死にたい自殺サイト自殺方法自殺ダメ

当サイトは、死にたい人に自殺に関する霊的知識を与えて、自殺を止めさせる自殺防止サイトです。

自殺の霊的知識へ

カテゴリ:★『霊との対話』 > アラン・カルデック 犯罪者の霊

1857年1月3日、パリの大司教シブールが、サンテチエンヌ・デュ・モン教会から出て来た時に、ヴェルジェという名の神父に襲われて命を落とした。ヴェルジェは、死刑の判決を受け、1月の30日に死刑が執行された。最後の瞬間まで、彼は、悔悟も反省もせず、一切の感情を表さなかった。

 死刑が執行された日に招霊され、次のようなメッセージを送ってきた。

ー招霊します・・・。
「まだ体の中に留まっているみたいです」
ーあなたの魂は、まだ体から完全に離脱していないのですか?
「はい・・・、不安です・・・・、よく分からない・・・。自分を取り戻すまで待ってください・・・。私はまだ死んでいないのでしょう?」
ー自分のやったことを後悔していますか?
「殺したのは間違いだった。しかし、あいつの侮辱に、どうしても我慢が出来なかったんだ・・・。今日はこれで帰る」
ーどうして帰ってしまうのですか?
「あいつに会うのが怖いんだ。復讐されては、かなわんからな」
ーでも、もうあなたは死んでいるのですよ。殺されるのを心配することはないのです。
「何が言いたいんだ!あんたが言っていることが正しいという根拠でもあるのか?ああ、私はどこにいるんだろう?気でも狂ったのだろうか?」
ー落ち着いてください。
「『落ち着け』と言ったって無理だ!気が狂ってしまったんだから。待ってくれ・・・。もう少しすれば、色々分かるはずだから」
ー祈ってごらんなさい。そうすれば、考えがはっきりしてきますよ。
「ああ、恐ろしい。とても祈れやしない」
ー祈りなさい。神の慈悲は偉大なのですから。私達も一緒に祈りましょう。
「ああ、確かに神の慈悲は無限です。いつも、そう思ってきたんだ・・・」
ー状況が、大分、のみ込めてきたようですね。
「待って・・・。周りの様子が、あまりにも凄まじくて、何が何だか、よく分からない」
ーあなたの殺した人が見えますか?
「彼の声が聞こえるような気がする。こんなふうに言っている、『恨んではいませんよ』と。ああ、そんなことがあるはずはない・・・。
 気が狂ってしまったんだ!だって、自分の体が向こうに見えるのだから。側には頭も転がっている・・・。なのに、自分が生きているみたいに感じるんだ・・・。どうして、こんなことが・・・。地面と空の間にいるみたいな感じがする・・・。首の上に落ちてくる刃物の冷たささえ感じられる・・・。
 ああ、死ぬのが怖い!周りに霊がうようよいるみたいだ・・・。同情の目で、私を見ている・・・。何か話しかけてくるが、何を言っているのか、よく分からない・・・」
ーそれらの霊達の中に、あなたの犯罪に関わりのある霊はいますか?
「私が恐れる唯一の霊、つまり、私が殺した人の霊がいるような・・・」
ー自分の過去世は思い出せますか?
「駄目だ。頭がぼんやりしている・・・。まるで夢の中にいるみたいだ。何とかして、自分を取り戻さなくては」

 それから三日後に。
ー大分様子がはっきりしてきたでしょう。
「もう地上にいないということが分かりました。そのことは納得しました。
 ですが、自分が犯した罪は後悔しています。
 しかし、私は、霊として、より自由になってきました。『何度も生まれ変わることで、少しずつ大事な知識を得て、そして、完全になっていくのだ』ということが分かりました」
ーあなたの犯した犯罪のせいで罰を受けているのですか?
「はい。自分の犯した罪を後悔し、そのことで苦しんでいます」
ーどんな罰を受けているのですか?
「自分の過ちに気づき、神に許しを乞うています。それが罰です。『神を充分に信じていなかった』ということで苦しんでいます。それもまた罰なのです。また、『同胞の命を縮めるべきではなかった』ということが分かり、それで苦しんでいます。間違いを犯すことによって自分自身の向上を遅らせた為に、大変後悔しており、それもまた罰のうちなのです。
 『殺すことによっては決して目的は達せられない』と、良心が教えてくれていたのにも関わらず、慢心と嫉妬に支配されて、あのような行為に及んでしまったわけなのです。私は間違っていたのです。そのことを悔やんでいます。人間は、常に、欲望を統御すべく努力する必要があるのに、私には、それが出来ませんでした」
ー我々が、あなたを招霊した時に、どんな感じがしましたか?
「嬉しいと同時に怖くもありました」
ーなぜ、嬉しく、そして怖かったのでしょうか?
「人間達と対話が出来、私の過ちを告白することで、自分の過ちの一部分にせよ、償うことが出来るから、嬉しかったのです。
 一方で、『殺人を犯した』という事実に向き合わなければならないので、怖いという気持ちが湧いたのでしょう」
ーまた地上に生まれたいと思いますか?
「ええ、既にお願いしてあります。今度は、自分が殺される側に身を置き、恐怖を味わう必要を感じるからです」

 シブールも招霊され、「自分を殺した男を許している」ということ、「彼が善に戻れるように祈っている」ということを告げてくれた。さらに、「彼の苦しみを、より大きなものにしない為に、彼の前には姿を現さないようにしている」と言っていた。「自分に会うのを恐れているということ自体が、既に罰になっているから」ということであった。

ー(シブールの霊に対して)殺人を犯した、あの男は、今回、地上に転生することを決意した時に、殺人者になることも選んでいたのでしょうか?
「いいえ。闘争的な人生を選択した時点で、『人を殺すことになるかもしれない』ということは分かっていましたが。しかし、それを実行に移すことになるかどうかは分かっていませんでした。自分の中でも葛藤があったのです」

 ヴェルジェの死の瞬間の状況は、激しい死に方をした人に、ほぼ共通するものである。魂と肉体の分離が急には行われない為、茫然自失の状態にあり、自分が死んでいるのか生きているのかさえ分からないのである。
 大司教の姿はヴェルジェには見えないように取り計らわれた。既に、充分、後悔していたからである。だが、殆どの場合、殺人者は、犠牲者の視線に付きまとわれることになる。
 重大な犯罪であったにもかかわらず、ヴェルジェは、生前、何の後悔もしていなかった。したがって、永遠とも思われる刑罰を受けても不思議ではなかったのである。
 しかし、彼の場合、地上を去った瞬間に後悔が始まった。過去を深く反省し、それを償いたいと真剣に願ったのである。
 苦しみのあまり、そうしたのではない。なぜなら、まだ苦しむ前に、そう思ったからである。地上にいる間には聞かなかった良心の声を聞いたということなのである。どうして、それが考慮されないことがあろうか?
 地上にいる間に悔い改めれば地獄に行かないのが事実だとしたら、死後に霊界で悔い改めた場合も地獄に行かなくて済むのは、当然ではないだろうか?死ぬ前の人間に対して慈悲深い神が、どうして、死んだ後の人間に対して慈悲深くないことがあるだろうか?
 最後まで悔い改めようとしなかった犯罪者が、死後、直ちに、驚くべき心境の大変化を遂げることがある。あの世に還っただけで、自分の行為がいかに間違っていたかを一瞬で悟れる者達がいるのだ。
 ただし、これは一般的に見られることではない。もし一般的に見られるのだとしたら、悪霊の存在など、有り得ないからである。多くの場合、悔悟はなかなかやってこない。そして、その分、苦しみも長引くわけである。
「傲慢であるが故に、自分の非を認めて謝るということが出来ず、一生、悪の中に留まり続ける」ということは、よくあることである。
 また、「肉体がヴェールのように覆い被さっている為、なかなか霊的な見方が出来ない」というのが地上の人間の限界である。このヴェールが剥がれ落ちれば、一瞬で光に照らされ、まるで憑きものが落ちたように正気に戻るということが有り得るのである。正しい感じ方が出来るようになれば、それに応じた境涯が開かれる。
 それに対して、死んだ後も強情を張り続ければ、悪霊の仲間入りをする他ない。全うな道に戻るには、まだまだ試練を受ける必要があるということなのである。

ノヴェルという霊が、生前知っていた霊媒に、次のように語りかけてきた。

「俺が死んだ時、どのように苦しんだかを、これから話してみよう。
 死んだ時、俺の霊は、電子線で体に結びつけられていたが、これを切るのに、まず、えらい苦労をした。これが、最初の、耐え難い試練だった。俺は24歳で地上の生活におさらばしたが、この地上の命の影響は、俺が思っていたよりもしぶとく俺の中に残り続けた。
 俺は地上での生活が諦められずに体を探し回っていたんだが、気がついてみると、周りを亡霊共に取り囲まれていたんで、びっくりし、恐怖に囚われた。
 そして、段々、自分がどうなっているのかが分かってきた。自分が過去世で犯してきた罪が全て啓示のように意識に上ってきた。容赦のない光が射してきて、俺の魂の隅々まで照らし出した。一番恥ずかしいことまで明らかにされて、俺の魂が丸裸にされたような感じだった。俺は恥ずかしくて恥ずかしくてどうしようもなくなった。
 そこから目を背けて、俺の周りにいる、前から知っている、しかし新たな獲物達に襲いかかることで、何とかそうした状況から逃げ出そうとした。
 だが、エーテルの海に漂っている、光り輝く霊達が、俺には縁のない幸福ということを教えようとしているようだった。
 影のような亡霊達がいて、ある者は絶望の淵に沈み、ある者は猛り狂っていたが、俺の周りに忍び寄ってきたり、地上を徘徊したりしていた。人間達は、いい気なもので、そんなこととはつゆ知らず、のんびりと動き回っている。
 あらゆる種類の未知の感覚、或は既に知っている感覚が、同時に俺の中に流れ込んできた。抵抗し難い力に引きずられ、激しい苦悩から逃れようとしつつ、距離を超え、様々な領域を横断し、物理的な障害を乗り越えて移動していったが、自然の美しさも、天上界の輝きも、一瞬といえども、俺の引き裂かれた意識を安らかにすることは出来なかったし、永遠という観念が引き起こす恐怖を和らげることも出来なかった。
 地上の人間も、物理的な拷問を目前にして体をおののかせることがあるかもしれない。しかし、地上では、どのような苦痛であっても所詮は一時的なものであり、そのうち、希望によって和らげられ、気晴らしによって緩和され、忘却によって消されるのである。
 したがって、人間には、霊界にいる魂達が経験する、永遠に続くかと思われる、一切の希望を奪われた、悔い改めることさえ出来ない苦しみなど、到底理解することは出来ないだろう。
 俺は、いつ終わるとも知れない永遠の間、時々かいま見る輝かしい高級霊達を羨みつつ、かつ俺を嘲弄し続ける悪霊共を嫌悪しつつ、また数々の愚行を犯す人間共を軽蔑しつつ、深い意気消沈と気違いじみた反抗の間を行ったり来たりしながら過ごしていたのである。
 そうしているうちに、とうとうお前が俺を呼んでくれた。そして、初めて、俺は優しい気持ちになることが出来たのだ。俺は、お前の指導霊がお前に授けた教えを聞いた。そして真理を悟り、神に祈った。そうしたら、なんと!神は聞き届けてくださった。死の瞬間に正義を示されたように、今度は慈悲を示してくださったのだ」

1860年10月、パリ霊実在主義協会において、ジョルジュという霊からメッセージが伝えられた。その中で、ジョルジュは、「罪のある者が霊界に還った場合、一般的にどうなるか」ということを報告している。

「意地悪な人間達、エゴイスティックで冷酷な人間達は、死ぬとすぐに、現在の状況、そして未来の運命に関して、凄まじい疑念に苛まれている。
 彼らは周りを見回すが、まず最初は、意地悪をするいかなる対象も見つけられない 為に、絶望の念に囚われる。というのも、悪霊にとっては、虐める対象を欠いた孤立と無為の状態は耐えがたいものだからである。
 一方で、彼らは、浄化された霊達が住む領域に視線を向けることが出来ない。
 周囲をじっくり眺めると、やがて、罰を受けている弱々しい霊達が見えてくる。やっと獲物を見つけたとばかり、彼らはその霊達に襲いかかる。
 しかし、そんなことでは彼らの心は治まらない。そこで、飢えた禿鷹のように、地上に這いずり出てくるのである。人間達の中から、御し易そうな者を見つけ、憑依し、煩悩を掻き立て、神への信仰を弱め、完全に支配出来るようになった時に、この者に接触してくる人間達全員に対し、悪しき影響をふるい始めるのである。
 こうした状態にある時、悪霊は殆ど幸福を感じていると言ってよい。彼らが苦しみを感じるのは、何もせずにいる時、或は、善が悪に勝っている時だけだからである。
 だが、そうしているうちにも時間は経っていく。そしてある時、悪霊は、突然、闇に取り囲まれるのを感じる。そして行動範囲が狭まる。それまで麻痺していた良心が少しずつ目覚め、痛みと共に悔悟の気持ちが湧いてくる。じっとうなだれていると、渦巻きに運び去られ、聖書に書かれているように、恐怖のあまり身体中の毛が逆立つのを感じながら、彼は放浪を始める。
 やがて、内部に、そして周囲にも、とてつもない空虚が生じる。ついに贖罪の時期がやってくる。
 こうして、再び地上に生まれ変わることになる。地上で自分を待っている恐るべき試練が、蜃気楼のように視界に入る。退こうとするが、前進せざるを得ない。ぱっくりと口を開いた深淵に吸い込まれ、転げ落ちていくと、やがてヴェールが目の上にかかるのが感じられる。記憶が消されるのだ。
 再び地上に生まれ、成長し、行動し、そして、また罪を犯す。『そうしてはならない』という、微かな記憶があるような気もするし、『こんなことをしたら大変なことになる』とも思うのだが、どうしても悪の道に入っていってしまう。
 やがて悪にまみれ、力尽きて、死を迎える。祖末なベッドに横たわり、じっとしていると、忘れていた霊的な感覚が甦ってくる。目は閉じられているが、彼は一条の光を見、聞いたことのない音を聞く。手が痙攣して敷布にしがみつく一方で、魂は早く肉体から離脱しようと焦る。
 周りを囲む人々に向かって叫ぼうとする。
 『引き止めてくれ!押さえてくれ!嫌だ、行きたくない!処罰が俺を待ち構えている!』
 だが、叫ぶことは出来ない。
 やがて、唇が青ざめ、死が訪れる。すると、周囲にいる人々が言う。
 『ああ、やっと逝ってくれたか』
 彼には、それが全て聞こえる。肉体から離れたくないので、その周りに漂っている。
 だが、何かの力に引っ張られて、否応なくそちらに引き寄せられる。そして、かつて見たことのある風景をまた見るのである。我を忘れて空間に躍り込み、隠れられる場所を探す。だが、もう逃げも隠れも出来ない。休むことも出来ない。他の霊達が、彼がなした悪と同じ悪を彼に対して行うからである。
 こうして、彼を懲らしめ、あざ笑う。彼は恥じ入って逃げ惑う。
 いつまでも逃げ惑っていると、やがて、頑な心に神聖な光が差し込み始め、あらゆる悪に勝利する神の姿が見えてくる。その神のお心に適うには、懺悔をし、償いをする以外にない」

 意地の悪い人間の行く末に関して、これほど雄弁な、恐るべき、赤裸裸な説明は、かつてなされたことがないのではないか。こうした事実が示された以上、もはや地獄の業火や拷問という、伝統的なキリスト教がつくり出した幻影に頼る必要はないであろう。

南フランスにあるカステルノダリーという町の近くにある家の中で、奇妙な音がよく聞こえ、色々な幽霊が目撃された。その為に、この家は、幽霊屋敷であると見なされた。1848年に悪魔祓いがされたが効果はなかった。
 それでもそこに住み続けた持ち主のD氏は、数年後に奇妙な突然死を遂げた。
 ついで、息子がそこに住んだが、ある日、家に入ろうとして、いきなり見えない手で激しく殴られた。その時、他には誰も人がいなかった為に、幽霊の仕業であることは明らかだった。その為に、息子は、ついにその家から出ることを決心した。
 その地方には、「この家で重大な犯罪が犯されたことがある」という言い伝えがあった。
 息子を殴った霊は、1859年にパリの霊実在主義協会にて招霊された。非常に荒々しい霊で、どんなふうにしてもなだめることが出来なかった。
 聖ルイに聞いてみたところ、次のような答が戻ってきた。

「この霊は最悪の部類に属する霊で、文字通りの怪物です。彼をここに来させることは出来ましたが、彼に書記をさせることはどうしても出来ません。どんな霊にも自由意志はあるからです」
ーこの霊に、向上の余地はあるのですか?
「どうして、ないことがあるでしょうか?全ての霊には向上の余地があります。とはいえ、相当な困難が予想されるのも事実です。
 しかし、悪に報いるに善をもってすれば、必ず心に響く時が来るでしょう。今日はまずお祈りをしましょう。そして、一ヶ月後に、もう一度、招霊してみるのです。その時に、いかなる変化が生じたかを確かめることが出来るでしょう」

 その後、招霊された時、この霊は随分扱い易くなっており、徐々に、素直に、また、しおらしくなっていった。
 彼自身の説明、また、他の霊の説明によって、次のようなことが判明した。
 1608年のこと、この家に住んでいたこの男は、ある女性を巡る争奪戦から、嫉妬に狂い、弟を殺害する。弟が寝ている隙に喉を掻き切ったのである。ついで、数年後には、妻にしたその女性を同じく殺害している。時代が混乱していた為、このことは特に罪に問われることなく、この男は1659年に80歳でこの世を去った。
 死んでから後、この男の霊は、この家で様々な障りを引き起こした。
 最初の招霊の時に同席していた霊視の効く霊媒は、この霊に書記を行わせようとした時に、この霊が恐ろしい形相で書記霊媒の腕を揺さぶるのを見ている。血だらけのシャツを着ており、手には匕首(あいくち)を持っていた。

ー(聖ルイの霊に対して)この霊には、どのような罰が与えられているのですか?
「彼にとっては大変むごい罰です。犯罪が行われた家に閉じ込められ、ずっと犯罪の行われた場面を目の前に見せられるというものです。他のことは全く考えられません。その為に、まるでこの拷問が永遠に続くように思われます。自分が弟と奥さんを殺害する場面を、繰り返し繰り返し見せられるのです。それ以外の記憶は禁じられ、また、それ以外の霊とコンタクトをとることも禁じられました。
 地上では、この家以外の場所に行くことが出来ず、たとえ霊界に行ったとしても、そこには闇に包まれた孤独しかないのです」
ーその家から抜け出すことは出来ないのですか?
「この霊の為に祈る人がいれば、抜け出すことは出来るのです。しかし、普通は、そうしてあげる人がいません。むしろ悪魔祓いの呪文によって追い出そうとするばかりです。そんなことは、彼を面白がらせるだけなのですが」
ーこの霊に関心のある人が祈り、そして、我々も祈れば、この霊は解放されるのでしょうか?
「そうです。ただし、注意してください。人から強制された祈りには効果がありませんから」
ーこの霊は、既に二世紀の間、そうした状況にあります。この時間の長さを、彼は生前と同じように感じているのでしょうか?
「もっとずっと長く感じているはずです。なぜなら、地上と違って、彼は眠ることが出来ないからです」
ー「霊にとって時間は存在しない」と言われたことがあります。「霊にとっては、百年といえども、永遠の中のほんの一瞬にすぎない」と言われました。これは全ての霊に共通しているわけではないのですか?
「違います。高い境涯に達した霊達だけが、そのように感じるのです。未熟な霊達にとって時間は長く感じられることがあります。特に、苦しんでいる霊達にとってはそうです」
ーこの霊の出自を教えてください。
「今回の転生の前には、残酷で戦闘的な小部族の中に生まれていました。それ以前には、地球よりもはるかに劣った惑星にいたのです」
ーこの霊は、自らが犯した罪のせいで非常に厳しく罰せられました。もし彼が野蛮な部族に生まれていたとしたら、もっと残酷なことをしていたと思うのですが、その場合には、どのように罰せられたと考えられますか?
「今回程は厳しくなかったでしょう。というのも、その場合には、もっとずっと無知だったはずであり、その為に、理解できる範囲もおのずと狭かったと思われるからです」
ーこの霊が置かれている状況は、俗に言う[劫罰に処せられた状態]だと考えてよいのですか?
「まさしくその通りです。でも、もっと恐ろしい状況もあるのですよ。苦しみはそれぞれの霊によって違います。同じような罪を犯した霊達であってもそうなのです。霊が、どれくらいの期間で悔悟に至り得るかが、それぞれ違うからです。
 今回の霊にとっては、自分が罪を犯した家それ自体が地獄となっているのです。
 その他には、例えば、『自らの内に抱え持つ、どうしても満たせない欲望が、自分の内に地獄をつくり出す』という場合もあります」
ーこの霊は、大変未熟であるにもかかわらず、お祈りのよき効果を感じているようです。これ以外にも、同じように邪悪で、もっと荒々しい霊が、お祈りの効果を感じるケースもありました。
 それに対して、もっとずっと知識のある、頭のよい、進化した霊が、よき感情の欠片さえ持っていないということがあるのですが、これは一体どうなっているのでしょうか?聖なるものをことごとく嘲笑するのです。つまり、彼らは何に対しても感動しないのです。彼らが嘲りを止める時はあるのでしょうか?
「祈りは、悔い改めをしている霊にしか効果がありません。傲慢であるが故に神に反抗し、錯乱の中にい続ける霊にとってー悪霊達は、皆そうですがー、祈りは何の効果もありません。彼らの心の中に悔悟の光が射し始めるまでは、祈りはいかなる効果も発揮し得ないのです。
 彼らの為に祈っても効果がないということは、それ自体が彼らの罰の一部をなしていると言っていいでしょう。祈りが効果を発するのは、頑であることを止めた霊達に対してだけです」
ー祈っても無駄な霊を目の前にした場合、祈らずに放ってほいた方がよいのでしょうか?
「いいえ、そんなことはありません。というのも、祈りによって、その霊が頑な態度を改める可能性が、全くないわけではないからです。そして、その後、『救われたい』と思い始める可能性はあるのです」

 これは、丁度、長い間薬を投与し続けないと、その効果が表れない病人のようなものである。当面は、効いたかどうか分からない。一方で、薬がすぐに効く病人もいる。
 つまり、「どんな霊でも必ずよくなれる。そして、永遠に、決定的に悪へと宿命づけられた霊など存在しない」ということが分かれば、「遅かれ早かれ、祈りは効果を発揮し、一見、無効だと思われた場合でも、実際には救いの種を蒔くことになっている」ということが納得出来るはずである。
 したがって、直ぐに効果を収めることが出来ないからといって、決して諦めるべきではない。

ーもし、この霊が再び転生するとしたら、どのような人間として生まれるのでしょうか?
「それは、彼がどのようにして自分の罪を購いたいと思うかによります」

 さて、件の霊とやり取りするうちに、この霊の心境に著しい進展が見られた。以下に、そのやり取りを掲げる。

ー最初に呼ばれた時は、どうして書かなかったのですか?
「書きたくなかったからだ」
ーどうして書きたくなかったのですか?
「ぼーっとしていて、何を書いていいか分からなかったからだ」
ーそうすると、今は、望みさえすれば、カステルノダリーの家から離れることが出来るのですか?
「それが出来るようになった。というのも、俺が、あんたらの忠告に従ったからだ」
ーそれでは、心が軽くなってきたでしょう?
「うん、希望が感じられるようになってきた」
ー今、もしあなたを見ることが可能だとしたら、どのように見えるのでしょうか?
「ちゃんとシャツを着ている姿だ。匕首はもう持っていない」
ーどうして匕首を持っていないのですか?どこへやったのですか?
「もう見たくなくなったのだ。神様が、見えなくしてくださった」
ーもしD氏の息子さん(この霊が殴った人)が再びこの家に住んだとしたら、あなたはまた何か悪さをしますか?
「いや、もうしない。悔い改めたからな」
ーもし、彼が挑発したら?
「いや、もうそんなことは聞かないでくれ。また暴れなくなって、抑えが利かなくなるからな。ああ、まだまだ哀れなもんだ」
ー苦しみがいつ頃終わりそうか、分かってきましたか?
「いや、まだだ。だが、それがいつまでも続くものではないことは分かってきた。前にはそれすら分からなかったのだから、全くあんたらのおかげだ」
ー最初にお呼びした時よりも前のことについて、色々と教えて頂けませんか?これは、面白半分で聞いているのではなく、そうすることが、あなたにとっていい結果をもたらすと思われるからなのです。
「既に言ったように、自分が犯した犯罪のこと以外には何も考えられなかった。家を離れたとしても、そこには闇と孤独しかなかった。それがどのような感じだったか、とても説明することは出来ない。自分でも、何がどうなっているのか、さっぱり分からなかったのだから。家から逃げれば、そこは暗黒で、全く何もなかった。それが何だったのか、今でも分からない。
 今では、前よりもずっと後悔している。それに、もうあの忌まわしい家に閉じ込められていない。地上をあちこち見て回って、色々と勉強することも許されている。でも、そうすればそうする程、自分がやったことの重大さが分かってくるのだ。ある意味では苦しさはなくなってきたが、一方では、悔恨から来る辛さが酷くなってきている。だけど、少なくとも希望が出てきた」
ー今度、地上に生まれ変わるとしたら、どんな人生を送るつもりですか?
「もっと色々見聞して、考えてから決めたいと思っています」
ー長い間、一人きりであの家に閉じ込められていたわけですが、その間に後悔はしたのですか?
「いいや、全くしませんでした。だからこそ、長い間苦しんだわけです・・・。ようやく後悔を感じ始めた頃にー私は知らずにいたのですがー、私を招霊してくれる準備が整ってきたわけです。そして、私の解放が始まったということなのです。
 その意味で、私を哀れみ、私に光を与えてくださった皆さんには、感謝、感謝です」
 我々が今までに見てきたのは、次のようなケースである。
 すなわち、黄金を見ては歯ぎしりする吝嗇家。彼にとっては、この黄金は悪夢と化している。
 自分達には与えられず、他の人々に与えられる名誉に激しく嫉妬する傲慢な人間達。
 生前、地上では、威丈高に命令していたが、死後、どうしても従わざるを得ない、見えない力に辱められ、また、もう彼らの言うことを聞こうとしない家臣達によって侮辱される王侯貴族達。
「何も信じられない」という苦しみに苛まれ、広大な空間の中で絶対的な孤独にさらされ、助けてくれそうな人にどうしても会うことの出来ない無神論者。
 霊界においては、あらゆる美徳に対して喜びが与えられるのと同様に、あらゆる悪徳に対して苦しみが与えられる。人間の法律は逃れられても、神の法律を逃れられる者はただの一人もいないのである。
 また、同じような状況で犯された、同じような過ちであったとしても、それを犯した霊の精神の発達段階に応じて、全く異なった形で罰が与えられる。
 ここで扱った霊のように、未熟で粗野な霊の場合、精神的というよりも物質的な苦しみが与えられ、精神的に、また感性的に発達した霊であれば、反対に、物質的な苦しみではなく精神的な苦悩が与えられる。
 前者の場合、彼らの境涯がどれほど大変なものであるかを理解させ、そこから逃れたいという気を起こさせる為には、彼らの荒々しい自我に見合った粗雑な罰を与える必要があるのだ。一方で、ほんの少し恥の感覚を味わわせるだけで、耐え難いほど恥ずかしさを感じるような、高度に発達した霊達もいるのである。
 神が実施する刑法においては、どんな些細な点に至るまでも、智慧、善意、そして周到さが行き渡っている。全てがバランスよく配分されており、あらゆる面で、過ちを犯した人間が最も早く立ち直れるように配慮されている。魂の、善への憧れは、どのように些細なものであろうと、絶対に見逃されることはない。
 一方、伝統的なカトリックの教義においては、刑罰は永遠に与えられるものとされており、地獄には、大犯罪人も、小犯罪人も、たった一度だけ罪を犯した者も、百回、罪を犯した者も、強情を張り通す者も、悔い改めている者も、全部ごちゃ混ぜになって入れられているのである。全てが、彼ら全員を地獄の底に閉じ込める為に仕組まれており、彼らが救われる可能性は全くない。たった一度でも過ちを犯せば、他にどのような善の行為を行っていたとしても、永遠に地獄に落とされるのである。
 一体どちらに真の正義と真の善意があるだろうか?
 したがって、この招霊は偶然ではなかったと考えられる。この霊を見守っていた高級霊達が、この霊が自らなした罪の重大さに気づき始めたのを見て取り、効果的な救いの手段として、この招霊の場を設定したのである。そうしたことは、今まで既に何度もあった。
 このことに関して、「もし、この霊が招霊という機会を与えられなかった場合には、一体どうなったのか?」、また、「そもそも、こうした招霊の機会を与えられない霊は、どうなるのか?」ということを尋ねてみた。それに対して、「人間を救う為に神が講ずる手段は無限にある」という答が返ってきた

 招霊というのは、彼らを支援する為の有効な手段であるが、それだけが唯一の手段であるわけではない。例えば、悔い改める用意が出来た霊に対して、集合的な祈りは大いなる効果をもたらすことが出来る。
 神は、苦しんでいる霊達の運命を、地上にいる人間達の知識と善意だけに任せているわけではない。我々が霊界とコンタクトを恒常的に取れるようになった時、まず教えられたのは、「高級霊達と協力することによって、苦しみの中にある霊達に救いの手を差し伸べることが出来る」という事実であった。神は、そのことによって、宇宙のあらゆる存在が繋がっているということを証明されたのである。
 このようにして、慈悲の実践に新たな道を開くことにより、神は、それまで無知と迷信のせいで本来の方向から逸れつつあった招霊という現象に、真の有用で確かな方向性を与えられたのである。
 いかなる時代においても、苦しみの最中にある霊達に、救いの手が差し伸べられないということはなかった。
 招霊が、彼らに対して、新たな救いへの手段となったことは事実だが、肉体に宿って地上に生きる人間達にとっても、それは大変大きな意味があったのである。善を行う為の新たな道が開かれたというだけでなく、「地上でどう生きれば、死後どうなるか」ということが、極めて具体的にはっきりと分かるようになったからである。

ルメールは、エーヌ県の重罪院で死刑の判決を受け、1857年12月31日に死刑が執行された。
 1858年1月29日に招霊。

ー招霊します・・・。
「はい、ここにいます」
ー私達を見て、どんな気持ちがしますか?
「恥を感じます」
ー最後の瞬間まで意識はあったのですか?
「ありました」
ー死刑が執行された直後、自分が新たな状況にいるということが分かりましたか?
「とんでもない混乱に巻き込まれ、未だにそこから出ていません。ものすごい苦しみを感じます。私の心が苦しんでいるのです。
 何かが死刑台の足下に転がるのが見えました。続いて血が噴き出すのが見えました。そして、さらに苦しみが増したのです」
ーそれは純粋に肉体的な苦しみですか?例えば大怪我をした時のような?
「いえ、違います。後悔ゆえの苦しみです。ものすごい、精神的な苦しみなのです」
ーいつ、その苦しみを感じ始めたのですか?
「肉体から離れた直後です」
ー死刑によって引き起こされた肉体的な苦痛を感じたのは、体なのですか、それとも霊なのですか?
「精神的な苦しみは霊が感じ、肉体的な苦しみは体が感じました。しかし、霊が体から分離すると、いっそう苦しみを感じるのです」
ー頭を切断された自分の体は見ましたか?
「なんだか形のよく分からないものを見ましたので、まだ体から離れていないのだと思いました。でも、その後、完璧になったように感じました。自分自身に戻ったような感じです」
ー自分の体を見てどんな印象を持ちましたか?
「苦しみが大き過ぎて、よく分かりませんでした。苦しみのせいで、我を忘れていたのです」
ー頭部が切り離されても体はまだしばらく生きているものですか?その間、何か考えることは出来るのですか?
「霊は徐々に分離していきます。物質の執着が多い程、分離はゆっくり行われます」
ーある場合には、受刑者の表情に怒りが見られ、何か話したがっているように思われるということですが。それは単なる痙攣に過ぎないのですか?それとも意志が関わっているのでしょうか?
「意志が関わっています。というのも、その時にはまだ、霊は完全に離脱していないからです」
ー新たな世界に入った時の最初の印象はどのようなものでしたか?
「耐え難い苦痛でした。理由のよく分からない後悔によって刺し貫かれるのです」
ー同時に処刑された共犯者達とは、その後、一緒になるのですか?
「なります。お互いの姿を見ることが、これまた苦痛なのです。お互いに、お互いの犯罪を責め合います」
ー犠牲者達には会うのですか?
「会います・・・。
 彼らは幸せに暮らしていますが、その視線が私に付きまとうのです・・・。その視線が、存在の内部まで刺し貫くのを感じます・・・。逃げようと思っても逃げられません」
ー彼らを見てどう感じるのですか?
「恥と後悔を感じるばかりです。自分で彼らを天国に上げておきながら、なおかつ、今でも彼らを憎んでいるのです」
ー彼らはあなたを見てどう思っているのでしょうか?
「哀れみを感じているようです」
ー彼らは憎しみを持っているのでしょうか?復讐したいと思っているのでしょうか?
「いいえ。彼らは、私が償いを果たすことをひたすら願ってくれているだけです。
 ああ、恩恵を受けていながら、その人を憎まねばならないということが、どれほど苦しいか、あなた方には想像出来ますか?」
ー地上での生活を後悔していますか?
「私が後悔しているのは、犯した罪だけです。同じ状況が起こったとしても、もう二度と罪を犯すつもりはありません」
ー悪への傾向は、あなたに染み付いていたのですか?それとも、環境が悪かった為に、ああなってしまったのですか?
「犯罪への傾向は私の中にありました。私はまだ未熟な霊だからです。一気に進化したいと思ったのです。しかし、欲張り過ぎました。自分が充分強いと思っていたので、過酷過ぎる試練を選んでしまったのです。その結果、悪の誘惑に身を任せてしまったわけです」
ーもし、ちゃんとした教育を受けていたとしたら、悪の道に入らずに済んだと思いますか?
「はい。でも、ああした家庭環境を選んだのは自分なのです」
ー善人になることは可能だったのでしょうか?
「私は弱い人間なので、悪を行うことは出来ても、善を行うことは出来ませんでした。悪を矯正することは出来たでしょうが、積極的に善を行うところまでは行けなかったと思います」
ー生前、神は信じていましたか?
「いいえ」
ーしかし、「死ぬ前に悔い改めていた」と聞きました。それは本当ですか?
「復讐の神を信じていたのです・・・。復讐の神が下す正義を恐れていたのです」
ー現在、誠実に悔い改めを行うことは出来ていますか?
「ああ、自分のしたことを見ているのですよ!」
ー神については、現在、どのように考えていますか?
「神の存在を何とか感じることは出来ますが、理解は出来ていません」
ー地上で下された罰は正当だと思っていますか?
「はい」
ーご自分の犯罪が許されることはあると思いますか?
「分かりません」
ーどのようにすれば罪を購うことが出来ると思いますか?
「新たな試練を乗り越えることによってでしょう。しかし、そこに辿り着くまでに、無限の時間がかかるような気がしています」
ー今、どこにいますか?
「苦しみの中にいます」
ー「この部屋のどこにいるのか」ということをお聞きしたのですが。
「それなら、霊媒の近くです」
ーもし、我々があなたの姿を見られるとしたら、どのような姿を見ることになるのでしょうか?
「地上での姿です。つまり、頭と胴体が切り離された状態で見ることになるでしょう」
ー姿を見せて頂けますか?
「とんでもない。冗談はやめてください」
ーモンディディエ監獄からどのようにして出て来たのですか?
「もう覚えていません・・・。あまりにも苦しみがひどくて、犯罪を犯したということくらいしか覚えていないのです。もう、そっとしておいてください」
ー何かお手伝い出来ることはありませんか?
「償いを開始出来るように祈ってください」

↑このページのトップヘ