきことを見る喜びだと言ってもいいでしょう。『神に向かって進歩している人々の為に、何らかの貢献が出来た』と言えることでもあります。自らの霊と神聖なる善が溶け合うことだと言ってもいいでしょう。自分より悟りの高い霊を見ることが出来、彼らの使命を理解することが出来、やがては自分もそうした境地に達することが出来ることを確信する、ということでもあります。
 広大無辺な空間に燦然と輝く神聖な火が見えるのですが、それを覆っているヴェールを通して見てさえ目が眩むのです。
 こんなふうに言って、あなた方の理解は得られるでしょうか?例えば、この神聖な火を太陽のようなものだと想像したら、それは間違いです。
 これは人間の言語ではとても説明出来ません。というのも、人間の言語によっては、記憶を通して、或は直観を通して知ることの出来る対象や物体、形而上学的な観念しか表現出来ないからです。それに対して、今お話しているのは、『絶対的な未知である以上、その記憶もなく、また、それを表現出来る言葉も存在しない』という類の事柄なのです。
 しかし、一つだけ確かなことがあります。それは、『無限に向上出来るという事実を知ること自体が、既に一つの無限の幸福である』ということです」
ー私の為に役立ちたい、と仰ってくださいましたが、それはどんな点においてでしょうか?
 「あなたが不調な時に助け、衰弱している時に支え、心痛を感じている時に慰めてあげましょう。
 あなたの信仰が、何らかの困難によって揺さぶられ、ぐらついた時には、私を呼んでください。神が私に与えてくださる言葉によって、私はあなたに神を思い出させ、神のもとに再びあなたを連れてまいりましょう。
 あなたが持つ魂の傾向性によって、間違ったことをしそうになった時には、どうぞ私を呼んでください。かつてイエスは、十字架を負う時に、神によって助けられましたが、私も、あなたが自分自身の十字架を負うのを助けることにしましょう。
 苦悩の重みに打ちひしがれる時、絶望に支配されそうになった時、そんな時には私を呼んでください。そんな時には、私はあなたに霊同士として語りかけ、あなたに課せられている義務を思い出させて、絶望の淵から救ってさしあげましょう。社会的、物質的な配慮によってではなく、あなたが私の内に感じるであろう愛によって、すなわち、救われるべき人々にお伝えする為に神が私に与えてくださった愛によって、あなたを救ってさしあげましょう」
ー一体どういうわけで、あなたは私を守ってくださるのでしょうか?
 「私が死んだ日に、あなたとご縁が出来たからなのです。その日に、あなたが霊実在主義者であり、よき霊媒であり、誠実な同志であることを知りました。地上に残してきた人々の中で、まず真っ先にあなたの姿が目にとまったのです。その時に、私はあなたの向上を助け、あなたの為になろうと決心したのです。また、そうすることによって、結果的に、あなたが真理を伝えようとしている人々の為に役立ちたいと考えたのです。
 ご存知かと思いますが、神はあなたを愛しており、あなたを真理の伝道者にしました。あなたの周りで、多くの人々が、徐々にではありますが、信仰を同じくしつつあります。最も扱いにくい人達でさえ、少なくともあなたの言うことに耳を傾け始めました。やがて彼らもあなたの言うことを信ずるようになるでしょう。
 辛抱強くあってください。道には躓きの石が沢山ありますが、どうかそれでも歩き続けてください。辛い時には、どうか私を杖の代わりに使ってください」
ーそこまで仰って頂くと、恐縮いたします。
 「勿論、あなたはまだ完全であるとは言えません。
 しかし、反対者が卑劣な手段を使って邪魔しようとしているにもかかわらず、あなたは、それでもなお熱意を持って真理を述べ伝えんとし、あなたの話を聞く人々の信仰を支えんとし、慈悲、善意、思いやりを広めんとしています。また、あなたを攻撃し、あなたの意図を無視する人々に対して、怒りを爆発させようと思えば簡単に爆発させることも出来るのに、それを一生懸命に抑えています。
 そうしたことが、幸いにも、あなたの欠点を補う働きをしているのです。そう、それは許しというカウンター・バランスなのです。
 神は恩寵によって、あなたに霊媒としての能力を与えてくださいました。どうか、それを、あなた自身の努力によって、さらに優れたものとなし、隣人達の救済の為に、より効果的に使ってください。
 今日はこれで帰りますが、どうかこれからも私を頼りにしてください。どうか、地上的な思いを静め、友人達と一緒に、さらに多くの充実した時間を過ごしてください」

1862年4月、ボルドーにて。
 「私は既に何世紀も前から忘れられた霊です。
 私は地上において、悲惨と屈辱のうちに生きました。家族にほんの一切れのパンを食べさせる為に、毎日絶え間なく働いたのです。
 しかし、私は、神を愛しておりましたので、神が私の地上での苦悩をさらに大きなものにした時に、神に次のように言いました。『神様、どうか、この重荷を、不平を言わずに負うことの出来る力を私に与えてください』と。このようにして私は償いを果たしたのです。
 しかし、地上での厳しい試練を終えた時、神様は私に平和を与えてくださいました。そして、今私が最も強く願うのは、あなた方兄弟に、次のように言うことなのです。『地上で支払う代価がどれ程高くても、天国であなた方を待っている幸福は、それを遥かに凌ぐものなのですよ』と。
 私には全く身分はありませんでした。子沢山の家に生まれ、生きる為には何でもしました。その当時、農奴は悲惨な境涯に置かれていました。あらゆる不正、あらゆる雑役、あらゆる負担を耐え忍びました。私の妻は暴行を受け、娘達は誘拐された後に捨てられました。息子達は、戦争に駆り出されて、略奪と殺人を行い、一方で、犯してもいない罪の為に吊るし首になりました。
 私が、長い地上での生存の間に耐え忍んだことは、到底あなた方には想像出来ないでしょう。私は、地上にいる間、地上にはない幸福だけを待ち続けました。そして、ついに神様はそれを私に与えてくださったのです。
 ですから、我が兄弟達よ、あなた方も、勇気と忍耐、そして諦念を持って生きてください。
 我が子よ(霊媒に対する呼びかけ)、私が与えた、この実践的な教えを、大切にとっておきなさい。
 『私はあなた方よりも多くの苦しみを耐え忍んだのです。不平不満を言わずに耐えたのです』と言うことの出来る人が教えを述べ伝えると、多くの人がそれを聞くものです」
ーあなたが生きていたのはいつ頃ですか?
 「1400年から1460年迄です」
ーそれ以来、転生はしていないのですか?
 「しております。宣教師として地上で生きました。信仰を伝える者として、それも、真実の、純粋な信仰、人間達が地上で作り上げた信仰ではなくて、神の手から直接出た信仰を伝える者として生きました」
ー今霊として何か仕事をしているのですか?
 「霊が何も仕事をせずにいると思っているのですか?行動せずにいて無用であることは、霊にとってはむしろ拷問でさえあるのです。
 私の使命は、霊実在論に基づいてつくられた労働者センターを指導することです。そこで、人々によきアイデアをインスピレーションとして降ろし、悪霊達が吹き込もうとする悪しきアイデアを中和するのです」

ある貴族の家庭に、一人の若い召使いが仕えていた。この少年は、大変知的で繊細な顔立ちをしており、その立ち居振る舞いの優雅さが、皆を驚かせた。そのどこにも、身分の低さを感じさせるものがなかったのである。主人達に熱心に仕えようとする、その姿勢には、こうした境遇にある人々に特有な、卑屈さを伴った、こびへつらいの態度が、微塵も見られなかった。
 翌年、再び、この家庭を訪ねると、この召使いの姿が見えなかったので、どうしたのかと思って尋ねると、次のような答が返ってきた。

「数日の間、故郷に帰ったのですが、なんと、そこで急死してしまったのです。惜しんであまりある召使いでした。本当に優れた若者で、召使いとは思われないような気高さを備えていました。私達に、とても惹かれており、心からの忠誠を誓ってくれていたのです」

 暫くして、この若者の霊を招霊することになった。以下が、その時のメッセージである。

「今回よりも一つ前の転生において、私は、地上の人々が良家と呼ぶような家柄に生まれました。しかし、この家は、父の浪費によって破産したのです。私は、幼くして孤児となり、生きるよすががありませんでした。
 そんな時、父の友人が私を引き取ってくれ、まるで自分の息子であるかのように、大事に育ててくれました。私は、大変立派な教育を受けましたが、そのせいで、大分傲慢な心を持つようになりました。
 この時の父の友人が、今回の人生では、私が仕えた貴族のG氏として生まれ変わっております。私は、今回の人生において、低い身分に生まれることで、私の傲慢な性格を矯めようと思いました。そして、『私の面倒を見てくださった方に仕える』という形で、奉仕の心を試練にかけてみたわけなのです。G氏の生命を救ったこともあります。
 今回の人生は、そういうことで、一種の試練だったのですが、私は、何とか、それをやり遂げることが出来ました。
 劣悪な環境で育ちましたので、そうした環境の影響を受けて堕落しても何の不思議もなかったのです。しかし、周りが悪いお手本だらけだったにもかかわらず、私は堕落せずに済みました。そのことで神に感謝したいと思います。
 現在、私は非常な幸福に恵まれており、充分に報われております」
ーどのような状況で、G氏の生命を救ったのですか?
「氏が馬に乗って散歩するのに従ったことがありました。付き人は私一人だけでした。突然、大木が倒れかかってきたのですが、氏は、そのことに、全く気づきませんでした。そこで、私はもの凄い大声を上げて、G氏の名を呼んだのです。G氏は、さっと振り向きましたが、その瞬間、木は氏を直撃せずに、足元に轟音を立てて倒れました。私がそうしなかったら、氏はその大木に潰されていたでしょう」 
ーどうして、そんな若さで亡くなったのですか?
「私の試練がこれで充分だと神が判断されたからです」
ー地上では、過去世の記憶が失われていますから、当然、あなたには試練の意味が分からなかったわけですが、それにもかかわらず、しっかりと試練に耐えることが出来たのは、どうしてですか?
「低い身分に生まれたとはいえ、私の内には、まるで本能のように傲慢な心がありました。しかし、幸いなことに、私は、何とか、その傲慢な心を統御することに成功したのです。それが、試練を克服出来た理由でしょう。もし、そうでなければ、もう一度やり直すことになったはずです。
 生前、私の霊は、私の睡眠中に自由になり、過去世のことを思い出していたのです。そして、その為に、目を覚ました私の中に、私の悪しき傾向性に抵抗しようとする本能的な気持ちが生じたのだろうと思います。
 過去世のことを、通常の意識状態で、はっきり思い出していたら、このようにはいかなかったでしょう。というのも、もし過去世のことをはっきり思い出していたとすれば、おそらく傲慢な気持ちが再び生じてきて混乱し、それと闘う必要が出て来ただろうからです。しかし、過去世を顕在意識で思い出さなかったので、私が闘うべき対象は、新しい境遇に伴う試練のみに限られたのです」
ー「今回よりも一つ前の転生において、立派な教育を受けた」ということですが、今回の転生において、その教育によって得た知識を思い出さなかったのですから、その教育は役に立たなかったと言えるのではないでしょうか?
「確かに、そうした知識は無駄だったかもしれません。むしろ、今回の境遇においては邪魔だったかもしれません。しかし、それらは、地上において、潜在的な形で私に影響していたのです。しかも、霊界に還れば、完全に思い出すことが可能です。
 とはいえ、それが無駄であったわけではありません。というのも、それによって、私の知性が発達したからです。今回の人生において、私は、本能的に、高尚なものに惹かれました。その為に、低劣な、恥ずべきものを退けることが出来たのです。その教育がなければ、私は本当に単なる召使いで終わっていたでしょう」
ー自分を犠牲にしてまで主人に仕える召使いというのは、過去世において、その主人と何らかの関係を持っていたと考えるべきなのでしょうか?
「その通りだと思います。少なくとも、通常のケースでは、そうだろうと思います。召使いが、その家族のメンバーだったこともあるでしょうし、また、私の場合のように、過去世で恩を受けていて、それを返す為に召使いになったというケースもあるでしょう。
 いずれにしても、その奉仕によって、主人の家族のメンバーは、精神的に進歩することになるのです。
 過去世での関係が今世で生じさせる共感と反感は、あまりにも沢山あるので、その全てについて知ることは、とても出来ません。死んだからといって、地上での関係が断ち切られるわけではないのです。それは、しばしば、何世紀にもわたって継続します」
ー今日では、献身的な召使いというのは、殆ど見られませんが、それは、どうしてなのですか?
「この十九世紀が、エゴイズムと傲慢の世紀だからでしょう。そこには、不信仰と唯物主義がはびこっています。物欲、強欲の蔓延する場所には、真の信仰は見られません。そして、真の信仰なしには、献身は有り得ないのです。
 霊実在論は、人々に真の感情を思い出させ、そのことによって、忘れ去られた様々な美徳を回復するでしょう」

 この例を見ると、「過去世を忘れていることが、どれほどありがたいか」ということがよく分かる。
 もし、G氏が、自分の召使いが誰であったかを覚えていたとしたら、彼と一緒にいて、非常に困惑しただろうし、おそらく、召使いとして使うことは出来なかっただろう。もしそうなったとしたら、二人にとって為になるはずの試練が台無しになっていたはずである。

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