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カテゴリ:★『霊との対話』 > アラン・カルデック 怠け者の霊

アラン・カルデック 怠け者の霊 目次

アンジェル-全く意味のない人生を送った女性

怠惰な人生に対する「退屈」という罰-無為に生きた霊

1862年、ボルドーにて。

 アンジェルと名乗る霊が、自発的に、次のようなメッセージを送ってきた。

「わたしはアンジェルと申します」
ー自分の過ちを後悔していますか?
「していません」
ーそれなら、どうして、ここに来たのですか?
「ここに来れば、何とかなるかもしれないと思ったからです」
ーということは、あなたは幸せではないのですね。
「はい、そのとおりです」
ー苦しんでいるのですか?
「いいえ」
ー何があなたには欠けているのですか?
「心の安らぎです」
ー霊になっているのに、どうして心の安らぎが得られないのですか?
「過去が悔やまれてならないからです」
ーということは、悔い改めの最中だということですか?
「いいえ。これからのことが怖いのです」
ー何を恐れているのですか?
「どうなるか分からない為に怖いのです」
ー地上にいた時に、どんなことをしたのか、教えて頂けますか?そうすれば、色々なことが、はっきりしてくると思います。
「私は、地上では何もしませんでした」
ー社会的には、どの辺りにいたのですか?
「中くらいのところです」
ー結婚は?
「結婚しており、子供もいました」
ーでは、妻として、母として、一生懸命、日々の義務を果たしたのですね?
「いいえ。夫には飽き飽きしていましたし、子供には何の関心も持てませんでした」
ーそれでは、何をして過ごしたのですか?
「娘の時は、どうでもいいようなことをして、おもしろおかしく過ごし、結婚してからは、若い妻として退屈していたのです」
ー何か職業には就いたのですか?
「いいえ」
ーでは、家のことは誰がやっていたのですか?
「女中がいました」
ーそうして無意味に過ごした為に、後悔しており、また、行く末が心配なのですね?
「多分、そうだと思います」
ー悔い改めるだけでは、おそらくダメでしょうね。その無意味な生存を償う意味で、周りにいて苦しんでいる霊達を助けてあげてはいかがでしょう。
「えっ、どうすればいいのですか?」
ー助言を与え、祈ってあげて、彼らが向上するのを助けるのです。
 「どうやってお祈りをすればいいのか分かりません」
ーでは、一緒に祈ってみましょう。そうすれば、やり方が分かるはずです。いいですか?
「いえ、結構です」
ーどうしてですか?
「面倒くさいから・・・」

霊媒の指導霊モノーからのメッセージ:「地上で過ちを犯した為に償いをさせられている霊達の、様々な苦しみ、立場を見ることによって、色々と学んで頂きたいのです。
 アンジェルは、自主性を持たなかった為に、自分自身に対しても、また、他者に対しても、意味のない人生を送った人間の例です。
 どうでもよい快楽に心を奪われ、根気よく学ぶことをせず、家族に対する義務と社会に対する義務を、まったく果たしませんでした。義務を果たすことによって初めて、人間の心は、人生に魅力を見出すことが可能となるのにもかかわらず、です。義務というのは、どんな年齢でも見出すことが出来ます。
 若い時、彼女は、意味のない気晴らしをして、いたずらに時を過ごしました。
 結婚して、真面目に義務を果たさねばならなくなったのに、彼女の周りには空虚な世界が広がっていました。それは、彼女の心が空虚だったからなのです。特に重大な過失はありませんでしたが、これといって特に取り立てるべき点もなく、夫を不幸にし、子供達の未来を台無しにしました。
 そして、投げやりと無気力の為に、子供達が快適に暮らす権利を損ないました。第一に、自分自身のダメな姿を見せることで、第二に、女中に彼らの世話を任せきりにすることで、子供達の判断力と心を狂わせたのです。しかも、自分自身で女中を選ぶことさえしませんでした。
 彼女は、価値のあることをしないことによって罪を犯したのです。というのも、悪は、善を行わないことによっても発生するからです。悪を行わないだけでは十分ではないということを知ってください。それとは逆に、期待されている徳を実践して、積極的に善を行う必要もあるのです。
 神が何を望んでおられるのかを、よく考えてください。悪の道への入り口で立ち止まることだけではなくて、そこから引き返し、積極的に善の道を進んで行くことを、神は望んでおられるのです。
 悪と善とは対立するものです。ですから、悪を避けたいと思うなら、それとは反対の善の道に入り、しかも、その道を前進する必要があるのです。そうでなければ、人生は無意味なものとなります。その場合には、死んでいるのも同然です。
 いいですか、私達の神は、死せる者の神ではなく、生ける者の神なのですよ」
ーアンジェルの、直前の転生は、どのようなものだったのでしょうか?今回の人生は、その帰結なのですか?
「修道院で、怠惰に、何もせずに過ごしました。そして、今回、家族を持つことを希望したのですが、怠惰とエゴイズムが骨の髄まで染みているせいか、殆ど改善が見られませんでした。『このままでは、まずい』と、内なる声が囁くのですが、彼女はそれを無視しました。上り坂は緩やかであったにもかかわらず、彼女は、入り口のところで諦めてしまい、努力を放棄したのです。
 今でも、『こういうふうに、どっちつかずの生き方をしていてはいけない』ということは分かっているのですが、そこから出る為に努力する力が湧いてこないのです。
 彼女の為に祈ってあげてください。彼女は目覚める必要があるのです。目を見開いて光を見るように、促してあげてください。これは、あなたにとっての義務です。しっかり、この義務を果たすように。
 人間は活動するように創られています。霊的に活発であること、これが人間の本質であり、体を動かすことは、それに伴う義務です。しだかって、永遠の安らぎを運命づけられている霊として、あなた自身の存在の本質にかかわる条件を満たしなさい。
 肉体は、霊に奉仕する為にあるのであって、あなたの知性に使われる道具でしかないのですよ。学び、そして、知性を高めなさい。そうすることによって、知性は、救済の為の道具として肉体を使いこなし、自らの使命を果たすことが可能となるのです。肉体を上手に使いこなすのです。『あなたが憧れている心の安らぎは、肉体による労働の後にしか訪れない』ということを知りなさい。したがって、仕事を怠ければ、その間中、不安になりながら待ち続けることになるのです。
 働きなさい。絶えず仕事をしなさい。義務をことごとく遂行するのです。熱意を持って、粘り強く、根気よく、義務を果たすのです。信仰があなたを支えてくれるでしょう。
 誰もが避けるような、社会の中で卑しいとされている、そうした義務を、朗らかな気持ちで行いなさい。神の目から見て、そうした人は、他人に義務を押し付けて自分は楽をしている人間に比べて、百倍も千倍も優れているのです。
 全てが、天に向かって上る為の階段になっているのです。どうか、その大切な階段をないがしろにしないでください。
 そして、天使達が、いつも、あなたに手を差し伸べているということを、忘れないでくださいね。天使達は、神の為に命を使おうとしている人達を、決して放っておきません。必ず、そういう人達を支援します」

1862年、ボルドーにて。
 この霊は、自発的にコンタクトをとってきて、「お祈りをしてほしい」と言ってきた。
 

ーどうしてお祈りが必要なのですか?
「迷っていて、どうしたらいいか分からないんです」
ーもうずいぶん長い間迷っているのですか?
「180年位になると思います」
ー地上にいた時は何をしていたのですか?
「よいことは何もしませんでした」
ー霊界ではどんな境涯にいるのですか?
「退屈している霊達と一緒にいます」
ーそれは境涯とは言えないように思われますが。
「そんなことはありません。どんな心境の霊も、似た者、共感する者を見つけることが出来、そうして彼らと一緒に暮らすのです」
ーもし、苦しみという罰を受けていないなら、どうして、長い間、向上もせずに迷っているのですか?
「私は、いわば、退屈という罰を受けているのです。これも立派な苦しみなのです。喜びでないものは、全て苦しみではないですか?」
ーということは、自分の意志に反して、迷いの世界に置かれているのですか?
「こうしたことは非常に微妙なので、あなた方の物質界における粗雑な知性では、到底理解出来ないでしょう」
ー私に分かるように説明してくださいませんか?そうすることで、何かの役に立つことになるかもしれませんよ。
「出来ません。どのように言ったらいいのか・・・。相応しい言葉が見つからないのです。
 地上で、生命の火を心ゆくまでしっかり燃やさなかった為に、何か不完全なようなものが残っているのです。紙がちゃんと燃えないと、しっかり灰にならずに、何か滓(かす)のようなものが残るでしょう?あんな感じです。霊に、肉体の滓のようなものが付着しており、完全なエーテル体に戻れないわけです。純粋なエーテル体に戻ってこそ、初めて向上を願うことが出来るというのに」
ー何が原因で、退屈が生じているのですか?
「地上での生き方の影響がまだ消えていないのです。退屈とは、無為が生み出すものです。私は、地上で過ごした長い年月を、有効に使いませんでした。その帰結を今、霊界で引き受けている、ということなのです」
ーあなたのように、退屈に囚われている霊達は、止めようと思えば、その状態から抜け出られるのではないですか?
「いつもそう出来るとは限りません。というのも、退屈が、我々の意志を麻痺させているからです。
 我々は地上での生き方の結果を引き受けているのです。我々は、無用な存在として人生を過ごし、『主体的に何かに取り組む』ということをしませんでした。だから、今霊界で、退屈しながら、みんなバラバラに生きているのです。退屈に飽き飽きして、自分で『本当に何とかしなくては』と思い始めるまで、この状態で放っておかれるのです。我々の中に、ほんの少しでも意志が芽生えれば、助けがやってきて、よき忠告をしてくれ、努力を支援してくれるのです。そうすれば、我々も何とかやり続けられるのですが」
ー地上でどんなことをしたのか、ほんの少しでもいいですから、教えて頂けませんか?
「ああ、それは勘弁してください。本当に大したことはしていないんです。退屈、無用、無為は全部怠惰から生じるのです。怠惰はまた無知も生み出します」
ー過去世での修行で向上しなかったのですか?
「しましたよ。でも、大した向上はしていません。転生は、大体、どれも似たようなものになるからです。それぞれの転生で向上はします。しかし、それは実に僅かなものです。でも、我々にとってはそれで十分なのです」
ー次に転生するまで、ここに頻繁に来て頂くことは出来ますか?
「呼ばれたら、来ざるを得ないでしょう。でも、私にはありがたいことです」
ーあなたの書体はしょっちゅう変わりますが、それはどうしてですか?
「それは、あなたが質問し過ぎるからですよ。疲れるので、他の霊に助けてもらっているのです」

 霊媒の指導霊からのメッセージ: 「『考える』という作業が、この霊を疲れさせるのです。そこで、彼が答えられるように、我々が協力せざるを得ないのです。この霊は、地上でもそうだったように、霊界でも無為に過ごしています。我々は、この霊をあなたのところに連れてくることで、何とか無気力状態から救い出そうと考えたわけです。
 退屈に由来する、この無気力状態は、ある意味では、激しい苦しみよりももっと辛い、真の意味での苦しみだと言えるかもしれません。というのも、いつまでも、無限に続く可能性があるからです。決して終わることのない退屈がいかに恐ろしいものであるか、あなた方は想像出来ますか?
 この類いの霊にとっては、地上への転生は単なる気晴らしでしかないのです。彼らにとっては、霊界での耐えがたい単調さを破る唯一の機会が、地上に生まれ変わることなのです。したがって、善をなそうという決意もせずに、地上に生まれ変わることがあるのです。そして、また同じことを繰り返すわけです。
『本当に向上したい』という気持ちが、いつか芽生えてくるのを待つ他ないでしょう」

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