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カテゴリ:★『霊との対話』 > アラン・カルデック 犯罪者の霊

アラン・カルデック 犯罪者の霊 目次

ジャック・ラトゥール-殺人の咎で死刑になった男性1

ジャック・ラトゥール-殺人の咎で死刑になった男性2

ラポムレー-光による懲罰を受ける男性

ブノワ-僧達を迫害した聖職者

ヴェルジェ-パリの大司教を殺した神父

容赦のない光に照らし出される生前の罪-ノヴェル

エゴイスティックな霊への懲罰-ジョルジュ

ある屋敷に二百年居座る地縛霊の正体-カステルノダリーの怪物

斬首刑の直後に見えたもの-ルメール

この男は、殺人の咎により、フォワの重罪院で死刑を言い渡され、1864年の9月に死刑が執行された。

 1864年9月13日、ブリュッセルにおいて、七、八人のメンバーで、ささやかな交霊会が持たれた。その際に、ある婦人が霊媒役を務めることになったのだが、まだ、いかなる招霊も行わないうちに、彼女が、ものすごい勢いで、とても大きな字で、次のように書き始めた。

「ごめんなさい!私が悪うございました!ラトゥール」

 全く予期しなかったこの通信に、我々は、すっかり面食らってしまった。というのも、出席者の殆どが、この霊のことを知らず、したがって、この霊について考えてもみなかったからである。
 この霊に同情の言葉をかけ、かつ励ました上で、次のような質問をしてみた。

ー一体、いかなる理由で、他の場所ではなく、ここにいらっしゃったのですか?というのも、私達は、あなたを招霊した覚えはないからです。

 すると、書記のみならず発話も出来る、この霊媒が、はっきりした声で、次のように語り始めた。

「あなた方が、思いやりのある方々であり、私に同情してくださるだろうということが分かったからです。私を招霊してくれる、他の人々は、真の慈悲からというよりも、面白半分で招霊しているか、怖がって逃げてしまうかのどちらかなのです」

 それから、名状し難い光景が展開された。おそらく30分位続いたのではないだろうか。霊媒は、単に言葉を語るだけではなく、身振りや手振り、表情まで総動員して、この霊の現状を伝えるのだった。
 時折、絶望を語る言葉の調子は心を引き裂くものとなり、その苦しみを語る声音は実に悲痛なものとなった。その嘆願は、しばしば、あまりにも熱烈なものだったので、出席者全員が、深く心を動かされた。
 その内の何人かは、霊媒があまりにも興奮する為に、恐怖に囚われたが、我々は、「悔い改め、哀れみを乞う、この霊の通信は、何の危険も伴わないだろう」と確信していた。
 「この霊が霊媒の肉体器官を使うのは、自らの状況をより詳しく描写し、我々の興味を引こうとしているからであり、憑依霊が肉体を支配しようとするのとは異なる」ということが分かっていた。それは、彼の主張の為に許されたことであり、また、出席している者達への教育的配慮から許されたことでもあったのだ。
 その通信は、以下のようなものであった。

「ああ、どうか、哀れみを!私には哀れみが必要なのです。
 あなた方には、私がどんなに苦しいか分かるはずです・・・。いや、分かるはずがない。あなた方には、私がどれほど苦しんでいるか理解できないでしょう・・・。
 ああ、何という苦しみ・・・。ギロチンなど、今の、この苦しみに比べれば、全くなんでもありません。一瞬の苦しみに過ぎないのですから。しかし、私の体をなめる、この火ときたら、もっともっと酷いものです。それは絶えざる死なのです。その苦しみは、途切れることがないのです。その苦しみには、休息というものがないのです・・・・、そして、終わりがないのです!
 しかも、私が手にかけた者達が周りにいる・・・。私に傷口を見せつけ、ずっと私を見ている。ああ、私の前に、私が殺した者達がいる・・・。全員がいる、そう、全員です!全員の姿が見える。逃げることが出来ない!それに、血の海が見える。血に濡れた金も見える。全てが、そこに、私の前にある。ああ、永遠に見せられるのだろうか?
 あなた方には、この血のにおいが感じられますか?血、血まみれだ。ああ、可哀想な犠牲者達・・・。命乞いをするのに、私は、容赦なく、彼らを殺す・・・、匕首で突き刺し・・・、そして殺す。血が、私をさらに興奮させる・・・。
 私が死ねば、全ては終わると思っていました。だから、死刑台に向かったのです。神に挑み、神を否定しました・・・。そして、全てが永遠に無に帰すると思っていたら、なんと!恐ろしい目覚めがあったのです。
 ああ、恐ろしい!何ていうことだ!私は、犠牲者の死体に取り囲まれ、彼らの恐ろしい顔を見る・・・。血の海を歩き・・・。死ぬと思っていたのに、こうして生きている!
 ああ、嫌だ!恐ろしい!地上のどんな拷問よりも恐ろしい!
 ああ、死んだらどうなるかを、知っておけばよかった。悪いことをしたらどうなるかを、知っておけばよかった。そうしたら、人なんか殺すことは絶対なかったのに!
 人を殺そうと思っている者は、みんな、前もって、今、私が見、耐えていることを経験するといいのだ!そうすれば、人を殺そうとは思わなくなるだろう。こんな苦しみを味わいたいとは絶対に思わないだろうからな!
 ああ、神様、こうなるのも当然です。だって、私は、彼らのことを、可哀想だなどと、これっぽっちも思わなかったのだから。助けを乞う腕を、むげに、はねつけたのだから。金を取ろうとして、彼らを容赦もなく殺したのは、この私なのだから。
 ああ、私は神様を信じませんでした。神様を否定しました。神様の名を冒涜しました・・・。私は酒に溺れましたが、それは、神様を否定したかったからなのです・・・。ああ、神様、私は何という罪を犯したのでしょう!今では、それがよく分かります。
 でも、私を哀れんではくださらないのですか?あなたは神様です。神様は善意の方であり、慈悲の方であり、全能の方であるはずですよね。
 神様、哀れみを!どうか、どうか哀れみを!お願いです、どうかお聞き入れください。私を、この忌わしき光景から、恐ろしい場所から、血の海から、どうぞ救って下さい。私が殺した者達の視線が、まるでナイフのように、私の心に突き刺さります。
 今、私の周りで私の話を聞いてくださっている皆さん、あなた方は、よき魂であり、慈悲に溢れた魂です。そうです、私には分かるのです。私に哀れみをかけてくださいますね?私の為に祈ってくださいますね?
 ああ、どうかお願いします。私を拒絶しないでください。私の目の前に広がる、この恐ろしい光景を消してくださるように、神様にお願いしてください。あなた方は、よい人達ですから、神様は、あなた方の言うことなら聞いてくださるはずです。どうかお願いです、私が他の人々を拒絶したようには、私を拒絶しないでください・・・。どうか、私の為に祈って下さい」

 出席者は、この霊の後悔の言葉に打たれて、この霊を勇気づけ、励まし、そして、次のように言った。

ー神は、決して、頑な方ではありません。神が罪人に求めるのは、心からの悔い改めと、自らがなした悪を償おうとする真剣な思いです。あなたは強情を張っていませんし、罪に対する許しを神に求めました。したがって、あなたが、自分の犯した罪を償いたいと思い続ければ、神は必ずあなたに慈悲を与えてくださるでしょう。
 あなたが犠牲者から奪い去った命を彼らに返すことは、もう出来ません。しかし、もしあなたが熱心にお願いすれば、次の転生で、彼らと一緒に地上に降り、彼らに対して残酷であったことの償いとして、精一杯彼らに尽くすことは可能なのです。
 そして、その償いが充分であると認められれば、あなたは、神の恩寵により、再び神の近くに還ることが出来るのです。 
 つまり、罰がどれほど長引くかは、あなたの決意一つで決まるのですよ。それを長くするのも、短くするのも、あなた次第なのです。
 私達は、お祈りで、あなたを支援し、あなたの側に高級霊が来て助けてくれるようにお願いしてみましょう。私達は、あなたの為に、苦しみつつはあるが悔い改めを開始した魂達の為にお祈りをしてさしあげます
 私達は、そのお祈りを、悪霊達の為にはいたしません。そして、あなたは、もはや悪霊ではないのです。というのも、あなたは、悔い改め、神様に嘆願し、悪を放棄したからです。あなたは、現在、もう悪霊ではなく、単に不幸な霊に過ぎないのです。

 このお祈りが終わると、しばらく沈黙があった。それから、この霊は次のように続けた。

「ありがとうございます!神様、ああ、ああ、ありがとうございます!哀れみをかけてくださいましたことに、お礼を申し上げます。もう、私を見捨てないでください。天使達を私のもとに送ってください。そして、私を支えてください・・・。ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!」

 この後、霊媒は、精根尽き果てて、暫くの間、気を失った。やがて、何とか気を取り戻したが、最初のうちは、混乱しており、何が起こったのか分からないようだった。しかし、徐々に、自分が、自分の意志とは無関係に発していた言葉を思い出し始めた。話をしていたのは自分ではなかったのである。
 翌日、再び交霊会を開いたところ、同じ霊がやってきて、数分の間、昨日と同じような光景を繰り広げた。しかし、昨日程激しくはなかった。それから、同じ霊媒を使って、熱に浮かされたように書記を始め、次のようなメッセージを伝えてきた。

「昨日は、祈ってくださり、本当にありがとうございました。こんなにはっきりした変化が生じました。私も、神様に熱心にお祈りしたところ、神様は、暫くの間、苦しみを取り除いてくださいました。
 しかし、また犠牲者達を見ることになるでしょう・・・。ああ!ほら!そこにいる!彼らが、また、そこに見える!血の海!この血の海が見えますか?」

 昨晩の祈りが、また繰り返された。すると、霊はまた書記を続けた。

「お手を患わせてすみませんでした。お陰さまで、大分楽になりました。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。でも、ここにこうしてやってくる必要があったのです。あなた方だけが・・・。
 ありがとう。ありがとうございます。また少し楽になりました。
 でも、試練が終わったわけではないのですね。私が殺した人々が、また再び戻ってきます。これが罰なのです。自業自得ですから、仕方がありません。でも、神様、どうか寛容にお願いします。
 皆さん、どうか私の為にお祈りをしてください。私を哀れんでください」

 この時一緒にお祈りをしたパリ霊実在主義協会のメンバーの一人が、その後、この霊を再び招霊し、次のようなメッセージを受け取った。
 
「死の直後に、二度、メッセージをお伝えしましたが、その後は招霊に応ずることが出来ませんでした。しかし、たくさんのいたずら霊が、私の名を騙って嘘のメッセージを降ろしたようです。ブリュッセルにおいては、パリ霊実在主義協会の会長がいらしたので、高級霊達の許可の下に、私はコンタクトを取ることが出来たのです。
 私は、今後もパリ霊実在主義協会の集いにやってきて、色々と霊示を降ろすつもりですが、それは私の償いということになるでしょう。出来れば、そのメッセージを犯罪者達に読んでもらって、教訓を得てもらいたいし、私の苦しみをよく知って、色々と考えてもらいたいのです。
 地獄の苦しみについて語っても、犯罪者達の多くは、まともに聞きません。というのも、彼らは、そうした話を子供騙しだと考えているからです。大罪を犯す者達は、その殆どが、ふてぶてしいので、地獄の劫罰の話などには心を動かされないのです。それよりも、むしろ警察の方が心配でしょう。
 しかし、私の語ることは、推測ではなくて、真実なのです。おそらく、『私はあなたの語る内容を実際に見ました。地獄の苦しみを目撃したことがあります』と言える神父は一人もいないはずです。
 私は、次のように言う為に、ここに来ました。

『私の体が死んだ後に、こういうことが起こったのです。私が思っていたのとは違って、私は死んでも死ななかったのですよ。ようやく苦しみが終わると思っていたところが、実際には、筆舌に尽くし難い苦しみが、まさにその時から始まったのです』
 これを聞いて、崖から落ちる前に止まる人も出てくるでしょう。こんなふうにして、誰かが犯罪を犯すのを防げば、それが私にとっては一つの功徳となり、罪を償ったことになるのです。
 こんなふうにして、悪から善が生じ、神の善が、あらゆるところにー地上においても、霊界においてもー出現することになるのです。
 こうして、あなた方とコンタクトを取っている間は、私は、自分が殺した人々の姿を見ずにいられます。しかし、これが終われば、また再び彼らの姿を見なければなりません。そのことを考えるだけでも、言いようのない苦悩に襲われます。こうして招霊して頂くと、その間だけでも地獄から逃れ出ることが出来るので、幸せなのです。
 いつも私の為にお祈りをしてください。私が犠牲者達の姿を見ないで済むように、どうか神様にお願いしてください。
 はい、一緒に祈りましょう。お祈りの効果は本当に素晴らしいものです。とても楽になります。私を押し潰そうとする重い荷物が軽く感じられるようになるのです。私の目に希望の光が宿り、悔い改めの気持ちが強くなるのです。そして、私は次のように叫ぶのです。『神の手に祝福あれ!神の願いが成就されますように!』と」
ー殺した人々を見なくても済むようにお願いするのではなく、「彼らの姿を見るという償いに耐えられるだけの力を与えてください」と、一緒に祈りましょう。
「犠牲者の姿を見ないで済ませられたら、やはり、そちらの方がよいのです。私が、そのことで、どれ位苦しんでいるか分かりますか?どれほど鈍感な人間でも、私の魂の苦しみが、私の表情に刻まれている様を見れば、心を打たれることでしょう。
 でも、私はあなたが忠告してくださった通りにしましょう。『その方が、過ちを早く償うことになる』ということが分かるからです。それは、病んだ体を健康にする為に、苦しい手術を受けるようなものです。
 ああ、もしも地上の罪人達が私の姿を見られたならば!そうすれば、彼らは、その犯罪の結果として、どれほど恐ろしいことが待っているかが分かるでしょうに!
 人間の目はごまかせても、神様の目は絶対にごまかせないのです。無知ほど恐ろしいものはありません!
 霊実在主義協会の教室で学ぶことを拒否する人々は、一体どのようにして責任を負うのでしょうか?彼らは、警察と法律さえあれば、犯罪は防げると思っているのです。何という思い違いでしょうか!」

「私が被っている苦しみは、本当に恐ろしいものです。でも、あなたがお祈りしてくださって以来、私は天使達の援助を受け、『希望を持つように』と励まされています。あなたが忠告してくれた英雄的な方法が効果的であることを、私は理解しましたので、神様に、償いに耐える力を与えてくださるようにお願いしています。
 私は、もう、自分が犯した重罪に対して、言い訳をしようとは思いません。
 神父達は、神に見放された者達が感じることになる苦しみについて、さも恐ろしげに語りますが、愛と慈悲に満ちた神の法を犯した子供達に対して、神が正義に基づいて科すことになる真の苦しみについては、殆ど何も理解していないように思われます。
 理性を少しでも備えた者ならば、『魂という、物質ではない何ものかが、火という物質のせいで苦しむ』などということは、到底信じられるものではありません。そんなこと実に馬鹿げています。だからこそ、殆どの犯罪者は、『地獄など、おとぎ話に過ぎない』と言って鼻先で笑うのです。
 しかし、肉体的な死の後で魂が被ることになる精神的な苦しみについては、同列に扱うわけにはいきません。
 どうか、『絶望にのみ込まれないように』と、私の為に祈ってください」

「到達すべき目標をかいま見せてくださったことに、お礼申し上げます。『私の浄化が進めば、この栄えある目標に到達出来る』という確信を持つことが出来ました。
 私は今非常に苦しんでいますが、それでも、この苦しみが和らいできていることは事実です。霊界では、苦しみに慣れたからといって、苦しみが和らぐとは思われません。そんなことはないのです。あなたのお祈りが、私の力を強くしてくれました。苦しみが同じだとしても、私の力が強くなったので、苦しみが、その分だけ弱くなったように感じられるのでしょう。
 私の考えは、直前の転生のことに向かいます。『私が、祈ることを知っていたならば、多くの過ちを避けることが出来たであろうに』と 思うのです。ようやく祈りの力を理解することが出来るようになりました。
 また、『誠実で敬虔な女性こそが強い』ということも分かるようになりました。彼女達は、肉体的にはか弱いのですが、信仰あるが故に、精神的には非常に強いのです。地上の似非学者達が理解出来ない、この神秘が、私には分かるようになったのです。
 ああ、信仰!この言葉を聞いただけで、反抗的な似非学者達は、あざ笑います。けれども、彼らが、いずれ霊界に還ってきて、彼らに真理を見えなくしていたヴェールを剥がれた時に、馬鹿にしていた永遠なる神の前に跪くのは彼らなのです。彼らは、自らの小さな罪と大いなる罪を、謙虚に白状せざるを得なくなるでしょう。その時に、祈りの力というものを知るのです。
 祈り、それは愛することです。愛、それは祈りです。したがって、彼らは主を愛し、主に対して愛と感謝の祈りを捧げるでしょう。
 苦しみを通して再生しーというのも、必ず苦しむことになるからですがー、私と同じように、『償いと苦しみに耐える力を与えたまえ』と祈ることになるでしょう。そして、苦しみを通り抜けた暁には、許してくださった主に対してー彼らは、その時には、素直さと諦念によって、許しを受けるに相応しい霊となっているはずですがー、感謝の祈りを捧げることになるのです。
 一緒に祈ってください、兄弟よ。私をもっと強くしてほしいのです。
 ああ、ありがとう、兄弟よ。温かい心を本当にありがとう。私はやっと許されました。神は、ついに犠牲者達を見なくても済むようにしてくださいました。
 ああ、神よ、私にお与えくださった恩寵ゆえに、あなたが永遠に祝福されますように!
 ああ、神よ、私は自分のとてつもない罪深さを感じ、全能なるあなたの前で消え入りそうです。
 主よ、私はあなたを全身全霊で愛しております。あなたが再び私を地上に送り出してくださる時は、『私が、安らぎと思いやりの使節として、あなたの御名を敬愛の心と共に唱えることを、子供達に教える』という使命をお与えください。
 ああ、ああ、ありがとうございます。ありがとうございます、神よ!私はようやく悔い改めることが出来ました。心より悔い改めたのです。神よ、私はあなたを愛しています。あれ程汚れていた私の心も、あなたの神聖さから発せられる、この純粋な思いを、理解出来るようになりました。
 兄弟よ、一緒に祈りましょう。私の心は感謝で一杯です。鎖を断ち切って、私はついに自由になりました!もう神から見放された者ではありません。まだ苦しんではいますが、でも、悔い改めています。
 この私の例を見て、犯罪を犯そうとして振り上げられた手が静かに下ろされるのであれば、どんなに嬉しいことでしょうか。兄弟達よ、悪いことは止めなさい!犯罪を行ってはなりません。というのも、その後の償いは非常に過酷なものとなるからです。神は、罪人の祈りをそれ程すぐには聞いてくれません。何世紀も拷問に苦しむことになるのですよ」

 霊媒の指導霊からのメッセージ:「あなたには、この霊の言うことが、よく分からなかったようですね。彼の感情と、主への感謝の気持ちを、理解してあげるようにしなさい。彼は、『これから犯罪を犯そうと思っている者達に、犯罪を思い留まらせること以上に、神への感謝の思いを表す方法はない』と思っているのです。彼は、自分の言葉が、犯罪の手前にいる人々に届くことを願っています。
 そして、これは、彼自身もまだ知らないので、あなたにも言いませんでしたが、彼が、人々に償いを促す使命を開始することが許されたのです。彼は、これから、共犯者達の所に行き、彼らが悔い改められるようにとインスピレーションを与え、彼らの心の中に悔悟の種を蒔こうとしています。
 地上では、時々、誰からも正直だと思われていた人が、司祭のもとに罪を告白しにやってくることがあります。これは、悔悟の思いにとらわれたからです。
 もし、霊界とあなた方を隔てているヴェールが取り払われたなら、地上では犯罪者だった者達の霊が、しばしば地上に戻ってきて、丁度、ラトゥールの霊が、これからするであろうように、自らの罪を償う為に、地上に生きている人々に悔悟の念を吹き込もうとしているのが、見えるはずなのです」

 ラトゥールの最初のメッセージを受け取ったブリュッセルの霊媒が、暫く後に、また次のメッセージを受け取った。

「私のことは、もう何も心配しないでください。大分落ち着いてきましたから。
 でも、まだ苦しんでいるのは事実です。神は、私が悔い改めているのをご覧になって、私に哀れみをかけてくださいました。現在では、私は、悔い改めの結果気づいた自分の罪の重大さ故に苦しんでいます。
 私が、もし、地上において、もっとしっかり教育されていれば、あのような犯罪を犯さずに済んだかもしれません。しかし、実際には、私は本能を抑えることが出来ず、あのようなことをしてしまいました。もし、地上の人間達が、もっと神のことを思えば、或は、少なくとも神を信じさえすれば、もっと犯罪は少なくなるはずなのです。
 しかし、人間心による正義は上手く機能していません。
 過ちを犯すとー時として、それが軽いものであってもー牢獄に入れられます。ところが、牢獄が、実は邪悪の横行する破滅の場所なのです。そこから出てくる時には、悪しき忠告と悪しき例によって、完全に理性を失っているのです。
 芯が強いおかげで、そうした悪に染まらずに牢獄から出てこられたとしても、あらゆる扉は閉ざされており、あらゆる手は引っ込められるのです。全うな人々は彼を拒絶します。そんな人間に何が出来るでしょうか?あるのは、軽蔑、悲惨のみ。仮に、『善に戻ろう』と決心したところで、人々から打ち捨てられ、絶望するしかないのです。
 悲惨な人間は、どんなことでもするでしょう。彼自身、人々を軽蔑し、憎み、そして、善悪を区別する心を失っていくのです。折角、真っ当な人間になろうとしたのに、皆から拒絶されたのですから、それも当然と言えるでしょう。生きる為に、彼は、盗み、時には人を殺しさえします。そして、ギロチン送りです!
 神よ、私が再び幻覚に襲われそうになると、あなたの御手が私の方に差し伸べられます。あなたの思いやりが私を包み込み、そして、私は守られるのです。ああ、神よ、ありがとうございます。
 次の転生の時には、私は、知性と財産を使って、人生に敗北した不幸な人々を救い、彼らを転落から守ろうと思います。
 兄弟よ、ありがとう。あなたは快く私の通信を受け取ってくれました。もう心配しないでください。もう私は悪から解放されました。これから私のことを思ってくださる時は、どうか、凶悪な顔をした私ではなく、あなたの寛大さに感謝し、恐縮している私を思い浮かべて頂きたいものです。
 では、これで。また招霊してください。そして、私の為に神に祈ってください」

 この通信に収められた言葉のうち、あるものに関しては、その深さと広がりを充分に捉え切れないかもしれない。この通信は、厳罰を受けている霊達の世界の一端をかいま見せてくれるが、それ以上に、神の深い思いやりを感じさせてくれる。
 この霊が立ち直っていく速さには、いささか、戸惑いを感じる程である。他の霊でも見たように、傲慢な霊、或は偽善的な霊よりも、荒々しい霊の方が可能性を秘めているということだろうか。この素早い立ち直りを見ると、この霊は、邪悪というよりも、野性的だったにすぎず、正しい方向付けが欠けていただけだったということがよく分かる。
 この霊の言葉遣いと、「光による懲罰」というテーマで次に登場する犯罪者の言葉遣いを比べてみれば、教育も、育った環境も異なる二人のうち、どちらが精神的に進んでいるかは、直ちに分かるだろう。
 前者は、獰猛な本能、一種の狂熱に従っただけであるのに対し、後者は、落ち着いて、極めて冷静に犯罪を遂行しているのであって、死んだ後も、傲慢に対する罰を平然として拒否している。苦しんでいるにもかかわらず、改心しようとしないのだ。どちらが長い間苦しむことになるかは一目瞭然であろう。
 「私は、悔い改めの結果気づいた自分の罪の重大さ故に苦しんでいます」とラトゥールは言っているが、ここには深い思いが窺われる。霊は、悔い改めを始めるまでは、自分の犯した罪の重大さを理解することは出来ない。悔い改めは、苦悩に満ちた悔悟の情を呼び起こし、そのことによって、霊は、悪から善へ、心の病から心の健康へと至れるわけである。
 しかし、丁度、病人が、自分を治してくれるはずの治療を拒むことがあるように、よこしまな霊が、良心の声に、頑に抵抗することがある。「そのことこそが悔悟を遅らせる」ということが分からないのだ。そうして、幻想を作り上げ、自らを欺いて、悪の中に留まり続けることになる。
 ラトゥールの場合、頑な態度がようやく終わりを見せ、悔悟の思いが心の中に生じたのである。悔い改めが可能となり、自分のなした悪の意味を理解するに至る。自らのおぞましさに気がつき、そのことで苦しむ。だからこそ、「自分の罪の重大さ故に苦しんでいます」と言ったわけである。
 今回の転生の前の転生では、彼は、もっと酷い生き方をしたに違いない。もし、その時、今日のような悔い改めが出来ていれば、彼の人生は、もっとマシなものになっていたはずだからである。
 このたび決意したことによって、彼の未来の転生は、大きな影響を受けるだろう。その意味では、今回の、おぞましいとも言える彼の人生は、進化へのワン・ステップになっているわけである。
「過去世で自分がどんな人間だったのか、何をしたのかを思い出せない以上、そうした過去世から教訓を引き出すことは、出来ないではないか」と言う人は多い。
 しかし、この問題は、次のように考えればよいのである。
 我々が犯した悪が、既に消し去られ、心の中に、いかなる痕跡も残っていない場合には、それは、既に解決したということなのだから、思い出す必要もなければ、それに取り組む必要もない。もし、完全に解決していない問題があるのであれば、それは、我々の現在の心の傾向性として表れているはずである。とすれば、全ての意識をそこに投入して、それを改善しようとすればよいわけである。
 我々がどんな人間であったかを知る必要はない。我々がどんな人間であるかを知れば充分なのである。
「一つの生涯だけでは、過去世で犯した罪の償いが、なかなか終了しない」ということ、また、「その罪が、どれほどの非難の的になるか」ということを考えるならば、神が、その過去にヴェールをかけてくださるというのは、実は大変ありがたいことなのである。
 もし、ラトゥールの過去世での行いが、社会に対して明らかにされていたとすれば、彼が有罪になろうと無罪になろうと、いずれにしても、社会から締め出されていただろう。仮に彼が悔い改めたとしても、人々は、密かに彼を許さずにいたはずである。
 彼が、現在、霊として表明している気持ちを見れば、彼は、次の転生では、きっと、正直な人間として、みんなから尊敬されるようになるだろうと考えられる。しかし、その時に、彼が直前の転生で大犯罪人のラトゥールであったということが明らかにされたとすれば、人々は彼を非難するに違いない。
 したがって、過去に被せられたヴェールが、むしろ、彼に立ち直りの扉を開くことになるのである。過去が隠されているからこそ、彼は、最も正直な人間と一緒にいても恥を感じずに済むのである。
 人生の忌まわしい数年間を消し去りたいと思っている人は、どれ程いることだろうか! 
 こうした考え方以上に、神の正義と善意に適う理論はあるだろうか?
 しかも、これは単なる机上の空論ではない。確かな観察から導き出されたものであって、我々が勝手に作り上げたものではないのである。霊が招霊に応じて語ってくれた、様々な状況を、詳細に観察し、それをいかにすれば合理的に説明出来るかを考えた結果、その説明が理論としてまとめられたものなのである。
 それを認めるのは、それが事実から周到に導き出されたものであるからに他ならないし、死後の魂の行き先に関して、これ以上、合理的な考え方は見つからないからなのである。
 霊界通信には、高い内容の教えが含まれていることが多い。通信を送ってきた霊達は、思考の進め方や、それをどう表現するかといった点に関し、高級霊達の支援を受けている。しかし、その場合でも、高級霊達は、あくまでも形式面で援助しているにすぎず、内容にまでは立ち入っていない。 未熟な霊達に、自分の考えではないことを言わせたりはいないのである。
 ラトゥールの例でも、高級霊達は、 悔い改めの様子を「詩的に」表現するのを手伝ったかもしれないが、「彼がそうしたくもないのに、悔い改めを強制した」という事実はない。人間と同様、霊にも自由意志があるからである。
 彼らは、ラトゥールの心の中に、よき感情の芽生えがあるのを見て取り、彼に、それを表現するように促した。そうすることによって、その感情が育つのを助け、そして同時に、彼に同情の念が集まるようにしたのである。
 自らの罪を悔い改め、絶望と後悔を表明する大犯罪人以上に、心を揺さぶる姿があるだろうか?これ以上に、教訓となる、印象的な例があるだろうか?自らが殺めた人々の視線に刺し貫かれ、拷問に苦しむ中、彼は、思いを神の方に向け、神の慈悲を乞うたのである。これほど、罪人の希望となる例があるだろうか?
 我々には彼の苦悩の性質が分かる。それは、合理的なものであり、恐ろしく、かつまた単純であって、そこには何の演出も施されていない。
 人は、ラトゥールのような人間に、あれほど大きな変化が生じたことに、驚くかもしれない。だが、どうして、もっと早く彼は悔い改めることが出来なかったのか?彼には心の琴線はないのだろうか?罪を犯したら、ずっと悪に留まる他ないのだろうか?光が心に射してくる瞬間はないのだろうか?その瞬間は、ラトゥールには、やってきた。これこそが、まさに霊界通信が持つ教訓的な側面なのである。
 彼は、自分の置かれた状況を見事に理解した。そして、後悔し、償いの計画を立てた。これは実に教訓的なことである。
 死ぬ前に彼が素直に悔い改めた方がよかったのだろうか?死んでから言ったことを、生前に言った方が素晴らしかったのだろうか?だが、そんな例なら、いくらでもある。
 死を前にして悔い改める姿は、凶悪な犯罪者達にとっては、弱さの表れとしか見えないはずである。それに対し、死後の声は、何が彼らを待っているかをはっきりと示す。「私の例は、地獄の火を見るよりも、死刑台を見るよりも、罪人を改心させる力を持っているだろう」とラトゥールが言う時、この言葉には真実がこもっている。
 ならば、牢獄にいる罪人達に、この例を知らせるべきではないだろうか?この話を聞いて、既に、何人もの人間が実際に改心しているのである。
 だが、「死ねば、全てはおしまい」と考えている人間に、どうして死者の言葉が信じられるだろうか?もっとも、遅かれ早かれ、人は、必ず死後の世界を知ることになっている。そして、「死後の世界からこの世に、メッセージを携えて戻ることも出来る」ということを知るのである。
 この霊界通信からは、他にも重要な教訓を引き出すことが出来る。
 それは、「単に悔い改めただけでは、高い世界には還れない」という、永遠の正義の原理である。悔い改めは、神の慈悲を呼び寄せることの出来る、回復に向けての第一歩にすぎないということである。許しへの前奏曲、苦しみの短縮への前奏曲にすぎないのだ。しかも、神が、故なくして許すということは有り得ない。神に許されるには、償い、すなわち罪滅ぼしが必要なのである。
 これをラトゥールは理解し、そして、それに備えた。

パリ霊実在主義協会の集いで、死後によく生ずる混乱について議論していた時、ある霊が自発的に降りてきて、次のようなメッセージを伝えてきた。この霊については、誰も話題にのぼらせなかったし、招霊しようとも考えていなかった。このメッセージには署名はなされなかったが、それを送ってきた霊が、丁度死刑に処せられたばかりの大犯罪人であることは、誰の目にも明らかであった。

「死後の混乱についてだって?バカバカしい。あんたらは、おめでたい空想家だよ!死後にどうなるかなんて、あんたらには、ちっとも分かってやしない。
 いいかい、よく聞きなよ。死後の混乱なんて、ありはしない。あるとしたら、あんたらの頭の中にだけだ。俺は本当にきっぱりと死んだ。そして、今、自分の心も、周りも、何だって、はっきり見える。
 人生なんて、陰気な喜劇にすぎないのさ。幕が下りる前に舞台から追い出されるヤツは、要するに、下手クソな役者なんだ!死なんて、それを恐れる奴にとっては恐怖だし、それに歯向かおうとする奴にとっては処罰だし、それを乞い願う奴にとっては快楽だ。そして、誰にとっても愚弄なのさ・・・。
 うう、光が眩しい。鋭い矢のように、俺の希薄な体に光が突き刺さる・・・。
 生きている時には、俺は牢獄の闇によって罰を受けた。死んだら、今度は、墓の闇によって、俺が罰を受けるだろうと、奴らは思っていたに違いない。そうでなけりゃあ、カトリックの迷信にある地獄の闇によってな!
 ふん、あんたらは立派だよ。俺ときたら、社会の除け者だった。ところが、今じゃあ、俺は、あんたらの上を飛んでいるんだ・・・。
 ああ、ここにずっといたい!周りから、色々、『ああしろ、こうしろ』と、五月蝿く言ってくるが、そんなものは無視してやる。何でもはっきり見えるぞ。
 殺人か。殺人なんて、ただの言葉じゃねえか。殺人なんて、どこにでもある。集団で殺しゃあ、褒められて、一人で殺しゃあ、けなされる。大したもんだぜ!滅茶苦茶じゃねえか。
 ふん、泣き言なんか言うもんか・・・。何にも欲しいものなんかありゃしねえ!何でも手に入れられるからな。そして、このいやらしい光と戦ってやる!」

 このメッセージを分析した結果、「良識を逆なでしようとする言葉遣い、それ自体の中に、大きな教訓が含まれている」という見方が提示された。そして、この不幸な霊の置かれている状況は、罪人を待っている罰に関して、新たな展望を我々に開いてくれた。
 ある者達は、闇の中に、或は絶対的な孤立状態の中に置かれる。ある者達は、死んだ時の苦しみを、その後、何年にもわたって感じ続ける。ある者達は、「まだ、この世にいる」と思い込んで過ごす。そして、この霊のように、光による懲罰を受ける者もいる。
 この者の霊は、全く自由に振る舞っている。自分が死んでいることを完全に自覚しているし、何か不満があるわけでもない。何かして欲しいというわけでもない。だが、未だに、神の法と、地上の人間の法に、歯向かっているのである。
 ということは、彼は罰を免れているのだろうか?いや、そうではない。つまり、神の正義は、本当に様々な形態をとって実現されるということである。ある者達にとっての喜びが、ある者達にとっては苦痛になるのである。この霊の場合、光が拷問となっているのだ。そして、光に対し、戦いを挑んでいる。傲慢な口調で、彼は次のように言っている。
「何でも手に入れられるからな。そして、このいやらしい光と戦ってやる!」
 また、次のようにも言っている。
「うう、光が眩しい。鋭い矢のように、俺の希薄な体に光が突き刺さる・・・・」
「俺の希薄な体」という言葉が注意を引く。つまり、彼は、自分の体がエーテル状になっていることには気がついているのだ。この体を光が刺し貫き、そして、彼は、それから逃れることが出来ない。この光は、まるで鋭い矢のように、彼の体を貫き通すのである。
 この霊は、強情な霊達の仲間に入れられている。というのも、この霊が、ほんの僅かでも悔悟の気持ちを表明するまでは、大変長い時間がかかったからである。「知的な進化に必ずしも精神的な進化が伴うわけではない」という真実の一つの例であろう。
 とはいえ、徐々にではあるが、彼は自己改善に励み、やがて、理性と智慧に裏付けられ、かつ数多くの教訓に満ちたメッセージを送ってくれるようになった。現在では、悔い改めた霊達の 仲間になっていると言えよう。

 この霊に関して、指導霊達に評価を求めたところ、次のような通信を送ってくれた。大変意味深い内容のメッセージである。

ラムネーからのメッセージ:「迷っている状態の霊達は、当然、非活動的で、待機状態にあります。とはいえ、傲慢、強情、頑固等に邪魔されなければ、償いを果たし、徐々に境涯を上げることは可能なのです。
 先程の霊の場合には、罪を犯して強情になっており、地上の法律に歯向かった後で、今度は神の法に楯突いています。報いとしての苦しみは、『彼の良心を目覚めさせ、その苦しみの深い意味を悟らせる』というふうには作用せず、むしろ、彼を反抗に追いやり、聖書の記述に従えば、彼を『歯ぎしりして悔しがらせる』結果となっています。
 これは、報いとしての苦しみに打ちのめされながら、なお素直になれない者に、よく見られる行動です。苦しみのあまり絶望的となりつつも、なお反抗を止めることが出来ず、なぜ苦しむのかを知ろうとせず、報いの意味を考えようとしないのです。
 このように、霊界では、大変な思い違いが、しばしばーいや、殆ど常にと言った方がよいー行われているのです。
 強情を張り通し、神の前で威嚇的な態度をとる様子は、丁度、星を見て、それを『天井にあいた穴だ』と思う人間に似ています。霊の世界は無限なのです。それにもかかわらず、地上にいた時と同じつもりで、無限をつまらぬものと思いなし、無限に対して戦いを挑み、無限を前にして、バカバカしい空威張りを繰り返す。何とも哀れではありませんか。
 そういう者は、盲目となり、他者を侮り、エゴイスティックに振る舞い、卑しさを丸出しにして、自ら向上を拒否するのです。そして、数々の厳しい試練を受けても、なお気づくことが出来ず、しかも、『絶対に死ぬことが出来ない』のです!」

 エラストからのメッセージ:「闇の中に置く、或は、光の奔流を浴びせる。結果は同じなのでしょうか?
 闇の中では何も見えず、その暗さに比較的早く慣れることが出来ますが、強烈な光にさらされると、なかなか、それに慣れることは出来ません。そのことは、先程の霊の、『このいやらしい光と戦ってやる!』という言葉にも窺われます。
 実際、この光は、霊を完全に貫き、霊が最も隠しておきたい秘密の考えさえも照らし出し、誰にとっても見えるものにしてしまうのです。霊にとっては、これほど恐ろしく、身の毛もよだつ罰はないでしょう。これは、霊的な処罰にうちでも、最も厳しいものに属すると言えるでしょう。
 彼は、いわば、ソクラテスが欲しがっていた『ガラス張りの家』に入れられているわけですが、賢者にとっては喜びであり慰めであったことでも、意地悪な人間、犯罪者、殺人者にとっては、とんでもない拷問になるのです。そこで本当の自分に直面させられるからです。
 最も忌まわしい犯罪を何度も犯しながら、それを心の内に秘めて、知らん顔をしていたところが、今や、全ての秘密を暴かれて、人々の目に晒されるのです。この恐ろしさが、我が子達よ、あなた方には分かるでしょうか?不感無覚の仮面が剥ぎ取られ、心に秘めた考えが、全て額に映し出されるのです!
 もう、どこにも逃げられず、一時も休息はありません。どこかに隠れようとしても、『いやらしい』光が付きまとって、照らし出すのです。
 彼は、『逃げよう』と思い、実際に逃げます。広大無辺な空間の中を、息を切らせて、絶望的になって、逃げ回るのです。しかし!どこに逃げても、あの光が追いかけてきて、照らし出され、全てが、さらけ出されます。そこで、また逃げ出します。物陰を求めて、夜を探して・・・。だが、物陰も夜も、どこにもありません。『いっそ死にたい』と思います。しかし、『絶対に死ねない』のです。そこで、また逃げ出します。永遠に逃げるしかありません。狂ったようになって逃げ回るのです。
 何という恐るべき処罰、何という激しい苦悩。というのも、『自分』から逃げようとすると、『自分』に出会うからです。
 かくのごときが、霊界を統べる法則です。罪を犯した者にとっては、『自分自身』が最も恐ろしい罰になるのです。
 これは、いつまで続くのでしょうか?彼の強情が打ち砕かれ、後悔の念が湧き始めるまでです。その時になって、ようやく、彼は、犠牲者の前で、正義の聖霊の前で、謙虚に頭を垂れることが出来るようになるのです」

 ジャン・レイノーからのメッセージ:「人間がつくった法律は、刑罰の対象となる人間の個性を考慮に入れません。犯罪だけを見て判断するので、同じ犯罪を犯した人間達には、全く同じ罰を与えます。罰の内容は、性の違い、教育の違いに関わりなく決められるのです。しかし、神の正義は、それとは全く異なった形で適用されます。罰は、全て、それを受ける人間の心境に応じて与えられるのです。同じ罪を犯したからといって、同じ罰を受けるとは限らないのです。
 例えば、ここに、同じ罪で告訴された二人の人間がいるとして、一人は、まだ明晰な精神を備えるに至っていないので、覚醒を促す為に、初歩的な試練の中に置かれます。
 別の一人は、初歩的なレベルを既に超えており、ある程度の明晰さを備えているので、別の試練に晒されます。この人は暗闇の中に置かれるのではなくて、鋭い光に晒されるという試練を受けるのです。この光は、地上で身に付けた過てる知性を刺し貫き、心の曇りを際立たせることによって、おのずと苦悩を与えることになるのです。
 境涯がそれほど高くない犯罪者が死んで霊になると、彼らは、自分の罪を物理的に再現して見せつけられ、雷に打たれたようなショックを受けます。そして、感覚的に苦しむのです。
 脱物質化がかなり進んでいる霊の場合には、死後、生々しい犯罪の事実からは離れ、犯罪の原因を、因果律に従って知的に分析するように導かれます。苦悩も、物理的なものではなく、高度に精神的なものになるのです。こういう霊の場合、犯罪を犯しはしたものの、そのことによって、かえって内面を進化させることが可能となります。
 動物的な欲望に突き動かされて犯罪を犯したようなタイプでは、霊になって鋭くなった感覚で事実を見て苦しむことにより、低級霊界を覆う分厚い大気を突き抜けて、上方に出るように促されます。
 一方、冷静さが欠如し、精神的な発達と知的な発達のバランスが取れていない人々は、唯物主義が横行している時代、或は、霊性が充分に開花していない時代に生まれると、しばしば異常な行動に駆り立てられるものなのです。
 ある程度、境涯が高くなっている霊を罰する光は、霊的な光であり、その光の威力によって、心の奥に秘められた傲慢さが照らし出され、断片化した心のありようの無惨さが、白日の下に晒されるのです。そのことによって、霊的な苦悩を感じることになり、知的な面と精神的な面のバランスが取れていないことを思い知らされるのです。
 このバランスが統合されると、人霊として、完成された存在に近づいていきます」

 以上の霊示は、同じ日に得られたものであるが、互いに補完し合って、死後の罰の様子を、高度に哲学的、また理性的な、新たな光の下に照らし出してみせてくれる。
 「まず例を見せて、次に、それを理論的に解析する」という目的で、まず最初に、罪を犯した霊の自発的なコンタクトを許可したものであろう。

1862年3月、ボルドーにて。
 ある霊が、ブノワ という名前を名乗って、自発的に、書記によって通信する霊媒のところにやってきた(以下、質問も霊媒がしている)。この霊は、「1704年に死に、それ以来、恐るべき苦しみに襲われている」ということだった。
ー生前は何をしていたのですか?
「信仰を持たない僧侶でした」
ー信仰の欠如が、あなたの唯一の過ちだったのですか?
「他の人々にも、その影響が及んだのです」
ーあなたの人生について、もう少し詳しく話して頂けませんか?誠実にお話頂ければ、きっと、それは評価されると思います。
「財産もなく、怠け者であった私は、使命感からではなく、単に地位を得る為だけに、聖職に就くことにしたのです。そこそこに頭がよかったので、ある地位に就いたのですが、やがて影響力を持つようになって、権力を濫用し始めました。
 こうして、悪にまみれた私は、本来なら救わねばならない人々を堕落させました。そして、私を非難しようとした人々を、次々に冷酷なやり方で迫害しました。破戒僧を、終生、閉じ込める牢獄は、私に断罪された僧達で一杯になったのです。犠牲者達は、食べるものも与えられず、泣き叫ぶ者は、さらに暴行を加えられたのです。
 死んで以来、私は、地獄のあらゆる拷問を受けて、罪を償ってきました。私が苦しめた者達は、地獄の火を掻き立てます。淫欲と飢餓が、絶えず私を襲い、それらは決して満たされません。私の唇は渇きに燃え、そこには一滴の水すら落ちてきません。あらゆる災厄が私を追いかけてくるのです。
 どうか、私の為に祈ってください」
ー死者の為の祈りはあなたにとっても効果があるのですか?
「それは、大変有益です。本来なら私が行うべきであった祈りに匹敵する位の価値を、私に対して持っているのです。私は、自分の使命を果たさなかったので、報酬を貰うことが出来ずにいるのです」
ーあなたは、悔い改めはなさったのですか?
「もう随分昔のことです。しかし、それは、長く苦しんだ末のことでした。無実の犠牲者達の叫び声に耳を貸さなかったので、主も、なかなか私の叫びに耳を貸してくださいませんでした。それが正義というものです」
ーあなたは、主の正義がどのようなものであるのかに気づかれたのですね。主の優しさを信頼し、助けて下さるように頼むとよいでしょう。
「悪魔達が、私よりも大きな声で叫んでいます。それに、私の叫び声は、喉のところで止まってしまうのです。彼らが、私の口一杯に、熱く焼けた豆を詰め込むからです。それは、まさに私が生前やったことなのです。ああ、か、か、か・・・」
 (この霊は、[神]という言葉を書くことが出来ずにいる)
ーあなたが受けている拷問は、実は、すべて精神的なものに過ぎないということが、分かっていないのではないですか?
「拷問を現に感じ、それに耐えているのですよ。拷問をする者達も、実際に見えるのですよ。彼らは皆、私がかつて見たことのある姿をしています。彼らの名が、私の頭の中に響き渡るのです」
ーなぜ、そういうむごい仕打ちを受けるのですか?
「私に染み込んでいた悪徳の故です。私が持っていた禍々しい欲望の故です」
ーそうした状況から救ってくれるように、善霊達に支援を頼んだことはあるのですか?
「私には地獄の悪魔達しか見えません」
ー死後、こうなるとは思わなかったのですか?
「全く思いませんでした。『死ねば何もかも終わりだ』と思っていたからです。だから、『生きている間に、どんなことをしてでも、あらゆる快楽を味わい尽くすのだ』と思っていたのです。
 私は気づいていませんでしたが、地獄を治める者達が、私に憑依していたのです。私は彼らに私の人生を捧げたのです。彼らは私に永遠に付きまとうでしょう」
ーあなたの苦しみには終わりがないということですか?
「永遠には終わりがありません」
ー神の慈悲には限りがありません。どんな罪でも、望みさえすれば、最後には許されますよ。
「『望むことが出来れば』の話でしょう」
ーどうして、ここに来られたのですか?
「どうしてだか分かりません。でも、話がしたかったのです」
ー悪魔達は邪魔しませんでしたか?
「しませんでした。でも、彼らは私の前にいて、私の言うことを聞きつつ、ニヤニヤしながら待っています。だから、これを終えたくないのです」
ーこんなふうに書記による通信をするのは初めてですか?
「そうです」
ーこんなふうにして霊が人間にコンタクトをとることが出来るのを知っていましたか?
「いいえ、知りませんでした」
ーでは、どうして、それが分かったのですか?
「分かりません」
ーこうして私の側に来ることで、何か変化がありましたか?
「恐怖が和らいでいるような気がします」
ーここにいるということが、どのようにして分かったのですか?
「眠りから覚めたような感じがしたのです」
ー私とコンタクトを取るのに、どうしていますか?
「よく分かりません。あなたは何か感じませんか?」
ー私がどうこうではなく、あなたのことを聞いているわけです。私がこうして書いている時、あなた自身はどうしているのかを教えてください。
「あなたには、私の考えが完全に分かるのでしょう?それだけのことです」
ーそれでは、私に書かせようという気持ちはないのですか?
「ありません。書いているのは私です。あなたが私を通して考えているということでしょう?」
ーいいですか、よく理解してくださいね。天使達が、我々を取り囲み、我々に協力して下さっているのですよ。
「何だって?地獄に天使達が来るわけがないだろう。あなたは一人なのだろう?」
ー周りを見て下さい。
「私があなたを通して考えるのを助けてくれるのが感じられる・・・、あなたの手が、私の意のままに動き・・・、でも、触っていないぞ。変だ・・・。どうもよく分からない・・」
ーでは、指導霊達に支援をお願いしてください。これから一緒にお祈りをしましょう。
「何だって?あなたはもう行ってしまうのか?それは困る。もっと私と一緒にいてくれ。悪魔達が、また、私を捕まえにやってくる。嫌だ!お願いだから、一緒にいてくれ!お願いだ!」
ーもうこれ以上、一緒にいることは出来ません。また明日来てください。毎日来て下さってもよいですよ。一緒に祈りましょう。天使達があなたを助けてくれるはずです。
「そうだ、私は恩寵が欲しい。どうか私の為に祈ってくれ。私には、どうしても祈れない」

 霊媒の指導霊からのメッセージ:「我が子よ、頑張りなさい。あの霊には、あなたが求めたものが与えられるでしょう。
 でも、償いは、まだまだ終わりません。彼が犯した数限りない罪は、あまりにも恐ろしいので、名前をつけることさえ出来ません。そして、彼は、頭もよく、教育も受けており、自分を導く光を持っていただけに、余計、その罪が深いのです。彼は、理非が分かっていたにも関わらず、罪を犯しました。だからこそ、彼の苦しみは恐るべきものになっているのです。
 しかし、支援の祈りによって、その苦しみも和らぐでしょう。苦しみも、いつかは終わることが分かり、したがって、希望を持つことが出来るようになるからです。
 神は、あの霊が悔い改めを始めたのをご覧になり、このような通信の機会をお与えになったのです。あの霊が、そのことによって励まされ、支えられることになるのをご存知だからです。ですから、彼のことをいつも考えてあげなさい。彼が、あなたの忠告に従って、よき決意をすることが出来るように、エネルギーを与えてあげるのです。
 悔い改めをすれば、次は、『償いをしたい』という思いが出てくるでしょう。その時こそ、彼が『再び地上に生まれたい』と願い出る時なのです。そして、地上に生まれて、今度は、悪をなさずに善をなすのです。そうすることによって償いを果たすのです。
 そして、彼が充分に強くなって、神がそのことに満足なされば、彼には、救いへと導く神聖な光をかいま見ることが許されるでしょう。その時に、神は、放蕩息子を迎えるように、暖かく彼を迎えてくださるのです。
 信じなさい。私達も、あなたの仕事が完成するように支援しますから」

 この霊は、人間の法律で裁かれることはなかったが、我々は彼を犯罪者として扱った。というのも、罪とは行為そのものに内在するものであって、人間によって裁かれるかどうかには関係がないからである。

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