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カテゴリ:★『霊との対話』 > アラン・カルデック 生まれ変わった霊

アラン・カルデック 生まれ変わった霊 目次

障害と貧困の生涯から学んだこと-ジュリエンヌ・マリ

「自分がしてもらいたいことを他の人にせよ」-スジメル・スリズゴル

主人への献身のうちに生涯を閉じた女中-アデライト=マルグリット

死後も霊実在論の普及に情熱を燃やす幸福-ジョベール氏

「辛い時には私を呼んでください」-ロシア人の医者

十五世紀に生きた農奴の霊界での仕事-ベルナルダン

主人に献身的に仕えた召使い

ノゼの近くのヴィラト村に、ジュリエンヌ・マリという貧しい女性がいた。年老いて、肢体不自由で、村から施しを得て生活していた。
 ある日、池に落ちたが、いつも彼女を援助していたA氏によって発見された。家に運ばれた時には、既に亡くなっていた。「自殺したのではないか」という噂が立った。
 彼女が亡くなった当日、医者のB氏はー霊実在主義者で、且つまた霊媒でもあり、彼女が亡くなったということは知らなかったー、側に誰かがいるような気がしたが、その理由は分からなかった。彼女が亡くなったということを聞いた氏は、「あれは彼女の霊が来ていたのではないか」と思った。
 B氏から事情を聞いたパリ霊実在主義協会のメンバーの一人が、B氏の為に、この女性を招霊した。何らかの意味で彼女の役に立てれば、ということでそうしたのである。
 しかし、その前に、指導霊に伺いを立ててみたところ、次のような回答を得た。

 「招霊してもよろしい。彼女は喜ぶでしょう。
 しかし、あなたが彼女にしてあげたいと思っていたことは、彼女にとっては不要です。彼女は幸福で、彼女のことを思ってくれていた人々に対して、献身的に尽くすつもりでいます。あなたは彼女のよき友人でしたね。彼女は殆どずっとあなたの側におり、あなたが知らない間に、あなたと対話をしているのですよ。
 今、彼女はあなたがしようとしている善なる行為を支援したいと思っています。イエスが仰った次の言葉を思い出してください。
 『低くされた者は、高くされるであろう』
 彼女からは多くの支援を受けることが出来るでしょう。しかし、それも、『あなたの行為があなたの隣人にとって有用である』という限りにおいて許されるのです」

ー招霊します・・・。
 こんにちは、ジュリエンヌ=マリ。あなたが幸福だということを伺い、とても安心しました。そのことが一番気になっていたからです。
 でも、いつもあなたのことを考えているのですよ。そして、お祈りの時は、必ずあなたのことを思っています。
 「神様を信頼しましょう。あなたに関わりのある病人達に、敬虔な信仰をお勧めしなさい。必ず上手くゆくでしょう。
 でも、見返りを求めてはいけません。天上界に還った時に、それはおのずと与えられるからです。その素晴らしさに、あなたはきっと驚くことでしょう。神様は、同胞の為に尽くした者には、必ずご褒美をくださいます。そして、その奉仕が完全に無私のものとなるように導いてくださいます。無私の心で為されない奉仕は、すべて幻、空想に過ぎないからです。
 『まず何よりも信仰を持つ必要がある。信仰がない場合、全てが虚しい』
 どうか、この箴言(しんげん)を覚えておいてください。きっと、その結果の素晴らしさに驚かれることでしょう。あなたが治してさしあげたお二人の病人が、そのよき証となるでしょう。ああした状況では、信仰なしに、単に薬を与えただけでは、決して治らなかったはずなのです。
 病人を癒す為の生体エネルギーを下さるように神様にお願いしても、その願いが聞き届けられないような場合、それはお祈りに込めるあなたの熱意がまだ充分ではないからなのです。私が申し上げた条件の下に為されて初めて、お祈りは熱意溢れたものになるのですよ。あなたが、先日、心の底から次のように祈った時に感じた、あの感激を思い出してください。
 『全能なる神よ、慈悲溢れる神よ、無限なる善の神よ、どうか私のお祈りをお聞き届けください。そして、Cさんを癒す為に、天使をおつかわしください。Cさんをお哀れみください。そして、Cさんが再び健康を取り戻せますように、よろしくお願い致します。あなたなしには、私には何も出来ません。あなたのお心から成就されますように』
 あなたが、ああした下層の人々の為に働くのはとても善いことです。苦しみに満たされ、この世の悲惨さを忍んでいる人々の声は、必ず聞き届けられます。そして、あなたが既にご存知のように、奉仕の行為は必ず報われるのです。
 さて、それでは、私のことを少々お話させて頂きます。そうすることで、私が今お話したことが本当であると確信出来るでしょう。
 霊実在論を学んでいるあなたであれば、今こうして語っているのが霊としての私であることは、当然お分かりのはずです。したがって、そのことに関しては詳しく触れません。
 また、今回の転生の前の転生についても触れる必要はないと思います。今回の私の生き方をご覧になったあなたであれば、その前の転生がいかなるものであったか、おおよそ見当がつくはずだと思うからです。私の過去世は、必ずしも満点ではなかったのです。
 今回、私は、体が不自由で働くことが出来なかった為に、一生の間物乞いをして、悲惨な人生を送りました。お金を貯めることなど、殆ど出来ませんでした。晩年に至って、ようやく百フラン程貯まりましたが、これは、私の足が最早私の体を運べなくなった時の為のものでした。
 神様は、私の試練と償いが充分に済んだことをお認めになって、ようやく私の人生に終止符を打たれ、私を苦しみに満ちた地上から引き上げてくださいました。
 私は、人々が最初に思ったように、自殺したというわけではなかったのです。私が最後の祈りを神様に捧げている最中に、私は、突然、池のほとりで死を迎えたのです。そこが坂になっておりましたので、私の体は自然に池に落ちたというだけなのです。
 苦しみは全くありませんでした。私は、じっと耐えながら、滞りなく自分の使命を果たすことが出来て、今、とても幸せです。私は、自分に許された力と方法が及ぶ範囲で、人々の役に立つことが出来、また、隣人に対して過ちを犯さずに済みました。
 今、こうして、ご褒美を頂き、神様にー私達の主なる神様にー、心より感謝申し上げるのです。
 神様は、地上での一生の間、私達の過去世のことを忘れさせてくださり、そのことで人生の辛さを和らげてくださいます。また、人生の途上に、思いやりに溢れた人々を配してくださり、私達が、過去世で犯した過ちという重い荷物を背負い続けるのを、助けてくださるのです。
 私がそうしたように、どうか辛抱強く生きてください。そうすれば、必ず報われます。
 色々と助けてくださり、そしてまた、お祈りをしてくださったことに対して、心より感謝申し上げます。このことは決して忘れません。
 やがて再びお会いすることになるでしょうが、その時に、もっと多くのことをご説明致しましょう。今お話しても、お分かりにならないことが沢山あるのです。
 どうぞ、私かあなたに全面的に奉仕するつもりであることをご承知おき下さい。苦しんでいる人々を救おうとする時、もし助けが必要であるのならば、私は必ずあなたのお側に参ります」

 1864年に再びパリ霊実在主義協会において招霊されたジュリエンヌ=マリの霊が、次のようなメッセージを送ってくれた。

 「会長様、こうして再び招霊してくださり、誠に有り難うございます。
 あなたが感じ取られた通り、私は、過去世においては、社会的に見て高い地位に就いていたことが多かったのです。そして、その時に、自惚れと慢心から、貧しく惨めな人々を拒絶するという過ちを犯した為に、今回はこうして貧しさという試練を受けることになったのです。[目には目を、歯には歯を]という応報の理に従い、私は、この国で最も悲惨な極貧生活を送ることとなりました。
 それでも、神様の思いやりを教えて頂く為に、全ての人から拒絶されるということにはなりませんでした。
 そういうわけで、私は、不平も漏らさずに、辛酸に満ちた、流謫(るたく)の地において、あの世での幸福を予感しつつ、どうにかこうにか過ごすことが出来たのです。
 若々しい魂に戻って霊界に還り、愛する霊達に再び会えるということは、本当に嬉しいことです。
 こうして感謝出来るのも、B氏が通信を受け取ってくださるからです。氏の助けがなければ、こうして感謝の思いを伝えることも出来ず、また、私が氏の善良な心から受けた影響を決して忘れていない、ということを言うことも出来ず、神聖な霊実在論の普及をお願いすることも出来なかったのです。
 氏は、迷える魂達を正しい道に連れ戻すという使命を持っています。きっと私の支援が必要であることを感じられたのでしょう。そうです、私は、霊界の様子をこうしてお伝えすることで、生前、氏にして頂いたことを百倍にしてお返しすることが出来ます。
 有り難いことに、主がご許可くださった為に、こうして霊達が通信を送ることが可能となっています。
 どうか、貧しい人々は、苦しみを耐え忍ぶ勇気をそこから汲み取ってください。
 そして、裕福な人々は、慢心に陥らないように注意してください。どうか、不幸な人々を拒絶することは恥であるということを知って頂きたいのです。さもないと、私と同様、再び地上に生まれ変わって、社会の最下層に属し、人間の屑と見なされながら、過ちを償うことにもなりかねません」

 以上の霊示はB氏を通じて降ろされたものであるが、さらに、B氏が助言を求めると、次のようなメッセージが返ってきた。

ージュリエンヌ=マリさん、霊実在論をさらに高度なものにする為に、霊界からご支援くださるということでしたが、私自身にもご忠告をお願い致します。あなたの教えを役立てる為に、可能なことは全て行うつもりでおります。
 「これから申し上げることをよく覚えておいて、常に実践するようにしてください。
 まず、自分に可能な範囲でよろしいですから、常に慈悲を実践してください。あなたは慈悲が何であるかをよく理解していますので、地上生活でのあらゆる側面で、慈悲を実践することが可能なはずです。したがって、このことに関しては、特に申し上げることは致しません。良心の声に従って、最も正しい判断を行ってください。良心の声に忠実に耳を傾ける限り、あなたが過つことはありません。
 次に、霊実在論を普及させるという使命を遂行する上で、どうか過ちに陥らないようにしてください。小さい人は小さい使命を、偉大な人は偉大な使命を持っているのです。私の使命は、既に申し上げたように、大変辛いものでした。しかし、それは過去世で犯した過ちに見合うものであったのです。
 パリ霊実在主義協会に多くの人が集うことになるのは、あなたが考えているほど遠い将来のことではありません。霊実在論は、数多くの妨害を受けてはおりますが、大いなる歩幅で進んで行くでしょう。
 したがって、皆様、決して恐れることなく、情熱を持って突き進んでください。あなた方の努力は、勝利の王冠によって必ず報いられるでしょう。
 人が何と言おうと関係ありません。つまらぬ批判など問題にする必要はありません。正しい人に対する間違った批判は、批判した人のところに返っていくのです。
 傲慢な人々は、自分を強いと思い、あなた方を簡単に打ち倒せると思っています。しかし、友人達よ、常に穏やかでありなさい。そして、彼らと戦うことを恐れてはなりません。彼らを倒すのは、あなた方が考えているよりも遥かに容易だからです。
 彼らの多くは、実際には、真理によって自分達の目が潰れるのを恐れているにすぎません。ですから、恐れることなくじっくりと待ちなさい。そうすれば、やがては彼らも仲間に加わり、霊実在論という大聖堂の建設に協力するのです」

 以上の事実は大変示唆に富んでいる。この三つの通信に含まれる言葉をじっくり味わえば、多くのことを学ぶことが出来るだろう。霊実在論の中心的な原理が全て含まれているからである。
 最初の通信から、既に、ジュリエンヌ=マリの霊は、その見事な言葉遣いによって、霊格の高さをはっきりと感じさせている。まるで蛹が蝶に変身するように見事に変身し、今や燦然と光を放つこの霊は、ボロを纏って地上にいた時に彼女を虐めなかった人を、丁度情け深い妖精のようにしっかり守護しようとしている。
 これは、聖書にある次の格言そのままである。
 「高き者は低くされるであろう。小さき者は大いなる者とされるであろう。慎ましき者は幸いである。苦しむ者は幸いである。苦しむ者は慰めを得るであろう。小さき者を蔑んではならない。なぜなら、この世で小さき者は、あの世では、想像も出来ないほど偉大な者になるかもしれないからである」

スリズゴルは、ヴィルナに住む貧しいユダヤ教徒で、1865年に亡くなった。
 三十年間、彼は、お椀を手に物乞いをして過ごした。街の至るところで、人々は彼の声を聞いたものである。
 「貧しい者、寡婦、孤児達にどうぞ哀れみを!」
 一生を通じて、彼は九万ルーブルを施された。しかし、自分の為には一銭たりとも使わなかった。それらを病人達に与え、しかも、自分自身で彼らの世話をした。貧しい子供達の教育費を払ってやり、貰った食料品は、貧窮に喘ぐ者達に分け与えた。夜なべ仕事に嗅ぎタバコをつくり、それを売って自分の生活費とした。生活費が残れば、勿論、貧しい者達に分け与えた。
 スリズゴルには家族がいなかったが、葬式の日には、街中の人々が葬列に加わり、街中の店が休業となった。

 1865年6月5日、パリ霊実在主義協会にて。
ー招霊します・・・。
 「地上での支払いは高くつきましたが、とうとう目的を達し、今は幸福の絶頂です。
 今晩は、初めからこのセッションに参加させてもらっています。哀れな乞食の霊に関心を寄せてくださり、心よりお礼を申し上げます。喜んで、あなた方のご質問にお答え致しましょう」
ーヴィルナのお住まいの、ある方から頂いた手紙によって、あなたの、奇特な、素晴らしい人生のことを知りました。その人生に共感を持ち、こうしてお話させて頂きたいと思うようになったわけです。
 招霊に応じてくださって、誠に有り難うございます。我々の質問にお答え頂けるということですので、「現在は霊としてどのように過ごしておられるのか」、また、「今回の人生はどのような理由でああしたものになったのか」という点についてお教え頂ければ幸いです。
 「では、まず初めに、自分の本当の立場がどんなものであるかをよく理解している私に、あなたの考え方に対して、率直な意見を言わせてください。もしそれがおかしいと思われたら、是非忠告をお願い致します。
 私のような、何の取り柄もない人間が、そのささやかな行為によって共感を呼び、その結果、このような大規模な形での公開セッションが開かれることになったのを、あなた方は不思議に思われたことでしょう。
 今私は、あなた、すなわちアラン・カルデック氏に対して申し上げているのではなく、霊媒及び霊実在主義協会のメンバーの皆様に対して申し上げているのでもありません。私が今[あなた方]と言ったのは、まだ霊実在論を信じていない方々のことです。
 さて、このような大規模なセッションが行われることは、何ら不思議なことではありません。というのも、善の実践が人類に及ぼす精神的な影響力は非常に大きい為に、普段どれほど物質的な生き方をしていようとも、人々は常に善に向かって進もうとするものだからです。人々は、悪への傾向性を持っているにもかかわらず、善なる行為を讃えるものです。だからこそ、多くの人々が集い、このような大規模なセッションが可能となったのです。
 さて、それでは、先程のご質問にお答えしましょう。それは単なる好奇心からの質問ではなく、広く教訓となる答えを求めての質問でした。私はこれから、出来るだけ簡潔に、私の今回の転生における生き方を決めた原因について語ってみたいと思います。
 私は数世紀前に、あるところで王として暮らしておりました。今日の国家に比べれば、いささか見劣りのする大きさですが、それでも、私はその国において、絶対的な権力を持ち、家臣達の運命を完全に手中に収めておりました。私は、暴君としてーいや、むしろ死刑執行人と言った方がよいでしょうー生きておりました。
 横暴で、気性が激しく、吝嗇で、色を好む王の下で、哀れな家臣達がどうなるかは、あなた方にもすぐ想像がつくでしょう。私は権力を濫用して、弱き者達を抑圧し、あらゆる人民を私の欲望の遂行の為に奉仕させました。
 物乞いをして得たものにまで税金をかけたのです。どんな乞食も、私に高い税金を払わずに物乞いをすることは出来ませんでした。いや、それだけではありません。税金を払う乞食の数を減らさない為に、私は、友人、両親、家族等が、乞食の候補者達に、僅かな物品でさえ分け与えることを禁じたのです。親しい人間達から物を貰うことが出来れば、彼らは乞食にならないからです。
 要するに、私は貧困の中にあって喘ぎ苦しむ人々に対し、最も無慈悲な人間であったというわけなのです。
 やがて、私は、恐ろしい苦しみの中で、あなた方が命と呼んでいるものを失いました。この死は、私と同じようなものの見方や考え方をする人々にとっては、恐怖のよきモデルとなるでしょう。その後、私は二百五十年の間霊界で彷徨い続けました。そして、それだけ長い時間をかけて、私はようやく、地上に生まれ変わる本当の目的を理解したのです。
 その後、私は、諦念、反省、祈りを通して、物質界にもう一度生まれ変わり、私が人民に味わわせたのと同じ苦しみを、或はそれ以上の苦しみを、耐え忍ぶという試練を与えて頂いたのです。しかも、神は、私自身の自由意志に基づいた、『精神的、肉体的な苦痛をさらに激しいものにしたい』という願いに対し、ご許可を下さったのです。
 天使達に助けて頂きながら、地上で、私は『善を行う』という決意を貫きました。私は天使達に心から感謝しなければなりません。天使達の助けがなければ、私は、自分が企てた試みを、きっと途中で放棄してしまっていただろうと思うからです。
 私はこうして一生を終えたのですが、その間に為した献身と慈悲の行為が、かつての転生の際の、残酷で不正にまみれた一生をかろうじて購ったということなのです。
 私は貧しい両親のもとに生まれ、幼い頃に孤児となり、まだ年端も行かぬうちに、自分で生きることを学びました。たった一人で、愛も情けも知らずに生き、さらに、私がかつて他者に為したのと同じ残酷な仕打ちを受けました。私が為したのと同じだけの仕打ちを、同胞達から受ける必要があったのです。誇張も、自慢もせずに言いますが、まさしくその通りでした。
 そして、私は、自分の生活を極度に切り詰めることによって、社会奉仕を行い、私が為す善の総量を多くしたのです。
 私は、地上での償いによって天の蔵に積まれた徳の量は、おそらく充分なものであるだろうと考えながら、心安らかに地上を去ったのですが、霊界に還ってみると、私が頂いたご褒美は、密かに予想を遥かに上回っていたのです。私は今とても幸福です。
 そして、あなた方に告げたいのは、『自らを高くするものは低くされ、自らを低くするものは高くされる』という真実です」
ー今回の転生の前に、霊界ではどのような償いを行ったのですか?そして、亡くなって以来、悔い改めと決意の力で運命が転換するまで、一体どれくらいの年月がかかったのですか?また、何がきっかけで、そのような心境の変化が起こったのですか?
 「ああ、それを思い出すのは、今でもとても辛いことです!どれほど苦しんだことでしょう・・・。しかし、嘆くのは止めて、思い出してみることにします。私の償いがどのようなものであったのか、ということでしたね。それはそれは恐ろしいものでした。
 既に言ったように、あらゆる善き人々に対する[死刑執行人]であった私は、長い間、そう、実に長い間、腐敗してゆく私の肉体に、霊子線で繋ぎ止められたままだったのです。肉体が完全に腐敗するまで、私は、蛆虫達が体を食らうのを感じていました。ああ、何という拷問だったでしょう!
 そして、ようやく霊子線が切れ、肉体から解放されたと思ったら、もっと恐ろしい拷問が待っていたのです。肉体的な苦しみの後には、精神的な苦しみがやってきました。しかも、この精神的な苦しみは、肉体的な苦しみよりももっとずっと長く続いたのです。
 私は、自分が苦しめたあらゆる犠牲者の姿を、目の前にずっと見せられました。定期的に、何か分からない大きな力によって連れ戻され、私の罪深い行為の帰結を目の前に見せつけられたのです。私は、自分が人に与えた、肉体的な苦しみも、精神的な苦しみも、全て、ことごとく見せられました。
 ああ、友人達よ、自分が苦しめた人々の姿をいつも目の前に見せられるということが、どれほど辛いか分かりますか?
 以上が、私が二世紀半をかけて行った償いなのです。
 やがて、神は、私の苦しみと悔悟の念をご覧になって哀れみを覚えられ、また、私の指導霊の懇願をお聞き入れになって、ついに、私に、再び地上で償いをすることを許可してくださいました。この償いについては、あなた方は既にご存知のはずです」
ーユダヤ教徒になることを選ばれたのは、何か特別な理由があったのですか?
 「それは私が選んだのではなく、私は単に指導霊の忠告を受け入れたにすぎません。
 ユダヤ教徒であるということは、私の償いの人生にとって、さらに一つの大きな試練となりました。というのも、ある国々においては、殆どの人がユダヤ教徒を見下しているからです。乞食ともなれば、尚更です」
ー今回の人生では、何歳の時から地上での計画を実践に移されたのですか?どうして、その計画を思い出したのですか?そのようにして生活を切り詰め、慈悲の行為を行っていた時、何らかの直観によって、あなたをそのように駆り立てる理由に気づいていたのですか?
 「貧乏だが知性が高く、吝嗇な両親のもとに私は生まれました。
 幼くして、母親が亡くなり、私は母親の愛情と愛撫を失いました。父親が、口減らしの為に私を捨てたので、その分、母親を失った悲嘆が激しくなりました。兄達や姉達は、誰も私の苦しみには気がつかなかったようです。
 別のユダヤ教徒が、思いやりからというよりも利己心から、私を拾い、仕事を覚えさせました。仕事はしばしば私の能力を超えていましたが、それによる収入は、私の生活費を補って余りあるものでした。
 しかし、どこにいても、働いていても、休んでいても、私には、母親の愛撫の記憶が付きまといました。そして、大きくなるにつれ、その記憶はますます深く私の心に刻み込まれていったのです。私は、絶えず母親の世話と愛情を懐かしがっておりました。
 やがて、私を引き取ったユダヤ教徒が亡くなり、私は家族と呼び得る最後の一人も失いました。その時に、『残りの人生をどのように過ごすか』ということが啓示されたのです。
 私の兄達の内の二人が、孤児を残しておりました。その孤児達の姿を見て、自分の幼い頃のことを思い出した私は、その子達を引き取りましたが、私の仕事だけでは全員の生活を賄う収入を得ることは出来ませんでした。その時に、私自身の為ではなく、その子達の為に、物乞いをすることに決めたのです。
 神様は、私が努力の成果を楽しむことをお許しになりませんでした。というのも、子供達が、やがて永久に私のもとから去ってしまったからです。私には、彼らが欲しかったものが分かりました。それは母性だったのです。
 そこで、今度は不幸な寡婦達の為に慈善の行為を行うことにしました。というのも、彼女達は、自分の実入りだけでは子供達を育てられないので、極度に自分の食べるものを切り詰め、その為に命を落とすことがしばしばあったからです。そうして残された孤児達は捨て置かれ、私自身が味わったのと同じ苦しみを味わうことになったのです。
 力と健康に溢れた三十歳の私は、こうして、寡婦と孤児の為に物乞いをすることになりました。最初は上手くいきませんでしたし、侮辱の言葉を何度も耐え忍ばねばなりませんでした。しかし、私が、物乞いで得たものを全て貧しい人々の為に差し出し、しかも、自分の仕事で得たものまでもそこに付け加えるのを見て、人々は徐々に私に対する見方を変え、そのお陰で私は大分楽に生きられるようになりました。
 私は六十数歳まで生きましたが、自分に課した仕事をないがしろのしたことは一度もありません。また、こうした行動が、実は私の過去世の罪を償う為のものであるということを、良心が私に気づかせるようなことも決してありませんでした。
 『人からされたくないことを、決して人に対して行ってはならない』
 この短い言葉に含まれている深い意味に、私はいつも感じ入っていました。
 そして、しばしば、次のように付け加える自分に気がついたものです。『自分がしてもらいたいと思うことを、人に対してしてあげなさい』と。
 私の母親の記憶と、自分自身の苦しみの記憶に助けられて、私は一度歩むと決めた道を最後まで辿ることが出来ました。
 そろそろ、この長い通信をおしまいにしましょう。どうもありがとうございました。私はまだまだ完全ではありません。しかし、悪因悪果ということを骨身に染みて学びましたので、今回の転生でそうしたように、これからも、善因善果の法則に基づいて、幸福を手に入れる為に善なる行為を重ねていきたいと思っております」

アデライト=マルグリットは、ノルマンディー地方のオンフルールという村の近くに住む、貧しく慎ましい女中だった。
  十一歳の時に、裕福な牧場主の所に奉公した。暫く経ってから、セーヌ川が氾濫した為に、家畜が流されたり溺れたりして全て死んでしまい、その結果、主人が破産してしまった。アデライトは、エゴの声を押し殺し、良心の声に耳を傾けた。そして、貯めていた五百フランを一家に差し出し、その後も、給料なしで働くことを誓った。
 やがて主人夫婦が亡くなり、娘がたった一人残された。アデライトは畑を耕し、上がりを全てその娘に渡した。暫くして、アデライドは結婚したが、そうすると、今度は夫婦揃ってその娘の為に汗水流して働くこととなった。アデライドは、娘をいつまでも[奥様]と呼んでいた。
 こうして、この尊い献身は、半世紀近くも続いたのである。
 ルーアンの善行表彰協会は、この尊敬と感嘆に値する女性を忘却のうちに放置することはなかった。彼女に名誉のメダルと報奨金を与えて表彰した。フリーメーソンのル・アーブル支部もメンバーからお金を募り、「彼女の生活の質に」ということで差し出した。結局、村が、細やかな配慮と共に、彼女の生活の保障をすることとなった。
 やがて、彼女は突然、体の麻痺に襲われ、あっという間に、苦しみもなく、あの世に旅立っていった。葬儀は、簡素に、しかしきちんと行われた。村長代理が葬列の先頭に立った。

 1861年12月27日、パリ霊実在主義協会にて。
ー招霊します・・・。神よ、マルグリットの霊に通信をご許可ください。
「はい、有り難いことに、神様は、通信をお許しくださいました」
ー地上にいらした時に、素晴らしい生き方をなさったことに対して、心よりの賛辞を捧げます。こうしてお会いすることが出来て、大変嬉しく存じます。きっと、あなたの献身は報いを受けたことでしょう。
 「はい、神様は、神様の召使いに対して、愛深く、慈悲をもって接してくださいました。私がしたことを、あなた方は褒めてくださいますが、むしろあれは当然のことだったのですよ」
ー後学の為にお伺いするのですが、あなたが地上で果たされた慎ましやかな役割の理由は何だったのですか?
 「私は、今回の転生に先立つ二回の転生で、共に、大変高い地位に就いていました。したがって、その時に善行を積むことは容易でした。裕福でしたので、何の犠牲も払わずとも、慈悲を実践出来たのです。
 しかし、これでは向上が遅れると思いました。そこで、次には、『卑しい身分に生まれ、耐乏生活を送りながら善行を積む』という道を選んだのです。その為に、長い間準備をしました。神様は、私の勇気を買ってくださいました。
 こうして、私は、自分で立てた目標に挑み、天使達の援助を受けつつ、それを達成したというわけなのです」
ーそちらに還ってから、地上での主人ご夫妻にはお会いになりましたか?現在、お二人との関係はどのようなものになっているのですか?今でも、彼らに仕える立場なのですか?
 「はい、お二人にはお会いしました。私がこちらに還ってきた時に、出迎えてくださったのです。これは驕りから申すのではございませんが、お二人は、私をお二人よりもずっと上の存在として扱ってくださいました」
ー他の人々に仕えずに、あのお二人に仕えたのには、何か特別な理由があったのですか?
 「特にありません。他のところでもよかったのです。ただ、お二人にはかつてお世話になったことがありますので、それをお返ししたいと思ったのは事実です。ある過去世で、お二人が、私によくしてくださったことがあるのです」
ー次の転生はどうなさるおつもりですか?
 「次は、苦悩の一切存在しない世界に生まれてみたいと思っております。こんなことを申し上げると、きっと、うぬぼれの強い女だとお思いになるかもしれません。でも、素直に思い切って本心を言ってみたのです。もっとも、全ては神様にお任せしてありますが」
ー招霊に応じてくださり、誠に有り難うございました。神様の御慈悲がありますように。
 「有り難うございます。皆様に、神様の祝福がありますように。そして、皆様方全員が、こちらに還られた時に、私と同じように、本当に純粋な喜びに満たされますように」

ブリュッセルの産業博物館の館長であったジョベール氏は、オート・マルヌ県のベッセイで生まれた。1861年10月27日、ブリュッセルで突然の脳卒中に襲われて亡くなった。享年69歳。

 「こんばんは。あなた方が私を招霊しようとしてくれていることを承知の上で、このように自分から降りてきました。暫くの間、この霊媒を通じてコンタクトしようと努力していましたが、今ようやくこうしてコンタクトが可能となりました。
 魂が肉体から分離した時の印象を語りましょう。まず、それまで感じたことのない動揺を感じました。私の誕生の時、青春時代、壮年時代、そうした時代の記憶が突然全て甦ってきたのです。私は、『信仰によって啓示された、私の還るべき場所に還りたい』という気持ちで一杯でした。すると、徐々に記憶が静まってきました。私は自由になり、遺体が横たわっているのを見ました。
 ああ、肉体の重みから自由になることの何という嬉しさ!空間を自由に動き回れるというのは本当に心躍る経験です。とはいっても、一気に、神に選ばれし者になったわけではありません。私には、まだまだ課題が残っており、学ぶべきことがあるのですから。
 間もなく、あなた方のことを思い出しました。地上という流刑地にある兄弟諸君よ、私の同情を、そして私の祝福を受け取ってください。
 私がどのような霊人達に迎えられ、どのような印象を持ったかを知りたいのではありませんか?地上にいた時に私が招霊し、お互いに協力し合って仕事をした霊人達は、全て友人としてやってきてくれました。壮麗な輝きを感じましたが、地上の言葉では、到底その輝きを伝えることが出来ません。霊界通信で知ったことを確認し、誤った認識は改めようとしました。そして、地上においてもそうであったように、霊界においても、真理の騎士たらんとしているのです」
ーあなたは、地上におられる間に、「地上を去った後で必ず招霊してくれるように」と私達に頼んでくださいました。今、その約束を果たさせて頂いているわけですが、それは単にあなたの願いを聞き届ける為だけではありません。それだけではなくて、あなたへの心からの感謝をお伝えする為であり、また、あなたから貴重な知識を教えて頂いて、私達の向上の糧にする為でもあります。
 というのも、今あなたがいらっしゃる霊界についての正確な情報を、与えてくださることが出来る立場にあなたはおられるからです。ですから、私達の質問にお答え頂ければ誠に幸せに存じます。
 「現時点で最も大切なのは、あなた方の向上です。
 私への感謝の思いに関して言えば、私にはそれが見えます。私は、こちらへ来てから随分進歩したので、『耳で言葉を聞くだけ』という地上の制約を脱しており、思いを直接知ることが出来るようになったのです」
ー事態をはっきりさせる為にお聞きするのですが、現在、この部屋のどの辺にいらっしゃいますか?また、我々がそのお姿を拝見出来るとすれば、どのようなお姿をしていらっしゃるのでしょうか?
 「霊媒のすぐ側にいます。もし、私を見るとすれば、テーブルの側の椅子に座っている姿が見えることでしょう。というのも、通常、人間には、霊の姿は人間的な姿として見えることになっているからです」
ー我々があなたの姿を見ることが出来るようになるのは可能なのでしょうか?もし不可能だとすれば、何が問題なのでしょうか?
 「あなた方の個人的な能力の問題です。霊視の利く霊媒であれば簡単に見えるはずですから」
ーその席は、生前、交霊会のたびにあなたが座っておられた席で、あなたの為に、我々が確保しておいた席です。ですから、生前のあなたを知っている人々は、そこに座っておられるお姿を想像することが出来ます。物質的な肉体を持ってそこにいらっしゃらなくとも、幽体を纏ってそこにいらっしゃるわけですね。肉体の目では見えませんが、精神の目では見ることが出来ます。
 声を発してコミュニケーション出来なくても、霊媒の手を通して文字を書くことでコミュニケーションが成立します。あなたの死によって、我々との交流が断絶したわけではなく、かつてと同じく、今でも容易に、そして完全に対話を交わすことが出来るのです。
 以上のように考えてよろしいでしょうか。
 「結構です。それは既に随分前から分かっていることです。私は、今後、この場所に、あなた方が知らずにいても、座っていることになるでしょう。というのも、私はあなた方と共に生きるつもりだからです」

 「私はあなた方と共に生きるつもりだからです」という最後の言葉に注意を喚起しておきたい。というのも、現在の状況では、これは単なる比喩ではなくて、一つの現実だからである。
 霊実在論が、霊の本質に関して教えてくれるところによれば、霊は、単に思いにおいて我々と一緒にいられるだけでなく、現実に、幽体を纏った姿で、はっきり個性を持った個人として、我々の側にいることが出来るのだ。つまり、霊は、死んだ後も、もしそれを望むのであれば、生前と同様に我々の間にいることが出来るのである。しかも、いつでも好きな時にやってきて、好きな時に立ち去ることが出来る。
 というわけで、我々の側には、我々に無関心な、或は、我々と愛情で結びついている、実に沢山の目に見えないお客さん達がいるのである。特に後者に関しては、確かに「我々と共に生きている」ということが言える。つまり、我々を助け、インスピレーションを与え、守ってくれているのである。

ー少し前までは、あなたは肉体を纏ってその場所に座っておられたわけです。現在、霊になってそこにおられて、どんな感じがしますか?何か変化が生じているでしょうか?
 「特に変わった点はありません。『肉体を離れて霊になった為に、全てがはっきりと分かるようになり、曖昧なところが全くなくなった』という点が、違うといえば違う点でしょうか」
ー今回の人生よりも前の人生を思い出すことは出来ますか?それらと比べて、今回の人生には、何か変わった点があるでしょうか?
 「そうですね。過去世を思い出すことは可能です。そして、過去世に比べて自分が随分進化した、ということを感じます。過去世がはっきり見え、過去世に同化することが出来るのですが、過去世においては、混乱に満ちた人生を送り、地上世界に特有の恨みという感情を抱いたことが多かったようです」
ー今回の人生のすぐ一つ前の人生、つまりジョベール氏の時よりも一つ前の人生を思い出すことは出来ますか?
 「出来ます。私はその時、機械工をしておりました。大変貧乏でありながら、自分の技量を完成させたいと望んでおりました。そして、今回の人生において、つまりジョベールの人生を通して、その哀れな機械工の夢を果たしました。私の頭の中に蒔いた種から芽を出させてくださった善なる神に、心から感謝したいと思います」
ー他の場所では招霊に応じましたか?
 「まだほんの少ししか招霊には応じておりません。多くの場所で、ある霊人が私に代わり、私の名前を使って通信しました。私は、まだ自分では直接に通信出来なかった為、彼の側に控えていたのです。
 死んで間もないので、まだ地上の影響に左右されます。つまり、まだ新米なので、通信が可能となる為には、地上の人々との完全な共感が必要となる、ということなのです。もう少しすれば自由に通信出来るようになるでしょう。今のところ、繰り返しになりますが、自分で直接、自由に通信することは出来ません。
 多少、名を知られた人間が死ぬと、あちこちで呼ばれるので、他の多くの霊人達が、暫くその代わりを努めます。私の場合も同じことが起こりました。肉体から解放された直後には、通信することはなかなか難しかったのです」
ーここにいる、あなた以外の霊人達の姿は見えますか?
 「特にラザロとエラストがはっきり見えます。それから、少し遠くに[真実の霊]が空中に浮かんでいるのが見えます。さらに、数多くの友人達がひしめき合って、あなた方を優しく取り囲んでいるのが見えます。あなた方は本当に幸せ者ですよ」
ー生前、あなたは、「四つの天体が一つにくっついて地球が生まれた」とする説を支持していましたが、今でもこの説を信じていますか?
 「あれは誤りでした。新たな地質学的発見によって、『地球それ自体が変動を経て徐々に形成された』ということが証明されています。他の惑星と同様、地球もそれ自体の生命を持っているのです。『いくつもの天体を一つにまとめる』というような作業は必要なかったのです」
ーあなたは、さらに、「人間は、無限に長い間、強硬症(一定の姿勢を長時間とり続ける症状)の状態にあり続けることが出来る。そして、実はその状態で他の天体から地球に運ばれてきた」という説を支持していましたが、この点に関してはいかがでしょうか?
 「私の空想癖が生み出した錯誤にすぎません。強硬症が、ある程度、持続することは事実ですが、無限に続くことはあり得ません。東方的な空想が生み出した大げさな伝説です。友よ、私は、地上時代に数多く錯誤を犯しており、それらを反省して随分苦しみました。そのことをよく覚えておいてください。
 私は地上で数多くのことを学びました。素直に申し上げて、私の知性は多くの学問を素早く学ぶことの出来るものでした。しかし、『地上生活で得たもののうち、本当に価値があったのは、素晴らしいものへの愛と、純朴なものへの愛だけだった』ということを、ここで強調しておきたいと思います。
 いわゆる純粋に知的な問題には、今は興味がありません。私の周りに展開する、目も眩まんばかりの美しい景観、溜め息が出る程素晴らしい出来事に囲まれて、どうして純粋に知的な問題に関心を持つことなど出来るでしょうか。
 霊実在論の仲間の絆は、あなた方の想像以上に強いのですよ。私が、ひとたび去った地上にこうして降りてくるのは、この絆があるからです。嬉しくやって来るというよりも、むしろ、解放されたことに対する深い感謝の念と共にやって来る、と言った方がよいかもしれません」

 協会は、1862年2月より、リヨンの工員達からの寄付の受付を開始した。メンバー一人当たりの寄付は五十フランであったが、そのうちの二十五フランは本人名義、残り二十五フランはジョベール氏名義となった。このことに関して、ジョベール氏が以下のような意見を寄せてくれた。

 「霊実在論を同じく奉ずる兄弟達が私を覚えていてくれたことに対して、心から嬉しく思い、感謝するものです。寛大な心で寄付をしてくださったことに感謝しています。それは、もし私がまだ地上にいれば、私がしていたはずの寄付でした。今私が住んでいる霊界では、お金は、必要とされない為に存在しません。したがって、地上で寄付をする為には、友情に溢れた財布から出して頂くしかなかったのです。
 善良な工員諸君、あなた方は、熱心に、種から育ったブドウの苗を育てています。慈善という言葉がどれほどの意味を持っているかを、本当に知って頂きたいものです。額の多少に関係なく、施しは同情と博愛の印であり、実に尊いものなのです。
 諸君は、人類の福祉を目指す大道の中にあります。どうか、神のお力により、諸君がその道を踏み外しませんように。そして、諸君がさらに幸福になりますように。霊界の友人達が諸君を支援していますので、必ず勝利出来るはずです。
 私はこちらで霊的な生き方を本格的に開始しました。次々とやってきていた交霊会へのお誘いも少なくなり、落ち着いた、平和な生活が始まったのです。流行は霊界にも及びます。ジョベールの人気が終わり、次の霊人が寵児になるにつれ、私は忘却の中に入っていくのです。
 ただし、智慧を得る為に真剣に学ぼうとしている友よ、今度はあなた方が私を招霊してくださる番です。今まであまりにも表面的にしか扱われなかった問題を、一緒に深めようではありませんか。いまや、あなた方のジョベールは完全に変容を遂げ、有用な情報をお届け出来るようになりました。そして、私はあなた方にとって有用でありたいと、心から望んでいるのです」
 
 こうして友人達を安心させた後で、ジョベール氏は、社会変革を押し進める霊人達の活発な動きに参加した。そして、やがて再び地上に生まれ変わって、地上の人間達と一緒に、より直接的な仕事をするつもりでいる。
 この時以来、氏は、しばしばパリ霊実在主義協会を訪れ、比較し得るものがない程優れた霊示を数多く降ろしてくれた。それは、独創性と機知に溢れたものであり、その点で、生前の氏の特徴を全く失っていなかったので、霊示にサインがなされる前から、我々にはそれが氏からのものであることがはっきりと分かるのだった。

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